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2008年11月17日 (月曜日)

filinionさんに応える 〈考察〉

普段のオレを識っておられる方は、filinionさんのブログのコメント欄でオレがすぐに反論しなかったことを奇異に感じられたかもしれない。

オレはよく識っている人のブログのコメント欄では、場所柄も弁えずについつい長文のコメントを書いてしまうので、時には顰蹙を買う場面も多いのだが、filinionさんとはまったくの初対面で会話の遣り取りがなかったから、最初からそこまでご迷惑を掛けて好いものか、と謂う逡巡を覚えたと謂う事情も勿論ある。

しかし、最も大きな理由としては、これまで暗に仄めかしてきたように、filinionさんの論の在り方に、当たり前の大人同士の間の対等な議論の感覚で謂えばアンフェアなものを感じたという理由が大きい。

つまり、普通にストレートに反論するのであれば、オレがアンフェアだと感じる部分の指摘を避けて通るわけには行かないのだから、相手の方の本拠地に押し掛けて洒落にならない言論姿勢についての批判を行う羽目になる。これは、内容の当否にかかわらず、自分自身もまた一ブロガーである身として許される行為なのか、と謂う部分で大きな逡巡を覚えたのである。そう謂う指摘は、自分の責任において自分の本拠地において行うべき事柄だろう。

たとえば、まずfilinionさんはこちらのコメント欄をすべて読んでいるわけではないと註釈された上で反論されているのだが、これはフェアネスという観点からしてどうなのかという疑問は在るだろう。その理由として「長いので」と謂われたら、読者に負担を強いる長い文章を書いたのはこちらの責任なので、それに対しては表向き高圧的に抗議するわけにはいかないだろう。

だが、これも程度問題であって、「長い」と謂うのは主観的な判断であり、内容の意味性との兼ね合いの問題でもあるから、どんなコメントでも「長い」とか「短い」と論評し得ることになるわけだし、まあオレの場合は疑問の余地なく誰が視ても長いので、長いという論評に対しては表向き反論しないことにしている(笑)。それで嘲笑されることも多いし、議論において相手の読解を攪乱する為の戦法だと誤解されることもある。

ただし、我慢して読んでくださった読者の中には、語っている内容と長さが釣り合っているというふうに言ってくださる方もおられるし、長いだけあって説明を尽くしているという評価を下さる方もいらっしゃるので、要はそのような「内容」を何処でどのような場合に語っても好いのか、と謂うTPOの問題だと考えている。

filinionさんの場合、長いから全部コメントを読んでいるわけではないと註釈されている以上、あちらのブログで長いコメントを書いて反論するというわけにはいかないわけである。しかし、ご覧になった通り、元のテクストが長いのでfilinionさんの反論テクストも相応に長いものになっている。これに再度反論する以上、さらに長いテクストになるのは必定で、こうして書いてみた後で謂えば、やっぱり長くなったわけである。

そして、読みようによってはこういうfilinionさんの註釈は、議論の泥沼化に対する一種の予防線的な意味合いもあるのかもしれないと取り得るわけだが、これだけなら勘ぐり過ぎという言い方も出来るだろう。

しかし、元エントリーを根気よく追い掛けてくださっている読者の方ならご存じだろうが、この論は最初にラフな叩き台を提示した上で、それに対する他者からのご意見を踏まえて考察を進めていくと謂う性格の論考として最初から断っている。

なので、コメント欄を全部お読みになっているわけではないと断られたのなら、何処までこちらの考察が伝わっているのか、こちら側には識りようがないし、何某かの疑問点を指摘した場合でも、「そこは読んでいませんでした」と幾らでも言えるわけである。

そう謂うコメント欄も込みで進展していく性格の論考に対して、全部読んでいるわけではないという註釈附きで全面的に逐次反論されるというのは、果たしてフェアネスとしてどうだろうという疑問はある。

さらに、filinionさんの反論が、オレの意見をまったく踏まえたものではないということはすでに逐次的に指摘させて戴いたが、最初に「全部読んでいるわけではない」と註釈されたら、悪く取れば「言いたい放題」と謂えるだろう。少しばかり変なことを仰ったり、元発言のニュアンスを枉げて取ったとしても、「そこは読んでいませんでした」が通じるわけで、これはつまりどう謂うふうに言っても通じるわけである。

こういうことがあるから、全部読まないで無視することや、全部読んだ上で部分に反論することは許されても、全部読まないで全体に反論することは許されないとオレは考えているのである。勿論、ちょっとした冷やかしの言及と謂うのは在り得るし、その場合にそんなことを指摘しても意味はないから、それ相応のあしらい方はある。

しかし、filinionさんの論は、一面では正面からのガチンコの反論なのだから、これを冷やかしと見做して適当にあしらうというのはやっぱり違うのではないか、そう謂う意味で非常に対処に困る言及ではあった。

そうは謂っても、filinionさんの言及はオレの感覚だと若干アンフェアに感じられるわけで、さらには、たとえばこちらがデリケートな議論を試みる為の手続として諄いくらいローカルな定義を確認した概念について、一般的な意味合いとローカルな定義を混同して語られたり、剰えこちらがすでに論述のプロセスで指摘している事柄をこちらに対する反論として事新たに語られたりすると、「あなたが反論しているその論は誰が語った話なんですか?」と感じると謂うのが正直な感想である。

つまり、すでに指摘した通り、甚だしい藁人形叩きとしか感じないわけである。

それ故に、ちょっと最初はfilinionさんとの距離の取り方を決めかねていたということはあったので、相手の対応を視て態度を決定しようと考えていた。相手の方が冷やかしで大した動機もなく言及されたのであれば、それなりのお断りをした上で適当な形でケリを附けようと考えていたのである。

ただ、filinionさんのブログは、ブクマ数などを視ても相当程度に人気のあるブログなので、ただ一方的に藁人形にされても多くの方々から誤解を蒙ってしまって、こちらとしても論の自衛上何らかのコメンタリーを加える必要がある。もっと謂えば、こう謂う形ではあれ、折角出来た現職小学校教師の方との接点であり、加えて弁も立つ人気ブロガーなのだから、こちらとしても考察を進める上でいろいろ頭を低くして教えを請いたいことは山ほどある。

かなり考え込んでしまったのだが、どうもお相手の方の実生活上の事情を考えれば剰り突っ込んだ議論を交わす余裕はないだろうし、有り体に謂えば心情的にもこちらとの議論を望んでおられないような感触もある。結局、こちらで対抗言説のエントリーを上げさせて戴くというのは、非常に勿体ない話ではあるが、それ以外に選択肢がなかったと謂うことでもある。

であるからして、この件を貪欲に考察の糧とするならば、この間の遣り取りそのものに参考となるような情報が含まれていないかどうかを検証するということになる。

そうやってつらつらと考えてみたのだが、オレが感じたようなfilinionさんの論のアンフェア感については、もしかしたらこの方は大人の論者との対等の議論に剰り慣れておられないのかもしれないと、卒然と思い至った。

これが核心を突いているかどうかはわからないが、オレが何故filinionさんの論の在り方にアンフェア感を感じるかと謂えば、対等の大人同士の議論だという前提で相手の言論姿勢を判断するからである。

そういう意味で謂えば、filinionさんの論の在り方は、相手の納得を目的的に獲得する為のロジックであることに気附かされるわけで、これは要するに、子供相手のプレゼンテーションと考えれば別段何処もおかしくはないわけである。

たとえば、最前例に引いたコメント欄の喩え話にしても、大人同士の議論において、いきなり「違います」なんて断定の言葉が出てくるとちょっとびっくりするのだが、これは子供相手に予め正しいことが保証されている知識を納得させる為の言い回しとして解釈すれば、自然に感じられる。

先生が子供に語る言葉、それは子供の不完全な知識では対抗しようがないほどに、所与の前提として「正しい」のであり、先生が生徒に語るロジックというのは、相手とその論の当否を巡って対等に論じ合うロジックではなく、教師が生徒にそれを如何にして効果的に納得させるかというレトリックである。

filinionさんは小学校の教師である。小学校の教師は、中学校の教師とも高等学校の教師ともやはりメンタリティが違うだろう。中高生くらいになれば、人格的にはまだまだ不完全な相手とは謂え、場面によっては相手を対等の大人として扱うべき場合もあるわけで、高校生くらいなら方法論的に対等の立場に立った議論と謂うものも教師と生徒の間には成立し得るだろう。

しかし、小学校の教師と小学生の間には対等の議論は成立し得ない。

何故なら、小学生は高校生と違って、大人としての振る舞いを要求される年齢にはまだまだ遠いからである。小学生が語るロジックと謂うのは、物凄い早熟の大天才でもない限り幼年らしい穴が必ず在る。そのロジックの穴を的確に把握して、大人である教師が予め持っている知識を妥当に伝え、納得させる為のレトリックを用いる。

これが小学校教師固有の言説の傾向なのだとしたらどうだろう。

勿論これは、たった一例を過度に一般化しているわけで、これは単にfilinionさん個人の言論上の癖なのかもしれない。また、オレは常日頃のfilinionさんの言説を継続的に追っているわけではないから、今回限りの特異例なのかもしれない。

しかし、オレが今回のfilinionさんの言説に感じたアンフェア感を一言で表現するならば、それは「合目的性」ということである。ロジックを平易に叙述するスタイルではなく、効果的に相手に納得させるレトリックという印象を強く感じた。

これは一面では、大人同士の議論では、相手の側の疑義を招く姿勢であることは間違いないだろう。今回オレが視て取ったfilinionさんのレトリックは、その論が所与の前提として正しく、それを如何にして相手に納得させるのか、という条件附けにおいてしかフェアでは在り得ない。つまり、大人の教師が子供の生徒を教える場合に限って許されるレトリックだと謂うことである。

これを逆に謂えば、対等者同士の間で論の当否を巡って議論を重ねる場合には向かないスタイルだと謂うことで、簡単に言えば、プレゼンテーションやディベート的な論理である。

それが甚だしく表出したのは、何度も触れているコメント欄の「日本の首都は東京であるというのは”狭義の真実”と謂えるのか」という喩え話で、これは設問の立て方がそもそも間違っているのだと謂うことはすでに指摘した。しかし、今この場で更めて指摘するのは、その叙述の具体的な手順である。

既述の通り、filinionさんはこれをまず「”狭義の真実”と言えるのか」という二択の回答形式が自然に予期される設問の形で提示する。これを多分、教室の授業として想定するなら、生意気な小学生が「そんなの決まってらぁ!」と得々と語る様が目に浮かぶようである。

ところが、filinionさんはまずこれを「違います」として引っ繰り返してみせる。そして、東京が日本の首都であることを定めた法律は存在しないという一枚目のカードをめくってみせるわけで、東京が日本の首都だと当たり前に思っていた生徒は出鼻をくじかれてシュンとなってしまう。

そこで、じゃあ東京は正式には日本の首都とは言えないんですね、と一旦は纏まりかけた結論を再度filinionさんは「というのが狭義の真実……でもありません。」と二枚目のカードをめくってみせる。

つまり、このプレゼンテーションは二枚腰で、最初に常識と思われた事柄を覆しておいて、さらにもう一度それを覆してみせる。これによって、聴衆である生徒たちは自分たちがその設問に関して何かを識っているという自信を微塵に砕かれ、いったい本当のことはどれなの、と不安になる

そこに、恰も当然であるかのように結論が挿入されるのである。

……このように、「狭義の真実」=「不完全でない(完全な)知識」と定義するならば、世の中のほとんどの知識は「広義の嘘」になってしまいます。

これが設問の立て方のトリックに基づく強弁であることはすでに指摘した。この喩えが辿り着いたのは、「世の中のほとんどの知識は『広義の嘘』になってしまう」という論理的な関連を持たない結論ではなく、正確には「真偽の二択によっては判定し得ない設問がある」というただそれだけの事実である。

しかし、これをプレゼンテーションとして受け取るなら、ここに来る結論は、流れを妨げないものであれば何でも好いのである。この論述プロセスにロジックを視ようとするから破綻しか見えないのである。ここにあるのは、本当は「納得」と謂うものを目的的に得る為の心理的な誘導プロセスだとしたら、これは見事なプレゼンテーションだと評価し得ることだろう。

二度に渉るどんでん返しによって、聴衆は自分がこの問題について確信的に何かを言い得るほどにモノを識っているという自信を喪失している。その不安や空虚を満たす形で投げ込まれる結論は、殆ど論理的な整合性がなくてもスッと相手の内懐に入り込むのではないか。事実、オレも「或る理由」がなかったら、うっかり納得しかけてしまっていたことだろう。

何度も繰り返すが、大人同士の対等の議論において、この種のプレゼンテーションを行うと、下手をすると論者としての最低限の信義を疑われる

そして、オレがこのプレゼンテーションで納得しなかった「或る理由」とは、簡単に言えばオレのほうもこのネタを識っていた、つまり手の内を識っていたからである。それは別にオレの手柄でも博識でも何でもなくて、単にオレがこのテクストを読む半月くらい前に偶々この件をネットで調べていたからであり、つまり偶然である。

そうすると、このくだりはどう見えるか。最初の最初からこの設問の立て方が間違っていることが暴露されているのだから、filinionさんのプレゼンは、不完全な知識を小出しにして補完しているだけで、ネタがバレている以上どんでん返しでも何でもない。逆に謂えば、filinionさんが或る結論に向けて聴衆の認識を誘導している様がアリアリと目に見えてしまうわけである。

したがって、オレはこの件に関して、少なくともfilinionさんと同程度にはモノを言い得る立場にあるのだから、心理的な空白や虚脱が生じることもなかったので全然納得しなかったわけである。最初の最初から、論理的に破綻した理路と謂う剥き出しの論の姿としてしか見えていなかったのである。

老婆心ながら繰り返しの愚を犯すと、普通の大人はこういうレトリックに対して詐術の悪意を視る。相手が自分を騙そうとしているのではないかと疑うのだし、それは対等の大人同士の間では剰り適切な議論テクニックとは謂えない。ネタがバレていたという途轍もなくつまらない理由で、そのプレゼンテーションは失敗するのだし、その失敗の見返りは成功した場合の効果と比べて引き合わない。

取り繕わない生の言葉で表現すれば、それは「あざとい」と解されるだろう。

オレ程度の怠惰な人間でもネットで調べれば、トリックの種なんかすぐに割れるのだから、納得を合目的的に得る為の誘導的なプレゼンテーションなんてのは、最初から仕掛けるべきではないのである。端的に謂って、それは議論の相手に対して失礼である。

多分これは、ブログのエントリーとしてはギリギリ「アリ」なのだろう。ブログの記事と謂うのは、本質的に読み物であり、不特定多数の読者たちの納得を得る為のプレゼンテーションとしての性格もある。だから、filinionさんがブログの記事としてこう謂うレトリックを遣われたのであれば、まあ、語りのテクニックの一つだと謂えるだろう。

しかし、対面的な議論においてはその限りではない。普通の大人同士の対等な議論においては、自身の思うところを可能な限り論理的且つ平易な論述プロセスにおいて語り、マトモな論理性や読解力を持つ相手ならそれを自然に読解し得るように配慮するのが当然の態度である。トリッキーなプレゼンテーションが一概に悪いとは言わないが、この場合のように論理的に破綻している主張を語る場合、悪くするとそれは口先だけの実のない雄弁術と解される危惧がある。

そして、そこから遡って、オレがこれまで指摘した数々の論の不整合は、承知の上での詐術かもしれないという無用の疑心を煽る。今オレはこれを、相手の方が対等の大人同士の議論に慣れておられないだけだろうと解釈している。しかし、意図的な詐術と解する解釈もまた無矛盾で成立することも事実である。

たとえばこういうことが、アンフェアな詐術として解されるかもしれないという可能性を、果たしてfilinionさんが意識しておられたのかどうか、実を謂えばオレはそれに関心がある。おそらく、教室におけるfilinion先生は実際に子供たちを相手にこの種のレトリックを縦横に駆使しておられるのではないかと思うからである。

そして、諄くも強調する通り、これは小学生相手に教師が語る分には十分にフェアな話術の範疇であると言い得るが、大人の対等者同士の間ではアンフェアと解される可能性が高いわけである。その上で、更めて聴いてみたいことがある。

filinion先生、あなたは本当に嘘と嘘でないことの境界がはっきり見えていますか?

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コメント

以前に一度コメントさせていただいた、mizukiHAYASHIです。指摘させていただきたいことがあるのですが、今回の記事を書いた人の名前を間違えていませんか?
"fillion"さん、ではなく"filinion"さんだと思います。勘違いだったら御免なさい。

投稿: mizukiHAYASHI | 2008年11月17日 (月曜日) 午後 09時22分

>mizukiHAYASHIさん

>>"fillion"さん、ではなく"filinion"さんだと思います。

えっ?と思って確認してみたら、たしかにそうでした。ご指摘有り難うございます。filinionさんには、大変失礼なことをしてしまいました。

相手の方のハンドルに関することですので、すべて修整させて戴きますね。

投稿: 黒猫亭 | 2008年11月17日 (月曜日) 午後 09時38分

…というわけで、大急ぎで修整させて戴きました。

更めてmizukiHAYASHIさんのご指摘に感謝すると共に、ハンドルを間違えてしまったfilinionさんには深く陳謝いたします。

言い訳をするわけでもないですが、オレもそろそろ五十路の声を聴く年齢ですので、数年前から老眼と乱視が進んできて、スクリーンフォントで小文字のアルファベットを識別する能力が弱くなっています。

そういう事情があって、とくに半角英文小文字のIDのはてなユーザーの方は、ハンドルを間違えて失礼してしまう場面が度々ありました。そういう次第ですので、何某かの間違いに気附かれたら、今後もご遠慮なくご指摘ください。

投稿: 黒猫亭 | 2008年11月17日 (月曜日) 午後 09時55分

こんばんは。
だいぶ時間が経ってしまいましたが、しかもぜんぜん本題ではない部分(とぼくには思われる点)についてだけですが、関連エントリを挙げてTBをお送りさせていただきました。
ご一読いただければ幸いです。

投稿: 亀@渋研X | 2008年12月 1日 (月曜日) 午前 02時58分

>亀@渋研Xさん

どうもです。エントリ、拝読致しました。丁寧なご考察を戴きまして、有り難うございます。今は少し纏まったものを書く余裕がないので、詳しいお返事は後ほどさせて戴きますね。

取り急ぎ、ご挨拶のみにて失礼致します。

投稿: 黒猫亭 | 2008年12月 1日 (月曜日) 午後 11時54分

いやまあ、この話題、ほんとに大変なテーマだと思いますよ。一生ものな部分を含んでいるかもしれんとさえ思います。
気長に参りましょう。

投稿: 亀@渋研X | 2008年12月 2日 (火曜日) 午前 12時47分

>亀@渋研Xさん

そうですね、本腰を入れて考えていくなら、実は教育に留まる話ではないだろうと謂う気はしますね。で、一方では普遍寄りの方向に振っていくなら、幾らでもそう謂うメタ論は可能でしょうから、言説の構造を探る考察がメタ論に傾斜するのは或る種当然だとしても、どのレベルで具体的な事実性とバランスするのか、と謂う辺りがキモになるんではないかと考えています。

それはつまり、何の為にそう謂うことを考えるのか、と謂う基本的認識の問い直しに他ならないと思うんですが、filinionさんとの対話ではその基本線をどう保持していくのかが難しかったと思います。相手のあることですので、こちらの動機だけで論考を進めていくわけにもいきませんので。

その辺に少し行き違いがあったり、こちらとしても反論の形を採るのは必ずしも本意ではない部分があったりして、謂わば状況の推移を捌ききれていない部分があったのですが、好いタイミングで第三者の亀さんから仕切り直しのご提案を戴いたので、これをしおに軌道修正出来ないか模索しているところです。

投稿: 黒猫亭 | 2008年12月 3日 (水曜日) 午前 09時02分

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1、2の続きです。 この話題、ずーっと気にはなっているのですが、悶々とするばかりでなにも書けず。このエントリの最後にご紹介しますが、何人かの教職経験者や現職の教員の方の議論への参加もあって、かなり膨大な量のテキストが書かれています。さまざまな論点が上がっ..... [続きを読む]

受信: 2008年12月 1日 (月曜日) 午前 02時51分

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