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2008年3月 9日 (日曜日)

蛍の光窓の土

ここ数年では最大のイベントとなった都落ちも滞りなく終わり、どうやら室内の配置も大まかには落ち着いた。当初は物置化しそうな勢いだった書斎の配置も、書棚やカラーボックスをそちらに集中したお陰で寝室がかなり広く使えるので、休閑の家電や保存書類・諸雑貨の類は寝室の収納に落ち着けることにした。何しろ押し入れや天袋が寝室に一間ずつしかないので、そこに何でもかんでも放り込むことにして、出しておいて見苦しくないものだけを書斎に置くことにしたわけである。

以前語ったように、今度の新居は一応3DKで以前より一間増えてはいるが、敷面積自体は旧居より若干狭いので、DKがやや手狭で収納が半間少ない。以前はDKに置いていたサイドボードを居間に置く羽目になったり、無造作に二つも置いていた猫トイレや餌場を生活動線上邪魔にならないように工夫したり、所々やりくりを考えなければならなかったところもあるが、概ね以前よりも快適で便利な配置に出来たと満足している。

生活習慣上最も大きく変わった事柄と謂えば、ほぼ全室禁煙にしたことである。オレのような自堕落なヘビースモーカーにはかなり辛い決断だったが(笑)、とにかくこの引越がきっかけでいろいろと煙草のヤニの害には困らせられた。オレの健康問題だけならそんなに苦労はないのだが、ヤニの汚染でいろいろ無駄なカネも遣う羽目になったし、いろいろな生活家電が主にそのせいで毀れているので、貧乏人には自宅で自由に煙草を吸う自由もないのだと諦めて世の蛍族の仲間入りを決めたわけである。

まあ、オレだけなら死のうが生きようが自己責任論の範疇の問題だが、逃げ場もなく間接喫煙を余儀なくされていた猫たちの健康もかねて心配していたところだから、これも好い機会だと考えることにした。

また、旧居はかなり築年数が旧くてろくにリフォームもしていなかったからヤニで汚してもそれほど物件上の実害はなかったのだが、新居のほうは大家がかなり気合いを入れて大掛かりにリフォームしたそうで、実質的な築年数の割には無闇に内外が小綺麗で、契約書にもヤニで汚したらリフォーム代を徴収するとしっかり明記されている以上、貧乏人としてはなるべく汚さないように心懸けるしかない。

壁紙の材質も、ちょっと強粘着のガムテープを貼ったらノリの溶剤で表面が溶けるような今時のヤワな代物で、部材としては石膏ボードが芯になっているようだから、金具やフックを取り附けるのも場所を選んで注意深く行う必要がある。メラミン樹脂のプリント合板や金属面が露出しているところくらいしか強度を要される金具類を固定出来ないので、その分配置の自由度を制限されるわけだが、それも致し方がない。

旧居では入居時にすでに柱や長押にガンガン釘跡が空いていたので、遠慮会釈もなしにそこら中に気楽に釘や木ネジをぶち込んでいたのだが(笑)、ここではそういうわけにも行かないので、いろいろと遠慮しながら塩梅している次第である(笑)。

そんなわけで喫煙のほうも、屋内では台所の換気扇の下だけに限り(どうせ油煙で汚れるので)、相成る可くはベランダで吸うことに決めたわけだが、季節が季節なので寒いこと寒いこと。日中大分暖かくなっては来たが、埼玉の田園地帯の夜風は洒落にならないくらい冷たい。大昔にと或る手芸好きの友人が洒落で縫ってくれた「ぬいぐるみ用の豹柄起毛地のシャツ」を実用に供する羽目になるとは思わなかった(笑)。

その有様をもしもハタから視たとすれば、夜中に狭いベランダの上で巨大な豹のぬいぐるみがしゃがみ込んで、気忙しく二〇分措きにぶるぶる震えながらスパスパと喫煙しているというシュールな光景に見えるだろう。近所隣で変な噂が立つのも時間の問題である。加うるに、そのベランダから見える光景とは、向かいに建つ双子棟の裏手の風呂場の窓か、道一本隔てた右手に拡がる小学校の広大なグラウンドである。

怪しいと謂えば、これほど怪しい不審人物もないだろう。オレがもしも何らかの冤罪事件に巻き込まれたとしても、ご近所の人々は口を揃えて不利な心証証言を重ねてくれるのではないかという気が今からしている(笑)。とは言え、この物件は大規模なリフォームを施した後に一斉募集をかけたものらしく、何処の世帯も事情は同じで喫煙者の男性陣がベランダや敷地内の駐車場で細々と喫煙している風景も見掛けるので、本当はそれほど不審に視られる行動でもないのだが(笑)。

そういう次第で頻繁にベランダに出ているわけだが、入居直後にベランダを視たら物凄く大量の土が溜まっていたのでちょっと驚いた(笑)。以前の報告で土臭いところだという話はしたが、とにかく正面と左手が畑で右手が小学校のグラウンドという立地なのだから、何処から風が吹いても必ず土埃が混じっているわけである。

どのくらい前にベランダの清掃をしたのかは識らないが、オレが入居するまでにそれほど長い時間があったわけではなかろうに、これほど大量の土が堆積するというのはかなりの衝撃である(笑)。庭箒を買ってきて一応ザッと清掃したのだが、掛け値なしにバケツ一杯分くらいの土砂が積もっていた。まるでベランダ緑化を試みて中途で放棄したような塩梅で、周りにこんなに畑があるのだから何もわざわざ自分の家のベランダを畑にすることもあるまいと一瞬考え込んだくらいである(笑)。

周囲の畑地では入居後暫くして植え込みが始まったようだから、流石にこれからの季節はさほど土埃が立たないだろうと思うが、冬場は注意しないと風の強い日など洗濯物を出しっぱなしにも出来ないだろう。以前の練馬も畑の多い土地柄ではあったが、流石にここみたいにそこら中無闇に畑に囲まれているというほどではなかったから、ちょっとしたカルチャーショックである。日常的に年柄年中颱風の雨漏りや塩害に悩まされている沖縄在住の友人の気持ちが少しだけ理解出来たような気がした(笑)。

そういう次第ですっかり田園生活を満喫しているわけだが(笑)、室内禁煙にしたことで更めて気になったのは、持ち込んだ家具や家電製品やフィギュアの類が洩れなく茶色くヤニで汚れているということで、ここ数日パラノイアックに熱中しているのは、激落ちくんとウェットティッシュで、目に附くものを片っ端から磨き上げるという作業で、この終わりなきクリーンアップ作業が終わる頃には、本当の意味で新居の生活が落ち着いている予定である(笑)。

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コメント

こんにちは、はじめましてニケと申します。

先ずは引越しが無事終了なさったとのことでお祝い申し上げます。「お祝い」の言葉に引っかからないでいただけますね、ある意味儀礼的な部分もあります。<(_ _)>
ま、儀礼的とは言いましたが、本当に引越しとは大変な労働を要求されるものですから、お疲れ様でしたと付け加えさせていただきます。

さて、「こちらの水伝事件」の折は、貴ブログでの論考が私にとって非常に参考になったのでありまして何はともあれ機会があれば御礼を申し伝えなければならないと思っていました。
その機会というのが今ではないかと思いこのようにコメント欄に書き込んでいる次第であります。

しかし、参考になったと私が思っていてもどれほど理解したのか?と問われれば、おそらくは私が自分にとって都合のいいところだけだったかもしれません。そういうことを考えると書き込みは早すぎたかもしれないし、でもこの先どれほど時間をいただいても100%理解できたかどうかは私にはわからないかもしれません。なので、お礼は早く済ませてしまおうとの勝手な理由でお邪魔しました。(笑)

本当にありがとうございました。

で、ついでといっては何ですが、馴れ馴れしくも文中に書かれていることに言及しますが、ヘビースモーカーとのこと、私も一日40本は煙に換えてしまっています。私は横着で家族の迷惑よりも自分のわがままを上位においていますので、3DKのすべての壁がヤニで汚れています。(><)
このたび引越しされた新居におかれては、住居がタバコのヤニで汚れないように配慮されたと聞き、私にもそろそろそういう時期が近づいてきたかもしれないと感じました。「猫たちの健康」にも思いやるお気持ちには考えさせられました。でも結構今までと違う生活行動は大変だろうなあ~と踏ん切りがつきませんw
今度引越ししたときからにしようかな?と、物事を先延ばしする癖がまた出てきてしまいました。(^^;

お礼がてらに長々と書くのもいけないのであと少し書かせていただいて終わりますが、

>室内禁煙にしたことで更めて気になったのは、持ち込んだ家具や家電製品やフィギュアの類が洩れなく茶色くヤニで汚れているということで、ここ数日パラノイアックに熱中しているのは・・・

には同情とともに日頃私が罪滅ぼしにあちこち拭き掃除するときの気持ちを思い出して笑がこみ上げてきました。実際タバコをすう人間が家庭にいるとこんなにもひどいことになるのかと改めて感じたものです。
あちこちの、どんな細かい隙間にも煙が入り込み、それは本当に丁寧に隅の角までふき取らなければ元のようにはなりませんね(^◇^;)
きれいにするとか、きれいになるとかも、それはそれで楽しみに感じることもあるけれど、出来ることならば思い切ってやめるということがベストの選択との結論なのでしょう、私には。^^
もうしばらく考えさせてもらいます。考えるきっかけを与えていただけたと感謝申し上げます。<(_ _)>笑

では、もういちどお礼をいたしまして、失礼いたします。
ありがとうございました。

投稿: ニケ | 2008年3月 9日 (日曜日) 午後 09時06分

お引っ越しお疲れさまです。
そして、屋内部分禁煙に踏み切られた事、お祝いいたします。
綺麗なセーブル色のマヤちゃんと濃いめのチャコールグレーのツクちゃんも、元の毛色を取り戻すのでは(冗談です)
落ち着かれましたら、「宿題」wは元より、今期の特撮やドラマのレビュー、楽しみにしております。

投稿: shof | 2008年3月 9日 (日曜日) 午後 10時11分

無事にお引っ越し、おめでとうございます。
こちらもばたばたしていて、なかなか連絡がとれない状態になっていますが、落ちつかれたらご連絡先などお知らせください。
とりあえず、ブログの更新を楽しみにしております。

投稿: 毛小子 | 2008年3月10日 (月曜日) 午後 05時07分

>ニケさん

いらっしゃいませ。過分のお褒めに与りまして大変恐縮です。正月の一件は、昨夏から続いていた政治ブログ言論への関心を急速に薄れさせた事件として、オレの中でも忘れ難い印象を残したイベントでした。

当事者の方から視れば、オレのコメンタリーには十把一絡げ的な雑駁さを感じられた部分もあったかと思いますが、或る種、あの事件に接してオレが感じた苦々しさが幾許か反映されてあのような冷淡な言い方になりました。

こうしてニケさんがコメントしてくださるということは、当事者の方の中にも自説の都合以外の観点において他者の意見を読み解かれるだけの度量がおありの方もいらっしゃるということだと思いますので、この際、少し踏み込んだお話をさせて戴きたいと思います。お気に障りましたら、聞き捨てにして戴いて結構ですので、少しだけ。

以前何処かで申し上げたことですが、オレ自身としてはどちらの陣営に与するつもりもないですし、どちらが正しくてどちらが間違っているかを判断する意志すらなく、誰かを味方視したり誰かを敵視したりするつもりもありません。そちらのブログを拝見すると、ニケさんは中心に近い位置におられた当事者の一人としての立場で痛烈な個人批判を展開されているようですが、それに対してもオレが何らかのコメンタリーを加える意味はないと思います。

つまり、オレはあの一件を特定個人同士の諍い事として視ておりまして、その故にこそ直接当事者以外の他者にとって窮めて関係の薄い事柄だと考えています。その一方で、かねてよりオレは、政治ブログにおける発言は公益を第一義に掲げた選れて公を意識した言説であるべきではないかと考えております。

それはつまり、たとえばブログ上で「安倍晋三を倒せ」的な主張を訴え続けるということは、現実世界に対してその言説で以て幾許かの影響を与えようとする試みだと思うのですが、その言説が公益を目指す意識において書かれたものではないのだとしたら、それは単なる個人の得手勝手な恣意に基づく無責任な放言にすぎないと思うからです。単なる思い附き程度の軽い意識で、日本人であるなら唯一人の例外もなく生活上の大きな影響を受ける事柄に言及されるのではたまったものではありません。

政治というのは、国民全体に遍く関係する飛びきりの公事ですから、それに対して幾許かの影響を与えようとする言説には、その個々の言説の影響力なりに公益性や責任感が求められると思うのですね。それは「政治ブログではなく日記だ」と断っておられても政治や社会に言及する以上は同じことで、その主張を一種の社会正義と信じて不特定多数に訴える以上は、それが不特定多数にとっての公益を目指す言説だという妥当性の名分が必要なものでしょう。同様に、その間の事情はここのような軟派な弱小ブログでも同じであるとオレは認識しております。

常日頃どんな砕けた莫迦話をしていても、少なくとも多くの人々が逃れ難く関係している政治や社会の事柄を語り現実を動かそうと意志する場面では、その意志がどれだけ現実を動かすのか、どれだけの力を持つのかによらず、精一杯襟を正し公を意識して情報を発信すべきではないか、オレはそのように考えます。

しかし、正月の一件においては、多くの人々が特定のブロガーと自身の間の個人的な関係性に基づいて擁護や批判を目的視してコメンタリーを行ったのだし、批判をする側も擁護する側も結果において水伝を口実として扱った側面があるということは、最も直截に公益を目指すべき政治ブログの実態として、非常に嘆かわしい事態だと感じました。

そんなもん、リベラル系ブログ勢力が分裂しようが糾合しようが、どうでもいいと言えばどうでもいいんです。問題なのは、単なる個人的な遺恨に基づいた下世話な「喧嘩」が起きて分裂したという事実と、その事実の他者からの見え方、つまりそれらのブログが意見を発信している対象である不特定多数の読み手から視た見え方です。

おそらく、あの一件に関して、どちらが正しくてどちらが間違っているというような話をするのであれば、あの特定のブロガー諸氏の間でこれまで持たれたコミュニケーションの積み重ねを理解する必要があるのでしょうが、正直申し上げて、それは公益性とはまったく無縁な特定ブロガーの個人性の問題であるにすぎませんから、わざわざそんな他人の日記のようなものを掘り下げてまでジャッジすべき必要性を一切感じません。

たとえばAさんという人とBさんという人の間で長年の間水面下で確執があったとしても、それは徹頭徹尾AB両氏の間の個人的な関係性の問題でしかありません。無関係な人間が、わざわざAB両氏の間の長年月に及ぶコミュニケーションの総体を理解してコメンタリーする義理も関心もないわけです。そういう非常に個人的な事柄が、あろうことか政治系ブログ論壇の表向きの大問題として激しい対立に発展するということは、非常に不潔な事態だと感じました。

ぶいっちゃんさんもkojitaken さんも、要するに「自分の仲間が侮辱された」というような非常に個人的な動機を公言されていたのには、大変失望致しました。そう仰った瞬間に、その闘争は無名の私闘となります。つまり、ご自身の同志や自ブログの読者に対する攻撃を名目に掲げられた瞬間に、「これは『ただの喧嘩』だ」と内外に宣言されたことに均しいとオレは視ています。

お二方とは友だちでも仲間でもないオレにしてみれば、その瞬間に正月の騒動は公益性の一切介在しない「他人事」の「ただの喧嘩」になったということです。

要するにこの方々は互いに「友だちの庇い合い」をしておられるのだ、ならば友だち以外の人間には何ら関係のない「私事」なのだ、それなのに「水からの伝言」のような洒落にならない悪影響を及ぼす問題性を口実的に使っておられるのだし、天下国家を論ずる論壇の大きな問題として発展することに些かも愧るところがないのだ、その諍いの拡大を留めようとすら努められないのだ。そんな論争の何処に公益を目指す理想があるのか、非常に疑問を感じました。

自身の同志や自ブログの読者が、同じネットワーカーの言説によって侮辱されたからと言って、それがどうだというのでしょうか。彼らの仲間が不快な思いをしたことに対して徹底的に気が済むまで復仇しなければ、彼らの政治的主張が実現しないとでも言うのでしょうか。

たとえば冤罪事件や不当なバッシングのように、公権力やマスコミによって一介の市井人が不当に攻撃されたというのであれば、そこには無視出来ない力関係の不均衡が存在しますから、政治や社会問題を扱う論壇が公的な関心事としてその特定個人を擁護する論陣を張るということも在り得るのでしょうが、ネット上においては一人ひとりが公平に発信のメディアと機会を提供されているのですから、それは徹頭徹尾侮辱を与えた個人と受けた個人の間の私的な関係性の問題に過ぎません。

たとえばkojitaken さんは同志に加えられた不当な攻撃を理由に挙げて、攻撃者を公に敵と名指しされましたが、これは今時のブロゴスフィアで通用する論理ではないでしょう。攻撃された方が、著しく公平性に欠けるような何らかの弱みを持った方だというのであればともかく、その同志の皆さんもご自身が積極的にネットで情報を発信されているタフな論客揃いなのですから、同志とは言え他人である彼が他人の喧嘩を買って出て公に敵対宣言する名分などはありません。

精々そのような不当なネットワーカーの振る舞いを自分は是としないとして堂々と言説批判を加えれば好いことで、表の政治的言説用のツールで特定個人を公敵として宣言されるというのは、明らかに公私混同ではないかと思います。ご自身が日頃生温い公私の別が不分明な連帯・共闘の呼び掛けを厳しく批判しておられるにも関わらず、感情に基づいてそのような集団安全保障的な振る舞いをなさることは、まさしく「唐獅子牡丹」的な浪花節の連帯・共闘の論理ではないか、という矛盾も感じました。

オレ自身、ブロガー同士の連帯や共闘に大した意義を感じていないので、彼の連帯・共闘批判にも一理あると感じていましたが、その連帯・共闘派との対決の場面でご自身が相手とまったく同じことをされるのでは、言行不一致というものでしょう。

また、ぶいっちゃんさんにしても、政治的言説と絡めてブロガー同士の共闘や連帯を訴えることで、私的な次元の交流と公の次元の言論闘争の境界が不分明となり、それが遠因となって典型的な公私混同の「口喧嘩」を招来した側面は否めないと思いますし、水伝に関して受けた批判は甘んじて甘受すべき事柄であったと思います。まさしく、オレが最近お附き合いを戴いているニセ科学批判の論者の方がいつも仰っている「イノセントは何の免罪符にもならない」ということでしょう。

そのような弁別の不分明な混濁というのは、たとえば「これは政治ブログではなくて日記ブログだ」というご意見にも顕れていることで、オレの考えは前段で語りましたが、それとは別の次元で、たとえば単に彼と仲良くしたいだけのコメンターと、政治的な連帯・共闘に連なるコメンターの境界が不分明になり、さらには水伝に関する言及に関しても政治系ブログ界隈における伝播の範囲を考えれば一定の責任は伴うはずなのに、そのような責任を自覚しておられない。

こちらのような微々たるアクセスの弱小ブログですら、そのアクセスなりの伝播の範囲に対する責任感というものはいつも考えて発言させて戴いているつもりですが、事実において政治系ネットワーカーの間で大きなアクセスを稼いでいるブログの管理者が「自分はそんなつもりではないから」という理由で「政治系ブログではない」ということを楯にとられるのは、旗幟不鮮明も窮まると思います。

その意味で、オレはこの方を、人間的には好人物で悪意はなく、いろいろ人を惹き附ける魅力をお持ちなのだろうが、思考に論理的な徹底や緻密さがなく、その故にネットの交流においてはいろいろな悶着の種を内包しておられる方だと解しています。

このような対立構造において、このご両人の間の衝突が表面化すれば、それがベタベタな口喧嘩の罵り合いに発展するのは当たり前の話でしょう。

最も「公」に配慮すべき論壇で起こった身も蓋もない私的闘争に接して、オレは深い失望を覚えました。そういう落胆があったものですから、それまでは或る政治系ブロガーの方がこちらのエントリーの内容とはまったく無関係な、それどころか本文を読んですらいないと思われるTBを送ってこられても、一応TBを受けることによって活動の一助になればと思って黙って通しておりましたが、あの一件以来、政治系ブロガーの方からの本文とは無関係なTBは一切受け附けないことにさせて戴きました。

そんな一方的な連帯・共闘の圧し附けなど真っ平御免蒙ります。

とまれ、正月の一件においては、どちらが良い悪いの問題ではなく「ダメな議論」の典型のような「口喧嘩」の泥沼化のプロセスを誰も止め得なかったことが、現状のリベラル系政治ブログ論壇の自浄力の限界として捉えられるべきだと思います。それは大袈裟な言い方をすれば、特定論壇全体の層の厚みというか、共同体内部の良識の力の問題でもあるでしょう。

勿論、ネットのコミュニケーションというのは、所詮は生身の人間同士の交わりですからときには喧嘩も起こるでしょうし、それがいけないということではありません。しかし、そのような非常に私的な喧嘩に過ぎない問題が、当該論壇の天下分け目の大決戦に発展し、多くの名だたるブロガーが我も我もとその私的な口喧嘩に乗り込んでいって、誰もそれ自体が問題であるという自覚がなかったということが、論壇全体の脆弱性や成熟性の程度を暴露しているということにはならないでしょうか。

個人的には、それと相前後するタイミングで、水からの伝言をはじめとするニセ科学を真剣に相手取っておられる論者の方々と知遇を得る形になったので、よけいにこの論争のダメさ加減を痛感致しました。あの論争に加わっておられた方々は、誰一人として水からの伝言という原テクストに内在している深刻な問題性そのものを誠実に捉えようとはなさらなかった。

みんながみんな、自身の属する関係性の都合によって、水伝を「些末な問題」扱いしたり「深刻な問題」扱いしたり、剰りにも便宜的に過ぎる議論に感じました。誰もが水伝というテクストに対して、自身の目的性において都合が好いか悪いかを第一義に判断して行動されたという強い印象を覚えました。すべての言説の行き着く処が、必ず特定個人に対する人格批判に収斂する議論など、無関係な第三者から視たら無意味な口喧嘩でしかないでしょう。

そういう意味では、ニケさんのブログに対しても政治やニセ科学とは無関係な個人的関係性を動機とする言説だという印象を覚えましたし、おそらくニケさんの意図としてもそのような性格の「報復的制裁」を企図しておられると思いますので、失礼ながらあの騒動の局外者であるオレが読む必要はないのではないかと思います。

繰り返しますが、正月の騒動の最大の問題点は、あれが当事者以外には誰にも必要のないテクストに終始した、剰りにも「ダメな議論」だったことだとオレは考えています。当該論壇のトップに位置するような著名論者が多士済々で参加された謂わば「総力戦」であるにも関わらず、ダメな議論しか出来ないダメな論壇だという印象を声なきROMに対して強烈に与えたこと、それが最大の問題点だとオレは感じています。

日に数千、場合によっては数万に達するアクセスが、まさか表向きにコメントしたり自身もブログを開設している目に見える読み手のみによって支えられているなどと考えておられる脳天気な方などはおられないでしょうし、そもそも政治的現実に影響を与えようと意志する言説は、目に見える程度の読み手だけを相手にしていて成り立つものではないはずです。オレの謂う公とは、そのような声なき読み手の厳しい第三者的な視線のことでもあります。

その、肝心要のサイレントマジョリティに対して大きな失望と幻滅を与えたこと、これが論壇全体の最大の問題点でなくて何だというのでしょうか。炎上と喧嘩はネットの華とは言え、その一時の野次馬の熱狂が去れば、寒々しい荒廃しか残りません。これまで論壇全体が不特定多数の読み手の間に積み上げてきた信頼が、あの件で一気に喪われたのだとオレは視ています。

この騒動の内容に関して一切ジャッジしたくないというのは、個人と個人の私闘に過ぎない「ダメな議論」に、政治やニセ科学という窮めて重要な問題性を口実として加わることに大きな忌避感情を覚えるからです。たとえば、あの騒動におけるあのダメな議論があったお陰で、これまで長い時間をかけて周到に水伝を批判してこられた論者の方々がどんな不当な誤解を蒙ったか、それをオレは身近な間合いで見せ附けられたのだし、その誤解を払拭する為の議論にも自ら積極的に加わりました。

その議論に加わる意義は感じても、正月の騒動に関しては当事者の一人になることすら馬鹿馬鹿しい、真っ平御免だと感じてしまいます。オレという個人の感じ方の範疇においては、そのような不潔な印象を与えることが正月の騒動の真の問題性ではないかと感じる次第です。

少し前に、正月の騒動の当事者の方がニセ科学批判のブログにコメントをされて、特定のサイドの論者に対する個人批判を仄めかしておられましたが、有り体に言えばそれも迷惑な話で、オレがお附き合いを戴いているニセ科学批判の論者の方々は、特定個人の悪辣さや愚昧さを糾弾することでニセ科学を批判しておられるわけではなく、飽くまで言説批判や実態批判の建前で、冷静且つ理知的に議論を展開されている方ばかりです。

「ニセ科学を喧伝する輩はこんなに下劣な人間だ」などというつまらない個人攻撃で問題が解決するならこんなに簡単な話はないわけですが、マトモな論客の方はそんな安直なことを考えているわけではありません。それは本来、政治に関する言説でも同じことのはずで、特定政治家であれ特定ブロガーであれ、悪者をやっつければそれでめでたしめでたしなどというお手軽なお伽噺がこの世にあるわけなどないんですよ。

そういう意味で、オレは特定政治家を槍玉に上げ打倒のシュプレヒコールを上げたり口汚い人格批判に終始するようなブログ言説に何かの意味があるとは思いませんし、それはブロガー同士の議論でも同じことのはずです。「あいつはこんなに悪い奴だ」ということを効果的に大きな声で叫んだ者の勝ちなどというつまらない議論にはまったく興味はありませんし、それで何かが変わるなどとも考えていません。

ぶいっちゃんさんやkojitaken さんがどんな方なのかは存じませんが、良い人であってもネットで拙いことを公言すれば批判されるのが当たり前なのだし、悪い人であっても言っていることがマトモならそれは耳を傾けるべき価値があるはずでしょう。当人の人格とその言説がまったく無関係だとは申しませんが、その二つは別々の事柄なのですからまずは分けて考え、その考察のプロセスで人格と言説が分かち難く結び附いている場面においてのみ人格に言及するというのが筋というものだろうと考えます。

それ故に、その二つがいとも簡単に短絡してしまう言説には、オレ個人としては一切意義を感じませんし、あの手この手の人格批判で「あいつはこんなに悪い奴だ」ということばかり無神経な大声で叫ぶブログはまず真っ先に撥ねることにしています。

その意味では、ニケさん個人は敵視しておられるようですが、表向きの政治的言説としては、オレはkojitaken さんのご意見は割合信頼しています。彼の意見には、概ね特定の個人批判ばかりではなく、政治の現状を客観的に踏まえた提言要素がありますから、最低限政治に言及する言説としての首尾結構は整っていると思います。政治的言説を語る者に対して勉強しろと訴える主張にも、大変尤もな妥当性があると思います。

自分にとって大事な事柄を考えることを他人任せにするな、自分の頭で考えろ、その為に必要な知識は努力して収集すべきである、これは何かを公に語る場面においては至極当たり前の主張です。その言い方が偉そうだとか、何様だとか、そういう批判は正直つまらない言い懸かりだと思います。「上から目線」に神経質なイマドキの若者ならともかくも、政治を語ろうと謂うほどの大人の論者がそんなつまらない印象論に拘泥するのは間違っていると思います。

政治というのは誰にとっても他人事ではありませんが、それは勉強もせずに好き勝手に印象論で語って好いということとイコールではないはずです。大人ならいつかは必ず直接自力で政治の是非を冷静に判断する必要に迫られます。その場合、特定の政治家が信頼出来るとかこの政治家はダメだとか謂う人格判断のみに依拠するのは、その特定政治家に政治の全責任を負わせる完全な易道というものでしょう。

そこを押さえている以上、オレはkojitaken さんのご意見には一定の信頼を寄せていますし、政治は難しくなんかない、もっとカジュアルに語れるものだなどと嘯く論者を一切信用していません。カジュアルに判り易く政治が語られた結果、コイズミ政治が罷り通ったのだという認識において、オレも彼の意見にまったく同感です。

その一方、彼が一人の人間としてどのような人物であるのかなどはオレには一切関係のない事柄ですし、ネット上の個人的な関係性において誰にどのような態度をとっておられるのか、過去にどんな個人的な経緯があったのかということにも興味はありません。

公益を目指してブログをツールとして活用し、政治的言説をネット上で発信していく以上は、少なくともテクストとして他者に有用な情報を発信することを心懸けることが第一ではないかと愚考致しますし、その意味で彼のブログは一定の役割を果たしていると思いますので、友だちでも仲間でもないオレとしては、政治ブロガーとしての彼個人に対して文句を言う筋合いなどはありません。

オレが遺憾に思うことは、政治的言説においては日頃周到な発言をされる方が、つまらない私闘を公に行うこと、つまり窮めて初歩的な公私混同を不用意に自らに許したという、それだけのことであって、それは人格批判ではなく言説批判の範疇の事柄です。そこで私の感情の突出を自らに許したからこそ、ニケさんのブログのようなご意見に対してメタ的な観点から批判し得る立場には立てなくなったのだし、それは一種自らの行いによって得られた呪いのようなものだろうと思います。

ニケさんのブログを拝見して感じたのは、おそらくニケさんは彼が自身に許した私の感情に対してダブルスタンダードの臭いを感じ、その矛盾せる姿勢が許せないという動機の下に、飽くまで同一次元に立って喰らい附いていこうとする執念のようなものをお持ちではないかということなのですが、違いますでしょうか。

だとすれば、それが彼自身の過去の言動と同一次元に立った私の闘争である以上、オレはそれに対して一切言及するべきではないと思いました。kojitaken さんがそのような私の突出を厳しく徹底して自身に許さなかったのであれば、オレはニケさんの痛烈な批判を不当な論難であると感じたでしょうが、ご両人の間で私の闘争であることが諒解されている以上、何を言うべきでもないだろうと思います。

あなた方にはご自身のブログを使って「私的な口喧嘩」をする自由がありますから、誰もそれを止めるべきではないでしょうが、それを第三者がどのように視るか、これもまたそれらの人々の自由でしょう。

あの一件を、「水からの伝言」を中心に据えて問題性を抽出するなら、どちらのやり方が拙かったにせよ、どちらかが冷静に振る舞いさえすれば原理的には幾らでも理性的に収めることが可能なはずの議論であったというのがオレの意見で、それが出来なかったのは、「こいつは昔こんな仕打ちをしやがった」だの「こいつのこういうところが昔から気に喰わなかった」という積年の恨み辛みの鬱積した感情の故でしょう。

敢えて強い表現で言うなら、それは2ちゃんでよく見掛ける類の喧嘩です。

そういう次第で、折角好意的なご評価を戴いたのにこのような憎まれ口でお返事を差し上げるのも心苦しいのですが、正月の一件を未だ問題視されるのであれば、個人性の動機に基づく人格批判を展開し、特定の論者の影響力を排除しようと闘争されるのではなく、論壇の成熟を促すような冷静な実態批判を展開されたほうが、よほど意義があるのではないかと愚考する次第です。いや、もっと言えば、寧ろ当事者の方々の中からこそそのような冷静な言説が現れるべきではないのか、それが論壇の成熟のプロセスの第一歩となるのではないか、と、オレは感じます。

我が身を省みない僭越な提言ですが、ご不快に思われたらお詫び致します。

>>私も一日40本は煙に換えてしまっています。私は横着で家族の迷惑よりも自分のわがままを上位においていますので、3DKのすべての壁がヤニで汚れています。(><)

オレも以前は一日三箱以上吸っていたヘビースモーカーだったんですが、今回分煙に踏み切ったことで、二箱弱にまで節煙出来ました…といっても、世間並の基準ではまだまだヘビースモーカーの範疇ですが(笑)、まあ、現役時代に体重二〇〇キロだった相撲取りが、引退後にダイエットに成功して一五〇キロにまで減量出来たと喜んでいるようなものというか、健康面の意味はそんなにないと思います(笑)。

まあでも、人間のご家族に対してはそれほど神経質に遠慮される必要はないと思いますよ、奥様が本当に間接喫煙の健康被害を深刻に考えておられるなら、そもそも屋内での喫煙など許されないでしょうし、けっこう大きなお子さんがいらっしゃるようですが、喘息などの深刻な持病でもあるならともかく、程度問題とはいえ子供が親の小さな我儘の犠牲になるのは当たり前のことだと思います(笑)。

結局、家族の間の事柄は、多少の理不尽を含みつつも家族同士の間の暗黙の合意や諒解で廻っていくものですから、よしんばご家族に間接喫煙のリスクがあるとしても、それは織り込み済みで家庭内の関係性が廻っているのではないかと思います。

一方、オレが猫に対して済まない気持ちを覚えるのは、猫の場合は彼女たちの自由意志とは無関係に一方的に人間の都合で家の中に閉じ込めているからです。それでも完全室内飼育に徹することで屋外飼育の場合と比べて寿命が数倍伸びる(屋外飼育では平均して五歳前後で死にますが、室内飼いだと二十数年生きた個体がいます)ということを考えれば、それほど理不尽な仕打ちというわけではないですが、オレが彼女たちの前で煙草を吸わなければもっと健康に長生き出来る可能性があるわけです。

で、猫の主観で考えたら、別段この先可能な限り長生きしたいとも、逆に外で伸び伸びと遊びたいとも考えていないわけですから、単に飼い主のオレが一年でも一カ月でも一日でも長生きしてほしいと望んでいるというだけの話ではあるんですね(笑)。

だから、猫たちに長生きしてほしい、病気にかからないでほしい、いつも元気にしていてほしい、そういう内心の動機の故に、猫たちの間接喫煙に対して疚しい気持ちを覚えるというのは、突き詰めて考えれば、オレの彼女たちに対する浅ましい執着であり、愚かしい煩悩だという言い方も出来るんでしょうね。

常々思うことなんですが、オレという人間は身近にこのちっぽけな生き物がいるお陰で生かされているのだな、と感じることが多々あって、若い頃は「オレはなんで生きているんだろう」という面倒臭いことを考えねばならない時期がありますが、いろいろ考えていくと、意味があろうがなかろうが、今自分が現に生きているという事実から出発せざるを得ない、現実に生きているんだからその意味を自分でつくっていかなければならない、という身も蓋もない結論に辿り着かざるを得ないわけですね。

今は割合幸せだな、と思うのは、この歳になって同じことを考えたとしても、今自分が現に生きているから生きていかねばならないのだという剥き出しの事実の上に、この生き物と暮らしているのが単純に楽しいというポジティブな薄皮が乗っているということで、少なくともこいつらが元気で生きていてくれる限り、オレは考えてもしょうがないことを考えずに、ポジティブな動機附けにおいて明日も生きていこう、生きていきたいと考えられるわけで、ちゃんとした大人なら、それは同じ人間を相手に抱く感情なのだろうなとか考えたりするわけですね(笑)。

まあオレはちゃんとした大人ではないので(笑)、人間より遙かに寿命の短い小動物との暮らしに伴うささやかな嬉しさを拠り所にして今日も生きていけるわけで、だからこいつらには出来るだけ長生きしてほしいと切実に思ったりするわけです。

そんなことを真顔で考えて長々と打ち込んでいたりすると、退屈して邪魔しにきたり大暴れしたりして物凄く面倒臭い事態に発展して、こいつらがいなかったらどんなに楽だろうとか勝手なことを考えたりするわけなんですが(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2008年3月11日 (火曜日) 午後 07時17分

>shofさん

どうもです。一応、屋内でも台所の換気扇の下は喫煙スペースということにしてあるのですが、折角猫どもの健康を気遣って人間様が待避しているというのに、飼い主が台所に移動すると寂しがって二匹とも換気扇の下にぞろぞろ集まってくるので、何だか無意味な気も致します(笑)。

なので、なるべくベランダに出て吸おうと思うんですが、流石に向かいの双子棟で住人がバタバタ立ち働いている日中のタイミングでは出て行くのも気が引けるので、専ら夜になってからという話になるんですが、今時分の夜風はホントに冷たいのでかなり気持ちが挫けます(笑)。

ご近所の視る目ということでは、一応昼のうちにベランダで喫煙している姿を見せておいて「このヒトは煙草を吸いに出ているんであって不審人物ではありませんよ」ということをアピールしてはいるんですが(笑)、流石に宵の口の風呂時に風呂場の窓が見える場所に屡々出て行くのも胡散臭いので、いろいろと気を遣います(笑)。

>>綺麗なセーブル色のマヤちゃんと濃いめのチャコールグレーのツクちゃんも、元の毛色を取り戻すのでは(冗談です)

あれは多分、保護色なんですよ(木亥火暴!!)。周囲の環境が須くヤニで茶色く染まっているので、その色彩情報が視覚を通じて入力され、その刺激で蛙やカメレオンのように体毛の色彩を変化させることによって外敵から身を守っているのです。

…という口から出任せを脊髄反射で打ち込んでから、この世にあたしらを虐げる者など存在しないのですわ、何故ならアテクシはお仏蘭西のじょーおうなのです、と言わぬばかりにのうのうとでかい態度をとっているお嬢さん方にとって、外敵って何だよとセルフツッコミを入れたことは申しあげるまでもないでしょう(笑)。

少なくとも、二匹とも毛色が茶色いことで得られる結果と言えば、暗がりで濃色の背景の場所にいても気附かれないので、よくオレに蹴っ飛ばされるというデメリットしかありません(木亥火暴!!)。

月夜のほうはグレーと茶色の中間ですからまだしもなんですが、摩耶のほうは醤油に浸して焦がしたような真っ茶色で、暗がりではまず見分けが附きませんから、新居に移ってからもすでに寝室で五、六回蹴っ飛ばしているので、保護色を使えるほど気の利いた生き物ならもっと明るい色の警戒色に衣替えしているはずだと思います(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2008年3月11日 (火曜日) 午後 07時17分

>毛小子さん

どうもです。ああ、よく視たらこのハンドルは「毛小子」であって「毛少子」ではないのですね、確か気にするほど禿げてもいないはずなのになんでこんな自虐的なハンドルにしたんだろうと暫く考えてしまいました(木亥火暴!!)。

連絡先のほうは後ほどメールさせて戴きますが、もう暫く毛先生の迷惑な長電話から開放された自由を満喫させてください(木亥火暴!!)。いや、冗談ですから、ホントに冗談ですから、お気になさらず(笑)。

これまで先生のところの苛酷な自然環境の話は他人事のように聞いておりましたが、本文で触れた通り、今は笑い事ではありません(笑)。黒土混じりの強風が三方から襲い掛かってくる環境に住んでみると、人間は自然の猛威と戦いながら生きてきたのだなあと更めて痛感致します…いや、ホントはそんなご大層なことは考えていませんけど(笑)。

この調子でいつもいつも土の混じった重い風が吹き続けたら、こんな建物なんて一〇年くらいで摩り切れてしまうんじゃないかとシュールな心配をしてしまいますが、周辺の住宅がみんな築一〇年以下の新しい上物ばかりなので、満更冗談でもないかも知れませんね(木亥火暴!!)。多分この辺の建物は、みんな一〇年くらいで摩り切れてしまうんですよ。一〇年経ったらオレも五十台の半ばですから、またこんな大騒ぎをして転居するだけの元気が残っているかどうか心配です(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2008年3月11日 (火曜日) 午後 07時18分

黒猫亭さん こんにちは。
また訪問させていただくことになりましたが、よろしくです。

私のコメントへのご丁寧なるお返事をいただき、まずもって御礼申し上げます。そして非常に感動をいたしております。それはまさか政治ブログといわれるところの「正月の一件」についてのお考えまでうかがうことが出来るとは思っていなかったからです。

真っ先にあげなくてはならないことは、さまざまなご指摘の中で、「政治ブログ言論への関心を急速に薄れさせた事件」となってしまったことでした。当事者でもある私が(実は内心当初から懸念しながらも)読者の方々への影響の回避の努力も怠り、流れに任す態度どころか益々火に油の行為であったことは私自身恥入るばかりであります。すでに失ったものの大きさに暗澹たる想いをいまだ消すことが出来ません。

私自身がまったくおっしゃるとおりの「特定個人同士の諍い事」の馬鹿馬鹿しい出来事と認識をしながらも、自分へも向けられた言説を容易に無視できず、一見「ぶいっちゃんへの応援」を隠れ蓑に私怨を吐き出していたことは情けない限りであり、まさに自分が“小人”であったのだとの結論でした。今後いかにして聞き流すことを身に付けるかが課題となっております。(・・・にもかかわらず、今もって私が変わっていないことも付け加えておきます。情けない!)

次に私が感銘を覚え貴重なお考えとして受け取っていることが、「政治ブログにおける発言は公益を第一義に掲げた選れて公を意識した言説であるべきではないかと考えております。」であります。これは耳が痛いとか言う類のことではなく、政治ブロガーがまさに基本に据えて発言するという「公の意識」の問題なのでしょうね。他人事のように私が言うのは憚られますが、今現在の日本の社会の反映でもあるのかな?と。社会の上層部における「公私混同」が、多少の非難を浴びながらもまかり通っていってしまう現実から、私(たち)自身が自らを免罪にして「得手勝手な恣意に基づく無責任な放言」に対して不感症になってしまったと・・・。
これは深く自省しなければならないこととしてご指摘に感謝しております。

>単なる思い附き程度の軽い意識で、日本人であるなら唯一人の例外もなく生活上の大きな影響を受ける事柄に言及されるのではたまったものではありません。

重く受け止め忘れないようにいたします。いかに公も私もごちゃ混ぜの言説を読まされて不快な思いをされている方々が多くいらっしゃるかを想像できました。「精一杯襟を正し公を意識して情報を発信すべき」が納得できました。これからどこまで自分を変えられるかはともかくとして、お言葉を胸に刻み努力していきます。

さて、「水からの伝言」は最初何がどれほどの話であるのかわかっていませんでした。ただ社会的にも害悪があるとの話と少し小耳に挟んだ程度として知っていました。最初のぶいっちゃん批判の文章を読んだ印象は、その文体から感じたことを述べたものであり、それが書き手である人物から全く自分中心の言い訳をしてきたと私が理解したことから当事者になってしまいました。(弁解も含む)
その後、日が経つにつれ「水からの伝言」への理解も出来てきて少しづつ様子がわかるにつれ、他者を攻撃する「口実」に使われているのではとの疑問が出てきて主にそちらの視点での論の構築をしていました。

この段階では、「水からの伝言」をまだ「瑣末なこと」として扱っていました。すでに騒動は爆発的な勢いで拡大していて、当面は政治ブログの他の方の意見がどのようなものなのかとあちこち読んで回っていた所為もあり、こちらhttp://kuronekotei.way-nifty.com/nichijou/2008/01/post_d362.htmlに辿り着くまでには1ヶ月~2ヶ月近くもかかってしまいました。問題意識が水伝などにはなかったのです。ただ科学を語るにしては科学的な思考や態度がない人たちの話だな?と感じていて、もっぱらその視点での反撃のための考え方を整理していました。

で、政治ブロガーの皆さんの意見をいろいろなところで読んでいたのですがどうにも落ち着かない。結局は何が争点なのかがわからないのでした。ただただ人格攻撃への言い過ぎたことへの指摘であったり、それに対して謝罪をしたりと、それはもう本当に意味のないものでした。「水からの伝言」についてはただ単に擁護する側になるのか批判する側になるのかの二択でしかなく、本質的に有害言説であるかどうかなどどうでもよいとの感じがしました。「ニセ科学を真剣に相手取っておられる論者の方々」や第三者からみてもあきれ果てられるのも仕方がなかったと今にして思うのです。ま、私自身がその中心で旗を振っていたのですから「なにをかいわんや」と非難されても仕方がありませんが・・・(嘲笑)

こんな不毛な対立はいい加減にしてやめようと思いながらもずるずると2ヶ月以上も過ぎてしまった過去を振り返ってみて、何の何処がいけなかったのか?を突き止めたいと思い、強引に一方的に終局宣言を出し、とあるところでお会いした亀さんや技術開発者さんとの会話を切欠に「ニセ科学を真剣に相手取っておられる論者の方々」のご意見を読むようになりました。それはあまりにも膨大なのでいまだにほんの入り口しか読んでいないのだろうと思っています。

そんな中で「水からの伝言」の本質的な論議も踏まえ、なおかつ「正月騒動」にも言及されている黒猫亭さんには何はともあれお礼の挨拶を申し上げたいと思っておりました。そしてまだまだ読んでいない箇所がたくさんあり、コッソリと読むにしても、いまどきのアクセス解析等で「何故頻繁に訪れるのか?」の訳も一度明らかにしておくべきか(杞憂?w)と二つの理由のためにコメントをさせていただきました。水伝の社会に及ぼす悪影響についての議論の輪に入るほど自分の理解が出来ているわけではないので、「ニセ科学を真剣に相手取っておられる論者の方々」との討論など当然控えておりました。ただ陰ながら皆様方へのご努力には敬意を表するものであります。

正月騒動がぶいっちゃんとkojitaken さんの極めて「個人と個人の私闘」に巻き込まれた政治ブロガーたちに、私も馬鹿な役割を負って騒動を煽って拡大していたことへの反省を先にも述べましたが、おっしゃるところのぶいっちゃんへの言及は理解できます。やはり私たち全体が「公を意識した言説」に心がけるには、まだまだ成熟以前の状態であったとの認識を新たにしました。と、私が全体を代表したかのような書き方は駄目なのでしょうね。少なくとも私個人は未熟であったと思っています。(^^;

kojitaken さんへの私の見方は迂闊に言えば誤解を招くことなので言葉を選びたいのですが適当な言葉が浮かびません。ただ一言申し上げれば私が悪感情を持つようになったのはほんの最近のことであり、さすがに皆様が評価されるほどの論客なので、それ以前は私も評価していました。今現在も100%否定しているわけでもなく学ぶところは学んでいます。残念な関係になってしまっていますが、ひょっとすると私自身が未熟さから脱することですべてが氷解することなのかな?とぼんやりと感じています。

>オレが遺憾に思うことは、政治的言説においては日頃周到な発言をされる方が、つまらない私闘を公に行うこと、つまり窮めて初歩的な公私混同を不用意に自らに許したという、それだけのことであって、それは人格批判ではなく言説批判の範疇の事柄です。そこで私の感情の突出を自らに許したからこそ、ニケさんのブログのようなご意見に対してメタ的な観点から批判し得る立場には立てなくなったのだし、それは一種自らの行いによって得られた呪いのようなものだろうと思います。

ニケさんのブログを拝見して感じたのは、おそらくニケさんは彼が自身に許した私の感情に対してダブルスタンダードの臭いを感じ、その矛盾せる姿勢が許せないという動機の下に、飽くまで同一次元に立って喰らい附いていこうとする執念のようなものをお持ちではないかということなのですが、違いますでしょうか。<

ご指摘のとおりでございます。「自らが成長するため」とこじつけた理由を述べても理解されるものではないと承知して恥じております。
今回のさまざまなご指摘が私の成長の一里塚として、また新たなスタートを切ることが出来ます。よい機会を与えていただきました。
人生を歩んでいくうちにこのような機会はざらにはなく、心から深くお礼を申し上げ、これにて失礼いたします。ありがとうございました。


追伸

ヘビースモーカーの話から猫ちゃんたちのお話は面白く読ませてもらいました。^^
人間と深く関わりあう家畜からペットまでの生き物の中で、猫という生き物のみが何故人間と上手に距離を置いて生きられるのか?
学ぶところは多いはずにもかかわらず、まだ何もつかめていないのは私にとって残念に思うところです。(笑)

私も猫は大好きなのに飼うことが出来ない環境になっています。飼って近くで観察したいという欲望はなくなりません。
主人の機嫌をうかがい知ることが出来るのか?と感じるときがあったり、全く傍若無人に勝手な振る舞いをしてみたりなのに、こちらが都合よく解釈する所為かもわかりませんが、あの微妙な距離感には感心してしまいます。
人間関係に猫的距離感を利用したいと思っています。

ではこれにて~~~^^

投稿: ニケ | 2008年3月12日 (水曜日) 午後 03時44分

>ニケさん

どうもです。ああ、まず亀さんや技術開発者さんとお話されたのですか、水伝への入り口としては良い論者の方と出会われましたね。すでにご存じかとも思いますが、亀@渋研Xさんは「水からの伝言FAQ」という意欲的な取り組みを展開されていますので、そちらを読まれれば、水伝に関する情報は一問一答式で一通り網羅的に得られる仕組みになっています。

http://kameo.jp/mizuden/faq.html

さて、前回のコメントでは正月の騒動の当事者の方ということで、それを代表される方のような扱いが、オレの認識の何処かにあったことはお詫びさせて戴きますね。勿論、あの騒動は別段ニケさんのせいで起こったわけではないですし、ニケさんに大きな責任があるというわけでもないのに、過剰に強い言い方をしてこちらこそ申し訳ありませんでした。

こういうふうに強い言い方で語ってしまうと、「素直に耳を傾けた人間が割を喰って莫迦をみる」というふうに思われないかな、という多少の遠慮はあったのですが、政治系ブログの論者の方は、どちらかと謂うと合目的的な議論に馴染んでおられるかもしれないと思い、相手の目的性に反するような論旨が何処まで「届く」のかわからないという懸念がありまして、少し踏み込んだ強めの言い方になってしまいました。

オレ自身があの件における特定のサイドの擁護者や批判者として受け取られることを潔しとしないものですから、特定のサイドに属し他方のサイドを敵視することをブログで明言しておられる方との遣り取りに過剰に慎重になっていた部分もあります。

その意味で、今回のような虚心なお返事を戴けると、構えてレスしてしまったこちらも恥ずかしくなりますので、どうぞもうお気遣いなくお願いいたします(笑)。

前回口幅ったいご提言を差し上げたのは、この論壇ではトップランナーと目されるような著名ブロガーでも、特定政治家に対する口汚い人格批判や合目的的な牽強付会を常套手段とされていることに不満を抱いていたところに、私的な口喧嘩のような大人げない事態が起こったことに対する苛立ちのようなものがあったからで、こちらこそ過剰な物謂いに終始してしまって汗顔の至りです。

こういう過去があったからと謂って、政界や巷の床屋政談において新保守主義者や新自由主義者の跳梁が予断を許さない現状においては、リベラル系政治ブログ論壇の必要性は疑いを容れないわけですが、ネット右翼の若者たちとは違って、三十〜五十代の社会経験豊富な成熟した世代がコアになっている論壇相応の思慮深さや懐の深さ、高度な考察の習慣のようなものが浸透していけば、同じ轍を踏むことなく世論に対して大きな影響力を獲得していくのではないかと思います。

オレ自身は、今後政治的なコメンタリーを行うとしても、論壇とは暫く距離を置いておきたい、つまりTBP的な連帯アクセス保証に頼らずに自ブログの影響力の範囲で発言していきたいと思っていますが、ニケさんのような方が問題意識を持ってネットの言論活動を継続していかれれば、論壇の状況も良い方向に変わっていくのではないかな、と希望を持っています。

>>私も猫は大好きなのに飼うことが出来ない環境になっています。飼って近くで観察したいという欲望はなくなりません。

オレと違って人間のご家族がいらっしゃるんですから、いいじゃないですか、と無理解なことを言ってみたりして(笑)。いや、冗談です。

猫を飼うのはオレも上京以来の長年の夢でしたね。子供の頃に実家で犬も猫も飼ったことがあるんですが、子供の頃からインドア派だったオレには猫のほうがしっくり来ました。猫派・犬派とはっきり分けられないほど犬も好きなんですが、やっぱり猫に比べて犬を飼うのは大変ですし、犬のほうが寿命が短くてよく病気をするようですから、オレのようないい加減な人間には飼いきれないでしょうね。

猫というのは餌と下の始末さえすれば、後は愛情さえ注いでやれば恙なく元気に生きていますけれど、犬は散歩させたり吠え癖の問題があったりして手が懸かりますね。その辺、やっぱり猫より大分高等な生き物だというイメージです。

もっと大きな理由としては、猫と違って犬は人間が注いだ愛情を倍返しにしてくれるところがありますよね。人間がどれだけ愛情を注いでも、犬が返してくれる愛情に追い着かないとオレは思いますので、それがどうにもやりきれなく辛い。猫は愛情を注げば注ぐほどもっともっととおねだりする部分があって、飼い主の愛情に貪欲なところがありますけれど、じゃあおまえのオレに対する愛情を見せろという段になると結構冷淡だったりするのですよねぇ(笑)、厭なことは絶対我慢しないですし(笑)。

「お父さんのことは大好きだけど、それとこれとは別問題よ!」

…という「別問題」とやらが多すぎるんですよねぇ(木亥火暴!!)。どうもオレは育ちが良くなくてあんまり好い目もみていないので、そのくらいの愛情の収支関係のほうが、かえって落ち着くというのはあります(笑)。どちらかと言うと、無前提で愛情を注ぐ対象が欲しくて猫を飼っているという部分がありますね。

人語を解する相手だと、「言葉が通じるのになんでおまえは道理がわからないんだ」とついつい言ってしまいたくなることでも、ハナから言葉も理屈も通じない相手だからこちら側が折れるしかない、それが大変気が楽だということがあります。人間相手だと、女だろうが子供だろうが、相手の程度なりに説得したり理解したりしなければいけないんじゃないか、それが筋ではないのか、という義務感を感じることでも、相手はそこそこアタマの悪い畜生ですから、全部人間のほうが受け容れるしかないんですね。

これはこれで、いろいろ大変ですけど根本のところで大変楽です。無制限に愛して無制限に許して好い相手なんて、畜生でもなければ考えられないですから。前回申しあげた通り、その意味でオレは猫の存在にかなり情の領域を依存している部分がありますね。

それから、大人になって更めて飼ってみて実感したことなんですが、猫程度の知能の生き物でもちゃんと人間で謂う「人格」のようなものがあるんですね。実際に飼うまでは割合小動物なんて繁殖機械みたいな存在で、マトモに考えらしいものもないだろうし、人間とコミュニケーションなんて成立しないんだろうと思っていましたが、猫くらいだと立派に「人格」や「心」があるように見えますね。

にゃーにゃー鳴くのもただ無意味に喚いているのではなくて、鳴き方が場合によって全然違うし、ウチの若いほうの猫は全然鳴かない年嵩の猫と違ってでかい声でよく鳴くんですが、イメージ的には言葉の通じない相手に必死に気持ちを通じさせようとしているように見えます。勿論大したことなどは考えていないんでしょうけれど、「考える」こと自体は何かを考えていて、その畜生なりの「考え」に基づいて飼い主とコミュニケーションをとろうとするんですね。

だから、自分で実際に飼う前は、猫飼いが「ウチの子はお喋りで…」とか言ってるのを聞くと、「畜生の鳴き声を『お喋り』とか言っちゃうのはどうよ?」とキモく感じていたんですが、飼ってみればやっぱり「お喋り」としか表現出来ないんですね。人間のような意味では言語など持っていないのだろうし、文法や単語の決まり事などはないのだろうけれど、相手に気持ちを伝えようとして声を挙げることはやはりただの音ではなくて「お喋り」なんだと思います。

ニケさんが飼えないと仰っている事情が具体的にわからない以上、あんまり煽るようなことを申しあげてもなんですが(笑)、少なくともオレは猫を飼うようになっていろいろ苦労も不自由も背負い込みましたし、今回の引越でも散々「ペット可」の条件で苦労しましたけれど、後悔したことは一度もありませんから、よいものだと思いますよ。

投稿: 黒猫亭 | 2008年3月13日 (木曜日) 午後 05時48分

こんばんは。

ようやく落ち着かれたようで、何よりです。もう20年以上も厳しい自然環境の中で生きてきたものとしては、仲間が増えて非常に喜ばしいことだと思っております(木亥火暴!!)。

以前、うちの団地は猿やイノシシ、ウサギが出没すると言うことは申し上げたとおりですが、こないだの日曜日には庭の土を掘り返していてカブトムシの幼虫を発見し、改めて山中生活を実感した次第です(笑)。

そういった環境に、黒猫亭さんの方から近づいてきてくれたわけで、これからは同じ目線でお話しができるのではないかと非常に期待しておりますので、今後ともよろしくお願いします(木亥火暴!!)。

投稿: がん | 2008年3月14日 (金曜日) 午後 11時32分

>がんさん

>>以前、うちの団地は猿やイノシシ、ウサギが出没すると言うことは申し上げたとおりですが、こないだの日曜日には庭の土を掘り返していてカブトムシの幼虫を発見し、改めて山中生活を実感した次第です(笑)。

うーむ、幾ら田舎とは言え、猪や兎が湧いて出るようなところと同一目線で語られるのはとっても厭だなぁ(木亥火暴!!)。とは言え、歩いて五分くらいのところにでかい川が流れていて、こないだ川縁を散歩していたら、そこの河原で三本も仕掛けを垂れている釣り人がいて、視るともなしに視ていたら水面に鴨が当たり前のように泳いでいるし、当たりが来たので釣り人が引いたら一抱えもありそうなでかい鯉が懸かったりするのを視ているので、反論出来ないのがもっと厭だなぁ(木亥火暴!!)。

まあでも、前に書いたかもしれませんが、たしかに田舎ではあってもあんまり寂しくはない町ですね。オレのところは一本道のどん突きだったりするんで、本当なら駅から歩いて帰宅する道すがらは、どんどん物寂しく感じるはずですが、遠くに高層マンションの灯りが見えたり長閑な住宅街が拡がっていたりして、田舎すぎもせずいい具合の田舎町というイメージです。

流石に駅まで徒歩一五分以上懸かるので買い物などは大変ですが、駅前がそれなりに繁華なので練馬にいた頃よりは充実したアーバンライフを満喫しています。また、室内が綺麗で風呂が全自動だったりシャンプードレッサーがあったりトイレがウォシュレットだったり書斎が一間取れたりする分、前の住居よりも圧倒的に快適ですし、何よりもベランダで洗濯物が干せるのが嬉しい(笑)。

前の住居は焼き肉屋の二階で、ベランダがロースターの排気口の真上だったんで、全部室内干しだったんですよ(笑)。ベランダに干しておくと一日置いておくと完全に焼き肉臭くなってしまうんで、年柄年中白飯が喰いたくなってしまいますから(笑)。

猫もこの頃は漸く落ち着いて、姉妹の間で各室の覇権争いが激化しています。まさに冒険の時代というところですね(木亥火暴!!)。高いところに猫が歩けそうなスペースがあるのを見附けるとすぐに冒険したがるので、暫く目が離せませんでした。

こないだなんか、月夜のほうが流しの上の物入れと天井の間の狭いスペースを歩いて排気ダクトの中に入りそうになったので、慌てて引きずり下ろしたくらいです(笑)。そういうふうに、人知では図りかねるところに活躍の場を発見したりするので、その都度通路を塞ぐ為に空き箱を詰め込んだり段ボールを立てたりと大忙しでしたが、最近漸く何とか猫たちの夫々のポジションも決まってきたようです。

摩耶は寝室のペットヒーターの上で日がな一日ボーっとしているのが好きだし、月夜は書斎のPCデスクの上に座って外を眺めているのが好き、オレが寝る時は摩耶はそのままで月夜は寝室のハンガーボックスの上に陣取って寝るという具合で、オレが在宅している間は夫々代わり番こに居間に来て甘えるというパターンに落ち着いてきました。

まあ、こんな田舎にまで引っ込んだのは、格安の家賃でもっと猫と伸び伸び暮らせる所に移りたかったというのもありますから、多少駅から遠いのと土臭い田舎なのは無視出来る範疇のデメリットですねぇ(笑)。

困るのは、猫に囲まれて自宅でのんびりしていると、何処にも出掛ける気が失せて出不精に拍車が掛かりそうなところくらいです(笑)。今のところは駅前の探検という動機がありますから、オレにしては足繁く駅前まで往復していて、それまでろくに使わなかった大腰筋が毎日悲鳴を上げている状態ですが、それが一段落したら何処にも出掛けなくなるんじゃないかな(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2008年3月15日 (土曜日) 午前 08時06分

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