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2008年11月 2日 (日曜日)

半紙半鐘

今週は実に忙しかった。体調を崩すほどではなかったが、何せ独身且つ長距離通勤者の端くれなので、家を空けている時間が一二時間を超えると結構キツい。商売柄、睡眠時間は確保しないといけないので、残り六時間を切るとなると殆ど何も出来ない。

夜は疲れてボーッとしながらビールを呑んで飯を喰ったらもう寝なくてはならない。朝は起床後一時間くらいボーッとして何も出来ないので、朝風呂に入って出掛ける準備をしたらもう終わりである。嫁でもいれば家事を分担することも出来るが、独り者で手が掛かるだけの扶養家族持ちなので用事は溜まる一方である。

用事が溜まる、というか主に溜まるのは洗濯物なのであるが、ウチの浴室は手前に手狭な洗面所兼脱衣所兼洗濯機置き場が控える標準的な間取りなのだが、もうね、毎日入浴するのに跨いで通る必要があるくらい洗濯物が溢れ返っていたのですよ(笑)。

で、人の体臭が染み附いた柔らかい布切れが山盛りになっているものだから、隙を見せると猫たちがその洗濯物の山にダイブしてゴロゴロするので、何となく全体に汗臭いイヤな臭いの生き物になってしまう(笑)。猫というものは、何故か靴下とか雑巾とか台所マットとか臭いの強いものが大好きなのであるが、外で散々汗をかいた自分の体臭が他の生き物に染みついてその辺をうろうろしていると、折角着替えてさっぱりしても落ち着かない。見附け次第摘み出すということになる。

さらに、家を空ける時間が長引けば長引くほど猫たちの不満は募る一方で、なかなか落ち着かせてくれない。殆ど家にいない飼い主に甘える順番を巡って、何だか水商売関係のお姉さんの客をとったとらないのいざこざのような掴み合いの鉄火場が毎日始まるので生きた心地もしないのである。

というか、その喧嘩に費やす時間があるのであれば順番に甘えれば好いのではないかと思ったりするのだが、柚子か橙か梅干しくらいの脳みそしかない畜生にそんな知恵を期待するのが無理である。こういうふうに書いていると、家事が溜まって大変だったというより、猫たちの相手が大変だったような気がしてくるが、何にせよ大変は大変だったのである(笑)。

そういう次第で、週日は殆どネットは覗くだけ、週末は溜まった家事の消化に追われてようやく一息を吐いたのが今さっきのことである。ブログの更新はもとよりあちこちのお返事等も滞っているが、これからボチボチ書き始めますのでよろしく。

実を謂うと金曜は早めに仕事が終わったのだが、すいません、憂さ晴らしの一人カラオケで無為に時間を空費しました(笑)。大部屋の隣のヨド物置みたいな小部屋に突っ込まれたのだが、隣の大部屋ではビンゴ大会をやっていて、MC役のマイクパフォーマンスが無闇にやかましかったのでムキになって歌い込んでしまった。はっきり謂って昨日一杯ぐったりしていたのは、そっちのほうの理由である(笑)。

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コメント

お疲れさまです。いつも楽しく拝見させていただいているものです。
体を壊さないようにしてください。

投稿: mizukiHAYASHI | 2008年11月 2日 (日曜日) 午後 11時43分

>mizukiHAYASHIさん

初めまして。お気遣いを戴きまして有り難うございます。

まあ、大変と謂ってもそれは当社比の話で、娑婆で頑張っておられるたくさんの方々と比べれば大した苦労でもありませんし、何とか息災にしております。出来高ですので忙しい分はちゃんと実入りに反映しますし、時々仕事の山場がくるお陰で今頃ではありますがエアコンも買えました(笑)。

そういう次第で年内一杯は剰り頻繁には更新が出来ませんが、今後ともお見捨てにならずお附き合い戴けますと幸いです。

投稿: 黒猫亭 | 2008年11月 3日 (月曜日) 午後 02時26分

ハムテル君とミケを思い出しました。ご多忙の中の家族サービス、大変ですね。

タイトルが難しい。
なぜか半紙で火をつけ、火の見櫓に上って早鐘を叩く振袖姿の黒猫亭様(想像上の、です)が頭にこびりついて離れなくなってしまいました。

寒さ増す折、疲れは貯めないように致したいものです。
どうぞご自愛下さい。

投稿: 604 | 2008年11月 5日 (水曜日) 午前 01時39分

>604さん

度々お見舞い戴きまして恐縮です。思えば、今年は最初から最後まで無闇に私生活上の愚痴ばかりが多かったような気がします(笑)。引越準備の最中に風邪で倒れたのから始まって、何やかにやと愚痴ることが多かったな、と。いや、環境や生活リズムが変わっていろいろ大変だったことは事実なんですが。

まあ、今年最大の懸案事項だったエアコンの増設は何とか果たせましたので、来年の夏は恐るるに足らずです。冬場はガスファンヒータ一本で乗り切れることはわかっていますので、今年は後一回くらい風邪をもらったら困り納めでしょう(笑)。

さて、ウチの生き物は西根家の連中に似ているヒトはいないんですが、姉ちゃんのほうが「甘えたいときに甘えたらええんや」という価値観で、妹のほうは父ちゃんの仕事が終わるまでそばでじっと待っているので落ち着かない、というところは似ていますね。あと、抛っておくと危険な遊びをするところとか。

姉ちゃんのほうが性格が極端なのでやることが思い切っていて危ないんですが、今のところ一番危ないのはコンビニ袋を食べることですか。野良猫みたいなはしたない真似をするのは感心しないんですが、気に入らないことがあるとコンビニ袋を囓ってゲロを吐く癖があるので、うっかりその辺に袋を出しておけません。

人間に喩えればリストカッターみたいなもんでしょうか。自傷行為で飼い主の気を惹こうとする、とても陰湿な性格をしています。次に危ないのが、TVに上ってカーテンを掻き毟るというイヤガラセで、これで一度生爪をはがしたことがあって、正真正銘の自傷行為になってしまいました(笑)。尤も、猫は痛覚が鈍いらしいので痛がる素振りを見せず、それに気附いたのはほぼ治りかけてからのことでしたが。

まあ、猫が生爪をはがすというのはけっこう大事ですので、それに暫く気附かなかったというのはたしかに十分な注意を向けていなかったということですので、一応飼い主として反省はしましたが、何となく、こんな理不尽なことで反省を強要されたことに釈然としない気分を覚えたことはたしかです(笑)。

>>なぜか半紙で火をつけ、火の見櫓に上って早鐘を叩く振袖姿の黒猫亭様(想像上の、です)が頭にこびりついて離れなくなってしまいました。

振袖を着た中年男では流石の大岡裁きでも如何ともし難かったでしょうなぁ(笑)。

まあ、その場合はオレのほうで「今年数えの一五でござい」と言い張るという見苦しい情景が浮かんでしまうわけですが(笑)。

ネタはさておき、八百屋お七と半鐘の関わりについて謂うと、オレもこれまでお七が鳴らしたのは半鐘だと思っていたんですが、念の為に調べてみると、「伊達娘恋緋鹿子」という歌舞伎の演目でお七が鳴らしたのは「太鼓」だというんですね。そもそも彼女が火の見櫓に昇ったということ自体が芝居の脚色ですから、この場合は「太鼓」が正解だということになるようです。

お七と謂えば豊国の絵のイメージが強いですが、更めて見ると梯子段に取り附いているだけで半鐘も太鼓も叩いていませんね、勝手に脳内で小槌を振り上げて半鐘を叩いている絵面を補完していました(笑)。

で、太鼓にしろ半鐘にしろ、火事でもないのに妄りに鳴らすとその当時は重罪に問われたわけで、ちょっとややこしいんですが、お七が放火の大罪を犯すに至ったのは、俗に振袖火事と呼ばれる明暦の大火の四半世紀後の天和の大火で檀那寺に避難したのがきっかけで、そこの美しい寺小姓に一目惚れしてしまった為だということになっています。

もう一度その寺小姓に会いたい一心で自宅に放火して火の見の太鼓を打ち鳴らした咎で火炙りに処されたというのが芝居の筋なんですが、この放火自体は未遂だったとも小火だったとも謂われていて、実態的な被害自体は大したことがなかったんですね。

何となくイメージとしては、お七の放火で物凄い大火事が起こったようなイメージで記憶していたんですが、実際にはちょっと知恵の足りない娘っ子が火遊びをして小火を起こしたようなしょぼい事件ということのようです。芝居で附け足された太鼓のくだりにしても、今で謂えば悪戯で火災報知器のボタンを押したようなものですし。

人によっては振袖姿からの連想で振袖火事はお七の放火によるものだと勘違いしている人もいるかもしれませんね。これは全然別の話なんですが、やっぱり大店の娘が美しい寺小姓に一目惚れしたことから始まっていて、その娘の想いは適わず焦がれ死にしてしまったのですが、彼女が小姓を想って作らせた振袖はその死後に人手に渡り、様々な祟りを為したので、寺で供養の為に焼こうとしたところ、火の点いた振袖が舞い上がって明暦の大火を引き起こしたという伝説があります。

これなんかは後世に採取された実のない伝説というところですから、逆にお七の芝居の影響で遡って生まれた付会の可能性はありますね。お七は墓が残っていることでも有名ですが、墓があるくらいですから実在の人物で、放火によって火炙りに処されたというところまでは掛け値のない実録だそうです。大岡政談なんかで同情的に扱われているのは、少し知恵の足らない娘だと見做されたのと、自宅がちょっと燃えただけの一軒焼けの小火で、実害自体はそれほどなかったのだから、その程度で子供が火炙りの刑に処されるのはあんまり酷いという庶民感情があったのだろうと思います。

しかし、木造家屋が蝟集する当時の都市構造からして、たとえ実害は大したことがなくても、放火それ自体がテロに匹敵するような重罪で、火事場泥棒なんかもそうですが、火事絡みの犯罪は厳しく罰されたということなんですね。今なら火災報知器のボタンを悪戯で押しても怒られるくらいで済みますけれど、当時は火事の怖さが今とは比べものになりませんから、実害の有無にかかわらず厳しく詮議された上、秩序を紊乱する虚報として重罪に問われたということでしょう。

とはいえ、大店の箱入りで世間知らずの子供とは謂っても、その当時の数え一六の娘はもっと増せているはずで、火事になれば恋しい男にまた会えるなどと考えるというのは幾ら恋に逆上せていたとしても剰りに幼稚な考えですから、発達面で遅滞があったのかもしれませんね。そういう意味では、大岡政談の要点が年齢を巡る責任能力を問うているのは平仄が合っているということでしょう。奉行の謎かけにも気が附いていませんから、そういう人物として捉えられていたということでしょうね。

また、半鐘と謂えば、度々言及している半七捕物帳に「半鐘の怪」という有名な短編がありまして、これは夜毎独りでに鳴り出す半鐘の怪異を半七が究明する話ですが、これも火事でもないのに妄りに半鐘を打ち鳴らすことが重罪だから、上のほうでも捨て置きもならず奉行所が乗り出したということになっています。

まあ、結局謎は解明されて半鐘の打ち手はあえなく遠島に処されるのですが…ちょっと粋なオチになっていますので、細かいところは原作で読んでください。青空文庫でエクスパンドブックが落とせます。

投稿: 黒猫亭 | 2008年11月 9日 (日曜日) 午後 01時58分

綺堂先生拝読致しました。

「動物」と「お七」の題に「芝居」が絡んで、なるほど粋で通なサゲになっていました。素敵なお話をご紹介頂きありがとうございます。

先生のご本は何冊か持っているのですが、いかんせん、昔の文庫は字が小さくてもう見る気も起こらず……。これを機会に青空文庫で読ませて頂こうと思います。

そして黒猫亭様ご指摘の通り、八百屋お七と振袖火事を漠然と混同しておりました。一方は少女の付け火で、他方は呪いの振袖、という別の話でしたね。整理して頂いてはっきり理解した次第です。

「君達は何も知らないんだねえ」と仰った前田愛先生の嘆息が耳に甦ります(;´Д⊂

ところで、左側の「検索フレーズランキング」が、見るたびにやたら面白くてたまらないのですが……。

投稿: 604 | 2008年11月13日 (木曜日) 午後 01時12分

>604さん

お返事が遅れてすいませんでした。技術開発者さんにご説明した通りの事情で、今回は後先になってしまいました。

>>綺堂先生拝読致しました。

本当に読んでくださったんですね、いや、こうして綺堂の読者が増えるのは大変嬉しいことです。昔の文庫と謂うのは旺文社版のことですかね、結構脚注が細密で重宝するらいしいんですが、オレも実は旺文社版では一回挫折しています。どうも、半七捕物帳というのは、岩波文庫の大古典文学作品みたいに脚注附きで読むものではないような気がしますね。わからないことはわからないなりに、流れで読むのが良いのではないかと思います。

青空文庫の半七は、まだ青空文庫のボランティアシステムが上手く廻っていた頃の成果ですから、エクスパンドブックで読めるのが嬉しいですね。たしかにエクスパンドブックファイルの形にするのも大変でしょうけれど、やっぱり縦書きで読めるならそれに越したことはないと思いますから。オレも青空文庫の綺堂作品は全部DLして保存しております。

>>そして黒猫亭様ご指摘の通り、八百屋お七と振袖火事を漠然と混同しておりました。

ああ、そうなんですか(笑)。まあ、江戸は無闇に火事が多い町ですから仕方ないところもありますね。昔の元号で区別されても、ちょっとピンと来ませんし。「天和の大火」と謂っても「テンホーの大火」じゃないんだろう、程度で(笑)。

と謂うか、振袖火事とお七の話というのは四半世紀ほど離れていますけれど、前述の通り多分振袖火事と謂うのは後代の呼び方で、天和の大火と明暦の大火やお七を隔てる四半世紀という年月が意味を持たなくなってからのコジツケでしょうから、紛らわしくてもしょうがないんではないですかね。

>>ところで、左側の「検索フレーズランキング」が、見るたびにやたら面白くてたまらないのですが……。

これ、オレが意識して入れたパーツじゃなくて、何かの拍子に偶然附けちゃったものなんですが、アクセス数自体のパイが大したことないので、如実に個別の検索フレーズが暴露されてしまうのがちょっとアレですね(笑)。何千とか何万のアクセスなら、全体的な趨勢を反映していると謂えるでしょうけれど、ウチのレベルだと単に検索から来たヒトの意図を曝す意味しかないっぽいんで、外そうかとも思っています(笑)。

まあ、やっぱりウチみたいなブログに検索から辿り着くんだから、多少はウケてしまうようなフレーズだったりするのは事実なんですが、一頃、「松尾翠 パンチラ」と謂う物凄くわかりやすい検索フレーズで定期的に来られるヒトがいて、そんなに松尾翠のパンチラについて情報が欲しいんだったら、いっそ識っているだけのことを教えてあげようかとも思ったんですが、辛くも自制しました(木亥火暴!!)。

投稿: 黒猫亭 | 2008年11月18日 (火曜日) 午後 12時15分

お忙しい中お返事頂き恐縮です。

「半七捕物帳」大変興味深く読んでおります。
機が熟したと言うのでしょうか、次から次へ読むのが楽しくてたまりません。PCでもダウンロードしましたが、手軽なので実は携帯でも読んでいます(ちゃんと縦書きで表示されるのです)。

綺堂先生は怪異譚でも有名だと生半可ながら存じていましたが、「半七」では犯罪を暴いて怪異と見えるものの種明かしをしているところが面白いですね。
老人の昔語りという形もいいし、またその話し言葉も心地よく響いてうっとりします。

今回、良いきっかけを頂いたと感謝しております。

話は変わって検索フレーズですが、ブログパーツの醸す雰囲気がなんともいい感じなので、ぜひ残す方向でご検討下さいませ。

投稿: 604 | 2008年11月19日 (水曜日) 午前 12時57分

>604さん

>>「半七捕物帳」大変興味深く読んでおります。
>>機が熟したと言うのでしょうか、次から次へ読むのが楽しくてたまりません。

ああ、それはよかった。あなた、折角日本人に生まれたのに半七読まないなんて、人生の損ですよ、大損ですよ(木亥火暴!!)。これまで書かれたすべての捕物帳シリーズと謂うのは、畢竟するところ、みんな半七みたいな作品を自分でも書いてみたいと謂う動機に基づく試みだとオレは思っています。

>>綺堂先生は怪異譚でも有名だと生半可ながら存じていましたが、「半七」では犯罪を暴いて怪異と見えるものの種明かしをしているところが面白いですね。

綺堂怪談のオチも何もない不気味な余韻に比べると、半七のほうは「津の国屋」がそうであるように「しまいへ行くとだんだんに種の割れるもの」が多いわけですが、これは綺堂先生がホームズ物を原書で読んでいたりするインテリで、ミステリは必ず合理的に解決を附けなければならないことを理解していたからですね。

ただ、一方では綺堂怪談の怪奇味を残したような作品や、すべての謎が合理的に解決されるわけでもない作品もありますね。これも、綺堂青年や半七老人が生きていた頃の感覚で謂えば、そのくらいの不思議が世の中にあっても良いだろうと謂うバランスのものが多く、事件構造自体にアンフェア感はありません。「あま酒売り」なんて謂うのは、今で謂えば少し差別的なネタも絡んでくるような怪談仕立てですが、捕物帳ミステリと綺堂怪談の味をうまく塩梅していると思います。

とにかく、半七は一旦きっかけが出来ると病みつきになって全部読み切っても飽きたらずに何度も読み返してしまいます。オレはこれまでに何度読み返したかわからないくらいですね。何度も言ってますが、劇作を小説化した作品は、ちょっとウェットでベタな芝居懸かりですから、剰り好きではないんですが、半七に興味を持ったら怪談のほうもお読みになられては如何でしょうか。

青蛙堂鬼談とか近代異妖編なんてのは、日本の怪談文学の金字塔とも謂えるほどの名作短編揃いですから、いずれも読んでみて損はないと思いますよ。怪談と謂っても怖いと謂うより何とも謂えない不気味な余韻という味わいの文芸ですから、怖い話が苦手な人にも安心してお勧め出来ます。

睡眠障害があって「新耳袋」辺りの実録怪談を読むと眠れなくなるから読まないと謂う某友人も、綺堂怪談は読んでいますから、その辺は大丈夫です(笑)。

>>話は変わって検索フレーズですが、ブログパーツの醸す雰囲気がなんともいい感じなので、ぜひ残す方向でご検討下さいませ。

寄せられるご意見のパイも少ないので、一人でもそのように仰るのであればその方向で検討致します(笑)。まあ、あんまり意味ないとは思うんですが。

投稿: 黒猫亭 | 2008年11月20日 (木曜日) 午前 07時18分

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