Vita brevis-1
学園ドラマを存分に語った後は、学園という場の文脈を離れた若者たちの青春群像の物語を視てみよう。夏枯れの影響なのか、全般に視聴率低迷気味の今期のドラマの中でもぶっちぎりで数字が悪いのはテレ朝の「レガッタ」である。
オレは中年の域にある男性視聴者なので実感的にはわからないが、速水もこみちというのは普通に長身の美形俳優なのでもう少し人気があるのかと思っていた。しかし、オリコンの放映直前の期待度調査では、レガッタの順位が総ての年代層で信じられないほど低い上に、放映後の視聴率推移もその期待感の薄さを反映したものとなっている。
年代層別で視てみると、主演のもこみち以外は特定視聴層を狙ったキャスティングが視られないにも関わらず、女子中高生と四十代女性の部で下位にランキングされているに留まりむしろ男性層のほうが若干期待度は高い。もこみちがヒソカにいろんな意味の男性人気を開拓しているのでもない限り、これは原作の知名度もしくは相武紗季か若槻千夏の人気によるものだろう。
つまり、男性層に対する相武紗季や若槻千夏の人気よりも、女性層に対するもこみちの人気が低いということになるのだが、ホンマかいなというところである。相武紗季に関しては、NHKの「どんまい!」や単発ながら「Happy!」という主演作もあったことではあるし、地味なイメージではあるが割合CMの本数をこなしていたりして露出もあるし、意外にナイスバディでこっそりエロで売っているところもある。
オレなどは、相武紗季が水に落ちてズブ濡れになりスパッツのケツが貼り着いたりブラ線が透けているのを見るだけでも、しみじみこのドラマを観ていて良かったと元が取れた思いである。
その意味で相武紗季が若い男性に受けるというのもわからないでもないが、ぶっちゃけて言えばさすがに主役という器ではないだろう。彼女の柄が立つのは「アテンションプリーズ」や「がんばっていきまっしょい」のような「ヒロインの親友」という脇のポジションであって、主人公の相手役というよりも、主人公に横恋慕して玉砕する脇役が異様に似合う。
「しょい」でもアテンションでも、同じ錦戸に横恋慕して同じように二タテで玉砕するという華々しい快挙を実現しているわけで、言っては何だが「Happy!」でも相武紗季が出演すると聞いて「で、主役の幸役は誰?」と素ボケした人は全国に一〇〇〇万人くらいいるだろう。言ってみれば、ちょっと傾向は違うが「やまとなでしこ」で注目された矢田亜希子のようなピンのヒロインが似合わないポジションの人である。
また、若槻千夏に関しては、大部分の男性視聴者層は若槻千夏を女性アイドルとも人気女優とも視ていないだろう。つか、若槻千夏を女性として視ろと言われたら、多分彼女の熱心なファンでも萎える。
まあ、オレ個人はグラドルは肉感系より釈由美子や杏さゆりのような細くて薄い系統が好みなので、若槻千夏でも全然楽勝でご飯三杯イケちゃうけどな。
そういう意味では、二人とも決して男性層に人気のない人材ではないのだが、ドラマの主演コンビとしてこの二人だけがフィーチャーされると、がっつり肉を喰いたい腹具合のときに唐墨と練り切りを出されたような窮めて微妙な気分を覚えることは否めないだろう。
表看板のスター女優がわいわいひしめいている中に、ワンポイントで混ざっているのがちょうどいい具合に魅力的な人選なのである。主役格の男連中が取り合うヒロインというより、ヒロインを想っているもこみちに一方的にひたむきな想いを寄せる役が相武紗季の持ち味だろうし、若槻千夏を女優として起用するのであれば、いいとこ「タイヨウのうた」のベッキーのポジションが今は相応だろう。
さらに、間に入る生保会社のCMではないが、もこみちと相武紗季の組み合わせで言えば、オレの認識ではもこみちのほうが格上だと思っていたのだが、期待度と視聴率の組み合わせで考えると、ドラマの視聴率の鍵を握るのは女性視聴層だろうから、もこみちにはピンで客を呼べるほどの広範囲な人気がなかったということになる。
幾らもこみちのアイドル人気の旬が過ぎているのだとしても、満を持しての単独主演作なのだから、それはちょっと本当には受け取れないところである。
それには時期的なバイアスが大幅に掛かっているのだろうし、例年七月末から八月初旬にかけては学童の夏期休暇突入の関係でガクンと数字が下がるのが通例だから、それを加味する必要はあるだろう。この時期は夏枯れの影響でどんなに注力しても必ず低調に推移するので、各局ともある程度三味線を弾いた編成でくるものではある。
だが、今年の第三クールは連ドラ全般例年になく低い水準に終始している印象で、とにかく初動の基準値が総じて低い。どうにか初回視聴率が二〇%を越えたのは「結婚できない男」程度で、各回視聴率一桁台や一〇%前後がゴロゴロというのは、やはりおしなべて低水準と言えるだろう。昨年同期が「女王の教室」「電車男」「ドラゴン桜」とそれなりにヒット作に恵まれたこともあって、今年の低調ぶりが目立つ。
その上でさらにレガッタはぶっちぎりの低視聴率を誇り、第四話では何と四・五%という驚異的な数字を弾き出した。これはテレ東の「怨み屋本舗」の最高視聴率にすら負けているということで、実写版セーラームーンやウルトラマンネクサスと同程度の人間しか第四話を観ていなかったということである。
一応毎週観ているのだが、何が決定的に良くないのかを指摘することは難しい。
脚本は腐っても江頭美智留だし、映像も季節感が出ていてきれいだし、それなりに丁寧につくられたドラマなので、どこが良くないから数字が悪いというわかりやすい話にはならないだろう。
それほど面白くないことだけはたしかであるが、面白くないドラマがヒットすることは決してなくても、ドラマというものは面白くないというだけの理由で大コケが説明できるものではないと思う。狙いどころさえ間違っていなければ、コンセプトの魅力や役者の肉体性でそれなりに観てしまう層が一定数存在するからである。
立ち上がりをジブリ大作に側面から砲撃され撃沈、というストーリーを描くことも出来るが、正味な難敵は二週目に当たった新作のハウルだけなので、その後本来の水準に持ち直してもおかしくないはずである。同じく金曜ロードショーの裏に当たる「タイヨウのうた」に関してはそのような想定に相応しい数字の動きを示しているが、レガッタは最初から低い数字でハウル以後も数字を戻していないのだから、ハウルが直接の不振の原因ではないということだろう。
これが前番組の「富豪刑事デラックス」の話であったなら、新規連続ドラマ枠が側面攻撃に弱いという事情も考えられるが、レガッタの時点では「テレ朝の金曜九時枠でドラマをやっている」ということがある程度認知されているはずである。
それなのに、何故レガッタは初動も含めてこれほど無惨な大惨敗を喫したのか。それには今期の全般的視聴者動向というかなりマクロな話も関係してくるとは思うが、オレの考えでは、局サイドによる試聴習慣マネジメントの戦略として、この題材の選択が失敗しているからであろうかと思う。
つまり、前番組の富豪刑事デラックスで折角それなりの規模の試聴習慣が根着いたにも関わらず、それをまったくドブに棄てるような題材選択になっているのが敗因ではないかと思う。普通に考えて、どれだけ事前にガンガン番宣を流して認知度を上げたとしても、富豪刑事の後番組がレガッタだとは誰も思わない。
テレ朝でもこみち主演の青春ドラマが始まるらしいということはわかっても、それがまさか富豪刑事をやっていた枠だなどとは想像も出来ないだろう。連続ドラマ枠というのはそれなりに枠の性格やイメージというものがあるのであって、CXの月九や火九、火一〇、日テレの水一〇、土九と言えば、題材や内容の幅はあっても、だいたいどんなイメージのドラマが来るか想像が附くものであり、そのイメージの連続でコア視聴層の継続視聴を牽引するものである。
新設ドラマ枠の感触が思わしくなかったからいろいろと試行錯誤してみるというのなら話はわかるが、富豪刑事でそれなりの手応えを得られたのに、後番組として富豪刑事とはそもそもターゲット層から異なるレガッタを繋げるのでは、前番組の好感触をまったく活かすつもりがないとしか思えない。
ドラマ枠新設の一般的なセオリーから考えれば、まずコアになる恒常的な視聴層を獲得して枠自体の認知度を確保し、枠の性格を確立してからその中でバラエティの幅を出していくのが定法だろう。富豪刑事の後がレガッタなのでは枠の性格も糞もないし、そもそもこの枠でどの視聴層をターゲットにするのかという基本的な戦略すらないということである。
たとえば富豪刑事視聴のコアとなった中高生から二十代へかけての若い世代層が、局サイドのターゲット視聴層とは微妙に喰い違ったとしても、次の番組でいきなり違う視聴層を獲得すべくまったくイメージ上の連続性のない方向へ路線変更するのでは、一から仕切り直すのと変わらない。これでは、山勘頼りで行き当たりばったりの前近代的な編成戦略と誹られても仕方ないだろう。
だとすれば、さらに何故このような戦略的に知恵のない題材選択になってしまったのかをもうちょっと考えてみよう。
そもそもこのテレ朝金九の枠は、前番組である富豪刑事デラックス以前は「笑いの金メダル」を放映していたABC朝日放送制作のバラエティ枠で、以前富豪刑事に触れた際にはオレの関心不足から下調べが行き届いていなかったが、八七年までテレ朝とABCの共同制作で継続していたドラマ枠を二〇〇六年から復活したものである。
そういう意味では、富豪刑事デラックスもそれなりに力の入ったコンテンツだったわけで、以前疑義を呈した不可解なスケールアップはこの事情故ということだろう。さらにABCとの共同制作という事情を視野に入れれば、富豪刑事も含めて何故このような題材のチョイスになっているのかという流れも理解できる。
日本のSF史に詳しい方なら、黎明期における本邦SF小説の中心地が関西であったことはご存じだろうと思うが、富豪刑事原作者の筒井康隆を含めて所謂大御所と言われる書き手には関西人が多い。
その辺の歴史を語り出すと逸脱が長くなるので触れないが、筒井康隆は現在はオレたちが若かった頃ほど若い世代に支持されてはないのだろうが、おそらく関西文化圏では地元出身の文化人として関東圏よりも認知度は高いと思われる。分けてもABCとは、かつて同局の看板長寿番組「部長刑事」のアニバーサリー企画で二本も脚本を執筆した上に自身もゲスト出演しているという過去の経緯がある。
その意味では、無印富豪刑事の出来や評価がどのようなものであろうとも、ABCが火曜ドラマ以来一一年ぶりに全国ネットで制作するドラマの題材として、馴染みのある筒井康隆原作物を扱うというのは自然だし、それを剰り疎かな扱いに出来ないという事情もあっただろうと思う。
一方、無印富豪刑事自体の成立までの経緯は、またそれとは別の事情の複合だろうと考えられ、この原作がこのようなかたちの番組として具体化したことについては、おそらく深田恭子が所属するホリプロの意向が強かったのではないかと推測される。
それと言うのも、かなり以前からよせばいいのに俳優としても活発に活動している筒井康隆(と言うか、本人は自分が美男俳優であることをデビュー当時から誇示していたわけだが)の芸能マネジメントはホリプロが担当しているのであり、そもそもこの企画の根幹にホリプロ繋がりというコネクションがあったことはまず間違いない。
同プロの看板女優である深田恭子主演の企画として「所属タレント」の原作を使用するというのは自然であり、ドラマ化するに当たって大胆な改変を加えても余所がやるより当たりが柔らかいというアドバンテージがあったのだろうと思う。或いは、所属タレントに折角小説家がいるのだから、その原作を所属女優との抱き合わせでプロモートしたいという逆のプロセスだったのかもしれないが。
そこにかつて富豪刑事原作の映画化を打診して一度蹴られた因縁のある東宝が噛んでいるわけだが、おそらくそれは偶然であって映画とドラマの間に人的繋がりはないと考えるのが妥当なところだろう。このラインについては「TRICK 」のヒットで確立されたテレ朝と蒔田光治の関係性の文脈で解釈すべきではないかと思う。「TRICK2」終了後、その衣鉢を継ぐようなコミカルミステリの後継企画を模索していたという動機もあったのかもしれない。
この複雑に絡み合った人脈のどこからどのような順序で企画が具体化したのかは実際に聞いてみないとわからないことではあるが、どこが何を主眼として言い出してどこがそれに便乗してきたのだとしても成立する関係性であることは間違いない。企画の出発点が深田恭子でも筒井康隆でもテレ朝+東宝でもそれぞれストーリーが成立する。
このようにして成立した無印富豪刑事というコンテンツに、さらに筒井康隆との縁からABCが絡んできて、結果的にデラックスがあのようなかたちで実現したという若干複雑な合従連衡のストーリーになるのだろう。
現在の金九枠の視点から視ればABCを軸に考えざるを得ないわけだが、ドラマ制作の実態から考えれば、共同制作とは言っても実際の番組制作はテレ朝が行い、ABCは実制作にタッチしていないのだから、ドラマの具体的実体においてABCが加わっている故の個別の特色はほぼないと言っていいだろう。
ABCのプレゼンスはかなり上流の題材選択やキャスティング、コンセプトワークの部分に発言力を持っているという程度だろうから、既存のテレ朝のドラマコンテンツの中から「これがいい」というかたちで選ばれたのが富豪刑事という企画だったということなのではないかと思う。
その富豪刑事デラックスは、視聴率それ自体を視ればさほど高い数字ではないが、以前のエントリーで触れたように視聴者満足度調査ではかなり高い評価を受け、まずまずの成功を収めたと言えるだろう。
それに続くコンテンツとしてレガッタが選ばれたについては、「ボート競技」「相武紗季主演」という二項から、どう考えても昨年同期の話題作である「がんばっていきまっしょい」を連想するのが自然だと思うのだが、「ダンドリ。」を論じたエントリーで少し触れたように、ドラマ版「しょい」は近年実制作を外注化していた関西テレビが久々に自社制作体制を復活させ全編松山ロケで取り組んだ意欲作である。
未成年俳優の不祥事で主要キャラが途中配役交替し、そのフォローで実質話数の短縮を余儀なくされるという最悪のトラブルに見舞われたものの、夏季クールにしてはそれなりに高視聴率を獲得し、関テレは今後も年一本程度自社制作ドラマをリリースしていく方針であるようだ。
関東にいるオレたちにとっては対岸の火事だが、相応のリスクを抱えて全国ネット規模のドラマ制作に本格復帰を果たした関テレの実績は、在阪各局にとっては無視できない動向だっただろうし、在阪準キー局の中で関テレと並んで全国ネット規模のドラマ制作の実績を持つABCにとっては正面から競合せざるを得ない事態だったのだろう。
金九枠への注力自体がそのような流れを受けての事業方針だろうが、ぶっちゃけて言えばレガッタの企画のかなり初期の段階で、時期的な意味でも「あれみたいなもの」が俎上に上がっていたのではないかと思う。「しょい」のフロントメンバーを引っ張ってくるという相当直截な手段に出ていることからも、強烈な対抗意識があるものと視られるだろうが、一種企画意図そのものが文字どおりのドジョウ狙いと言うか、著しく志が低いという嫌いは否めないと思う。
たとえば「しょい」の場合には、SGやWBのヒットが追い風になっていたとは言え完全に自社裁量でリスクを負いながら、松山ロケという在阪局ならではの強みも活かして意欲的に制作していたのに比べ、ABCの場合は最低限この枠が定着するまで実制作には乗り出さない方針らしく、さらに企画面で考えても、富豪刑事はアリモノを継続制作しただけ、レガッタは関テレの後追い企画というのでは、誰がどう考えてもビジネス必敗の消極性である。
外部の野次馬から視れば、形成不利と視た場合にスピーディーに怪我なく撤退出来るように布石を置いた及び腰にしか見えない。その意味では、如何に試聴習慣が定着しにくくバラエティやスポーツが強い夏季シーズンとは言え、深夜番組並の低視聴率に甘んじている現状は、早くも撤退を検討すべき形成不利な状況と言えるだろう。
ただまあ、大々的にぶち上げたテレ朝との共同制作体制のドラマ制作から二本きりで撤退したとなればいたずらに物笑いの種を撒くだけのことだから、幾ら何でももう少し粘るとは思うが、レガッタがこのまま低調に終始するようなら、次は一度離れた視聴層を話題性やキャスティングで引き戻すようなかなり強い企画をぶつけない限り、金をドブに棄てるようなものだろう。
結論めいたことを言うなら、たしかにこのドラマは真剣に入れ込んで観るほど面白くはないが、その面白くなさの度合いに比べて四・五%という数字は低すぎるだろう。オレは相武紗季も若槻千夏も、それから「ギャルサー」でお馴染みの奈津子とその妹の亜紀子も割合好きなので、ドラマ自体は何らコメンタリーする意義などないと思うがそれなりに毎週楽しく観ている。
また、「トップキャスター」で注目された松田翔太の父親譲りのギラギラした野性的な肉体性やストイックな風貌、演技に対する真摯な姿勢も悪くない。兄の龍平と翔太を並べてみると、父親の演技スタイルが二方向にスプリットしたような印象を覚えてなかなか感慨深い。翔太が伊東美咲と共演しているCMを観ると、オレなどはついつい父親が出演した焼酎のCMを重ね合わせて視てしまう。
肝心の主演のもこみちは、まあこれまでは多少線の細い二枚目という印象だったのがよく短期間で身体をつくったものだという程度の感想しか覚えないが、もこみちファンの女性の身になって考えても、このドラマのもこみちは「輪舞曲」の役柄よりよほど好感が持てるはずである。
ドラマの内容面も前代未聞のつまらなさというほどのものでもなく、どこかで見たようなアリガチなお話がアリガチに展開するというだけのことで、テレ朝のドラマ全般この程度の満足度を目指したものであると言えなくもない。同じテレ朝のスポーツドラマということで言えば、かなり毛色は変わるが上戸彩の「エースをねらえ!」も「アタックNo.1」もお話の面白さのレベルで言えば同程度である。
ドラマを観る普通の視聴者のモチベーションなど、本来はこの程度のものだろう。
つまり、ドラマ自体を視ていても視聴率不振の原因は見えてこないのである。要するにこのドラマを観るような層がTVの前にいないような時間帯でやっているから数字が上がらないのだし、今その場にいる視聴者が観たいと思うようなドラマではないからつまらないと叩かれるのである。
現状のキャストやコンセプトも、たとえばCXの月九や火九のように試聴習慣が定着している枠なら決して悪いとは言えないと思うが、金スマや金曜エンタを習慣的に視聴している層や、これまで「金曜九時は観るものがない」と感じて金曜ロードショーの話題作に流れていた浮動層を新たに引き込むほどの力がなかったということだろう。
ましてや外で遊んでいるF1層が「レガッタ観たいから早く帰らないと」と感じるほどの爆発的な牽引力などはないということであり、そもそもこの時間帯にこの番組を放映していることを識っている人間が少ないということである。
本来、この時間帯にTVの前に座っていてテレ朝にチャンネルを合わせるような視聴者層は、若干低年齢層寄りにシフトした笑金を面白がるような若者層であり、全年齢層にアピールした「下妻物語」の流れを汲む人工的な天然ボケ(概念矛盾の一例)のようなフカキョン像を好む視聴者である。
そのような視聴者ディスクライブにおいて、はじけたところがどこにもない、しっとりとリリカルなムードを狙った起伏のない青春ドラマをぶつけても良い反応が返ってくるわけがないだろう。
ズバリ結論を言うなら、放映枠と題材の組み合わせにおいて「下北サンデーズ」とレガッタがあべこべになっているのである。それがこの二番組それぞれの劇的な不振の本質的な原因であろうとオレは考えている。というか、オレは前期末に予告の番宣を見た時点では、
この二番組の枠を完全に取り違えて覚えていた。
もしも富豪刑事デラックスの後番組が下北サンデーズであったら、おそらく誰も文句は言わなかっただろうし、幾らか取り零しはあるにもせよこれほどまでの数字の凋落はなかっただろう。下北でそこそこ数字を落としたとしても、次に繋がる目はあったのではないかと想像する。「TRICK 」の連続上にある蒔田光治主導の富豪刑事の後番組が堤演出を前面に打ち出した下北だったなら、イメージ上の連続によって富豪刑事から無理なく継続視聴を引き出せていただろう。
また、成績不振で打ち切られた「7人の女弁護士」の後番組がレガッタだったら、おそらく若干数字が上がったくらいだったかもしれない。裏が若年層に人気の「おかげでした」と高年齢層の継続支持頼りの「渡鬼」なのだから上手い具合にF1層のパイは空いているし、そのF1層はそろそろ週末に向けて気持ちが草臥れているから、いい男がダラダラ演じるそれほど面白くないリリカルな青春ドラマを何となく眺めていたい気分になっているかもしれない。何よりも、木曜ドラマ枠のイメージとのマッチングが良いのだから、枠の試聴習慣を無理なく取り込めるというメリットがある。
しかし、ここまでのオレの推測が幾許か的を射ているとすれば、金九枠でレガッタをやるというのはガチガチの確定事項であって、鱈もレバーもない。木九枠ならこの題材でイケるかもしれないとしても、そんな選択肢は最初から存在しないのだし、木九枠のほうでも上戸彩主演で下北サンデーズをやるのは「エースをねらえ!」以来の年一上戸木曜ドラマの流れであって、ABCとの共同制作枠とはまったく関係のないラインで生まれた企画である。
要するにレガッタの成績不振は、この企画それ自体が視聴者のアクションやニーズという現代的なマーケティング視点とはまったく関係ない、ABCとテレ朝の関係という旧弊な企業の論理と都合から生まれたものだから、というのがオレの考えである。
ウィキの記述によれば、在京キー局と在阪準キー局の関係は伝統的に良好なものではないようだが、おそらくこの共同制作枠においてもイニシアチブの取り合いや両局の面子の張り合い、自社利益の衝突などの生臭いお家事情があるのだろう。
ネットの噂レベルの頼りない話ではあるが、このレガッタの後を襲うのは渡哲也主演のホームドラマではないかと囁かれていて、富豪刑事ともレガッタともまた別の視聴層に向けた企画であるらしい。
これが事実となれば、同床異夢がどこまで迷走するのかと苦笑させられてしまうが、たしかに今現在裏に押さえられていない視聴層を渡哲也の名前でTVの前に座らせることが出来るかもしれないし、F1層や中高生などの流行に敏感な世代よりも保守的世代層一般のニッチを堅実に取り込むテレ朝ドラマ全般の傾向から考えれば、本来それが確実なラインかもしれないと思う。
とは言え、これは結局、富豪刑事で寄ってきた中高生や二十代の視聴者を「おまえらは要らんから次から観なくてよし」と切り棄て、仕切り直したレガッタの方向性も思わしくないから僅かながら附いてきた視聴者を「おまえらも要らんから次はいい」と切り棄てる姿勢であるということだろう。
レガッタについては、この時期にこの局のこの枠でさえなければということをどうしても考えてしまうし、表面的な数字ほど悪いドラマではないと思うのだが、それを言い出したらどのドラマだって多かれ少なかれそういう事情はあるのだし、それを考えて調整するのが編成の仕事なのだから、さほど局側に同情する必要はないだろう。
ましてや、系列局同士の妙なお家事情の意地や面子の都合に振り回され、挙げ句の果てに低視聴率タレントのレッテルを貼られるのでは出演者が気の毒だし、それより何より純粋にドラマの内容を愉しもうとする視聴者が迷惑である。
また、オレ個人としては原秀則の原作にいっさい愛着はないが、映像化を愉しみにしていた原作ファンもいるだろうし、現状でおおむね原作のイメージをそんなに裏切っていないと思うのだが、それが歴史的低視聴率番組のレッテルを貼られたら、原作ファンにとっても気分が良くないだろう。
それが制作局サイドの生臭い都合によるものだとすれば、これほど文芸を莫迦にした話はないわけで、ドラマ自体には何ら反撥は覚えないものの、その制作トップの姿勢には個人的にかなり強い不快感を感じている。
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