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2008年4月 7日 (月曜日)

みょ〜〜〜ん

本日はヒマネタとして年寄り臭い話をダラダラと。

先日の昼間、「いいとも」を漫然と観ていたら、「女から見た許せない男のクセ」というコーナーをやっていて、堂々第一位を獲得した厭な癖というのが「鏡を見て髪の毛をいじる」というものだったのだが、これを視て「ああ、同世代の女性から視ても若い男が髪をいじる仕草は気持ち悪いのか」と納得した。

実は、オレも若い男が鏡やガラスを見て髪の毛をいじっているのを見ると物凄く気持ち悪くなる。それは別段「ニッポン男子の癖に柔弱な」という類のものではなく、単純に仕草として気持ち悪いからである。

鏡を見て自分の髪型が気になる、そこまではオレにも理解出来るし、オレだって街を歩いていて何かに自分が映っていると、無意識に頭に手をやることがある。だから、男性であってもヘアスタイルを気にすること自体は自然な感情だと思うし、あんまりナルシスティックだと気持ち悪いという、程度問題の話ではあると思う。

では何故若い男のそれは気持ち悪く感じるのかと言えば、最近の若い男の髪型のセンスが、オレのオッサン的な感覚では「やりすぎ」に感じるからである。オレくらいの世代の認識では、髪型というのは飽くまで自然な毛髪の流れが基本になるもので、基本的に髪の毛には動きがあるのが自然である。そうでなければ、短い髪を邪魔にならないように整髪料で纏めるというのが基本的な要件であるが、近年の若い男性のヘアスタイルというのは妙に作為的で変なふうに造形的である。

ワックスとかで固めてみょ〜〜〜んと伸びたチリ毛の束を、変な方向に捩ったりするのが、最早粘土細工の世界に見えて、頭の上に素人細工の不格好なオブジェのようなものを載っけているようにしか見えない。また、そういう変に作為的な髪型をしている奴に限って、自分の姿が映るものを見るや否や、その「みょ〜〜〜ん」と伸びた粘土細工の「みょ〜〜〜ん」的な造形を、ああでもないこうでもないといじり倒すわけで、飲み屋の洗面所に行くと、そういう下手糞な粘土細工の微調整に時を忘れて没頭している若い男をよく見かけたりする。

で、そういうのを視ると、「その『みょ〜〜〜ん』と伸びてるチリ毛の角度が何度違うとどれくらい見た目が違うと思っているんだろう」と不思議な気分になる。そういう奴は、昆虫の触角みたいな「みょ〜〜〜ん」の捩り方や微妙な角度が物凄く気になるらしく、その微妙な匙加減でヘアスタイルの善し悪しが決まると確信しているらしいのがさらに不思議である。で、散々いじった挙げ句に満足して洗面所を出るわけだが、その満足が何故得られたのか、成果物を視てもサッパリ理解出来ない。

いじる前といじった後の意味的な違いがわからないのである。

単純化して考えると、たとえば七三分けなら前髪の垂れ具合が気に入らないとか、分け目が乱れているとか、修整の基準がわかりやすい。オールバックだったら後れ毛が垂れているのが気持ち悪いとか、撫で附けた髪が乱れたとか、これも基準がわかりやすい。だから、いじる前といじった後の違いに関しては、何故本人が納得したのかハタで視ていても理解出来る。しかし、この手の作為的な髪型に関しては、本人の造形センスとしか言い様がないわけで、第三者が客観的に出来を判断する基準がない。

「みょ〜〜〜ん」の角度や捩れ方がほんのちょっとばかり変わるだけで、第三者視点ではいじる前もいじった後も価値的に変わらないのだから、なんでそこまで神経質に拘るのか傍目にはわからない。

これは所謂「無造作ヘア」なんかも同様で、寝癖のような無造作な毛先の動きがダイナミックでカコイイというセンスまでは理解出来るが、そういう髪型をしている奴に限って寝癖の微妙な造形に異様に神経質に拘るわけで、鏡を見ながら三次元的な観点で寝癖の造形に熱中していたりするわけである。こうなると剰りに作為が過ぎて何処が「無造作」なんだかよくわからなくなってくる

まあオレだって若い頃はあったわけで、その当時、上の世代からは同じように不審の目で視られていたのだろうから、自分より若い世代の美意識にあんまり文句を附けるつもりなどはないが、こういう「やりすぎ」の髪型というのは同世代の女性から視てカコイイと思われているのだろうかと常々不思議には思っていた。

バラエティ番組のてけとーな作為に満ちたアンケートを真に受けるというのもアレではあるのだが、女性の目から視て「鏡を見て髪の毛をいじる」男の癖が許せないと感じられるのは、おそらくナルシスティックに感じるからだろう。で、オレなんかが思うに、ここで「髪の毛をいじる」と言われている行為というのは、普通のロンゲとか短髪の男の子が髪の毛を手で梳いたり撫で附けたりすることではなく、「やりすぎ」ヘアの男の子が、微妙な触覚の角度や寝癖の三次元的造形に熱中するような動作のことがイメージされているのではないかと思う。

たしかに、ただの素人が街に遊びに出ただけのTPOで、TVに映ったりステージに立つような非日常的な場面でもなければ在り得ないような「やりすぎ」ヘアでガチガチに髪型を決めていること自体がナルシスティックに見えるし、事ある毎にその造形面の微修正を忘れないというのは、やっぱり同世代の目から視ても気持ち悪く見えるんだろうなと思う。

オレなんかの感覚では、無造作ヘアというのは一気呵成の勢いで造形しているから動きが出て味があるということなんではないかと思ったりするのだが、洗面所でチマチマと寝癖の造形を神経質に直している奴を見かけると、何だか騙されたような不条理な気分になる(笑)。

まあ、無造作ヘアに関しては同情の余地もないではなくて、家を発つときにはワイルドに決めたつもりでも出先で当初のスタイリングが若干崩れてくる、そういう状況において、たとえばトイレに立って一からスタイリングをやり直すとなると、トイレから帰ってきたら、いきなり別人みたいなヘアスタイルに一変しているということになる。何だか便所で用便を済ませた後に手を洗って、濡れた手をハンカチで拭くのが面倒くさいので頭をかき回して胡麻化したようにしか見えないから、チマチマと微修正するしかないということはあるだろう(笑)。

先ほどそれを「三次元的な造形」というふうに言ったが、要するにこれはアニメキャラのフィギュアの造形に近い感覚である。アニメキャラというのは当然二次元でデザインを起こすので(ディズニーやCGモデリングアニメ以外では一々マケットを作ったりはしない)、これをフィギュアに造形する場合、髪型をどういうふうに処理するかという部分で「解釈」と呼ばれるセンスが必要になる。

二次元の絵で言えば、マンガのようにコマ割で一枚絵を見せる形式のものなら、特定のアングルから視た平面的造形だけを考えれば好い。これがアニメになると、中割の関係から振り向きなどの動作においてどのように横顔から正面へ連続的に造形が変化するかという視点移動に基づく二次元的な処理を施すわけであり、これは飽くまで平面上の連続性であるから、どのようにそれらしい嘘を混ぜ込むかという話になる。しかし、さらにこれが三次元のフィギュアになると、三六〇度どの角度から視ても破綻のないように嘘のない連続的な立体造形を考える必要が出てくるわけである。

たとえば、アニメの女性キャラには所謂「アホ毛」という触覚のような後れ毛をアクセントとして描き添えるパターンが多い。要するに、たとえばMSザクの頭部のシルエットは何の変哲もない坊主頭だが、ここにアンテナを一本描き添えることでアクセントになり通常の三倍のスピードで動きそうなイメージが出てくるわけである。アニメの女性キャラも、アホ毛一本ピンと立つことで頭部の円いフォルムに一箇所シャープなアクセントが生まれるわけで、これはまあシャア専用ザクのアンテナやガンダム型MSの頭部造形を特徴附ける鍬形アンテナ、仮面ライダーの超触覚アンテナに類するものだと解釈して差し支えないだろう。

しかし、MSやライダーのアンテナとは違って、アニメキャラのアホ毛というのは立体的に造形するのが案外難しい。角度とか(笑)。それ故に、二次元キャラの立体化には造形家の「解釈」というものが必須である。つまり、普通なら島村ジョーや花形満のような髪型をそのまま立体化しようとしても、或る特定のアングル以外の見え方は破綻するのが当たり前である。正面から見た髪型と真横から視た髪型は実は立体的には断絶しているわけで、三次元的な連続性はないからである。

そこで造形家は正面から見たフォルムと真横から視たフォルムが両立するような三次元的なフォルムを新たに造形する必要が出てくるわけで、三六〇度どのアングルから視ても破綻のない整合した三次元構造物として造形しながら、如何にして二次元の画像とのイメージ的な連続性をキープするかが造形家の腕の見せ所である。

方向性としては、たとえば二次元的にデフォルメされている髪型に現実のモデルがあるとすればどういうものだろうという「解釈」もある。剰り突飛ではないが、個別のアングル同士の間で整合性のない髪型などは、こういう解釈で行けるだろう。また、そもそも二次元でしか成立しないような、立体構造として破綻している髪型などは、イメージ的に近似していながら、立体的に整合している三次元構造を模索することが「解釈」に相当するわけである。

普通に考えるとCGなどの心得があればこういう作業は容易いように思えるが、日本の優れたフィギュア造形家はそれを直観と試行錯誤によって開拓してきたわけで、その成果物が市場に流通することで造形の知恵が他の造形家と共有され彫琢され、本邦独自のフィギュア文化の隆盛に繋がっているわけである。

たとえば、とくにフィギュアに興味のない方でも、ドラゴンボール関連のフィギュアが山ほど市場に出回ってていることくらいはご存じだろうし、それを特段不思議には感じないと思うのだが、考えてみれば原作マンガやアニメのあの悟空のキャラ造形を考えたら、あの髪型を三次元化するのは物凄く難しい話である。しかし、実際には当たり前のようにこの大ヒット作品のフィギュアは星の数ほどリリースされているし、あの難しい悟空のヘアスタイルも見事に自然に立体化されている。

三六〇度何処から視ても破綻がないということは、厳密に言えば平面のキャラとは微妙にフォルムが変わっているはずなのだが、大筋イメージ的に連続性のあるフォルムとして造形されているわけである。このような優れた造形技術のお陰で、たとえば二次元のメディアで立体造形物のマーチャンダイズを睨んだ展開でも、キャラクターデザインに剰り立体造形上の制約を受けないというメリットが得られるわけである。

で、ここで元の話題に戻るわけだが(笑)、オレが「みょ〜〜〜ん」的な髪型や無造作ではない無造作ヘアに違和感を抱くのは、まず第一にオレがオッサンであるからであることは間違いないが(笑)、これらの「やりすぎ」ヘアの見た目が、アニメキャラを無理矢理立体化したフィギュアのそれと酷似しているからである。置物として固定角度でディスプレイする分には審美的に成立するが、これが生身の人間として生きて動いていたりすると、やっぱり微妙に気持ち悪いものである。

たとえば、描線の達者なマンガ家がタッチを出して筆の勢いや流れを活かした無造作ヘアを描いた絵は、平面的な造形としては動きがあって格好良いが、それを立体化してしまうと剰りに作為的で人間の髪型とは思えないものになる。絵で見ると流れと動きがあるように見えるが、現実のそのような髪型はワックスやムースでベタベタに固められているわけで、動きがあるように見えるだけの固定的な造形物である。

それでも人間だから汗も掻くし、所詮毛の束だからちょっと触るだけで形が崩れてしまうわけで、それをチマチマと微修正するわけだから、最早それは普通の意味で実用的なヘアスタイルではないわけである。

脱線が過ぎたが、要するにオレはあの手の髪型の若い衆を視ると、島村ジョーとか孫悟空とか花形満とか、立体化するのに無理のある二次元キャラの髪型を無理矢理生身の人間が真似ているような違和感を感じるのだし、それがそもそも作為として「やりすぎ」に感じるわけで、作為が過剰であるだけですでに戯画的なものを感じて気持ち悪く感じるわけである。男の子供は一般に粘土遊びのような造形的な作業が大好きなものであるが、これはおそらくその延長上にあるものなのであり、そこにナルシズムの要素が加わることで甚だ幼児的な印象が生起するわけである。

また、女性視点の一般論に戻るなら、その仕草に伴う強烈な「話聞いてない感」が嫌われるという側面もあるのだろう。渋谷だの新宿だのに出掛けて若者が出入りするような店に入ると、そういうヘアスタイルの若い男と女の子のカップルがよくいるが、自分の姿が映るものが近くにあると、相手と会話しながらひっきりなしに髪型を気にして終始ああでもないこうでもないといじり廻していたりする。これが恐らく女の子視点では微妙にイラッとくるのではないかと想像したりする。

従来的な髪型なら、髪に手をやって撫で附けるというのは、髪の乱れを頭髪のナリに合わせて直そうとする無意識的な動作で在り得るわけだが、この手の髪型の場合、毛髪の流れが落ち着いていればそれでいいというのではなく、造形面の審美的な細部が気になるわけだから多分無意識ではなく割合集中を要する「アーティスティックな」作業なのであり、無意識に髪を撫で附ける動作とは使っている脳の部分が違うのではないかと思う。当然会話なんかいつの間にか上の空になってくる。

女の子の場合も会話中に髪の毛の先をいじり廻す人がいるが、これは多分個人的な癖もしくは自身の一部に触れていることによる安心感とか、ベタなところだと退屈しているという無意識のサインだったりするわけで、昔で謂えば電話しながらスパイラルコードをいじくるような目的性がそんなにない無意識的な仕草だと思うのだが、男の場合はその作業自体が容易に自己目的化して没頭する部分があると思うので、その辺がどうも嫌われる所以ではないかと思ったりする。

さらに言えば、女性のヘアスタイルだって十分に作為的だが、基本的に大多数の女性は少なくとも男性よりも髪が長いものである。長い毛髪の流れにウェーブを附けたり動きを出したりカットで表情を出したり色を附けたりする方向性でヘアスタイルがデザインされているわけで、それは或る程度の長さを持つ毛髪の性情の処理という方向性の作為である。この場合、毛髪自体の美しさを効果的に見せることが目的視されるわけで、バサバサのナイロン箒みたいな毛髪を幾らいじくっても美しくは見えない。

基本的に女性の髪型というのは、美しいロングヘアをどういうふうにより美しく演出するかという方向性でデザインされているわけで、細かい作為が施されていても本質的には自前の長い髪を効果的に美しく見せるという理念で貫かれている。

女性でもアート方向にとんがった人は、ベリーショートの髪を整髪料で固めたり在り得ない色に染めて「やりすぎ」な髪型をしていたりするが、これは自前の髪を演出するという方向から隔絶して造形方向に寄っている為に、一般的な意味合いにおける女性のヘアスタイルの本質とは意味合いが違っている。

男性の場合、基本的に女性より髪が短いのが一般的で、毛質も固くて艶がないので、毛髪の流れの美しさを見せるという方向性のデザインには行かないわけで、一般に髪の刈り方や纏め方によって全体のフォルムを造形するという方向性のデザインになるわけであるが、これは基本的にバリエーションに欠けるわけである。

人間の毛髪というのは日々伸びていくものなのだから、短い髪で刈り方に差を附けても短時日で差がなくなってしまう。それ故に男の髪というのは「極短い」と「短い」の間の振れ幅でしか変化がなく、それ以外だと一律「長髪」ということになってしまうわけだから、そもそもバリエーションに乏しいものである。

この短い髪を纏めるということになると、分け目を附けて固めるか全部後ろに撫で附けて固めるかのどちらかになるわけで、それは頭の形状や髪の生え方に従って自然に決まるものでもある。或る程度以上の長さがないと頭髪の自然な性情に逆らってフォルムを作ることが難しいので、従来の男性の髪型というのは、大概それ以外落ち着かないからそうなっているというパターンが多かったわけである。

で、近年はその貧弱なバリエーションに整髪料の進歩に伴って選択肢が増えてきたというポジティブな言い方も出来るわけだが、どうしたって短い毛髪でフォルムのバリエーションを増やすにはかなり不自然な作為を施すことになるわけで、頭髪を一定単位のブロックに分けて整髪料で固めて変化を出すという形になるわけだが、普通に考えて毛髪がそのような不自然な状態で安定することは在り得ないので、直観的にかなり整髪料まみれになっていることが想像出来る。

前述の通り、今は材料工学的に整髪料も進歩しているので、昔のポマードや丹頂チックのように触ると手が油まみれになるようなことはないが、ファイバーワックスなどでもやはりベタベタした感触が残るのは、可塑性がある以上仕方がない。こういう髪型をしている若い衆を視ると、男のオレでもそんな髪の毛に触りたいとは思わないわけで(いや、本人たちもオレに触られたいとは思わないだろうが(笑))、そういう触るとベタベタしていそうなものをネチネチ弄っている行為が汚らしく見える。

そういうわけで、散々明後日の方角から言い懸かりを重ねてきたわけだが(笑)、実はこれが結論であって、オレが最近の若い衆の髪型を嫌うのは、単にネバネバベタベタしたものを触るのが生理的に嫌いだからである。さらに言うと、オレはどうも頭皮の肌質が弱くて、整髪料の類をベッタリ着けるとすぐに頭が痒くなるので、そういうネバネバした整髪料がベタベタ着いていて痒そうな頭をネチャネチャ弄っているのを視ると、他人事ながら気持ち悪くなるのである。

いや、ここまでお附き合い戴いた方には申し訳ないが、オレもたまにはてけとーな口から出任せを野放図に放言してみたい衝動に駆られるのである(笑)。

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コメント

いやいや、僕もその気持ちはよぉわかります(笑)。だいたいにしてからが、自分の皮脂で手がベタベタになるのすらいやな人間やし>自分。

で、そういう輩がトイレで「みょ~~~ん」を直した手で触ったドアノブにふれてトイレを出んとアカンとなると暗澹とした気持ちになるんですが(木亥火暴!!)。

投稿: がん | 2008年4月11日 (金曜日) 午後 07時15分

>がんさん

ああ、ついに年寄りが集まって若者の悪口を言うコーナーに…(木亥火暴!!)

>>で、そういう輩がトイレで「みょ〜〜〜ん」を直した手で触ったドアノブにふれてトイレを出んとアカンとなると暗澹とした気持ちになるんですが(木亥火暴!!)。

なんかあの「みょ〜〜〜ん」って触りたくない感じがするんですよね(笑)。実際にオレも一度だけあの手のワックスを買って試してみた経験があるので、見た目ほどベタベタしているわけではないと識っているんですが、人間の髪の毛が在り得ない形で固まっているのを視ると、ついつい昔池袋駅のホープセンター界隈に生息していたラスタの人を思い出して腰が引けてしまいます。因みにそのラスタな自由人のヒトは、池袋駅ターミナルで生活している人間の間では有名人だったんですが、何年も前に亡くなってしまったそうです。

それから、あの「みょ〜〜〜ん」はワックスなので水に溶けないらしく、シャンプーで落とすのが大変だった記憶があるんですが、触る時は手を濡らしておくとベタベタが手に附かないみたいですね。でも、それをハタから視ている分には、雫の滴る濡れた手でベタベタしたものを弄っている絵面がまた尚更汚らしいんだよなぁ。

個人的には、ハードスタイリング系のムースやジェルのようにカチッと纏まる奴は抵抗感がないんですが、ウェットタイプみたいにいつまでもベタベタしているものは生理的にダメですね。ハードタイプのものだって汗をかくと溶けてベタベタするのもあるんですけど、やっぱり見た目の問題でネバネバしてそうな奴は気持ち悪いですね。

投稿: 黒猫亭 | 2008年4月11日 (金曜日) 午後 07時57分

こんばんは。

>ああ、ついに年寄りが集まって若者の悪口を言うコーナーに…(木亥火暴!!)

なんか、上のエントリーまでそうなってしまっていて、まさしく年寄りの「今時の若者」コーナーここに極まれり、と言う感じでしょうか(木亥火暴!!)。

毎朝、通勤の車のラジオで「ありがとう浜村純です」(関西ローカルですが、知ってますか?)を聞いていて、浜村さんとの世代の違いから来る違和感を少々感じながらも彼の「今の時代は・・・」というフレーズに思わず頷いたりしています(木亥火暴!!)。

投稿: がん | 2008年4月12日 (土曜日) 午後 11時22分

>がんさん

>>毎朝、通勤の車のラジオで「ありがとう浜村純です」(関西ローカルですが、知ってますか?)

…って、識ってるわけがないでしょう(木亥火暴!!)。調べてみたら三十年以上続いている長寿番組だそうですが、えんびーえすラジオのローカル番組が、北陸だの関東だのにネットされているはずがないです、というわけで、ここでもウィキの記事を貼ってお茶を濁しましょう(笑)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%8C%E3%81%A8%E3%81%86%E6%B5%9C%E6%9D%91%E6%B7%B3%E3%81%A7%E3%81%99

全然話題がズレますが、この記事で一番ビックリしたのは「ジャニー喜多川が同性愛者である旨の発言は、控訴審で事実認定されており、たとえ名誉毀損訴訟を起こされても敗訴する可能性は皆無である」というくだりだったりしますが(木亥火暴!!)。

そうか、そこまでアカラサマな話になっていたのか、同性愛という非常にプライベートな嗜好の話なのに、「控訴審で事実認定」という響きが凄いな(笑)。というか、なんで今日はこんなにホモの話題が多いのだろう。

投稿: 黒猫亭 | 2008年4月13日 (日曜日) 午前 06時56分

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