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2006年2月18日 (土曜日)

仮面ライダーカブト 03

パイロットの二本をくさしたのが気が退けるというわけでもないが、田村演出に代わった第三話は、先に「ベタのもう一段上を狙う欲」と表現したヒネリが、うまく映像表現に繋がっていると思う。

このエピソードで扱われているメインのネタは、スーパー戦隊の長い歴史の中ですでに散々使い古されてきた「本物そっくりのニセモノを見破る話」のバリエーションである。このネタの類型は、元を辿れば西遊記はおろかもっと旧い神話・伝説にまで行き着くような長い歴史を持っているが、「同じ人物が二人画面に映っている」という絵面のおもしろさから、特撮物では定番のネタとなっている。

ここ最近の戦隊では、「ニセモノを見破る」というかたちそのままの話は記憶にないが、今回ゲスト出演した菊地美香がウメコ役を演じたデカレンジャーでは、ウメコそっくりの王女さまが登場してウメコと入れ替わるエピソードがあった。さらに遡ると、ギンガマンにもこれとまったく同じパターンの話があって、サヤそっくりのアイドルが登場してサヤが入れ替わるエピソードがあった。詳細に視ていけば、ニセモノ・入れ替わりを含めて、このような実例は枚挙に暇がないだろう。

ニセモノを見破る話と瓜二つの二人が入れ替わるという話は、本来まったく起源が異なる類型であるが、実際のエピソードを視ると話の構造が酷似して見える。違いがあるとすれば、入れ替わりの場合には二人の人物がそれぞれの役割を交換して演じることが多いが、ニセモノを見破る話の場合、本物に相当する人物が拘束幽閉されていることが多いということくらいである。

この場合、「〜することが多い」という言い方になるのは、入れ替わりの場合でも片方が身を潜めている場合があったり、ニセモノの場合でも本物が別の場所で自由に振る舞っている場合があるからである。そういう意味では、この二つの類型はそれほど画然と違うものだとはいえず、かなり隣接した類型であるということになるだろう。

この二つの類型が隣接して感じられるのは、要するに同じ顔をした人間がもう片方の役割を演じるという意味では、二つの類型とも同じ構造を持っているからである。片方だけ演じるのか、両方演じるのか、その違いでしかない。

映像表現上のおもしろさで言っても、「同じ役者が違うキャラクターを演じる」「周囲の人物が混乱してドタバタを演じる」というおかしみと、クライマックスにおいて「同じ人物が二人画面に映って相争う(説教含む(笑))」というビジュアル面のおもしろさを狙っていることは共通している。

一般論はこのくらいにして具体的にカブトのエピソードを視ていくと、今回の話は直球真っ向勝負のニセモノ話であって、レギュラーキャラではないが話の芯になるメインのゲストキャラの真贋を巡ってゼクトおよび天道・加賀美がコミカルタッチで右往左往するという、あまりにもそのまんまな骨子のニセモノ話である。

だが、このあまりにそのまんまな骨子を、仮面ライダーカブトというスーパー戦隊とはリアリティレベルの異なる個別的な物語にアダプトする作劇のテクニックが心憎い。雑誌情報によれば、このエピソードの仮サブタイトルは「擬態」ということだが、まさにこのエピソードはワームの擬態をテーマにベタな物語類型を用いて組み上げたもので、先に挙げた「ベタの一段上」のヒネリがヒットした場合のイメージとはこういうことなんだなぁとあらためて実感した。

まず無前提にこのエピソードを観る場合、映像作品の見巧者ならワームが菊地美香に擬態するくだりの映像表現に多少不審を覚えるはずだ。というのは、ワームが菊地美香に擬態したあと、現場にパトカーが殺到する直前に本物・ニセモノ入り乱れるもみ合いとなり、それをパトライトで隠すアングルで撮ることによってどちらがニセモノなのかをシャッフルしているわけだが、にもかかわらず現場から逃げ去るほうの菊地美香のバレッタをむしり取らせることによって、菊地美香A、Bというビジュアル上の弁別を設けているからだ。

このような弁別は普通の場合不必要である。どの道クライマックスで「あたしが本物よ!」「あたしよ!」「正体を顕わしなさいよ、このニセモノ!」「そっちこそ!」というようなお約束のベタベタなキャットファイトがあるはずなんだが(笑)、その場合には相争う二人の人物がビジュアル上まったく相同であるほうが効果的なのだから、別段この二者の区別を設ける必要はないからである。

野放しのほうと収監されたほうにあえて外見上の区別を設ける以上、作劇上の効果としてこの二人を区別して考える必要があるということである。結末から遡っていうなら、実際には収監されたほうの菊地美香がワームであったという意外性が狙いだったわけだが、この意外性は菊地美香A、Bを視聴者が識別できないとビジュアル的に成立しない感興である。

実際、ながら見でこのエピソードを観ていた視聴者は、ワームが正体を顕わした瞬間、一瞬何がどうなったのか……というより、このオチのどこがおもしろいのかわからなかったはずである。

つまり、このエピソードの「騙し」は、収監された菊地美香があまりにもいつもどおりの菊地美香である辺りがキモなのである。雑誌情報では、たしかにワームの擬態は「人間の姿形のみならず記憶まで写し取る」と報じられているが、その作品内での初めての開示がこのエピソードなのである。

拘置所に潜入した岬すら「あなたがワームのはずないわね」と太鼓判を押した相手がその実ワームであったという意外性が、このエピソードのキモである。普通、この番組以外なら「あたしは犯人じゃないの、本当の犯人はあたしなの!」「ITセレブになれるチャンスだったのに……やっと取り付けたデートだったのに」という見るからにアタマの悪い弁明は、本物であることの作劇上のサイン以外ではあり得ない。ちゃんとした悪者なら、いくら何でもこんなにアタマの悪い弁解を正直に叫んだりしないだろう(木亥火暴!!)。

何よりそこに本物の菊地美香でないと知り得ない情報が含まれているのだし、いかに声高に叫ぼうとも殺人の嫌疑を張らすには説得力のない「本当の話」を口にする以上、普通の意味では収監されているほうが本物だという前提のストーリーでないとおかしいのである。野放しのほうの菊地美香のアカラサマに不審者然とした芝居が気になるものの、おそらくそういう前提でそこから何か話が転がっていくのだろうと、かなり注意深い視聴者でも漠然とそう考えるだろう。そしてクライマックスにおいて、大方の視聴者の予想どおり菊地美香A、Bによる「あたしが(ry」という諍いが演じられるわけで、これ自体は本当に過去の戦隊物で飽き飽きするほど見慣れた絵面ではあるのだが、そこで天道が本物を見破る話にならないところが味噌である。

何せ、すでに菊地美香A、Bには髪型という外見上の識別要素が加わっているのだし、大前提として収監されていたほうが本物だという前提の話なのだから、ニセモノを見破るも何もない……はずではあるのだが、何故かここで唐突に収監されていたほうがニセモノだというオチになる。

これはたしかに意外である。

普通に考えたら、どうしたってそういうオチにはならないはずなのだ。オレたちはすでに雑誌情報でワームの擬態が如何なるものであるかを識っている。しかし、それは単に設定に留まるのであって、その設定それ自体を開示することがテーマとなるエピソードがあるとは思わなかった。だが、紛れもなく今回のエピソードは、「ワームの擬態」という設定の実態を劇的に開示する、そのためのエピソードなのである。

今回のエピソードの唐突なオチに対する違和感は、そのままワームの設定に内在する奇矯さの実感そのものである。普通なら本物であることを示すサインとなるはずの描写が、そのままワームの擬態能力の開示として効いてくるわけで、さらにそれが底知れない能力を秘めるワームの気味悪さの描写として効いてくる。

さらに、天道・加賀美組が収監されているほうの菊地美香を奪還するというアクションを起こしながら、それが本物「だから」天道が奪還を企てたわけではないという辺り、主人公の人物描写としても効いている。天道には、菊地美香A、Bのどちらが本物だというアイディアなど最初からなかったのだが、それ以前にどちらが本物でもかまわなかったというのが天道らしい。

ニセモノを見破るのではなく、真贋の二人をかち合わせて正体を見せた瞬間をすかさず叩くというのは、たしかに面倒がなくて効率的である。そうなのだ。戦隊物におけるニセモノ話のルーティンとして、仲間が本物を弁別する必要があるという刷り込みがあるからどうしてもニセモノを見破るというそのこと自体に囚われてしまうが、この場合は別に見破る必要などないのである。

最初から天道は「二人を見張る必要はない。泳がせておけば、どちらかがもう一人の自分を消そうとするはずだ。そいつがワームだ」と単純明解に宣言している。つまり、当たり前の意味ではワームと擬態された人間を見分けることは最初から不可能なのである。コピーがオリジナルを抹殺しようとする意志、それ以外に客観的に本物とニセモノを隔てる要素はない。

ここからさらに一歩踏み込んで「一段上」を目指すなら、設定上のキーワードである「ドッペルゲンガー」というイメージも生起して、フィリップ・K・ディック的な「本物とは何か」的な設問も立ち上がってくるはずなのだが、それはいくらなんでも表向き「幼児向け特撮ヒーロー番組」を標榜するこの枠の手に余るのではないのか。そう思う一方で、そこまで突き抜けたらさぞや痛快だろうという期待も湧いてくる(笑)。

この辺はまあ、書き手の米村にはいくらでも想いが及ぶ領域であるだけに、それが実際の表現として実現するか否かは白倉の胸一つというところだろう。白倉のお手並みを拝見というところである。

というわけで、オレ的には今回のエピソードに至ってようやく先行きに対するコンクリートな期待を抱けるようになったわけだが、持ち上げる一方でも片手落ちなので、少しツッコミめいたことも書かせてもらうことにしよう。

今回のエピソードは、たしかに作劇上の仕掛けはおもしろいのだが、この種のおもしろみというのはミステリ的な謎提示の手法なのだから、一種の描写上のフェアネスのうえにはじめて成立するものである。その意味では、菊地美香A、B入れ替わりの場面に、ちょっとしたアンフェアな描写があるのが無視できない瑕瑾ではある。

つまり、「見せかける」のはかまわないが「嘘を吐く」のはアンフェアなのだ。ここをちょっと詳細に視ていこう。

警官殺しを目撃されたワームが逃げ去る菊地美香に先回りして、彼女そっくりに擬態する。この一連の流れを視ていくと、睨み合う二人の緊張をパトカーのサイレンが破った瞬間、ワームが擬態したほうの菊地美香がその場を逃げ去ろうとして、本物がそれを制止に入る。

これは整合性の観点からすれば、本物の菊地美香を抹殺する前にワームが逃げるのは不自然だし、警官殺しの犯人を恐れていたはずの本物が、さらに不可思議な能力を見せる化け物を制止しようと組み付くのはもっと不自然だが、それはそれでよしとしよう。不自然さがそれ「だけ」だったなら「見せかけ」の範疇と視られるからである。

だが、パトライトの陰で入れ替わりが起こったあと、追い掛けているほうと追い掛けられているほうが入れ替わっているのは、許容範囲を超えた「嘘」である。結果的には逃げようとする菊地美香のバレッタを毟り取ったほうがワームなのだが、整合性の観点からいえばそれは自然である。設定や今回のストーリーの骨子から考えればワームが擬態された人間を追い掛けるのは自然なので、入れ替わりが起こったあとのストーリーラインは至極整合性がとれている。

だが、擬態から入れ替わりに至る流れに明らかな「嘘」がある。

どうしたって、パトカーのサイレンを聞いてニセモノのほうが先に逃げようとするのは不自然なのだし、本物がそれを追い掛けようとするのはもっと不自然である。さらに、それがハンカチをかぶせてワンツースリーと唱えたら主客入れ替わっているというのでは、明らかに演出上の前後関係に「嘘」がある。

おそらく演出的に入れ替わりのトリックを混乱させようという意図があったのだろうが、そんな小細工を弄さなくても十分演出上効果的な構造なのだから、ここで嘘を吐く必要はなかった。むしろ、この場面は結論から遡ってもう一度検証したうえで、「ああ、たしかにここはこうなってるわ、やられたなぁ」的に整合性に感じ入るべき部分なので、その意味でも嘘を吐くのはマイナスである。

これを責めるのはちょっと酷だなぁとは思いつつ、やはり「一段上を狙う欲」というのは言うは易く行うに難いものだと痛感した次第である。

また、「本物を示すサイン」がワームの擬態能力の開示として効いてくるには、それがワームの設定要素であることを作品内で言及する必要があると思うのだが、今回のエピソード中にはその種の説明がなかったこと、これも少し微妙な留保要件となる。予告映像や公式サイトの情報から察するに、次回のエピソードもまたワームの擬態能力開示に纏わるものになりそうだから、その辺に持ち越したのかと思わないでもないが、これも向後を視てみないと軽々には評価できないところである。

最後にちょっと小ネタではあるが、実写版セーラームーンのレビューを長期に亘って手掛けている者として、今回の戦闘シーンで例のメリーゴーランドに例のBGMが流れたことを懐かしく感じた。両番組を繋ぐ要素はプロデューサーの白倉だけなのだが、まあ白倉がロケ場所選定にまで口を出すとも思えないし内容的にも関連はないので、「遊園地という場面設定」が共通しているだけの単なる偶然ではあるのだろう(笑)。

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