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2008年6月22日 (日曜日)

狼狽える

kuuさんの「いまだ『クウガ』な日々。」経由で信じられない訃報を耳にした。

神戸みゆきが急死した。大山アンザも原史奈も黒木マリナも生きているのに、神戸みゆきだけが死んでしまった。死から最も遠いと思っていた人が呆気なく死んでしまうと、やはり狼狽えざるを得ない。

正直に言うと、オレは三代目セーラームーンとしての神戸みゆきにしか魅力を感じないので、それ以降の彼女の仕事を積極的に追っていたわけではない。しかし、あの時の記憶がオレにとっては大切だから、オレとは無関係な場所であろうが何処かで一人の女性として元気に生きて幸せに暮らしていて欲しかった。

数年前の「仮面ライダー響鬼」における立花日菜佳役が生ける彼女を視た最後ということになるが、この役柄についてオレは以前窮めてざっかけない冗談口を叩いたことがあるが、そういうキャラクターの儘に彼女は幸せなお婆ちゃんになるのだと信じていた。

騒々しいくらいに若さのエネルギーを発散していた溌剌としたあの人が、今は骨壺一杯の骨になっているのだと思うと、どうにもその若い死の理不尽さを生々しく感じてしまう。生前の彼女が幸せであったのかどうか、オレは識らない。感傷的な年寄りだと思われようが、幸せであったのだと信じたい。そうでないと、この生々しい狼狽はやり過ごせない。所詮は他人事なのに。

やりきれない、その死を悼む。

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コメント

こんばんは。
突然の訃報に実感ある言葉が浮かばず、自分のところではスルーしています。私にとってはなによりも日菜佳であった人ですが、死に実感はなくとも日菜佳とトドロキのいるたちばなは実感ある風景として今もリアルです。
早過ぎる死ではありますが、そういう虚構の世界を人の記憶に実感ある風景として留めさせることができたことは、俳優を生業とした人にとってはひとつの幸福なのではないでしょうか。
もっと多くいくつもの仕事を残せたであろうにとは思いますが、彼女の仕事を記憶に留めつつご冥福を祈りたいと思います。

投稿: quon | 2008年6月23日 (月曜日) 午前 01時07分

>quonさん

バラエティ番組やセラミュのファン感で見せる素の喋りでは、「図太い逞しさ」を感じさせる発言が多かった人だけに、体調不良を訴えてその儘消え入るように死んでしまうという儚い末期が信じられない思いです。エントリーを書きながら、今更リアルに感じられて耐え難くなりました。自分の娘くらいの歳の人が死ぬのを視るのは、やはりかなり辛い。

日菜佳役では「オバチャン臭くなったなぁ」という印象が強かったのですが、こういう人は長生きするんだろうと無邪気に信じていました。セラミュのうさぎ役は本当に溌剌として可愛いかったんですよ。そんな少女がオバチャンになるということは、その過ぎゆく一刹那を可愛いと思った少女が、そんな記憶を持っている誰かを置いて大人になるということですし、やがて年老いていくということです。

だから、立花日菜佳役の神戸みゆきが嘗てのうさぎ役の頃と比べてオバチャン臭く見えたとしても、それはオレなんかが気にしなくても彼女が何処かでちゃんと生きているということなのだし、この先も生きていくということなんだと信じていました。

勿論、こういう仕事だからこそ多くの人々の記憶に残る映像を残せたのでしょうし、それが彼女の短い生においては幸福だったのだと信じたいところです。

投稿: 黒猫亭 | 2008年6月23日 (月曜日) 午前 02時00分

観てはいませんが、最後の舞台が、昨年秋のきだつよし作・演出、渋江譲二共演『マジヨ』とのことで、セーラームーンに始まり、立花日菜佳のイメージを最後に、足早に去っていったという印象が残ります。
私はラストドラクルでミュージカルに開眼して、黒木マリナさんになってからも観続ける一方、Act.1で始めて知った「河辺千恵子がセーラームーンに還ってきた!」という驚きがきっかけで、実写版も観続けることにしたものですから、まあ、みゆきムーンを起点に、舞台と実写の双方に入り込んでいったようなものです。
その後、興味は徐々に実写版へと傾いて行ったのではありますが、たまたま『あんこっくたぶれっ』という凄いサイトに出会ってしまって、詳細なリストやレビューを読んでいるうちに、再びセラミュの魅力に引きずりこまれるわ、「ひこえもん劇場」のおかげで実写版の深みにもますますハマりこんでしまうわ、後戻りできなくなっちゃったじゃないですか(笑)。そんなわけで今、plasmaさんはどんなふうにこの悲報を受け止めていらっしゃるのかなあ、なんてことも思います。
私もミュージカルの全体像を踏まえて、ラストドラクルの渾沌とした魅力を、自分なりにつかみたいとは思い、気がつけばセラミュのDVDを10枚以上そろえちゃってますが、初期のものなんか、まだ一部しか観ていない。考察できる段階にはありません。個々のビデオレビューはちらほら見かけるけど、セラミュの専門サイトもだいぶ減っちゃって、ドラクルのDVDは出る気配もない。実写版のことばかり書いている自分が言うのもなんですが、淋しい限りです。

それにしても、あれほど「うさぎちゃん」だった彼女。月野うさぎが現実に存在したら多分そうなるように、おばちゃんになっても、おばあちゃんになっても可愛くて元気なまま、というイメージがあったのに、はかないです。合掌。

投稿: Leo16 | 2008年6月23日 (月曜日) 午後 06時29分

ほんまにね、なんというか、僕も彼女のことをずっと追っかけていたわけではないのですが、それでもちょっとしたショックです。

ネットのニュースで神戸みゆきさん急死との表題を見かけた時もにわかに彼女とは結びつきませんでした。

僕は2人の娘の親ですから、まずはご両親の心情はいかばかりであったか、そこへ思いが至りました。もし、今娘を失うようなことがあれば、自分自身がどのようになるか想像もつきません。

彼女の周囲の人が、これからの人生を前向きにとらえて生きていけることを願ってやみません。

謹んで、神戸みゆきさんのご冥福をお祈りします。

投稿: がん | 2008年6月23日 (月曜日) 午後 10時50分

 その人を詳しく知っていてもいなくても、とにかく、自分より若い人が亡くなった知らせに接すると胸が痛むものです。

投稿: apj | 2008年6月25日 (水曜日) 午前 12時03分

>Leo16さん

オレの場合は逆に、実写版への興味からその関連でセラミュも観てみようか、というプロセスで、先にハマっていたプラズマさんの奨めに乗る形で過去の公演ビデオを観るようになり、マリナムーンの後期(つまり実写版放映時期)には実際に公演を観に行くようになったという形ですね。

まあ、ハッキリ言って助平心が先ですよね(笑)。実写版への興味自体、不思議少女のシリーズがシュシュトリアンで終了して以来、美少女ヒロイン物の実写作品がOVの安い紛い物(禅ピクチャーズ系のアレも含めて(笑))か円谷映像系の深夜番組しかなかった状況において、この種の正統的なヒロイン物のコンテンツに対する渇望があったという動機があって、実写版放映の一報を耳にしてかなり色めき立ちました。

特撮ヒーロー番組の正統である東映特撮において、しかも大看板のセラムンを実写化するということですから、これは特撮シーンのイベントとしては大きなもので、にわかに「美少女戦士セーラームーン」というコンテンツの全体像に対する興味が湧いてきたわけで、抵抗を持っていたセラミュにもその関連で興味を持つようになったわけですね。

元々セラムンは、原作者が不思議少女シリーズ(直截にはポワトリンですかね)に影響を受けて、東映のスーパー戦隊のフォーマットを踏襲した作品世界ですから、東映特撮で実写化されるのは自然なんですが、ご存じの通りの非常にデリケートで複雑な経緯があって実現性は薄いと思っていました。

その意味で、実写版的な作品ジャンルが、長らくバンダイ主体のセラミュのみであったというのも象徴的なんですが、ハマり込む前にオレがセラミュに抱いていた印象というのは、アンザ時代最初期の試行錯誤の舞台衣裳のイメージであったり、桜っ子クラブさくら組の微妙な連中がやってる舞台だという偏見であったり(笑)、というものだったわけですが、まあ今ビデオを見返しても、アンザの物凄く強烈に感情を乗せてくる演技スタイルやヴォーカルスタイルがあんまり好きではないです。

まあ、ぶっちゃけあの声と歌い方が生理的に嫌いなんですね。

ですから、セラミュと謂っても本格的にビデオなんかで観るようになったのは原史奈以降ですね。とにかく原史奈は三公演で留めたのは無難で、見た目が綺麗だという以外にはとくにミュージカル女優としては視るべきところがないですし、歌もそれほど上手くないし踊りもベタ足でステップを踏むような簡単なフリだけ、キャラ的にも何処もムーンでもうさぎでもなかったですが、アンザやブンコのルックスがそれほど好みではないオレとしては、何とかビジュアル的にモチベーションが維持出来るというレベルです。

ただまあ、原史奈時代にタキシード仮面役でブレイドのダディが地味に出演していますし、結局最後のセラミュ公演となったのが「新・かぐや島伝説改訂版」ですから、そのリファレンスという意味でもそれなりに印象を残す公演だったとは思います。アンザ時代とはほぼキャストを一新していてここで一旦断絶があるわけで、ラストドラクル三部作以降にセラミュを担う脇の人々もこの辺りでポツポツ出てきていますし、たしか史奈ムーンの特殊な歴史的位置附けについては、「あんこっくたぶれっ」でプラズマさんも語っていたように記憶しています。

まあ、史奈ムーンの為に書き下ろされた持ち歌が、たしか新テーマ曲の「リンク」を除けば「今日のお魚さん」くらいしかないというのが凄いですけど(笑)。

神戸みゆきが座長を務めた四公演、所謂ラストドラクル三部作については、これはもうプラズマさんの強力な布教活動がきっかけで、この三部作を入り口としてセラミュを観るようになったわけですから、やっぱり全公演中でも個人的には一番印象が強いです。

最初に観た時は、初めに幕が上がってから「怖い夢をみた」というだけで延々一曲歌い上げ、「起きなさい、うさぎ」というだけで大勢さんが延々一曲歌い、この調子で進むんではいつまで経ってもお話が進まないんではないかと不安に思ったんですが、神戸みゆきの演じる月野うさぎがあんまり月野うさぎなんで、まずそこに惹かれましたね。

この頃の神戸ちゃんは歌も踊りもそんなに上手いほうだとは思えないし、マリナ時代のファン感にOGとして出演して「歌詞を忘れたらどうするか」と振っておいて「とりあえずステップを踏んで胡麻化す」とか図太いことを発言していて、割合に野放図でやんちゃなキャラではありましたよね(笑)。

Leo16 さんのところの記事で「プリンセスとしてはイマイチ」みたいなことを書かれていますけれど、ファン感で本人が語ったところによると、共演者たちからはあのプリンセスのコスチューム姿を「赤ちゃんみたい」と言われていたそうです(笑)。

それでも、歴代ムーンの中では神戸ムーンが一番好きですね。アニメで言えば一本のシリーズを丸ごと二時間強の舞台に纏めている都合上、セラミュの構成では変身後の芝居のシーケンスがアニメや実写版に比べても相当長いんですが、神戸ムーン独特の魅力は変身前のうさぎと仲間たちの掛け合いの部分にあったと思います。

長い歴史を持ち熱烈なリピーターを獲得している舞台だけに、一公演の中でどんどん掛け合いのアドリブが先鋭化していき、役者が保たせる漫才めいたユルいネタ見せが随所に設けられているという小劇場演劇的な特徴のあるセラミュで、うさぎのキャラが一番弾けていて面白いのが神戸ムーンの特徴ですよね。

演者の好悪ということを抜きに言えば、歴代ムーンの芸風を貪欲に吸収して統合したマリナムーンの芸というのはやっぱりトータルで優れていると思いますし、うさぎの弾けたキャラという意味では神戸ムーンのやんちゃな感じを盗んでいると思うんですが、まあ何というか、オレ個人の印象として黒木マリナは勉強熱心な子という印象があって、うさぎとして弾けた演技をしていても「ああ、真面目に演技しているな」という印象を覚えるんですね。

で、神戸ムーンは、これは女優に対する褒め言葉にはならないと思うんですが、まさに「うさぎがそこにいる」という感じがするんですね。元々アンザにせよ史奈にせよ声質は低いほうでアニメのうさぎのイメージとは遠かったんですが、神戸ちゃんの甲高い超音波系の声質が三石琴乃のイメージに近いということもありました。

>>その後、興味は徐々に実写版へと傾いて行ったのではありますが、たまたま『あんこっくたぶれっ』という凄いサイトに出会ってしまって、詳細なリストやレビューを読んでいるうちに、再びセラミュの魅力に引きずりこまれるわ、「ひこえもん劇場」のおかげで実写版の深みにもますますハマりこんでしまうわ、後戻りできなくなっちゃったじゃないですか(笑)。そんなわけで今、plasmaさんはどんなふうにこの悲報を受け止めていらっしゃるのかなあ、なんてことも思います。

まあ、オレは実写版レビューとしての「失はれた週末」という一コンテンツのテクストを作成し、HTML化作業を彼に任せていただけですので、彼のサイト全体のことについては何も発言権はありません。サイトを閉めるというので、オレが書いたコンテンツだけをこちらで引き継いで再構築したわけです。

「ひこえもん劇場」については、彼が好意で「失はれた週末」やヴァイスさん作成の実写版情報をコンテンツ化する場所を提供してくれたわけですし、現状でまだ完結していないコンテンツですから、「この形でやるのはやめよう」ということになったらサイトを削除するのもやむないですが、「あんこっくたぶれっ」のほうはプラズマさん単独で作成・公開していて、他の誰も関与していないサイトなんですから、更新しないにしても放置しておいてよかったんではないかとも思うんですけどね。

まあ、いずれにせよ本人の決めることではあります。

>>それにしても、あれほど「うさぎちゃん」だった彼女。月野うさぎが現実に存在したら多分そうなるように、おばちゃんになっても、おばあちゃんになっても可愛くて元気なまま、というイメージがあったのに、はかないです。合掌。

以前「めぞん一刻」に絡めて語ったことではありますが、物語が終わってしまって愛すべき人々が舞台から退場しても、オレたちの与り識らぬ場所で彼らは生き続けているのだと思いますし、オレにとっては過去に入れあげたアイドルや女優さんもそういう物語中の人物と同じ扱いなんだと思います。ただ、虚構の人物と違って現実の人間は生きているのだし、生きている以上は幸福だとは限らないし、いつかは必ず死ぬんですよね。

オレと神戸みゆきの接点はラストドラクル三部作という特定の「物語」でしかなかったわけですし、オレと彼女の間に全人的な関係があったわけでは勿論ありません。ですからその「物語」が終わってしまった以上、オレにとっての「舞台」から神戸みゆきという「物語中の人物」は退場してしまったわけなんですが、物語が終わった後も彼女が幸福に生き続けているのだと思いたかった。そういう痴愚心なんですね。

投稿: 黒猫亭 | 2008年6月25日 (水曜日) 午後 04時13分

>がんさん

がんさんはプラズマさんのラストドラクル三部作布教活動にはあんまり乗らなかったんでしたっけ?(笑) 何本かビデオをご覧になっていたような記憶がありますが、まあがんさんにとって神戸ちゃんは、どちらかというと響鬼の立花日菜佳のほうが印象が強いのかもしれませんね。

>>僕は2人の娘の親ですから、まずはご両親の心情はいかばかりであったか、そこへ思いが至りました。もし、今娘を失うようなことがあれば、自分自身がどのようになるか想像もつきません。

オレだって(畜生とはいえ)二人の娘の父親ですから…とムキになって張り合う必要は別段ありませんよね(笑)。

それでも猫を飼うようになって常々考えるのは、人間の子供とは違ってこいつらは絶対オレより先に死ぬんだよな、今よりもっとオレが歳をとって、今より心が弱くなっていても、こいつらに死なれる辛さに直面しなければならないんだよな、こいつらの死に目を自ら看取って弔うのが生き物を養う責任というものなんだよな、ということですね。

それが人間の子供なら普通は親よりも長生きするのが「当たり前」で、だから「先立つ不孝」なんて言葉があります。だけど、「当たり前」だからと言って絶対が保証されているわけではありませんし、親よりも先に死ぬ子供は決して少なくありません。親御さんたちのお気持ちは察して剰りがありますね。

神戸ちゃんとしょこたんが仲良しだったというのはこの記事を読んで初めて識りましたが、彼女にしても同年代の友達が亡くなったのはさぞかしショックだったでしょうね。

私事ですが、オレもけっこう歳をとってきたせいか、ここ五年くらいの間に割合頻繁に親戚の葬儀がありまして、なかでも東京にいる伯母の一家は立て続けに葬儀を出していたので印象深かったです。

取り分けて、オレとは高々一回りくらいしか歳の違わないいとこの連れ合いが膵臓癌で亡くなったのは身につまされてしまいましたが、その人は一年前から自身の病状や余命を識っていて遺影まで自分で用意したそうで、その話が妙に印象に残りました。

こういうのは、哀しいというより生きるのって辛いなぁと思ってしまいます。自分が一年後には確実に死んでいると識っていて、自分で遺影を準備する人間の気持ちってどんなものなんでしょうか。来年にはお父さんがいなくなっていることを識りながら過ごす家族たちの一年間ってどんなものなんでしょうか。

オレにはわかりませんけど、辛い話でした。

その葬儀の前にいとこの家族たちと会ったのはその一年前で、それは伯母、つまりいとこの母親の葬儀で、伯母が急逝したこと自体は歳も歳だったのでそれほど過敏には受け取られていなかったのですが、喪主となったいとこの連れ合いがかなり衰弱していて、家族がかなり陰鬱な雰囲気に包まれていたことは異様に感じられました。その葬儀の頃には、遠からずもう一度葬儀があることをみんな識っていたそうです。

伯母のほうは自宅で所謂突然死を遂げたので、手続き上検死の必要があった為に葬儀が遅れたということはありましたが、元気そうには見えても持病もありそれなりに高齢でもあったので、哀しいというより急な話だという慌ただしさのほうが先に立ちました。

その伯母と最後に会ったのは、東京に住んでいる弟夫婦の間に最初の子供が生まれたときで、亡くなる半年くらい前でしたろうか。その前というと、実は伯母が亡くなる前年に伯母の連れ合いが亡くなっていまして、その葬儀で顔を合わせています。こちらのほうは型通りの病死でした。

三年続けて葬儀を出して旧い世代が続け様に滅びたその一家ですが、いとこの子どもたちが産みも産んだり男女合わせて六人もいる大所帯で全員働いているので、おそらく子供たちがお母さんを支えて生きていくことになるんでしょうね。

とりとめのない話で恐縮ですが、オレの直接の家族ではオレの子供の頃に爺さんが亡くなって以来葬式が出ておらず二親とも健在ですので、家族に死なれる気持ちというとそのいとこの一家の話を想い出してしまいます。

投稿: 黒猫亭 | 2008年6月26日 (木曜日) 午前 12時23分

>apjさん

我々の世代は若くもないし年老いてもいないので、上の世代が亡くなるとそろそろそんな人生の一期に生きていることを実感してしまうし、同世代の方が亡くなると「まだまだ死ぬには早いのに」という口惜しさを感じてしまう、下の世代の方が亡くなると「人生が始まったばかりじゃないか」と不条理に感じてしまいます。

おしなべて言うなら、死というものが他人事だったり非日常的な事柄ではなくなり始める年代なのですね。我が身のこととして最大の関心事となるのはもっと先の話ではありますが、少なくとも人間が日常的に死ぬ世界に自分が生きていることを実感し始める世代ではあるでしょう。

もう少しオレが若かったら、神戸みゆきが急死しても、型通りの「芸能人の死」として受け取って、驚きはしても実感は薄かったかもしれませんが、なんだか今は妙にリアルに感じられてしまいます。若い人間にとっては「若くして亡くなる」ということそれ自体が自分とは遠い非日常的な世界の出来事として、リアリティを喪失するということがあるんでしょうね。

投稿: 黒猫亭 | 2008年6月26日 (木曜日) 午前 12時23分

「響鬼」の日菜佳役しか存じ上げませんでしたが、24歳ではまだまだやりたいことがたくさんあったでしょう。

若くても老いていても死は理不尽なもので、亡くなった人の無念を思うと、残った者としてはせめて日々を無駄にしないように生きなければといつも考えるのですが、しかし時々忘れてしまい、このような知らせにあってまた思い直すのです。

心が痛みますが、「響鬼」を見るきっかけの一つをもらったことに感謝しつつ。

投稿: 604 | 2008年6月27日 (金曜日) 午前 11時49分

こんばんは。

僕はプラズマさんにだったかは忘れましたが、とにかくビデオを送ってもらって、神戸ちゃんのは見ました。下の娘がああいう歌って踊るのは好きみたいで、僕より娘が一生懸命見ていたように思います(笑)。で、それにかこつけて四国公演を見に行こうと画策はしていたんですが、なんせ情報が少なく、気がついたらチケットが買えなかったというような状況で結局直接は見に行っていません。いずれにせよ、すでに神戸ちゃんの代ではなくなってましたが。

響鬼やセラミュを見ていると、どうもああいうのは神戸ちゃんの地に近いように思われますね。なので自分的には余計に好ましく感じていました。それだけに黒猫さんと同じように、なんとなくあのまま年をとって行く彼女のイメージを持っていたように思います。

とはいえ、なんで赤の他人の、しかも普段はほとんど忘れているような人物に対して、これほど喪失感を持つのかなぁ・・・。昨年一番親しくしていた同期の同僚を喪ったので、「死」について身近に感じられていたのも関係あるかもしれません。

近いうちに確実に家族を失う状況というのは、8年前に親父が亡くなったときに経験しましたが、そのときはなんだか現実感がなく、親父のいない日常というのがどうにも想像がつきませんでした。僕はずいぶん長く親父と離れて暮らしていたこともあって、いまでも親父がいないという状況に対して現実感は薄いです。でも、たまに息子とキャッチボールをするとき、親父が生きていたら口やかましく指導したがっただろうな、してやって欲しかったなと思うことがあり、そういうときに亡くなった人の現実というものを思い知らされます。

投稿: がん | 2008年6月27日 (金曜日) 午後 10時58分

>604さん

先日電車の中で半七を読んでいたら(ってのも凄い書き出しですが(笑))「そりゃあ老少不定で寿命ずくなら仕方もねえわけだが」という一節があって、少しどきっとしてしまいました。昔の人は今とは比べものにならないくらい簡単に死んだわけで、独り暮らしをしていて病気したりすると、そういうことを時々考えます。

たとえばちょっと風邪を引いたとか喰い物に中たったとか、今ならよっぽどでない限りは命に関わるほどのこともありませんが、昔はそんな簡単なことで死ぬ人も多かったわけで、精々長生きがしたかったら用心深くなければいけない。

公衆衛生の観念も今とは格段に違うわけですから、伝染病や感染症の危険も多かったのだし、自然分娩による出産はかなり危険が伴うものだった、また多くのありふれた病気は正体も治療法も知れていなかったですから、「ぶらぶら病で寝たり起きたりしていましたが、とうとういけなくなりました」とか簡単に書いてあったりするんですね。そういう時代には、たしかに「老少不定で寿命ずくなら仕方もない」という言い方になるんでしょうね。

今回のような悲報に接すると、そういうことってこれだけ医学が進歩しても同じなんだよな、とか時々豁然と気附かされるわけで、昔ほど簡単に人が死ななくなった世の中になっただけに、死を受け容れるのが難しくなってきているような気がします。自分であれ、他人であれ。

何というか、やりたいことがとくになくても生きていれば何でも出来るけれど、やりたいことがどれだけあっても死んだら何も出来ないわけです。オレなんか覇気のない人間ですから、とくにやりたいというほどのこともなく漫然と生きていますけれど、あんまり無為に生きていると気が差してくる程度の含羞は持ちたいですね。

投稿: 黒猫亭 | 2008年6月29日 (日曜日) 午前 09時06分

>がんさん

>>とはいえ、なんで赤の他人の、しかも普段はほとんど忘れているような人物に対して、これほど喪失感を持つのかなぁ・・・。昨年一番親しくしていた同期の同僚を喪ったので、「死」について身近に感じられていたのも関係あるかもしれません。

どうしてですかね。やはり、自分が歳をとっていくに連れて、人が死ぬということが特別なことでも何でもないことに気附かされてしまうからですかね。若い頃の感じ方を振り返ってみると、やっぱり「人間、生きているのが当たり前」というふうに感じていたような気がしますね。自分が死ぬとか、自分の親しい人が死ぬということがあんまりリアルではなかったような気がします。

>>僕はずいぶん長く親父と離れて暮らしていたこともあって、いまでも親父がいないという状況に対して現実感は薄いです。

オレももう四半世紀くらい独り暮らしを続けておりますし、前に言った通り直接の肉親を喪ったのは四〇年近く前のことになりますので、家にいるはずの人がいなくなる感じというのはよくわからないところがあります。

まあ、一番家族に近い感じというと、やっぱり猫になりますかね、完全室内飼育ですので家にいるのが当たり前ですし(笑)。最初の猫が来て以来、こいつらがいない家というのは想像が附かなかったんですが、先日引越の都合で二匹とも半日ばかり余所に預けて戻ったときは、何だか変な感じがしましたね。引越のバタバタで家の中がすっからかんになっていたということもありますが、やっぱりいるはずのものがいないと落ち着かないものがありました。

こいつらが死んだらちょうどこんな感じなんだと思うと、よく考えてみるとそういう経験はしたことがないな、と。まあ、猫を通じてしか家族の感覚がわからない四十男というのもあんまり聞こえの好い話ではありませんが、考えてみるとオレは家族的な縁というのは割と薄いですね。親元が恋しいと思ったことは一度もないし、それほどひどい家庭ではなかったはずですが(笑)、家族に囲まれているのが安心だと思ったことは一度もないですし、何だか自分の肉親に気兼ねなところがありました。

比較的仲が良いのは何度かここでもお話をしている妹なんですが、九歳も歳が違っている上にこっちが四半世紀も前に家を出ているので、一〇年くらいしか一緒に暮らしていないですから、やはり距離はありますね。この妹がオレより先に死んだら流石に哀しいとは思いますが辛くてやりきれないというほどでもないような気がします。これが親とか弟たちとかいうことになりますと、あんまり実感がないかもしれません。元々あまり心の中に定まった居場所がないものですから、喪失感を感じるよすがもあまりないかもしれませんね。

でも、一緒に暮らしている猫が死んだら、哀しいどころの段ではなくて身を切られるように辛いだろうなぁ、と今から予想が附きますので、それは幾らなんでも人としてどうかと思うんですが(笑)。まあ、血が繋がっていようが何だろうが、人間様であろうが畜生であろうが、一緒に暮らしていればそれは家族だということでしょうか。

投稿: 黒猫亭 | 2008年6月29日 (日曜日) 午前 09時08分

 引きずって申し訳ありません。

 私のよく行っているラーメン屋の主人の娘さんが、昔セーラームーンのミュージカルに出ていました。
 神戸みゆきさんの1つ後だったので競演はしていないものの、神戸さんはレッスンにも顔を出してくれて、時には一緒に食事もしたそうです。
 とても優しい人で、大好きだったそうです。

 だから神戸さんの死のニュースを聞いたときはみんなで泣いたといいます。

 そういう話を聞くと、どうしても切なくなりますね。

投稿: hietaro | 2008年7月22日 (火曜日) 午後 09時26分

>hietaroさん

マリナ時代のキャストで大阪出身の子ということなら、もしかして船越英里子のことかな、とチラッと思ったのですが、まさかそんな凄い偶然がその辺に転がっているわけはないですよね。

オレが実写版セラムンからの繋がりでサンシャイン劇場へ通うようになったのは、実は知人に連れられて最初に行った公演で視た彼女が気に入ったからだという経緯がありますので、そうだったらいいなという願望ですが(笑)。

今でもウチの書斎には、お姉ちゃんの真美子と組んだユニット「アルザ」の「うなぎのじゅもん」というCDのノベルティで附いてきた二人のブロマイドが飾ってあったりするのですが(笑)、それを識る或る友人からは「親戚の子みたいに見せ掛けて小学生の写真を飾っている人でなし」と罵られています。

いやいや、船越姉妹のことだかどうだかわからないのに、オレの「英里子の想ひ出」を縷々語っても仕方がないですね、失礼しました。調べてみたら朝見優香も大阪出身ということですし(と謂っても神戸ちゃんより大分年上ですが)、主要キャストの子の話とは限りませんからね。

セラミュ公演の場合、ムーン役の主演女優が「座長」ということになりますので、神戸ちゃんや黒木マリナのように中学生かそこらの女の子が、年上の役者やベテランと謂われる客演の方々もたくさん出演する舞台のリーダーを務めるわけですね。

主役の重責ということもありますが、演劇ジャンル独自の事情としてバックステージでは一座を盛り立てて引っ張っていく役回りも期待されるわけで、原史奈の頃は長期に亘るアンザ時代が一旦終わった試行錯誤の時期ということで、ちょっと事情が独特だったようですが、ファン感イベントなどで一座の雰囲気を視るに、神戸ちゃんも黒木マリナも立派に座長を務めていたと思います。

そのようなバックステージの雰囲気の良さや客席との一体感のようなものもセラミュの大きな魅力だったのですから、歴代ムーンの座長としての神経の使い方も並大抵ではなかったのでは、と偲ばれます。神戸ちゃんも、底抜けな明るさと脳天気な勢いでみんなを引っ張っていくような印象がありますけれど、陰では細やかに気を遣っていたのではないかと思います。

hietaro さんのお話は、外向けの公的な談話とかではなくて、知人の間で交わされた掛け値のない会話のエピソードなのでしょうけれど、たとえば有名人の場合、直接面識のある人々からの噂話ではイヤな話も聞こえてくるものですけれど、そういうふうにわがことのように泣いてくれる人が周りにたくさんいたというお話を伺うと、少し救われる部分もありますね。

投稿: 黒猫亭 | 2008年7月23日 (水曜日) 午前 11時48分

あ、すみません。

大阪出身じゃないです。
ちびちびやってたコですね。
期待させてすみません。(^O^)

投稿: hietaro | 2008年8月 7日 (木曜日) 午前 01時58分

>hietaroさん

散々愚痴っているような状況でして、お返事が遅れてすいません。

そうですか、あの姉妹のことではないんですね。神戸ちゃんを悼むエントリーだというのに、はしたなく色めき立ってしまいました(笑)。ちびちびを演じた大阪出身以外の子ということならたくさんいますから特定は出来ないですし、長じてその道に進んでいる人であるとは限らないので、しないほうがいいですね。

それにしても、神戸ちゃんのときはかなり動揺を覚えたのに、先日の赤塚不二夫の訃報には何の感慨も覚えなかったオレの感じ方というのもどうなのだろう。もう随分前から相当悪くて、その上に酒も煙草も止めないと広言していたので、すでに亡くなっているように思っていたということもありますが。

赤塚不二夫の場合、すでに一時代を築いた後の余生だということもありますし、好き放題に生きて亡くなったのだから無念もないだろうということもありますね。旧満州から引き揚げてきた人というのは、彼のように破天荒に生きる人が多かったようなイメージがあります。

投稿: 黒猫亭 | 2008年8月 9日 (土曜日) 午後 03時58分

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