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2007年7月18日 (水曜日)

love love is blind

前回「莫迦ドラマ揃い」と表現した今季のドラマ群だが、やっぱりある意味で群を抜いてダントツに莫迦なのは「牛に願いを」だろうなぁと再認識した。莫迦な内容のドラマよりも莫迦が書いてるドラマのほうが数段莫迦なのは当たり前の話である。「主人公萌えの腐女子臭いドラマ」という印象は今回の第三話でフィックス。何ですか、この気持ち悪い玉鉄依怙贔屓ドラマは?

前回「依怙贔屓」と指摘した際のニュアンスとしては「玉鉄だけが立つような書き方をしている」というほどの意味だったわけだが、今回の第三話に至っては劇中事件を巡る筋道の部分ですら玉鉄を贔屓にしていて、吐き気がするほどいやらしい

あのう、グリーのお母さんが怪我したのは、小出恵介だけのせいなんですか?

小出恵介が独力で牛を牛舎に戻そうとしたのは、元はといえば玉鉄が「だったら牛を戻せるのか」と煽ったせいだし、なんで煽ったのかと言えば、自分がろくに学校に来ていなかったことを小出恵介に皮肉られてカチンと来たからで、小出恵介がなんでそんな皮肉を言ったのかと言えば、玉鉄が「お坊ちゃん、お嬢ちゃん」と他の学生たちを見下した挙げ句、小出恵介が学校で学んだ知識を莫迦にしたからだし、学校の話題が出たのは玉鉄が無責任に父親の経営方針に口を出して一蹴されたからで、さらに父親がなんで玉鉄の意見を撥ね附けたかと言えば、玉鉄が学校を辞めるだの戻るだのと半端を言って身勝手にフラフラしているからである。

オレがオヤジの立場でも、いい加減な気持ちでフラフラしてる奴の思い附きの意見なんか聞く耳持つわけがない。正しいとか間違ってるとか言う以前に、お金の絡む問題に対して意見を言うならその結果にまで責任を持つのが筋道というものだが、こいつは将来牧場を継ぐとも継がないとも決めていないのである。

さらに小出恵介の立場で言えば、一生懸命真面目に勉強している自分が甘ちゃん扱いで莫迦にされ、元々酪農家の家に生まれて経験知があるというだけで、家業を継ぐ為に進学したはずなのに、一切学校に来ないでフラフラ遊んでいただけの奴にプロ面をされたら、それは腹が立つに決まっている。

ならば玉鉄のほうに何か分があるのかと言えば、子供の頃に牛が死んだのがトラウマだとか何とか甘いコトを言って逃げていて、沈みかけた船同然の斜陽の郷里と心中したくないという身勝手を言っているだけであって、体温が低いだの熱いことが嫌いだのと少女マンガのような能書きを垂れているばかりで、妹の将来や実家の行く末にもまるで無関心、斜に構えて他人を見下した不愉快な言動には何の理もない。小出恵介が怒るのもオヤジが不愉快に感じるのも当たり前の話である。

そういう話ならそういう話で一向に構わないのであって、主人公が何うしようもないダメ人間だというドラマなど掃いて捨てるほどあるのだが、諄くも強調する通りこのドラマの気持ち悪い点は、書き手の側にそういう真っ当な認識がまったくないということなのである。そんなダメ人間が主人公なのに、周囲の人間が寄って集って主人公を贔屓にするドラマだから気持ちが悪いのである。

劇中で最もダメで傍迷惑な人間が玉鉄なのだが、誰もそんな玉鉄をダメ人間だと思っている節がなく、一番迷惑を蒙っていて反撥していた妹ですら、いつの間にか兄のことをあのダサ男がイケメンになったと好意的に視ている。母親は甘い一方だし、父親だって当たりは固いが中身は甘い雷門の岩おこしで、玉鉄に期待を掛けているのがバレバレのとんだ男ツンデレである。

普通ならこういう筋立てというのは、前半で小出恵介の好いところも見せているのだから、その自負心に挫折を設けて玉鉄の身勝手さを際立たせ、苦悩する小出恵介を視て玉鉄が「オレがあんなことを言わなければ…」「オレが見ていながら…」と後悔するというのが常道だが、そこがこのドラマのひと味違うところである。

たしかに無理をして独力で牛を追って怪我をさせた小出恵介の直接責任は否定出来ないが、「何も出来ないくせにわかったようなことを」と煽った以上、玉鉄は小出恵介に牛を扱うことなど無理だと考えていたはずである。自分には出来るが相手には無理だと考えていることを黙ってやらせるというのは、やらせたほうがやったほうよりも無責任だという話は前季の「バンビ〜ノ!」でも語ったことである。

精々玉鉄に肩入れしても小出恵介と同罪くらいが関の山だが、このドラマの凄いところは玉鉄も悪いという認識がちっともないというところである。玉鉄は自分にも応分の責任があるとは一ミリも考えず、自分が一番痍附いていますと言わぬばかりに「牛殺すようなことは絶対許されない」と他人事のように怒っている。

おまえ、その大事な牛をダシにして他人を煽ったじゃん。

さらに、普通に考えればただ視ていただけの玉鉄よりも実際に牛を追った小出恵介のほうが何倍もヘコんでいるというのは、幾ら無神経な大学生でも普通に思い附くことだろうと思うのだが、美人のお姉さんは何故か勝手にヘコんでる玉鉄のほうを心配そうに見守っているし、他の仲間たちはいきなり余所余所しく如何にも「責めてます」と言わぬばかりにハブを決め込んで小出恵介を孤立させる。自分はもっと頻繁にヘマをやらかして、その都度小出恵介に迷惑をかけたり慰められたりしていた戸田恵梨香までが憤然とシカトを決め込むのだから、「どの面提げて」と理不尽な印象を覚える。

諄いようですが、小出恵介がそんなに悪いことしましたか?

相武紗季に至っては、途中まで「小出、意外とやるじゃん、すごぉ〜い」的な目で視てませんでしたかねぇ(笑)。玉鉄なんて丸太に腰掛けてのんびり遠目に見物していただけなんだから、一頭はぐれたくらいならおまえが気附けって話ですよ。普通に考えても牛を追ってる奴は追ってるだけで手一杯なのが当たり前なんだから、手の空いてるほうの奴が隅々まで気を掛けるのは当たり前の分担だろう。

小出恵介の追い方が悪くて牛の群が暴走して、巻き込まれた牛が怪我をしたとかいうのなら話はわかるが、はぐれた牛がいきなり崖から転げ落ちて怪我をするなんてのは普通に考えたらそうそうある話ではないわけで、不幸な事故というくらいの話なのだから、大勢の人間がただボーっと視ていたのに、小出恵介に一義的に監督責任があったかのように皆が寄って集って責めるのが剰りにも理不尽である。

学生たちを「坊ちゃん、嬢ちゃん」扱いして自分はプロのような面をするなら、最終的な監督責任はその場に居合わせてすべてを視ていた玉鉄にあると考えるのが、世間一般のジョーシキというものだろう。しかし、何故か玉鉄自身の内省は疎か、玉鉄に厳しい目を注ぐオヤジすらもが玉鉄に責任ありとは一切考えないのである。

普通なら、と何度も繰り返すのは烏滸がましいが、小出恵介が「オレのせいです」と呟いたときの玉鉄のヌキは「いや、オレのほうが…」という心情芝居になるのが筋道だろうし、煽って牛を追わせた玉鉄の立場からすれば小出恵介を庇うような口振りになるのが当たり前である。しかしその後の話の流れを視ると、単に牛が怪我をしたことに逆上し「ぃよくもこのやろほ」と怒って睨み附けていただけなのである。

さらに普通なら、玉鉄本人がそう思っているのだとしたら誰か他の人間、たとえば玉鉄の上位に立つプロであるオヤジ辺りがツッコミを入れて、自分だけが悪いわけではないのに過剰に責任を感じて苦悩する小出恵介をフォローするのが常道である。

しかし、このお話では裏も表もなく小出恵介だけの責任になっていて、イヤガラセのように中田敦彦の描いた牛の親子の絵を見せたりして、これでもかとばかりに小出恵介を苛めにかかる。冷蔵庫から出した牛乳を一口呑んだ途端に牛乳の有り難みを語る克也の言葉がOLして、嗚咽する小出の姿に志望動機のナレーションが被る辺りの諄い苛め方は、最早笑い出してしまうくらいである。

もうね、このドラマで玉鉄様に逆らうと、ここまで苛められちゃうんですよ。女子ならば彼氏がいても玉鉄にポーッとなって他の女子と張り合ったりするべきなのだし、男子ならば玉鉄さえいてくれれば宇宙が軌道通りに運行すると言わぬばかりに玉鉄様を崇め奉るべきなのである。

いやはや、ここまで作劇面でも劇中世界でも玉鉄に甘い物語を見せ附けられると、逆に書き手は何か玉鉄に恨みでもあって、視聴者から玉鉄が憎まれるような書き方をしているのではとすら勘繰りたくなってくる。

今回のエピソードはたしかに小出恵介に視聴者の同情が集まるような筋立てにしているわけなのだが、冷静な書き手なら公平に視て玉鉄の斜に構えたちゃらんぽらんな態度がすべての元凶であることを明確な描写として押さえておくものである。しかし、今回の筋立てを視る限り、書き手は噛ませ犬の小出恵介がイケメン玉鉄に抱いた身の程識らずな対抗心の故に牛が怪我をしたのであって、そのせいで玉鉄が痍附いたという前提で話を進めているようにしか見えない。

たしかに幾ら何でも小出恵介を煽る玉鉄の不遜な態度が「正しい」などというニュアンスで描かれているわけではないが、それは小出恵介が玉鉄の実家や家業に対する複雑な心情を逆撫でするような聞いたふうなお題目を唱えたからという描き方になっていて、さらに小出恵介が幾ら頑張っても「その他大勢」がダメな奴等揃いなのだから「面倒みてやる」という態度になるのもしょうがないという言い訳があって、「玉鉄が悪いわけじゃないの!」という行間の文字が滲んで見えてくるようですらある。

次回は当然皆が小出恵介を呼び戻そうとする話になるわけだが、何うも公式サイトの予告を視る限りでは、玉鉄が自分の過失責任や言動の不遜さに思い至るという話になるわけではなく、リーダー役を圧し附けられてその大変さを痛感し、小出恵介を見直すという話になるようである。

今回のお話の筋道がおかしいという認識はやっぱり書き手にはないのであって、それはそれ、これはこれ、あいつはあいつなりに見所のある奴だという流れなのである。

もうこんなに何度も「普通なら」と繰り返すのはウンザリなのだが、当たり前の常識があれば、今回の事件は何から何まで玉鉄が悪いんであって、その玉鉄が小出恵介を見直すとかいう落とし所の話ではないことはわかりきっている。

牛一頭が生きるか死ぬかということの重みを問題にするのであれば、玉鉄が反省して自身の言動や生活態度の責任を自覚しないことには、責任関係に本当のケリが附かないことはわかりきっているのである。にも関わらず、すべての元凶である玉鉄が小出恵介を見直す的な話で落とすというのが剰りにも理不尽である。

これはもう、書き手が主人公を愛しすぎるとこんなにイタいという生きた見本として額縁に入れて床の間に飾りたいくらいの恥さらしである。もうね、金子ありさは玉鉄が好きで好きで仕方ないんだろう。

劇中で玉鉄が苦悩を感じるとそんな苦悩を与えた人間が悪くて、玉鉄がどんなイタい言動をとっても他人を痍附けても何かとんでもない失態をやらかしても、それは繊細でナイーブな心性の為せる業であって、非難するには値しないのだろう。金子ありさの宇宙の中心には玉山鉄二という王子様がいて、ニッコリ微笑みかけていたりするのだろう。

吐き気がするほど気持ち悪いドラマである。

これまでオレは別段玉山鉄二という俳優に好感も嫌悪も抱いていなかったし、ガオレンの当時は結構いい男だと思っていたのだが、このドラマがトラウマとなって、今後こいつの顔を視るだけで不愉快になるかもしれない。何というか、細木数子に寵愛されて調子を合わせているというだけの理由で、何の関心もない要潤に嫌悪感を抱くのに窮めて近い感覚かもしれない。

勘の好い方はとうにお察しのことかもしれないが、オレがこのドラマの話に限って一切キャラを役名で呼ぶことがないのは、こんな気持の悪いオナヌードラマの劇中世界なんか到底真に受けられないという厭味なのである。

いっそのこと、第四話で唐突にクルマが崖下に転落して女子三人組が全滅するとでもいうような流れになってくれれば、スッパリこの糞ドラマと縁が切れるのだが。

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