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2007年4月19日 (木曜日)

R is for RailRoad

タイトルを何と訳すべきかは正しいヲタならわかるはずである。

そういうわけでテツの話であるが、TBSの「特急田中3号」については、何というか逆境スタートという感は否めない。批判意見は腐るほど目にしたが、ドラマそれ自体を視ると「そうかぁ?」という程度にしか説得力を感じない意見が多かった。つまり、道具立てのイメージがかなり悪いので、実際以上に割を喰っているということだろう。

脚本が前季「華麗なる一族」でいろいろ言われた橋本裕志だが、あれは何う考えてもああいう重厚な題材をアニメ脚本家出身の橋本に書かせようと考えたプロデュースサイドがおかしい。アニメライターに偏見があるわけではないが、一般ドラマの作歴を視てもあの種の題材に向いていると考えるほうが間違っているだろう。

元々CXのショムニやウォーターボーイズで当たりをとった脚本家で、他局では別傾向のドラマを専ら書いており、夫々視聴率的には失敗がないようなのだが、それほどケチを附けられなかったのは、脚本家の作家性に剰り頓着しない世代層に支持された「熟年離婚」くらいではなかったかと思う。CX以外の局で書いた作品に関しては、作家的特徴もそれほど出ていないし、可もなく不可もなくというところで、別にこの人でなくてもいんじゃね?という凡庸な印象である。

本人的に何う考えているのかは識らないし、橋本裕志を起用する各局の思惑も識らないのだが、ショムニやWB的なコメディ以外の傾向の作品も幅広く書けるということをプレゼンする意味で本人的にはショーケース的な作歴になっていると思うが、視聴者視点で言うといろいろな分野でさしたる個性もない脚本を書いたヒトというだけの印象で、とくに橋本脚本のファンというのはいないのではないかと思う。

ぶっちゃけて言えば、橋本裕志という書き手には本領と言えるほどの独自のドメインはなく、本人の意識としても個々のジャンルに対する距離感には殆ど差がないのかもしれず、ショムニやWBの線も偶々そういう機会で実写へ進出したというだけなのかもしれないが、一渡り別傾向の作品で実績も積んだ今なら、独自の強みを更めて確立したほうがいいのではないかと思う。酷な言い方かもしれないが、現状の仕事の仕方では業者的な器用な職能の側面ばかりが目立って、一人の作家としての個性は感じられない。

オレ的には華麗の脚本も全体で視ればそれほど悪くなかったし、膨大な登場人物や複雑な作劇要素を無難に捌いていて仕事としては悪くなかったと思うのだが、書きながら題材に馴染んでいった嫌いは否めず、初期エピソードのほうが歴然と出来が悪い。

多彩なジャンルに意欲的に挑戦していると言えば聞こえはいいが、こういう器用貧乏的で腰の定まらない仕事の仕方をしているからいろいろ言われるんだろうなあ、という印象である。一本毎に目先を変えているのなら、悪い言い方をすれば夫々の作品が半出来のレベルということになり、そんなものを見せ続けられたら視聴者だってこの脚本家の名前にいい印象は抱かない。

おそらくこのように全方位で書けるところをアピールして、視聴者人気を狙うよりも制作側から使い勝手の好いライターと視られるような仕事の仕方をしているのは、自身の作家性を主張したがるドラマのライターというより、アニメや特撮のライターに近い業者的な仕事観だということではないかと思う。

しかし、一般ドラマのファン層においては最もわかりやすい文芸面のパーソナリティは脚本家なので、脚本家の看板というのは視聴率要素の一角を担う重要な保険の一つである。悪い言い方をすれば、アニメや特撮というのは、作業フロー内の脚本家の地位が相対的に低い分野で、書くものが多少アレでも何でも器用に書けてトラブルを起こさない使い勝手の好い書き手が重宝される部分はあるし、ぶっちゃけアニメや特撮を脚本家の名前で観るのはヲタだけだろうが、一般ドラマはそうではないのである。

番宣の場面では、脚本家が前面に出てインタビューを受け文芸面でのコンセプトを語るのだし、○○脚本作品というイメージで番組を観ている一般的なドラマファンはかなり大きな割合に上る。山田太一や倉本聰ほどの大御所でなくても、野島伸司や大森美香、北川悦吏子等々、有名脚本家の名前は視聴率の大きな保険要素となっている。

言ってみれば、比較的文芸面のステータスが低い特撮やアニメ分野の脚本家は、かなり有名な書き手でも代替えの利く業者的な扱いを受ける部分はあるので、PDや監督が仕事をしやすいと考えるライターを選ぶ傾向があり、視聴者視点ではなんでこのライターがこんなに重宝されているのか首を捻る場面もあるが、ゴールデン・プライムのメインコンテンツを担当する一般ドラマの脚本家は有名小説家的な人気商売なのである。制作サイドのほうを向くか視聴者サイドのほうを向くかで言えば、議論の余地なく視聴者人気を獲得したほうが圧倒的に得である。

多少面倒で使いづらい相手でも、名前で数字が穫れる人気脚本家が最終的に生き残るのが一般ドラマの世界なのだから、自身のパーソナリティや独自ドメインの確立よりも業者的な世渡りを優先させるような仕事ぶりなのは、老婆心ながら長い目で視て損なのではないかという気もする。

今回の田中3号は久々のハイテンションなコメディドラマということで、実写進出時点ですでに実績のあるジャンルだし、剰えプロデュースがこれまでクドカンと組んで独特のヒット作(というかテキサスヒットという感じだが)を連発してきた磯山晶ということで、あの路線のナラティブが期待されているわけである。華麗を成功させた実力を買われたということではなく、ショムニやWBのイメージでクドカン的な路線のハイテンションコメディドラマも書けることを期待されての起用だろう。

ここらで一発視聴者の印象に残るような仕事をしておかないと、ドラマシーン全般がイケイケの視聴率獲得攻勢に出た時点で、名前で数字が穫れないスター性のない一業者としてあっさりお払い箱となるおそれもある。まあよく考えてみれば、オレが赤の他人の業者さんの先行きを心配する筋合いはまったくないわけだが(笑)、一般ドラマの脚本家のポジショニング戦略として剰り上手くないのではないかと思う。

一方、この磯山晶PDについてちょっと調べてみると、ミーハーヲタ気の強い異色女性PDということで、写真を視ると仲々可愛いお姉さんだが、そもそも視聴率的に当たったドラマをつくったことがないようである。代表作のIWGPや木更津キャッツにしたところで、視聴率的には不振だったがDVD売上で爆発的に稼いだということは有名な話で、視聴率主義的なビジネスモデルで成功したPDではない。こういうスタイルで幾ら稼いでも、視聴率が共用通貨となっているTV局内では主流的な評価は得られないのではないかと思う。

こういう基礎知識で田中3号を視てみると、ある意味このようなドラマになるのは必然であったかもしれないと思う。元々磯山プロデュース作品はニッチなテーマに特化してハイテンションで個性的なナラティブを採用する傾向があるわけだから、この作品もテツというニッチを掘り下げた同傾向の作品と言えるだろう。

ウィキをみると磯山PDが今回テツをテーマに採り上げた経緯としては、

「知っとこ!」(MBS製作、TBS系)で見た餘部鉄橋と光文社新書「テツはこう乗る」(野田隆・著)を読んでからだと、磯山晶は雑誌のインタビューで答えている。

とあるが、オレ的には、これはTBSの社員PDという立場と、AD時代に余技で描いたマンガが講談社(光文社は系列企業)から刊行されたという経緯に義理立てした発言ではないかと勘繰っている。自局の番組や附き合いのあった版元の関連書籍がネタ元だということにしておけば後々の面倒もないということだろうと思うが、実際のネタ元は違うのではないと思う。

公式サイトに掲載された番組ラッピング車両お披露目会見の挨拶を視ると、

今回も『何か青春ラブコメディに足す要素がないかな?』と考えまして、近頃、電車に乗る仮面ライダーとか『鉄子の旅』というマンガが最近凄く売れている、とか、有名高級ブランドでも電車型のバッグを出したりと『どうも鉄道ブームが来るんじゃないかな…』『このドラマにも鉄道をモチーフとして使えるんじゃないかな』と考えて、企画しました。

と発言していて、まあ他局の番組である「仮面ライダー電王」の名を出したのはご愛敬だが、「鉄子の旅」は小学館の「月刊IKKI」の人気企画で、名物編集長の江上英樹が熱狂的鉄道ファンということから長期に亘り連載して人気を博したし、佐々木倫子と綾辻行人が組んだテツミステリー(鉄道ミステリーではないだろうから(笑))「月館の殺人」もそこそこ非テツ層に浸透して話題になった。

磯山PDがそろそろ鉄道ブームが来ると踏んだのであれば、自身もマンガを描いた経験があるくらいなのだから、その直接の感触はこの劇画誌の企画の反響から得られたものではないかと思う。実際、カフェバー「STATION」の内装には、「月館の殺人」からインスパイアされたような要素も視られるし(何処かを指摘するとネタバレになるので控えるが)、テツの挙動や習性の描写も参考にした節があるように思われる。

そもそも本作の鉄道ネタを監修しているのは、ウェイトレスいずみ役の豊岡真澄のマネジャー南田裕介で、その南田は「鉄子の旅」の主役である実在のトラベルライター横見浩彦とテツ仲間で、その縁で公式サイトにも横見のコラムがあるわけだが、このように極々狭い世界なのだから、IKKIのテツ系企画が発想の元になっているのはまず確実なところだろうと思う。

ただまあ、オレの個人的な意見では、ミーハー的な鉄道旅行の小ブームというのは来ないものでもないだろうが、テツ人口が爆発的に増えることだけはこれまでもこれからも在り得ないのではないかと思う。

公式サイトのメイキングでも「鉄道ファンは奥が深いので下手なことは出来ない」と表現されているが、鉄道ファンには自分が楽しいと思うことをする為に勉強しなければならないという正統的マニアとしての側面がある。しかし、オレの偏見かもしれないが、今謂う処のヲタクというのは一般に勉強しないものなのである。

一口に「好きな分野だけは無類に詳しい」と表現すると違いがないようにも見えるのだが、ヲタクというのは自分にとって快い情報だけを蒐集するものであり、知の体系というものに関心がない。若いアニメファンが、すべてのSFアニメはエヴァンゲリオンから始まったような論調で何事をも語りたがるように、手を伸ばして楽に届く範囲のものを快感原理に基づいて所有するのがヲタクというもの一般の在り方である。「勉強」というのは元々「苦しいことをする」という意味だが、ヲタクは楽しいことだけをして苦しいことなどしないものである。

一方、一般に鉄道ファンというのは体系的な知識を重視するもので、快感原理に基づいて快い情報だけを蒐集しているわけではない。鉄道を十全に理解する為にはそうしなければならないから勉強するのだし、識っていて然るべき基礎的知識体系というものが厳然としてある。そのような目標意識において本来楽しくないプロセスをも楽しめるのがテツというものである。

鉄道ファン一般が真面目でコツコツ努力するような地味な人物類型で捉えられがちなのは、鉄道それ自体が時刻表や軌道という決め事に則っているお堅いものだからというだけではなく、そもそもコツコツと真面目に勉強し、それを実体験として味わい、何らかのコレクションとして具象物にすることが醍醐味になっている趣味領域だからである。

その意味で、アニメやゲームやフィギュアのようにアバウトなフィーリングで語り得る領域ではなく、一種厳密な知識や実態に即した情報に則っていなければ成立しない趣味領域である。これは趣味としてはかなり高度な部類に入るだろうし、一般的に著名な鉄道ファンというのは知的能力の高い向学心の旺盛な人が多い。地理、歴史、機械工学、ダイアグラムに関する数学的思考等、求められる素養も多岐に亘る本格的な総合ホビージャンルである。

こういうのは今時絶対に流行らない。世界有数の勤勉な国民性を謳われた時代の日本人の好む趣味領域なのだから、そのような国民性が瓦解した現代の日本では、何うしたってハードルが高すぎるのである。

前述の「月館の殺人」も、綾辻作品の持ちパターンの一つである陰惨窮まりない連続大量殺人事件を扱っていながら、全体的な作品のトーンは佐々木倫子作品特有の長閑な調子で貫かれていて、テツの奇矯な生態描写に特化しており、最終的には一生を捧げるに足る鉄道という趣味の素晴らしさを礼賛して終わるわけだが、一読した印象としては勉強心のないパンピーには決して良さのわからない世界だろうと感じた。

勉強という本来「いやなこと、苦しいこと」を経ることで味わえる楽しさは、勉強と楽しいことを二項対立で捉えがちな今時の若い人には理解出来ないだろう。本道の学業や仕事でも勉強を強いられているのに、何が哀しくて趣味の分野でまで勉強しなければならないのか、というのがありそうな意見だろうと思う。

昔の趣味人がそれなりに敬意を払われたのは、趣味領域でも勉強や修業という苦しいプロセスがあって、そのようなコストを払わなければ十全に趣味を楽しめないという認識があったからだが、ヲタクの場合、基本的に楽しいことだけをしているからそれほど高級な趣味とは見做されないのである。殊にアキバ系のヲタクが蔑まれるのは、歪んだ性欲のようなものがモチベーションの核にあるからで、性的な快楽原理に身も蓋もなく正直に行動しているから一般人から忌避されるのである。

その意味では、テツという人種は一般的に謂うヲタクとは別種のメンタリティに則って行動しているもので、地味で古臭い趣味領域だから莫迦にされることはあっても、アキバ系のキモヲタのような意味で生理的に忌避されるというのとは大分違う。

劇中のテツ描写をアキバ系のキモヲタ的に誇張して描きすぎるのは違うだろうが、現状の描写なら許容範囲だろうと思う。若いテツということなら塚本高史のような冴えない描き方が相応だろうし、秋山竜次のキモさはヲタ的というより非モテの醜男の幼児的な見栄と本音の浅ましさという性格が強い。

要するにこの連中がキモいのは、テツという嗜好がキモいからというより、パンピーの共感を得られないニッチな趣味がコンプレックスや障害になっていながら、その年頃なりに女に飢えてがっついているからキモいのである。つまり、弱小卓球部員が女にモテようと奮闘する劇画のような「男の子ってやーね」的なキモさが主眼となっていて、テツだからキモいというのとは少し違うように思う。

だとすれば、まあこのドラマがキモいのは「男の子の下半身事情」という普遍的にキモい題材を扱っているからということになり、テツだヲタだという個別要件はそれとは別の扱いになるだろう。その辺りが今のところオレ基準では及第的認識である。

この流れでキャスティングに関して触れるなら、何うもこのPDはちょっとムサくてやんちゃで個性的なイケメンがお好みのようで、カツンの出オチ的な扱いをされがちな田中聖まで守備範囲だというのは意外だが(笑)、オレの周囲にもこの坊主のファンは割合多いから、多分PDの好みからの起用なのだと思う。ただ、流石にこれまでの作品の主演陣のような潜在的な一般人気はないだろうから、坊主の看板で客を引くのはかなり難しいかもしれない。

そもそも世の中的に、田中聖を主役の器と視ている人は殆どいないのではないかと思うのだが、正面きってイケメンで通せるような柄ではないので、マイボスにしろひと恋にしろ脇でこちょこちょイチビってるくらいで丁度味の出る人材だろうと思う。

昨年の「ダンドリ。」や前季の「ヒミツの花園」に関しても指摘したことだが、脇役の柄の役者が主役のドラマということになると、さらにその脇役をキャスティングする場合にはかなり微妙な人選となるのは理の当然で、田中聖主演のドラマのマドンナ役が栗山千明というのはかなり渋いチョイスである。

言われてみればたしかに栗山千明も、位置附け的にはかなり田中聖に近いポジションの脇役女優で、そういう意味では至極釣り合いのとれたキャスティングではあるだろう。キャッツの劇場版で一度磯山PDと組んだ縁からの起用らしい。

さらに言えば、田中の脇を固めるのが、文句なしのイケメンだが剰りに曲者イメージが強い為に脇で光るタイプの塚本高史と、ヲタ系イメージの芸人だが劇団ひとりよりは不快感の少ない芸風の秋山竜次、そして栗山の脇には、芝居はまったく出来ないが本人の柄が面白すぎる加藤ローサに、顔と芸風が怖すぎる平岩紙というのは、つまり脇役相当の役者が演じるリアリティのドラマになるということである。

しかし、磯山PDの一連の作品の流れで視るなら、若干その間の事情は一般論とは異なると言えるだろう。ダンドリやヒミツのレビューでも触れたこの「脇役相当の役者が演じるリアリティ」というのは、具体的に言うなら

・主役オーラがないと様にならない直球勝負のロマンティックは狙わない
・主役級俳優に対して要求されるようなイメージ上の気遣いが無用である

という二点に纏められるだろう。

前者はとくに説明の要はあるまいが、後者についてはストーリーラインやキャラ描写にかなり広い自由度が得られる、というか、綺麗綺麗な美男美女俳優とどれだけ違う逸脱が出来るかが勝負になるということであり、普通のトップ俳優ならやらないことをやらせられるということである。

まあ早い話が、たとえばヒロインが栗山千明でなかったら、いきなり初回から二度もパンモロで視聴者の関心を引こうとは考えないだろうということである。主役級の女優を起用していたら、ああいう道具立てを採用するにしてもパンモロ場面はダブルを使うだろうし、ダブルであることをドラマ外の広報で明言するだろう。

要するに、女優がTVドラマでパンツを見せて客を引くというのはかなりイメージがヨゴレなので、トップ女優ならそういう印象は努めて排するだろうし、そもそも最初からそんな道具立ては拒絶されるということである。

こういう言い方はアレだが、栗山千明というのは何でもやる女優である。何せあの歳で発禁になった写真集を出しているくらいだし、十代の頃の劇場映画デビュー作でいきなり全裸を披露しているのだから、パンツを見せるくらい屁とも思っていない

放映直前の王様のブランチに出演した際など、一渡りダイジェスト映像を観た谷原章介が、例の嘘臭い笑顔で「凄くインパクトのあるシーンもありましたけど…」と婉曲的に触れているのに「あ、パンチラですか?」と真顔で剛速球の即答を返して、その後誰もフォロー出来ずに逃げるように話題が変わってしまった(笑)。

一般的にああいう場面では、普通のトップ女優なら「残念ながら、あれは私じゃないんですけど」くらいのことを言って「あーなんだ違うんだー、くそー残念だなー」と谷原章介や祥太慶太が棒読みで悔しがってケリになる段取りだが、あの場の呼吸で言えば何う考えても本人が演じている前提で受けているので、ツッコミづらい。何うでも突っ込んで「台本に書いてあったのでパンツ見せましたが何か?」「パンツ見せるくらい屁とも思っていませんが何か?」という話になってしまったら、スタジオやお茶の間の空気が氷点下まで下がってしまうだろう。

まあ実際のところは同一カットで顔が映っていないのでダブルの可能性は高いが、その辺を有耶無耶にして視聴者の興味を引く辺り、トップ女優ではちょっと考えられないパターンである。阿部寛の場合なら、男のケツは笑い事で済むし阿部ちゃんのパブリックイメージはすでにヨゴレだから構わないが、女優の場合には少々事情が違うだろう。

本人が実際に演じたか何うかという問題とは別に、本人が演じていると視られても構わないという時点で見せたも同然の扱いなのである。女優の心理として、ドラマや映画で下着姿くらいまでの濡れ場を演じるのは抵抗ないだろうが、パンチラというのは男性の窃視趣味に迎合する「品のないエロ」なので、下着を見せること自体よりそういうオゲレツな道具立てで下着を見せるような下流の女優だと思われるほうが抵抗があるはずである。

女優というのは一般に「ゲージツの為ならアタシ脱ぎます」という人種なわけだが、この場合田中が照美を「オレだけのヒロイン」と目するに至る出逢いがパンモロなのは、明らかにただの客寄せである。「ゲージツの為ならアタシ脱ぎます」と「客寄せの為ならアタシパンツ見せます」の間には、女優さんの意識的には天地ほどの開きがあるだろう。はっきり言って扱い的には下北GDの脱ぎ要員と変わらない。

イメージ商売ということもあるが、俳優のステータスというのはこういう部分に気遣いがないと成立しないのも事実で、その種の気遣いが必要ない脇役相当の俳優なら、脱ぎ要員のような下流的な扱いとドラマのヒロインという上流的な扱いを折衷し得るわけである。

そういうわけで、避けては通れぬ話題だけに長々と語ったわけだが(笑)、パンモロという即物的な要素を除いても、目黒照美というキャラは、「正義感は強いが喧嘩っ早い」「興奮すると茨城弁丸出し」「仕事の上ではダメダメなドジっ娘」と、優等生的な美点は一切ないわけで、最終的にはテツ属性まで持っているということになるのであれば、位置附け的に花形辺りと何処が違うのかという話になる。普通なら、幾ら何でも主人公の憧れのヒロインにここまでのマイナス属性は設定しない。

公式サイトのキャラ相関図の人物設定を視る限り、このドラマの劇中人物でマトモなのは海東健が演じる巻田譲治くらいで、後は何かしらの意味でダメな人間ばかりである。そのダメさが捻った笑いに結び附くように夫々キャラ立てされているわけで、早い話が色物扱いである。そしてこれは、磯山PDの一連の作品一般の傾向で、主役がジャニーズ系のイケメン俳優だとしても色物的な扱いでキャラを立てる方向性で貫かれている。

つまり、これまでのプロデュース作品では、本来脇役相当の曲者役者を起用して語るような色物的な世界観に、ジャニーズの一押しタレントはじめ主流的イケメン俳優を大量投入してその役者の新生面を拓くようなコンセプトの番組が続いたわけだが、今回の田中3号に関しては、本来的な脇役キャスティングで色物的な世界観を語るわけで、筋道的には普通に戻ったという言い方も出来る(笑)。

ドラマを観た感触で言えば、主人公の田中一郎に語りの視点を固定して、田中一郎自身や彼が出逢うテツたちのキャラクターのおかしさ、テンションの高い遣り取りのテンポや空気感で引き気味の笑いをとる方向性の作劇だが、田中にしろテツにしろかなり誇張された煩瑣いキャラクターなので好き嫌いがあることは否めない。勢いだけの汚い絵柄で非イケメン主人公グループのモテたい奮闘記をハイテンションギャグで語る青年誌のオゲレツマンガに近いタッチのドラマである。

嫌いな人は全然好感が持てないタッチだろうから、第一話からまったく共感出来ない人物しか出ない物語世界なのは視聴モチベーション的にかなり辛いだろうと思う。関東地区の視聴率は一一%程度だったようだが、まあ妥当なところではないかと思う。本来磯山作品のニッチ狙いという視聴率面でのデメリットを少しでもカバーしていたのがイケメン俳優の人気なのだから、ジャニーズ所属と言ってもイケメン人気とは縁遠い田中聖の主演ではこんなもので上等の部類だろう。

イケメン役者を起用する場合でも通常の主演作のアベレージから数%下げるのが磯山作品のパターンのようだから、元々単独主演では辛いかもしれない田中聖を使うのであれば、ある程度この数字は覚悟の上ではないかと思う。

前にも語ったことだが、TV番組というのは数の論理が物を言う世界であり、そういうコンテンツを観たいと望むマッスが多いか少ないかが絶対的評価基準となる。その意味でニッチ狙いという磯山PDの方法論ではそもそも視聴率が稼げるはずがない。ニッチなテーマという極小なパイを残らず浚う為にジャニーズ俳優という極大のパイを持つ役者を配するわけだから、今回の試みはまったく保険のないチャレンジだという言い方も出来るだろう。

これまでのビジネスのように、DVDの販売やレンタルを基本に熱烈なコアファン層の獲得を狙う戦略なら、かなり世界観をつくり込んでこの世界に浸りたい、何度も観たいと思わせるようなものにしなければならないが、勝手知ったるクドカンや潜在的なパイを持っているイケメン俳優と組んでの仕事ではないだけに、これからの展開次第のリスクはあるだろう。

いろいろ寄り道しながら語ってきたが、結局おまえは一言で言って何う思ってるんだと問われるならば、何度も見返したいとは思わないが割合好感を持っている、というところだろう。

田中一郎とその周辺に視点を固定しすぎていて少々一本調子な嫌いは否めないが、まあ橋本裕志のWB的なパターンはこういう芸風なのだから仕方がない。それなりに会話のノリや間で視聴者を飽きさせない工夫はあるし、ストーリーの整合性を云々するような話ではないから、多少の逸脱もご愛敬だろう。クライマックスを照美の追跡に設定して桃山の時刻表知識で行く先を推理させる趣向も面白かった。

大金持ちのボンボンという以外にはまったく桃山を評価していなかった田中がそれに驚くと、すかさず花形が「あの子がどの駅に住んでいようが、この線路はそこにおまえを運んでくれる。鉄道は日本中すべての駅に繋がっているんだからね」と誇らしげに語る場面には妙な感動があった。

よく考えてみるまでもなくそんなに大したことは言っていないのだが(笑)、煎じ詰めれば田中を照美と結び附けるのはやはりこの何処までも続く二本の線路なのであり、鉄道の楽しみというのは、たとえば照美がこの街に住んでいることをイメージする想像力なのだろう。「その子がこの街に住んでいるんじゃないかなと考えるだけで、この駅が良い駅に思えてくる」という感覚は、何となくわかる。

そのように考えると、非テツのオレにも一瞬だけテツという異人種の感覚が理解出来るような気になってしまう。多分、この瞬間までこの連中のことを気持ち悪い変人たちだと思って引き気味の姿勢で視ていた人々も、このくだりでドラスティックに彼らとの距離感が一変したのではないかと思う。大袈裟に言えば、このように自分とは縁もゆかりもないと思っていたような人々との間に思いがけず共感が生じる瞬間こそ、ドラマを観る醍醐味なのではないかと思う。

また、個別のドラマの出来を離れても、このようなコンセプトのドラマがTBSでつくられるということそれ自体に対しても好感を覚える面がある。常々TBSドラマを腐し続けている当ブログだが、このドラマのような作品を視ると満更希望がないわけでもないと思う。

たとえば現状で日テレのドラマ、CXのドラマ、テレ朝のドラマという場合には各自時代に密着した明確な個性があり、それが各局ドラマの魅力になっているが、TBSドラマの場合にはそのような積極的意味合いでの個性に欠けるような印象がある。

全盛期の遺産である長寿コンテンツや、TBS冬の時代に何とか面目を保っていた貴島誠一郎が布いたラインくらいしかめぼしいものがなく、後はドリマックスの手癖で何となく制作しているような番組ばかりで、TBSドラマならではの面白さをちゃんと明言出来る人はいないだろう。同局の久々のヒットとなった「花より男子」を指してあれがTBSドラマ全体の方向性であるとは言えないだろうし、寧ろテレ朝辺りが得意とするような分野だろうと思う。

その意味で、非主流的なラインとはいえ、磯山PDの作品には明確な個性と魅力があると思う。今の時制においてこういう物語が語りたいとか、マジョリティではないにせよこういう物語のニーズがあるはずだという気概が見えるし、それが純愛三部作やキムタク主演作のような軽薄に流行り物に乗るヌルい企画や、世間様の関心とは乖離した頓珍漢な作品で数字を稼ごうとするような局全体の雰囲気にあって異彩を放っている。

TV番組の視聴率至上主義が肯定され得るとすれば、それは時代のマジョリティと真剣に格闘するような攻めの商売だからだと思うのだが、過去に当たった路線を継続しようとか、既に当たっている物に載っかろうというのは、その意味でTVマンとしての気概に欠ける貧しい商売の仕方だと思う。時代性を無視した変にシリアスな語り口のドラマで真面目さをアピールしても、同時代と格闘する覇気のなさとしか映らないし、現にその手のシリアスドラマでヒットが得られたためしがない。

今後鉄道ブームが来るんだか何うだかなんてオレは識らないが、少なくともTVの分野では誰も手を着けていない対象に果敢に切り込もうとか、他局にはないような独自の語り口を目指そうという気概は買うべきだろうと思うし、世間やライバル局を見据えて勝負をかけるような気概がないからTBSのドラマはダメなのだと思う。

その手の精神論でTV局経営が上手く行く保証など何もないわけだが(笑)、経営以前の問題として、ドラマジャンルでTBSが「振り向けばテレ東」などと揶揄されているのは、コンテンツメーカーとしての精神的バックボーンがないからだろう。視聴率至上主義ということでは民放一えげつない日テレにしたところで、イヤな釣り要素で視聴者に喧嘩を打って挑発するだけの気概はある。

各局には各局の問題点も勿論あるわけで、TBS以外の局のドラマが無条件に良いかと言えばそんなこともないわけだが、独自の戦略や方向性で攻めに行く積極性が視られないのでは、その闘争の土俵にも上っていないというのが本当のところだろう。そういう意味で、この番組のようなオリジナリティのある変な企画が実現する余地があるというのは、TBSも完全に死に体というわけでもないのかなと思わせる。

まあ、そこまで大風呂敷を拡げて語るほどご大層な作品かというといろいろと微妙なのだが(笑)、少なくとも「TBSらしいつまらなさ」に甘んじていないということは言えるだろうから、最後まで継続視聴してみようと思っている。

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