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2007年1月16日 (火曜日)

Superheroes

空前の盛況を迎えた昨年の特撮シーンだが、気が附いてみれば残っているのは三枠限りで、その裡ウルトラの枠はメビウス終了後は後がないという噂である。SHT以外に特撮枠がないというのはかなり久しぶりで、ここ数年はCBC実写特撮枠とTX超星神枠がある程度継続し、イレギュラー枠も若干あったのでそれが当たり前のように感じていたが、そのすべてがアニメ枠になってしまうらしい。

数だけは増えた昨年の作品群がそれほど面白かったかと言えば微妙だと思うが、何事もなかったかのように消え失せてしまうと、それはそれで寂しい限りである。この儘少子化が加速していけば、子ども頼りのオモチャ商売も限界があるだろうし、ならば平成ライダー辺りから特撮に入ったヤングアダルト狙いの商売は何うかと言えば、効果的にコストを回収するシステムが未だ確立されていないのではないかと思う。

オレ的には、昨年の特撮番組で最も成功したのは深夜枠の「GARO」ではないかと思うので、この種のヤングアダルト向けヒーロー特撮の流れが続いてくれればと思うのだが、ビジネスの算盤の面でまだまだ厳しいものがあるだろう。

昨今のアニメシリーズのようにTV放映をプレゼンテーションと割り切りDVDなどでコンテンツを売っていく形式だと、オモチャに比べて規模の小さい商売になるのでそれほどコストを掛けられないだろう。さらに、実写特撮のDVDの売上はアニメに比べて小さいので、コンテンツ売りをビジネスの前提とするなら、制作費が安いことで識られる戦隊などと比べてもよほどしょっぱいものしか出来ないことになる。

その意味で、先頃終了した「ライオン丸G」のように、正統派ヒーロー番組の版権をきちんと獲得していながら、一般ドラマからそれほど飛躍のない作りに終始した番組も面白いと言えば面白い試みである。

まあ深夜枠ではコンテンツ売りくらいしかビジネスの手法がないわけだから、金が掛けられないというのが大前提である。だとすれば、子ども向けの特撮のように、毎週怪人をバッタバッタと退治するという形式の番組は作れない。この番組のように、造形物がヒーロー二体とそのアレンジ一体、戦闘員数名しか出てこなくてもヒーロー活劇が作れるということを示した意義はあるだろう。

それはすでに現代的な意味での「特撮ヒーロー番組」ではなく、体裁の面から言えば寧ろTV黎明期の月光仮面やナショナルキッドに近いわけだが(笑)、オレたち特ヲタが漠然と「トクサツ番組」と言うとき、引き算の観点における最小限度の必須要件は何かという問題にもなってくるのではないかと思う。

スーパーヒーローさえいればそれでいいのであれば、「Sh15uya 」やライオン丸Gの方向性もアリだろうし、モンスターは欠かせないというのであれば「ウルトラQ」のような方向性もアリだろう。その両方が必須であるというのであれば「魔弾戦記リュウケンドー」のレベルからさほどディスカウントは出来なくなる。

やはり円満具足なトクサツ番組は今のところオモチャの売上をインフラとする子ども向け番組としてしか成立しないのだし、ヤングアダルト向けの番組はそこからの引き算で特撮ヒーロー番組としては何か物足りないものとしてしか成立しないだろう。その意味でいえば、オーセンティックなトクサツの醍醐味は相変わらず子ども番組に求めるとして、ヤングアダルト向けの番組ではプラスαの面白みを求めるという形になるだろう。

オレやオレの立ち回り先のブログ主さんたちは、トクサツも観れば一般ドラマも観るという嗜好の人間ばかりだから、造形物が一切出てこないスーパーヒーロー物でも何ら問題なく楽しめるだろうが、それはすでに「トクサツ番組」とは別の何かだろう。トクサツも一般ドラマも、煎じ詰めれば生身の人間が演じるドラマとして楽しんでいるというのであれば、この先トクサツ番組が消滅してしまっても困らないと言えば困らない。

ただ、造形物に象徴されるようなトクサツの枠組みにおけるリアリティでこそ成立するドラマ性もあるわけだから、それがなくなるのはやはり寂しいと思う。変な着ぐるみが当たり前のように人語を操る世界だから成立するリアリティというのもあるわけで、造形物が一切出てこないとその種のリアリティの現出は難しい。着ぐるみ一発でわかりやすく成立するドラマ性というのもあるということである。

また、ウルトラマンメビウスが思わしい結果を出せず、一旦TVシリーズから撤退するというのであれば、ウルトラのように一話当たり二〇〇〇〜三〇〇〇万も掛かるような大がかりなSF風味の作品はしばらく作れないということになる。たとえばスタトレやレッドドワーフのような本格的なSFドラマが一般的な人気に結び附かずに、巨大ヒーローと怪獣の格闘という枠組みから離れられないというのは、単に日本固有のローカリティの問題にすぎないわけだが、SFだから語れる物語性それ自体が語りにくい風潮というのはかなり問題だろう。

オレは商売人ではないから、勿論それに対して何か名案やビジョンがあるわけではないし、オモチャが売れなくなったのなら正統的なトクサツ番組が減少するのも仕方ないだろうとしか言えない。今の現状は長期的なものではなく、この先トクサツ番組の勢いが盛り返すのかもしれないが、まあ昨年の番組の数字を視る限り軒並み渋い成績しか残していないのだから、全体に縮小傾向にはなると思う。

オモチャが売れないのも子どもが減るのも、煎じ詰めれば個人生活の水準が下がっているからであって、子どもをつくるどころの状態ではないか、子どもをつくって教育費以外に手が廻らないかのどちらかなのだから、何れにしろ子ども相手の商売の規模がこれから拡大するということだけはないだろう。

トクサツ番組が当たり前のように存在した時期が続いたが、その当たり前を疑うべき時期に来ているのかもしれない。まあ、子ども自体が消滅したわけでもないのに一本もトクサツ番組が存在しないという事態があり得るとすればそれは異常だが、トクサツ番組にとって逆境の時期に来ていることは間違いないだろう。

何ら批判も提案もない煮え切らないエントリーになったが、昨年との落差にちょっと戸惑いを感じつつも、もしかしてほんの一時的な状況かもしれないし、考えらしい考えも纏まらなかった。まあ漠然とした独り言の類である。

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