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2007年1月11日 (木曜日)

Temporary

temporary
[形]一時の,つかの間の,はかない;仮の,臨時の,間に合わせの,暫定の

人材材派遣業
a temporary personnel service

そうですか、結局今季はこの枠で「女王の教室」をやるわけですね?

そういうわけでお察しの通り「ハケンの品格」の話をさせていただくわけであるが、まだ第一話を観たばかりということで、今回は剰りドラマの内容に踏み込んだ話をするつもりはない。ドラマの枠組みとなっている「ハケン」というものをちょっと考察してみようという趣向である。

そもそも日本語で謂う「派遣職員」というのは、英語で謂えば「一時的職員」「暫定的職員」ということになるのだが、上記の辞書的な語意を視るに「temporary 」という形容詞には元々ネガティブなイメージがある。

この番組のスポンサー企業「テンプスタッフ」は、この語から社名を戴いているわけだが、当該企業について調べてみると、「グッドウィル」「スタッフサービス」に次ぐ業界第三位の売上を誇る最大手企業の一つで、創業者は「篠原欣子(よしこ)」という何処かで聞いたような名前らしい。さらに驚かされるのは、資本や系列の関係がない同業他社の「ヒューマンリソシア」もまたスポンサードしているということで、こういうのは剰り聞いたことがない。

テンプりんちゃんとSHIHOを同じ番組のCMで見かけるというのも新鮮な気がするのだが、業界最大手と中堅、総合人材派遣と専門技能職に強い特質が棲み分けられているために、正面からの競合関係には当たらないということなのかもしれない。

また、人材派遣業者に共通の意向として、スーパー派遣を主人公にしたドラマをスポンサードすることで、自社の登録スタッフたちに自己像モデルを提供し、自己研鑽のモチベーションを向上させたいという狙いがあるのか、またはもっと単純に現場のスタッフが感じている本音の問題点を主人公が小気味良く粉砕する痛快なカタルシスを狙い、ハケンに附き纏うネガティブなイメージを払拭したいと考えているのかとも想像する。

ウィキでざっくり調べてみると、テンプスタッフというのは阪神大震災への対応で名を上げた企業姿勢のしっかりした会社ということで、人材派遣会社にとっての主要契約対象である企業と登録スタッフの両者を大切にすることを企業理念に謳っているとのことである。まあ、それが本当ならステークホルダー重視の公平な企業姿勢ということで大変結構なことだが、こういうドラマのスポンサーに名を連ねるというのは、かなりチャレンジングではあるだろう。

派遣職員の主人公が派遣先の正社員に正論を言えば言うほど、このようなドラマをスポンサードする企業なら扱いづらいハケンさんを斡旋するのではないかというイメージを与えると思うのが普通だろうが、当の人材派遣会社が二社も提供に名を連ねているというのは、よほど営業が上手かったのだろうか(笑)。まあ、少なくともカリスマ的な創業者によく似た名でF1層の自己像モデルとして人気の高い女優が演じるスーパー派遣の痛快譚ということで、営業はしやすかっただろうとは思う。

真面目に受け取るなら、自社が相手取るステークホルダーの特定の一者に媚びることのない硬派な理念があるという見え方もあるだろうが、幾ら凄腕だろうが大前春子のようなハケンさんに来られても困るというのが、どう考えても企業の本音だろう。このドラマのように、新規セクション立ち上げの重要な場面で、頼りないリーダーを補佐するために凄腕実務スタッフを雇うというのは、まあ普通の企業ではあり得ない。

企業の側では、通年で繁忙の度合いに上下動のある要求レベルの低い定型的な業務を浮動労働力に求めて人件費を抑えたい、もしくは自社で養成するとコストが懸かる割には流動性の高い特定技術者をアリモノに求めたいというのが本音だろうから、現時点における企業の視点では、ハケンさんに「凄腕」を求めてはいないだろう。言い方を換えれば、凄腕のスキルが必要とされるようなポジションに派遣職員を充てるような企業はまずないだろうということである。

コストに見合った業務を平均的にこなすことを派遣職員に求めているというのが企業の本音だろうから、要求レベル以上のスキルが幾らあってもまったく強みにならないというのが現状だろう。その意味で、人材派遣業者及び派遣職員と派遣先企業の間には絶対的な力関係の差が存在するので、どんなスキルを持っていてもハケンさんはエクスペンダブルな人材としか見做されていない。

勿論それは企業側のニーズの話であって、将来的に企業の人材マネジメントにおけるアウトソーシング化が進めば、社内のコアスタッフの構成の選抜度はもっとタイトになってくるだろうし、社外スタッフに対する要求レベルも高度化してくるのが筋ではある。要するに、経営戦略や各部門でトップレベルの経営判断を行うポスト以外、コアスタッフであるべき絶対的必然性がないということになる。

それもまた、お上が唱道する雇用政策の筋道を真に受ければという話であって、ホントにそんなビジネススタイルが定着するか何うかなど定かではないし、ぶっちゃけ現状では日本企業の価格競争力を高めるための口実であるにすぎないだろう。現にビジネス先進国の間では、そんな流動的な労働流通一辺倒では全体的な社会モデルが上手く機能しないことが判明しているわけで、安定雇用に基づく社会経済の安定化と適切な労働力の流通をバランスさせることの重要性が見直されつつある。

また、企業のコアな実体というのは本当に経営戦略やトップレベルの経営判断のみなのかと言えばそれも違うだろう。末端の作業者にまで至る組織としての人的実体や企業風土もまた企業の本質的な総合力の一部だろうし、それは派遣的な人材流通の旨味とは逆の方向性の、実体的な競争力を育てる人材マネジメントの要素である。無駄な人間は要らないから切り捨てる、鐚一文たりとも無駄な人材コストは払いたくないというのは、企業のサステナビリティにとっては近視眼的な視点でしかないだろう。

少なくとも、人材派遣業のみに労働マーケットを求めているようなお寒い現状では、欧米レベルの労働市場の成功すら思束ないだろうし、派遣職員に適切な対価を提供出来ない現状では、単に長引く不景気を名分とした雇用者側の買い手市場というだけの話だろう。現状の派遣職員は正社員雇用と派遣就労を自己判断で選んだというより、劇中の森美雪のように、それ以外の就労形態が残されていないからそれを選ばざるを得なかったというのが実情だろう。

要するに長期的な社会モデルが展望されているというわけではなく、現状の企業の本音に社会が附き合わされているわけで、この方向性を突き詰めていっても、より良い未来があるわけではないことくらい誰でもわかっている。

その意味で、部長からの信頼が厚い凄腕のスーパー派遣職員が正論の啖呵を切って周囲の人々を変革していくという体裁のこのドラマは、最初の最初から夢物語ではあるのだが、正社員と派遣の両方に目配せをした世知辛いリアリティを盛り込むことで、その嘘くささを感じさせないように努めている。

おそらくこのドラマが則っているビジネス理念というのは、人材派遣業ありきという大人の事情に基づいたものだろうから、今後全社会的に業務のアウトソーシング化が加速するという想定、つまり企業が労働者の安定的人生設計に責任を持たない、個人の人生設計が徹底して個人の側の自己責任に求められるという趨勢を前提にしたものであり、その前提における「正論」だろう。

当該企業に帰属していないスタッフに対して帰属意識を求めるのも筋違いだろうし、適切な対価を保証していないのにモチベーションを期待するのも筋違いだろう。たしかに派遣就労に関連する契約三者間の夫々の観点で言えば、企業側は人件費の抑制をメリットとして派遣職員を就労させているわけで、派遣職員は人材派遣会社のスタッフとしてサービスを提供する側なのだから、人材派遣会社に支払ったコストに応じた見返りを期待するわけだが、スタッフのほうは受け取った報酬に見合った労働力を提供するのが理念的な筋だからハナから公平な労使関係の算盤がとれていない。

そもそも派遣職員を就労させるメリットは、長期安定雇用や福利厚生面を保障しないことで充分得られているとも言えるわけだから、さらに短期コストの面においても低価格を期待するというのは欲張りすぎである。景気の好い時代の感覚で言えば、コアスタッフのトップクラスの賃金などは到底得られないが、生涯平均賃金の相場で収入が得られることで漸く短期的な派遣就労が公平な選択肢と成り得るわけである。間に斡旋業者が介在してマージンを徴収することによる短期的な割高感は、企業にとっても当然のコストと考えられていたと思う。

その前提で労働マーケットが適切に機能すれば、派遣就労という形態でも充分に見合うだけの収入が得られるわけだから、本来人材のアウトソーシングというのはこのような公平性に立脚して成立すべき社会モデルである。しかし現状では、全般に正社員雇用を手控えている企業が「何の保証もない派遣待遇で賃金が安くても好いんだったら使っても好いよ」という買い手市場の理屈を通しているだけの話になっている。

言葉を換えれば、正社員にさえ安定雇用や福利厚生を保証しなくなったのだから、派遣職員に短期的に割高なコストを支払う旨味がなくなったのである。それ故に、派遣職員を就労させるメリットは、引き算の発想で「そのほうが安いから」「公正な扱いを保証しなくていいから」という身も蓋もないものになる。

そのような本音の部分がアカラサマに表面化しているからこそ、劇中で描かれているようにハケンさんと正社員が身分上の格差として顕れてくるのである。正社員として企業に帰属することと派遣職員として流動的に企業に就労することが、公平な選択肢として認識されていないということである。他企業から提供されるサービスの形で流動的な労働力を受け容れるというモデルに内在するのは、要するにこのような本質的に不公平な労使関係の問題である。

労使の間に人材派遣会社という第三者を置くことで、労働力を人材派遣会社が提供するサービスと位置附けることが可能となり、企業内部の人材はすべてサービスを受ける顧客の立場で派遣職員に対峙することになる。職務内容の本質は変わらないわけだから、これは要するに労使間で理念的に保証されるべき公平性を回避する口実でしかない。

本当なら使っている人間に口答えなどされたくないし、好きなときに馘が切れて黙って言うことを聞かせられるなら、企業にとってこんな楽なことはない。近年はCSRの観点から自社内部の人材に対して公平性を欠いた扱いを行うと命取りの企業リスクとなる可能性があるのだが、その意味でハケンさんなら多少横暴に扱ったところで企業が受けているサービスなのだから問題はないという意識だろう。

これらを考え併せると、派遣職員の現状は悲惨なものだろうし、さまざまな問題性を抱えているのだろうが、それは従来の形態の人材派遣業が引き合わなくなってきているということだろう。これだけ人材派遣業が盛んになっているのは、企業にとって一方的に都合が好いからであって、そのしわ寄せが現場の労働者に来ているということである。

この方向性で人件費を抑制すると共に人材マネジメントの課題を迂回し、引いては発展途上国に対する価格競争力を獲得しようと試みるのは、まあ普通に考えれば一般的な労働者の労働条件をやんわり発展途上国レベルに引き下げるということで、その一方ではCSR的な観点から企業内部の人材に対する公平性が要求される流れが進み、さらにその負担を回避するためにコアスタッフの選抜が進むという形で、社会の二極分化が推し進められる。

つまり、公平に扱われている一握りの人材が一般的な労働者を不公平に取り扱うという構図となるわけで、そのコアスタッフも経営トップからの距離感に応じて雇用の不安定というリスクを抱えているということである。まあ、こういう不安定な労使関係が将来的な社会モデルとして上手く機能するはずがないだろうし、庶民のお先真っ暗感を助長していることは間違いない。

このドラマでも、派遣業者に対峙する正社員の立場である里中賢介や東海林武は決して勝ち組と位置附けられているわけではなく、同期入社の同僚や先輩社員たちがリストラで馘を切られて派遣職員に置き換えられる趨勢に脅かされる存在でもある。そのマクロな趨勢に反撥して派遣職員に不当に接する東海林の姿勢が、お門違いの八つ当たりであるのはハナからわかりきっているし、現実には大前春子のようなスーパー派遣がどんなに大活躍してもそんな対立構造を何うにか出来るものではない。

つまり、人材派遣業者ありき、短期派遣職員ありきの発想で現状の改善をドラマに仮託しても本来的には破綻しているということだろう。企業の側にはこのような現状を改善すべき積極的動機がないし、派遣職員にとって公平な形での落とし所は、企業の求めるような人事政策モデルではないだろう。現在企業が人材派遣業者を活用しているのは、安く不当に使える労働力の供給源だからであって、そもそも派遣労働者がババを引くことが予め織り込まれているのである。

派遣職員のスキルがどんなにプラスのメリットをもたらすとしても、一般的な企業が派遣職員に求めているのはマイナスのメリットである。大前春子が「これから一〇〇年不景気が続いても、日本中の会社が潰れても」生きていけると豪語するのは、そのような社会モデルとは関係ない主人公性であって、現時点での問題性に対する言及として何らかの建設的なモデルを示しているわけではない。

ここで言われているのが、たとえば派遣職員としての業務スキルや各種の特殊資格の話ではなく、企業という組織に依存せず、苛酷な社会の激変に対抗可能な「生きるためのスキル」であることは理解出来るのだが、それは結局「根性のある人は何があっても生き延びられる」という話である。

大前春子という人物は過去の何らかの事情からそのような生き方を選び取ったのであるから、偶々このドラマでは派遣職員という位置附けにあるだけである。彼女の活躍で劇中の世界が変革されるのだとしても、それは大前春子が主人公だからである。その物語的な幻想を取り払ってみれば、陰気な企業社会の問題点が剥き出しの形で顕れているのであり、やりきれない印象は免れない。

他方では、一方的に企業の問題点を追及するばかりではなく、ダメ女の森美雪の成長物語を通じて派遣職員の側の問題点をも取り扱っていき、このような位置附けの職業女性の姿勢や心構えについても語っていくのだろうが、結局のところ「根性を身に着けて頑張るしかない」「今は辛い時代だけど負けずに頑張っていこう」という辛気くさい地点に落ち着くような気がしてならない。

何うしてもこのようなテーマに関しては世知辛い現実が二重写しに見えてしまい、純粋に物語として楽しむのが困難である。現実には派遣職員のスキルを買って部内の社員の反対を押し切ってまでご機嫌を伺う管理職などいないだろうし、そこまでの物語の嘘を吐かない限りお話が成り立たないことがわかりきっているだけに、個人的にはちょっとやりきれない内容だと思う。

勿論その種の価値的転倒がない限り痛快な物語は成立しないのだが、雇用不安という全体的な社会問題を背景にしている以上、大多数の視聴者がそこまで安心して物語に入り込めるものか何うか疑問に思わないでもない。当の派遣職員層にとっても、剰りに現状と飛躍のある設定では白けるばかりではないだろうか。その意味で、ちょっとこの内容は当たるか外れるかはバクチだと思う。

自身が職場で度々飲み込んできた正論の本音を痛快な啖呵で叩き附けてくれる存在と視るか、「そんな簡単に行ったら苦労しねーよ」と白けるか。派遣で喰っているような方ならスキルや職業観の真っ当さには自信があるだろうが、そのようなスキルが正当な業務力評価や賃金収入に反映されず、正論が力関係で圧殺されご無理ご尤もが押し通るからストレスがあるのだけに、微妙なところだろうと思う。

また、オレ的には中園ミホの資質として、そのようなビジネスライフの機微を説得力を持って配慮し得るのかという不安がないでもない。第一話を視る限り、大前春子の凄腕ぶりは「美味しいお茶が淹れられる」「仕事が早くて正確」「一度視たタクシーの柄を正確に覚えている」「大型重機の免許を持っている」という程度にしか描かれていないので、まあ、たしかに大前春子という職業人が優れたスキルを持っているという描写にはなっているが、すべて企業にとって余人に代え難い資質ではない。

美味い茶を淹れることは必ずしもビジネスと無関係ではないが、ビジネスに不可欠な要素でもない。仕事が早くて正確なのは良いことだが、そんな人間は幾らでもいる。完全記憶の持ち主だからと言って、それが業務の役に立つわけではない。いろいろな資格を持っているのは重宝だが、それは資格者をその都度雇えばそれでいい。

それはすべて、企業社会がプラスの成長に沸き立っている状況においてしか意味を持たない資質であり、引き算で堅い成長を目論んでいるような世知辛い世相において企業に対するメリットと成り得るものではないだろう。

第一話だけに、大前春子のキャラを印象附け、効果的にスキルを提示してみせるのが狙いなのだろうから今後の描き方次第の部分ではあるが、今回のクライマックスは別段春子の主人公性が問題の解決に決定的な貢献を果たしたわけではなく、要するに演出的な観点において見せ場を浚い、彼女の内面の優しさを垣間見せただけなので、伝説のハケンさんがどれだけ企業にとって有用か、引いては個人が企業と対峙する姿勢としてどれくらいの交渉力に繋がるのかが見えてこない。

実を言うと大前春子のようなキャラクターは個人的に決して嫌いではないので(笑)、それほど主人公像自体に不快感があったわけではないのだが、これから描かれようとする物語が剰りにも陰気な実情を抱えていることが透けて見えて、物語的な押し引きの呼吸が空々しく感じられる懼れがある。加えて、書き手の中園ミホにそのような空々しさをケア出来るようなデリカシーがあるとも思えないので、もう少し様子を視て脚本に今一つ知恵がないようならリタイアしようと考えている。

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コメント

とむ蔵さん、こんばんわ。
ああ、ハケンの品格は普通はこういう風に見えるものなのか、と読んであらためて自分の特殊性を思い、ちょいコメントしてみる事にしました。
とむ蔵さんはご存じの事だが、ここの読者の人には判らないので言っておくと、自分が漫画家のアシスタントという特殊な職業に就いているせいで、このハケンの品格と火10カンテレ枠のヒミツの花園との見え方が、一般企業にお勤めの方とはちょうど逆の様になっているのがちょっと面白いと思って。
つまり、オレにはハケンの方は他人事として楽しめて、多くの人が他人事として笑い飛ばせるだろうヒミツの花園の方は、漫画業界人にもギリギリ許容できる気遣いが感じられたからどうにか楽しめたという、おそらく一般とは逆の感じ方になっているということ。
自分の職業に絡むものはもっとちゃんと描けとつい思い、そうでないものは単純に笑い飛ばせてしまうものの、それを少々無責任にも思うので、自分の足りない視点を補足してもらえた様でありがたかった。
とはいえ、明らかに数で言ったら自分は少数派なので、今後の展開でオレがどんなに楽しめても一般にシャレにならないようならハケンは失敗だろうし、話が進んで業界描写がいい加減になっていってオレが目を背けても他にウケてりゃヒミツの花園はヒットするだろうしで、そう思うとちょっと複雑なんだけどね。

投稿: ぷら | 2007年1月11日 (木曜日) 午後 07時01分

御意見どうも。
まあ以前から言っていることだけど、ドラマというのは他人事だから楽しめる側面というのが不可避的にあって、業界物一般というのは大多数の試聴者がその業界を識らないから成立するというのがあると思うし、大多数の試聴者が識らないと想定されることでは嘘吐いて構わない性格のものだと思う。
次に書こうかと考えている「ヒミツの花園」について言っても、そちらは漫画家の実態はわかるだろうけれど、オレは編集関係の仕事をしているから、冒頭で釈由美子が他人の仕事を引き受けて正月から完徹しているという描写があんまりリアルでないわけよ。
これは後でじっくり説明するつもりだが、編集者というのは基本的に他人に仕事を振らないもので、理由は他人に振るほうが結果的に面倒臭いから。編集者が仕事で他人に迷惑かけるとしたら、自分に振られた仕事を溜め込んで次工程に付加がかかる、もしくは全体のスケジュールに遅れが出る、そういう種類のもの。ちゃっかり他人に振るというのは、まあ普通の事務仕事の感覚だな。
さらに言えば、正月に休出しているくらいなのに、入稿時間を確認していないというのも、お尻ありきの仕事なのでまずあり得ない。仕事を受ける場面で何を措いてもまず真っ先に確認するのがお尻のデッドラインなので、それを識らなかったというオチはまあ物語の嘘の部類だろう。
でも、物語を考える場面では、そういうことが一般人には気にならないだろうということはわかるので、劇中のナカムラちゃんが嘘吐いたとか、月山夏代の業務姿勢についての描写とは受け取らない、まあそういうバランスになると思う。
でも、派遣業者をテーマにしたドラマというのは、下手に普遍性があるだけに社会人全般に関わってくる問題なんじゃないかな、と思う。

投稿: 黒猫亭 | 2007年1月11日 (木曜日) 午後 07時57分

あ、それはオレもヲヒヲヒと思った>デッドライン知らず
あり得るあり得ないで言えば他には、担当替わる際に前任者同道での引き継ぎの挨拶がないってのがまずあり得ない訳で(笑)。
雑誌の看板作家ともなればそこに編集長同行も普通なくらいで、畑違いの者を予備知識もないまま単独で向かわせる事は絶対に無いよね。
まして入稿まで単独で任せるなら漫画編集者じゃないと要領判らない筈の写植貼りを釈自身でやる行程を含むから初日からそれはあり得なかったりするし。
でもまあ、道々手解きするつもりの同道者が向かう途中でゲリピーになって一人で行く羽目になるとかの工夫がいくらでも出来るとは思うけど、その手の事はオレも釈が事情を知らないが故に翻弄されるためのドラマ的嘘として受容出来ちゃう類だな。
という事で、ヒミツの花園の話ばかりですまんけどこのへんで。
まーハケンにしろヒミツの花園にしろ、職業ものということではCA訓練の実際知らない素人が見てもアレだったアテンなんとか(笑)に比べりゃ、次元の違う良し悪しが問題になってるわけだけどねえ。

投稿: ぷら | 2007年1月12日 (金曜日) 午後 12時28分

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受信: 2007年1月15日 (月曜日) 午後 03時16分

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