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2006年2月21日 (火曜日)

仮面ライダーカブト 04

うん、いい落とし所だ。

前回留保を附けた条件がキチンと満たされているし、「本物とは何か」の問題にも踏み込んでいる。加賀美が引き金を引くのを躊躇うのはそれが弟と同じ顔だからではなく、ワームの言うとおり、弟に擬態し記憶を引き継いだワームはある意味で弟本人と変わらないからである。

弟と同じ姿を持ち弟としての記憶を持つワームは、本物の弟とどこが違うのか。翻って人がその人であるということはどういうことなのか。これは誰にも答えられない。一人の人間をその人とあらしめる意識とは、記憶でしかない。その記憶を写し取ったのなら本物と偽物の間に本質的な差違はないのである。

無論、ワームの意識は擬態対象の記憶の上位にあるのだから、ワームと擬態された人間はまったくの別物である。事実において、ワームは擬態された人間とは別の個体なのだし、事実関係からそれを識別することは可能だろう。だが、ある人間を構成する要件をすべて満たした別の存在は、本当にその人間と別物と言い切れるのか。オリジナルが抹殺された場合、オリジナルの要件をすべて満たしたコピーはオリジナルに等しいと本当にいえないのだろうか。

ドッペルゲンガーというキーワードはここで活きてくる。客観的な見え方として、人間に擬態したワームは、その人間に何か別の存在を加算した存在である。だとすれば、何かに取り憑かれた人間と人間に擬態したワームは外見上まったく識別できないのだし、本質的に差違はないということになる。何かに取り憑かれた人間を、取り憑いた何かを倒すために抹殺するということは普通躊躇われて然るべきであるが、それとこれのどこが違うのか、明確なロジックがない以上、加賀美に引き金を引くことはできない。

つまり、加賀美にとって弟を殺害した憎い仇は弟自身なのである。この現実に加賀美は耐えられない。ワームが断末魔に弟の姿をとり、「兄ちゃん」とつぶやいたのは、加賀美を騙すためではなく、ワームの中に、本当に弟の記憶が生きているというサインではないかと思う。邪悪な存在が本物そっくりにマネをしているだけではなく、本当にその中に弟と呼べるような何ものかが局在しているのである。

肉親を殺された者の痛みが、報仇では晴らせないのである。それは弟を二度殺すことになるからである。加賀美の憎しみの動機が弟への愛である限り、憎しみの対象を殺すことは自分の愛をも殺すことだ。

前回のエピソードのおもしろみは、ワームが擬態対象を取り逃すことで同じ人間を二人存在させ、その両者の間に本質的な差違が存在しないことを、鮮やかに提示した部分にある。並べ立てられた偽物話のお約束をすべて無視し、本物と偽物を入れ替えたことが計算尽くの仕掛けとして活きてくるのである。

詳細な設定を識らない視聴者には不審に感じられるこのトリックが、今回のエピソードによって急転直下意味を持ってくる。設定を設定のままに終わらせず、積極的にドラマに組み込んでプロットを構築している辺り、上出来の作劇だ。

また、今回のエピソードは、主要登場人物である加賀美の情念的モチベーションに早々にケリを附ける意外なものである。加賀美がワームと戦う理由附けとなっていた弟の報仇は、天童の手によってあっさり幕を閉じる。

だが、それは相手がただの人間の手には負えない強力なワームだからではなく、加賀美自身の弱さのゆえであるというところにドラマ的なヒネリがある。もちろん、あそこで加賀美がゼクトガン(仮)の引き金を引いていたところで、ワームを抹殺できたとは思えない。しかし、事実において加賀美は憎い仇を目の前にしながら引き金を引くことはできなかった。それはワームの強さを顕わすのではなく、加賀美の弱さを暴き立てるものである。

このような局面に立たされたら、誰だって引き金は引けないだろうという説得力、それが視聴者を加賀美に感情移入させる。この場合、加賀美がワームを倒せないのは弱い人間だからではない。人間だから弱いのである。

その弱さは恥ではないと天道は言い、この絶体絶命のアンビバレンツを鮮やかに解決してみせる。愛を抱く人としての弱さを許容し、すべてを加賀美に選ばせることによって加賀美を地獄から救い出す。つまり、天道はワームを倒しただけではなく加賀美を救ったのである。弟を殺したのが弟自身であり、今加賀美をも殺そうとしているという絶体絶命の課題設定を見事に「解決」したのである。

これは平成ライダーにおいては未曾有の事態だ。

この場面で沁みるのは天道の優しさである。今回のエピソードにおいて、天道は最初から最後まで加賀美への思いやりを動機にして動いている。引き合いに出すのは妥当ではないかもしれないが、過去の白倉ライダーでは、容易にこのような「他者のための思いやり」という要素は描かれなかった。それはなぜか。

過去の白倉ライダーにおいては、人はあくまで他人のためではない自分のための生を生きるのであるという強固な縛りがあったからだ。現実において、人のために何かを為すのは並大抵のことではない。人間というのはそれほどよく出来た存在ではないからだ。他人への思いやりが本当に相手の益となるためには、ある種の知恵が必要なのであり、そのような知恵は容易に身に付くものではない。

小林靖子が書き手であった龍騎ですら、主人公の善意や思いやりの無力さが容赦なく描かれ、何度裏切られてもそれでも他者を思いやる意味を強調するに留まった。井上脚本のアギトや555においては、もっと突き放して人が他人のために出来ることなどほとんどないというクールな認識がベースになっていたように思う。

カブトの場合、天道が過去の白倉ライダーの主人公たちに比べて神懸かり的に強いキャラクターだからこそ、加賀美を思いやり、設定された課題を「解決」できたのである。このような「解決」をもたらす能力の有無が、過去の白倉ライダーの主人公たちと天道が決定的に異なる部分である。

どちらがどうということではない、過去の白倉ライダーのリアリティは、カブトと違う現実認識に基づいていたというだけのことである。つまり、カブトのリアリティは過去の白倉ライダーが拠っていたアクチュアリティとは別の、物語性のリアリティに回帰しているということだろう。

物語で扱われる「課題」とは、本来「解決」を前提としたフィクションなのである。だが、現実には課題と解決というフィクションが都合よくかみ合うとは限らないものである。白倉ライダーにおいては、多くの場合自然に生起する物語上の課題は解決をみずに放置される。主人公にあるのは怪人を倒す力のみであって、普通の意味での人間の現実を救済する力は与えられない。それどころか、主人公自身がアクチュアルな現実の中で困難に翻弄され、無力なまでに悩み苦しむ。その意味では他の登場人物と違う特別な存在ではない。

だが今回のエピソードにおける天道は、愛を識る凡人には逃れ難い絶対の陥穽を解決してみせた。愛ゆえの弱さは恥ではないと、凡人が凡人であることを許容した。だから、天道は凡人を超越した何かなのである。

加賀美が「いつかおまえを越えてみせる」と叫ぶのは、この一連の落とし所としては間違っていない。今回のエピソードで提示されている問題は、ワームを倒すことの本質的な困難さである。どのような種類の強さを持たねばワームに対抗できないかを提示しているのである。恐らく今の加賀美がライダーに変身してもワームを倒すことは難しい。愛憎の陥穽に囚われる凡人には、非情なまでに不可解なワームという存在を圧倒することはできない。

ここで適格者というキーワードを思い出してもいいだろう。設定上の意味としてはカブトゼクターとの生体適合性というような意味なのだろうが、ライダーに変身して真のヒーローとなるには自ずからなる資格が必要だということなのだ。これは、心ならずも不意に超越力を持たされた凡人がどう戦うのか、という過去の白倉ライダーの問題設定とは逆である。

個人の物語としての加賀美の憎しみは解決されてしまった。加賀美がこの後ライダーに変身するにせよ、最早その戦いの動機は弟の報仇という個人の物語ではあり得ない。

加賀美はそれまでのすべてであった弟の報仇という目的を己の凡人としての弱さのゆえに成し得ず、心ならずも天道によって救済されてしまった。ワームと戦う加賀美の動機は、この一事によって軸がずれてくる。おそらくそれは人としての誇りにまつわるものだろうし、己の無力さを識った人間がより強くなるための戦いである。

その意味で、今回のエピソードによって加賀美はヒーロー予備軍となったのだ。登場時には事前情報でこの男がもう一人のライダー候補だと識っていても「え、この甘ちゃんが?」と不審に思ったのだが、このようなドラマを経てもう一人のライダーを目指すのであれば物語の筋が通っている。

このエピソードは単体として物凄い傑作というのではないだろうが、このようにすべての歯車がピタリと噛み合う感覚には興奮を覚えざるを得ない。それは今までの平成ライダーでは滅多に味わったことのない感覚である。それは、もしかしたらこの枠で近来にない「物語」が観られるのではないかという期待である。

とまれ、この調子で全話コメントしていたら昔辿った同じ道にハマってしまうので(笑)カブトについての言及はこの辺りで一区切りにしたいと思うのだが、開始当初に抱いた期待が裏切られずに一ヶ月を終えたことはめでたい限りである。

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