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2007年8月26日 (日曜日)

新個人主義政治の不気味

実はここ数日間、ご存じの通りのマダム寿司のご乱行を逐次的に検証したエントリーを延々書き続けていたのだが(笑)、これまでにも時々その手の問題に言及した意見を発することはあったとはいえ、あんまり本格的に政治ブログ化するのも、オレ個人の発話モチベーションに照らして僭越且つ不都合だろう、と思い直してアップは思い留まった。

しかし、防衛大臣時代の俄芝居には奇ッ怪先千万な「続投辞退」発言で一応のケリが附いたとしても、ネットの反応を一渡り視るに少しだけ危惧を感じたので、さらにもう一度だけコメンタリーをさせてもらうことにした。

何が奇怪だと言って、マダムの「続投辞退」は「イージス艦機密情報漏えい事件について誰も責任を取っていない。私は責任をとりたい」という言い分のものらしいんだが、そういう意味において、このギリギリのタイミングで責任をとるというのであれば、滑り込みの「即時辞任」辺りが相応ではないのかということである。

表向き何だとも決まっていない改造内閣における画餅の「続投」を前提とした「続投辞退」というのがもう、この暑い盛りでも湯冷めするくらいヌルい上っ面のパフォーマンスである。

そもそも自分が一ミリも関わっていない事柄に関して「責任をとる」とまで言い切る不誠実さとか、さらにそれが「改造後は留任しません」という「意志表示」に留まるというのは、どういういう料簡なのか。

本来、「責任をとる」というのは、自身の意志的決定に自由度が残された行動の範疇において意味のある言葉なのだが、改造後の人事については小池百合子に自由度など残されていない。この時点でマダムの自由意志に任されているのは大臣を辞職するか否かであって、改造後の人事がどうなるかではないはずである。

さらにそれが「首相から要請されればその限りではない」とか「横滑り人事ならOKよん」というのなら、改造人事がどうなっていても通用する自己正当化の詭弁であることなど現時点ではっきりしている。「責任をとる」も糞も、ご大層な発表には実質的に何も賭けていないということである。

それは単に「是非にとお願いされたら続投してあげてもいいけど、ぶっちゃけ防衛大臣は美味しくないからもっと良いポストを頂戴ね」とマスコミを通じて首相におねだりしたという意味にしかならないだろう(笑)。

イージス艦の機密漏洩に関して「これまで誰も責任を取っていない」ことを批判するのであれば、それはあなたが嬉しそうな顔をして防衛大臣を拝命した時点ですでに存在した課題ではないのですか、という話になるわけで、このロジックで言うなら、久間章夫直後の防衛大臣に政治的責任感があるなら、拝命直後の重要な仕事として直ちに情報漏洩に対する陳謝を添えて辞任すべきであるという話になる。

それはつまり、ケジメとしての辞職を主な政治的課題とする後継大臣が自分であるという意味になるんだが、小池防衛大臣が即時辞任などせずに諸外国に想い出作りの大名旅行をしたことは国民全員がよく識っている。

また、最初から即時辞任前提の大臣が電光石火で主要な同盟国である米国やアジア諸国に精力的に赴いて、テロ特措法をはじめとする重要な国防上の課題に対して勝手放題な約束や放言を濫発したのは、それらの相手国に対する確信犯の詐欺外交なのですか?という話になる。

まあ、百歩譲って閣僚というのは国益の為に外交上の詐欺行為を働いても構わないとしても、詐欺外遊の直後に「なーんちゃって」と言わぬばかりに「続投辞退」を公表するというのは、国益に適う行動なんですかね?という疑問が附き纏う。普通なら、ある程度のスパンで大臣職を担い続けるしか相手を騙し続けられないはずなのだが、外遊直後に「後のことなどもう識りません」と公言するのでは、その場で全部嘘っぱちだとバレてしまうことになるはずである。

後継大臣は前任者の嘘っぱちの言質をとられて、外交上重大な足枷を課せられるはずだし、前任者の発言内容が国益に適うかどうかという以前に、相手国の側には「インチキ閣僚に騙された」という名分があるのだから、嵩に懸かって言い取り次第に難癖を吹っ掛ける余地をつくってしまったということである。

言いっぱなしで自身が約束の履行を見届けなかった大臣の後任者は、諸外国から「あなたの前任者とはこういう話になっている」と難癖を吹っ掛けられた場合、「そういう意味で言ったのではありません」と主張しても当人ではない以上は空しい言い訳である。まあ、ことアメリカに関しては、レイムダックはお互い様なのでその限りではないかもしれんが(笑)。

また、実体的責任関係の如何に関わらず「責任をとる=辞職」ということなら、この大臣の言い種は、参院選大敗の責任を自ら認めた安倍総理の即時退任を暗に要求していることになる。過日の選挙結果を受けて安倍総理が口にしたのは、「責任をとるということは課題をやり抜くこと」というロジックの言い訳だったわけだが、それは実質的には自分から進んで信任を賭けた選挙の結果を、自身の約束した政策遂行へのプレッシャーと付会したこじつけの言い訳に過ぎない。

そして、今度の小池百合子の発言は、自ら「機密漏洩体質」という構造改革上の課題を指摘しておきながら、その解決を「続投辞退」という建前で後任者に丸投げするものであったわけで、安倍総理と小池大臣の言い種は責任対象に対する対処法がまるで逆であり、要するに「てにをは」が逆になっている。

一般的に言って、自身に実質的な責任関係のない事柄に対しては課題解決を志向して働くことが「責任をとる」ということなのだし、自己の信任を賭けて民意を問うた闘争の結果敗れた場合には潔く職を辞すべきである。その対応関係が逆になっている以上、何がどうあれ「物は言い様」「白を黒と言いくるめた」という話でしかない。

今この時点でさえ参院選大敗に伴う安倍総理の言行不一致を追及する声が高いのに、わざわざこのタイミングで全く同様のロジックの無責任な発言を附け加え、火に油を注ぐマダムの政治的センスには脱帽せざるを得ないだろう。

そもそも「続投を辞退する」なんてのは、要するに「何もしていない」ということでしかない。何となく世間的には「続投辞退」と「辞職」をごっちゃにしている嫌いがあるけれど、別にこの人は「自分から辞めたわけでも何でもない」のであって「もし仮にアテクシが月曜日の発表で辞めさせられていたとしても、それはアテクシ自身の意志的選択なのよ、オホホのホ」と前週末に口先で予防線を張っただけである。

手柄顔に指摘するのも烏滸がましいが、ひょっとして「オレは、アタシは、マダム寿司の詭弁になんてもう騙されないよ」と眉に唾している方々の中の結構な割合が、それでも「ちょっとだけ」騙されているのではないかと懼れるから老婆心ながら忠告するのだが、マダム寿司の詭弁が曲がりなりにも成立する為には、週末の時点で「即時辞任」を表明していなければ辻褄が合わないのである。

月曜日以降に発表される結果に対して何の実味も伴わない妄言であるという意味では変わりないのだが、たとえば後々風向きが変わった時点で「そういえば過去に小池防相は前任者の責任を負って潔く辞任した経緯がある」という「嘘っぱち」が堂々と罷り通ってしまう懼れはあるわけである。

「続投辞退」も「辞職」も細かい経緯を無視してまるっと丸めてしまえば「改造内閣で防相を続けたくない」という意味なのだから、似たような印象を与えるだろう。半年や一年程度の時間が経過しただけでも、これだけややこしい複雑怪奇な事件の細かい経緯は忘れ去られてしまい、人々の印象に残るのはそのような大雑把な印象、つまり「小池防相は省としてのケジメを附けた」という不適切なイメージだけである。

そんな誤解を当人や御用論客は好んで利用し、ほとぼりが醒めた頃合いになって「筋合いはどうあれ、その意気やよし」「それに引き替え現職大臣は、野党幹部は」的に牽強付会して顕彰するものである。

今の時点で小池百合子というブランドに瑕が附いたとしても、ドッグイヤーの気忙しい世の中においては、来年、再来年という極々の近未来に「小池百合子再評価」的に「世間的に評判の悪い小池百合子が、実は」と持ち上げることは可能なのである。現時点でそれなりに情報収集の労を厭わないだけの余裕と誠意をお持ちの諸兄姉なら、マダムのくだらない詭弁に騙されることはないだろうが、来年のあなたが今この時点のあなたほどこの問題に関して詳しい経緯を記憶しているとは限らない。

その時制においては、たとえば現時点において「『続投辞退』も『即時辞任』も似たようなもの」「それは主要な要件ではない」というような大雑把な認識を抱いているとすれば、それが将来的に大きな違いとして顕れてくるのである。「小池百合子が省全体の腐敗のケツを持って辞めた」という前提における議論と、「自己弁護でそういう理屈を姑息に装っただけ」という前提の議論では、政治家としての姿勢面における扱いが全然違ってくるのである。

この際強調しておきますが、小池百合子は自分から辞めてなどいませんから、この先もずっとそのことを覚えておいてください。

せめてオレが望むことは、現時点において多くの人が感じたマダムの政治的人格に対する胡散臭さの印象と、「それにはたしか根拠があったはずだ」という確信を堅持することがまず一つ。そしてその記憶を根拠附ける為に、ウィキペディアのようなパブリックなデータベースが冷静かつ正確にこの一件の経緯を記録し、未来の読者に向けた警鐘を意識することがもう一つ。ネットワーカーに望むならば、まあ来年の今頃には絶対そのような詭弁を弄する徒輩が出現する予定だから、今のうちにテンプレでも用意しておいたほうがいいだろうということである。

小池百合子のメンタリティ的に、人々が細かい経緯を忘れた頃に、必ずこの種の詭弁を誇らかに持ち出してくるに違いないのである。その時点では、他ならぬ本人自身がそう思い込んでいる可能性もかなり高い。

基本的に、オバチャンというのはそういう生き物である(笑)。

所詮小池百合子という政治家が相手取っているのが、実味のある政治的課題ではなく大衆の抱く曖昧なキャラクターイメージに過ぎない以上、今現在どれだけ彼女に悪印象を抱いているとしても、現時点で彼女を批判する根拠というのは、極々表面的な言動におけるデリケートな背信行為の積み重ねの故である。それが政治の実態に降りてくるまでには相応の時差があるだろうし、その影響が如何に大きかろうとそこに至るまでの経路は「間接的影響」というに留まる。

要するに、政治のプロが実務的な政治的課題に向き合って選択した政治判断の誤りやその場面で陥った政治的腐敗というようなロジカルな形には、おそらく成り得ない。小池百合子という政治家の一番の問題点は、動機面において真摯な姿勢で政治と向き合っていないという政治以前の人間性の問題なのであり、「幼児的な自己愛から政治を壟断している」という由々しき問題なのだが、それを政治のロジックで判断する場合には間違いが起こる可能性が高い。

それは、政治のロジックを自明視する論客から視れば、小池百合子という個人は一種の無自覚なトリックスターや変数要素、つまり「聖なる道化者」として視ることも可能だからで、ハナから小池百合子自身の政治能力や判断力を捨象して「神の見えざる手」にも似たプラグマティックな効用を判断基準として採用する為に、「その愚昧な行動が結果的にどのような政治的影響を及ぼしたか」という高踏な視点に立って判断を下したがる傾向があるからで、これはけっこう危険なことである。

その種の「見下し」は容易に「本人のつもりはどうあれ結果的に」的な歴史解釈上魅力的な「再評価」のニヒリズムと直結する可能性が高いのであり、そのような意図がなくてもその為の材料を提供してしまう危惧がないわけではないからである。

だから一応強調しておくのだが、小池百合子的な自己中心的な政治手法の在り方は、小泉純一郎的な政治の堕落と密接な関連があるのであり、現時点では自明に見える滑稽な愚劣さには、今そう見える以上の政治的な危険性が潜在しているのである。

一体に、金銭欲や権勢欲から政局に混乱を招くことが許し難いのであれば、単に自分が注目されたいとか重要人物に視られたいという動機でそうするのだって、同じくらい許し難い不正義には違いないだろう。醜い自己中心性で政治を壟断するという意味ではどちらも同じことである。

オレは基本的に、極性はどうあれロジックのない不合理な政治家は嫌いなのだが、小泉純一郎や小池百合子のような徒輩はその意味で合目的的なロジックの通用しない情緒的な動機で動く人間である辺り、絶対的に政治家にしてはいけない人種だと思う。

一連のエントリーをセルフチェックする為にいろいろ政治ブログの類も渉猟してみたのだが、コイズミ型政治を批判するスタンスのブロガーでも、一種小泉売国陰謀論的なロジックで語っておられる方が多かった。政治ブログというのはそれ自体が政治的言説である以上、そのような合目的性に則って批判のロジックを組み立てるのは当然であるとは言え、小泉政治の裏面の狙いを詳細に絵解きする言葉にはちょっとピンと来なかったというのが正直なところである。

夫々に説得力のあるご意見ではあったが、今一つオレにピンと来なかったのは、小泉純一郎や小池百合子という人物は、そこまで緻密な論理が通用する相手だろうかという疑問があるからである。小泉純一郎という人物は、「改革は正義だ」という自身の言葉を理屈抜きで狂信していた、それがオレの直観である。何が怖いと言って、根拠なく自身の信念を狂信する人間ほど怖いものはないわけで、その意味でコイズミ型聖戦改革政治を宗教に喩える意見は正しいだろう。

小泉純一郎が型通りの売国の謀略家であったなら、オレはこれほどまでの嫌悪感を抱かなかっただろうと思うのだが、オレの直観では、小泉純一郎という人間は自身の振る舞いによって日本国家が米国資本に蹂躙されるというロジカルな結果などどうでも好かったのだとしか思えない。

それを目的視して語られる絵解きに説得力を感じないのは、それは小泉純一郎の正気を買い被りすぎているのではないかと思うからである。彼は別段日本をアメリカに売り渡したかったのではないし、有り体に言えば、そんなことになるかどうかになど興味はなかったのである。単にアメリカという格好良い大国と協力して格好良い改革を成し遂げる格好良い政治家になりたかっただけなのだろうと思う。

これは売国の謀略家が陰謀を以て国家の命運を傾けることよりも、余程不気味で気持ち悪い行為であり、その意味で小泉純一郎は新しいようで古臭いような未曾有のタイプの政治家なのだと思う。近代に至ってから、「格好良い政治家になりたい」というだけの幼児的な動機で国を滅ぼした政治家が嘗て存在しただろうか。

小泉純一郎という人物は自分個人のロマンにしか興味のない人なのだし、それはたとえばマダム寿司が国際舞台で良い格好をして人々の尊敬を集め、政府の要職を歴任して自分が偉い人間なのだと万人に認めさせたいと願うのと同種の動機である。

この種の動機は、本来ブンガクの範疇の事柄である。それも、ラノベやコミックスレベルの俗悪で幼児的なロマンでしかない。政治とカネの問題が云々されていた時代には、まだしも「カネ」や「既得権益」「派閥の力学」というような現実と地続きの実業的な部分が存在したが、コイズミ劇場型政治においては、イメージ的な虚飾がすべてを決するという虚業的な側面が際立っているわけで、結果的に得られるものが政治家個人のブンガク的な妄想の満足でしかないという不潔さがある。

新自由主義的な流れ、新保守主義的な流れというのは、おそらく小泉以前から存在した政治的潮流なのだろうし、小泉改革もその潮流上の動きではあるだろうが、小泉純一郎の登場によってもたらされた最も不気味な影響というのは、政治が薄っぺらい個人のブンガク性のロジックで壟断されるようになったことではないかと思う。

あるアニメがヒットするか外れるかというような不合理なロジックで政権の人気が決するという、不都合な事態に至っているのであり、それこそが最も重大な問題ではないかと思う。

だから、コイズミ政治を真面目な政治のロジックで解釈して批判しようとしても空しいのであって、それはおそらく全体的な状況圧に吹き流された結果論でしかないのではないかと思う。たとえば郵政民営化に関してオレが最も不快なのは、ゆうちょの莫大な資産を外資に解放しようと目論んでそのような謀略が演じられたことではなく、そんな結果など度外視して「郵政民営化は絶対正義」という自身の狂信的ロマンを実現しようとするロマンチックな政治家の極端な個人主義の不気味さである。

たとえばマダム寿司の言動を視るに、この人はたとえばテロ特措法を延長することが国益に適うと確信していたり、それによって金銭的に得をするというロジックに則って動いているのではない。

初の女性防衛大臣となった自分が鉄の女と呼ばれたマーガレット・サッチャーのように柔弱な男共に勇ましい叱咤の獅子吼を浴びせる姿に酔っているのであり、その格好良い姿に痺れた大衆が自分を偉い人間だと認めて傅いてくれることを期待してそのように振る舞っているのである。

そうでもなければ、こんな馬鹿馬鹿しい「引責続投辞退」などという不可思議な空約束を真顔で口に出来るはずがない。当たり前に言うなら、そんなくだらないことを大威張りで口に出来るのは頭のネジが全部抜けた飛びきりの莫迦だけである。これが本当にしたたかな政治的駆け引きだと考えるのは多分筋違いで、小池百合子は一連の騒動で自分が格好悪い立場に立たされたのが我慢出来なかったので「責任を取らなかった」他人を叱りとばす強がりを吠え立てて格好を取り繕っただけの話なのである。

当たり前に考えるなら「責任を取らなかった」誰かとは久間章夫のことなのだが、久間章夫本人の政治家としての見識や活動にどれだけ瑕瑾があったとしても、こんなくだらない理由で引き合いに出されたことにだけは同情して好いだろう(笑)。

ベタな言い方をするなら、この人は「ええかっこ」がしたいだけで政治家になったマンガの読み過ぎ人間なのであり、そんな幼稚な政治家が本当にええかっこ出来ちゃう世の中の在り方がそもそも不気味なのである。

本来これは嗤うべき幼稚な迷妄だが、これが笑い事ではなくなったのが小泉以後の世の中の姿である。汚いか綺麗か、損なのか得なのか、正しいか間違っているか、そんな当たり前のロジックの規範ではなく、イメージ的に格好良いか格好悪いか「しか」考えていない人間が政治の現場で力を持つことが問題なのである。

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