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2008年9月15日 (月曜日)

走る(笑)

なんやかんやでこの週末は四連休になったので、何となく普段やらないような変わったことがしたくなって一〇年ぶりくらいに走ってみた。

これは、一〇年前までジョギングの習慣があってそれを再開したなどという意味では勿論ない。走るという動作そのものを一〇年くらいサボっていたという意味である。元来オレは子供の頃からよほどのことがない限り走らない人間で、体育の授業やマラソン大会などで強制されない限り、自発的に走るということは滅多にない。

よくマンガやドラマなどで遅刻しそうになって大慌てで走るという描写があるが、オレは走るくらいなら遅刻して怒られるほうを選ぶ人間である。それでも若い頃はまだ体力があったので、授業で強制された程度の訓練しか受けていなくても一、二分間全力ダッシュするくらいなら走ることが出来たし、最初の五秒くらいなら人並みに走ることが出来た(笑)。つまり、五〇メートル走なら普通よりちょっと早いのだが百メートル走になると十人並みより遅いということである。

で、一〇秒過ぎたら動作的には走っているとカテゴライズされるだけで、走るだけの速度的メリットが剰り感じられないので、コスト対効果のバランスが窮めて悪いというわけである(笑)。だとすれば、コストを掛けることそれ自体がメリットとなる、つまり減量の為に走るという目的以外には走ることにメリットが出ない。

生活上の必要に迫られて走るという場合、ひったくりを追い掛けて捕まえるというのでもない限り、大概は一〇秒前後全力疾走してちょっと速くてもまったく用が足りないので、それくらいならまず走る必要を感じないという次第である。ちなみに、オレは生まれてこの方ひったくりを走って捕まえたことなど一度もないし、そんな場面に出会した経験すら一度もない。

どんな狭いレンジの体力なんだかよくわからないが、そういう次第で、走るのは嫌いだが能不能で謂えばちょっとの間なら普通に走ることが出来ると思っていた。これは一〇年くらい前まではたしかにその通りだったのだが、前述の通りこの一〇年ほど走るという動作自体行った記憶がないし、その間にオレも中年の域に差し掛かって目に見えて体力が落ちているので、多分まともに走ることすら出来なくなっているだろうと思った。

殊にこの数年は決まった場所に通って働くという形ではなく、月に一回かそこら打ち合わせに出向いて、貰った仕事を自宅で細々と作業してメールで納品するという窮めて慎ましく貧しい生活を送っていたので、転居して田舎町に引っ込むまで歩くということすらまともにしていなかった。練馬に住んでいた頃は、片道五〇メートルの至近にあるコンビニですべての用が足りていたので、日に往復一〇〇メートルしか出歩かない日や自宅内で便所や台所へ移動する以外一切歩かない日などザラにあった

それも、オレは基本的に自宅内では用がない限り座ったきり何時間でも動かないタイプの人間なので、このままではキーボードを打ったり電話で話すという最低限の機能しかないタンパク質で出来た置物になるのではないかと本気で心配になった(笑)。

今年の転居でかなり歩くようになった(というか歩かないと生活出来ない)ので、中高年なりに最低限の体力は戻ってきたし、何度も報告している通りこの夏から半年ほど事務所に常駐する仕事を貰ったので、毎日往復で一時間くらい歩いている。

最初のうちは大腰筋が急に働いたせいか、便通が悪くなって驚いた。脚のほうは心配したほど鈍っていなくて割合すぐに慣れたのだが、歩くのに慣れてくると段々便通が不順になってきて、最初はどういう理由だかまったくわからなかった。

これは完全に推測だが、日常的に歩くようになる以前は、体重は殆ど変わらなかったが相当体型が緩んでいたので、インナーマッスルと内臓のジオメトリーが相当ゆるゆるに緩みきっていたのではないかと思う。それが習慣的に歩くようになって、それまで使っていなかった筋肉がそこそこしまってきたので、大腸の働きに干渉するようになったのだろうと考えている。このほうは、徐々に身体が慣れてくるに遵って解消された。

そういう次第で、人間の基本的な動作である「歩く」が支障なく出来るようになってくると、それなら「走る」ほうはどの程度出来るのか興味が出てきた。自慢ではないが、練馬に住んでいた頃は、一〇秒走ったら一一秒目に死ぬんじゃないかというくらい心許ない自己認識だった。

当然ながら身体機能は使わなければどんどん鈍るものだし、若い頃ならともかくこれからはどんどん一方的に肉体機能が衰えていくのだから、このまま運動から遠ざかっていると回復不能なまでに機能が落ちるのではないかという危惧を覚えていた。

五年ほど前によんどころなく勤め先を辞した後、運動不足を懸念して腕立て伏せを始めたらサクッと肘を傷めて暫く不自由な思いをした経験があって、それ以来自分の肉体を一切信用しないことに決めたのである(笑)。若い頃なら連続一〇〇回は出来たのだが、二〇回ワンセットで三日ほど続けたら四日目にいきなり肘を傷めて重いものが一切持てなくなった。それで気落ちして以来ズルズルと何もせずに過ごした結果が現状の有様である。努力は裏切らないという信念をお持ちの方もいらっしゃるだろうが、肉体は例外なくいつか必ず自分を裏切るものであるとオレは思う(笑)。

しかし日常的に歩くようになってみると、歩かなくなる前に比べてもそこそこ普通に歩けているので、心配するほど回復不能なものではないという気がしてきた。他人の話を聞いても、まったく走らなかったメタボな人が中高年からジョギングを始めてそこそこ走れるようになったり、好きが高じてホノルルマラソンに出て完走したとかいう話をよく聞くので、まあ多分オレのように若いうちに可能なレベルの体力限界すら十分に活用していなかったような人間なら、行ってこいでそれなりに普通に身体機能を維持出来るのではないかと思った。

幸い、何度も強調している通りこの辺一帯は田舎なので、オッサンやオバチャンがそこら中を走り回っている。二、三日の間こっそり一人くらい混ざっても誰も不審は覚えないので、その辺のオッサンジョガーのナリを真似て、夜中にちょっとだけ走ってみた。

初日は、流石に愕然とするくらい走れなかった。自宅の周囲を二、三周廻ってみようかと思ったのだが、予想通り一〇秒走ったら一一秒目には動けなくなった(笑)。まあこんなもんだよなあ、とか思ったのだが、そもそも歩いているのとまったく変わらない速度の爺さん走りなのだから、歩いて息を整えたら脚のほうはまだ全然疲れていないように感じた(当たり前だが)ので、また一〇秒走ってみた。

これを騙し騙し繰り返してみると、まあ人並みに比べるとまるでお話にならないレベルではあるが、心配したほどには鈍っていなかった。そもそもジョギングを習慣附けようなどという大それた野望を抱いたわけではなく、ちょっと試してみて予想以上にダメージを受けても連休だから週明けまでには回復出来るだろうという計算で走ってみただけだから、何とか走るという動作が出来たことを確認しただけで十分である。

ただ、毎日一時間程度歩いているだけでは全然身体が締まってくるということなどはないんだな、ということが更めて意識された。喩えて謂えば、日本の武具甲冑を一式着込んで走ったとすると、固定が緩いのでいろんなものがあぱんあぱん揺れるだろうが、身体全体の緩んだ筋肉がそんな感触で揺れているように感じた(笑)。

速度がどうあれ、歩くという動作と走るという動作は根本的に形が違う。頭では判っていたことだが、一〇年ぶりにちょっとだけ走ってみてそれが実感出来た。自宅周囲を二回廻って正味四〇〇メートルかそこら騙し騙し走っただけでもう動けなくなったので、一回目はそれで終了である。疲れたらすぐやめるというのが最初からの決め事である。予想通り心肺機能がかなりへたっていて、脚が竦む前に動悸が激しくなったので初日はそこで終了した。

次の日になると、たったあれだけのことであちこちが痛かったのだが(笑)、筋肉痛がするだけで疲れてはいなかった。これもまた当然である。長いこと走る動作をしていない人間が急にそれを行ったのだから、普段とは違う筋肉の使い方をしたので筋肉痛はするが、運動量自体はまったく大したことがないのだから、疲れるわけがない。多寡が自宅周囲のワンブロックを二回りする程度の運動量なら、毎日それ以上の距離を歩いているのだからまったく大したことがない。飽くまで慣れない動作を行うこと相応のコストしか費やしていないわけである。

そこで、その日はもう少しそれっぽい距離を走ってみようかと欲を出した。やっぱり夜中の涼しい頃まで待って、近所の川沿いの土手を走って戻ってくることにした。これだと一定の距離を否応なく走る形になるので不安だったが、往復で二キロ強だから歩いて戻っても大した距離ではない。辛かったら歩く、辛くなくなったらまた走る、という決め事で走ってみたら、意外と普通に走ってこられた。

勿論、往路の端まで着いた時点では汗だくで肩で息をしているような情けないような有様で、時折現れる高齢ジョガーにサクッと抜かれるわけだが(笑)、前日よりも身体が動いているように感じたし、前日初めて走ったときのように身体中の筋肉があぱんあぱん揺れているような感触がもうなくなっている。つまり、それまで走るという動作に必要な筋肉が完全に遊んでいたのだが、一度走ったら「しょうがないなあ」という感じで準備するようになったわけである。

せっかくその気になった筋肉には申し訳ないのだが、何度も繰り返す通りオレはジョギングを習慣附けようなどという大望を抱いているわけではないので(笑)、まだ走るという動作が不能になるほど衰えていないということがわかっただけで十分である。復路は流石に往路より辛かったが、辛かったら歩くということなので、一〇秒措きくらいに歩いたり走ったりを繰り返して無事に戻ってこられた。

なんであれ、これまで生活上の必要から強制されていない習慣が根附いたという記憶がまずないので、毎日走ろうなどと考えても続くわけがない。それでも乗りかかった船というか、最低限「三日坊主」くらいにはなろうと思ったので、三日目はまた自宅周囲に戻ったが、最初の日よりも一ブロック遠くまで設定して二回廻ってみた。これで一キロくらいである。

これが初日よりも全然楽で(いや、勿論人並み以下なんだけど(笑))、ああ、こういうふうに段々に身体を慣らして行けば、割合普通に身体が動くようになるんではないのかな、という気がしてきた。勿論若い頃とは違うから、体力の限界が底上げされるなどということはないだろうが、今でも十分に可能なはずのことが運動不足で出来ていない分の伸びしろがあるわけで、そういう伸びしろを上手く生活の中に運動を織り込んで伸ばせないものか、少なくとも維持出来ないものかとちょっと考えた。

そういえば、識り合いのラヲタが一時期チャリで移動していて、それがけっこうな運動になるという話をしていた。まあ話を聞いたら移動距離がかなり半端ではないので参考にはならないが(笑)、三食ラーメンを喰ってるような不健康な高カロリー食のくせにそいつなりに締まった身体をしていたから、運動になるというのは事実だろう。

たとえば、普段の買い出しをチャリ移動にして、その代わり二駅ほど離れた急行停車駅の繁華な駅前で済ませるということにすれば、運動不足の解消と買い出しの選択肢が増えて一挙両得ではあるだろう。くだんのラヲタ氏によれば、数段の変速機能と前後エアサスが附いていればかなりストレスなく長時間漕げるそうだし、今はそれだけの機能が附いていても安価な機種がけっこうある。

ただまあ、その想定ではチャリだとペイロードの面で不満が残る。新聞配達御用達のアレでもない限りは、バックパック等で自分の身体に括り附ける形でしか荷物の持ち運びが出来ないので、移動手段を何とかしようと考えるとどうせならゼロハンのバイク(それもジャイロアップ辺りの酒屋バイク)辺りを想定してしまう。そうなると、これまでの経験から謂えば、バイクなど買ったら絶対に自転車に乗らなくなるだろうということは目に見えている(笑)。

この辺悩み所ではあるのだが、せっかく不便な田舎に住んでいるのだから、ただ普通に生活しているだけで肉体の負荷は幾らでも高く設定出来るはずなので、この際少し運動することを考えてみようとは思った。まあ多分、考えるだけで結局何にもしないとは思うのだが(笑)。

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コメント

>>せっかく不便な田舎に住んでいるのだから、ただ普通に生活しているだけで肉体の負荷は幾らでも高く設定出来るはずなので

厳密に謂うと、練馬と埼玉で違ってくる条件というのは、生活の便ではなく人口密度ではないかと思う。生活の利便という意味で謂えば、練馬に住んでいた頃も住宅街の真ん中に住んでいたので、何かを買おうと思ったら駅向こうの商店街にしかマトモな店などなく、そういう意味では今の住居よりよほど不便だったのだが、腐っても都内なのでとにかく何処も満遍なく人通りが多かった。

自宅周辺からして住宅街の割りには一日中けっこう人通りが多かったし、表通りや商店街はもっと人がゴミゴミと歩いていた。埼玉の田舎は、とにかく人が少ない。表通りにはそれなりに人が歩いているが、練馬に比べても密度が少ない。ウチの近所など実に閑散としたもので、況や川沿いの土手道などは、夜になると真っ暗で殆ど人通りがない。

練馬のように人がゴミゴミと歩いていると、自分のペースでスタスタ歩くというわけにも行かないし、そもそも人混み自体が不愉快だから人のいそうなところに行きたいとも思わなかったが、こちらに越してからは人通りなど知れているのでかなり出歩くようになったということもある。さらに、練馬では近所のコンビニがかなり充実していたから贅沢を言わなければそこですべて用が足りたが、ここの近所のコンビニは大きいのが二軒もあるくせにどちらも品揃えが貧弱で剰り役に立たない。

人が少ないのも善し悪しということで、この近所のコンビニにはちょっとした買い食いの日販品とか、夜中に突然必要になりそうな最低限のものしか置いていない。ウチのアパートの入居者も貧乏人のオレ以外は全戸クルマを持っているので、普通の買い物はすべて駅前のスーパーや急行停車駅のストアで済ませるということだろう。

また、人が少ないということでは中高年でも人目を気にせずに気兼ねなくジョギングを楽しめるということなのか、夜中に走っているオッサンも練馬に比べかなり多い。それは男性で中年だから、ということもあるだろう。

若い女性などは、人通りのまったくない真っ暗な夜道など歩きたいとは思わないだろうから、夜中に走っているのは中年以降の屈強な男性か、「そっちのほうはもう終わりました」と謂わんばかりの初老以降のご婦人ばかりである。

都会のように、若いOLが仕事を終えてから一っ走りするというわけにも行かないだろう。若い女性がフトモモを露出して毎晩夜中に人気のない道を走っているということが識られたら危ない奴がほっとかないだろうことは火を見るよりも明らかである。

その土手は毎日の通勤路でもあって、自宅から少し坂を下り橋を渡った向こう側の駅のほうが距離的に近いからそのルートで通っているのだが、帰り道で若い女性がこの道を歩いているのを視たことがない。つまり、そこを歩いて通うということは橋のこちら側に住居があるということだが、夜中にそこを歩くくらいなら、少し遠回りでも橋のこちら側の駅で下車して歩いたほうが怖くないということである。

投稿: 黒猫亭 | 2008年9月15日 (月曜日) 午後 01時18分

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