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2008年8月30日 (土曜日)

ぞっとした

今日一日、ふと気が附くと物凄い勢いで「美味しい炒飯の作り方」と題したテキストを一万数千字に亘って熱っぽく書き続けていた。途中で正気に戻ったから好かったものの今となってはなんでそんなことを書こうと思ったのか、サッパリわからない。

当然、そんな病人の譫言みたいなテキストは没である。

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コメント

ちなみに、ネタではなく実話である。

投稿: 黒猫亭 | 2008年8月31日 (日曜日) 午前 12時10分

それは・・・ぜひ見たいですね。

いや、読みたい、でなくて「見たい」ですが(木亥火暴!!)。

投稿: がん | 2008年8月31日 (日曜日) 午前 08時51分

>がんさん

怖いもの見たさということはありますからねぇ(笑)。

いやまあ、読み返してみると別段異常なことを書いているわけではないんですが。厳密に謂うと、そんなようなことを書こうと思ったといううる覚えの記憶はあるんですが、ちょっとしたヒマネタとしてティップス的なメモに類したエントリを上げようとか、最初はそんなモンだったはずなんで。いや、なんか酔っぱらっているときに冒頭数行書いたような記憶があるんで、その辺さだかではないんですが(笑)。

それが昨日、テキストファイルを開けて書きかけのテキストがあったものだから機械的に続きを書き始めて、ふと気が附いたら、さも炒飯作りがこの世の一大事でもあるかのように熱く語ったテキストが前後編一万数千字に亘って書き綴られていて、オレは一体今日一日何をしておったのか、と。酔っぱらっていたというのならともかく、完全に素面ですから。

たとえばですね、がんさんが日曜の朝にパッと目が覚めた瞬間、「ああそうだ、学校行かなくちゃ」と思ったとして、ふと気が附くと昔の母校の前に今の仕事に出勤する身拵えで立っていたら、愕然とするでしょう。そんな感じです(木亥火暴!!)。

何かこう、半自動化された行動様式が目的との妥当な釣り合いを欠いた形で自動的に走ると、ちょっとぞっとしますね。非常に単純な数行のスクリプトだけで動いていたような気持ち悪さがあります。

以前、どなたかのブログのコメント欄で長々と議論したときに、そのエントリに附いたブコメで「こいつは自動テキスト製造器でも持っているのか」と揶揄されたことがありましたが、「持っている」のではなくて、オレ自身が半分機械になりかけているんじゃないかと(木亥火暴!!)。

投稿: 黒猫亭 | 2008年8月31日 (日曜日) 午前 10時40分

ぼくなら適当に内容を剪定してアップしちゃいますけどね。読み手がなにを面白がってくれるか分からないし。

黒猫亭さんは論旨と論旨のあいだをちゃんと言葉でつなぐから、全体のボリュームが増えるんですよね。ぼくの場合その辺りを省いたりするから、ひとつのエントリで(読むひとによっては)話題がジャンプしまくりのように見えるだろうな、とか思ったり。

投稿: pooh | 2008年8月31日 (日曜日) 午前 10時47分

>poohさん

やっぱり、地球環境問題よりも美味しい炒飯の作り方を論じたエントリーのほうが長いというのは、幾ら何でも人としてアレだろう、と(笑)。これまでにも「こういうことを書こう」と思って書いているうちに長くなったので刈り込んだとか、延々書いても納得が行く流れにならないから没にした、と謂うのは幾らでもあるんですが、今回は特段そういう動機もなく、何も考えずに機械的にテキストを書いていて結果的に長くなったという形ですので。

普通、そういう種類のテキストというのは自由度の高い随意的な形であるべきで、それなら剪定するということも可能なんですが、何か文章構造のレベルで必然的に長くなるような書き方をしているんですね。仰る通り、論旨と論旨をストーリー立てて全体構造を構想するような書き癖が染みついているので、多分、こういう具体的で羅列的な性格のテーマを気随気儘に書き流すのに向いていないんでしょうね(笑)。

>>ぼくの場合その辺りを省いたりするから、ひとつのエントリで(読むひとによっては)話題がジャンプしまくりのように見えるだろうな、とか思ったり。

そうは謂っても、そういう繋がりの部分で省略があることが、読み手を触発する部分もあるわけで。

たとえば、或る論旨から別の論旨が導き出される筋道を明示的に説明することが出来なかったり、言説上の各論旨と同じレベルの確度で言明するには材料不足だったり、構成上それを説明することで、比較的重要性の薄い労力が連続性の理由から発生して得策ではない場合もありますよね。

だとしたら、それを迂回して書いても構わないはずだし、書くことによって、或いは省略それ自体によって読み手に何らかの有益な意味性を伝えることも可能なわけで、要は書き方の問題であったりするわけですよね。poohさんのスタイルではそれが書けるけれど、オレのスタイルだと書くのが難しいということになりますでしょうか。

ただまあ、「書き方の問題」と一口で謂ってみても、apj さんではないですが「書くことは考えること」なので、考える様式の違いということでもあるんじゃないかと思いますが。そういう書き方=考え方の様式が不相応な場面で半自動的且つ無自覚に応答すると、何だか気味の悪い結果になるな、というのが今回の印象ですね(笑)。

多分、そのままアップしても、読み手は「こいつ、何をそんな熱く語ってんの」くらいにしか感じないと思いますが、最初に「こういうことを書こう」と思った動機に関する記憶があやふやで、作業中にはまったく動機らしきものが保持されていなかったので、本人的には何だか気持ちが悪いですね。

何かこう、「黒猫亭の思考様式」みたいな戯画化された無人称の機能が自動的に書いたテキストで、「黒猫亭という主体」は単にその作業をこなしただけのような、妙な不気味さを感じました。結果だけ視ると、第三者視点では「こいつ、また長々と能書き垂れてやがんな」でこれまでと大差ないんですけど(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2008年8月31日 (日曜日) 午後 12時25分

要するに、なにかが”降りてきていた”状態だったんですかね。

イタコと同じ?(木亥火暴!!)

投稿: がん | 2008年9月 1日 (月曜日) 午前 07時03分

>がんさん

まあ、そんなモンでしょうか(笑)。別の言い方をすると、昔の洋物アニメでよくあったギャグのように、主人公がオートメーション工場に紛れ込んで、足を滑らせてラインに巻き込まれ、いろんなプロセスを経てパック詰めされた商品になって出てくるような、そんな感じですかね。

人間には、主体の思惟とは別にテクスト生成の機能みたいなものがあるんだろうとは思うんですが、思惟と機能は不即不離なものではないかと思っていました。でも、それはそれほど一体的なものでもなくて、下準備した牛肉を入れても生きた鼠を入れても同じようにパッケージ化するものなんだな、と。

投稿: 黒猫亭 | 2008年9月 1日 (月曜日) 午後 03時56分

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