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2007年1月25日 (木曜日)

Tuna

第一話時点の懸念とは裏腹に高視聴率をキープし、第三話までは順調に微増傾向で推移しているらしい「ハケンの品格」であるが、遅蒔きながら第三話にしてオレにも漸く狙いがわかってきた。スーパーハケンだの正論の啖呵だの雇用政策の歪みだのはこのドラマとは一切無関係、この際スッパリ忘れてくださいってことか。

このドラマが狙っているのは、一言で言って

ツンデレ萌え

だったのだな。オレが大前春子のキャラに何故不快感を抱かなかったかと言えば、要するに、出来る女だの派遣労働者の建前だのは道具立てに過ぎず、本来デレな女をツンツンさせるための口実に過ぎないからだったわけである。

だったのだな。オレが大前春子のキャラに何故不快感を抱かなかったかと言えば、要するに、出来る女だの派遣労働者の建前だのは道具立てに過ぎず、本来デレな女をツンツンさせるための口実に過ぎないからだったわけである。

出来る女の取り附く島もない冷徹さではなく、本来ちょっと甘酸っぱいところのある女のツッパリ具合の危うさが妙な色気を醸し出していたわけだ。キビキビした非人間性というより、他者への感情移入を避ける為にツンツンしているというイメージなのがベタなツンデレキャラの匂いを濃厚に醸し出していたということだろう。

普通、出来る女の芝居というのは、たとえば真矢みきが得意とするような妙に落ち着き払って他人を見下したような態度に見えるものだが、その意味で大前春子の妙に余裕がなく過剰に防衛的で感情的にさえ見える芝居は、何ういう演技設計に基づいているのか気になってはいた。

森ちゃんに懐かれたり東海林に搦まれた際にセカセカとマンガ的な早足で逃げるような芝居は、とてもじゃないが出来る女の余裕などは感じさせない。デレな内面のボロが出ないよう突っ張っているようにしか見えないのであり、その辺りに男性的な強さよりも女性的な脆さが垣間見え、キャラとしての色気があるわけである。

また、基本的に篠原涼子は強気な女を演じて評判をとった女優だが、強そうに見えるから魅力的というより、強気でありながら何処か脆そうなところもある辺りの危うげな部分が魅力なのだろうと思う。

それはつまり早い話がツンデレ向きということで、「アンフェア」の雪平夏見役などもそのような類型のキャラではあるが、今回の大前春子役も強気でヒ ステリックなまでの憎まれ口を叩く割にはかなり情に脆い部分があり、「カンタンテ」でママやタキシード仮面を相手に語る場面ではそのような素直な内面が正 面に出ている。そこが篠原涼子の柄にマッチしていると言えるだろう。

物語構造としては何ら新味もないし、背景となっている社会状況に対して爽快な提言があるわけでもないこのドラマに何故人気があるのかと言えば、やはりこのキャラのベタな色気の部分が受け容れられたものだろう。

第三話までのルーティンな挿話構造は、余所余所しい一匹狼のスーパーヒロインが、社内のトラブルに際して最初はツンツンと冷淡な態度を貫きながら、最終的には情の部分で動いてトラブルを解決するという形式になっていて、これは完全にツンデレヒロインを主役に据えた落ち物アニメの呼吸である。

たとえば第三話のラストで大前春子が「エスアンドエフのためにやったわけじゃありません」と語る演説も、派遣労働者同士の仁義的なイデアをアクチュアルに語ったものというより、

べ、別に、あんたの為にやったわけじゃないからね!

的なツンデレ臭がプンプン匂う。土台、フリーランスのカリスママグロ解体師であるツネさんは売り手市場の個人事業主なのであって、大前春子の「ハケン仲間」と位置附けることには無理があるのであり、要するに春子が仲間たちの為に情で動く口実として引き合いに出されたに過ぎない。

ハケンとフリーランサーの共通点である「社外の労働力」という論点は、ハケンの置かれた現状において重要なものではなく、寧ろ相違点としての「二重就労」のほうが重要な論点である。東海林が語るような正社員同士の家族的紐帯に対置される形で、一匹狼的な社外労働力としてハケンとフリーランサーを同列に括るのであれば、現実的な意味における派遣労働者問題は何うでも好いという話にしか成りようがない。

そもそも、ロビンソン百貨店での実演ショーは春子が代役を買って出て乗り切ったとしても、その前後にビッシリ入っていた別件は何うしたんだ、週日に会社を休んで代役を務めたのか、というツッコミが何うでも好く感じられる辺り、もう真面目に観るようなドラマではない。「ハケン仲間」の仁義が何うのというのであれば、そこまで押さえるのが筋だろう。ロビンソン百貨店の一件さえ何うにかなれば好いというのなら、やっぱり春子の行動は仲間たちへの情を主動機としたものなのである。

だからまあ、この春子の演説は単に情の部分で動く自分の行動を自分自身に納得させる為の口実と捉えるのが無難だろう。それはつまり、相手に対する好意で動きながら建前論の口実を設けなければ気が済まないツンデレキャラの行動原理である。

だとすれば、加藤あいの森ちゃんも、ツンデレ女とセットになったドジっ子キャラということなのだから、要するにこのドラマはキャラ萌えの観点から視るのが正しいということなのだろう。そもそもツンデレキャラのルーツが大時代な少女マンガのラブコメにあるということは半ば定説視されているのだし、その意味で女性視聴者にも受け容れやすいキャラ造形ではないかと思う。

男性陣の二人も、小泉孝太郎扮する心優しいナイーブな二枚目上司に、大泉洋扮する有能ながら容姿がイマイチの勘違いなマッチョ野郎という取り合わせは、要するにまるっきり少女マンガの世界である。出来る女に対する僻みから過剰に張り合っている裡に、相手のことを異性として意識してしまうというのは、「それなんてエロゲ?」とツッコミを入れたくなるくらいベタなラブコメである。

中園ミホが真面目な社会問題になどハナから興味がないのはわかっていたが、こういう旬の題材を持ってきておきながら、ここまで割り切ったキャラクタードラマを展開するというのは、筋金入りのノンポリミーハーである。

まあ、それにはそれなりの問題点もあるんだろうけど、なんか一瞬にして安心して観られるような気がしてきたから不思議なものである。ここに描かれているのは書き割りの世界だし、嘘で固めた無内容な少女マンガやキャラクターアニメの世界なのだ。

リアリティ無視の設定は最初の最初からわかりきっていたことだが、このドラマのようにアクチュアルでシビアな背景を扱っていながら、そのアクチュアリティに一欠片の関心もないという割り切りにはちょっと驚く。これがプロデュースサイドのコンセプトとどの程度一致した作劇なのかは不明だが、日テレドラマということで予想したような、シリアスな社会的アクチュアリティに土足で無遠慮に踏み込むような作劇とは別種のリアリティであることは間違いないだろう。

随所で背景的なマクロ状況に対する言及はあるのだが、所詮は主要なテーマとは成り得ていないのだし、上から目線の説教臭さは感じない。その意味で前季の「14歳の母」とは相当落差のある作劇であると言えるだろう。

オレは14歳以前のこの枠のドラマは一本も観ていないし、おそらく路線的に連続性のある「anego」も未見なので、この種の他愛なさが枠本来の性格なのか何うかはわからないが、少なくとも14歳の母みたいな莫迦ドラマをヌケヌケと作った日テレの制作首脳に、社会的なアクチュアリティになど触れて欲しくないことはたしかである。

派遣就労という現実の問題性が存在するとして、それに対してこのテレビ局に上から目線で説教臭いテーマなど語って欲しくはない。精々が肩の凝らないラブコメで一時の楽しい娯楽を提供してくれる分には、素直にドラマに乗れるだろう。

先週までは下手に現実と地続きの道具立てで語られていた為に微かに反感や警戒心を抱いて視ていた嫌いは否めないが、第三話のような荒唐無稽な筋立てを視るに、この無内容さこそがこの番組の本性なのではないかと思うようになった。

たとえば第二話など、派遣社員がお使いを買って出ることの意味が何うしたとかいうのは完全に口実で、要するに男に媚びる女が女性集団からハブにされるという一般論的な筋立てを語っているに過ぎないのである。さらに、春子と東海林のホッチキス対決などもリアリティそっちのけで描かれた莫迦らしい逸脱であり、男社会の辛さに理解を示す女性がわざと意に染まぬ相手に勝ちを譲る、それに気附いた男性が少しだけ相手を認めるに至るという筋立てに顕れるキャラの色気がメインのドラマ要素なのである。

今回描かれた森ちゃんサイドの筋立てに至っては、一人で飯が喰えない女性が何となく女性集団と群れるという「なんじゃそら」的に他愛のない問題性に基づいていて、そのプロセスにおいてもう一人のツンデレ女である黒岩との接近が描かれるのでは、すでにハケンが何うこうという話は完全に何うでも好くなっている。

さらに言えば、リアリティの文脈では春子が東海林と同行してロビンソン百貨店に謝罪して事を納めるのが精々である話を、いきなり春子自ら解体実演ショーを演じてしまうという荒唐無稽なクライマックスを持ってきているのは、大前春子の主人公性が特殊資格が何うのというアクチュアルなレベルではなく「何でもアリ」の万能性だということである。

まあ、そもそも「26の特殊資格」という設定それ自体がV3の「26の秘密」に準えた「何でもアリ」ではあるのだし、一応、春子が嘗てツネさんの許で解体師としての修行を積んだような伏線は張っているのだが、「昔やってました」ですべてが通るのであれば、それは結局「何でもアリ」ということである。

そこまでアクチュアリティを離れた一般論に徹するのであれば、この道具立てで他愛ないラブコメを描かれても腹は立たない。何だかんだ言って、このドラマは女性活躍にも関心はないし、男女同権や労働者の権利や企業の大義にも関心はないのであり、男がいて女がいる、男はこういうもので女はこういうものである、その前提において一般論に特化して下世話なラブコメを語ることが最大の関心事なのである。

また、今回は筋立ての荒唐無稽さに加えて、たとえば春子が森ちゃんに間違われて男性社員からメールを送られた場面で満更でもなさそうな半笑いで柄にもなくお姉さん口調の返事を書いたり、東海林が春子の提言をそれとなく容れて意見を急変させるのを視てちょっとほくそ笑んだりと、キャラ芝居がマンガ的にわかりやすくなっている。

ラストのキスシーンが大泉洋相手だというのは何うなんだろうと思わないでもないのだが、ママが東海林贔屓だという伏線も張ってあるし、そもそもこのドラマでは二枚目の里中と春子の接点はサッパリ描かれず、春子と東海林とのいがみ合い一本で引っ張っているので、まあ初期の展開において東海林と春子のすったもんだが描かれるのは自然ではある。

今回のエピソードでは、会議中に里中が春子の横顔に見入ったり、これまで曖昧な芝居で通してきた彼が春子に対して声を荒らげて感情的な部分を見せるという部分もあるので、里中の参戦も既定事項だろうから、どのみちこの男二人と春子の絡みで物語が進んで、そこに森ちゃんが絡んでくるというパターンのラブコメになるのだろう。勝地涼のイケメン部下も森ちゃんに入れ込んでいるようだし、本筋はその辺りの恋愛模様になるのではないかと思う。

初期段階のコンセプトが何うだったかは識らないが、所詮中園ミホに書かせるのであれば他愛のないキャラドラマに徹するのがいちばんだろう。この番組のように題材固有の問題性を一般論に拡散させてほとんど提言らしい提言を語らない・語れないのが中園ミホの芸風なのであれば、まあそれが無難なドラマ作法というものである。

とりあえず、今回のエピソードで初期に感じた微かな警戒心は払拭されたので、この儘他愛ないラブコメで推移するようなら継続的に視聴しようと思う。とにかく今季は他のドラマがオレ的には全然ダメなので、この程度の他愛ないラブコメでも少しは楽しめるかもしれない。

ところで、タートルネックの衣裳のせいもあるだろうがこのドラマの篠原涼子は「アンフェア」の頃に比べて妙に顎のラインがムチムチしているように見えるのだが、オレの気のせいなのだろうか。TBSの「花嫁は厄年ッ!」は観ていないので、いつからこんなにムチムチになったのかは識らないのだが、何だか妙にエッチな感じに見えることだけはたしかである。

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コメント

オレも花嫁は厄年は1話で切ったので記憶が定かじゃないが、その後のアンフェアSPではもっとシャープだった気がするので、今のは冬籠もり仕様なんじゃないだろうか(笑)。
それはさておき読んでて思ったんだが、これって企画の発想は「電車の陣釜さん主役でラブコメを」みたいなノリだったりしないかな、もしかして(笑)。
たとえそうだったとしても、まんまだと派遣先で男食い荒らす話になっちゃうから練ってく内に違うもんになったんだとは思うけど。いや、ふと思っただけだが(^^;
それはそうとこのドラマ、大泉洋が所属するTEAM-NACSからは彼以外にも派遣のマネージャー役で安田顕が出ているね。普段の芸風からするとかなりおとなしいので、3話まで気が付かなったんだけど(^^;。
これまでNACSからは大泉洋の他にサプリにクリエイター役で佐藤重幸が出てたりしたけど、何れもピンだったので2人いっぺんというのは珍しい事だと思う。
大泉洋が脇のコメディリリーフからメインキャストに上がってきたので、セット売りではないにせよ口きいたってとこかなあ。
まーNACSのメンバーは小劇団系とは言っても変な鬱陶しさがなくて良いね。敢えて誰とは言わんが(笑)、テレビ露出だからと芸風丸出しにするような嫌らしさが無い。北海道ローカルではメディアに引っ張りだこの彼らだから、意識にあるのはメディア露出ではなくて中央進出だからなんだろうな。
あー演劇人に興味ない人には退屈な話でゴメンね(笑)。

投稿: ぷら | 2007年1月26日 (金曜日) 午前 11時41分

大泉洋とヤスケンのセット売りは明らかにバーターだろうと思う。ヤスケンのほうも大河への出演など中央進出を踏まえた売方をしているし、大泉洋のほうも全国ネット初主演ドラマの「東京タワー(SPドラマ版)」が好評ということで、今回のハケンでも小泉孝太郎と同格どころか寧ろ二番手クラスの扱いで、かなり北海道勢の扱いが好い。

ヤスケンはNACSベースで言えば大泉の先輩に当たるようだが、今回のハケンの役どころはちょっと前なら大泉洋が演じていたようなポジションで、大泉の出世に伴ってスライド式にヤスケンの中央進出を後押しするというねらいがマネジメントサイドにあるんだろうね。

実際、この二人を割合大きな役でフィーチャーした為に、北海道地区では二七%もの高視聴率を稼ぎ出したことが大きく報じられたので、中央に対してヤスケンのプレゼンスを充分示せたというところじゃないかな。単に大泉洋が大きな役を貰ったくらいではそこまで高い数字にはならないだろうから。ただまあ、北海道で人気があるのは当たり前なので、飽くまで中央ベースの数字で今後を占う必要はあるだろうけど。

投稿: 黒猫亭 | 2007年1月26日 (金曜日) 午後 07時40分

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» その名は大前春子 [すぐ戻ります]
『ハケンの品格』第二話観る。 前言修正。こりゃあ、『女王の教室』+『ブラックジャック』路線ですか??? ホチキス/ステープラー対決なんて、人によっちゃくだらない対決路線に見えるかもしれないが、でもこれ「2捨て」だよ。大泉洋の東海林主任と大前春子の対決なんて、才能の無い脚本家なら1クールのクライマックスに持ってきかねないものを、第二話で捨てた。二捨てだ二捨てだ! とにもかくにも、また一人、テレビドラマ界に素晴らしいオリジナルキャラクターが誕生したことを喜ぼう。大前春子カコイイよ大前春子。... [続きを読む]

受信: 2007年1月25日 (木曜日) 午後 09時06分

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