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2007年4月24日 (火曜日)

proposal

前回触れた「特急田中3号」でもPDが言及していたりして、どんだけ愛されてるんだよと思った「仮面ライダー電王」だが、今回語る「プロポーズ大作戦」も想い出の瞬間に時間遡航して過去を改変するという枠組みが電王ライクなんだなあ、みつを。

いっそのこと、テツの世界に目覚めたダメ男が憧れのマドンナに猛アタックを仕掛けるものの力及ばず、数年後マドンナと恋敵の結婚式で過去をやり直したいと強く願っていると時を遡る電車に乗って妖精さんが現れるという作品があれば完璧である。

ついでにその電車の中で酔っ払いから女の子を助けるとか痴漢に間違われるとかして女の子と仲良くなって、ネットで見知らぬ人々からアドバイスをもらって無事附き合い始めるものの結婚後その女の子は物凄い鬼嫁になり、偶然偸み視たケータイメールで女房の浮気に気附き、後を尾けて浮気相手と対決するものの二人は破局の危機に立たされるが、ネットの仲間の助言を得て愛を再確認してハッピーエンド、とかいう波瀾万丈の話になったら、いろいろな方面に対して最強である。

もうちょっと実のある話から始めればよかったかなと反省しつつ、正直言ってこんなドラマで今季二強を争える山P人気って凄いなぁとしか思わない。まあ、山下智久と長澤まさみの甘酸っぱい青春物と言われたらオレだってちょっとは観たい。

言うまでもなく「ドラゴン桜」のカップリングにプラス劇場版「タッチ」のテイストを狙っているわけだが、二人ともすでに二〇歳を過ぎているので、今後制服役からの脱皮を図っていく時期だろう。そういう意味では、主要メンバー五人のうち四人まで新社会人と高校生のちょうど中間の年齢域の役者が充てられているわけだが、一番老け顔の濱田岳が現役世代というのが笑わせてくれる(笑)。

普通にこの面子で学園物ということだったら、「まだやってんのかよ?」的な感覚だろうが、実年齢より少し上を演じる現在から下を演じる過去に遡るという仕掛けがあるので、一応のエクスキューズにはなっている。そうは言ってもあんなにでかい榮倉奈々がミニスカルーソのイケイケ女子高生を演じたりすると、変にいかがわしいことは否めないが、そもそもこの人は「危険なアネキ」で実年齢よりかなり上の役柄を演じていたので、個人的に剰り若い印象を持っていなかったということもある。

オレくらいの歳になると五、六年前というとつい最近というイメージがあるが、現役の高校生の目から視ると少しは風俗に違いがあるのだろうか。オレ自身はそのくらいの年齢でド田舎から上京して生活環境やトレンドが一変しているので、その辺の感覚についてはよくわからない。

そういう個人事情と関連して、以前「たったひとつの恋」について語った際に、この種の地縁的な若者集団の青春物には剰り興味を抱けないというような話をしたが、道具立てが違うとは言え、月九でやるとTBSとも日テレとも違って生活感の稀薄な小綺麗なイメージになる辺りが局のカラーというものかもしれない。脚本の金子茂樹は先ほど触れた危険なアネキを書いたつまんないホン書きだが、金子脚本のリアリティのないマンガ的な語り口がそのようなイメージを醸し出しているのだろうか。

どちらかと言うと月九というより火九や木一〇辺りでやりそうなネタだが、ここ最近の月九は何うもF1層狙い一辺倒ではなく、こちょこちょと対象視聴層の幅を探っているような部分もあるので、ネタの性格だけで月九らしいとからしくないということも、これだけ実験が続けば一概に言えないようにも思う。テレ朝やTBSの中途半端な枠で、もっと地味なキャストでやっていたら、それほど大した話題にならないような性格のネタだとは言えるだろう。

また、一般的に月九というともう少し大仕掛けなイメージがあるが、パッと見で言うと木一〇の「わたしたちの教科書」よりお金が懸かっていないようなミニマルな道具立てなのが、ちょっと華のない印象である。結婚式場の場面以外は、仲良し五人組を中心に据えたシンプルな学園物なので、イメージ的には「のだめカンタービレ」よりもよほど貧乏くさいイメージがある。

前作が地味な家庭劇の「東京タワー」だったということがあるので、それよりはまだしもマシな感じだが、正味華やかなのは山Pと長澤まさみのキャスティングだけで、月九的な華はないだろう。この辺りの中途半端な華のなさも危険なアネキに通底する部分があって、金子茂樹というのはまあその辺のポジションの脚本家ということなのだろう。

このように散漫な言い方になってしまうのは、個人的にこれと言って強い関心を抱いていないということもあるのだが、元々学園ドラマは好きなのでつまらないというほどつまらなくは感じないものの、どちらかハッキリしなければ殺すと迫られたら「すいません、つまらないと思います」と答えるだろう。

仕掛けで見せる性格のドラマである割には、仕掛けを詰めていないのがつまらないという印象に繋がっているのである。「OPERATION LOVE」という英語タイトルや各話のサブタイトルから考えて、各エピソード毎にケンゾーがミッションをクリアして最悪の現状に至る歴史を改変するという大枠があるはずなのだが、たとえば第一話の野球の話でも、第二話のコーヒー牛乳の話でも、ミッションそれ自体の扱いが何うでもよすぎる。

勿論、鈍感なダメ男のケンゾーが勘違いから頓珍漢な方向性で突っ走るという形式の話なのだから、課題それ自体はピントの外れた思い込みなのは構わないのだが、その時々の礼との関係性を修整する筋道の立て方が剰りに散漫にすぎる。スライドショーの写真に映し出された礼の表情の謎を解き明かすという動機附けとミッションの立て方が無関係すぎるということで、これではケンゾーの奔走がマジモンの無駄骨折りである。

普通なら、ミッションとなる課題を核に据えてそれを巡るケンゾーと礼の思惑のすれ違いとその解消を描くのが筋というものだと思うのだが、第一話の試合の決定的局面でケンゾーが何う振る舞うかということと礼の気持ちとは何の関係もないし、第二話のコーヒー牛乳に至っては完全にケンゾーの勘違いである。過去へ遡ってケンゾーが取り組む課題が徹頭徹尾何うでも好い扱いになっていて、「それはさておき」という形で本筋のラブコメが展開するので、仕掛けが仕掛けとして活きていない。

これはやはり脚本の金子茂樹の責任だと思うのだが、この種の枠組みだと、最初に設定された課題をクリアすることで状況が何う変わるのかというタイトな筋道に絞り込まないと、ただダラダラとした青春物語にしかならない。一言で言って頭の悪い作劇になっているのである。

第一話で言えば、あの決定的局面でケンゾーが打てなかったことと礼の気持ちの在り方に関連性を設けて、打ったことで何う変わったのか、無茶な走塁を敢行したことで何う変わったのか、そういう筋道で筋立てを組むのが本筋だと思うのだが、現状では殆ど何の関係もないやり取りで有耶無耶のうちに何となく納まりが附いている。

要するに、礼が別の男と結婚するという結末を識っていることでケンゾーの真剣味が変わっているから、過去のその時点とは違ったやり取りを交わしたことでちょっとだけ関係性が改善されたというだけの話になっている。写真の中の特定のイベントの時点に戻る意味も殆どないし、そこで決定的分岐点の選択肢を変更するということの意味もまったく描かれていない。

写真の中の特定のイベントの時点に戻るのは、妖精さんが提示した条件がそのようなものだからというだけの話になっていて、作劇上の重要性が何ら存在しない。その写真に写し取られたイベントにおいて、何が決定的分岐点となっていたのかという条件附けすらもまったく提示されておらず、ただ何となくもうちょっとマシなやり取りを交わすことで関係性が改善されている。

要するに、妖精さんの能力が「写真の時点に遡らせる」という限定されたものでなければ、高校時代に戻ってもっと真面目に礼と附き合っていたというだけの話になっているのが頭が悪いのである。

本来なら、互いに薄々好意を抱き合っていた間柄なのだから、ケンゾーがもっとちゃんとした男だったらあの儘礼と附き合えていたはずなのに、数々の決定的局面においてケンゾーが何らかの選択肢を間違えたから全体として関係性が悪化してしまい、他の男に礼をとられる羽目になってしまった、そんな基本認識でなければならないはずである。

ところが、現状のドラマを視る限り、ケンゾーと礼がうまくいかなかったのは決定的局面で何かを失敗したからではなく、まあこいつらだったらうまくいかなくて当たり前的な見え方になっていて、最初の最初から時間遡航して過去をやり直すことの意味が稀薄に見えてしまう。つまり、ドラマの行方を見守るモチベーションが確保出来ていないということである。

そのような印象になるのは、これまでのエピソードがすべて「ケンゾーがもっと常日頃から礼に対する気持ちを真面目にアピールしていたらよかった」という性格の筋立てに終始していて、妖精さんが「これくらいで歴史は変わらない」と言うのは、一時だけ気張ってみても無駄なことで、そのような日々を積み重ねていかないとうまくいくものではない、という意味にしか聞こえないからである。

だとすれば、特定の局面で失敗したからうまくいかなかったのではなく、ケンゾーと礼のこれまでの関係の在り方すべてがうまくいくようにはなっていなかったということが剰りにハッキリしすぎていて、仕掛けそのものの意味がないことが視聴者に見えてしまうのである。それは主人公が最終的に辿り着く認識としてはアリだろうが、最初からそのような結論が見えている枠組みなのではお話にならない。

たとえばケンゾーがスライドショーを視ながら「この打席で打っていればうまくいっていたはず」「ここでコーヒー牛乳を買えていればうまくいっていたはず」と最初から思い込んでいれば、「実はそうではなかった」「礼の思惑は別のところにあった」という仕掛けとして活きてくると思うのだが、これまでの例ではケンゾー自身が殆どその時点の記憶がなく、過去に遡行した時点でさしたる確信もなく当てずっぽうに行動しているので筋道がグダグダになってしまうのである。

このような仕掛けなら、飽くまで「この打席で打つ」という課題を果たす為に写真の時点に遡行するのが筋であって、普通なら「打っても事情は変わらない」という結末に至るまでのプロセスでケンゾーが礼の秘められた気持ちに気附くという話になるはずなのだが、現状だと「この打席で打つ」→「打ちました」→「それはさておき」という流れになっているのが頭悪すぎなのである。

写真の中の礼の表情が変わるのは、ケンゾーと礼がスタンドで交わしたやり取りの故であって、そこで一応「何故あそこで走ったのか」という疑問がきっかけで「甲子園に連れていく」という約束に触れられているわけだが、このやり取りの芯になっているのはケンゾーが無茶な走塁を敢行したことではない。ここで敗退したことで礼のマネジャー生活が終わってしまうという感慨が核に据えられていて、無謀な走塁に対しては感想程度の触れ方しかしていない。

この流れだと、ケンゾーが三振しても打って走塁していても、このやり取りの内容は大差なかったように見えてしまう。あの時に打てなかったとしても、腐っているケンゾーを慰める為に同じように礼はスタンドに現れただろうし、打っても打たなくても礼の気持ちに変化はないし、同じように約束に言及することは出来ただろうから、ケンゾーが最終打席で打ったことはこの歴史改変に関係ない。

つまり、写真の中の礼の表情が変わったことには筋道上の必然がない。これはやっぱり脚本の書き方が悪いということである。ケンゾーが無謀な走塁を敢行したことに礼が強い興味を覚えて、何故そうしたのかを確かめる為にこのやり取りが持たれた、その結果としてケンゾーが礼との約束を大事に思っていたことが伝わった、過去に言えなかったことが言えたというような見え方になっていれば、このような印象は生じなかったはずである。

現状では、何というか途中から普通に「そういう流れの話」になってしまっているのが散漫すぎるのである。ケンゾーの時間遡航によって何が変わったのかを描くべき流れなのに、時間遡航もへったくれもなく、こういう場面でありそうな触れ合いを描いているのが普通の意味で頭が悪い。こういうトリッキーな枠組みの話が書けるような頭の出来ではないということである。

同様に第二話も「コーヒー牛乳を礼に買ってあげる」→「出来ませんでした」→「それはさておき」という流れになっていて、相当頭が悪い印象を覚える。話の途中で筋立て上の課題が「誕生プレゼントに気附く」という別のことにすり替わっているのである。

さらに、「普通気附かねーぞ」とセルフツッコミは入っているが、この時の礼の謎掛けが剰りにも廻り諄いので、ケンゾーと礼がうまくいかなかったのはケンゾーが未熟だったからという話にもなっていない。

普通、貸していたCDを返されてその場で歌詞カードを確認する人間などまずもっていないし、図書館の整理コードというのは解かれる前提の謎掛けではなく普通に「暗号」である。要するに、ダイイングメッセージ物で解読するのに天才的頭脳を要するような凝った暗号を言い残す莫迦などいるわけがないというツッコミと同じである。

書き手の頭が悪いというのは、普通こういう場合の謎掛けというのは、二人の間だけで通じるような想い出を絡めて、相手にだけ気附かせる為に設定するのが当たり前なのであって、こんな誰にも通じないような回り諄い謎掛けを投げて、気附かれないことに腹を立てている女は身勝手で頭の悪い根性悪にしか見えない。

現状の描写では、礼の机の上に妙な本が乗っていたことを想い出してその蔵書コードから謎を解くという話になっているが、その書籍とこの二人の間には何の関係もないのだから、安い推理小説のノリで謎を考えている。名探偵ケンゾー様が辛くも暗号を解いてめでたく一件落着という運びになっている。

莫迦である

男と女の間の謎掛けというものが何ういうものなのかという根本的な認識が欠けているのである。普通女が男に謎を掛けるのは照れ隠しの為の一種の婉曲表現なのだし、そこにヒントとして二人の間だけの想い出を絡めたりすることで、「あなたも覚えているわよね」という期待を込めるものであり、男が謎を解くことで想い出を共有していることが確認出来て嬉しい、そういうデリカシーになるはずである。

普通に誰もわからないような回り諄い謎を掛けておいて、男が解いてくれて嬉しいというのは、おまえは怪人二十面相かよとツッコミを入れてしまう。自分の掛けた謎を男が解かなかったというそれだけで怒るというのは、普通は在り得ない。謎掛けに気附かれずに腹を立てるというのは、二人の間の想い出を大切にしていれば気附いて然るべき事柄に気附かなかったからではないのか。

こういう場合、通常なら気附いてあげられるような事柄を未熟さの故に気附けなかったとか、礼が大事に想っていた想い出をケンゾーが疎かにしていたという話になっていないと、過去に戻ってやり直す意味がない。この辺、書き手が物事の出発点となる筋道をまったく理解していないとしか言い様がないだろう。

同じように図書館の蔵書コードで謎を掛けるにしても、その書籍と二人の間に何らかの想い出があれば全然違う話になっていただろう。二人の間で想い出となっている書籍の蔵書コードが偶然誕生日と同じ数字で過去にそういうやり取りがあったとか、普通はそういう仕掛けを考えるものではないのか。「乳の話」でコーヒー牛乳と勘違いしましたというのでは、お話にも何もなりはしない。

この辺の小手先だけで話を考える心のなさには不快感すら覚える。要するに、このドラマの書き手はケンゾーと同レベルの莫迦なのである。オレの立ち回り先では、何うも礼の人物像に対して不快感を覚える人が多いようなのだが、それは劇中のキャラクターが根性悪だからというより、脚本家が莫迦だからそう見えるのだと思う。

この場面に関しては、ケンゾーがそんな謎を解けると考える根拠も必然もないのに、勝手に掛けた回り諄い謎を解けなかったから怒っているというふうに見えるから、身勝手で根性悪に見えるのである。つまり、このホンを書いた人間は、ドラマのこういう場面で女が怒るのは、相手が自分の期待通りにしてくれなかったからだと考えているということになる。

重ねて言うが、莫迦だとしか言い様がない

普通にドラマを視ていれば、女がこういう場面で怒るのは、相手と共有しているはずの想いが裏切られたからであって、謎を解けるとか解けないというのはそのプロセスにすぎないと理解していて然るべきである。そして、普通この手のドラマでこの手の男が鈍感扱いされるのは、そういうデリカシーがわかっていないからである。

ならば、謎さえ解ければ相手は怒らないはず、というのは、コーヒー牛乳を奢れば相手の機嫌が直ったはずと考えるのと同レベルで男女の機微がわかっていない。

また、このドラマのように、他の男にとられた女を取り返す為に過去に戻ってやり直すという枠組みの話の場合、作劇上ゐの一番に確認しておかねばならないのは、ケンゾーと礼は本来結婚していて然るべき間柄なのに、ケンゾーがダメな男だったからそうならなかったという話なのか、そもそもケンゾーと礼はうまくゆくはずがなく、礼にとっての運命の相手は多田だったという話なのかという、物語の出発点となるべきその前提条件である。

それは、一般的なラブコメの場合、主人公が女を奪還するのか割り込むのかというのは物語全体の性格を左右するかなり大きな問題だからである。

前者の場合、オレがダメ男だったから多田に割り込まれたが今度こそ性根を入れ替えて奪還するんだという話になるだろうし、後者の場合、無理を承知でオレが割り込んで多田から礼を奪い取るんだという話になる。この手の仕掛けの物語では、その前提条件をハッキリさせないと視聴者は落ち着かないわけだが、そこがあやふやな儘に話が進んでいくので、何だか気持ちの悪い話になっている。

たとえば「めぞん一刻」の例で言うなら、対三鷹の関係性においては五代裕作は音無響子を奪還する立場にあるわけだが、対音無惣一郎の関係性においては音無響子との間の関係に割り込む形になる。それは、現在の時制においては音無響子と五代裕作が本筋の関係性にあるが、過去の時制においては音無響子と音無惣一郎の関係性が本筋であってそれが現在の二人の間の恋愛感情の障害となっているからである。

その意味で、一人の異性を巡る三角関係を描く場合、この種の関係性を明示する作劇上の必然性があるのである。

礼が多田を選んだという現状は同じでも、それはケンゾーのダメさに原因のある非本来的な状態なのか、それとも礼と多田の結婚こそが本来的な状態であるのかで意味附けが変わってくる。前者の場合は、非本来的な現状を本来的な状態に回復する為の取り組みということになるが、後者の場合、在るべき運命をねじ曲げて非本来的な状態を招来する為の取り組みということになる。

実際には、物事の現状に本来的も非本来的もないのだが、この種の過去改変テーマの物語においては、そのような運命観を根底に置いたほうが格段にわかりやすい。現に歴史は容易く変わるものではないという認識を強調しているのだから、そこにある種の必然に裏打ちされたストーリー性を仮託することで、ケンゾーが割り込むのか多田が割り込むのかという関係性がわかりやすくなるのである。

現状の描写では、周囲の友人たちがケンゾーと礼の気持ちを察しているくらいなのだから、憎からず想い合う幼なじみの二人の間に突如多田が割り込んできたという形になるわけだし、最初に礼の「ケンゾーは何もわかってないよ」という言葉が提示されているのだから、ケンゾーの未熟さ故にうまくゆかなかった、もっといい男に取られてしまったという話にならないとおかしいわけである。

だとすれば、ケンゾーがちゃんと礼の気持ちをわかってあげていれば、今この式場で礼の隣に座っているのはケンゾーだったはず、そういう前提の物語でなければおかしいのだが、そうすると妖精さんが「歴史は容易く変わらない」と強調するのがそぐわない。

ケンゾーがちょっとばかり頑張っても多田と礼が結婚する運命が変わらないというのなら、そこに「ケンゾーと礼の間に多田が割り込んでくる」という特定のプロセスを固定しようとする歴史の圧力があるということだが、それはそういうものであって何の必然も根拠もない、ケンゾーに非があったわけでも何でもないということになってしまう。

そうすると、「何もわかってないよ」とケンゾーを非難する礼の言葉を提示する描写はまったく物語的意味がないわけで、何の必然も根拠もなくそのように運んでしまったからそうなっただけである。誰に非があったからそうなったという話でもなく、一度そうなったことは変えられないというだけの話になる。

何の必然も根拠もないことを変えようとして頑張る話には、物語的意味が読み取れないわけで、ケンゾーが過去に飛んで懸命に頑張ることに何の物語的な意味があるのか誰にもわからないということである。

ケンゾーが未熟で礼の気持ちを思い遣ってあげられなかった、その故に礼と結婚することが出来なかったという話なら、過去に戻ってやり直すことは現在のケンゾーの気附きの物語として意味はあるが、必然も根拠もなく多田が現れて礼と結婚するという成り行きは変えられないというだけなら、時間遡航に物語的な意味は一切ない。

この辺の何も考えてなさ加減が無性に気持ち悪く、腹立ちさえ覚える。

これまでのこのドラマは、上に陳べたようなこの種の枠組みで押さえておくべきポイントを悉く外していて、何も考えずにその場のその場のノリで痙攣的に筋書きを考えダイアログを書いているのである。

言い方は悪いが、後先考えずにベラベラと脈絡なくお喋りをする頭の悪い女のような作劇なのである。危険なアネキの際にも相当頭の悪い脚本だという印象を覚えたのだが、このドラマの場合は本来もっと明晰な知性の持ち主が扱うべきややこしい題材なので、よけいにその頭の悪さが際立っている印象である。

かなり強い表現になってしまうが、オレが考える金子茂樹という脚本家の欠点というのは、何がわかっていないとか何処が欠けているというような問題ではなく、脚本家として決定的に頭が悪いことだとしか言い様がない。

時間遡航という手垢の附いた枠組みでも、本当ならもっと面白いドラマが語れるはずなのであり、普通なら積み重ねの手続に則って描くべき流れの中から特定のロマンティックなシチュエーションのみを抜き出して、集中的にコンデンスされたドラマを描けるメリットはあるはずなのである。また、時間が点的にポンポン飛ぶ面白さももっと描けるはずである。

まだ二回目だから今後はわからないものの、スライドショーというものの性格上、時系列に沿って写真を並べる必要はないのだから、石蹴り遊び的に時間軸が行きつ戻りつしてもいいはずで、そこから生じる混乱や面白みというものだって描けるはずである。

現状ではそんなメリットをまったく活かしておらず、時間遡航してもダラダラとした高校生の日常が描かれるだけで、ドラマティックな盛り上げのテクニックがまったく視られない。オレが一応毎週観ているのは、メインキャストが割合好みなので何となく楽しめるからではあるが、おそらくドラマとしては今季最もダメな部類だろうと思うし、今後それが改善されることは期待出来ないだろう。

危険なアネキの執筆時にもいろいろ芳しからざる噂は聞いているが、何うもこの脚本家はまったく使えないのではないかと思う。ヤングシナリオ大賞出身者でも鳴かず飛ばずの人は大勢いるのだから、何もこんなダメな人材を重用することはない。

まあ、オレ的には今季のCXは内容的にはほぼ全滅というところである。

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