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2006年4月18日 (火曜日)

蓮實重彦についてオレが識っている二、三の事柄

当ブログのアイドル白倉Pのブログが久々に更新されたと思ったら、かなりおもしろい記事を書いてくれた。殊に蓮實重彦のゼミの話は世代が近いだけに懐かしい記憶を呼び覚ます。実はオレも蓮實「講師」の講義は一、二回聴講したことがあるのである。

もちろん、オレのようなボンクラが罷り間違っても帝大に入れるはずなどはないので、東大ではないほうの学校の一般教養の一講座だったが。

所謂パロディアス・ユニティーの連中はオレより五年ほど上の世代で、黒沢清や周防正行はオレが入学した頃にはとっくに卒業していたし、学生の頃のオレはとくに映画青年というわけでもなかったから、彼らの存在自体を識らなかった。蓮實講師の映画表現論を受講したのも、「友だちに誘われたから」という、ジャニーズのオーディション並にミーハーな動機からだった。

山出しの田舎者のオレが識らなかっただけで、蓮實重彦という人はどうやらかなりの有名人だったようで、一回目の講義は広い教室が満杯になるほどの盛況ぶりだった。オレを誘った友人の言によると、「日本で記号論を理解している三人の内の一人という伝説がある」ということで、その当時「記号論」というタームは昭和初期の頃の「相対性理論」と同様に「とっても難しい理論」の代名詞だったから、多分「とっても難しいことを言うアタマのいい人」という意味のただの伝説だったのだろう。

なんぼ四半世紀前のこととはいえ、「記号論を理解しているのが日本中で三人だけ」という前提からしてすでにインチキである。とにかく難しいことを言うアタマのいいオッサンだということだけはわかったが、スターウォーズとか未知との遭遇みたいな大向こうウケする映画しか識らなかった素朴な田舎者のオレは、映画という下世話な娯楽をどういうふうに小難しく考えられるのか、まったく想像できなかった。当時のオレにとっては、映画というのは見たまんまの楽しい娯楽でしかなかったのである。そこに興味を覚えたので、野次馬的に受講してみることにした。

まあ、多分毎年同じことを言ってるんだろうが、蓮實センセイのアグレッシブな姿勢は初っぱなから強烈で、いきなりド頭から「本当はこんなバカの集まる学校でモノを教えたくはないんだが、いろいろ義理があって仕方なくやっています」「大体毎年一回目はこのくらい集まるんだけど、だんだん減っていって、後期にはちょうどいい人数になります」「とりあえず、私の授業に附いてくるためには、年に一〇〇本、それも映画館で映画を観なさい」というような意味のアリガタイご挨拶をしてくださった。

オレも含めて「こんなバカ」と名指しされたこんなバカ共はジョークだと思ってウケていたが、どうも蓮實センセイの目は全然笑っていなかったような記憶がある。たしかにあの学校の学生の享楽的で不勉強な私学丸出しの体質は世間的に有名だったから、後の東大学長にバカ呼ばわりされても仕方がないけどな。

四半世紀前のこととはいえ、たった二回くらいしか受講していないので割合詳しく覚えているのだが、蓮實センセイの講義がどんな塩梅だったかというと、雰囲気的には白倉Pが書いている通り質疑応答が頻繁にあり、しかも普通に当たり前のことを答えると、揚げ足取りのように変なことを問い詰められるので、このセンセイは学生を苛めて喜んでいるのか、綺語を弄して茶にしているのか、と思ってしまった。

一回目の講義では、学生にアンケート用紙を配って質問に答えさせ、回収した答案を読み上げ、それを書いた学生にマイクを回していじるというスタイルで終始した。幸いにしてオレは「日本映画の傑作を一本挙げよ」という設問に「ゴジラ」というバカ丸出しの血迷った答を書いたのがウケて、オレ自身はいじられなかった。

念のために言い添えておくと、その時点ではオレは「ゴジラ」を観ていなかった。蓮實センセイごめんなさい、あれはその場凌ぎの出任せです。

当然のことだが、最初の最初からオレには附いていけないレベルの内容だったし、正味な話、馴染みのある話題が出ないので退屈であった。そもそも四半世紀前の貧乏学生が年に一〇〇本映画館で映画を観るのは経済的に苦しいものがあり、そこまで根性座ったシネフィルではなかったオレは、まあ続かないだろうと思った(笑)。

で、次回の講義では加藤泰の「炎のごとく」を講ずるから観てこいという話になったのだが、正直ハリウッド大作に非ずば映画に非ずという風潮の八〇年代初頭に二時間半の邦画を観てこいと言われてもミーハー学生には気が進まなかった上に、蓮實センセイは口を窮めてその映画がとてもつまんないことを力説するのである。そのつまんない映画を観てこいと言われたものだから、すでにして二回目の講義は逃げ腰である。

つか、オレ的には逃げるつもりだった。たまたまサークルの部室でゴロゴロしていたところを、その友だちに踏ん捕まったから仕方なく次も出たのである。当然、バックレる腹づもりだったんだから、課題作品なんか観ちゃいねえ。

いやもう、心に疚しいところがあるから、たった一時間半が長いこと長いこと(笑)。

何しろ、口ではあんなことを言っていながら、蓮實センセイはとても熱心な教育者で、どんどん学生を当てて対話を進めるタイプなのである。目を合わせたら当てられてしまうというサスペンスもあり、かつはまったく予備知識もない上に観てもいない映画に纏わる講義内容なのだから細かい内容はほとんど覚えていないが、加藤泰の映画における過剰な血糊がどうしたとかいう話だったと思う。まあ要するに、「黒澤における旗」と同様、センセイの十八番の内容だったのだろう。

今から考えれば、「炎のごとく」はプログラムピクチャーで一時代を画した加藤泰最後の監督作品であるから、公開時期の関係とはいえ、加藤泰の積極的な紹介者である蓮實センセイが講義の初っぱなから加藤泰を語るというのはある意味ラッキーだったはずなのだが、そんな有り難みもノンポリの田舎者にとっては猫に小判である。

まあ実際には、蓮實センセイはおもしろいことを言いそうな意欲的な学生か、思う壺なダメ回答の好例を得々と語りそうなバカを選んで当てていたみたいで、オレのようなアカラサマに逃げ腰の学生など相手にしていなかったらしいのだが、とにかくそのサスペンス体験に懲りて、次からその講義は放棄した。

このようにして、オレと蓮實重彦のほとんど無に等しい縁はプッツリ切れた。

それ以来、どうも蓮實重彦の名を聞くと居心地の悪い気分になるので、センセイの著述はほとんど読んでいないし、ご尊顔を想い出そうとするといつの間にか山本益博とすり替わる始末である。ついでに言うと、加藤泰の映画は「幕末残酷物語」「丹下左膳」などのマスターピース数本しか観ておらず、結局「炎のごとく」は遂に観る機会もなく終わった。

蓮實重彦の名前に苦手意識を覚えるのは、その後オレなりに系統的に映画を観て技術的な側面についての「勉強」もしたものの、「年に一〇〇本映画館で映画を観る」というノルマは一度も果たしたことがないからである。蓮實重彦の言葉通りであるなら、オレは生涯で一度も蓮實重彦の授業に附いていけたことはないということになる。

要するにそれは、個人の想い出と、個別の関係性の問題にすぎない。未熟な時期に果たせなかった課題を、未熟であることが許されない年齢になっても果たしていないことが感情的な引っ懸かりになっているという、それだけの話である。

「生きるように映画を観る」というシネフィルの定義からいえば、オレはシネフィルではない。だが、それでも、ある弁えにおいて映画を語ることはできると思っている。

なぜなら、シネフィルたちが映画を観るのは、映画を語るために必要な条件だからではないからである。映画を観る行為それ自体が目的化しているのがシネフィルなのでありシネフィルであることと映画を語ることに直接の関係はない。

白倉Pの同日のエントリーには淀長さんの逸話も書かれているが、意図的に書き落としたか書き忘れたことが一つある。淀川長治は「日曜洋画劇場」の解説においてたしかにどんな作品も貶さなかったが、それはTVで映画を観るのでは本当の意味で映画を観たことにはならないという強固な信念が彼にはあったからである。

今はちょっとソースが見当たらないが、彼は生前「TVで映画を紹介するのは、いわば予告編のようなもの。一人でも多くの人に劇場に足を運んで映画を観て欲しい」というふうに言っていた。TVの洋画劇場のOAなど、映画のうちに入らないと考えていたのであり、最晩年は「一本でも多く映画館で映画を観なさい」と常に語り続けて亡くなったということである。

映画に対する愛が動機であるというのはたしかにその通りである。しかし、それはシネフィルとして「生きるように映画を観る」ことが、駄作も含めて映画館で一本でも多くの映画を観ることが無上の快楽であるという信念に発しているのである。むしろ狷介なくらい映画に対して厳しい見方をする淀川長治が、テレ朝が十把一絡げに放映権を買い附けたB級C級映画をお奨めし続けてきたのは、映画を観るという行為が無前提で快楽であり得るからである。

たとえばアマゾンやオールシネマオンラインの掲示板などを覗くと「〇点!一八〇〇円返せ!」という罵言がうんざりするほど頻出するが、出来を保証された傑作を鑑賞することだけが対価に見合うのではない。駄作であろうが傑作であろうが、映画館で映画を観るという行為はそれだけで快楽なのである。一八〇〇円という対価は、その作品の出来まで保証した価格なのではない、傑作であると駄作であるとを問わず映画館で映画を観る行為それ自体がもたらす快楽に対する対価なのである。

二言目には「金返せ!」と粗雑に口にする輩は、映画館で映画を観る資格も映画を語る資格もない。映画を語る行為に必要とされるのは、映画を観るという行為それ自体を快楽と成し得るかどうかという部分に尽きるのである。一八〇〇円の木戸銭が「おもしろい映画」の対価だと勘違いしているような徒輩は、どんなにシネフィルを気取っても、映画を観るという行為の意味が何もわかってはいない。

最前の蓮實重彦の「年に一〇〇本」のノルマも、それが映画を語るのに必要な条件だから課されたのではない。たしかに大学の教養課程を受講するような年齢の人間が世間並に映画を語るためには、年に一〇〇本映画を観ても追い附かないくらいの素養が必要なのではあるが、「生きるように映画を観る」体験を経た人間以外に必要のない内容を語る講義だからこそ、一度はそのような生き方をしてみなさいと彼は言ったのである。

淀川長治がにこやかなTV洋画劇場のMCと辛辣な批評家という裏腹な活動を継続してきたのは「とにかく映画を観ろ、話はそれからだ」という意味である。TVでしか映画を観ない人間に真面目な批評をぶつけてもしょうがない。映画鑑賞という行為に惑溺しそれを生活の重要な一部とするような相手に対して、初めて彼は真剣勝負の映画批評を開陳したのである。

映画を観て「金返せ!」と口にするような人間は、誰かに駄作だと言われたらそれだけで映画を観ない。誰もがおもしろいと保証する作品だけロスなく観ようとする人間は、映画を観るという行為において、淀川長治と絶対的にスタンスが違う。だから彼はTVでは決して映画を貶さなかったのである。誰かに背中を押されなくても積極的に映画を観る人間が目にするような場では、忌憚なく辛辣な批評姿勢を貫いている。

日曜洋画劇場における淀川長治という人物は、映画を鑑賞するという行為全般についてのエヴァンジェリストであり、映画批評家としての淀川長治ではなかった。彼の中では映画を観る行為は無前提で快楽なのであり、映画批評というのはそれを前提とした言説なのである。駄作を厳しく批判することも、傑作を称揚することも、映画が均しく提供してくれる快楽の二側面なのである。傑作の鑑賞が快楽で、駄作の鑑賞が不快だという「金返せ」的な差別があるわけではないのである。

淀川長治の姿勢からオレが何かを学んだとしたら、それは小屋に足を運んで映画を一本観る以上、口が縦に裂けても「金返せ」と言ってはいけないということである。木戸銭を払って駄作を観るのがイヤなら、映画館に行くべきではない。白倉Pは淀長さんの姿勢について「どんな映画にも、必ずいいところがあるはずだ」と解釈しているが、細かいようだがそうではない。

いいところがまったくない映画を観ることも快楽なのである。その映画にいいところがまったくないと批評することもまた快楽なのである。制作者の姿勢を厳しく問うことも真剣勝負の娯楽なのであり、真剣勝負の生き方なのである。生きることは皆等しく快楽なのであり、生きることとは映画を観ることなのである。

そういう意味では、この述懐が「西遊記」を擁護する文脈に続けて置かれているのは、かなり納得の行かないところである。以前語った通り、オレはCX版の西遊記をまったく評価していない。白倉Pの西遊記擁護の論旨も、オレには判官贔屓的な牽強付会にしか思えない。

豪華なセットを建て込んでそこをベースにした作劇になっているのは単なるお台所事情の話だし、それに対して同じ製作サイドの人間である彼が感心するのはわからないでもないが、それは視聴者の見方とは関係のない話である。

また、たしかに西遊記は二〇%台という高水準の視聴率で終始したが、その作劇が視聴者にアピールしたのであれば、初回の視聴率が最も高く、高水準とはいえ急激な下落傾向で推移するというのは理解できない。オレは基本的に作劇の水準というのは視聴率とはあまり関係ないという持論の持ち主だが、仮にもプロデューサー職の人間の言説に、それを言っても仕方がないだろう。要するに数字に顕れる幅広い視聴層の満足度ということを足掛かりに作劇を評価せざるを得ないのが白倉Pの立場なのだから。

その意味でいえば、初回の二九%超という高い数字から、最終回直前に至るまでに九%近く落としているということは、作劇がアピールしたということにはとてもならないだろうと思う。第二話でガクンと五%近く落としているが、それでも最終回の数字よりも誤差の範囲ではあるが高いというのは、ちょっと連続ドラマの流れとしては失敗の部類だろう。

普通に月9のセオリーでいえば、枠の持っている数字と香取慎吾という全国区に昇格したスターが持っている数字の合算を、なんとか最低ラインを割り込まずにキープしたという見方をするのが妥当だろう。初回の視聴率はコンセプトとキャスティングに対する期待値としての評価なのであり、視聴率の推移こそが作劇的な面での評価ということになる。

つまり、西遊記の視聴率推移を視る限り、その作劇術の評価は「香取で西遊記」というコンセプトが潜在的に持っている数字をまったくドブに棄てるほどではないが、視聴者の期待を必ずしも満足させる内容ではなかったということになる。

西遊記を「ヒット作」と見なし、それを作劇が奏功したからであると解釈するのには、かなり無理がある。CXが続編や劇場版制作に踏み切ったのは、視聴率が連続的な下落傾向にありながら、高い水準を最終的に割り込まなかったという、「香取で西遊記」という素材の潜在力に対する期待があるからではないかというのがオレの解釈だ。現状放映済みのシリーズの作劇に問題なしとは決して考えていないのではないかと思う。

二九%がいきなり二四%に下落したのはまだしも初回ゆえのフロックと解釈するにもせよ、じりじりと二〇%まで順調に下降する経緯を、製作陣が肯定的に評価しているはずがないだろう。初回で二九%を叩き出したということは、潜在的には二十%台の後半をキープする程度の力を持った企画であると解釈するのが妥当である。

白倉Pが「セオリーを破りつつ、そうと視聴者に気づかせず見やすい娯楽作として仕上げ、ヒットさせた手腕は並大抵ではない」と表現する以上、そのような作劇に力あって西遊記の高視聴率に結び附いたという論旨になるだろうが、実態を視る限り、視聴者がまだ作品に触れていない時期が最も数字が良く、話が進むに従って急激に視聴率が下落しているのだから、少なくとも作劇によって「ヒットさせた」という表現は実態の解釈として妥当ではない。

むしろ、この作劇の実態は視聴者の異常に高い期待値を裏切っているのである。

では、なぜこの作劇が視聴者の期待に沿わなかったのか。それはつまり、白倉Pが説明している通り、このドラマの作劇ルーティンが退屈窮まりない「行って来い」を基調にしているからだろう。

ハッキリ言うが、「行って来い」が退屈であることなど、視聴者がいちばんよく識っているのである。白倉Pが現場で教わったのは、「行って来い」は視聴者を退屈させるという智恵なのであって、一視聴者の立場なら当たり前にわかることでも、一旦つくる側に回ると途端に見えなくなるから注意しろ、という意味である。だからこそ、「行って来い」と言語化し現場の智恵として蓄積する必要があるのである。

西遊記が「行って来い」を基調とした作劇となっているのは、豪華なセットを一つ建て込むだけで余力が続かないというお台所事情のゆえであって、逆手にとるも何も、作劇ルーティン的に「行って来い」以外の選択肢がなかったからである。それが本当におもしろい娯楽となっているのか、視聴者を満足させているのかは、同じ製作サイドに立つ白倉Pには客観的に判断し得ないのではないだろうか。

それゆえ、牽強付会的に結果と原因を取り違えて、このような作劇になっている、「だから」ヒットしたのだというのは、やはり為にする詭弁でしかないと思う。それ以外に選択肢がないということを「逆手にとろうとした」のだということは、製作のプロである白倉Pにはわかることだろう。だが、それが「見やすい娯楽作として仕上げ、ヒットさせた」ことになるのかどうか、それは同じ送り手の立場に立つ限り断定していいことではない。

もちろん、最前陳べた視聴率解釈は曖昧窮まりないものでしかなく、視聴率というものをどのように解釈するかというのは窮めて難しい問題である。マーケティング技術的にはある程度妥当な解釈が可能なのだろうが、数字自体が示すのは統計的にこれこれの人数の人間がこの番組を観たことになるという事実でしかない。そこからの解析は飽くまで解釈でしかないのである。

だが、少なくとも白倉Pの主張通りあの作劇が「見やすい娯楽作として仕上げ、ヒットさせた」ことになるのであれば、視聴率の急激な下落傾向は説明できない。白倉Pの論旨は西遊記が高水準の視聴率をキープしたという成果をもって「見やすい娯楽作として仕上げ、ヒットさせた」という主張の根拠としているわけだが、それとても、要するに視聴率解釈の一つでしかない。

同じ解釈にすぎないのであれば、なにゆえ白倉Pの解釈は無矛盾で現状を包括的に説明できないのかという話になるだろうし、なにゆえ視聴率の急激な下落傾向という重要な要素を語り落としたのかという不審にも繋がるだろう。

オレ個人の意見としては、西遊記の脚本が日本版ラジー賞を受賞するという経緯自体に不自然さは感じない。いかに現場の人間が智恵を絞った結果としても、出来上がったものの満足度でいえばワーストに値するものでしかない。潜在的におもしろくなりそうな素材をまったく活かしてないからこそ、その落差がワーストなのである。

石から生まれた暴力的な石猿が、さまざまな経験を通じて他者との友愛を学ぶ成長物語でありながら、毎回見せ場においてその成長途上の人物が剰りにも雄弁にレトリックを駆使したお説教を滔々と語る不自然さが意識の端にも上らない視聴者ばかりであるというのは、大人の視聴者のリテラシーを低く見積もりすぎである。

白倉Pは慨嘆しているが、これほど高視聴率の番組に対して、あえて脚本をワーストに選出する意味を少し考えてみるべきではないだろうか。無論、高視聴率であるがゆえに話題喚起のネタとして狙われたという解釈は可能だろうが、その手の悪意的ジャーナリズムは、要するに顔のないイッパンタイシューの期待の地平上に生起するのである。

無視できない数の人間が、「あんな番組なのになんで視聴率が悪くなかったんだろう」という疑問を抱いたからこそ、そういう企画が成立するのである。それが大多数だとはオレも言わない。無視できない数であるところが重要なのである。

ネットを渉猟したりいろいろな人に意見を聞いてみた個人的な感触としては、関心度は高いが満足度が低い番組であったと考える。それを「数字が良かったのは作劇が奏功したからだ」と付会するのは、スポンサーなり上役なりに留めてほしいところである。

わざわざブログでこのようなことを語る以上は、またその擁護的論調からすれば、白倉Pも概エントリーの読み手の大多数が西遊記に対して批判的であるという前提において論旨を展開しているのだと思うが、それはつまり、彼が接し得る限りの視聴者は西遊記に対して満足していないということなのである。彼個人の言動に関心を持っている層の意見などマジョリティのうちに入らないという態度は是非改めていただきたいところである。たしかに大人の特ヲタというのは特殊で狭い関心層だが、必ずしも一般視聴者から隔絶した嗜好の持ち主ばかりではない。

「見やすい娯楽作」「ヒット」という言葉があるのは、いろいろ不満はあるだろうが、数字が高い以上多くの人々が満足したのだからそれでいいじゃないかということなのだろうが、多くの人が観るということと多くの人が満足するということは別問題である。数字の推移からディスクライブするなら、「多くの人が観たけれど多くの人が少なからず不満を覚えた」ということになるのではないか。少なくとも、この数字からは作劇の手柄という要素を読み取ることはできない。

最初の話題に戻るが、このような論旨の延長上に淀長さんの話が出るのは、オレ的にはあまり好ましく思えない。最前陳べたように、淀長さんは別段すべての映画を肯定的に評価していたわけではないし、どんな映画にも必ずいいところがあるという博愛的な精神で洋画劇場のMCを務めたわけではない。

彼はシネフィル一般のエヴァンジェリストとして場を心得ていただけの話で、その立場においてはどんな映画も貶さなかったというだけの話である。映画批評という場においては、つまらない作品は徹底的に辛辣に批判したのだし、その基準は一般の観客層よりもよほど厳しいものであった。

少なくとも、西遊記という番組の擁護に絡めて蓮實センセイや淀長さんに言及するのはオレの感覚では筋違いである。たしかにオレも、つくり手の真摯さに見合わない軽薄さで「一八〇〇円返せ」と断じる「辛口批評」は読むだけの価値がないと考える。

かくいうオレ自身も、淀長さんや蓮實センセイと同じような真摯さで映画を観てきたのかと問われれば、そんなわけはないのである。彼らにとって映画を観ることは生活のすべてであっただろうが、オレにとっては一部でしかない。だが、それはシネフィルという生き方の問題なのであり、作品を語ることとシネフィルであることには関係がないというのは先ほど陳べた通りである。

白倉Pのエントリーの趣旨を綜合して考えるなら、あの西遊記の脚本においても現場の人間が君たちにはわからない智恵を絞ったんだから安直に貶すなよ、というふうに読めてしまうが、それはつくり手の立場では言ってはならん言葉だと思う。その智恵がおもしろさに結び附いていることが自明ならそれでもいいが、これまで陳べてきたように、あの作劇をヒットの功労として主張することには無理がある。

白倉Pの主張の動機が、不自由な現場の都合を逆手にとろうとした企図を肯定的に素描したいという共感から発するものであるだけに、勢い、そのように健闘した現場の人間の気持ちに配慮しろという話にしかなりようがない。

しかし、つくり手の側の人間が、他でもない軽佻浮薄に「金返せ」と罵倒する輩を相手に「オレらと同じくらい真剣な人間の言葉以外聞く耳持たん」と啖呵を切るのは、気持ちはわかるが、かなり筋が違うんじゃないかとオレは思うんだが。

この二つのエントリーをざっくり読むと、「淀長さんや蓮實センセイほどの真摯な観客以外は映画について聞いたふうなことを言うな」というふうにも読めてしまうが、だとすれば「それならあなたは、セルズニックのような大プロデューサー以外は映画をつくる必要はないとおっしゃるわけですね?」という話になって、互いの見識を貶め合うだけで稔りのある議論にはならないだろう。

どうも白倉センセイ、今回はちょっと感情が突出して勇み足なのではないかと思った。

まあ、多分例の井上ローテの件に関して、ネットの反応にちょっと刺々しい気分になっているからではないかと思うが(笑)。


二〇〇六年九月一九日付記

本エントリーがミクシィのコミュニティで採り上げられたようで、細々とではあるが連日数件程度コンスタントにアクセスがある。表舞台で名を聞く機会も少なくなったが、教育者・映画批評家としての蓮實重彦への関心は、未だ過去のものではないようだ。本エントリーを通読されて興味を覚えていただけたなら、「映画史と全体性」というエントリーでも蓮實重彦に触れているので、よろしかったらご一読願いたい。

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蓮實重彦の「ゴダール革命」という本を、いまだ健在である蓮實節に妙な懐かしさを覚えつつ読んだ。 [続きを読む]

受信: 2006年7月10日 (月曜日) 午前 08時51分

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