オリジナル というわけでもないだろうが
こないだはちょっと長かったので、今日はどうでもいいヒマネタを一つ。
ネットの一部には、少数派ではあるが、平成ライダーは昭和ライダーの足跡をなぞっているという説がある。それぞれの平成ライダーは順に昭和ライダーへオマージュを捧げているのだということだが、ホンマかいなというのが正直なところである。
その説に従うなら、仮面ライダーカブトの原イメージには仮面ライダーストロンガーがあるということになるが、両方ともカブトムシがイメージソースだし、体色も黒ベースに赤がアクセントになっている辺り、似てるっちゃ似てるわなぁ。元が虫の王様カブトムシだけに、ストロンガーという名前も「最強」を標榜するカブトと符合するし、主人公が俺様ちゃんなのも共通しているというわけだ。
偶然だとは思うが、スカパー!の東映チャンネルでは今月からストロンガーの放映が開始されたことでもあるし、たしかに縁があるといえば縁がある。まあ、お遊びの範疇だろうとは思うが、カブトのコンセプトワークにおいてスタッフの脳裏にストロンガーの影がなかったといえば嘘になるだろう。
しかし、オレ的にはリアルタイム放映についてはデルザー軍団編の頃の記憶しかないので、ストロンガーのどこが最強なんだかよくわからなかった。デルザー軍団編というのは、要するにマジレンジャーにおける冥府十神編と同様お金に不自由な現場が豪華っぽく見せるために採用するパターンで、シリーズ半ばで新たな敵組織としていきなり幹部クラスの怪人をわらわら大勢登場させ、ライダーと複数の幹部とのすったもんだのドラマで話を保たせる「全員幹部バトルロワイヤル」方式である。
冥府神が無闇に強かったのと同様、デルザー軍団の幹部連中もやけに強くて、それまで無敵だったストロンガーが一気にヘタレ化、所謂パワーインフレというのが起こって、やられ放題にやれている印象しかなかった。まあ、セオリー通り途中でストロンガーもパワーアップするんだが、それまで一カ月以上じっくりヘタレ化を描き、やっとのことでパワーアップしたと思ったらそのまま七人ライダー編に突入して先輩ライダーたちが幅を利かせたもんだから、やっぱり弱いイメージしかなかった。
電気人間という設定も、従来の素手の殴打や蹴りに見た目で付加価値を附けたかったんだろうが、どうも特撮番組レベルで描かれる電撃というのは、「ビリットステッキ」とあんまり変わらないというか(笑)、「ダーリン、おしおきだっちゃ」的なイメージしかないのでストレートに強さの表現に結び附いていなかったと思う。
しかし、東映チャンネルのOAであらためて一回目から見ると、なるほど主人公の城茂の高飛車で俺様な姿勢、親友の仇を討つために一芝居打ち我から望んでブラックサタンの改造手術を受ける剛胆さ、窮地に陥っても強がって見せる不敵な態度など、思った以上に天道総司とイメージが近い。有名な「天が呼ぶ、地が呼ぶ、人が呼ぶ」という決めゼリフも、「天の道を往き総てを司る男」と似通った印象を覚える。
面組アクションもマッシブなスーツの造形に見合った重量感のある強さを狙った殺陣になっていて、あんまり手数を使わずに一撃必殺的なイメージを強調していて、番組初期において製作スタッフが「強さ」の表現に拘ったことがわかる。
最強ヒーローというイメージで二クール通してみたが、あんまりヒーローが強すぎるとつまんないなぁということで、その最強ヒーローよりもっと強い敵が現れ、さらにそれに合わせてヒーローもパワーアップした上に、先輩ライダーも駆け附けて加勢しましたよという、アカラサマに強さのインフレの方程式通りの展開だったわけだ。
そういう意味では、同じく最強を謳っているカブトのほうも、強いヒーローというだけで一年間シリーズを通すのはかなり難しそうだよなぁとは前々から思っていたのだが、ストロンガーが元ネタだという説を真に受けるなら、後半で強敵軍団が出現してヘタレ化した上に、平成ライダーが勢揃いするばかりか、三クールで打ち切りを喰らって、しかも平成ライダーが一旦終了するという悲惨な結果になるということだな。
縁起でもない番組をネタ元に引いたものだが、その轍を踏まないようスタッフの皆さんは頑張ってください(笑)。
…いやしかし、一口に平成ライダー勢揃いって言うけど、何人登場するんだいったい。なんかオレ的には「百獣戦隊ガオレンジャーVSスーパー戦隊」みたいな絵面しか想像できないんだが。
ああ、そうそう、ストロンガーについては前々から気になっていることが一つあるんだが、主題歌エンディング共に、なぜかストロンガーが守るのは「日本の」平和だということになっていて、「ニッポン」という語感が屹立していて妙な違和感を感じていた。
アマゾンライダー辺りまでだと、「世界」とか「人類」とか妙に大風呂敷だったのに、なぜかストロンガーになるとしつこいくらい「ニッポン」を守るんだと強調しているのだが、作詞が石ノ森章太郎から八手三郎に変わったのと何か関係があるのだろうか。
誰だか識らないが、多分八手三郎という人は生粋の民族主義者なのかもしれない。
| 固定リンク
最近のコメント