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2007年7月 7日 (土曜日)

well then

そんなわけで、「失はれた週末」に注力して殆どこちらのほうはほっぱらかしにしていたわけだが、後もう一回残っているので近い裡にまたこちらを空けると思うが、どちらも気長にお附き合い戴ければ幸いである。

電王への舞原参入を契機に、旧い約束を果たすべき義理合いを想い出したわけだが、まあ日乗からお附き合い戴いている方々の大部分には剰り関係のない話なので、極々個人的な都合というところである。平素ならこの時期に書いておくべき事柄も大分ネグったわけだが、今季の連続ドラマについてはそれほど何かコメントしたいというほどのものでもなかったので、ざっくりと纏めるくらいで構わないだろう。


●プロポーズ大作戦

月九の「プロポーズ大作戦」は、予想通りのオチを斜め下くらいに下方修正したラインで落ち着いたというところで、この方向性の落とし所しかないだろう。タイムスリップ物のドラマ性の決着は、過去改変によるものではなく飽くまで現在の時制における行動の結果として着けられねばならないというのは大分前に指摘した通りだし、恋愛ドラマのクライマックスにおいては追い掛ける側と追い掛けられる側の逆転が起こらねばならないというのも、常々語っている通りである。

そういう約束事以外の部分で視ると、結局何がしたかったのかサッパリわからないアタマの悪い作劇の莫迦ドラマという外はなく、道具立ての奇抜さが何一つ活きていなかった。最終回で漸く二〇%超えを達成したようだが、まああの「クロサギ」でさえ高視聴率を獲った山下智久に感謝するべきだろう(笑)。金子茂樹という名前は、よっぽど何かステップアップしたという話でもない限り、ハズレ籤だから引かないのが無難だという話である。


●セクシーボイスアンドロボ

火曜は日テレが一枠増えて興味を惹かれたが、新枠の「セクシーボイスアンドロボ」が予想以上の低視聴率や放映休止というアクシデントを受けて、俄然モチベーションが失速した感が傍目にもありありとわかるのが残念だった。木皿泉のような不思議な脚本の書き方をする人にとっては、気分の上下が出来にも如実に影響するということだろう。

土九の「野ブタ。をプロデュース」でも同じような傾向があったが、基本的に木皿泉の脚本では、普通ならエピローグに相当するパートが異様に長く、そこにドラマ的盛り上がりのアクセントを置くという独特の傾向がある。つまり、エピソードの核になる事件を手早く語り終えて、それを受けて登場人物が何を想ったか、何う変わったのかを描くことに感動を求める作劇傾向がある。

以前も語ったことだが、それは一歩間違えばセリフ主体の説明的な描写に陥る不可避的なリスクがあるわけだし、視聴者サイドの印象としては「説教臭い」と受け取られるリスクもある。木皿脚本においてそれを回避するのは、事件パートの物語性の有機的な複雑性という挿話構造であり、一種象徴主義的、もっと言えば神秘主義的な語り口によって曖昧化もしくは隠秘化された事件パートの挿話の意味性に、エピローグの直截な言葉によって切り込んでいくという関係になっているから、それほど説明的とか説教臭いとかいう印象にはならない。

それは、視聴者が生きる現実一般がそのように複雑で有機的で暗合に盈ちた隠秘的な相貌を持っているからで、変なところで繋がっていたり切れていたり、意味ありげでいながらその実整合的な意味がとりにくかったり、偶然と必然が表裏一体で解釈次第の部分があったりと、とかく世界とは曖昧で複雑で思わせぶりなものである。

それは、一言で言うなら神秘主義的・隠秘主義的な世界観だということで、木皿泉の作風については、このような神秘主義的傾向がもっと認識されてもいいのではないかと思う。表面的な意匠としても都市伝説に対する奇妙な嗜好があるわけだが、本質的なドラマツルギーの部分においても、神秘的な暗合やシンクロニシティを積極的にドラマに織り込む傾向があるわけで、野ブタ第八話の蒼井かすみのエピソードの落としどころなどは選れてオカルティックですらある。

閑話休題、木皿脚本の出来の好いエピソードだと、挿話の組み立てにおいてそのような混沌とした全体性のようなものを描出することに長けていて、それに対置する形で直截的な言葉を媒介として世界の曖昧さと格闘し意味附けていこうとする登場人物たちの生き様が長大なエピローグで語られるわけで、ここが上手く噛み合うと、何とも言えない奇妙な感動が得られたりする。

結果的にこの番組では、何うもこの劇中世界の複雑な全体性や神秘的暗合の部分で独特の味を現出することに失敗しているような印象で、それはやはり書き手のテンションもしくはモチベーションが途切れたということもあるのではないかと思う。

上述のようなセオリーらしきものが見出し得るとしても、それを実際に書く段になると「フィーリングや直感で書く」という原始的なプロセスとなる。だとすれば、他の作劇手法よりも書き手の好不調や気分に左右される部分が大きいわけで、今回ばかりはかなりの逆風が吹いたことが負の連鎖を生んだのではないかと思う。

初期エピソードの好い感じのテンションが持続していれば、低視聴率なりに内容の充実したドラマとなりファンの評価も高かったのではないかと思うが、お歯黒女辺りのエピソードから早くもテンションが下がってきて、割合挿話構造が単調な一本道に終始して狙っているドラマ的感動のレベルも低く設定されていたように思える。

後半のエピソードでは、最早木皿脚本独特の有機的な暗合の連鎖が複雑に噛み合った印象を与えず、お題に沿って適当にイベントを並べてみました的な緊密さに欠ける構造となっている。かんにん袋、うしみつ様の二話だけゲストライターが担当し、それを除く全話を木皿泉が手掛けているのも何とも不可解だが、ゲストライター回以降の木皿脚本回も最早前半のようなテンションが持続していなかったと思う。

連続ドラマとして出来を評価するなら、残念だが初期エピソードのムードが好かっただけで全体的には不出来な作品だったという評価になるのではないかと思う。

初の連ドラ主演となる大後寿々花演じるニコの人物造形も、ああいうキャラなりにもう少し可愛い見た目に出来たのではないかという憾みが残る。世の中には突飛な格好をして似合う顔とイタい顔があるわけで(笑)、大後寿々花のようにかなり現実的な顔立ちの少女があんまり派手な格好をしていると正直かなりイタい。

学校では周囲に合わせる目立たない少女を演じていて、その反動という形で「人と同じじゃイヤ」的な私服のセンスを考えたのだろうから、意図的にイタく見えるようにデザインしているのかもしれないのだが、主役なんだしTVの世界でそれほど知名度のある女優じゃないんだから、普通に可愛く見せたほうがよかったんじゃねーの、という気がしてしまう。

某所で膝下までのハイソックスが絶妙に可愛くないという意見を目にしたが、オレが識る限りでは、ああいう膝小僧を丸出しにしたハイソックスを履いて似合うのは女を廃業したオバサンか膝小僧が小さくて膝下の長い雑誌モデルだけである。大後寿々花の場合は膝下が短く膝小僧が大きいのでNG例のほうに限りなく近い。

普通に「絶対領域」を追究したニーソックスで何故いけなかったのかと思うのだが、それだとやっぱメイド喫茶になってしまうからだろうか(笑)。大後寿々花のプロポーションでニーソだと、逆算してかなり裾丈の短いミニスカやぱつぱつのショートパンツになるからこの辺で手を打ったんだろうが、ああいう柄の子が割と大胆に脚を出しているのはアリだと思うのでそっちのほうが好かったんではないだろうか。

子供が突飛なナリをしているのに、半端に露出度が低い辺りが絶望的にダサい。かなりプロポーションは異なるが、電王のハナの下車時ファッションみたいなセンスのほうがまだしも好かったと思う。

当ブログにも「大後寿々花 パンツ」の検索ワードで来訪される方が定期的にいるのでそういうニーズがあるということは事実だが、まああの年頃の女優さんがミニスカで飛び回る役柄を演じていてその下が直に生パンツということは絶対に在り得ないので、お気の毒ですが諦めてくださいとしか言い様がない(笑)。

また田舎の中学生のようなダサいお提げも、大後寿々花のひなびた顔立ちとの相性を考えるとかなり垢抜けない印象を醸し出し、ちょっと何うかと思った。学校の制服がオーセンティックな紺セーラー服ということもあって、最初はそれこそ校則で決まっているから学校であの髪型にしているだけかと思ったら、ニコが自発的に採用している髪型だとわかってかなり笑った。

要するに、個性を主張しすぎてアカラサマに野暮くなったセンスの持ち主で、自分の柄をよくわかってないイタい子ということになるわけだが、ちょっと主役の少女の造形としてそれはイケてなさすぎという気がする。

ビリング的には主役の扱いの松山ケンイチのロボに関しても、あんまりコメントしたくないというのが本当のところで、男の目から視るとちょっと魅力的なキャラではなかったと思う。立ち回り先のご婦人の感想を視ても好意的なものは少なかったから、男女問わずかなり不快感を感じるキャラ描写や演技だったのではないかと思う。

前面にフィーチャーされたプッチーニ編も、はっきり言って小林聡美と恋愛関係になるという成り行き自体にちょっと不快感があるわけで(笑)、ここでロボの恋愛ネタを扱っているわけだから、相対的に一海との絡みの重要性は薄くなるというか軽薄な女好きという印象を強調してしまうわけで、プッチーニの話が終わったらさっさと一海に戻ってくる辺り、ちょっと「どの面提げて」という気がしてしまう。

原作よりはロボのキャラにスポットは当たっているが、やはり松山ケンイチというのがそもそも違うのではないかという気がして仕方がない。ここでいろいろ名前を挙げると個人的なキャスティングごっこになってしまうので具体名は挙げないが、佇まいだけでもっと可愛げを表現出来る役者のほうが好かったのではないかと思う。ロボの見た目が妙に藤井隆に似ているという声もあるが、藤井隆のような見た目の男がヲタクだったらそれは生理的にイヤだろうさ(笑)。

とにかく全体的にツキに恵まれなかった番組という印象で、最後まで低視聴率に悩まされ内容的にも尻窄みとなって、ちょっと惜しいドラマではあった。


●鬼嫁日記 いい湯だな

多分その落胆からのギャップだと思うのだが、裏の「鬼嫁日記 いい湯だな」のほうが肩の力が抜けていて気楽に楽しめたのは意外だった。以前の予想で「鬼嫁の尾崎はダメな尾崎」と評したのだが、今回の鬼嫁は完全にバラエティ寄りに振れていて、原作ブログとの接点も殆どない別物として作られていた為に、下手に夫婦間の微妙な機微を描こうという気負いがなかったのが幸いしたのかもしれない。

銭湯という道具立てが「時間ですよ」を連想させたり、エビちゃんが手軽なエクササイズを指導する「ユリユリのワンポイントアドバイス」というバラエティコーナーがあったりと、全体的に久世光彦のドラマの線を狙っているのだろうが、まあこういう罪のないドラマも今のご時世向きではないだろうか。

鬼嫁もそうだが、今季のCXドラマは「まるまるちびまる子ちゃん」や「スリルな夜 子育ての天才」など、バラエティとドラマの接点を探る試みが多かったように感じた。この手の「なんちゃってドラマ」ばかりになってしまってもドラマ好きとしては困るのだが(笑)、下手に構えて失敗したドラマを観るよりも気楽な面白さが保証されていて、暇つぶしにはこちらのほうが向いているかもしれない。

それと関係するのか何うかはわからないが、七月季の新番組も全般にバラエティ色を前面に出した肩の凝らないものばかりで、サマーシーズンは基本的に実験的な三味線期という伝統はあるものの、ローリスク・ローリターンの「なんちゃってドラマ」台頭という有り難くない流れの到来を予感させないでもない。

まあ、新番組に関しては別項を設けて更めて語る予定であるから、この辺で。


●花嫁とパパ

その前の火九枠の「花嫁とパパ」は、段々ストーカーオヤジの暴走が控えめになってきた為にそれなりに観られる話になっていったが、元々独自要素がそれしかなかったのだから、それに応じて特徴のないオフィスラブコメになっていった感がある。大人しそうに見える田口淳之介の役どころも意外と非常識なキャラクターで、非常識人同士がご家庭内バトルを繰り広げる辺りが見どころという無難なホームドラマの側面がそこそこ悪くなかったというところだろうか。

以前コメントしたように、石原さとみの莫迦キャラ演技も方向性としては悪くないのだが、最初の頃は変に勢いを附けてサンダーバードのように大袈裟にカクカクと動くのがコメディ演技と心得ている節があって、正直かなりイタかった(笑)。その辺も中盤の展開になってからは段々普通のドラマ演技になってきたので、まあイタくはないがさして面白くもないという中途半端なところで落ち着いたと言えるだろう。

話自体はまったく面白くなかったので、ブラン娘の金田美香がセリフのある役を貰っているのが珍しいとか、佐津川愛美が中盤でいきなりいつも通りのキャラになっているのが笑えるとか、実年齢より老けたイメージの西原亜希が無理矢理フトモモを出した若作りなファッションセンスなのがかなりイタいとか、それなりに名が売れているのにちっとも映らない忍成修吾が不憫だとか、そんなところしか視ていなかった。

ちなみに、巷では宇崎家の外観の在り得ない配色にツッコミを入れる声が多いが、オレ的にはあの配色がさりげなく関テレカラーに見えて仕方なく、そのサブリミナル効果とドラマ本編の拭いようもない関テレドラマ臭の故もあって、こちらを火一〇枠だと錯覚することが多くて困った。


●バンビ〜ノ!

日テレ水一〇の「バンビ〜ノ!」に関しては、おそらく今季いちばんマトモで満足感を得られたドラマと言えるのではないかと思う。立ち回り先のブログではマツジュンを忌避する声が多くイマイチ温度が低かったのだが(笑)、オレだって別段マツジュンのファンではないし、チラ見した花男のマツジュンがかなりイタかったのでそういう気持ちはよくわかる。

オレの場合は脇の香里奈や小松彩夏という保険があるから視聴モチベーションが確保されていたわけだが、そういう動機で観ているオレでも、最終的にはマツジュンのバンビが可愛く思えてくる辺り、ドラマというのはそうでなければならないと思った。出演している役者が好きだからというのは、視聴動機を確保する段階では重要な要素だが、試聴習慣が確立された段階では、興味のなかった役者でも魅力的に見せる、共感させるというのがドラマというものの効用ではないかと思う。

フィクション作品においては、ゴリゴリの九州男児というキャラは基本的に鼻っ柱が強くてマッチョな勘違い野郎の記号となっている部分もあるが(笑)、そういう記号的な要素を丁寧に擦り落としていって、純粋な情熱を持つイマドキの普遍的な青年像を探っていく手際に危なげがない。

熱い情熱を持つ半人前坊やが現実の厳しさに打ちのめされながらも、その持ち前の頑張りで徐々に現場の兄貴分・姉貴分に受け容れられていくという何の変哲もないプロセスが、妙に嬉しく感じられた。とくに初期エピソードでは単なる出オチキャラだったほっしゃんとバンビの通い合いを描く一連については、第八話まで辛抱してタメていた甲斐があって、ほっしゃんが無愛想に一言言ってニッコリ笑うだけでちょっとホロッときてしまうという、信じられないような効果があった(笑)。

最終的にはそのバンビの頑張りが、現時点でバンビが到達すべき目標である宍戸鉄幹をも刺激して、父親代わりの進さん共々人生の幕の引き際でもう一度冒険に打って出るというのも上手い展開だし、さらに彼らの生き様に刺激されたバンビがバッカナーレを巣立っていくというのが、重層的な影響関係を描いていて興味深かった。

先述のほっしゃんの絡みもそうだが、経験の浅い若造が現場の先輩に揉まれることで成長を果たし、その頑張りを通じて先輩にも影響を与えるという、非常に健全な人間観が底流にあるわけで、何の変哲もない職業成長物語ではあっても、見応えのあるドラマとなっていた。

以前語ったように、今のご時世だと熱血お仕事物というのはイマイチお腹一杯というのが大多数の視聴者の本音のところではあるだろうが、やっぱり乗ってる岡田ドラマは変哲もない話を変哲もなく語っているように見せて、なかなか侮れないスキルがある。


●まるまるちびまる子ちゃん

木曜日に関してはCXで一枠増えて、前述の「まるまるちびまる子ちゃん」が始まったわけだが、これは夜七時というバラエティ向きの時間帯(一般に宵の口の夕飯時は若年層の視聴がメインなのでバラエティが多く、家事に一段落が附いた大人が落ち着いて観られる九時以降にドラマが来る編成が多い)であることもあって、連続ドラマと括っていいのか何うか微妙なデザインの番組である。

開始当初は二本立てのエピソードにバラエティ的な小コーナーが混ざるという程度の割合だったのだが、二本の短編に割ってはみてもやはりドラマのニーズのない時間帯だったようで、裏の人気バラエティに視聴率的には苦戦、実験コーナーや三文字しりとりなどの割合を増やしたものの、視聴率は相変わらず一〇%前後と期待値をかなり下回っているらしい。

オレ的にも、まる子が何か自堕落なことをしてそれが露見しないかハラハラするというようなパターンのエピソードはイライラするので好きではないし、まる子式の泣かせの話も生理的に嫌いなので、ドラマはイラネと思っている口である(笑)。だったらなんで観ているのかと言えば、単に素の伊藤綺夏が物凄く可愛いというそれだけの動機であることは言うまでもない。

つまり、オレとしてはこの番組を可愛い子役が主役のコスプレバラエティショーとして楽しんでいるので、ドラマとしてはまったく視ていない(笑)。めざましテレビなどで事前に放映したオーディションを視る限りでは、SP版の森迫永依と比べて全然原作マンガのイメージに似ていないので何うだろうと思ったのだが、似てるとか似てないとか言う以前に、子供としてとてもよく出来た可愛さで、「子供ってこういうところが可愛いんだよなぁ」という一般的イメージを凝縮したようなキャラである。

この天真爛漫な可愛さが、杉田何某の現役時代のように意図的に作られたキャラだったら夢も希望もないのだが(笑)、まああの当時のように情報が限られた世の中ではないのだから、そんな面白い話は残念ながらないだろう。

この際2ちゃん辺りで、伊藤綺夏が楽屋でタバコを吹かしていたとか六本木で豪遊していたとかADを土下座させたとか酒井法子に説教をカマしたとかいう都市伝説が生まれれば面白いと思うのだが、もっと面白いのは本人がブログを開設してしょこたんブログの累計アクセス数を一カ月でぶち抜くというわけのわからない事態になることだろう。まあ世の中そんなに面白いことばっかりが転がっているもんでもなかろうけどな(笑)。

欲を言えば、脇のキャラにももう少し可愛い子が揃っていれば申し分ないのだが、たまちゃん役の子はそこそこ可愛いとは言え、まる子と比べても少し稚なすぎるような気がするし、SP版では国民的な人気者だった美山加恋が演じていたのだから何うしてもランクダウンした感は否めない。

お姉ちゃんを演じている村崎真彩は「風のハルカ」で村川絵梨の少女時代を演じていたのだが、名前が何となく似ているだけではなく顔立ちも割と似ているので、かなり混乱した覚えがある(笑)。村川絵梨もセクシーボイスではお姉ちゃん役を演じていたし、ハルカも水野家の長女という設定だったので、何だかこの辺の関係についてはお姉ちゃん役がゴチャゴチャ絡み合っていてややこしい。


●わたしたちの教科書

CX木一〇の「わたしたちの教科書」については、もうすでにあちこちで語ったのでもういいかなという気もするのだが(笑)、最初の最初に気になった、主人公が司法関係者でありいじめ自殺の真相を司法の場で明らかにする物語であるという部分に対する、論点がズレているのではないかという疑問を払拭することは出来なかった。

最終話のシチュエーションに関しては、裁判劇のシーケンスと五十嵐隼士の職員室立て籠もりのシーケンスが一切リンクしていないことを指摘する声が多かったが、これはもう最初の最初からデザインが喰い違っているのだから、そもそも噛みようのない話ではあるだろう。

いじめ自殺という一事件の真相を司法の場で解明することと、いじめという問題を解決することは、本来まったくリンクしていないのである。本来事件性がない限り学校という閉鎖空間に介入出来ない司法関係者が主人公なのでは、いじめという問題の本質に切り込めるはずなどはない。当初はそれと併行して内部の協力者である加地の闘いも描かれていくのかと思ったのだが、裁判開始以前に加地は雨木サイドにあっさり取り込まれ物語の主人公ではなくなってしまった。

裁判というのは、本来は法的責任を担い得る社会人の過失責任や違法行為を裁く場であり、実態解明というのはその手段にすぎない。だとすれば積木珠子が物語の中核を担う為には、法的に責任能力のある大人を訴追するという手続が便宜上必須となるわけで、真相さえわかれば法的責任などどうでも好いというのであれば、最初から法的訴追なんかするべきではないのである。

そこで暴き出された真相が、大人の法的責任や違法行為とはまったく無関係なものであるというのは、最初からわかっているのである。いじめ自殺というのは大人が悪いから発生するのではないのだし、直接的には飽くまで子供同士の間の未熟な人間関係の歪みがもたらすものであるのは当たり前なのである。

それが裁判沙汰になるのは、その子供同士の危うい社会性が支配する場において子供たちに接する大人には、表面的には秘め隠されている子供同士の間の人間関係の拗れに気附くべき監督責任があるからで、それに気附かないことにも、気附いていて何もしないことにも、同様に重い責任を問われるからである。

だとすれば、そもそも裁判が焦点になるドラマなのであれば、気附かなかった・気附いていて何もしなかった大人たちの責任を問うのが主眼となるべきなのだが、それはいじめ問題の本質では在り得ない。いじめ問題に関しては、そのように気附かなかった・気附いていて何もしなかった大人の責任を問うことではなく、気附いて何かをしようとする大人の困難性に焦点を当てる以外に本質に迫るドラマは語り得ない。

このドラマでは、その困難性の設定を同じ大人である雨木副校長の隠蔽体質に求めたわけだがそこがすでにズレている。気附いて何かをしようとする大人の困難性とは、子供の本当の信頼を得ることの難しさ、子供の社会性の埒内に大人が分け入っていく方法論上の難しさなのであり、力を持つ大人がそれを阻むからというだけでは、最初の最初から子供同士の社会性の問題に切り込む話ではなくなってしまう。

だからこのドラマでは、いじめ問題それ自体ではなく、いじめ問題から波及する大人の都合のぶつかり合いを描くのみに留まったのである。しかも、積木珠子が裁判を闘う動機も中盤から明日香の死の真相を識りたいという性格にシフトしていって、朋美の証言はそのような珠子の動機に対して宛われた望み通りのオチであるにすぎない。

この裁判はいじめ問題それ自体の本質には一切アプローチしていないのであって、真相を識りたいと望む珠子の追究を阻む障害を設ける為に隠蔽が行われているというだけのことである。雨木副校長の隠蔽の動機も一般的な隠蔽体質の問題とは微妙にリンクしていないし珠子の訴追は真相を識りたいという動機以外の意味はまったくない。

そこが裁判劇としてもピントのズレている部分で、学園内にいじめの事実があったかなかったかを巡ってこの裁判が争われているわけだが、珠子の思惑としてその事実の有無を単に「識りたい」のか「相手に認めさせたい」のかがハッキリしていない。前者であるなら、そのような事実があったこと自体はすでに珠子は識っているわけだから裁判で争うのは無意味だし、後者であるなら、相手がその事実を認めることによって珠子の気が済むという以上の何が得られるのかというビジョンが描かれていない。

相手がいじめの事実を認めるということは、過失責任を認めるということに繋がるのだから、珠子の側に相手の責任を問う動機、相手を罰したいという動機があるということになるが、その辺が実にあやふやに描かれている為に、何を目的として闘われている裁判なのかが、一向に見えてこない。嘗てドラマで描かれた裁判劇、たとえば山崎豊子の「白い巨塔」や「華麗なる一族」などと比較しても、何を目的とした裁判なのかがこれほどあやふやな話は観たことがない。

まあ余所のブログでも言ったことだが、それでもこの番組の制作サイドが真面目なことだけは伝わってくるとは言え、真面目なら何だって許されるというモンでもあるまいとも思う。いじめ自殺という問題に関しては無関心ではいられないから一応観ていたが、まあ今後は分不相応なテーマには手を出さないで戴けると有り難い。


●生徒諸君!

同じような題材を扱ったドラマとしては、ABC金九枠の「生徒諸君!」があるわけだが、内容的にはこちらのほうが数段マシだったと言えるだろう。いじめを直接扱っていたのではなく、いじめ問題も含めて子供と大人の関係性に焦点を絞って学園ドラマを展開していたわけだが、渡邊睦月の脚本も手堅いし、実はわたしたちの教科書と同じ結論が語られているというのも興味深いところである。

わたしたちの教科書のほうでは、あっちこっちへ散々寄り道した末に漸く子供と大人の関係性の問題に到達して物語を〆たわけだが、こっちのほうは最初から最期まで一本道で子供と正面から対決する大人の在り方の問題を語っていて、語り口やコンセプトに混乱はない。

ただ、一般論としてこれがどうしようもなくつまんないドラマだということは否定出来ない(笑)。

いや、各話を視ていけばそれなりに見どころも山場もあるのだが、全体デザインに視聴者の興味を惹き附けるキャッチーな部分がまったくなく、主演女優が「とっととお嫁さんになればいい女優ナンバーワン」の内山理名というのでは、この道具立てで是非観たいと思う視聴者を探すほうが難しいだろう。

この辺はわたしたちの教科書のハッタリに一歩も二歩も譲るところだが、根が学園ドラマ好きということで、それなりに愉しく毎週観ていた(笑)。まあ内山理名というのは、そもそも生真面目な性格の故にやる気が空回りしていて傍目にイタい女優ではあるのだが、それがそのパブリックイメージまんまの熱血体当たり指導が空回りしてウザい女教師を演じるというのは観ていてかなりイタい(笑)

さらに内山理名という女優の柄的に、これまでの出演作では「無力な被害者」という役柄が多かったわけだから、このドラマの北城尚子のように行動力とバイタリティに溢れた熱血教師が生徒の抱える個別事情を解決し、周囲の無気力な大人たちに次第に影響を与えていくカリスマ的な役柄を充てるのも相当無理があるわけだが、毎週観ているとこのイタさが段々癖になっていく(笑)

演出の狙いか何うかは定かではないが、何うもこのドラマの内山理名は殊更小柄なことを強調して撮られているようでどのカットでも妙に小さく見える。北城尚子のキャラ的に大の男の羽交い締めで暴走を止められるという描写が多かったせいもあるが、顔だけ見ると小さそうな堀北真希よりもさらに小さく、同僚の女性教師がかなり長身の上原美佐なので、地上最大のタキシード仮面の城田優やイマドキの男子生徒と並ぶとまるで小学生である。

公称で一五七センチということだから実際かなり小柄なのだとは思うが、今までの出演作を観ていてここまで小さいとは意識しなかった。何が言いたいのかと言うと、変に小さくて嘘臭いほど大袈裟に元気な姉ちゃんが、割とダウナーな雰囲気の世界観の中では異様に浮いて見えるということである(笑)。

この異様に浮いた感じというのは、見た目が妙に小さいとか芝居が嘘臭いということもあるのだが、これまでの内山理名のイメージとは打って替わって活発なイメージのミニワンピースやショートパンツ、ピッタリしたジャージ姿が多いというファッションの微妙さ加減も手伝っていて、更めて見ると小柄な割に結構ケツがでかくて女性的な体型をしている為に、衣裳の方向性の割にはそれほど活発に見えないという辺りも絶妙な無理矢理感を醸し出している。

普通パッと見て、こんなイタい姉ちゃんの激しく空回りした行動で、生徒たちが抱えている割合リアルな個別事情が解決出来るわけがないという第一印象を覚えるわけだが、そこは彼女が主役のドラマなのだから解決しないわけがないのであって、その辺の無理矢理さ加減を脚本や演出が説得力を持たせて描いているのが、屈折した面白さを醸し出している(笑)。

まあ、話のツクリだけを見ればかなりオーセンティックな学園物なのに、主演嬢が内山理名であるというだけで相当ゲテモノ臭が漂ってくるわけだが(笑)、一般論としては真面目に頑張っているというだけで剰り面白くないはずのドラマが屈折した意味で楽しめたのは拾い物だったと言えるが、まあそんなのはオレくらいだろう。


●特急田中3号

金曜に見ていたのはもう一本、「特急田中3号」だが、マイナードラマ好きな人々の間ではかなり好評だったようで、オレも割合好きなドラマで以前も好意的な評を書いた。本人的にはおそらくそんな意識はないのかもしれないが、脚本の橋本裕志の最もウリになる資質とは、厭味のない「いい奴」を書ける部分なのではないかと思う。

ウォーターボーイズもそうだったが、基本的にねじくれ曲がったイヤな奴が出てこない世界観でどんな人物もそれなりに好感を持って書けるというのは、それが出来ない書き手も多いのだから一つのアドバンテージになるのではないかと思う。

ドラマの内容的にはそれほどの癖玉ではなかったから掘り下げて書くようなことでもないだろうが、基本的にこのドラマには善人しか出てこない。そういう世界観が甘く見える人もいるのだろうが、渡る世間に鬼はなしというのも一面の真理ではある。悪い奴が一人も出てこなくても、やっぱり人間が生きていくのはなかなか難しいもんだよね、という辺りが安心して観られるところである。

恋愛ドラマとしては、最初の最初から三対三の決め撃ちカップリングで、田中と照美以外はすんなりカップルが成立していて、田舎の合コンじゃないんだからそういうのも気持ち悪いなと思っていたのだが、田中以外は恋愛関係が成立するまでの紆余曲折を描くのではなく、普通の若者同士の交際の深まりを描いているのが実直で好感が持てた。

正直言って栗山千明のパンモロさえ観られたらとっとと視聴を打ち切る腹づもりだったのだが(笑)、好みの役者が出ていなくても夫々のキャラが可愛いのでついつい毎週観てしまった。ことに特ヲタの間ではアギトの怖い姉ちゃん・関谷真澄役で識られる心霊写真女優の平岩紙が意外と可愛げのある役柄で出ていたのは新鮮だった。大人計画のほうの芝居ではおぼこな役もこなすとは聞いていたが、TVドラマでこれほど癖のない役を演じたのは殆ど初めてではないだろうか。

最初は心霊写真を宛われた塚本高史は芸達者なだけに貧乏籤だと思ったのだが、段々平岩紙が可愛く見えてくるのが自分でも気持ち悪かった(笑)。ウィキで見ると「肌の色が紙のように白いから」名付けられた芸名だということなのだが、言われてみればチークがグリグリに濃いおてもやん系のメイクになっているのがけっこう笑える。

栗山千明も血腥い役ばっかり演じているし、加藤ローサも「役者魂」以降は行き過ぎた芸風でキャラ立てしていくようで、気が附いてみればこのドラマの女優陣は脇の大河内奈々子も含めてみんな何かしらの意味で怖い役柄を得意とする人ばかりで、そういう怖い柄の女優が割合可愛いげのある等身大の役柄を演じるという辺りのギャップが面白いわけだが、誰の趣味でこんなに怖い女優が揃ったのかが不思議である。

従来の磯山プロデュース作品と違って、主演の田中聖に固定のファン層が附いているか何うか微妙だから、視聴率的に不振でもDVD売上で稼ぐというのは正直危ういとは思うのだが、この題材に抵抗を持たずに視聴し続けた視聴者にはある程度の満足感が得られたドラマであることは間違いない。

七月季CXの「牛に願いを」などもこの系統の作品だと思うのだが、こちらのほうは第一話を観た時点では夫々のキャラが過剰に厭味なのと、北海道経済のお寒い現状を正面に立てているのが、ちょっと道具立てとして重いのではという印象を受けた。

北海道出身ということもあるのだから、こういうじゃじゃグル的な世界観のドラマこそ橋本裕志に書かせれば好いのにと思った。こういう題材に「サプリ」の金子ありさを充てるのはちょっと違うんじゃないかと思うのだが、ちょっと前に金子ありさが手掛けた単発ドラマ「星に願いを」の楽屋オチという理由だったら脱力する(笑)。


●帰ってきた時効警察

次は当然「帰ってきた時効警察」となるわけで、今季視聴者満足度ナンバーワンということなのだが、オレ的には三木聡演出回以外はさほどピンと来なかったというのが本当のところである。これがミステリードラマではまったくないのは前季の経験でわかっているので(笑)、そういう意味で難癖を附ける気はさらさらないのだが、まあこの番組は脚本・演出によってかなり笑いの方向性が変わってくるし、元々そういうバラエティの振れ幅がウリの番組である。

メインの三木聡は近年では映画監督としての活躍が目立つが元は放送作家、園子温は映画監督、ケラリーノ・サンドロヴィッチは下北小劇団演劇、トム・ジョンイルことオダギリジョーは俳優と、夫々畑の違う人材が脚本・演出を担当し、緩い約束事の中で割合自由に独自のギャグセンスに基づいた作品を競作するというのが前シリーズからのコンセプトだから、脚本・演出によってかなり好みが別れるだろう。

前シリーズから園子音の回は安い七〇年代邦画のパチモンみたいでつまらないと思っていたのだが、ケラの回も攻撃的なネタが多くて不快感を感じた。識り合いに聞いてみたら、小劇団演劇の系統には、アングラ演劇から続くような観客に不快感や無意味な苦痛を強いる方向性のものもあるから、その種の芸風に由来するのではないかという話だった。ケラの本業のほうにはまったく興味はないので、本当にそういうものなのか何うかは識らないが、視聴者の神経を故意に逆撫ですることを狙ったネタが多かったことは事実である。

また、第一シリーズ、第二シリーズとも第五、七話に専業ライター・専業演出家が手掛けるエピソードを置き、第六話を園子温が担当し、第八話をゲスト的な人材が担当して最終話を三木聡が〆るという対称的な配置が視られるが、第二シリーズでは前述の通り主演のオダギリジョーがゲストだったわけで、これは事前の予想よりは悪くなかった。

このエピソードのサブタイトルは「今回、三日月が大活躍する理由は深く探らない方がいいのだ!」ということで、まあ普通に考えればその「理由」というのはオダジョが監督しているからなのだが、もっと大枠の話をすれば、第二シリーズ全体の構成として三日月にスポットを当てたデザインになっているからという言い方も出来る。逆に言えば三日月のキャラを立てるシリーズだから主役の霧山が不在のエピソードも可能となるわけで、これもどちらが原因でどちらが結果であるかはよくわからない。

まず第二シリーズからの新規レギュラーとして小出早織の真加出が加わるわけだが、これは三日月の噛ませ犬役というか、寧ろ三日月を噛ませ犬化する為の仕掛けになっているわけで(笑)、何故か周囲の人間はこれほどアカラサマにアプローチしている三日月の態度をまったく無視して、ブラザーな恋人がいる新人の真加出と霧山がイイ感じであるかのように無責任に囃し立て、霧山も真加出もそのように囃されることが満更でもないような態度をとる。テレ朝公式サイトの真加出の日記を読むと、あろうことは真加出は霧山のことを「霧山さんのような方が彼氏だったら素敵だろうな」とか真顔で言っていて、相当アタマの温かいキャラと設定されているわけである。

さらにはケラ担当の第四話ではラブコメ王道の「彼氏のフリをしてください」ネタが臆面もなく用いられて三日月をやきもきさせるわけだが、この脇筋もさりながらこのエピソードは三日月のキャラを徹底して攻撃的に貶める話で、中学時代は喰い意地の張った不細工なデブだったとかしょっちゅうブーブー屁ぇこいていたとか、催眠術に懸かっていたとは言えハタから視たら妄想狂にしか見えない言動をとるとか、とにかく若手美人女優というポジションの麻生久美子が演じる役柄のアイドルっぽさをグロテスクなまでに貶める。

そもそも第一話冒頭からして、三日月は引っ越し先のベランダで昼日中から霧山の幻覚を視るという有様で、これは完全に病的なストーカーという扱いである。さらに、第一シリーズでも三日月が霧山の趣味に附き合う代償としてイタリアンを要求していたのだが、これはオサレな店で霧山とデートしたいという意味であって、別段大食漢というような意味附けはなかったのに、第二シリーズの三日月は病的なまでの大食漢で、給料日に出前の「満漢全席」を平らげるなど、異常な行動が目立つ変人キャラとなっている。

また、第一シリーズとは違う第二シリーズ全体の括りとして「犯人役が全員女性」という決め事があるわけだが、これも霧山とゲストとのマッチングで芝居が組み立てられていた第一シリーズとは違って、三日月とのマッチングを前提に芝居が組み立てられていたように思う。勿論、犯人と三日月が直接対決する作劇になっているのではなく、犯人役の女性が何故かいつも霧山にモーションをかける、もしくはそのようにとれる態度をとるという形で、嫉妬に駆られた三日月の異常な言動を強調するような作劇になっていたわけである。

元々そういうコンセプトでシリーズ構成が設計されていたのか、それともどんどんエスカレートしていったのかは定かではないが、各クリエイターへの発注の具体を考えると元からそのような構成を考えていたのだろうと思う。

そのようにして霧山をダシにどんどん三日月のキャラをいじっていって、最終話の三木聡担当回ではとって附けたように三日月の元カレを登場させ、ラブコメの型通りに結婚や渡米を誘わせておき、三日月と霧山のしょーもない痴話喧嘩や、犯人との対決場面で霧山のピンチ(あれがピンチと言えるならだが(笑))を颯爽と騎馬で駆け附けた三日月が救うという視聴者をナメ切った山場を経て、霧山と三日月の関係は雨降って地固まる式の大団円になる。

当て馬の真加出の扱いも窮めていい加減なもので、番組の大ラスで主の入った壺に霧山が水を入れた為に天井にぽっかりと穴が空き、それを視た総武署員一堂が口々に霧山を罵る中で真加出までが「霧山さんにはガッカリです」とかドサクサ紛れに言っていて、これからも三日月と二人三脚の時効捜査が続くことを匂わせて番組は終わる。もしも第三シリーズが在り得るとして(というか止める理由がないのであるんだろうけど)、いきなり真加出がいなくなっていても、誰も驚かないだろう(笑)。

これまで小出早織については「銭形雷」のヒトという印象しかなく、それも「銭形一族の柄じゃねーだろ」と思っていたので雷は未見なのだが、徹底的に便利に使われた当て馬キャラとは言え、真加出のキャラはかなり面白可愛かったので、割合お得な役だったと言えるだろう。

そういう意味で第二シリーズを一言で括れば女優陣の競演が見どころのシリーズということになるだろうと思うが、元々回を重ねることでアイディアが磨り減るようなコンセプトの番組でもないので、夫々のシリーズ毎にテーマを変えればマイペースでいつまでも続けられるわけで、テレ朝も美味しいコンテンツの鉱脈を掴んだと言えるだろう。

前述のように、シリーズ単体で視れば夫々のクリエイターが自分の色を前面に出して自由に各話のテイストを演出しているわけで、他のクリエイターの世界観とは一種の断絶があるわけだが、時効関係者という人材的な枠組みが決まってくれば、「今回のシリーズの園子温は、ケラはどんな感じだろう」というような連続的な興味が持てるわけで、シリーズ単位で各クリエイター毎の連続性の感覚が出て来るわけである。

まあオレとしては熱狂的に好きというほどでもないが、それなりに満足出来るシリーズという意味で定期的に続けて欲しい番組だと思う。


●スリルな夜 子育ての天才

時効警察と少し被るので裏録して時々固めて観ていたのだが、言うまでもなく美山加恋目当てということで納得して戴くしかない(笑)。これもまる子と並んでドラマ扱いするのは微妙なのだが、折角観ていたので少しだけ触れる。

多分ドラマファンは誰も観ていなかったのではないかと思うが(笑)、頭とお尻に出演者によるMCとちょっとしたコントが入っているだけで、本編の大部分は一応ドラマ仕立てになっている。後番組のイケメン合衆国は純然たるスタジオバラエティなので注意が必要だが、子育ての天才編では、出演者たちが雛壇に並んで撮影を振り返ったり木っ端芸人を呼んでいじったりする程度で、メインは普通にドラマ形式である。

このドラマ部分がまた、深夜枠という性格を活かして悪趣味で不謹慎な心のないネタのテンコ盛りになっていて(笑)、三組くらいのご町内の家庭を舞台にしてツインピークスのようにサスペンスフルな複数のシーケンスが無闇矢鱈に同時進行で連続するというスラップスティックとなっている。

これはもう完全にネタと割り切って、複雑怪奇な不倫関係だの援助交際だの同性愛のリストカッターだのシングルマザーだの整形ババァだのキッチンドリンカーだの陰湿な嫁いびりだのストーカー行為だの一家心中だの少女誘拐殺人だの悪徳警官の犯罪だのというセンセーショナルなネタを矢継ぎ早に畳み掛ける構成となっていて、結局物語内の家庭は最終的には崩壊して、なるようになって終わるのだが、その一方で、本物の犯罪者や悪人は公正に罰されて終わるという辺りが、良い具合のバランスの番組であった。

まあ、このくらい心のないバッドテイストに徹しているなら、下手に真面目な大義名分を掲げていないだけにいっそ清々しいくらい悪趣味である(笑)。深夜番組ならではのブラックユーモアという意味では、分を弁えた番組だったと言えるだろう。心のないネタの扱い方というのは、これでけっこうセンスやTPOの感覚が必要なものなのである。

そういう意味で割合愉しく観ていたのだが、原田泰造がドラマに出ていると不愉快なのにゴリなら許せるのは何ういう違いがあるのかよくわからなかった(笑)。まあ、この番組に限って言えばスラップスティックなのがわかりきっているので、泰造が出ていても不愉快ではなかったが(笑)。

因みにこの番組にもわたしたちの教科書で兼良を演じた冨浦智嗣が出ていて、こちらはハッキリと性同一性障害というか同性愛に悩む少年役を演じているが、やっぱりこの子はそういう役でないとあの変な声の意味を考え込んでしまうよな(笑)。


●ライアーゲーム

鳴り物入りで新設されたCX深夜ドラマ枠の第一弾は劇画原作の「ライアーゲーム」ということで、勿論オレは原作など読んではいない(笑)。誰でも考えるのはデスノのヒットでこの手の頭脳戦バトルのニーズが確認され、その流れで出て来た企画だろうということなのだが、日テレと並んで劇画原作物に強いCXのことだから、TBSのクロサギのような勘違いした出来にはなっていない。

この作品のトリックというのはタイトル通り知的ゲームの側面が強く、デスノもそうだが、映像作品の分野ではそういうわかりにくい理屈をどうやって視聴者に一発で理解させるかがキモとなる。

デスノの場合は普遍的な心理戦や各局面における具体的な行動シミュレーションが主体なので何となくわかったような気にさえさせれば好いわけだが、ライアーゲームの場合はオリジナルに発想されたゲームのルールという個別条件を理解させた上で、その盲点を合理的にかいくぐるというところがハードルが高いわけで、実際ちょっとした計算をしないと理解出来ないことが多く、剰り映像作品向きの題材だとは言えないだろう。

主宰者側から与えられた手持ち資金とペナルティ、トレード可能な独自通貨、勝ち残り条件と個人的な損得勘定などという窮めて厳密に定式化された世界で、独自の決め事と普遍的な一般則の狭間を探りながら相手の裏を掻くというのが直観的にわかりにくく、まあ主人公がそう言ってるんだから多分ちゃんと計算するとそうなるんだろうし、納得するしかないというのが本音のところである。

フクナガが仕掛けたイカサマカードゲームなどは単純な確率計算で出て来るから直観的にわかりやすいが、密輸ゲームくらいになると考えるだけ疲れるのでそういうモンだということにして観るしかない(笑)。一応、CGなども使いながらバラエティ形式で解説コーナーが設けられているのだが、それを咀嚼してトリックを予想しようという気にならないことはたしかである(笑)。

さらに、概念的なルール要件と具体的なプレイング条件の兼ね合いというのも考え出すとややこしく、密輸ゲームの透視能力のトリックや銀行カードとのアナロジーというのも、いざタネを割られるとストーリーテリング上アンフェアな印象を覚えるが、そこがこの作品のゲーム性の醍醐味だという言い方も出来る。推理を楽しむというよりも、そういうオリジナルなゲームを実際にプレイしたら何うなるか、という知的な想像力に基づいた意外性を楽しむ作品だということである。

ただまあ、そういう知的バトルの部分に関してはオプション扱いで、寧ろこういうややこしい局面を鮮やかに覆して勝利を約束する無敵の主人公の格好良さを思い切ってダイナミックに演出している部分がこのドラマのヒットの要因だろう。

デスノのヒットも知的で複雑なトリックや推理のプロセスがウケたというより、そういうクールで知的なバトルで無敵の活躍ぶりを見せ附ける超頭脳派の主人公および好敵手というキャラクター像がウケたという側面は見逃せない。

ゲーム会場のサイバーパンクなセットデザインや、敵役の誇張された憎々しさ、嘘吐きがネタを割る場面でのマンガ的な画面効果、こういう騒々しい世界観の中で、主人公の秋山深一は飽くまでクールに振る舞い、常に相手の一歩先を行って鮮やかに劣勢を巻き返す、そういうヒーロー像が単純に格好良いということである。

従来は二言目には「こまけー理屈なんてわかんねーけどよ」と嘯く体育会系の暑苦しい熱血漢ばかりが主人公を張るDQNなジャンルだった男性マンガの世界において、クールで知的なヒーロー像がニッチとしてあったわけである。

実際、物語の体裁上の問題を離れてファンダムの反応を視るなら、かなり昔から熱血漢タイプの主人公よりも知将格のクールな美形が人気を獲得する傾向が定着していたわけで、単に野蛮な殴り合いや殺し合いを題材とする物語において、あんまりアタマの良いキャラを主人公に据えると小憎らしく見えるから二番手くらいの参謀格に据えるというジャンル固有のキャラ設計上の約束事があっただけの話である。

ゲームやトリックの複雑さというのは、そういう知的な主人公像が「なんちゃって」ではないことを保証する為のアリバイという側面もあり、まあぶっちゃけアフォにでも指摘可能な穴さえなければ理解出来なくても構わないという言い方も出来る。

さらに嘘吐き揃いのプレイヤーの中に読者よりもかなり頭の働きが鈍い馬鹿正直な神崎直を主人公として放り込み、細かい理屈が呑み込めず「オレってアフォなのか」とヘコみかけると、神崎直がそれを上回るアフォぶりを発揮して読者の知的なプライドを立て直してくれるというフォローがある。

これを女性視点で視れば、神崎直という第一の主人公は馬鹿正直で心が純粋だという以外は何の取り柄もない平凡な少女で、ライアーゲームという知的バトルにおいては最弱者の立場にあるわけだが、そこに惹かれた格好良い知将格の万能のヒーローが颯爽たるナイト役を演じて、どんな困難も何とか切り抜けてくれるという夢のように都合の好いお話なのである。

さらにはドラマ版の独自展開で言えば、そのような万能のヒーローさえも解決困難な危機的状況(と言っても神崎直の自業自得で陥ったピンチだが)において、彼女の影響力が事態を動かして最善の解決をもたらすわけで、結果的に言えば小賢しい知的バトルの才能よりも心映えの美しさが上位に位置附けられているわけである。

その意味で、男女問わず入れ込めるキャラクタードラマとしてよく出来ていると言えるだろう。ただ、熱血漢が悪人をぶっ飛ばす単純明快な系統のバトル物と比べて、この種の知的バトルというのは勢いに任せて量産するというわけにはいかない、つまりネタの仕込みに手間と元手がかかるという難点がある。

デスノもあれほど練り込んだ話が、ウケませんでした打ち切りですということになっていたら、格闘バトル系統のマンガよりも無駄になる手間が多いわけで、そういう意味ではデスノのヒットでこの種のジャンルにもチャレンジする価値があることが証明された意義は大きいだろう。

コンビニでパラパラ原作最新巻を立ち読みした範囲では、週刊連載ではじりじりしてストレスを覚えるようなペースになっているが、ドラマのほうは思い切って各話で必ず山場に決着を附けてストレスとカタルシスのサイクルを早く設定しているのも、安心して観られる番組デザインだと言えるだろう。

ただまあ、欲を言えば設定上無闇に多い登場人物が単なるガヤの扱いになっていて、意外に面白い役者、殊に特ヲタにはお馴染みの顔ぶれががたくさん出ている割には群像ドラマでも何でもないという辺りが喰い足りないのだが、第二回戦以降の筋立てを群像ドラマでやられたらとてもワンクールでは終わらないという都合もある(笑)。

それと、物語の性格上キノコだのチビキノコだのといった不快感の強い強烈なキャラが毎回大芝居を演じるというのも癖が強いと思うのだが、そもそも二回見返すような性質のドラマでもないのだからまあいいかというところである。

それよりもっと不満だったのは、何を調子に乗ったのか最終回をゴールデンの時間帯から三時間ぶっ通しでやるという編成で、しかもその大半がこれまでのエピソードの総集編というのでは、剰りにも乗り遅れ組を取り込もうという色気がアカラサマで、毎回録画して保存している人間にとっては最終回が邪魔くさくて仕方がない。

総集編パートと新撮パートがハッキリ別れてでもいればバッサリ編集するという選択もあるのだが、要所要所で新撮の北大路欣也のくだりが挿入されこれまでを回顧するという構成になっていて、既存素材を一々編集するのも面倒である。

事前の予想では調子に乗りすぎて数字を落とすだろう、バラエティならともかくドラマを三時間集中して観る視聴者なんかいるかよ、そもそも枠が繰り上がるんでは試聴習慣的に不利じゃないか、という読みだったのだが、意外にもデータ上では最高平均視聴率をマークしたらしい。

なんで?と思ったのだが、これは必ず下げると予想したオレのほうが莫迦で、そもそもこの番組の数字が良いというのは深夜枠基準だからであって、まあたとえばゴールデンでもわたしたちの教科書や生徒諸君などはこの番組や時効警察よりも数字が低いわけだが、当たり前に考えれば一回限り話題の番組の最終回がゴールデンにはみ出すわけであるから、それが総集編ならゴールデンのほうが視聴層のパイは大きいので、それなりに数字を見込める理屈である。

他に数字の穫れるコンテンツを用意していたわけでもない時期に、こういう小賢しい編成上の戦略で平均視聴率の底上げを狙うというのは、如何にもこの番組らしい数字のトリックだったわけである(笑)。

具体的には平均視聴率一三・六%ということだから、おそらくゴールデン・プライムの時間帯では一五%前後出ていたということだろう。今のご時世ではそのくらい穫れれば御の字とも言えるが、結果的にこの番組はゴールデン・プライム換算で今季一五%前後の数字が穫れていたコンテンツであるという可能性を示したわけである。

そういう意味では、番組の内外で化かし合いを楽しむ番組だったわけで、更めて視ると今季のドラマの中では意欲作だったという言い方が出来るだろう。

そういうわけで、やってみるとやっぱりそれなりに長くなったが、全体に小粒で企画面でも面白みを感じる番組が少なく、これが本当に四月季の連続ドラマなのかと目を疑うような三カ月だった。新番組に期待しようにも、七月季の番組に各局が力瘤を入れてくるはずもなく、まあここまでの流れで言えばドラマ的には不作な一年と言えるのではないかと思う。

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コメント

何か忘れているとは思ったのだが、そう言えば日テレ土九の「喰いタン2」とTBS日曜劇場の「冗談じゃない!」も一応観ていたのだった。まあ、ほどほどの大物が出ているという以外にはそれほど注目に値する番組でもなかったから、細かい話をする必要もないと思うが、どちらも脚本は伴一彦で、ゴールデンのレギュラーを別々の局で二本掛け持ちするというのがけっこう凄い。

どちらも意外とそこそこ面白いドラマだったが、さすがは大ベテランだけあって、その「そこそこ」レベルの面白さをちゃんと保証出来るのが腕というものである。殊に喰いタンのほうは、初回SPはどうしようかと思うくらいつまんなかったが(笑)、エンジンが掛かってくるとそれなりにホームズエージェンシーファミリーの独得のノリで、ミステリ的にはお話にならないエピソードをそれなりに楽しく見せてしまう。

冗談のほうは、やはり年の差夫婦の過去に年の差カップルの話があるというのが設定的に諄いし、剰え「親子丼」ネタを大竹しのぶが演じるというのがちょっと過剰に生々しくて視聴者に忌避された憾みはあるが、パパニューの流れを汲むドライで明朗なホームコメディとしては充分楽しめる内容だったと思う。

基本的にTVドラマというのは物凄く面白くなくても「そこそこ」面白ければ及第点なんであって、同時期に二本掛け持ちしてそれなりの満足度を保証出来るというのは、まあプロでも実力者の部類だろう。

当然オレ的には乾菓子だの織田裕二だのには興味ないので、喰いタンのほうはセラルナの小池里奈、冗談のほうは上野樹里…ではなく、その妹役の仲里依紗と菅野莉央が目当てで観ていた(笑)。

仲里依紗と言われてもちょっとピンと来ないだろうが、メビウスの第四〇話に植物宇宙人に襲われる女子高生役で出ていた子で、アニメの時かけでは主役の声をアテている。マイボスにも出ていたし、セクボイでは第五話のワルモン女子高生グループの一人で出ていた。

最近は何ういう売り方なのか無暗にCMに出まくっているので、名前は識らなくても顔を識っている人は多いと思う。スエーデン人とのクオーターらしいが、何となく柄的に若い頃の渋谷琴乃を思わせるところがあるので、大人になったらかなりゴツくなるだろう(笑)。つか、現在すでに結構骨格が逞しい(笑)。

菅野莉央というのは、最近ではボウケンの最終回にミスターボイスの正体というワケのわからん役で出ていた子で、映画「仄暗い水の底から」では黒木瞳の娘役を演じシュミーズ一枚でズブ塗れになって芝居していた気の毒な子役である(笑)。同作では成長した姿を水川あさみが演じていたのだが、水川あさみが風のハルカに出演した際にはその少女時代をやっぱり菅野莉央が演じていた。何処となく険のある顔立ちなのが似ているという判断のキャスティングだろう(笑)。

さらにこの二人の下の妹役として森迫永依が出ていて、言わずと知れたSPドラマ版のまる子役でブレイクした有名子役だが、連続ドラマ版のまる子にはまる子の姉ちゃん役で村崎真彩が出ていて、この子が風のハルカでハルカの少女時代を演じていて、大人になったハルカを演じた村川絵梨がセクボイでニコの姉ちゃん役を演じているというややこしい話はすでにした。

さらに混乱させると、「冗談」には三人の姉の上野樹里の友人役で王様のブランチの立川絵理がレギュラー出演していて、ブラン娘の中ではけっこう好きなのだが、当然この人は、名前がちょっと似ているというだけで村川絵梨とは何の繋がりもない。

世の中は、何となくややこしく出来ているものである(木亥火暴!!)。

投稿: 黒猫亭 | 2007年7月 7日 (土曜日) 午後 11時28分

ご無沙汰しております。
木皿脚本の「神秘主義的な語り口」という表現、なんとなく腑に落ちました。
普通あんなモノローグを延々やられるのもどうかと思うのですが、絶妙な言葉遣いにハマると「ああ、そうだよなあ」と素直に感動してしまうんですよね。独特の空気を作るのに長けた女優さんを介すると、もはや御宣託に近いものが。(ちょっと江原啓之or美輪明宏とゲスト、みたいな感じがしないでもありませんが)

大後嬢の喪服姿(の黒ニーソ)はなかなか良かったように思います。あの古着ミックスっぽい私服の中途半端具合は……何か迷いを表しているんでしょうか。ロボのつんつるてんズボン→オトナコドモ、みたいな。

投稿: 604 | 2007年7月15日 (日曜日) 午前 03時39分

>604さん

どうもです。木皿脚本というのは、やっぱり雰囲気が一番のキモなんでしょうが、雰囲気というのは構造の面で根拠がないと「言ってるだけ」になっちゃうんだよなぁ、というような意味でお話をさせてもらいました。世の中はいろんな暗合に満ちてるけど、その暗合に実体的な意味があるんだと強弁して理論附けちゃったら普通にオカルトになるんですが(笑)、そうは断言せずに、そういう暗合を世界からの秘やかなメッセージとして意味を見ようとするという程度のデリカシーがちょうどいいのかな、と想います。

ニコのイタいファッションは「周りと同じじゃイヤ」という動機なんだという話を小耳に挟んだことがありますが、周りと同じでも可愛くないよりマシだと思うんですがねぇ(木亥火暴!!)。第一話だかの風呂上がりのジャージ姿のお尻が少々ヤバめに感じてイヤな予感がしたんですが、基本的に似合わない方向性のファッションは理由の如何に関わらずやめときゃよかったと思います(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2007年7月15日 (日曜日) 午後 02時15分

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