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2006年4月21日 (金曜日)

折れた剣

そういうわけでヒマネタの雑談其の弐である。

オレは釈由美子のファンなので、先週から始まった「七人の女弁護士」を愉しみに観ている。まあ、ドラマの出来自体はテレ朝クオリティという以外に言い様のないまったりした芸のない法廷ドラマだが、釈由美子の役柄がこれまでにないイメージなのがファンにとっては買いである。

だいたい釈由美子というのは、ドラマに出ると金に汚い性悪な女か寡黙なスーパーヒロインという役柄が通り相場であって、少ないセリフの大部分が刺々しい憎まれ口だったり勇ましい啖呵だったりするのだが、このドラマの場合は別段釈由美子でなくても通用するごく普通の頑張り屋の若い女の子という設定で、そこがかえって目新しい。

いや、目新しいと言ってもドラマとしての一般論ではなく、釈由美子の芸風という意味でしかないが、ここまでネガティブ要素がまったくなく常に画面の真ん中に映っている当たり前の主役というのは、もしかしたら初めてかもしれないと思うと、ファンとしては妙な感慨を覚えるのである(笑)。

特ヲタにとって釈由美子といえば、まず真っ先に、平成メカゴジラ二部作で演じた家城茜特自三尉役が念頭に浮かぶだろう。基本的に釈由美子固有のキャライメージというのは、家城茜のような過去に痍持つ寡黙でキリッとした孤独なスーパーヒロインのラインである。

さらに樋口真嗣の絡みで「修羅雪姫」を観た人なら、そこで彼女が演じた雪役にも忘れ難い印象を覚えたかもしれないし、ゴジラ繋がりでいえばGFWの監督である北村龍平の絡みで「スカイハイ」を愉しみに観ていた人は、イズコ役こそ釈由美子のハマリ役と感じるかもしれない。

世間的な意味においては、釈由美子という女優はそれほどのポジションでもないのだろうが、こと特ヲタに関して謂うなら、翳りのあるストイックなヒロイン役として他には代え難い味を持った女優である。オレの周りでも、そのような持ち味の特撮ヒロイン女優として釈由美子を支持する声が多い。

一方、一般ドラマでの活躍を視ると、「生きるための情熱としての殺人」や「黒革の手帳」のような性悪女路線か、「曲がり角の彼女」や「危険なアネキ」のようなちょっと棘のあるワケアリ風の役どころが主流で、特撮にせよ一般ドラマにせよ「附き合いにくい険のある女性」という共通項を持つ癖のある役が多かった。

そういう癖のある役どころが本人の人柄を幾許か反映したものかどうかは識らないし、有り体にいえば何ら関心はないわけであるが、事実としてネガティブ要素を抱えた排他的な役柄で魅力を発揮する女優であることは間違いない。

しかし「七人の女弁護士」に関しては、事前情報を視る限りどこにもネガティブな要素のない新米女性弁護士が、ドジを踏みながらも仲間たちに温かく見守られ体当たりで事件を解決していくという物凄く在り来たりなもので、釈由美子の配役の必然性がよくわからなかった。だいたいこんな癖のない役に釈由美子を使っても周りから浮いてしまうのではないか、そんな気がしたのだが、ちょっとレギュラー配役表を視たらそんな疑問は氷解した。

キーハンターに、スケバン鐵假面に、ETおばさんに、お笑い漫画道場、そして残りは逮捕しちゃうぞの婦警さんとワカパイである。こんな濃い面子の中に機龍パイロットが一人混ざったくらいで浮くわけがない。剰え、機龍乗りの彼氏役はタイムレッドだったりして、多分、恐竜のような形をしたメカに乗る奴には無意識に惹かれてしまうのであろうとか、くだらないことを考えてしまった。

濃い。あまりにも濃い配役である。

こんな薄いドラマには不釣り合いなまでに濃い配役である。釈由美子のキャスティングは、この濃い配役を前提としたものだったのか。たしかにこの面子の中なら、釈由美子がごく普通の若い女の子を演じたとしても何ら不自然さは感じない。

特捜最前線の配役センスなら、藤岡弘、が改造人間に見えないのと同じ理屈である。

しかし、第一話のゲスト主役がカブタックの中野美樹婦警だったとはいえ、オレはまだまだこの番組の本当の濃さを理解していなかったのだ。精々事務所内の絵面が濃いとか決めポーズがスカイハイというだけに留まるのだと甘く視ていた。次回予告を観る限り第二話のゲストは酒井若菜で、たしかに舞原賢三の「トワイライトシンドローム」に主演したとはいえ、酒井若菜を特撮的な濃さの文脈で括ることはできない。

だが、第二話の濃さはそんな生やさしいものではなかった。まず、いきなりでっぷり肥えて貫禄が附いた郷秀樹が出た段階でイヤな胸騒ぎを感じたのだが、その部下がコウダ副隊長であって、殺された女がテロメアの大女である段階で、もはやこれは確信犯だと思った。さらには被害者と容疑者が勤めていたクラブのママが水野ママであり、黒服がアバレッドであるときては、どちらを向いても特撮俳優しか目に入らない。

濃い。全方位で十重二十重に濃い

釈由美子を当たり前の意味で主役に据えるためには、これほどまでの犠牲が必要なのだろうか。そこまでして釈由美子に「ごく普通の頑張り屋の若い女の子」を演じさせることに何の意味があるのか。

オレの脳裏にG・K・チェスタトンの短編「折れた剣」が浮かんだことには何の不思議もないだろう。「木を隠すなら森の中」というフレーズを古い諺だと思っている人も多いだろうが、実際にはこの著名な古典的短編ミステリから引かれた言葉である。そしてそのフレーズは「(反転表示) 彼は木を隠すために森をつくった」と続くのである。

釈由美子に「普通の女の子」を演じさせるためだけに、この三日三晩トロ火で煮詰めたような濃ゆい特撮キャスティングが実現したのだとすれば、それこそ、(反転表示)木を隠すために森をつくるほどの本末転倒である。

しかし、息苦しいまでに濃ゆい人物模様の法廷ドラマをやっと見終えて次回予告を視たオレは、さらなる衝撃に打ちのめされてしまった。

鳥類学者である。

そして鳥類学者の相手役は、どうやら蛍雪次朗と間違えてそうでないほうの役者を選んでしまったらしい。いったい、誰に笑ってもらうつもりのギャグなのか。

このようなどう受け取ったらいいのか視聴者が面喰らう類のギャグはどうやらあらゆる分野のドラマに浸透しているらしく、CXの昼ドラ「偽りの花園」では、ついこないだまで仮面ライダー轟鬼が防衛庁の女性科学担当官を必死の形相で口説いていたと思ったら、ちょっと目を離した隙に仮面ライダー斬鬼に入れ替わっていた

色がちょっと変わっただけだから視聴者に気附かれないと思ったのだろうかとまで邪推したのだが、どうやら別人役であるらしいとわかって一安心したものの、何というか、ホワイトレーサーが「ちょっと見ない間に感じ変わった」時や、柏原収司が唐突に一条刑事に変わった時と同じくらいビックリしたものである。

ちなみに「いつもふたりで」のリピートを観ていたら、しっかり「ちょっと見ない間に感じ変わった」のギャグが踏襲されているのには感心した。今や「ちょっと見ない間に感じ変わった」のギャグは不時の俳優交替に伴う通過儀礼にまで昇格したらしい。

しかし、つい最近まで特撮ヒーロー番組に出演していた若手俳優が昼の連ドラや刑事ドラマに主演する流れは最早確立されているとまで言えるだろうから、今更こんなことで驚くのはおかしいだろう。単に今回はザントド師弟という狙い澄ましたようなあざといキャスティングだったからウケちゃったというだけの話である。

たしかに、昨今は一昔前と違って特撮番組と一般ドラマがどんどんボーダレスになってきている。永井大を今時「タイムレッド」呼ばわりする徒輩はお里が知れるというもので、賀集利樹辺りはその辺の出自を語ることに関して屈託がないようだが、ココリコの遠藤に成り済まして地味に活躍している須賀貴匡や、建物ヲタというニッチなマニアとして押しも押されもせぬ変人扱いされている半田健人など、イケメンブームから出た連中を特撮俳優という狭いカテゴリーで扱うことは不適当だろう。

一般ドラマの有名俳優が偏見なく特撮ヒーロー番組に出演するような現在の情勢においては、かつてのように「トクサツ役者」という蔑視混じりのカテゴライズなど成立しようもない。藤岡弘、土方伝説などは過去の話であるが、彼ら先達の人生を左右する苦悩があってこそ今の時代があるのである。仮面ライダー響鬼の主役が同時期に大河ドラマに出演し、そのために番組の構成を配慮してもらっていた状況を、藤岡弘、が視てどのように感じたのかを想像すると、ちょっと感慨深いものがある。

イケメン俳優が何の苦労もなくベルトコンベア式に一般ドラマに進出する現状を視て、人気俳優から焼き芋の屋台を引くまで身を落とし、荒んだ生活の中の不慮の事故で役者の命である顔まで瑕附けてしまった佐々木剛がどのように感じているのか、想像して剰りある。その佐々木を陰日向なく励ました親友・石橋正次もまた、アイアンキングの静源太郎役で特ヲタの間に忘れがたい印象を残した俳優であるが、幸いにして彼は舞台に活路を見出し、無事現在まで役者を続けていたようだ。

オレら加齢臭漂う古株の特ヲタは、ジャンル作品に好んで出演する俳優を気軽に「トクサツ役者」呼ばわりしてしまう癖があるが、その「トクサツ役者」たちがその後歩んだ苦闘の人生を識っているだけに、年寄りのヲタこそ軽々に「トクサツ役者」という言葉を口にしてはいかんなぁと、柄にもなく抹香臭いことを考えちゃったりするのである。

たとえば、今現在でもジャンル作品を忌避せず屈託なく出演してくれる役者というのは相当数存在するが、それも今現在は一般ドラマとの垣根がそれほど高くないという現状を踏まえた判断のゆえである。昔はトクサツと一般ドラマの間には越えられないステータスの壁があって、ジャリ番落ちした俳優は滅多なことでは一般ドラマに戻って来られなかった。そういう時代性の変遷あっての現状である。

だからと言ってジャンル作品でお馴染みの役者の一般ドラマでの活躍も応援しようとはオレも言わない。そんなスローガンは、役者個人にとっても個別のファンにとっても大きなお世話様である。

精々イケメン若手俳優のベルトコンベア式一般ドラマ進出をあんまり皮肉な目で視ないようにしたいとか、その程度の話ではある。よくある話だが、「トクサツ番組は売れるための踏み台かよ」「売れたらトクサツは黒歴史かよ」とかどうしても思いがちだが、普通に考えたら踏み台だし黒歴史で当たり前だろう(笑)。

オダジョーのように現場を抜けてから要らんことをペラペラ喋りすぎる奴は、トクサツがどうしたという以前に別の意味で嫌われて当然なんだが(笑)、デビュー当時のことを語りたがらないというのは、よっぽど恵まれたデビューを果たした役者以外は大なり小なり共通した心情だろうし、売り時との兼ね合いもある。

昔の、これから這い上がろうとする若手の下積みか、落魄した役者の落ち行く先というふうにトクサツ番組が視られていた時代とは違うのだから、トクサツで人気の出た俳優を一般ドラマやバラエティにエクスポートするラインがシステマチックに確保されているのは、それはそれで目出度いことじゃないかということだ。特ヲタの思い入れやリスペクトが、役者個人のその後の人生を保証してくれるわけではないからな。

だがまあ、「七人の女弁護士」のアレはどう考えても狙いだろう。

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