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2008年1月 5日 (土曜日)

泣いて鯨飲馬食の首を切る

三が日が明けたので、とりあえず勢い附けに更新である。思えばこの正月は、いろいろ面倒の多かった昨年の憂さを払うべく、非常識に呑み且つ喰らった。家に籠もっていても呑んで喰うだけなので、用事をつくって何度か出掛けた。まあ無理矢理つくった用事なので、目的は人混みに出て脚と気持ちを慣れさせておくことであるが、大人が町場に出るとそれなりにカネを遣うのが困りものである。

校正の仕事を専門的にやるに当たって更めて必要になる文具を細々調達しに行ったのだが、オレにとって文具店は鬼門である。書店に入って舞い上がるという悪癖は随分前に納まったのだが、文具店とスーパーには未だに弱い。面白い文具の類を視ると衝動買いしてしまうタチなので、目移りせずに必要なものだけ買うのに苦労した(笑)。

その他はいつも通り家でゴロゴロして無闇に酒を呑み無茶喰いを繰り返し、くだらないバラエティ番組を録画してその消化に明け暮れていた。正月のどさくさに紛れて夜中にエロいことをする番組なんかサイコーである(笑)。そういう次第で、生産的な作業とはまったく無縁の正月だった。

「あの野郎、近頃鳴りをひそめてやがるってのは、何かまた糞長いモンを書いているんじゃねえのか」と勘繰られた方、ご安心あれ、そういう次第で単に三が日喰っちゃ呑み喰っちゃ呑みを繰り返していただけである(笑)。このエントリーも昨日中に上げてしまおうと思っていたが、予想より早くチャット仲間が捕まったのでそれきりに放置していたものである。

初夢がどんなものだったのかサッパリ覚えていないのだが、その次の日にみた夢は覚えている。剰りにもくだらなすぎる夢なので、例の夢エントリーに仕立てるわけにもいかないから今序でに話してしまうが、右肘から榎茸のようなものが生えてクネクネ動き回りビリビリと痛むので、左手で引きちぎるという薄気味の悪い夢だった。あんまり気味が悪いから夢占いのサイトで調べてみたら、「身体から植物が生える夢は、生えた部位の健康状態が悪いことを意味する」とかつまんないご託宣だった。

単に右側を下にして寝ていたら偶々腕が変なふうに捻れていたので肘が痛くなったというその場限りの意味しかなかったわけである。これでは、睡眠中に尿意を催したから便所に行く夢をみたというのと変わりがない。そもそもオレは夢占いなんてのは一ミリも信じていないのだから、最初から何の意味もないのだが(笑)。

そういう次第で、無意味に過ごした正月に相応しい無意味な夢をみたというオチでよろしいか。よろしくなくても如何ともし難いわけだが。

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コメント

お早うございます。
私がコメントさせて頂くならこちらかと思い、失礼ながら。

記事を一通り拝見し、ちょこっと調べてみたところ、随分と気持ちの悪い事が起きているのだなあというのが正直な印象です。過去に例の本の広告だか紹介だかを見たことはあり、それこそ「アホか」の一言で私の中では終わっていたのですが、世の中では終わっていなかったらしく大変驚きました。

怪しげな健康雑誌の特集記事のごとく「まあよくこんなこと思いつくなあ」とネタとして笑っていられるレベルじゃないのが怖いところです。「雑誌で毎月新しい健康法(どっか大学のなんとか教授推薦)が紹介されるのは、毎月売り上げを出すためである」ということと図式的にはほとんど変わらないように思いますが。
「世の中にうまい話はない」「この話で儲けるのは誰か」と考えることで大概の事には騙されなくなりましたが、「自分さえ騙されなきゃいいや」と無関心だったり高を括ったりしていてはいけないんでしょうね。「それ違うだろ!」と勇猛果敢に突っ込みを入れている皆様に敬意を表しつつ、陰ながら見守らせて頂きます(当方論理という武器を持たぬゆえ、できる範囲で……)。

黒猫亭様が枕を高くして良き夢をご覧になられますようお祈り致します。

投稿: 604 | 2008年1月21日 (月曜日) 午前 10時14分

>604さん

どうもです。いつも読んで戴いている方には剰り興味のない話題が続いて申し訳ありません。オレがこの問題に関心を持っているのは、物凄く平たく言うと「世の中には常識の通じない大人がいる」ということへの不快感の故だということですかね。何度も繰り返している通り、騙す人間というのはどれだけ世の中が変わっても盗人の種は尽きまじという話なんですが、ニセ科学に騙される心性というのは詐欺師に騙されることよりも常識の問題に近いと思うんですよ。

基本的には、科学的知識なんかなくても604 さんが仰るように「世の中にうまい話はない」「この話で儲けるのは誰か」という程度のことを考えればそうウカウカと騙されないはずで、そこから不合理な話の信憑性を疑っていくというのが健全な常識の感覚だと思うんですが、それすら考えずに信じたいことを信じようとするのは、やはり常識がないということなんだと思います。

604 さんも、ご友人がアヤシゲなダイエット法にハマっていて無駄な大金を費やしていたら、「そんな、楽して痩せる方法なんてあるわけないじゃん」「お金で脂肪が買えるわけないでしょ」くらいのことは言いますよね。そこから、人間というのは食べて運動しなければ肥るのが当たり前なんだから、たとえば痩せ薬なんてものがあるとしたら物凄くヤバい薬だろうな、という想像は出来ますよね。そういう極普通の感じ方の問題だと思うんですよ。

そういう話って、特に科学的知識がなくても、本当は誰でもちょっと考えればわかるはずじゃないですか。その程度の論理性がなかったら社会生活に支障が出るはずなんですから、能力的な問題じゃないはずなんですよ。それなのにそれに「科学」の看板が附くと、自分では細かいことを考えなくても好い、科学的なんだから本当なんだろうという感じ方がおかしいのであって、普通に考えておかしなことは信じなくても好いんだし、それでも信じたいのなら、ホントかどうか調べるくらいのことはしようよという程度の話なんですよ。誰か信用出来そうな人が言っていることのほうを信じるというのでも構わないんですが、「誰が信用出来るのか」を見抜く目くらい持つのが大人の常識だろうという話なんですね。

まあ正直な話、オレがここのところニセ科学の問題に特化して語っているのは、タイミングの問題という事情もありまして、ちょうどニセ科学批判の論壇で当ブログをご紹介戴いたその直後に、或る「事件」が起こったことで事件屋の血が騒いだというのが本当のところですね(笑)。そのまま何も起こらなかったら、ニセ科学批判の論壇の動向を見守って情報を共有しつつ、たまに自身も一般論的に言及する、という程度の関わり方になったと思うんですが、満更オレが関わっていなくもないところで事件が起こった為に予想より関与度が高くなったという経緯です。

現状ではそちらの事件も粗方終熄しているので、これまでの関わり合いにおいて思ったことを総括しているという段階ですね。余所でも語ったことですが、オレがこの種の社会的問題について何か言えるとしたら事件性の観点においてのみでしょうから、事件性が消失してしまったら月並みなことしか言えないと思いますけどね(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2008年1月21日 (月曜日) 午後 01時36分

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