« domestic violence | トップページ | DEN-O 14 »

2007年4月26日 (木曜日)

panchanne-03,04

第三話までの高丸雅隆に代わって、同じ共同テレビ所属の松木創という聞き慣れない名前の演出者の登板である。脚本はこれまで浦沢義雄と早野円の交替で順当に来ていて、松木初演出回が早野脚本回に当たるということで、浦沢脚本でも高丸演出でもないエピソードはこれが初めてということになる。

第二話のレビューで早野脚本にも少しだけ触れたが、比較的浦沢ノリというのは真似しやすい特徴があるので、脚本家が代わったことによる違和感というのはそれほど感じなかった。前にも言った通り、浦沢ノリをトレースしているとは言え、普通の脚本家が書くとちゃんと話に一本筋があるというだけの違いである(笑)。

その意味では、浦沢・早野が交替で初っぱな一カ月の四話を書いたことで、浦沢脚本が普通の脚本と何う違うのかが対比上わかりやすくなっているだろう。

先週の第三話は第一話に比べて浦沢脚本にエンジンが掛かっている印象で、お得意の幽霊ネタ、お馴染みの梅垣義明のゲスト出演で、不思議コメディで乗っている頃の不条理な間の幾許かが再現されていたように思う。これは、常識的な脚本術で言えば単に下手糞な作劇ということなのだが、話の背骨がボッキリ折れていて、通常の意味で謂うドラマが成立していないということである。

そのような稚拙な殴り書きのようなやる気のなさは、ロボット物の頃から視られた浦沢脚本独自の芸風なのだが、大凡「バッテンロボ丸」辺りからそれが独特の芸になってきたわけで、肩の力が抜けたいい加減さが一種のシュールな間合いを醸し出しているわけである。

普通は一本筋の通っていないダラダラしたお話を脈絡なくされたら退屈なもので、初期の浦沢脚本もその例外ではなかったのだが、何時の間にやらまったく成立していない散漫なドラマを気持ち好く見せるテクニックを確立したわけである。

第一話の無内容さを視ればわかるが、ある種気分に任せて思い附きで書いている節があるわけで、パンシャーヌ誕生を巡る段取り話のAパートは不思議少女物のルーティンで書き飛ばしているし、後半は宇宙人の家庭事情を思い附きで附け足してテキトーに間を保たせているだけである。後先を考えて計算したようなところはないし、何処が盛り上がるという話でもない。宇宙人の浪花節などナンセンスなギャグであって本気でそういう話をしようとしているわけでもない。

ただ、第一話の場合は文字通りの無内容で面白いところというのはそれほどなかったわけだが、第三話の場合、冒頭の一家団欒からして何の内容もないのに無駄に長くて異様にくだらない小ネタで笑わせる辺り、浦沢ノリも本調子というところである。

たとえばナマコに変えられた由美子が家事をするところなど、演出がくだらないと言えばその通りだが、普通にあの流れでイメージ映像をインサートするならああいう絵面にならざるを得ない。ト書きに書いてあったのだとしても「ナマコの由美子が家事をしている」と実も蓋もなく書いてあるだけだろうし、元々浦沢脚本はト書きに指定らしい指定を書かないことで識られているから、何も書いてない可能性も高い。

しかもこの場面では、ナマコに変えられて困るのが健介に離婚されることだとか娘の理沙にキモがられることだという認識なのが決定的にズレている。普通に考えれば、この場面は健介の弟の清志がパンシャーヌを捕まえる為に罠を仕掛けたということを説明する為の段取りということになるはずだが、何うでも好い寄り道の会話だけで成立していて、明らかに無駄に長い。

パンシャーヌを目の敵にする清志が「偏差値が低いポーズ」と厭味な陰口を叩いてせせら嗤う辺りの小面憎さとか、理沙が脈絡なく「ママ、気持ち悪いから声出して笑って」と不思議なツッコミを入れる辺りの呼吸とか、変にダラダラした運びの間になるのが妙に気持ち好い。

これはつまり、とりあえず何の目的もなく一家団欒の会話からダラダラ書き起こし、そのプロセスで偶々清志が口にした「パンシャーヌを捕らえる為に罠を仕掛けた」というナンセンスな小ネタを拾ってその次の展開を考えるという、窮めてアバウトな作劇と視ることも出来る。

さらにその翌朝さっさと贋パンシャーヌが捕まるという実も蓋もない展開になり、その正体が幽霊であったり、その幽霊がパンシャーヌに化けた理由がまったく必然性のないものであったり、さしたる理由もなくパンシャーヌと対決したり、ちょっとホロリとする浪花節で〆めたり、最終的な落とし所が墓場を自力で掃除する幽霊というナンセンスなギャグであったり、話の蝶番が外れているとしか言い様がない。

普通ならご町内でパンシャーヌが悪さをしているというような前フリを置いてから、パンシャーヌを追い掛けている清志が「やっぱりあいつは悪い奴だったんだ」とか言いながら莫迦丸出しのくだらない罠を仕掛けるという段取りを組みそうなものだが、全部行き当たりばったりの思い附きで繋がっている辺りが不条理なのである。

脚本の書き方から言えば、思い附きで出鱈目な話をしているわけだが、会話が繋がったり繋がらなかったりするオフビートな間で、それでもトントンとテンポ良くくだらない展開が続き、寄り道に過ぎない細部に妙に偏執的に踏み入る逸脱があり、さらに脈絡のない断絶の飛躍があるので、出鱈目というより不条理なおかしみが生起するのである。

寄り道の細部で偏執的な逸脱があるのは「ここおもしれーな」と膨らませたからで、脈絡のない断絶があるのは、その場で唐突にギャグを思い附いたからか、話の展開上そうしたほうが都合が好いからである。普通ならそこで展開上の自然さを意識するものだと思うのだが、浦沢脚本の場合は、木に竹を継いだように唐突にギャグを挟んだり、展開の都合でいきなりそういう成り行きになる。

不思議コメディでは、会話の途中で何の理由もなく唐突に誰かが怒り出して誰かを追いかけ回した挙げ句、出先で全然関係ない展開が起こってまったく無関係な話が本筋になるということが屡々あった。要するに、何も考えずに書き始めてはみたものの、その流れではおもしろくなりそうもないからいきなり目先を変えたのである。普通ならお話が成立していないのだから一から書き直すものだと思うが、浦沢脚本の場合は全編そんな調子なのだから、死に筋だからと言って書き直すのは無意味だし面倒くさいというだけの話である。

第三話など、贋パンシャーヌなら贋パンシャーヌの話で通すのが当たり前だが、この話で贋パンシャーヌが登場したのは、清志が仕掛けた罠という小ネタを拾ってその後の展開を考えたからで、全然違う奴が捕まるよりもパンシャーヌらしきものが捕まったほうが面白いからというそれだけの理由である。その正体が豆腐屋の幽霊であるということに至っては、そうでなければならない理由らしい理由など何もなく、敢えて言えば、幽霊と喰い物屋というのは浦沢脚本に頻出するキャラであるというだけの理由である。

まさかと思うが、ここで豆腐屋の幽霊を出したのはエピローグで由美子が豆腐を買って帰ることで、夕食のすき焼きから始めて朝食の味噌汁で終わらせる為の計算であると考える人がいるなら、それは深読みのしすぎだと断言してもいい(笑)。単に浦沢義雄は喰い物ネタが好きなだけなのであり、昨今では喰い物ネタと言えば井上敏樹を連想する方もあるかもしれないが、元祖喰い物ネタ作家は浦沢義雄なのだし、井上敏樹と違ってその使い方には何ら描写上の計算らしいものがない。

第一話でも神様を追い返した由美子が台所に戻ると、何事もなかったように神様と宇宙人が家族の食器で飯を喰おうとしているというマンガのようなギャグがあるが、そこで由美子が神様の願いを聞き入れるのは、自分の箸と茶碗を使われるのがイヤだったからということで、ここには描写上の計算は何もない(笑)。

浦沢脚本作品がシュールコメディと呼ばれるのはその意味で正鵠を射ていると思うのだが、観念的な思考に基づく作為を排して思い附きの自由度が最大限に活かされているのだから、その逸脱と断絶の根は個人の無意識の領域に在るわけである。それが芸として確立されているということは、暗黙知の領域のシステムとして「見せる技術」を確立しているということである。

だとすれば、浦沢義雄が熱烈な鈴木清順ファンで清順や大和屋竺に師事した脚本家であるのも当然で、方向性は違うが清順映画と同様の骨法で浦沢ノリというものが成立しているという言い方も出来るだろう。バラエティ番組の構成作家だったという出自も関係しているとは思うが、意味的側面で物を考えるストーリーテリングではなく、意味停止の発作的な笑いに勘のある作家なのである。

流石にマトモな神経の持ち主なら、ここまで出鱈目で不条理な話を当たり前のように書くことはプロの芸として難しい。第二話と第四話の早野脚本を視れば、普通のホン書きがこのようなストーリーをどのように書くものかがわかるだろう。

会話のノリやギャグの方向性、小道具の使い方など浦沢ノリをよくトレースしてはいるのだが、第二話も第四話も、予め伏線を仕込んでおいて事件を起こし、真相が解明された後に浪花節の解決がもたらされる、という整合的なストーリーがちゃんと成立しており、浦沢本人以外の脚本家にはこのようにしか書けないものである。つか、そういうふうに書くのが当たり前の脚本作法というものだろう(笑)。

たとえば先頃ようやく全話DVDの発売がスタートした「有言実行三姉妹シュシュトリアン」でも、「美少女仮面ポワトリン」以降三作続けてほぼ全話浦沢脚本だった体制を大原秀清や武上純希を加えたローテーションに戻しているが、全話浦沢が書いた作品よりもストーリーの整合性やヒーロー物的な形式性は強い。

余談に亘るが、何うもこのシュシュDVD、漸く全話リリースが開始されたのは悦ばしい限りだが、一本買って試しに視聴してみたところ、何うも本放映時に比べて画面が不自然に暗く潰れていて見づらいこと夥しい。東映ビデオ商品に関しては画質を批判されることが多いのはたしかだが、こういう暗く潰れる設定になっているのは視たことがない。

それが気になって収録エピソードを全話視てみたところ、どうやらこの暗く潰れた画質設定の目的は、シュシュの呼び物だったミニスカコスチュームがめくれた際に、アンスコがアンダー気味に潰れて目立たなくなるような設定で機械的に全体の明度を設計したからではないかと睨んでいるのだが、果たして真相は如何に(笑)。何せ東映ビデオさんは、場面に応じてレートや画質設定を操作するような細かい芸当はやらないので、多分そんなところだと思うのだが。

まあ、三姉妹全員撮影当時未成年ということを考えれば、普通ならウリにするようなパンティラをスポイルするからには、
いろいろな思惑があるのだろうし、リリースされただけでも是としよう。オレ自身は本放映時のビデオ持ってるから困らないしな(笑)。

閑話休題、パンシャーヌの話題に戻ると、おそらく脚本面のローテから考えれば全体のテイストはシュシュに近いラインになるのではないかと思う。浦沢信者から視ると半分他人が書いたシュシュはシリーズ全体の中での評価が低くなるわけだが、おそらく不思議少女のラインをポピュラーに語るとこうなるのではないかという印象があって、適当にバランスのとれた番組だったとオレは考えている。

浦沢ノリの本質というのは浦沢義雄という個人の無意識領域に根を持つ語りの芸なのだから、浦沢義雄本人が全話書く以外に「真の浦沢ノリ」とでも呼ぶべき芸は徹底されないわけだが、浦沢義雄が開拓した「不思議コメディ調」というテイストを籍りたドラマの一般的な語り口というものは在り得るわけで、シュシュ以降もシリーズが継続していたらそのツールの可能性が展開されていたのではと思うと、つくづく残念である。

パンシャーヌもまた、寧ろここまでの四話で考えれば、早野円担当回の適度に砕けた正統的ヒーロー物の骨格を保っているエピソードのほうが番組主流の語り口ではないかという印象で、どのみち浦沢義雄が全話書くわけではないのだから不思議コメディそのもののノリを期待することは出来ないだろう。

来月になれば大体のペースがわかると思うが、さらに今後大和屋暁と下山健人の執筆が予定されているので、全一三話の予定だから最終回は浦沢が書くとして、単純に頭割りで考えると一人宛三話の計算になり、通常エピソードはもう一話くらいしか書かないだろうという予測になる。来週また浦沢が書いて、大和屋か下山との交替ローテになるとすれば、浦沢七話+他三人二話宛というペースも考えられるが、何れにせよこれまでのペースで考えるなら、浦沢本人の担当回は半分強〜四分の一強という予想になる。

だとすれば、セラムン初期的なイメージのコミカルなスーパーヒロイン物に不思議少女調の味附けを施したラインに、純度の高い浦沢ノリのシュールコメディが適度に混ざるという程度のバランスの番組になるわけで、第三話や第四話を視る限り一定の番組構造が確立されているという印象を持った。

ことに第四話の松木演出など、かえって高丸演出より垢抜けていて危なげがないくらいで(笑)、共同テレビの公式サイトで視る限り、かなり最近の嬢王やクピドが代表作として挙げられているからキャリア自体はさほどではないのだろうが、非浦沢脚本回のテイストには合っているのではないかと思う。

たとえばゾンビ兄弟の過去の因縁をなんちゃって時代劇で描くという道具立て自体は過去の不思議コメディのイメージを踏襲したものだろうが、坂本太郎監督辺りだと普通にその儘撮ってしまう。ああいうふうにフィルムノイズの入ったモノトーンに仕立てて古い時代劇映画の見立てで撮るのは星護辺りのセンスだと思うのだが、浦沢っぽいけれど浦沢その儘ではない不思議少女調としては、絵面に目新しい面白みがあっていいのではないかと思う。

お金がないことによる切迫感も大分薄れてきて、ないならないなりにやるノウハウや余裕も出来てきたのではないかという印象で、第一話のあのガチャガチャした慌ただしい感じは、おそらくこの番組が何らかの事情で急遽でっち上げられた繋ぎの企画であるという経緯を物語っているのかもしれない。

第四話など、ゲスト怪人の正体が新庄家の先祖という設定になっていて、徹底的に内輪のレギュラーキャラだけで話を廻しているのが寧ろ痛快なくらい貧乏臭くてこの番組独自の味になっている。

就中今回笑ったのは、パンシャーヌが墓地でゾンビ兄と会話する場面のロケで何うやら本当に雨が降り出したらしく、墓地の場内灯が煌々と点灯しているのだが、「こんな天気ですし」というアドリブの一言で済ませている辺り、剰りにも神経が図太くて笑ってしまった。単にカメラに映るほど雨が降ってきて撮影が押しただけで、作劇的には何の意味もないのだが、その儘撮り続けて天気が悪いからウチでお話しましょうとこじつけるセンスがとても素敵である。

撮影技術が進歩しているということもあるが、大昔はこの程度の予算だと「ピンキーパンチ大逆転」のようなしょっぱいスタジオバラエティにしかならなかったのだが、それなりに独特の味のある実写ドラマになっているのが健闘している印象である。

清志役を演じるD−BOYSの人も、最初は激しいオンドゥル具合に今後何うなることやらと危ぶんだのだが、まあ一応不思議コメディに頻出する棒読み青年キャラくらいには見られるようになった。お金がないんだから、オンドゥルだろうが何だろうが働いてもらわないと困るわけで、使い方としてはこんなもんだろう。

その他のキャストに関しても、当然主婦が主人公の不思議コメディはなかったのだから機械的な比較は出来ないが、夫の健介は従来で謂えば斉木しげるや佐渡稔の演じるパパキャラ的ポジション、娘の理沙は前田利恵や内田さゆりの演じた小憎らしい美少女キャラの延長上のポジションだろうが、夫々それなりにハマってきたと思う。

何度も強調する通り、局サイドの本気度は低く、かなり劣悪な制作環境でつくられている番組ではあるが、芸風は垢抜けないけど根は真面目な高丸雅隆が頑張って基本線をつくったので、それなりに毎週楽しめる番組になっていると思う。実際、次回予告を見る度に結構本気で楽しみにしている自分に気附いて狼狽えたりするのだが(笑)、剰り声高に他人に奨められるような番組ではないとはいえ、この程度の規模で好いからコンスタントにこの線の番組をつくってくれれば、オレとしても大変有り難い。

ちょっと不満なのは、初期のパンシャーヌが取って附けたように語尾に「ですっ!」とくっつけるのが割と好きだったのだが、最近剰り出ないことくらいだなぁ(笑)。やはりキャラ立ての極意は、一〇〇の描写よりも一つの語尾だっちゃ

|

« domestic violence | トップページ | DEN-O 14 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/136645/14853851

この記事へのトラックバック一覧です: panchanne-03,04:

« domestic violence | トップページ | DEN-O 14 »