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2006年2月25日 (土曜日)

ホームズの夢、ヴィオロンの夢

昨日の女子フィギュアの繋がりで、今朝はエキシビジョンを観ていたわけだが、ロシア選手の演技で登場したかっくいい氷上のヴァイオリニストの生演奏を見ていたら、何やら懐かしい記憶を掘り起こしてしまった。

小金を貯めて隠居したら、ホームズのように蜜蜂を養いながら終日下手なヴァイオリンを弄んで老いの残照を最期の日まで無為に過ごしてみたい———

そんなふうに考えていた時期が、オレにもありました。

スリッパの中に隠した煙草を桜材のパイプにくゆらせ、ときにコカインの幻夢に微睡みながら、タイースの瞑想曲やツィゴイネルワイゼン、フランクの協奏曲のメロディーを慰みに指で辿るというのは、DQNなド田舎の厨房が想い描く優雅な老後の姿そのものだった。

もちろんオレは、人生も後半戦に入った現在に至るもヴァイオリンなど触ったことすらないし、アナフィラキシー・ショックで悶死するかも知れない生業が悠々自適の老後に相応しいとも思ってはいない。実際に、伯父の一人が長野の山中で雀蜂に刺されて亡くなって以来、養蜂業の夢はとりあえず棄てることにした(笑)。

チェリーウッドのパイプで吸う煙草もなまじいにいがらっぽさがないだけに煙が肺や胃に滞留して胸焼けの元になるし、コカイン嗜癖がとびきりリスキーな上に金持ちの道楽にすぎないのは勝新太郎や角川春樹の逮捕以来誰でも識ってる常識である。

これでなかなか、ホームズのように優雅に隠棲するのは難しい。

可能性として残っているのは「下手な」と留保を附けたヴァイオリンを老後の数年間でマスターする道である。だが、これも長年バンドをやってる友人に聞いたら、弦を押さえる左手首のビブラートが命らしいので、一昔前のバイク事故で左手首を粉砕骨折して第二級障害の認定をもらったオレには不向きである。歳をとって関節が固くなってからの修練では満足に音を出すことすら困難だろうと、キッパリ引導を渡されてしまった。

そういうわけで、オレにはホームズのような優雅な老後を過ごす道がいっさい断たれてしまったのである。

だが。

その友人が言うには、どうやらヴァイオリンはダメでも、二胡なら短期間の修練で自己満レベルならそれなりにイケるらしい。うーむ……二胡ねぇ……微妙である。ホームズからいきなり女子十二楽坊になるのはギャップがありすぎる。願わくはもっと他の道はないものだろうか。何かこう、爺さんがポロポロンと爪弾いて絵になるような、何かそういう、ちょっと余裕のある絵面というか……

あちこちでそういうことを嘯いていたら、別の友人がこう言った。カンカラ三線なら、音を出せるようにさえなれば、勘で応用が利いてイージーにいろんな曲が弾けるようになるし、爺さんが小脇に手挟んでいてもそれなりに様になる、と。

……で、カンカラ三線というのはどういうものだと聞いたら、何やらクッキーとか柿の種の空き缶に適当な棹を挿してフレットを自作し、弦を張ったものだという。沖縄ではポピュラーな楽器だとか、ウチナーはガキの頃からカンカラ三線を自作してポツポツやって音楽に親しむから歌舞音曲が盛んなのだとか……ちょっと待て、おい。

クッキーの空き缶かよ。柿の種なのかよ。

タイースの瞑想曲だのツィゴイネルワイゼンだのパガニーニだのストラディヴァリだのという世界が、クッキーとか柿の種の空き缶になっちゃうのかよ。オレに許されているのは、柿の種の空き缶を抱えて猫に構いながら「まやぐゎー節」を一くさり唸るという南国ライクでカチャーシーな老後でしかないというのかよ。

ああもう、ホームズやめ。やめました。

日本人なら日本人らしい老後の姿を想い描くべきなのである。斜陽の大国イギリス旧世紀の高等遊民にモデルを求めても、無理があるのは当然なのである。ここはグッと渋く行って…そう、敬愛措く能わざる岡本綺堂描くところの半七老人などはどうだろう。

半七老人は、元を質せば無類の捕物名人と謳われた人で、若い頃は道楽もしたが酒癖の悪い親分に就いて追い回しから捕物のゐろはを学び、見事親分の跡目を襲って壮年期の幕末頃に大活躍、明治の御代には楽隠居の身の上である。もちろん同じ綺堂の手になる三浦老人昔話や青蛙堂鬼談、また山風明治物に描かれたような幕末維新の激動の動乱期を、この老人もまた一市井人として過ごしたわけではあるが、とにもかくにも明治の末には息子も無事成人して生業も成功し、恋女房を喪ったあとはこざっぱりした隠居所に隠棲して小女に婆さんを一人雇い、悠々自適の枯れた隠居生活を営んでいる。

ふとしたきっかけで識り合った語り手の若い記者との交誼を喜び、遠路を厭わず昔話を聞き取りに来てくれる記者に対して心づくしの上等な菓子を振る舞ったり、そっと小女に目配せして鰻の出前を取ったりと、粋な道楽人の老後の見本のような人である。

よし、これなら婆さんの家政婦が一人に上等な茶菓とうなぎの出前で何とかなる。断腸亭のような生臭い老後は面倒くさそうだから、半七老人に倣うのが最も得策だろう。あとは昔話を我慢して聴いてくれる若い知り合いを捜すだけである。

ところが。オレは大事なことを忘れていたのである。

肝心要の半七老人の隠居所は、赤坂にあったのである。

赤坂って、キミ。

もちろん明治大正の赤坂は、現在の赤坂とは違う。溜池の辺りには本当に水があったそうだし、赤坂は本当に坂だらけの足元が悪い都市近郊地帯だった。今じゃそんなロケーションは、埼玉の久喜とか千葉の館山に行かないとお目にかかれない。昔の徒歩の距離感なら赤坂で十分都市圏から離れていたのだろうし、要は現代社会においては都市圏が膨大にスプロールしすぎているのだろうが、江戸は神田明神下から武家屋敷街跡の赤坂に隠棲するのと、久喜や館山に隠棲するのではイメージが違いすぎる。

歩くのが当たり前の交通手段だった時代の田舎と、高速鉄道時代の田舎では意味が違いすぎるのである。オレは粋な隠居生活を夢みているのであって、田舎の暮らしに憧れているわけではないのである。そもそも子ども時代を選りすぐりのド田舎で過ごしているのであるから、もう一生分田舎の暮らしは満喫済みなのである。

そんなことを考えているうちに、もっと重大なことに気が附いた。

悠々自適な老後も何も、今現在銀行に預金がない。借金なら人に分けてあげられるほどあるが、老後の蓄えは一銭もない。だからそんな無駄な妄想を逞しくするくらいなら、もっと働いて金を貯めなければならない。ざっと見積もって、老後に家政婦を雇ったり菓子を振る舞ったり鰻を御馳走したりできる程度の蓄えを残すには、えーと。

…すいません、オレにはそもそも老後なんてありませんでした。

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