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2008年2月 8日 (金曜日)

腑に落ちた

毎回「つまんねーなぁ」と思いつつ、何故か毎週観なければならないような義務感に駆られて録画視聴しているのがテレ朝の「4姉妹探偵団」である。本日もついさっきまで観ていたわけだが、なんで毎回こんなつまんないものを観ているのか、先週まで自分でもわからなかった。

たしかに夏帆をはじめ四姉妹のキャスティングは、田崎ガメラにヴェッカーD−02に平成ロボコンというトクサツヒロイン組+ブラン娘OGという構成で、それなりにオレの琴線に触れる面子であるのはわかるのだが、すでに九五年の「四姉妹物語」や九八年の「三姉妹探偵団」を観てつまんない話なのはわかりきっていながら、なんでまた懲りずに今回も観ようと思ったのか、それが解せなかった。

ただ、先週まで生瀬勝久・室井滋の夫婦に夏帆の娘という組み合わせに物凄い既視感があって、気になって仕方がなかったのだが、それが何だったのかを今頃になって漸く想い出した。これである。ああそうか、木曜と金曜で姉妹がバラになっていたから暫く気が附かなかったが、たしかにこれはまるっきりガチャポンだ(笑)…つか、よくよくキャスト表を見比べてみると、何にでも一つだけ拘る一ツ岳刑事までガチャポンと同じ刑事役で出ているでわありませんか(笑)。

ああなるほど、道理で理も非もなく毎回観なければならないような気がしていたわけだよな。なんせガチャポンは毎週予約録画して楽しく観ていたからなぁ(笑)。というか、局もジャンルも異なるというのに、なんでここまで被ってるキャスティングなのかが不思議でしょうがないわけだが。

まあ、そんなことよりもっとショックだったのは、同じテレ朝の「未来講師めぐる」で「南くんの恋人」主演コンビが変わり果てた再会を果たしたことだが、こっちはちよみ繋がりでもっとややこしい話になっている。

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コメント

 毎度お世話になっております。
田崎ガメラの文字には、目敏く反応するガメラ医師でございます。^^;)
 毎度事後のご連絡で済みません。拙Blog2月9日の更新、「キャスト・スタッフ関連情報 2008/02/09」
http://blog.goo.ne.jp/gameraishi/e/6c266f5ff1d1fa4f33ddb658df3be421
中にて、こちらの記事をご紹介させて頂きましたので、ご報告申し上げます。
 ガメラ医師自身も、「四姉妹探偵団」を何故か視聴し続けておりましたが、まさかルーツがみかん星人にあったとは…
 とむざう様の慧眼には、毎度恐れ入ります。

投稿: ガメラ医師 | 2008年2月 9日 (土曜日) 午後 04時43分

>ガメラ医師さん

どうもです。いや、このエントリーを書いている間は気が附かなかったんですが、更新しようと思って読み返してみたら「田崎ガメラ」という言葉が出てくるので、これは久しぶりにガメラ医師さんと接点が出来るかな、と助平心が出てきました(笑)。紹介して戴きまして、有り難うございます。

>>ガメラ医師自身も、「四姉妹探偵団」を何故か視聴し続けておりましたが、まさかルーツがみかん星人にあったとは…

ね、びっくりでしょ?(笑) もうこの話を始めると長くなるから程々にしておきますけど、このガチャガチャポン!という番組はCXの児童番組の系譜を総合的に受け継いでおりまして、ポンキッキからの流れとウゴウゴルーガからの流れを両方継いでいるわけで、だからみかん星人とガチャピンムックが両方出ているんですね(笑)。

ここで昔話をさせて戴くと、実はオレは若い頃はひらけ!ポンキッキやおはようナイスデイが大嫌いで、それは何故かと謂うと、その頃は嫌いな仕事を嫌々ながらしていたので、この種の如何にも平日早朝を象徴するような番組が出勤を急き立てているような気がして、物凄く嫌いだったんですよ(笑)。

それが、仕事を変えてそれほど嫌いではない業種に就いてみたら、朝の番組もそれほど嫌いではなくなってきまして、そのうち段々好きになってポンキッキもかなり頻繁に録画するようになり、今でもかなりの本数のVHSカセットが押し入れの中に残っていますねぇ、これから引越するんだから処分すりゃいいのに(笑)。

歴代の「お姉さん」にも萌えるようになっていった(個人的に一番好きだった時期はポンキッキーズに跨る三輪優子の時代です)のですが、ポンキッキーズになってからかなり長い間鈴木蘭々と安室奈美江がうさぎの着ぐるみを着てポップにリミックスされた童謡を歌い踊っていたことなんて、今の若い人は識らないんでしょうね(笑)。まあその内に安室奈美江がブレイクしたので蘭々だけになりましたが(笑)。

今回調べてみてびっくりしたんですが、オレは素朴にポンキッキはピンポンパンの後番組だと信じていたんですが、全然別の番組で一〇年くらい併行して放映していたみたいですね。けっこう未だにピンポンパンとポンキッキの内容を混同している嫌いもあると思います。

ウゴウゴルーガとの関係も複雑で、一時ウゴルーが好調だった時期には、ウゴルーからポンキッキへという幼児番組一時間枠というかなりチャレンジングな編成の時期があったのですが、ウゴルーが終了してポンキッキーズ一時間枠に改められたり、いきなり朝の枠から児童番組が撤退して夕方に移動したり、かなり編成上の紆余曲折があります。

かなりの長期間に亘ってCXもポンキッキを大事にしてきたわけですが、キーズ時代になってからかなり局サイドからの扱いが二転三転して、それでもほぼ断絶もなくともあれ現在にまで繋がっているわけです。

ガチャポンというのは、リンクを辿って戴ければわかりますが、ポンキッキよりもう少し上の世代で、ギリギリ「子供」と呼べる上限の世代を狙った姉妹番組という位置附けになるようで、生瀬・室井・夏帆・多部美華子という妙に濃い一家のシットコムを中心にウゴルー方式でミニコーナーが挟まるという体裁の番組で、結構面白かったです。

多分、4姉妹探偵団(実は漢数字ではなく算用数字なんですね、この辺、釈由美子版の「七人の女弁護士」が「7人の女弁護士」なのと同じパターンです)のキャスティングには、ガチャポンの影響があるんじゃないか、上のほうの人にガチャポンのファンがいたんじゃないかと踏んでいるんですが、ウィキで調べるとガチャポンの件には一切触れられていないので、これはレアネタだなと飛び附いたわけです(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2008年2月 9日 (土曜日) 午後 11時57分

余談に亘るが、TAKESAN さんのところで当記事のタイトルである「腑に落ちる」という表現に対して気になるご指摘があった。「指摘」というか、この言い回しには一般に誤用と解する見方があるという仄めかしと謂ったほうが正確だと思うが、どうやら一部には「『腑に落ちない』という否定形でしか用いない」という説が流通しているらしい。

そんなことはないだろうと思って調べてみたら、たしかにそんな説はあるようだが、その一方でその説には剰り明確な根拠がないらしいということが判明した。

http://yeemar.seesaa.net/article/12334760.html
http://gogen-allguide.com/hu/funiochinai.html

これは「腑に落ちる」で検索をかけた結果最上位に来た記事で、両方一定の信頼性はあると思うので、この程度の信頼性があれば大丈夫だろうと思う。というのは、向こうでもそういう話はしたのだが、オレは「自然に納得する」「得心が行く」という意味ではこの言い回しがかなり感覚的に好きで、

>>腑に落ちないの「腑」は、「はらわた」「臓腑」のこと。
「腑」は「考え」や「心」が宿るところと考えられ、「心」「心の底」といった意味があるため、「人の意見などが心に入ってこない(納得できない)」という意味で、「腑に落ちない」となった。

>>また、肯定形の「腑に落ちる」は明治時代の文献にも見られ、「納得がいく」「納得する」という意味で用いることは誤用ではない。

はらわたにストンと落ちるという表現は、実感的な比喩としては大変優れたセンスだと思うので、けっこうこの言い回しを多様している。かなり時代を遡った文芸作品でもこのような表現を見かけるので、今の今まで「否定形でしか用いない」という説自体の存在を識らなかったのだが、そういう次第で、その説を信じている方からは物識らずと見下されるリスクはあるわけだが、個人的な語彙の嗜好の一つとして、今後もこの言い回しを従来通り遣わせて戴くことにする。

投稿: 黒猫亭 | 2008年2月10日 (日曜日) 午前 12時14分

非常な亀レスで失礼します。

用法として正しいかどうかはともかく、「落ちる」と云う部分が「あるべき場所に収まって落ち着く」と云うニュアンスを持ちますよね。そう云う風合いみたいなものを表すのにはとても向いた表現だと感じます。
ぼくなんか、そう云う部分を優先して言葉を選ぶ傾向が強いので、文脈次第でいろんな語彙について平気でもっと荒っぽい用法をしてしまうんですけどね。

投稿: pooh | 2008年2月16日 (土曜日) 午前 06時16分

>poohさん

相変わらず一言聞いて十語り倒すお喋りがお返事します(笑)。

>>用法として正しいかどうかはともかく、「落ちる」と云う部分が「あるべき場所に収まって落ち着く」と云うニュアンスを持ちますよね。

なにしろ「落ち着く」という言葉からして「落ちて着く」と謂うのですから、高い所に在るものが低い所に落ちてくると安定するという感覚は、なんというかアリストテレス的に(笑)自然な感覚ですよね。

ヤフー辞書で「落ち着く」の状態表現的な語意を調べると、大辞泉では「移り動いていた物事が安定した状態になる」とあり、大辞林では「動揺が静まり、安定した状態になる」とあって、「落ちて下に着く」なんてベタな説明もありました(笑)。物体が高い所に在る内はポテンシャルエネルギーを持っていて活発な運動の余地があるわけですが、低い所に落ちてくるとエネルギーを喪って安定するわけですね。

なので、価値的高低とはまったく別の次元で、活発な揺らぎや運動の余地がある状態から、急速に運動性を喪って安定した状態へ遷移する抽象表現として、「落ちる」という言葉には観察的な経験則上の説得力があるわけです。

たとえば「格が落ちる」「品が落ちる」というような表現の場合は、価値的な高低を基準として上下の運動が抽象的に捉えられているわけですが、状態の安定を基準に視た場合、物体は高所から落下して地表面に定着した状態が最も安定しているという具体的な経験則上の認識に基づく直観が比喩の性格を規定しているわけですね。

そうすると、「腑に落ちる」という慣用表現は、「腑」が内臓の意味から転じて心の意味となり、それまで活発に揺らいでいて心の外に在った外在的な対象が、心の中に落ちてきて運動性を喪い、内在的対象として安定するというニュアンスを含んでいることになりますから、他の言い回しではちょっと表現出来ない個別性の高い内実を含んでいると思うんですよ。

これが歴史的な文脈で否定形でしか用いないという暗黙の約束事があったなら、代替する表現を探すのにちょっと苦労するところでしたが、寧ろそちらのほうが最近の用例の傾向に基づく俗説であったと判明して一安心です(笑)。

思うに、「腑に落ちる・落ちない」という言い回しを用いる場面で、肯定形の「心の中にストンと落ちていく」という表現として自然な感覚よりも「素直に心に落ちていかない」という不自然さのもたらす違和感のほうが表現として強く感じるという一般的な感じ方の傾向が近年にあって、自然に落ちていかない気持ち悪さの表現としての用例が専らとなり、肯定形での用例が少なくなるに随って、一般的な読書経験を積んだ人でも肯定形の用例を見た経験がなくなり、それが「否定形で『しか』用いない」という極端化のプロセスを経ることで俗説が成立したのではないかと思います。

これはつまり、「見たことがない=存在しない」という割合自然な紋切り型思考ということが出来るのでしょうが、個々人がそういうニュアンスを漠然と抱いている段階ではそれほど影響がなくても、いずれ誰かが「『腑に落ちる』という表現は存在しない」と明確に「説として言い切る」プロセスが発生して、明確な言説として成立し流通することによって爆発的に広まるということは出来るでしょうね。

>>ぼくなんか、そう云う部分を優先して言葉を選ぶ傾向が強いので、文脈次第でいろんな語彙について平気でもっと荒っぽい用法をしてしまうんですけどね。

これはおそらく、突き詰めて謂えば想定する読み手一般のリテラシーの問題に繋がってくるのではないかと思います。まあ、社会の大多数の人々の間で文章表現に関する正確な意味コードが共有されていれば、語彙の正確な用法にも実質的な意義が伴うでしょうが、ぶっちゃけ今の世の中は、同じ日本語なのに話が通じないと思うことのほうが多いわけで(笑)、だとすれば、たとえば五〇年一〇〇年の後の世の人に正確に意味が伝わらないとしても、今この社会において共時的に意味を通じさせようとするならば、個々の言葉の持つ感覚的イメージを頼るというのも一便法でしょう。

こうやってブログで公的発話を繰り返していると、どのような言葉の使い方をすれば効果的に「伝わる」のかということを意識せざるを得ないわけですが、たとえば伝えたいと思うことが一〇あるとすれば、五かそこら伝わればかなり御の字なわけです。そこでオレのようなお喋りは、おそらく伝わるであろうと推定される五を確実に伝える為に、三〇くらい喋って脇を固めるわけですね。

そこをpoohさんは文脈上感覚的に大多数の人々に伝わるであろう言葉を選ぶことで伝わるべき五を想定していることになるでしょうか。要は何が「伝わる」のかを確実に把握出来ることが最も重要で、その意味でブログ言説などにおける言葉の使い方でとくに重要なファクターとなるのは、どの程度コントローラブルに使えるのか、ということではないでしょうか。

投稿: 黒猫亭 | 2008年2月17日 (日曜日) 午後 06時10分

初めまして。お取り込み中のところ失礼いたします。
大きく亀レスで申し訳ありませんが、「腑に落ちる」が誤用扱いされていることに興味を持ちましたもので。
私の言語感覚では、「腑に落ちる」も「腑に落ちない」も文句なく正用なので、前者が誤用というような見解のあることにびっくりしました(なお、私の年齢は40代です)。私は両方とも以前より多数の用例を見ていますが、そう言えば「腑に落ちない」の方が使用頻度は多いですね。もちろん詳細に研究したわけではありませんが、「腑に落ちる」があまり使われなくなり、「腑に落ちない」は引き続き使われている状況にあるとすると、「腑に落ちる」を見たことのない層が誕生し、一方「腑に落ちない」はひとつらなりの慣用表現のように捉えられて、「腑に落ちる」に違和感を感じる人たちが出てきたのでは、と推察してみました。
その種の変化はある程度は止むを得ないものですが、「腑に落ちる」を使用したら訂正されるような状況になるのも腑に落ちない話だわい、と思った次第です。

投稿: オキナタケ | 2008年3月 1日 (土曜日) 午前 02時27分

>オキナタケさん

いらっしゃいませ。

>>一方「腑に落ちない」はひとつらなりの慣用表現のように捉えられて、「腑に落ちる」に違和感を感じる人たちが出てきたのでは、と推察してみました。

そういうことなんでしょうね。「腑に落ちる・落ちない」という語が指示している具体的な内容を考えると、腑に落ちていく場合も落ちていかない場合もあって構わないはずなんですが、その対称性が破れているというのが妙に「通っぽい」というイメージも説得力があるのかな、と(笑)。

こういうふうに対称性が破れているのが正規の用法である日本語の慣用表現というのは何かあったかなと考えてみたんですが、たしか何かあったはずなんですが、ちょっと思い附きませんでした(笑)。で、そういう場合に、たとえばなんで対称性が破れているのかと謂えば、多分何らかの故事に基づいた表現だからなんではないかと思うんですよ。

たとえば、もしも「腑に落ちる・落ちない」という慣用表現が否定形でしか用いられないとすれば、それは何らかの故事に基づいているから、というのが一般的な事情なんではないかと思います。

たとえば何かの古典資料の記述において、どこそこの誰某が「納得が行かない」ということを「胃の腑に落ちていかない食べ物」に喩えた、という故事が書き記されていて、だから「納得が行く・行かない」という状態を「胃の腑に落ちる・落ちない」というふうに喩える場合、その特定の故事にある比喩的表現の引用が慣用化した言い回しであるわけだから、本来は原典通り否定形で用いるのが正しい、こういうふうな理路になるんではないでしょうか。

ところが現実には、「腑に落ちる・落ちない」という慣用表現に関しては、別段原典に相当するような故事があるわけではなく、「腑=心にストンと落ちていく」というようなイメージに基づいたパブリックドメインの比喩表現に過ぎないから、肯定・否定両様に用いることが出来る、そういうことなんではないでしょうか。

まあ、実際には理由が特定されていなくても何故か用法が決まっている慣用表現もありそうですから、そこまで明快な理由附けが出来るとは限らないと思いますが。

>>その種の変化はある程度は止むを得ないものですが、「腑に落ちる」を使用したら訂正されるような状況になるのも腑に落ちない話だわい、と思った次第です。

繰り返しになりますが、特定個人の目撃頻度という一回性の強い事情に基づいた「ただの経験的印象」が定説になる過程というのは、メディア論的に考えてみるとなかなか味わい深いものがあると思います(笑)。何処かの過程で誰かがその「ただの経験的印象」を無根拠に言説として言い切る、言明するというプロセスがあって、それが伝言ゲームでアノニマスの間で「定説」化していくわけですよね。

で、多分その言明の場面というのも比較的他愛のないものであって、場の雰囲気や話者のパーソナリティを考えたら、そういうテケトーな言明が不自然でない状況だったのかもしれません。それが回り回ってこうやって一定の「説」のような形で流通するというのは、まあちょっと苦笑混じりではありますが(笑)、言説の流布の面白い運動性と言えるかもしれませんね。

投稿: 黒猫亭 | 2008年3月 3日 (月曜日) 午後 02時49分

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