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2008年4月12日 (土曜日)

セは醤油のセ "S Is for Soy Souce"

昨日、郷里から醤油が数本届いた。前回報告した妹との四方山話の中で、関東の醤油が口に合わないという話題が出て、短大時代数年間を東京で過ごした妹もそのように感じたということで大いに共感が得られたのだが、その折に「ではこちらの醤油を何本か送ろうか」という話になって、それが早速届いたものである。

この話は当ブログでも何度かさせて戴いたと思うが、醤油というのは地方によって大分味が違うもので、オレも上京以来二十数年、関東の醤油のきつい醸造臭には馴染めない儘に今日まで過ごしてしまった。

常々実家に連絡して送ってもらおうかとは思ってはいたのだが、実家に連絡する機会自体が滅多にないので、伸び伸びになって二十何年も言いそびれていたのであるが、その喉の支えが先日の電話であっさり解決したわけである。

早速開梱して一口嘗めてみたのだが、すでに二十数年間口にしていなかったから殆ど味など忘れていて、今では漠然と「関東の醤油は不味い、田舎の醤油は美味かった」という程度の記憶になっていて、最早単なる思い込みかも、と思いかけていたところだったのだが、それが漸く具体的な味覚と一致した。いや、これだこれだ、こういう味だよ。

今時のご時世ではネット通販で北陸の醸造元から直接購入することも出来るのだが、単価の安い重量物だから纏めて買わないと送料が嵩んで不経済だということで、これまで若干躊躇があったのだが、これで取りあえず銘柄と味がわかったので安心して大目に買い附けることが出来るようになった。

しかし、すでに関東での生活のほうが郷里で過ごした年月よりも長くなっているというのに、いつまで経ってもこちらの醤油に慣れないというのは、思えば不思議なことである。他府県出身者が一様に謂う通り、関東の醤油が辛くて香味がきついだけかと思い、出汁醤油や薄口醤油など一通りの醤油を試してみたのだが、どうも関東の醤油が嫌いなのではなく、幼少時に慣れ親しんだ醤油と違うことが違和感となっているらしく、何処の醤油でもはかばかしい満足が得られなかった。

その不満が、郷里では何処のスーパーや酒屋でも普通に買える何の変哲もないペットボトル一本でたちどころに氷解するというのも出来すぎな話で、プラシーボ的な感じ方もあるのかもしれないが、現物を味わい比べてみるとやっぱりかなり味が違う。よく謂われるのが、北陸の醤油は他の地方の醤油より薄くて甘いということで、何より醤油独特の臭いが剰りしないので、関東の人間は逆に物足りなさを感じるだろう。

これは不思議なことに醤油だけが薄くて甘いのであって、実家の料理の記憶で考えてもあの辺の料理一般が薄味だということはないはずである。殊にオレが育ったのは第一次産業しかめぼしい生業がないような辺鄙なところなので、自然と野暮ったく濃い味附けが好まれるのだが、醤油だけは薄味の仕立てなのである。

たしかに実家やあの界隈の味附けを思い返すと、それほど醤油が前面に立たない味の組み立てで、野暮に甘辛い味附けにしても剰り醤油臭くない。関東の仕立てだと醤油の香りが倍くらいに感じられるので、それが一種過剰に感じられていたのだろう。これは、地酒も天狗舞に代表されるように立山水系の美味い雪解け水を活かした若干サラリとした端麗な味わいが多いらしいから、水が良いことと関係しているのかもしれない。

とまれ、醤油という基本の調味料が口に合わないので、今日まで食のさまざまな場面で小さな違和感を感じることが多かったのだが、これで少なくとも自宅で食事する分には不自由しなくて済みそうである。

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コメント

ブラドッベリの醤油ですな。
そうですか、北陸と関東でもそんなに違うものですか。
出先で漬け物や刺身を食するときに、ちょっと醤油を注して「しまった!」などとなるわけでしょうか。ううむ。幸い東北人はそういう目に遭ってないようです。
かつて奄美の本を作ったときに、九州あたり以南では醤油が甘いということを知り(四国や中国地方は不明)、「大阪からライブで奄美大島に来た内田勘太郎が、刺身に醤油をつけて怒った」とかいう話を聞いたりもしました。しかし、関西の白醤油(でしたっけね)ならびに九州の甘い醤油以外でも、郷を離れるとそういう思いをされる方がおいでとは、いやあ不勉強でまったく知りませんでした。
土佐醤油ってのは、あれはまた別の話だしなあ。

そりゃあぜひ、北陸の醤油を小ビンに入れて持ち歩くべきです。
使い慣れた醤油を小ビンに入れて持ち歩こうなどという話になると、なんだか食い道楽めいて疎ましいような気もしますが、なあに、慣れ親しんだ味を持ち歩くのに、なんの遠慮がいるものか。ときには周囲の者がお裾分けに与れるような配慮だ、口福を分けてやるのだと親切ごかしに傲岸不遜に構えてください。「ぜんっぜん違うから。話の種に試してみろって、なっ」などとオヤジな振る舞いを期待します(^◇^;)

投稿: 亀@渋研X | 2008年4月12日 (土曜日) 午後 03時20分

ぼくは血筋のルーツを九州に持つ仙台在住の神戸人、と云うなんだかでたらめな組成の人間なので、味覚についてはあんまり保守性はありません(まぁそれでも、東北の味付けの濃さには馴染みきってはいないのですけど)。醤油の原体験はヒガシマルの薄口ですけどね。

九州の醤油はたしかに甘いです。味噌も甘いな。
少し前に純血仙台人のつれあいを伴って博多に2年ほど住んでいたんですが、こう、味覚の傾向がまったく違ってしまうと反発が生じる以前に(エスニック料理的な感覚で)面白がってしまうようで。そう云う訳でうちは仙台味噌の本場に住んでいるにもかかわらず味噌汁は未だに九州の麦味噌だったりします。いや、うちのつれあいが極端な性格をしているだけかも。

投稿: pooh | 2008年4月13日 (日曜日) 午前 06時26分

>亀@渋研Xさん

どうもです。

>>ブラドッベリの醤油ですな。

なあに、サシスセソのセですよ…というような「軽妙な会話」を想定していたので、正しい合いの手を入れてくださって有り難うございます(笑)。実はRのネタはすでに一度使っていたので、機会があったらSも使おうと狙っていたのですよ。

http://kuronekotei.way-nifty.com/nichijou/2007/04/r_is_for_railro.html

そういう次第で、このシリーズのタイトルはこれでコンプリです。

>>出先で漬け物や刺身を食するときに、ちょっと醤油を注して「しまった!」などとなるわけでしょうか。ううむ。幸い東北人はそういう目に遭ってないようです。

いや、冗談抜きで漬け物に醤油を差しすぎると「しまった!」と思いますね。だったら醤油を使わなければいいんですが、個人的に糠漬けの糠の臭いが雑巾を思わせて嫌いなので、基本的に糠漬けには一垂らしだけ醤油を差します。関東の醤油は風味が強いせいなのか、糠漬けにちょっとだけ垂らすと糠の臭いが消えるんですね。

この「ちょっとだけ垂らす」というのが出先では結構難しくて、中身が見えないタイプの醤油差しに入っているとついついドボッと一気に行ってしまって、醤油臭くて厭になるわけです(笑)。

漬け物に醤油と謂えば、オレがココロの師として勝手に私淑する岡本綺堂先生の昔話によれば、昔の関東の旗本の家庭は質素倹約を美徳としたらしく、漬け物が浸かるほど醤油を差すと家長から厳しく怒られたそうです。オレのように関東の醤油を好きではない者からすれば、それは関東の醤油の味が濃すぎるからじゃないかとか、逆に少し垂らしただけで味がするように濃い味に出来ているんじゃないかとか、いろいろ難癖を考えますけどね(笑)。

刺身を浸ける場合はそんなに気にならないですね。やっぱり生臭さを消すという意味でポジティブに捉えているのかもしれませんし、それよりも可能性が高いのは、ガキの時分は物凄い偏食で生魚が喰えなかったので、そもそも刺身と醤油の組み合わせの味というのは、関東に出てきてから初めて出会った、ということがあるかもしれません(笑)。

何処かのエントリーで語りましたが、ガキの頃は物凄い偏食で笹身とツナ缶くらいしか美味いと思わない男だったオレですが、独り暮らしをするようになってから積極的に偏食を矯正したので、今では何でも食べられます。なので、大人になってから喰えるようになったものに関しては、それほど違和感は感じないわけですね。

>>幸い東北人はそういう目に遭ってないようです。

オレの識っている東北人は醤油を呑みます。いや、マジで。東北と謂っても福島の人なんですが、どうもそこの一家は全員醤油が大好きらしくて、何にでもドボドボと大量に醤油をかけた挙げ句、皿に残った醤油をグイッと一息に飲み干すそうです。

で、そういう醤油好きな東北人が四国の人と結婚したものだから、最初のうちは薄味の料理に大分違和感があったようですが、元々食に拘りのない人だったのですぐに慣れたそうです。勿論、今でも実家に帰ると浸かるほど大量に醤油をかけた挙げ句残った醤油を一気呑みするらしいですが、まあ実家の味なのでしょう(笑)。実家の味が醤油一気呑みだったとしても、人夫々ですから後ろ指を差す謂われはありませんね。

ちなみに、オレも何度かここのお宅で奥さんの手料理のご相伴に与りましたが、醤油を呑む習慣のない北陸人から視てもかなり薄味でしたので、ソイソースドリンカーには最初のうちは大変だっただろうなと思いました(笑)。

>>九州あたり以南では醤油が甘い

ああ、やっぱり醤油も甘いんですか。先日無性に麦味噌が喰いたくなったので買ってきたのですが、「九州仕立て 甘口」と書いてあったのでちょっと北関東のとは違うかなと思ったら、実際に味噌汁をつくってみると物凄く甘くてびっくりしました。見た目からして赤味噌じゃないから全然違う味だとは思ったんですが、あんなに甘いとは思いませんでした。ちなみに、北陸のほうは普通に米の白味噌でしたね。

>>関西の白醤油

関西の醤油は醸造臭や色が薄くて塩分が濃いというのが特徴で、白醤油というのはほぼ完全に色が抜けているものを謂うそうです。いずれも、関西では煮物に醤油の色が移って黒くなるのを嫌うことから、そういう仕立てになっていると聞きました。白醤油というのは、素材の色をそのまま活かして醤油の味はしっかり附けるという組み立ての料理で使うそうです。

>>そりゃあぜひ、北陸の醤油を小ビンに入れて持ち歩くべきです。

むう、なんか元ネタがありそうだけど見当が附きません。でも、普通に考えて無理矢理醤油を奨めて廻るオヤジというのはかなり嫌われそうで、ちょっとそそられることは事実ですね(笑)。

いいなぁ、醤油を強要するオヤジって鬱陶しくて(笑)。本人が固辞しているのに勝手に掛けて回ったりすると尚のことウザくて良しですね。目玉焼きとか冷めた天ぷらとかコロッケとか、何を掛けるかで一頻り熱い議論のありそうな料理に勝手に掛けたりするとさらに良しですね。あと、漬け物に漏れなく味の素を掛けて回ると間違いなく嫌われそうで魅力的です(木亥火暴!!)。

そういえば、昨日だか一昨日だかのTV番組で、広島か何処かの県では天ぷらにソースを掛けて喰うという話をやっていましたが、オレの田舎では冷めた総菜屋の天ぷらならソースもアリでしたね。ちょうど先日の妹との会話でもその話が出て、何処から仕込んできた話だか識りませんが、関西文化圏では天ぷらにソースを掛けて喰うところもあるという話でした。まあ、広く括れば粉物の一種ということで、練った小麦粉に火を通した喰い物に甘辛いソースを合わせるという喰い方が、意外と広い範囲に定着しているということでしょう。

投稿: 黒猫亭 | 2008年4月13日 (日曜日) 午前 06時55分

>poohさん

どうもです。

>>ぼくは血筋のルーツを九州に持つ仙台在住の神戸人、と云うなんだかでたらめな組成の人間なので、味覚についてはあんまり保守性はありません

この組成のうちで何となく納得してしまうのは、神戸人という辺りですかね。個人的に識っている神戸出身の人と肌合いが近い気がします。九州にルーツがあって大阪で育った人というのは識り合いに一人いますが、神戸と大阪では大分イメージが違いますね。

ちなみに、オレの識っている最も神戸人らしい人は、上司と喧嘩(叱られたのではなく喧嘩したらしいです)した挙げ句、黙って半日ロッカーに立て籠もったという素敵な武勇伝の持ち主です。ロッカールームではなく「自分のロッカー」に籠もったという辺りがかなり徹底していますね。上司の投降の呼び掛けにも一切応じずに半日立て籠もった挙げ句、終業時間になったら何事もなく出てきて上司に挨拶してそのまま鞄を持って帰宅したそうです。

その人の印象が強いものですから、神戸の人というと物凄くナチュラルに静かにキレる人というイメージが強いですね(笑)。まあ、同じ街の人が全部同じ性格だったらこんなに怖いことはないわけで、単なるイメージの話ですが。あと、亀さんにお話した四国出身の人は暫く神戸で働いていたそうですが、神戸の女性の靴が若い方もご年配の方も物凄く派手なので驚いたそうです。

四国や東京の感覚では職場のTPOに相応しいと思われるスクエアな靴を履いて行っただけなのに、「あの子は若い癖に靴が地味だ」と言われてびっくりしたそうです。調べてみると神戸の靴が派手なのには歴史的な経緯があるみたいですが、やはりお国変われば的なカルチャーショックを覚えたようです。

仙台の人気は識り合いに出身者がいないのでよくわかりませんね。東京と札幌の間では随一の大都市という位置附けになるようですが、イメージ的には金沢辺りと類縁なのかなと思わないでもないです。たまにpoohさんが仙台の喪われ行く町並みを哀惜されるエントリーを書かれると、街の息遣いのようなものが感じられます。

>>九州の醤油はたしかに甘いです。味噌も甘いな。

亀さんにお話ししたように、極最近九州の麦味噌を買ってきて食べたばかりなので、よくわかります。「甘口」という通りかなり甘いですね、熱い味噌汁をつくって冷や飯にぶっかけたら合いそうな甘さだと思いました。

醤油も味噌も甘いというのは、どういうんですかね。九州以南の人が甘い味を好むから甘い調味料をつくったと考えるより、何となく、甘いものが出来やすい要因があって結果的に地域的な味覚の好みが甘くなったと考えるほうが自然だと思うんですが、実際にはどうなんでしょうね。

>>少し前に純血仙台人のつれあいを伴って博多に2年ほど住んでいたんですが、こう、味覚の傾向がまったく違ってしまうと反発が生じる以前に(エスニック料理的な感覚で)面白がってしまうようで。

ああ、何だかロマンティックな話だなぁ(笑)。移り住んだ土地の女性を娶って別の土地に赴くというのが、何だかドラマチックです(笑)。オレは精々大阪で生まれた雌猫を東京で育ててから埼玉に移り住んで今に至るというくらいですが。というか、反応するところが違うだろう>オレ

まあ、たしかに下手に似ているよりも全然違ったほうが割り切れるというところはあるかもしれませんね。博多辺りだと仙台とは全然違う味覚でも喰い物の美味い土地柄ですから、ちょっと外国に移住した感覚に近いかもしれませんね。

>>そう云う訳でうちは仙台味噌の本場に住んでいるにもかかわらず味噌汁は未だに九州の麦味噌だったりします。

あの甘さが女性に好まれるのかもしれませんね。郷里の味が落ち着くという感覚とはまた別に、移り住んだ土地で美味しいものを覚えたという感覚なのかもしれません。米味噌や豆味噌とは違って、味噌滓も舌触りが悪くありませんからわざわざ上品に漉す必要もないでしょうし。

ただ、ちょっとあの味の濃さは毎日だと飽きるかもしれませんね(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2008年4月13日 (日曜日) 午前 08時16分

江戸時代くらいだと、九州は砂糖が他の土地に較べて相当手に入りやすい地域だった、と云うのはまぁ云えると思います。海外生産の砂糖が長崎から入ってきたし、奄美や琉球では生産していたでしょうし。ただ、このことが味噌や醤油の甘みが強いことと関連するかどうかは眉唾ですが。
あと、塩気を強くして食物を保存しなければいけないニーズが東北なんかと較べると低かったのもあるかも知れませんね(食物の希少な季節が相対的に短い)。

投稿: pooh | 2008年4月14日 (月曜日) 午後 08時33分

>poohさん

>>江戸時代くらいだと、九州は砂糖が他の土地に較べて相当手に入りやすい地域だった、と云うのはまぁ云えると思います。

割と最近そういう話を聞いたことがあるなと思ったら、美味しんぼの長崎編でした。まず一六六〇年に長崎に砂糖が入ってきて、甘い味付けが当地に受け容れられた、それ以来長崎でご馳走と謂えば強い甘さが特徴となったというんですね。

まあ所詮美味しんぼの情報ですから舌足らずで(笑)、その砂糖が何処から入ってきたものかについては明確な記述がないんですが、説明台詞の背景に出島の蘭人との交易風景が描かれていますから、外国から入ってきたという意味でしょう。

で、沖縄でのサトウキビ栽培がいつ頃始まったのかといえば、例の儀間真常という琉球王国の産業振興に多大な功績のあった人が、一六二三年に中国から製糖技術を持ち込んで、以来琉球で黒糖が盛んに作られるようになった。この儀間真常とその一族は甘藷栽培や綿花栽培等の技術も中国から導入していて、沖縄県史というか琉球王朝史では有名な人ですね。

さらに本土では、徳川吉宗が享保の改革の際に琉球からサトウキビを取り寄せて栽培を奨励し、高松藩や徳島藩がそれに呼応して和三盆の系統の白糖が生産され、これが主に国内に流通して和菓子等に用いられたという流れになるようです。

そうすると、九州に関して言えば、四国の和三盆に加えて、外国産の砂糖が長崎経由で入ってくるものと、琉球産の黒糖が薩摩経由で入ってくるものの二つのチャネルが加わるわけで、まあ確かに本州に比べて砂糖が豊富に流通していたとは言えるでしょう。

砂糖が豊富だということは、贅沢品の菓子ばかりではなく料理にも砂糖の甘さを奮発出来るということですから、流石に普段使いにするには高価でしょうが、ハレの日のご馳走に甘みの強い料理を作るということもあるかもしれませんし、強い甘みを識っていれば甘い=美味いという味覚になって、調味料の類も万事甘い組み立てで考えられたのかもしれませんね。

>>あと、塩気を強くして食物を保存しなければいけないニーズが東北なんかと較べると低かったのもあるかも知れませんね(食物の希少な季節が相対的に短い)。

東北地方や内陸部だと保存というのが大問題で、塩蔵品の類がかなり発達していることから、塩気に対して味覚が鈍いというのもわかりますが、九州くらいだと逆に暑くてミネラル分の流出が激しいでしょうから塩気が好まれるような気もします。

投稿: 黒猫亭 | 2008年4月16日 (水曜日) 午前 04時33分

はじめまして、紅市と申します。いつも楽しく拝見しております。

味覚っていうのは、もう幼少のころ(2,3歳だったと思います)に決まっちゃうのだそうで。だから自分が「美味しい」と思えるものは、すなわち「故郷の味」なのだ、という話をどこかで聞きました。
まぁそこらへんの話はよくわかりませんが、とにかく一度田舎に帰って母親の手料理を食べたくなりました。
ありがとうございました。

投稿: 紅市 | 2008年4月23日 (水曜日) 午後 06時58分

>紅市さん

いらっしゃいませ。ハンドルから察するに、押井守のファンの方でしょうか。違っていたらごめんなさい(笑)。

>>味覚っていうのは、もう幼少のころ(2,3歳だったと思います)に決まっちゃうのだそうで。だから自分が「美味しい」と思えるものは、すなわち「故郷の味」なのだ、という話をどこかで聞きました。

よく聞く話なんですが、「味覚」の意味にもよるんでしょうね。その辺オレも詳しくないので断定的な話は出来ませんが、受容器の形成や感受性の話だったら臨界期のようなものがあるというのもわかるんですが、知覚という意味での味覚はけっこう条件によって変わるんじゃないかなという気はします。体調を崩したり妊娠したり大きな病気や手術を経験すると味覚が変わることがありますし、大人になって初めてわかる味があるとか、加齢に伴って嗜好が変わってくることもありますね。

ただ、紅市さんが仰っているのは原体験で決定される味覚の傾向のお話だろうと思いますので、そういうのは確実にあるんでしょうね。二、三歳と言えば母乳から離乳食を経て普通食に切り変わった頃ですから、幼児でもその頃には美味しいとか不味いという感じ方が存在しているはずですので、そういう味わいの原体験がその後の味覚の傾向を左右するという意味なのかな、と。

この辺は、多分純粋な味覚の受容器としての舌の感覚だけではなく五官の感覚が高度に統合された知覚の記憶として影響を与えるのだろうな、と思います。だとすると、何かを初めて美味しい不味いと感じた原体験の記憶というのは、けっこう味覚の基準としては大きいものになるだろうな、と思います。

今さっきもとんねるずの番組なんか観ていたんですが(笑)、人が特定の食べ物を嫌いな理由をいろいろ聞くと、美味しいとか不味いというのは、舌が感じる感覚だけの問題ではなくて、もっと認知全体に絡んだ観念的な領域が大きいのかな、と思います。渡哲也が麦とろを嫌いな理由として挙げた「ハナ喰ってるみたいで厭だ」という話なんか、味や食感そのものとは関係なく連想の問題ですもんね(笑)。

たとえばオレも干しぶどうの食感が大嫌いなんですが、何故嫌いかと言うと「誤って唇を噛み切ってしまった時の感覚と似ているから」という理由ですから(笑)。あと、薄く切った沢庵は大好きですが、厚く切った沢庵は噛んでいる時のボリボリという音がやたら頭蓋骨に響いて不快だとか、食物の嗜好というのは一筋縄で簡単に言えないところがありますね。

まあ、オレは味に関しては喰えないほど嫌いなものは殆どないんですが、味以外の部分で微妙な快不快が山ほどあって、それは好き嫌いと言えるのかどうかとか、そういう話を始めるとどうでも好い個人的な逸脱がえらく長くなるので割愛します(笑)。

ただ、人間の記憶というのは、視覚や聴覚はかなり強くても、味覚や嗅覚はもっと弱いですよね。なので、味の記憶というのは、調理人や評論家のように専門の訓練を積んでいない普通一般の人だと、具体的に「こういう味」として覚えているというより「何か違う」という違和感としてしか感得出来ない辺りがもどかしいですね。どんな味だったか具体的に覚えていなくても、こういう味ではなかったということだけはわかるとか、そういう感じでしょうね。

上のほうで例に出した美味しんぼでも一つのエピソード類型を形成していますが、幼少時の味の記憶というのはかなりもどかしいものの一つで、そうでないということだけはわかるが、ではどういうものかを明確に概念化することが難しい。とくに郷里を離れて幾星霜という時制の話になると、具体的記憶そのものは実際に同じものを食べてみないと想起することが困難ですね。

こういうのも一種のクオリアということになるんでしょうか。

そういう次第で、例によってお返事になってるんだかどうなんだかわからない長話になりましたが(笑)、今後ともよろしくお附き合い戴けますと幸いです。

投稿: 黒猫亭 | 2008年4月24日 (木曜日) 午後 11時38分

紅市さんへのレスで触れた沢庵の話についてもっと細かく語りたくなったので、悪い癖だと思いつつもう少し逸脱を(笑)。

なんでオレは薄い沢庵のバリバリは不快でないのに厚い沢庵のバリンバリンが不快に感じられるのかということを突き詰めて考えると、同じ沢庵でも薄い厚いの違いで物理的な条件が変わるからではないかとか考えたりする。つまり、薄い沢庵の「バリバリ」も厚い沢庵の「バリンバリン」も、音それ自体にはそれほど違いはなくて、噛み切る歯の動きに理由があるのではないかということである。

たとえば薄い沢庵を噛み切る際は、歯列が「バ」と喰い入って「リ」と噛み切れるわけで、歯が「バ」と「リ」の間で移動する物理的な距離が少なく、「バ」の時点で懸かる荷重も比較的少ない。沢庵自体の物性として切断の圧力が懸かった時点での初期の弾性が高いわけだが、薄い沢庵はそれほど高い圧を懸ける前にすぐに「リ」と噛み切れるので、噛み切った後に上下の歯列が咬合する際のインパクトが相対的に小さい。

しかし厚い沢庵の場合には、「バ」の時点で歯が沢庵に喰い入るまで結構反撥するので相対的に高い荷重が懸かり、さらに「リン」と噛み入ると一気に噛み合いの運動が加速して噛み切れるまでの移動距離も長い。つまり、厚い沢庵を噛み切る場合には、薄い沢庵を噛み切る場合に比べてかなり高い荷重が懸かり、もっと長い距離を急激に加速しながら歯が移動するわけだから、「リン」と噛み切れた後に歯列が咬合するインパクトが非常に大きい。

薄い沢庵と厚い沢庵の厚みを比較すると、極端な場合は一〇倍近い開きがあるわけであるから、このインパクトの差はかなり大きなものになるわけで、オレの個人的な感じ方では鼻腔の奥に突き抜けるような不快な震動として感じられる。それ故に、薄い沢庵のバリバリという食感は寧ろ快い歯触りの感触として感じられるが、厚い沢庵がバリンバリンと鳴る場合は「リン」の時点で咬合のインパクトの震動が加わっている為に不快な音として感じられるのである。

そういうことなのではないかと一応の結論が出たわけだが、ふと我に返って沢庵のバリバリを真顔で熱く語っている自分の姿を顧みると、どんだけヒマなんだとちょっとゾッとしてしまったりするので、玉子丼でも喰って寝ることにした(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2008年4月25日 (金曜日) 午前 12時14分

玉子丼を喰って寝ようと思ったら、冷蔵庫の卵が切れていたので、仕方なく戸棚の奥に仕舞っておいたお茶請け用の堅焼き煎餅を喰って凌いだのだが、これがまたかなりバリバリうるさくて、二日酔いの時に喰うとアタマが痺れるくらい脳天に響く。

最前沢庵の話をしたばかりなので、この煎餅のバリバリがうるさい理由についてもどうしても気になって仕方がない。それで一通り考えてみたのだが、擬音に起こすとどちらも「バリバリ」ということになるのだが、実は音の質や生成される条件がかなり違う。

沢庵の場合は多孔質の大根の中の植物繊維が生の状態よりも密集していて、空気が殆ど混入していない為にああいう独特の食感になるわけで、圧を懸けた初期の弾性は高いが切れ始めると一気に切れるので奥歯で噛み締めても「バ」と喰い入って「リ」と裂ける繰り返しであるが、堅焼き煎餅の場合は大分違う。

糊化したデンプンを焼き締めて甘辛いタレのカラメルでコーティングしているわけだから、切断面を視ると多孔質には違いないわけだが、沢庵と違って弾性が表層にしかなく硬度が高いから割れやすくて圧を懸けると粉々に砕けやすく出来ている。また煎餅同士を打ち合わせると「カンカン」というかなり乾いた音がよく響くが、乾燥していて硬度が高くて多孔質だから音を伝えやすく出来ている。そして、煎餅独特の表面の密で硬質な感触は醤油ダレのカラメルがガラス状になったものである。

煎餅の喰い方については大まかに二通りあるらしく、丸囓り派と割ってから喰う派に別れるらしいが、オレは割ってから喰う派である。丸囓り派も多分前歯で挟んで少量ずつ割って喰う派と委細構わずバリバリ囓る派に別れると思うのだが、これは煎餅の破砕の動きに二通りあるからで、煎餅というものは折り曲げの応力を加えると一気に割れ、切断の圧を加えると圧が加わった面がその儘砕ける。

それ故に、手で割って喰う派や前歯で挟んで割りながら喰う派の場合は、折り曲げの応力を加えると砕ける動きにならずに一気に割れるので煎餅屑が殆ど出ないが、前歯で挟み切る力を加えると圧が加わった面がその儘砕けるので盛大に煎餅屑が落ちる。

物にもよるが、上等な煎餅は一般に米粉の粒子が細かく均一なので、どのような喰い方をしても煎餅屑の量にさほどの変わりはないが、その代わり割れても砕けても一定量の米粉が飛ぶ。別の言い方をすると、硬度が高い儘砕けやすく出来ているので、一気に割れる場合でも細かく密に砕けながら割れていて、その為に安い煎餅よりもかなり米粉が落ちるわけである。上等な煎餅を喰った後の卓上や床を視るとうっすらと細かい粉が積もっていて、リノリウムやフローリングの床だとかなり滑るので注意が必要である。

対するに、安い煎餅は粒子が粗くて不均等なので、割ればさほどの煎餅屑は出ないが噛み砕くと盛大に煎餅屑が落ちる。これはつまり、構造が粗く出来ているので割れる際に砕ける部分は少ないから粉はあまり落ちないが、砕ける場合には表面のカラメルの粘性で破片が大きくなるので相対的に煎餅屑の量が多くなるのである。

まあ、煎餅屑の多寡はこの際問題ではないので講釈はこの程度にしておくが(笑)、煎餅を喰うときのバリバリという音は、主に煎餅が砕ける際の音が乾燥した多孔質の煎餅に共鳴して鳴る音なので、砕ける場合には盛大な音がするが、折り曲げの力で割れる場合には、かすかに「パシッ」と鳴る程度でさほどの音は発生しない。

なので、理屈から言うと一口大に割ってから喰うほうがその分だけ音が控えられるということになるのだが、まあ大した違いはないと言えるだろう(笑)。

煎餅が砕ける場面での歯の動きを考えると、大概の人は奥歯で磨り潰すような噛み方をすると思うのだが、沢庵の場合は奥歯で圧を懸けても最も圧の高い部分から裂けるような動きになるが、煎餅の場合は奥歯が接触している面がその儘砕けるので、菌糸状の乾燥した硬くて砕けやすい構造物が互いに共鳴しながら砕ける音がダイレクトに奥歯に響き、奥歯から頭骨を介して耳にまで響くから外部の音を殆ど遮断するほど大きな音になるわけであり、昔は映画館で煎餅を喰っている豪快な輩も少なくなかったが、まあ殆ど映画の音声なんか聞こえていなかったはずである。

濡れ煎餅や湿気った煎餅なら、砕ける動きにはならずに上下に潰れて磨り潰されるだけだし、まったく共鳴しないからほとんど音はしないが、普通の堅焼き煎餅は表面がカラメルでコーティングされている上に不均等に大きな気泡が入っていて、水分が流体の儘浸透しずらい構造になっているので、不規則な破砕音が共鳴し合って物凄い音が響くわけである。

そういう次第で煎餅がバリバリうるさい理由についても大体結論が出たので、そろそろ寝ようと思うのだが、大の大人がお茶請けの堅焼き煎餅を二、三枚喰って腹が膨れるものでもなし、この際しょうがないからキンレイの冷凍うどんでも手繰って寝ようかとも思ったのだが、この上にうどんを啜るとズルズルうるさい理由まで気になったらどうしようと考えると迂闊に手を出すわけにもいかないので、今更に空き腹を抱えて思案投首の体である。

少なくとも玉子丼を掻き込む分にはうるさくはないのだから、玉子丼さえ喰えていればこんな無間地獄に陥ることもなかっただろうと思うと、返す返すも冷蔵庫の卵は切らすものではないと思い知った春の宵であった。

投稿: 黒猫亭 | 2008年4月25日 (金曜日) 午前 01時43分

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