« 文系TV局驚異の科学力 | トップページ | One night in Belgique »

2007年4月 6日 (金曜日)

panchanne-01

ま、こんなモンだろう。

しかし、前回ああは言ったものの、久しぶりに視る高丸演出のテンポの悪さは流石に強烈である(笑)。このイマドキ尋常ではない間の悪さというのは、セラムンや響鬼の演出を通して視る限り、スタッフが変わっても共通する高丸演出独特の調子なので、持って生まれた体質なのだと思うしかない。

まあ高丸演出に関してはすでに牛縄のレビューで一生分語ったので、とくに事前の予想を裏切るほどに好調だったり不調だったりしない限り、剰り多くの言葉を費やすつもりはない。敢えて言うなら、このモッサリとダラけたテンポは不思議少女というよりもロボ8辺りのロボット物の時代の感覚で、オレが高丸雅隆だったら「不思議コメディ初期の線の演出を敢えて狙いました」とか言って通ぶっちゃうね(笑)。

まあ、それで再来月辺りの特乳のインタビューで

ホントにそんなコトを言ってたら笑ってしまう

んだけどな(笑)。

真面目なことを言うなら、撮影や編集のリズムではなく演出の呼吸でテンポがだれるというのは、高丸雅隆のイメージする芝居の繋がりに気持ちの好いリズムが存在しないというか、割合隙の多い演出なのではないかと思う。加えてビジュアル的な美意識が結構ヌルく、珍妙な見え方の絵面をスルーする場合が往々にしてあるので、場合によっては脱力感漂う珍演出になることも多々あるわけである。

当然その辺については業界のプロのほうがよくわかっていて、初期の響鬼もアップテンポでシャープな現代的リズムというより、どちらかと言うとオフビートでダサめの牧歌的なリズムを基調に据えていたのだから、高丸演出でもそれほど他の監督の演出回と違和感があるわけでもなかった。そういう意味では、不思議少女系の世界観もまた剰りキビキビしたところのないベタッとしたテンポが合っているという言い方も出来る。

つかまあ、浦沢脚本が剰りにも期待通り行き当たりばったりなので、どんな演出者が芝居を附けてもこんなモンだろう。

その高丸雅隆がメイン演出に起用された経緯については、話せば長いことながら、彼が響鬼の直後にフリーを卒業し、共同テレビの契約社員として身柄を預かってもらったことと関係があるかもしれない。

元々高丸雅隆は若松節朗に師事したこともあってCXと附き合いのある人間だし、若松監督は現在共同テレビの偉いさんなので、その斡旋もあったのかもしれない。響鬼に関しては、新体制になってお払い箱にされたような言い方をする人もいたが、普通に考えれば坂本監督が映画に行っている間の調整要員として中盤をスケただけだろうから、共同テレビ入りと直接の関係はないのではないかと思う。

まあ二〇〇五年は響鬼の五本以外何も手掛けておらず、フィルモグラフィ上の停滞期となっているので心情的な影響はあったのかもしれないが(笑)、それだって制作会社入りに至る原因なのか調整の為の結果なのかは他人にはわからない。

その共同テレビはご存じの通りCXの制作子会社で、CX火九や関テレ火一〇の印象が強いけれど、他局のドラマも積極的に制作している。テレ東で言えば、直近では金曜深夜枠の「嬢王」「下北GD」「クピドの悪戯」が共同テレビの制作で、クピドに関しては高丸雅隆も何本か演出しているようだが、剰り真面目に観ていなかったのでスタッフクレジットまでは確認していなかった(笑)。

そういう次第でテレ東金曜深夜枠で連続して何本か制作したという流れもあり、且つは不思議コメディが元々CXのコンテンツだったという縁もあり、この題材を共同テレビが制作するのは割合自然な流れだろうし、偶々そこに以前セラムンでコンスタントに演出を手掛けた人間がいるということなら、似たような企画だからそいつに任せてみようという流れになるのもこれまた自然である。共同テレビには特撮ヒーロー物のノウハウがないのだから、高丸雅隆以外に人材がいなかったということだろう。

まあ、何処からどのようにこの番組企画が持ち上がったかによって多少筋道の前後が入れ替わるだろうが、要するに不思議少女の流れを汲むこの企画を共同テレビが制作していて高丸雅隆がメイン演出になっていることには何の不思議もないということである。

とは言え、それは現状を解釈する理屈として不自然ではないというだけのことで、特ヲタ的に最初に考えるはずの

何故東映の制作ではないのか?

という疑問に関しては何を説明したことにもならない。この種の企画が持ち上がったときの布石としてセラムンの実験があったはずだし、現にセラムンで一定の評価を得た高丸雅隆がメイン演出に座っているのだから、だったらいっそのことそのまま東映制作でいんじゃね?と考えるのが特ヲタの論理だろう。

ただ、よく考えてみるとテレ東では一〇年前のシャンゼリオン以来、東映特撮は一本もないわけで、あの番組が結果的に打ち切りを喰らったことと、PDの白倉伸一郎が左遷されたことを考え併せると、テレ東と東映特撮の関係は剰り好くないのかもしれない。ウィキなどで視ると、東映=セガの側からテレ東に企画を持ちかけたような印象を覚えるし、一旦延長しながらセガ都合で打ち切ったという説が紹介されているので、ビジネスとしては関係三者すべてに怪我人を出した格好だろう。

近年の特撮枠を考えても、たとえば超星神は東宝、テレビ愛知制作のリュウケンドーは松竹ということで、夫々東映=バンダイ的なビジネスモデルに倣って、東宝=コナミ、松竹=タカラトミーというコンビネーションになっている。元々シャンゼリオンも東映とセガという組み合わせの番組だったことや、もっと遡ればガイファードも東宝=カプコンの取り合わせだったことを考えると、伝統的にテレ東特撮枠は非東映=バンダイ的な路線を歩んでいる。

まあこの辺の事情を統一的に語れるような整合的な筋道などないのかもしれないし、それを推測するだけの材料も持ち合わせないが、最初の一報を目にして高丸メイン・共同テレビ制作ということを識っても「あ、やっぱ東映じゃないのね」と納得した。

そういう意味で番組視聴時に真っ先に気になったのは提供枠なのだが、マーベラスや阿倍糞などメディア企業三社でオモチャ屋は一社も入っていない。要するに幼児特撮的なビジネスではなく深夜のグラドル番組的な形の商売だということだが、更めて考えるまでもなく矢吹春奈の人妻ヒロインでオモチャが売れるはずがない(笑)。

変身後の衣裳をコスパティオで作るという世知辛い話になっているのは、子供に目配せする必要も変身アイテムを売る必要もないからだろうし、だったら最初から金曜深夜の枠とか「しにがみのバラッド。」の後番組でよかったんじゃないかという気もしないではないが(笑)、平日の夕方五時半に自宅でTV視ているような暇なヲタがターゲットということだろうか。とにかく、特段アダルトな内容ではないとしても、子供は最初から切り捨てている性格の番組であることは理解した。

この形式だと、商売の本筋はCDや全話DVD等のコンテンツ売りということになるだろうから、元々それほど大きな規模の商売にはならないだろう。深夜枠なら話はわかるが夕方枠の放映ということで、何ういう足腰の商売を考えているのだろうと思ったのだが、普通にお金の懸からない深夜グラドル番組的な内容を展開するというだけだろう。

そういう目で更めて視ると、お金の懸かってない部分が随所に目に附くのだが、とにかく画面に移っている人間が少ないというのと、役者の顔に縦横無尽に汚い影が落ちている辺り、安いVシネ以下の小班体制なのがバレバレである。EDのクレジットを視ても現場スタッフの名前が矢鱈に少ないし、苟もバンダイがスポンサーに附いていた正統的な特撮ビジネスであるセラムンのレベルすら期待してはいけないだろう。

だとすれば、先ほどの「何故東映の制作ではないのか?」という疑問も考えるだけ無駄な話であって、テレ東と東映の関係が何うのと詮索する以前に、わざわざ東映特撮で作るような規模の番組ではなかったということである。

そのレベルの予算の割には精一杯カットを割っているほうだとは思うが、何か剰り活きない方向に努力してるなぁという印象が拭い去れない。絵面が変に安く見えるのは最前指摘した照明の問題が大きいのではないかと思うのだが、自然光が当たっているなりに撮っているような絵面になっているのが素人臭く見えるのだろう。セット撮影やOPのナイトシーンなどはそれなりに見えるのだが、デイのロケ撮影シーンの光の当たり具合が壊滅的に汚い。

逆光の立ち位置では人物の顔が暗く潰れているし、川縁で宇宙人の身の上話を聞く場面などは、パンシャーヌの影が宇宙人の顔の上でチラチラ踊って鬱陶しい。こういう部分を視ると、何う考えてもこういう設計の照明なのではなく、自然光で当たってるなりにただ撮っているだけだというのが丸わかりである。

普通なら本編映像よりも少しは力を入れて綺麗に撮るはずのOP・EDの映像まで、同じような当たってるなり方式の撮り方になっていてまったく華がない(剰え、あんなに植木がふらふら揺れるほど大風の吹いた日に撮った絵をOPで使うのも何だかなぁである)。

普段照明マンの仕事などそれほど意識することはないものだが、こういうふうに何もしていない映像を視ると更めてその職域の重要さがわかる。これはおそらく、ヘボな照明マンが附いているということですらなく、最初からそんなスタッフがロケに随行していないのではないかと思う。それは何ういうことかと言うと、たとえばその辺のお父さんがわが子の活躍する運動会をハンディカムで撮るのと基本的に変わらない撮り方しているということである。

ちゃんとした照明技術者が附いていながらこんな絵面になってしまうのであれば、この世知辛いご時世にそんな無駄飯喰らいを雇っておく必要はないだろうが、どうせいないに決まっている人間のことを悪し様に罵っても空しいだけではある。

みんな貧乏のせいなんだろうなぁ、うんうん。

元々CXの不思議コメディはそんなに予算が潤沢な番組ではなかったので、ステンレスの蒸し皿の蓋が円盤になっていても元からそんなモンだという言い方も出来るが、流石に腐ってもカツドウ屋の東映ではこういうヘボい見え方の絵を視たことがない。新庄家の玄関前に隣家の屋根のでっかい影が黒々と落ちているのも、玄関先の芝居で矢吹春菜の足許が影に入ってしまって汚いし、もうちょっとロケ場所選べよと情けなくなってしまうところである(笑)。

つまり、そこまで金がない現場だということだろう。

まあ、先ほど触れたように、特撮番組というのは制作会社と玩具会社がタッグを組んでパイの大きな商売をしなければペイしないような仕組みになっている。メディア会社と組んでもコンテンツ売りの商売はリターンの規模が限られている為にそれほど大きな資本を投下するわけにはいかない。勢い、最低限の予算で狙いを絞った最低限の娯楽要素を押さえるというミニマルな制作姿勢にならざるを得ないものである。

この番組も、コンテンツそれ自体の面白さで一般層に話題が波及するかというと、それは絶望的だろう。この番組を観るのが矢吹春奈のファンと特ヲタだけなのは確実だろうし、矢吹春菜の名前に一般層を引っ張ってくるほどの知名度はない。この番組をつくっても、精々「金の懸かった矢吹春奈のPV」という以上のものにはならないだろう。だとすれば、その想定でリターンの算盤を弾いて、そこからの逆算で予算を組むしか怪我のない商売は出来ない。

商売の足腰からすればそんなところなのだから、やっと放映出来るだけのVが出来ただけマシというのが本当のところだろう。そういう条件下にしてはまあよくやってるほうじゃないかという微妙な言い方になるが、高丸以下のスタッフにしてみれば、金がないことまで現場のせいにされてはたまったものではないだろう。

画面に映ってる人間が少ないというのもズバリお金の問題で、矢吹春奈は初主演ということで矢吹サイドにプロモーション面のメリットがあるからそれほど金が懸からないだろうし、顔出しで出突っ張りの役者が他に猫ひろしだけというのは、とことん予算を絞られているという印象である。

何というか、猫ひろしがこれだけ長時間画面に映っているのを視たのはこれが初めてではないだろうか。過去作品との関連で言えば、清順の神様というよりも、お酉様とフライドチキン男を足して二で割ったような役なのだから、今後もこの頻度で出てこられると大概鬱陶しい。

旦那役を演じる駆け出しのお笑いさんやその弟役のD−BOYSの人はほぼ一場面だけの登場だし、主要なレギュラーがこの四人だけというのは一般的な深夜ドラマと比べても寂しすぎるだろう。D−BOYSの人は現時点では何うしようもないオンドゥルなので、今後あんまり前面に出て来るとも思えない。

もう、青息吐息で三〇分のコンテンツをつくっているのである。

オレもこれまでいっぱし低予算番組を観てきたつもりではあるが、ここまで正面切って金のない番組は見たことがない。だから、いろいろ腐すようなことは指摘したが、この番組を悪意的に視るほど心から鬼にはなれないなぁ(笑)。

まあ、何よりも主演の矢吹春奈にやる気が横溢しているのが買いだろう。考えてみればこの番組の一般的アピール要素というのは矢吹春奈しかないわけで、一にも二にも名実共に矢吹春菜メインの企画と言えるのだから、幾ら予算が安いと言っても矢吹春奈レベルの女優にとって完全主役番組というのは張り切り甲斐があるはずである。

オープニング主題歌も矢吹本人が歌っているが、初めてではないとは言えけっこう歌えているのが驚きで、これまでは脇のお色気さんという役どころが多かったので剰り気附かなかったが、芝居もそこそこ出来るようである。前回のエントリーでは、浦沢キャラとしては何うなんだろうと懸念したが、普通に浦沢的な世界観のキャラに入り込んでいるようで、思ったよりも器用な人のようである。

矢吹春奈の年齢だと不思議少女を観ているか何うかはギリギリだが、ハッキリ言って大人が読んで感心するような代物ではない無内容なホンをノリノリで熱演している姿勢には好感が持てる。ポワトリンを演じた花島優子も、浦沢曰く「普通の若い子ならああいう役は嫌がるはずなのに大喜びで演じていて変な奴だった」ということで、そもそも変身ヒロインというのは冷静に考えると馬鹿馬鹿しい存在なのだから、演じている本人の本気度で視聴者を入れ込ませる必要がある。

そういう意味では、この番組で一番本気で熱演しているのが主演の矢吹春奈だというのは好ましいことで、主演嬢のやる気までなかったらこんな安い番組には何の取り柄もないことになる。何より表情芝居が大きくて面白いのはTV向きで、浦沢ヒロインとしては危なげない存在感を示せていると思う。

気のせいか、素面の芝居よりもパンシャーヌに変身してからのほうが、何か人として大切ないろいろなものを近所の小川に棄ててきたような弾けた芝居をしている印象がある。このキャラを観ているだけでもある程度楽しめるから、安いのは安いなりにヒロイン物としては一定の保険要素があるということである。

ただこの人の場合、顔の印象がちょっと稀薄というか、統一的なイメージが抱きにくいのが難点で、ちょっと表情が変わると別人のような顔に見えるのが、タレントとしては弱いだろう。角度によっては青木さやかクリソツに見える場面があって、流石にちょっと萎えた。一言で言ってメイクでかなり印象が変わる覚えにくい顔なので、大きくブレイクすることはないのではないかと思う。

主演嬢に関してはこんなところだが、他に注目すべき点としては、高丸雅隆がセラムンの経験を何う活かしているかという辺りが挙げられるだろう。ベタなことを言えばOPのコンテはセラムンをイメージしたものだろうし、CGの使い方などにも影響が視られるわけだが、金のない分セラムンから一歩も二歩も後退というレベルである。

共同テレビ内で特撮ヒーロー番組のCG映像を扱った経験があるのは高丸雅隆しかいないのだから、コンテを切るなり指示を出すなりという形で高丸雅隆が大枠を決めたのは確実だろう。変身バンクのCGなどもセラムンを少々しょっぱくしたイメージだが、振りだけはやけにセラムン臭いと思ったら、振り付けで彩木映利がクレジットされているではありませんか(笑)。

うーん、セラムンスタッフの中で一番何うでも好い人材だけ引っ張ってくる辺りがこの番組らしいと言えばらしいなぁ(笑)。すると、次回予告で第一話とは打って替わって大勢出て来るガヤのお姉さんたちは、彩木映利のツテで引っ張ってきたお金の懸からない人たちということだろうか。何というか、何を何う突っ込んでもお金がないという話にしかならない番組なのだということを再認識した。

ただまあ、好きか嫌いかで言うと多分大好物で、現にこのエントリーを書き上げるまでに七回観たくらいである。

多分、罷り間違って高寺成紀がセラムンを制作していたら、ちょうどこんな感じの番組になっていたのかもしれないなぁ。カーレンで喧嘩してなかったら、それこそ浦沢メインでセラムン書かせるというのもアリかもしらんし。

まあとにかくたったワンクールの番組なので、最後まで観ることは確実だろう。

因みに、この番組に関しては高丸雅隆のことをフリー時代のように「高丸監督」と呼んではいけない。高丸監督と呼んで好いのは東映特撮の演出者だった時代だけで、共同テレビに入社した以上は「演出」のクレジットになる。

「監督」と「演出」の何処が違うのかと言われると「今はそんなに違わない」と言うしかないのだが(笑)、東映は腐っても映画会社なので「監督」という呼称に拘るが、共同テレビはTV局の制作子会社なので、伝統的なTVドラマの用語である「演出」という呼称が使われるというだけと言えばそれだけである。

何故TVドラマでは「監督」ではなく「演出」という呼称を用いるか、という歴史的な経緯についても何処かで聞いた覚えはあるのだが、うる覚えなので調べて確認するのも面倒だから今回は説明しない。現場のスタッフ編成や役割分担についても、東映と共同テレビでは結構違うはずなのだが、それも今回はスルーの方向で(笑)。

|

« 文系TV局驚異の科学力 | トップページ | One night in Belgique »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/136645/14574791

この記事へのトラックバック一覧です: panchanne-01:

« 文系TV局驚異の科学力 | トップページ | One night in Belgique »