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2009年1月 9日 (金曜日)

2009年映画の旅

今年は正月番組が殊の外つまらないので、珍しく連チャンで映画を観に行った。

何を観に行ったのかは後ほどじっくり語らせて戴くが、実は埼玉に転居して以来、それまで一度も劇場で映画を観たことがなかった。練馬に住んでいた頃は一駅離れたところにシネコンがあったので、ヒマが出来ると割合気軽に映画を観に行っていたものだが、同一沿線上とは謂え随分田舎に引っ込んでしまったので、わざわざ駅まで二〇分歩いてさらに二〇分近く電車に揺られて映画を観に行く気分にもなれなかったからである。

ところが、ポータルサイトの地図で新居周辺を漫然と調べてみたら、割合近所にシネコンを具えたショッピングモールがあることがわかった。地図上で視ると幹線道路の一本道なのでさほど遠いとも思わず、じゃあそのうち行ってみるか的に考えていたのだが、映画ではなくショッピングの目的でそこまで実地に歩いてみたら、自宅から歩くと片道三〇分くらいの距離であることが判明した(笑)。

…と謂うか、そのショッピングモール自体が最寄り駅から徒歩四五分程度離れた位置にあって、駅から無料シャトルバスが運行しているくらいだから、殆どクルマ前提の立地にあるのである。駅からオレの自宅が徒歩二〇分弱で、そこからさらに三〇分弱歩いたところに位置していると謂うことである。

大概の用事は自宅と最寄り駅の中間で足りるものなのだから、普通なら歩くと謂っても二〇分以内だが、そこへ行くには駅の反対方向に三〇分も歩くと謂うことで、これはこの時代においてもちょっとした「旅」である(半七かよ(笑))。

敢えて問うが、あなた方、平生三〇分も歩いたことがありますか?(笑)

これが本物の田舎なら、そもそもクルマがないと生きていけないのでクルマを買うのは大前提だが、埼玉くらいの半端な田舎だと、何をするのでも歩けば歩けてしまうので、オレはクルマはおろか自転車すら持っていない。それで大分歩くようになったのではあるが、流石に遊びに行くのに往復一時間も歩くのはゾッとしない。

つまり、今の自宅からだと、映画を一本観に行く為には二〇分歩いて二〇分電車に乗るか三〇分歩くかしかないわけで、或る意味やっぱり文化果つる辺境ではあるのだ。で、貧乏人としては、同じくらい時間がかかるなら迷わず歩くと謂う選択肢を採らざるを得ないわけだが(笑)、実際に行動に移すまでにほぼ丸々一年かかったと謂うことになる。

ただまあ、何というか、二〇分だろうが三〇分だろうがやっぱり人間と謂うのは歩けば歩けてしまうもので(笑)、木戸銭を浮かせる為に割安のレイトショーを観に行ったのだが、夜の八時過ぎに底冷えのする川越街道を粛々と歩いて映画を観に行くのも侘びしい気分にはなるけれど、意外とそれほど苦にならなかったので、調子に乗って三回も観に行ったと謂う次第である。最初に歩いたときから比べると、大分オレも田舎暮らしが板について、足腰が丈夫になったと謂うことだろう。

まあ、岡本綺堂も子供の頃にはまだ昏い内から二時間以上も払暁の道をてくてく歩いて木戸銭の廉い芝居を観に行ったと謂うのだから、楽しみの為にそれくらいの労力を割くのも人として悪くはないと謂うことだろう(笑)。

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コメント

自転車を買えば……と思ったけど、健康のためには歩く方がよいのでしょうね。
うちも映画館は、最も近いところが2駅となりの吉祥寺です。あるいはバスや自転車で20〜30分とも言う。これでも都内(都下)なんですけどね(^^;;

投稿: 亀@渋研X | 2009年1月 9日 (金曜日) 午後 06時23分

ぼくは日常的に30分とか歩きますよ。って云うか徒歩で4時間とか回遊しちゃう。
まぁ郊外型のシネコンや体育館やコンサートホールを別にすると、仙台市の主要な商業的・文化的リソースには30分歩けばアクセスできる(逆に云うと自分の足以上に効率のいい移動手段がない)と云う事情があるので、状況はまったく違いますが

投稿: pooh | 2009年1月10日 (土曜日) 午前 06時05分

まぁ、最寄り駅自体が歩けばおおかた1時間かかるホンマモンの田舎に住んでいる自分としては、何をするにも車を使うので、歩きませんな(^^;。

ただ、歩こうと思ったら、目の前に標高200メートルクラスの里山がいくらでもあるので、1~2時間くらいの散歩にはちょうど良いですね。

まぁ、いつか長男と一緒に歩いて大阪の実家まで帰省してやろうかと考えてはいますが、考えているだけでおわりそうな気配もあります(爆)。

投稿: がん | 2009年1月10日 (土曜日) 午前 09時31分

>亀@渋研Xさん

まあ、「歩かない」と謂うのは都内と謂っても二十三区内の感覚ですよね。鉄道の一駅の間隔が大体二、三分、歩いて三〇分前後の直線距離で、二十三区内はそう謂う単位の鉄道網によるグリッドで仕切られていて、駅前の或る程度の範囲内に商業施設が密集しているわけですから、基本的に三〇分以上歩かなくても何とか生活出来るようになっているんですよね。

とくにここ数年の地下鉄の新線開通や相互乗り入れの充実によって、都内の鉄道アクセス網はとんでもなく便利になっていて、必ず複数の最寄り駅が確保出来ているように感じます。そうすると、「駅前」と謂う領域がどんどん拡大していきますから、それまで開発されていなかった街区に商業施設が進出してきます。

なので、二十三区内の住宅物件では「最寄り駅から徒歩一五分」と謂うのが大体限界になってきて、物理的にそれ以上「最寄り駅」から離れられないと謂う言い方も出来るわけです(笑)。都心ではもう、一五分前後歩けば必ず何処かの路線の鉄道駅に着いちゃうわけですね。徒歩三〇分のグリッドで四方を仕切られているわけですから、理屈から言えばそうなるわけです。

で、これはやっぱり一〜八号線くらいまでの環状線内の話で、環状線を貫いて他府県や多摩方面に抜けていく放射線で謂えば、当然都心から離れるに従ってどんどん鉄道網のグリッドが粗くなっていくわけで、二十三区の周縁部くらいまではバス網がその間隙をカバーしているわけですが、市部ではさすがにそれも粗くなってくる。放射線の鉄道の主要な急行停車駅を中心にして、放射線相互の間の公共交通網が未整備な地域ではやっぱりモータリゼーションでカバーすると謂う形になってきます。

で、都心がこう謂う状況である一方、地方では鉄道やバスの路線廃止が相次いで、どんどんクルマによる移動に振り替えられているわけで、そう謂う前提で中央資本も進出してきますから、とんでもない山の中とか田圃のど真ん中などの地価の安い用地に巨大なショッピングモールや郊外型シネコンやブックストアが出来て、その辺で用が足りてしまうと謂うことで、コアになる繁華街や「まち」と謂えるようなブロックが形成されにくくなってくるわけですね。

アクセスポイントが分散的な形になってくるわけで、面的であった従来の商業施設の在り方から、どんどん点的になってきているわけです。従来型の小さなコアブロックを形成していたような地元の商店などはどんどん潰れていったりしていて、特定の範囲の場所に商業地域的な密集性がなくなってきます。

「田舎」と謂うのは雑な言い方ですが、一般的な地方の郡部や市区町村部辺りでは、そう謂うふうにモータリゼーション前提でどんどん商業施設の分布域が粗になってきて、どこか特定の市街地に行けばすべての用が足りると謂う形でもなくなってきているようです。

>>自転車を買えば……と思ったけど、健康のためには歩く方がよいのでしょうね。

そうなんですよ。何度か自転車を買おうかと思ったんですが、その都度「でも、こんなに歩く機会が増えたのって貴重だしなぁ」とか思っちゃうんですよね。自転車を利用するとなると、移動範囲を拡大しないと同じくらいの運動量を確保出来ないと思いますけれど、性格的には「楽になったから出来ることを拡大する」のではなく「楽になった分労力を省く」ほうにはしると思うので(木亥火暴!!)。

投稿: 黒猫亭 | 2009年1月10日 (土曜日) 午後 07時10分

>poohさん

>>ぼくは日常的に30分とか歩きますよ。って云うか徒歩で4時間とか回遊しちゃう。

亀さんへのコメントで大体基本的な話はしていますが、そちらの仙台市関係のエントリを拝見していると、poohさんが最も親しんでおられた頃の仙台市と謂うのは非常にコンパクトに「まち機能」とでも謂うものが成立している領域だったのだと思いますが、それが徐々に(もしくは急激に)画一性を伴って郊外分散型になっていく、と謂う流れが全国的に進行していると思います。

本来的には、住宅地から歩いて商業地域にアクセス出来て、そこをグルッと回れば何から何まで用が足りる、ちょっとした用足しから買い物から遊興まですべてカバー出来ると謂うのが、都市的なアメニティの観点から謂えばいちばん快適で健康的なんだと思うんですが、全国的な趨勢としてそう謂うコンパクトで快適な都市領域がどんどん拡散していると謂うことなのかもしれません。

たとえばpoohさんが仙台市内を四時間歩くと謂う場合、エントリを拝見すると何から何まで用が足りていて、いろんな店をひやかしたり飲食したり遊興したりと謂うプロセスが一通り押さえられていますよね。こう謂う形で「まち」機能が確保されている地域の住人は、日常的に歩くことが最も習慣附いていると思うんですね。グルッと歩くこと自体が一種の娯楽となっていて、連続的にいろんなことが出来て、経済活性の基にもなっているわけです。

ところが、もっと地方のほうへ行くと、或る特定の目的を果たすべき場所が完全に徒歩移動圏外に点在しているので、点的なポイントにクルマで行って、別の目的の為に別の点的なポイントへまたクルマで移動する、と謂うような形になるわけです。

或いは、多様な複数テナントがミニチュア的に商店街機能を担うように集積された巨大なショッピングモールのようなポイントにクルマで行って、その内部ですべての用を足してまたクルマで戻ってくる、こう謂う形も多くなっていると思います。

つまり、田舎の人ほどどんどん歩く機会がなくなっているわけです。

本文中で「半端な田舎」と表現したのは、埼玉くらいの各停駅だとそのどちらの極端にも振れていないと謂うことでして、都心の私鉄沿線のような開発が前提だったのに景気の後退で途中で開発が放棄されているわけですね。

こう謂う場所はかなり中途半端な地域機能になってしまうわけです。商業施設が密集している「まち」としての面的領域が発達しているわけでもないし、点在する個々のポイントが完全な徒歩圏外にあるわけでもない(駅からとんでもなく離れなくても地価が安い)ので、「歩けば歩けてしまう」と謂うことになるんですね。

あれをしようと思ったら二〇分くらい歩いて特定のポイントに行って、別のことをしようと思ったらそこからさらに二〇分歩いて行って、さらに帰宅するまでの二〇分くらいの徒歩移動が附いてくるわけです。つまり、poohさんが四時間の回遊の中で線的だったり面的だったり連続的且つ集中的に行っていることを、二〇分くらいの徒歩移動を一単位として点的に行っていると謂うことですね(笑)。

利便性やアメニティと謂う観点から考えると、この移動テンポはかなりイラッとくるんですけれど(笑)、まあ、健康に良いだろうとでも考えないと不便なだけですから。

投稿: 黒猫亭 | 2009年1月10日 (土曜日) 午後 07時10分

>がんさん

>>ただ、歩こうと思ったら、目の前に標高200メートルクラスの里山がいくらでもあるので、1〜2時間くらいの散歩にはちょうど良いですね。

歩くと謂うことを目的視するなら、下手な市街地に住んでいるよりは町村部の田園地帯なんかはちょうどいいですよね。練馬に住んでいた頃までの感覚で謂うと、都心の歩道はとにかく人が多すぎて歩きにくいです。その駅の繁華街と謂うのは、基本的に用足しに来ている人間がうろうろする為に歩道があるわけですから(笑)、ただ歩こうと思っても人がゴミゴミしていて物凄く歩きにくい。

就中危険なのは自転車ですねぇ。これは老若男女を問わずで、人が密集して歩いている歩道を軽車両が走っているんですから、対歩行者と謂う面でかなり危険ですが、法律通りに車道の最左端を走ると今度は自転車側が危険です。にもかかわらず、信じられないほど自転車が多いので、都心の歩道は目的的に歩くと謂う意味では向かないですね。

オレは四半世紀前に上京して以来、二十三区内の地価が安いところを転々としていたのですが(笑)、これは二十三区内だと何処でもそうですね。これまで住んだところで一番寂れていたのが練馬だったんですが、それでもやっぱり事情は同じでした。

今のところだと、日常的な用足しで否応なく歩く他に、川沿いにちょっとした土手道が長目に続いていますので、散歩なんかにも好いですね。ごくたま〜〜〜に歩くだけの目的で歩くことがあります(笑)。

>>まぁ、いつか長男と一緒に歩いて大阪の実家まで帰省してやろうかと考えてはいますが、考えているだけでおわりそうな気配もあります(爆)。

ああ、橋があるから「歩こうと思ったら歩ける」のですね。いや、プチ壮大な計画で大変結構ですが、年寄りの冷や水にはお気を付けください(笑)。途中で引き返したり出来ない距離ですから、健康管理を万全にしておく必要があるでしょうけれど、今の日本で健康管理を万全に出来る職業人がどのくらいいるのかな、と。

以前書いたことですが、ここに転居して日常的に歩くようになった当座、多分大腰筋を急に活発に動かした関係で内臓のジオメトリーに影響が出たんだと思うんですが、一時期便通が非常に悪くなった覚えがあります。

そのときは、「ああ、これが所謂『好転反応』というやつか」と(木亥火暴!!)。

投稿: 黒猫亭 | 2009年1月10日 (土曜日) 午後 07時11分

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