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2008年9月16日 (火曜日)

未だ「歴史」ではない事柄

亀@渋研Xさんのブログ経由で、この残暑厳しい折柄、背筋が凍り附くような途轍もない怪談を耳にしたので、とりあえずご紹介。

校長先生たちに「水からの伝言」講演会

kikulogでも早速スレが立っている。

関東地区公立小・中学校女性校長会

…東京都を除くとは謂え、まだこんなことが首都圏のド真ん中で堂々と行われているのである。大本の「ほたるいかの書きつけ」さんの記事を読んで、さらに暗澹たる気分になった。

そして、江本の絵本がなんと7000冊も発注されてしまった。しかも小学校から。いったいどういうことだ。暗澹たる気分になる。

…オレもです。

この話、未だに教育現場で水伝が影響力を持っているという事実もさりながら、この一件の最もイヤなところは、「関東地区女性校長会の総会」で起こったことだということである。この総会に参加した女性校長たちが、自校に水伝の講話を持ち帰って子供たちに話すということも大問題だが、それが女性管理職の集いで起こった事柄だというのは普通に考えれば「偶然」である。

たまたまこの組織の事務局に軽率で不見識な人間がいて、たまたま今頃になって火中の栗を拾う形になった、そんなところが真相だろう。しかし、偶然を必然と読み替えたがる類の輩は何処にでもいるし、それは大方の人が思っているよりよほど多いのである。

勿論オレはこの記事に接するまで、「関東地区女性校長会」なる組織が存在するなどとは識らなかったが、この現代の教育現場においても、女性のトップ管理者というのはマイノリティであろうことは容易に察しが附く。そうでなければ、わざわざ「女性校長」オンリーの組織など存在するはずがない。

そのマイノリティの総会で、今や普通の教育現場では「これってもしかしてヤバいんではないの?」と薄々周知されつつある水伝が今頃になって採り上げられ、しかも数千冊に及ぶ新たな需要を作り出したとあれば、子供たちに対する教育的影響というお馴染みの問題に加えて、偶然を必然に読み替えた差別的なバッシングが生起する可能性すらあるわけである。

これは、えらく難しい問題になるかもしれない。

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コメント

先日は娘の学校の参観日で、体育館で生徒たちの「夏休みの一研究」の展示がありました。そしたらなんと、「水の結晶の研究」とか、何だったか忘れたけど、なにかの「癒し効果の研究」とか、ひと夏かけて「先祖供養のマンダラ」を作成した男子生徒とか、スゴいものがちらほらと貼ってありまして。担任の先生はこれ見てどう指導したのだろうか。
ということがあった直後、娘が今度は学校でジュセリーノの地震予言を吹き込まれて、怯えて涙ぐんで帰ってきたもんだから、つい真剣になって、いろいろ資料を集めてデプログラムしてしまいました。
でも本当は私、学校では先生方に「くだらんヨタ話に振り回されるな」とか、子どもたちをガツンと叱りつけていただいて、で家では私が「いやお父さんもねえ、お前ぐらいの頃は、五島勉やデニケンや南山宏をクラスで回し読みして、職員室に呼び出されたりしたんだよ。それに地震に気をつけなくちゃいけないのは事実だしね」とか「子どもの気持ちに理解あるパパ」を演じてみたかったんですよ。現実は病んでるなあ。

投稿: Leo16 | 2008年9月17日 (水曜日) 午後 08時05分

この組織、いったいなんのために存在している、なにを目的とした組織なんでしょうねぇ。経緯はともかく、現時点で。
どうもそこが見えない辺りが、ご懸念とも関連しているのではないでしょうかね。

投稿: pooh | 2008年9月17日 (水曜日) 午後 11時12分

>Leo16 さん

>>そしたらなんと、「水の結晶の研究」とか、何だったか忘れたけど、なにかの「癒し効果の研究」とか、ひと夏かけて「先祖供養のマンダラ」を作成した男子生徒とか、スゴいものがちらほらと貼ってありまして。担任の先生はこれ見てどう指導したのだろうか。

ニセ科学問題で最も大きな問題性の一つが、不合理一般がごく当たり前のこととして蔓延しているということだと思います。Leo16 さんがお書きになったようなことも、お子さんをお持ちの多くの方が報告されています。水伝が教育現場に浸透しているという現実の怖さは、やはりお子さんをお持ちの方のほうが肌身に感じておられるのではないかと思います。

ただ、ハッキリとわからないのが、我々中高年は「こんなことはオレたちの子供時代には在り得なかった」と思うのですが、その当時でも胡散臭いニセ科学やスピリチュアルが世の中にはたくさんあったはずで、それが教育現場に現れなかったのは、それが昔は世間で「ごく当たり前のこと」として認められていなかったからなのか、それとも今のニセ科学やスピリチュアルの騙しの手口が巧妙化しているからなのか、その辺については確とはわからないわけです。

仰る通り、子供というのは一般にこの種の戯言が大好物で、我々だって子供の頃は超能力だの心霊現象だの得体の知れない大予言や超古代文明とかに夢中だった時期はあるわけですが、先生のいるところでそんなことを言っても嗤われるか怒られるだけ、という雰囲気はあったように思います。で、実際にそんなことを口にして嗤われたり怒られたりした記憶もあります。

それはその当時の大人の世代の常識が今よりマシだったのか、それとも今問題視されているような不合理一般の詐術が巧妙化しているのか、この辺は考えてみる必要はあると思うのですが、直観で謂うなら、やっぱり大人の常識や健全性が喪われているのではないかという実感はあります。大人がそもそも不合理に対して病的に寛容になっているというのか、戯言一般に対して「そんな莫迦な」と懐疑する感覚が麻痺していることは事実だと思います。

最近キングの「ダークタワー」を読んでいるので思い附いたことなんですが、識り合いの小説家とよく話すのは、今はホラー小説が書きにくい世の中だということで、たとえばモダンホラーというのは、普通なら在り得ないような事態が現実に起こった場合に、誰もそれを信じてくれないというバックグラウンドが必要ですよね。

で、異次元からクトゥルーみたいな怪物が現れたとか言っても、まだギリギリ「そんな莫迦な」という話になるでしょうけれど、「幽霊が出る」とか「宇宙人が来た」とか、一般に蔓延している紋切り型の不合理のパターンに即した話をすれば、多分信じる人が結構多いんじゃないかという気がします。伝奇物でよくあるパターンの「私は超古代の誰それの転生で、これこれの脅威と戦わなければならない」という話も下手をすれば信じられてしまう(セラムンもそのパターンで、そういう話も牛縄でしていますが)。これではモダンホラーが成立しません。

モダンホラーというのは、合理が重んじられている世の中が前提になっていて、吸血鬼が出たとか怨霊が祟っているというような不合理な事柄が現実に起こって、それが誰にも信じてもらえないという状況において孤立無援で恐怖と向き合わざるを得なくなるというのが、まあキングのパターンのモダンホラーですね。それが、割と多くの人が信じてくれるなら、主人公は孤立しないわけですから、ホラーではなくて普通にトラブルを解決する話になっちゃうわけです。

かといって、迷信が生きていた近代以前の状況に逆戻りしたのかと謂えば、もっとタチの悪い状況になっているわけで、何にでも一見合理に見せ掛けた説明が附く辺り、京極夏彦が語るような近代以前の怪異に対する接し方とは違って、「間違った説明原理」が大手を振って罷り通っている。

こういう状況に対して、大人が相手ならブログ言説で意見を発信していくということも地道な努力としてあるでしょうが、知的な防衛力のない子供たちの身に起こっていることというのは悠長なことを言っていられないわけで、当事者的な観点から即効性のあるアクションを行う必要が出てきます。

学校に抗議したり質問状を送るということも考えられるでしょうし、全国の教育者の常識を底上げすることなど不可能でしょうから、「ニセ科学やスピリチュアルを学校で認めると保護者の間で面倒なことになる」という雰囲気を醸成して、とにかくそういう話をさせないようにすることくらいしか出来ないでしょう。ただ、子供を人質にとられている親御さんの立場として、事を荒立てるのは心配でしょうし、いじめの問題なんかにも発展しかねないですよね。

消極的に考えると、学校で妙なことを吹き込まれたら家庭でケアするという程度の対処しか出来ないですが、それもまた子供に学校や教師への不信感を植え附けたり、何を信じればいいのかわからないという不安を与えるデメリットがあります。まあ、真顔で水伝なんか語る教師なんか信じる必要はないんですが、子供に変な教師と変でない教師を見分けて選択的に信用することは難しいですから、これもいろいろ問題を含んでいると謂えます。

投稿: 黒猫亭 | 2008年9月18日 (木曜日) 午前 08時46分

>poohさん

>>この組織、いったいなんのために存在している、なにを目的とした組織なんでしょうねぇ。経緯はともかく、現時点で。

hietaro さんのところでみると、一九五〇年に発足している組織だそうですから、その当時ならマイノリティである女性管理職の地位向上を目指す互助組織として存在意義があったんだと思うんですが、現在は設立当時ほどの重要性はないでしょうね。しかし、女性管理職に固有の問題性というのは依然としてあるでしょうから、こういう組織が存続していること自体はそれほどおかしなことではないんでしょう。

ただ、女性校長の地位向上や意識啓発のようなことを企図して水伝の講演が実現したのだとすれば、剰りにも皮肉な成り行きで笑うに笑えません。冗談にしても悪質ですね。

従来は、現場の個々の教師の一存で水伝を授業プログラムに取り込んだという形に見えていたわけですが、校長という影響力の強い立場の方々が、しかも組織的に水伝を受け容れたというのは、かなり大きな事柄だと謂えるわけで、それで皆さんも衝撃を受けておられるのだと思います。

で、七〇〇〇冊も絵本がハケたのは無料配布だからということで、多分有償だったら予算を動かす必要があるのでここまで大きな部数にはならなかったでしょう。推測ですけれど、校長と謂っても予算調整が絡んでくれば、いろいろな方面を説得しなければならないわけですから、その過程でケチが附く、というか抑止力が働いた可能性があるわけで、絵本が七〇〇〇冊もハケなかったとは思うのですが、この部数を考えれば一二〇人の一二〇校で七〇〇〇冊ですからほぼ全校レベルで浸透させることが可能なわけで、これは一教師の独断では不可能な絶大な影響力です。

関東レベルの規模で、校長レベルの力を持つ管理職の総会があって、そこで水伝が採り上げられるということは物凄く大きな影響力を持つ事件だと謂えますが、何故かそれがたまたま女性校長に限った話だったというのが、オマケとしては悪趣味なくらい重大な問題を孕んでいるような気がします。

この話題が伝播していけば、何処でも「女性校長が」という形で伝えざるを得ないわけですが、それが世間に伝わっていくプロセスの何処かで「女性校長『だから』」に変わる可能性というのはかなり大きいですよね。そういう意味では、女性校長の互助団体的な性格の組織のアクションとしては愚策もいいところで、子供たちに対して有害であるのみならず、組織の存在意義としても間違った行いだったと思います。

投稿: 黒猫亭 | 2008年9月18日 (木曜日) 午前 08時46分

黒猫亭さん

かなりお久しぶりというか、直接コメントさせていただいたことがあるかどうか?aliceと申します。

poohさんから拙エントリのコメ欄で情報をいただき、こちらを参照しにきました。
「世間に伝わっていくプロセスの何処かで「女性校長『だから』」に変わる可能性というのはかなり大きい」
これはかなり気になるところです。

そもそもこの団体は現在存在価値があるのかというのも気になりますし…しかしそれが水伝批判とごっちゃになってしまうのも問題です。

今回の出来事は、ますます水伝への批判側を混乱させ、江本の金儲け主義を批判しにくくさせる策略みたいにも思えてしまいます。

半年振りぐらいに水伝批判のエントリを上げましたが、前回よりも今回の方がはるかにタチが悪いと思います。

投稿: alice | 2008年9月24日 (水曜日) 午後 09時31分

>aliceさん

いらっしゃいませ。

>>かなりお久しぶりというか、直接コメントさせていただいたことがあるかどうか?

どうでしたっけ。漠然とpoohさんのところでお話をさせて戴いたことがあるような気もしますが、あんまり掘り起こしたくない話題に関する遣り取りだったような気がするので、オレも確と確認してはいません(笑)。まあ、ほぼ初めてくらいの感じですよね、コメント有り難うございます。

>>そもそもこの団体は現在存在価値があるのかというのも気になりますし…しかしそれが水伝批判とごっちゃになってしまうのも問題です。

女性校長が今現在置かれている現状を考えれば、「これでいい」ということはしばらくないでしょうから、設立当初よりは重要性が薄れていても、存在意義を証明することは出来るはずなんですけどね。

社会の流れからすると、教育現場においても管理職が女性であることがどんどん普通になっていって、女性校長も増えていくでしょうから、その趨勢がこの組織の嘗ての尽力に多くを負うものだとしても、現時点では積極的な必要性は薄いでしょう。歴史的な使命はもう終えているのでしょうけれど、そういう段階に来ると、存在意義を自ら証明するような形になるんではないかと思います。この組織が存在することによるベネフィットを組織自体が率先して創出していく、社会的な趨勢を監視し続けて適切にリードしていく、そういう段階なんでしょうね。

ただまあ、仰る通りそれと水伝批判は無関係と考えるべきでしょうね。本文に書いた通り、オレは今回の件が「女性校長会の総会」で起こったのは「たまたま」だと考えていますし、それを必然附けるようなロジックの批判はまず疑ってかかる必要があると考えています。そういう意味では、女性校長会の存在意義をこの件に絡めて論じることも剰り得策ではないのかな、と思わないでもないです。方法論として、という意味ですが。

それでも、この組織の設立目的を考えれば、自らの存在意義に反する結果を招来する間違ったアクションであったという批判は在り得るでしょうね。我々がネットでこの問題を語る場合には、基本的に筋論を語りますし、たとえ方法論を論じる場合でも方法論の筋論を語るわけですが、組織主観の観点で謂えば、現実的なベネフィットを目指す組織体なのですから、もっと方法論に配慮して結果責任を考えるべきだとも言えます。

その意味でオレの懸念は、ネット上の議論もさりながら、現実レベルに降りていったときにもっと脅威と成り得るのではないかと思います。親御さんたちの趨勢として、未だ水伝支持が大勢なのか、それとも、たとえば亀@渋研Xさんのようなクレバーな親御さんたちの努力で水伝批判が勢力を広げているのかはわかりません。

個人的には後者の動きが徐々に拡大していると信じたいところですが、そうなったらそうなったで、現場レベルの身も蓋もない次元では、「『だから』女の校長は信用出来ない」というような、「物凄くぶっちゃけたこと」を言い出す方が必ず一定数出て来るのではないかと危惧しています。

これは、少子化による学校数の減少や小中学校の学校選択制度などを考えれば、女性校長にとって現実的な利害の形で跳ね返ってくるはずなんですよ。親御さんが学校を選ぶ場面で、「あそこは女の校長だから」という事情を勘案したとしても、そんなのは他人が文句を言うことではないということになりかねない。子供の将来に責任が持てるのは親御さんだけですから、こういう事柄には軽々に口出しするわけにもいきません。

繰り返しになりますが、我々ネットワーカーは基本的に現実の事象に関する筋論を論じているのですから、そういうことは言いません。それが性差別だということは剰りにも明白ですから、水伝を批判する過程で性差別のような別の問題性を侵犯しても好いとは普通なら考えませんし、性差別的な批判がネット上の議論の主調となることもまず考えにくいでしょう。

しかし、現場レベルでは、親御さんは子供を人質にとられているわけですから、かなりぶっちゃけたことを仰います。そして、筋論上の批判には反論が可能ですが、親御さん個々人の「信頼」ということには反論が難しいのです。現実問題として、女性である管理職が選択的に広範囲に愚行を行えば、現実的に謂って女性である管理職というマッスを選択的に信用しないという言明に反論することは難しくなります。

それが女性校長会という「女性校長」という特定の集合全体の利害を代表する組織の総会において招来された愚行であり、「総会」である以上一握りの代表者のみが参加したわけではないのに、誰一人批判の声を挙げなかった(少なくともそのようにとり得る)結果となったわけですから、水伝支持が「女性校長」という特定の集合全体の見識に基づく結論であるという言明に反論することは難しいわけです。

この一件が厄介だと感じるのは、そこなんですよ。

筋論のレベルで謂えば、「女性校長『だから』愚かだ」などという言明が正しいはずなどはないのですが、現実レベルでは東京を除く関東地区の女性校長のほぼ全員が水伝に接して、誰一人としてそれを批判し得る見識がなかったという言い方をしても、誰も反論出来ないわけです。この二つを弁別することは、或いは弁別すべきであることを説明することは、現実問題としてかなり難しい。

最も妥当な認識というのは、「単に偶然そこに男性が関与していなかっただけだ」というものだろうとオレは考えます。男性校長であろうが女性校長であろうが、おそらく同様のことは起こり得たはずなのですが、事実においては、この特定の事件に男性校長は一人も関与していなかった、逆に特定の地域におけるほぼすべての女性校長が関与していた、だから因果関係が存在しない事柄が一見して因果関係が存在するかのように見えてしまうわけです。

そしてこの理路を説明する場面では、必ず「男性校長でも同じことが起こり得た」という認識を前提にする必要がありますが、それは仮定上の結論ですから拒絶することが可能です。つまり、たしかに男性校長が朝礼の訓示で水伝を採り上げたという報告例は多いですが、それが「すべての」男性校長が水伝を支持しているということにはならないわけです。

校長の男女比を考えれば、そして「男性校長会」などという組織が存在しない以上、それは当たり前なんですが(笑)、不運にして女性校長の場合はその集合全体をカバーする組織があって、総会という全員参加を意味する集まりが存在したわけで、そこで水伝が採り上げられ、圧倒的に支持されてしまった。その結果招来されたのは、単なる厄介事ではなくとてもややこしい厄介事なんですよ。

「女性のみが選択的に愚かであるはずなどはない」という認識と、「女性のみが選択的に愚かなことをした」という事実を橋渡しすることは大変デリケートで難しい。これが分けて考えるべき事柄であるのは、筋論上は明白なのですが、そういうふうに考えない人に対して説得力のある説明をすることが現実的に難しいのですね。

poohさんのところの話題に乗っかって言えば、その紛らわしい二つの事柄を混同して考えることは、人間にとって非常に「しっくりくる」自然な考え方で、分けて考えることはとてもぎこちなくて不自然な考え方だからですね。

それを親御さんの観点で視れば、たとえばモンスターペアレンツの問題なんかもありますけど、そんなに極端な人物ではなくても、子供に対する脅威に対しては可能な限りゼロリスクを求めたいのが人情ですし、それが無根拠な偏見だからと謂って、必ずしも口にすることを躊躇される方ばかりではないでしょう。

そして、これは勿論「加害者が一転して被害者と成り得る可能性」についての懸念ですが、加害者の直接加害の問題のほうがより大きいことは言うまでもありません。オレの懸念は物事が割合良い方向に向かっていると仮定した場合に、それでも出来する弊害についてのものですが、物事が依然として悪いままであるならば、やはりその被害規模の広汎さと強度が主要な問題になります。

そして、

>>今回の出来事は、ますます水伝への批判側を混乱させ、江本の金儲け主義を批判しにくくさせる策略みたいにも思えてしまいます。

オレは少し違うふうに考えていて、というのも、江本氏の言動は金儲けが目的だとすると窮めて不合理な部分が多いからなんですね。勿論、水伝という書籍は売れましたし、波動測定器などという「何を測定しているのかわからない装置」を高額で取引したりしていますし、波動ビジネスの類も行っているのだと思いますが、たとえば今回の件でハケた七〇〇〇冊の絵本は無償配布しているわけです。

で、絵本のPDF配布なんてこともやっているわけですから、必ずしも金儲けを意識的に追求しているわけではないんではないか、むしろそこが厄介なのではないかとオレは思っています。江本氏の考え方というのは、分けて考えるべきいろんなことを分けて考えないという特色がありますから、金儲けを考えていないわけでもないんだと思いますが、多分彼の本質は本物のビリーバーなんじゃないかと思うんですね。

インチキ宗教の教祖様のように、意識的に金儲けの道具として教義をでっち上げて信者を騙そうとしているというより、彼自身が自分が発見した水伝という「呪術装置」に強力に魅了されているんじゃないかと想像しているんですが、その辺、実際にはどうなのかたしかなところはわかりません。

ただ水伝という言説が、江本氏が「たまたま掘り当てた」鉱脈であることは間違いないと思います。世の多くのヒット商品同様、こういうものは意図的にクリエイトしたり仕掛けられるものではないわけで、「たまたま掘り当てた」と表現するのが妥当なんじゃないかと思うんですが、こういうふうに多くの人々を魅惑する鉱脈をたまたま掘り当てる人が、常に社会には一定数いるんではないかとオレは考えています。

つまり、女性校長会で水伝が採り上げられたことに、江本氏側の仕掛けはなかっただろうと考えていて、彼が何もしなくても向こうのほうから引っ懸かりに来るような薄気味の悪い魅惑の力が水伝には内在しているとオレは考えているのですね。以前「自らの伝言」というエントリで語ったことですが、水伝という呪術は一見単純で馬鹿馬鹿しく見えながら、物凄く強力な呪力を持つ言説構造だとオレは考えていて、これにはさまざまなレベルの人がさまざまな形で引っ懸かるように出来ている。

愚かな人は愚かな形で、賢い人は賢い形で、普通の人は普通の形で、どうにでも引っ懸かり得るような融通無碍なトラップとなっているのではないかと思うんですね。それが非常に強い呪術であるならば、人間である以上、よほど意識を尖鋭にして警戒しなければそれに対抗することは難しい。そして、江本氏はその呪術の第一の狂信者なんではないかとオレは考えています。

江本氏は、apj さんが起こしてくださったテクストや公式サイトでの発言を視ると、何というか物凄く呪術的に物事を考える方で、混ぜては危険なものを必ず混ぜて考える人であり、それを強く狂信することが出来る人物のようです。最前の伝で謂えば、これは強力無比に人間にとって「しっくりくる」考え方なのですね。ですから、江本氏が自らが掘り当てた呪術装置に最も魅了されているという考えは、あながち外れていないんではないかと思うわけです。

そして、彼の発言に内在する最も薄気味悪い部分というのは、彼が基本的に自分の善意を確信しているというところではないかと思います。彼は自分を善人だと考えているのだし、たしかに型通りの意味で考えれば、彼は意図して悪を行っているわけではないと思うんですよ。勿論、それは一切免責の理由になりません。しかし、彼が地獄に続く道を舗装する熱心な善意を持ち合わせた、社会に脅威をもたらす恐ろしい善人の一人であることは間違いないでしょう。

その種の善人というものは、いつだって常に、たまたま強力な呪術装置を掘り当ててしまった強力な呪術師なんですよ。

そういうふうに考えれば、alice さんがこれまで視てこられた水伝を巡る諸問題は、人が自らの内に在る呪術的なるものに対してどのように向かい合うのか、その縮図であるというふうに表現出来るかもしれませんね。なので、江本氏個人の卑小な悪心を想定して糾弾することは、逆に問題を矮小化してしまうことに繋がるのかな、と思います。

投稿: 黒猫亭 | 2008年9月27日 (土曜日) 午前 02時59分

黒猫亭さん

>誰一人としてそれを批判し得る見識がなかった

ここは難しいところでしょうね。どうも日本人というのはそういった場で異論を言い出せるほど個人主義が進んでいないから、内心批判的であっても講演会は粛々と進んだでありましょう。

金儲け主義については、少なくともPDF配布はコストが非常に低くて済みますし、子供判を7000冊配布して、仮に1000人の大人が江本本を三冊ずつ買ったら元が取れたりするかも知れません。波動カウンセラー教室への申し込みが10件増えたら、350万円の丸儲けです。

>女性校長会で水伝が採り上げられたことに、江本氏側の仕掛けはなかった

これは同意します。

>その種の善人というものは、いつだって常に、たまたま強力な呪術装置を掘り当ててしまった強力な呪術師なんですよ。

これも同意です。今日、ブクオフで江本氏の「水は語る」をパラパラ立ち読みしたんですが、自分は当初ふつうのおじさんだったと書いていました。
ただし、47歳のときたまたま米国からMRA(波動測定器)を持ち帰ったのだそうです。部下に使わせようと思ったが誰もうまく動かせなかった。たまたま自分が楽器を使うように試してみたらうまく行ったと。「機械と思うからいけない」というようなことが書いてありましたが、それこそが江本氏にとっての呪術用具だったのでしょうね。

水伝はニセ科学を道具に用いたカルトもしくはスピリチュアル。

どうにも気味が悪い話です。

投稿: alice | 2008年9月28日 (日曜日) 午後 07時22分

>aliceさん

お返事遅くなりましてすいません。

>>ここは難しいところでしょうね。どうも日本人というのはそういった場で異論を言い出せるほど個人主義が進んでいないから、内心批判的であっても講演会は粛々と進んだでありましょう。

これは実際難しい問題なんですね。勿論、実際面を考えれば、仰る通り一二〇名以上の方が誰一人疑問に思わなかったとは考えたくないのですが、では、女性校長会なるものが何故存在するのかと謂えば、それだけの人数のマイノリティが大同団結し一致した意思表示を行うことに実際的な意義があるからですよね。つまり、この種の団体の場合、或る特定集団の総意を一本化して外部に発信することに意味があります。

それ故に各論で意見が対立していたとしても、内部で意見調整してとにかく「総意」を形成する必要がありますから、alice さんが仰るような欠点が露呈しやすいということもありますし、逆に世間から視てこの団体が江本氏を講演に招聘し七〇〇〇冊もの絵本を発注したということは、この団体の「総意」は水伝支持だと視られても仕方のない部分があります。

そういうふうに視られることの功罪諸共に引き受ける必要があるからこそ、少しでも団体の活動に疑問があるのであればそれに対して異論を唱え、活発に議論することが必要なのですが、おそらくこの団体はそのような熱い段階は過ぎているのかもしれません。アリガチな教養講座の一本として、特段の警戒を抱かれることもなく流されてしまったのかもしれない、そういうふうにも思います。

>>金儲け主義については、少なくともPDF配布はコストが非常に低くて済みますし、子供判を7000冊配布して、仮に1000人の大人が江本本を三冊ずつ買ったら元が取れたりするかも知れません。波動カウンセラー教室への申し込みが10件増えたら、350万円の丸儲けです。

この辺、少しニュアンスを伝えるのが難しいんですが、オレの受け取り方としては、江本氏的には水伝を流布することと金儲けというのは別段背馳する事柄として受け止められていないのではないかと思います。たとえば金儲け主義と謂えば、提唱者本人が信じてもいない事柄を金儲けの為の騙しの方便として吹聴している、というイメージがあると思うんですが、おそらく江本氏は水伝を社会に伝えることを正しいことだと信じているのだろうし、その過程でお金が儲かることは別段疚しいことではないと考えているのではないかということです。

で、おそらく彼の物の考え方からすれば、月光仮面のように「正義を行う必要経費としてしかじかのパーセンテージの成功報酬を戴きます」みたいな清潔な節度は剰りないんではないか、その辺については善くも悪しくも窮めて丼勘定なのではないか、と思うわけですね。普通にビジネスを考えるなら、波動ビジネスのほうに人寄せがしたいのであれば、そういう無駄にコストがかかりそうな方法ではなくもう少し効率的な方法を選ぶだろう、だから金儲けが目的的に目指されているわけではなかろう、と。

その一方で、使命感を持って自説の広報を目的視しているにしては、世間から似非宗教紛いの金儲けと視られて当然の事柄に対して節度がないわけで、そういう意味でオレは江本氏のことをまるっきり欲得ずくの詐欺師と視るのも違うだろうし、純粋に自らの信ずるところを実行する信念の人と視るのも違うだろう、と考えます。

一口に謂って、その辺の理念的な事柄に纏わる問題に関して、清潔に身を処す必要やその方法を認識出来てもいないのだろうし、あれとこれとの間の厳しい弁別が出来ない考え方の持ち主なんではないかと考えています。オレが江本氏のことを窮めて呪術的な考え方の持ち主と表現しているのは、そういうふうに、本来分けて考えるべき事柄を分けて考えられない曖昧な認識の持ち主だからなんですよ。

>>ただし、47歳のときたまたま米国からMRA(波動測定器)を持ち帰ったのだそうです。部下に使わせようと思ったが誰もうまく動かせなかった。たまたま自分が楽器を使うように試してみたらうまく行ったと。「機械と思うからいけない」というようなことが書いてありましたが、それこそが江本氏にとっての呪術用具だったのでしょうね。

たとえばこれですが、「機械と思うからいけない」と謂ったって、相手は機械なわけですね(笑)。ですから機械として扱うのが正しいわけで、機械のほうでも機械として振る舞うのが正しいわけです。楽器のように扱わなければうまく働かない機械というのはそもそも設計からしておかしい。そして、まったく同じ条件なのに、部下が扱ったら動かないのに江本氏が扱ったら動いたというのでは、すでにそれはマトモな意味で謂う機械ではありません。

本来機械というのは、誰が扱っても平準化された正しい手順に則って操作すれば同じ結果が得られなければ機械として役に立ちません。それが「楽器のように」扱うべきなのだとすれば、つまり楽器というのは演奏者によって引き出される結果が天地ほど違うわけですから、機械としてはまったく無意味な存在ということになるわけです。

そういう意味で、江本氏はたったこれだけの言明の中でも、本来混ぜてはいけない事柄を息をするように滑らかに混同しているわけで、これは彼のどんな発言にも共通する資質なんですね。とにかく、総て物事はその対象に相応しい基準によって計るべきであるとか、相応しい規範に則って考えるべきであるという弁えが決定的に欠落しています。

呪術の基本原理というのは、異質な対象に対して本来無関係な原理を適用するというところにあるとオレは考えていて、たとえば類感呪術なんかがそれですね。そういう意味で謂うと、江本氏のように物凄く滑らかに異質な規範をミクスチャーする混濁した概念規範というのは、窮めて呪術向きの思考傾向だと思います。また、水伝の無闇に鵺的な曖昧さというのも、主唱者である江本氏のこのような混濁した概念規範と無縁ではないと考えます。

投稿: 黒猫亭 | 2008年10月 4日 (土曜日) 午前 12時33分

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