2010年2月 7日 (日曜日)

カミとオニ

そう謂う次第で、ちょっとズレたが節分に相応しいタイトルを附けてみた(笑)。先日のうさぎ林檎さんのコメントで朝青龍の暴行事件の話題が出たが、これって横綱としての品位がどうこうと謂う問題じゃないと思うんですけど。

オレがこの事件を聞いてすぐに想い出したのは、筒井康隆の「走る取的」と謂う短編だが、これは二人のサラリーマンが通りすがりの下っ端相撲取りに何気なく「ふんどしかつぎ」「取的」と聞こえよがしの陰口を聞いたことがきっかけで、その相撲取りにじわじわと追い詰められついには撲殺されてしまうと謂う話である。

» 続きを読む

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2010年1月30日 (土曜日)

深く考えまい

オレはここ一〇年ほど東武東上線沿線の住人なのだが、練馬時代も埼玉時代も専ら地下鉄直通の路線を利用している関係からか、例のアイボリーホワイトに紺色のストライプが入ったタイプ以外の車輌に乗ることが多い。鉄道にはまったく興味もなければ知識もないので、あのタイプの車輌も今では大分古くなっているんだろうな、くらいの印象しかなかった。

先日いつものように準急の次の地下鉄直通を待っていると、いつもの乗車位置に辿り着いた頃合いに先発の準急が停車し、これは例の東上線カラーの車輌だった。乗降客をやり過ごして乗車位置に立ったのだが、電車に近附いて何気なくドア付近に目をやると、何があったものか電車の外壁が不規則に凹んでいるのに気が附いた。

» 続きを読む

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年1月24日 (日曜日)

一〇回クイズ

「『ピザ』って一〇回言ってみな」

「ピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザ」

「じゃあ、ここは何て言う?」

» 続きを読む

| | コメント (2) | トラックバック (0)

「陰謀」って何だらう

今回はタイトル通り陰謀論をちょっと考えてみようと謂う話なのだが、おそらく人間の一般的な思考形態においては、陰謀論的思考と謂うのはニセ科学よりもタチが悪くて厄介な代物であると謂うのがオレの認識である。

たとえば今回こう謂うことを考えようと思ったのは、小沢一郎VS地検特捜部の対立構図の陰に陰謀を視ようとする人々がやっぱり少なからず存在するからだが、陰謀論の批判が難しいのは、或るレベルの陰謀は高確率で遍在するからである。

» 続きを読む

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2010年1月23日 (土曜日)

あふぉうのEPGはいつも真っ赤

気が附けば前回のエントリの日付が一一日と謂うことで、最も近々の書き込みでも先週の土曜日の日付なのだから、丸々一週間手付かずで放置してしまった。

今週を振り返るとそれほどベタに忙しかったわけでもないので、なんでこんなに間が空いたのか不思議なのだが(笑)、よく考えてみると、早めに帰宅出来て少し時間が空いていてもHDDレコーダーの整理に追われて、後は酒呑んで飯喰ってオシマイ、と謂うパターンだったことを想い出した(笑)。

よく考えるまでもなく、オレが録画予約を入れすぎていることは明白で、仕事が忙しくなるとわかった時点で大分要らない予約(「要らない予約」が入っている時点ですでに無駄なのだが)を切ったのだが、それでも毎日帰宅してから或る程度やりくりしないとすぐにHDDが一杯になる。

それは何故か。

» 続きを読む

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2010年1月11日 (月曜日)

妖精のかんしゃく玉

DVDが出るまで待とうかとも思ったのだが、折角の連休なので「ティンカー・ベルと月の石」を観に行った。なんでそんなものを観に行ったのかと謂うと…と謂う話はすでにしたので(笑)、今回は省略。とにかく「可愛い」は絶対正義である。

前作を何回も観ているものだから、この作品も気負って読み解くような映画ではないと思っていた…と謂うか、本国では劇場映画ではなく幼児向けのOVAなのだから、とにかく観て楽しめばそれで好い性格の作品である。しかし、更めて何を書こうかと考えて思い返してみると、前作よりも作りがしっかりしていて伏線の入れ方なども巧みだし、テーマ性の語り方も明晰になっていると感じた。

今回はその辺を中心に少し語ってみようかと思う。なお、例によってネタバレありありなので未見の方はご注意を…と注意喚起するのも、多分これを読んで観に行こうと思う人がいるとはちょっと思えないので馬鹿馬鹿しいのだが(笑)。

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年1月10日 (日曜日)

あらきけいすけさんに答える

年末に書いた「人間を信じなくてどうするか」と謂うエントリに対しては、過分なご注目を戴いたようで、当ブログに附いたはてなブックマーク数としては該エントリがトップになった。些かこれまで書いたことの繰り返しめいたところもあるエントリであるから、さほど反響はないだろうと思っていたので大変有り難く感じた。

戴いたブコメの中で、あらきけいすけさんと仰る方がわざわざ「「自然崇拝」と括弧書きにすべき(100文字越えたのでここに)」とエントリを上げてご意見を下さっていて、参考にさせて戴いた次第であるが、直接反論すべき性格のご意見ではないと感じた。

ただ、ブコメの一〇〇字を超える労力を割いてご意見を下さったわけであるから、こちらもエントリを上げて説明をさせて戴くのが相応かな、と感じたので、反論と謂うわけでもないが少し説明させて戴くことにした。

» 続きを読む

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2010年1月 4日 (月曜日)

死と愛と少女

今年も人並みに正月映画くらい観たいと思ったのだが…つか、具体的に謂うと「ティンカー・ベルと月の石」がとても観たかったのだが(笑)、手許不如意で大人しく寝正月に徹していた。

雰囲気だけでも正月らしくじっくり映画を観ようと思って、随分前にDVDを入手していながらまだ観ていなかった映画を観た。奥田瑛二監督の「少女」「長い散歩」とそれとはガラリと毛色の違う「ウォッチメン」の三本である。

まあ「ウォッチメン」のほうは「こんなもんだろう」と思った通りの内容だったのでとくにコメントはないのだが、奥田瑛二監督作品の二本はそこそこ面白かった。何故そんなものに興味を覚えたのかは言わずもがなだが(笑)、これもまた予想通りと謂えば予想通りの内容であった。

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年1月 1日 (金曜日)

素晴らしいことが起ころうとしている

…と言ったのはスターチャイルドに進化したボウマン船長だが、たしか蓋を開けてみたらそんなに素晴らしいことでもなかったような気がする(笑)。あんまり昔観た映画なので殆ど記憶らしい記憶がないんだが…と謂うか、更めて調べてみるまで「さよならジュピター」と記憶がまぜこぜになっていた。

二〇〇一年にも似たようなことを思ったが、実際の二〇一〇年はあんまり素晴らしいことが起ころうとしているようにも思えない。ただ、一九八四年の正月にちょっと安心したことは事実である。そうやって昔の「未来」は「現在」になり「過去」になっていくのだなぁ、なんてことを思ったり思わなかったり。

最近旬なのは二〇一二年らしいが、二〇〇九年の段階で二〇一二年の予言ってのは、世の中サイクルが早くなっているんだねぇ。

» 続きを読む

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2009年12月31日 (木曜日)

あまり振り返りたいとも思わないが

大晦日になったので、一応二〇〇九年を振り返ってみる。

一言で言うなら、とことん貧しい一年であった。昨年までが貧乏でなかったとは言わないが(笑)、地道にやっていればいずれ良いほうに転ぶのではないかと開き直っていたのだが、一向に好転の兆しがなく、いい加減貧乏生活にもうんざりしてきた。

幸い秋口から仕事が上向きになってきたが、世間の景気動向に敏感な商売だからいつまで保つかは保証の限りではない。未だ先行きに光明の見えない状況ではあるが、病気もせずに生きていられる以上、これから先も生きていかなければならないと謂うのが大前提である。

そんな状況であったから、精神的な余裕には乏しかった一年間で、ブログのほうもなんだか愚痴っぽかったり現実逃避的なエントリが多かったような気がする。昨年辺りからニセ科学問題に首を突っ込んであれこれ書く機会も増えたが、今年はどうも腰を据えて社会的な問題を考察する根気も続かず、ちょっと中途半端な姿勢だったように思う。

そんななかで僅かに良かったことと謂えば、正月から続けて何本か良い映画に当たったと謂うことと、落語を旺盛に聴くようになったと謂うことくらいだろうか。映画のほうはそれきり観に行く余裕もなくなったので想い出の範疇だが、落語は今でも毎日欠かさず通勤時にたっぷり行き帰り三席ずつ聴いている…つまりそのくらい通勤に時間が掛かると謂うことであるが(笑)、ポッドキャストや動画サイトのお陰で元手が要らないのが大助かりである。

落語に絡めて幾つかエントリを書いたが、ほぼ半年かそこらの落語歴で一端の落語通のような顔をしてよくも書いたものだと我ながら思う(笑)。まあ、落語も文芸の一種ではあるから、書籍や映画の延長上の感覚で書いているわけで、噺の「読み解き」と謂う観点では、或る程度若い頃からの文芸や映画に対する投資で得られた抽斗が転用出来るのではないかと思う。

しかし、パフォーマンスとしての落語の芸の神髄と謂うのは、まだまだこれから勉強して行かないと目や耳が育たないと思うし、過去の名人上手の口演をもっと聴いてみたいと思う。演者のみならず、実際に口演を聴いたことがない演題も多いし、まだまだ落語で楽しめそうに思う。

また、今年一番遺憾に感じるのは、某所で「失はれた終末」のFinal act のレビューを年内に書くと約束したにもかかわらず、それを果たせなかったことである。またしても黒猫亭の「書く書く詐欺」の前科が一つ増えてしまったわけで、本気で書き上げるつもりではいたのだが、今年中盤のようなささくれ立った気分で書く気にはなれなかったのと、某白倉Pに対する感情がちょっと悪化した(笑)為に、到頭約束を果たせなかった。

イメージ的には、大方の予想として「どうせこいつ、また書かねぇんだろうな」と謂う思惑が支配的なところに、バババーンとレビューを突き附けて、「どうだい、オレだってたまには約束を守るんだぜ」と格好良く見得を切りたかったところだったんだが、結局いつもの言うだけ番長に終わってしまって、しょっぱいことこの上ない。

どうもなんだか最後までしまらない一年間であった。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2009年12月30日 (水曜日)

人間を信じなくてどうするか

流石に実質今年最後のエントリが女子アナ妄想ネタだとアレなので、少しは真面目な話もしておこう(笑)。

最近どらねこさんのところで「完全母乳育児」の問題が論じられているが、これも大きく括れば極端な自然崇拝の一種と謂うことになるだろう。どらねこさんの記事を読む限り、勿論新生児の栄養源として母乳が優れているのは当然だが、それにミルクを足したり、母乳の出が悪ければミルクで代替したりすることに何か問題があるのかと謂うことなのだが、まあウチの兄弟なんか殆どミルクで育っているので、経験則的には何の問題もないだろうと思う。

どらねこさんの記事は、助産院を発信源とした出産・育児に纏わる諸々のニセ科学の問題の一環としての性格もあるわけだが、個々の問題について具体的に是非を論じるにはこちらの素養や知識が足りないので、大枠の自然崇拝の問題を考えてみたい。

» 続きを読む

| | コメント (15) | トラックバック (0)

パン4

続けてCX限定の女子アナネタを一くさり。最早パン枠の話でも何でもなくなっているのだが(笑)、パン枠の背後にCXの大掛かりな人事戦略を妄想すると謂う連続上のお楽しみなので、とりあえずこのタイトルの流れで。

さて、おめでたニュースに沸いた二〇〇九年を締め括る最後のビッグニュースが中野美奈子の結婚である。誕生日である今月一四日直前の一〇日にスポーツ新聞にスクープされ、そのときは否定したものの、結局それを追認する形で二六日にCXサイドから発表があり、週が明けた二八日の「とくダネ」では本人の口から経緯が語られた。

オレはスポーツ新聞はおろか新聞一般読まないので、一〇日の一報の件は識らなかったんだが、二八日早朝のめざましからとくダネへの流れでそれを識っても、別段驚きはしなかった。今年前半からの中野美奈子の動きは、まあ普通に考えて結婚を疑わせるに十分なものだったし、しらばっくれてはいても局側はかなり以前からその前提で動いていたのだろうと考える。

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

フトモモに罪なし

少し前に、どさくさ紛れで「CX女子アナで一番好きなのは平井理央」と謂う衝撃告白をしたにも関わらず、予想通りあっさりスルーされてしまったのだが(笑)、今回もこっそりその話の続きをしよう。

平井理央と言えば誰でも連想するのが「フトモモ」もしくは「ナマ脚」である。これは誰が何と言ってもそうなんである。現在本田朋子と交替でキャスターを務める「すぽると!」でも、本田朋子を遙かにぶっちぎる露出度でショートパンツかミニスカートが定番の衣裳なのであるが、この脚見せファッションについては同僚アナの間でも一再ならず言及されている。

朧気な記憶で恐縮だが、「アナ☆バン」の前身の「アナ☆ログ」レギュラーコーナーに「アナ☆ログNEWS」と謂うのがあって、CXアナウンス室の近況を牧原俊幸と中堅女子アナがニュース仕立てで紹介すると謂うものだったのだが、このコーナーで、誰だったか忘れたが平井の後輩だか同期だかの女子アナが「いつもあんなミニスカートでパンツが見える心配はないのか」と謂う質問をしたところ、平井の答えは、

» 続きを読む

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年12月27日 (日曜日)

画期的な調停案

…そう謂うわけで、中身が薄くなると看板ばかり大仰になると謂う見本のようなタイトルであるが、今回は久々にニセ科学関連の話題である。

ニセ科学対ニセ科学批判の議論を眺めていて思うのは、たとえば血液型性格判断の問題なんかにとくに顕著な性格なのだが、「科学的な根拠はないけど、呪術的な根拠ならある」と言っちゃえばそこで議論は終わるように思うのだが如何なものだろう。

勿論、そうでなったとしてもその呪術が社会的に許容可能な性格のものか否か、つまり道義的な観点において許容され得るものかどうかと謂う議論は残るが、特定のニセ科学言説において主張されている、「人間に対する効果」についての議論はそこで終了することは間違いない。これはつまり、すべてのニセ科学を一種のプラシーボと認識すると謂う意味であり、附随する原理をカウンセリングにおけるストーリーと解釈すると謂う意味であるが。

要するに、ニセ科学の定義である「科学ではないのに科学を装う」と謂う欺瞞性を放棄すれば、「効く」と謂う主張自体は通すことが可能になる。血液型性格判断についても血液型ステロタイプに絞った議論が可能になり、血液型を性格類型の判別基準として採用すること自体については一定の妥当性が確保される。

しかし、そうすると昨今のホメオパシー関連の議論で問題になっている「偽薬が偽薬であることを明かしたら偽薬効果は消滅する」と謂う論点がクローズアップされるわけであるから、多分ニセ科学の側ではそんなことは認めないだろう。つまり、ニセ科学言説は何処まで行っても原理的に欺瞞性からフリーであることは不可能だと謂うことで、そんなことは百も承知でこんなことを言っているのであるから、このエントリは単なるネタでしかない。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年12月26日 (土曜日)

来るべき新たな年に対する大いなる期待

来年は、プロの作った美味い料理がもっと食べられたらいいなぁ。

自分の作った喰い物は自分好みの味附けに出来ると謂うメリットはあっても、自分で自分を擽っても擽ったくないような味気なさがある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«大団円