現代手ブラ考
近頃のオレのマイブームは「手ブラ」である。
説明するのが面倒くさいから、例によってウィキを参照していただくとしてここでは詳説しない(笑)。つか、「手ブラ考」と銘打っておいて説明が面倒っておま、とツッコミを入れた方、オレが興味を持っているのは手ブラそのものではない。
ウィキでも「まれに『手ぶら』と書かれることもあるが、これでは『手に何も持っていない』という意味との区別が付かないためあまり好まれない。」と記述されているのだが、オレが凝っているのは慣用的に「手ぶら」と表記される場面を無差別に「手ブラ」表記に置換して、ツッコミを入れつつ情景の味わいを楽しむことである。
たとえば、
「学校に手ブラで来る奴があるか! たるんどるッ!」
という場合、たしかにたるんどるような気がヒシヒシとするではないか。
「急なご不幸で、手ブラで参りまして申し訳ありません」
不時の不祝儀に動転している様子がまざまざと目に浮かぶようではないか。
「親友の快気祝いだというのに、手ブラもなるまい」
相手は病み上がりの半病人なのだから、大変ごもっともである。
「ハンズフリーキットなら、手ブラトークで楽ちん!」
トークの内容にもよるが、かえって疲れるのではないかと思う。
「手ブラで頼み事とは、虫が好すぎるのではないかな」
これで足りないというのは、けっこうな欲張りである。
この調子で一晩中続けても好いのだが、実際にやってみるとけっこう楽しいので、後は皆さんにお任せしよう。ただ、この楽しいお遊びで唯一困るのは、未だ贈答文化の慣習が根強く残る日本人の会話には意外と「手ぶら」という言葉が頻出することで、自動的に脳内で「手ブラ」に置換されてしまうと大変困ったことになる。
脂ぎった禿の中年男に目の前で「いやいや、手ぶらですいません」と口にされた場合など、自動的に厭な想像をして目のやり場に困るのが考え物である。「明日何を用意していきましょうか」と聞いて「いや、君は手ぶらで来てくれればいいよ」と言われた場合に本気でムッとするようになると相当重症である。また、たとえば初々しい若い男女が初デートするというような場面で、何かの折りに女の子がうっかり
「今日はあたし、手ブラで来ちゃったから」
などと口にしようものなら、童貞野郎のウブなハートに火が点いちゃうことは間違いないわけで、そういう意味では大変危険な遊戯でもある。各自、大人としての自己責任でしっかり判断されたいものである。
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コメント
このエントリーにこんなHNのオレがコメントすると余計な混乱を招くと思ったのだが、敢えてコメントしてみた。
大人になりきれないなあ(笑)。
投稿: ぷら | 2007年3月21日 (水曜日) 午後 04時56分