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2006年2月22日 (水曜日)

超星艦隊セイザーX

ベテラン脚本家林民夫の実力をいかんなく発揮した今期最大の良作だろう。

そもそもオレは個人的には超星神シリーズをあまり評価していなかったが、視聴率的な勢いもジリ貧に追い込まれたシリーズ三作目にして、ようやく内容的にこれぞという手応えを覚えたというところである。

超星神シリーズ三作の流れを大雑把に概観すれば、それは独自の語り口とリアリティの模索ということになるだろう。戦隊には戦隊のリアリティレベルがあり、ライダーにはライダーのそれがある。ウルトラにもそれはあるし、長寿シリーズと呼べる枠には必ず語り口のリアリティレベルが確立されているものだ。

語り口のリアリティレベルというのは、要するにどこまで嘘を吐いても許されるのか、どの程度の大風呂敷が成立するのかという設定上の指標であり、ドラマツルギーの面では、どの程度一般的な作劇の約束事に従うか、その約束事をどのレベルに設定するかという程度を決める指標である。

たとえばボウケンジャーでは、主人公たちが変なポッチを押したら変なメイクの悪人が出てきて巨大ロボットが暴れ出しましたというのを、Bパートの正味一〇分で済ませてもかまわないわけだが、カブトでは渋谷に隕石が落ちて正体不明の化け物が人類社会に紛れ込んでいます、という状況説明を四話もかけてやっている。

作劇の面でいえば、「いつかおまえを越えてやる」という同じセリフをボウケンジャーは最初の一話のラストで言わせているが、カブトの場合はじっくり四話のドラマの積み重ねの末に言わせている。

これは両方の番組にそれぞれ別のリアリティレベルが設定されているからで、戦隊ならこうしてもいい、ライダーだとこれをやってはダメ、というのが予め決まっている。

新規シリーズの難しさというのは、その語り口をいかに確立するかという部分にもあるのだが、正味な話、超星神、幻星神ともにその確立には失敗していたと思う。超星神のほうは、まんまガイファード辺りの語り口を採用したシリアスベースにコメディ風味を振り混ぜた当たり障りのないものだったが、そこから作品コンセプトを戦隊寄りに振った幻星神では、当初は超星神のノリを継承したものの、中途で浦沢脚本を投入するなど語り口のベースを奈辺に置くかが迷走した。

元々東宝TV特撮シリーズは独特のキャスティングセンスというのか、特撮役者としてスッキリ割り切れない物凄く中途半端な柄の役者を好んで起用するきらいがあったが、超星神の場合は、それが味方だけでも一二人もいるので、シリアスに語られてもちょっと微妙な印象があった(木亥火暴!!)。

超星神までの東宝特撮TVのイメージを一口に言い表すなら、中途半端に一般ドラマ寄りの柄の役者が不釣り合いにシリアスベースの特撮ドラマを演じるというもので、絶妙の微妙な雰囲気を醸し出していたと思うのだが、有り体にいえばオレは嫌いだ(笑)。

まあ超星神だけなら、味方が一二人もいてヒロインだけでも各トライブ一名、計四人もいるのである程度の萌え保険もあったが、ヒロイン中のヒロインが格闘美少女のなれの果てというのがやっぱり微妙なセンスだとは思っていた(木亥火暴!!)。

続く幻星神では、主役がいきなり三人と四分の一にまで極端に減って、しかも三人とも例によっての東宝センスというのでは、キャスト的な魅力はまったく感じなかった。

一二人の群像ドラマということでまずまず飽きさせなかった超星神とは打って替わってただの三人の主要人物で描くドラマは、思い切って絞り込んだ主人公たちをいかに魅力的に見せるかという腕前が問われるわけだが、前番組よりも明るく元気なテイストを前面に出した結果、超星神のしんねりむっつりベースに野暮な笑いという垢抜けない語り口がそのまま通用するものではなかったようだ。

その結果、過激なテコ入れの実例として特撮史の伝説に残るであろう浦沢脚本の投入を迎え、一度限りのおふざけ編かと思いきや、それがその後の語り口のベースになってしまったわけだが、一部の浦沢ファンを狂喜させたのみに終わりその芸風が作品に馴染むことはなかった。

そしてシリーズ三作目の超星艦隊は、前番組後半の迷走を受けてまったく期待されずに始まったわけだが、蓋を開けてみたらシリーズ中最も完成度の高い作品となっていたとオレは思う。それはつまり、超星艦隊という番組は超星艦隊という番組以外の何ものでもない境地を、第一話から今に至るまでコンスタントに維持しているからである。

何かを引き継いだ中途半端なものであったり、相応しい容れ物を模索してフラフラ迷走することなく、最初の最初から語り口が洗練・完成されている。シリアスな設定とコミカルな話法が無理なく渾然一体となっている。タイムパラドックス物という、今いちばん手を出すのがヤバいホットなジャンルを扱っていながら、ちゃんとリアリティレベルが確立されている。

映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が明らかにしたことというのは、最早タイムパラドックス物というジャンルは作劇のネタとしてしか成立しないということであり、それ自体はすでにシリアスな話題ではないということである。タイムパラドックス物というのは、要するに虚構上でしか成立しない緻密に計算された倒叙的おもしろみを狙うメタ的作劇の一手法なのである。勢いそれは知的なパズルとなるか、ヌケヌケと理屈を無視したギャグとなるかのどちらかであり、これを扱うには高等なテクニックとSFセンスが必要となる。

では超星艦隊はどうなのかといえば、未来から過去への一方通行という縛りや悪の組織内における先祖と後裔の同居、未来と過去における複数の「現在」の設定という仕掛けによって、タイムパラドックスに内在する作劇破綻への危険性を回避している。当たり前に考えれば、矛盾しているからパラドックスなのであって、これを当たり前の語り口でドラマに織り込むのは難しいのである。

この手の失敗例というとすぐにタイムレンジャーが思い浮かぶが、当該の時代における隠密行動を旨とするタイムパトロールが、あろうことか巨大ロボットを操縦して市街戦を繰り広げるというフォーマットには、いかに戦隊といえども小刀細工でどうにかなるレベルを超えた無理があった(笑)。

超星艦隊の場合だって、当然矛盾はある。当たり前に考えたら、どうしたって時間遡航というのは矛盾を招来するのであり、タイムパラドックスという思考実験は、時間遡航に因果律上の矛盾があるということを表現するための思考モデルなのだからそれは当然である。

ただし、超星艦隊の場合、語り口から考えてドラマを中断して考察するに値するほどの概念矛盾がないのである。タイムレンジャーの場合、なぜパラドックスが気になるのかといえば、それは「歴史を守るための警邏機関」の人間が率先して多くの人々の眼前で市街戦を繰り広げ、当該時代の人々に認知されているからである。そのレベルのマクロな介入行為が歴史に影響を及ぼすだろうということは、SFマニアでなくても容易に類推できるだろう。

それは、そもそもTRの立場としては、ロンダーズの蛮行を「歴史の改変行為」として取り締まるべきなのに、当該時代の平和を脅かす「犯罪行為」として対処しているから概念上の混乱を来すのである。時間犯罪がいつの間にか普通の意味の犯罪にすり替わっていたのである。

つまり問題は、タイムパラドックスそのものというより、概念矛盾だったのだ。

超星艦隊の場合、セイザーXたちはタイムパトロールではない。率先して未来の戦況を変えるべく過去に送り込まれた挺身隊だ。そして、彼らが関与している未来の戦乱とは銀河全体を巻き込む大規模なもので、セイザーたちの活躍によって歴史が変わり、特定の人々が存在しなくなったり特定の事件が起こらなくなったり未来の世界そのものの在り様が変わったとしても「已むを得ない」というマクロな達観がある。

その場合当然セイザーたち自身のこれまでの歴史も変わってしまうわけで、そこに事実関係上の矛盾が胚胎しているわけだが、彼らの目的および作品全体の世界観に概念矛盾がないために、作劇上それは無視してかまわないレベルの「物語の嘘」の埒内に収まるのである。こういうバランスは非常にデリケートなもので、よく頑張って設定を詰めたものだと思う。

さらに、このようなハードな世界観における未来の銀河の平和を賭けた大規模戦闘が、
その実お茶の間レベルのコミカルなドラマと着ぐるみキャラの殴り合いをベースにしているという物凄いイメージ上のギャップがあるわけだが、ハードな闘争劇をコミカルなキャラクタードラマによって演じさせる林民夫の語り口はさすがベテランという手腕である。ある意味、このドラマの語り口はキャクターアニメ的であり、思い切って卑俗なものである。

一戸建て住宅のお茶の間に宇宙人がそのまんま珍妙なコスチュームで車座になってお茶を啜っている絵面、手狭な庭に着ぐるみの化け物が腰縄で繋がれて洗濯物を干している絵面、これは普通の落ち物SFアニメに置き換えて考えると物凄く自然である。

要するに、このドラマのリアリティは「宇宙のステルヴィア」や「トップをねらえ!」のラインを籍りているのである。だが、この番組はまんまアニメを実写化したものではない。うまくアニメのリアリティを籍りながら、実写でなければ表現できない芝居の呼吸を成立させている。

そのアニメ寄りでありながら実写としてしか成立しないデリケートな芝居の空気、コミカルでしょっぱい着ぐるみアクション活劇でありながらその実体現するテーマが重厚であるというギャップが、超星艦隊という番組独自の語り口である。その独自性が窮めてさりげなく、あくまで普通なのがいい。

たしかにこの番組は、目尻を釣り上げて十年に一度の傑作とマンセーするような番組ではない。この番組の良さとは、こういう良質な番組が特撮番組のアベレージであればいいのに、という夢を視聴者にみさせる部分にある。ごく普通に土曜の朝を楽しく過ごす娯楽番組として窮めて優れているのである。

また、どこがどうとはいえないが、キャスティングの面でも前二作と比べて特撮役者に相応しい顔立ちの人材が揃っているように感じる。これは番組のタッチがそうだから自然に見えるだけかもしれないが、三人のセイザーやシャーク、レミーなど、むしろ深夜特撮に近いキャスティングのように感じる。土曜早朝に相応しいかどうかはさておき、やっと特撮らしいキャスティングになったとはいえるだろう。

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