ちょっと気になること
まあ雑談の範疇の話で格別に批判の意味もないのだが、最近ネットでよく「○○足り得る」と謂う表記を見掛けるが、これは間違いである。
最初は単なる誤変換なのだろうと思っていたのだが、どうも書き手が「たりえる・たりうる」を「足ることが出来る」と謂う意に解して意図的にそう変換しているのではないかと思うようになった。普通にデフォルトの状態のIMEで、「たりえる」を一括変換しても「足り得る」は候補に出ないはずなので、「たり・える」とわざわざ分割変換しているとしか思えないからである。
これは、オレの識る限りでは「○○とあり得る」の音便で、だから「たり得る」と表記するのが正しいはずである。藤村の「小諸なる古城のほとり」が「小諸にある古城のほとり」の音便であると謂うのは高校辺りで習うと思うが、音の響きで「小諸という古城のほとり」と解したら間違いになるのと同じことである。
従来的な慣用表現を離れて「足り得る」と謂う表現を遣いたいのであれば、「○○に足り得る」と格助詞を補って、従来的な「たり得る」とは別の新奇な言い回しを意識的に用いていると謂うことを明示したほうが無難だろう。そうすれば、少なくとも文法的に間違った表現でだけはなくなる。
ただ、たとえば「勇者たり得る」と謂う例文なら、これを「に足り得る」に代替させる場合は最大限省略しても「勇者であるに足り得る」と謂う回り諄い言い方になる。もっと座りが好い文語的な表現としては「勇者たるに足り得る」となるが、だったら最初から「勇者たり得る」でもいいじゃんと謂う話になる(つまり「勇者たり得る」と謂うのは「勇者たる」ことを「得る」と謂う構造の言葉なのである)。
まあ、オレ自身もこの手の間違いをやらかすことがあって、数年くらい前まで「けりをつける」と謂うのは「蹴りをつける」のだと思っていたのだが、これは「むかしおとこありけり」の「けり」で、終止の「けり」が附くと文章が一段落することから、物事に一段落を附けることを「けりをつける」と謂うそうな。であるから、「けりを附ける」もしくは「ケリを附ける」が正確な表記だと謂うことになる。
また、密告すると謂う意味の「さす」は、裏切ると謂うニュアンスから匕首伝説的な連想で「刺す」のだと思っていたら「指す」のだと謂うのも随分前に識ってちょっと恥を掻いた。「誰某をさす」と謂うのはつまり「こいつだ」と指を差すと謂うことである。
それからこれは外来語ではあるが、いい加減誰か「フューチャーする」を何とかしろと言いたくなる(笑)。最近も、TVの音楽番組の事前作成のVのNRで「feat.xxx」と謂う略語をハッキリと「フューチャリング」と発音しているのを耳にしたのだが、その場の誰も突っ込まなかったのかと不審に感じた。
普通に考えて、日本人にとって「フィーチャー」のほうが「フューチャー」よりも発音しにくいなんてことはないはずだが、多分「フィーチャー」と謂う音の響きには何となくダサさが滲み出ていて「フューチャーのいいまつがい」っぽいふいんきが濃厚で、無意識にそれを回避しようとする心理が原因なのかもしれない(笑)。
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コメント
今晩は。
「たり得る」は、特に違和感無く読んでいるので、自分も多分使ってるかもです……気をつけねば。
「フューチャーする」は、めちゃくちゃ気になりますねえ(笑)
私は、バック・トゥ・ザ・フューチャーで音に慣れてるから? とか思ってたりします。
投稿: TAKESAN | 2009年1月 5日 (月曜日) 午前 12時37分
>TAKESAN さん
お返事を書いていたら長くなったので、本題のほうについては、新たにエントリを起こしました(笑)。
>>「フューチャーする」は、めちゃくちゃ気になりますねえ(笑)
新エントリに書いたように、「足り得る」の扱いには慎重になる必要があると思いますけれど、「フューチャーする」は何の仮借もなく非難しちゃいましょう(笑)。
外来語を外来語としての有り難みで遣っているんですから、そのプロセスで格好悪い音訛や混用があるのは一種の国辱です(木亥火暴!!)。まあ、「フィーチャーする」と謂う言葉は日本語にはしっくり来る訳語がないので、この片仮名言葉が流通することに関してはさほど抵抗がないんですが、「フューチャー」との混同は何だか無性にアタマが悪そうで恥ずかしい気持ちになりますね(笑)。
仰る通り、「フューチャー」と謂う言葉のほうが先に日本語に根附いたので、そっちのほうに引きずられがちだと謂うのが真相だと思いますが、「フィーチャー」と謂う新しい外来語を率先して普及させたいはずの層の人々が真っ先に「フューチャー」と混同していると謂うのが途轍もなく恥ずかしい気持ちにさせます。
ちゃんと言えないくらいなら訳知り顔に遣うなよ、と(笑)。
投稿: 黒猫亭 | 2009年1月 5日 (月曜日) 午後 05時04分
こんにちは
アタッシュケース・アタッシェケース
シュワルツネッガー・シュワルツェネッガー
という事例が岸本佐知子氏のエッセー「気になる部分」
(白水社)でフィーチャーもとい、考察されていますね。
ぜひご一読を、笑えます
投稿: TXJ | 2009年1月25日 (日曜日) 午前 08時34分
>TXJさん
いらっしゃいませ。
>>アタッシュケース・アタッシェケース
>>シュワルツネッガー・シュワルツェネッガー
「アタッシュケース」は、オレの子供の頃までは「アタッシェケース」と謂う表記自体が存在しなかった記憶がありますね。「アタッシェ」が正式表記ですが、多分昔は発音しづらかったんではないかと思います。
シュワの場合は、そもそも英語圏の人からが正確に発音出来なかったんではないかと思いますね(笑)。たしかオーストリア辺りの出身のドイツ名前ですよね。普通英語圏の国に帰化すると、近い発音の別の名前にしたり名前の意味を翻訳して英語風の名前に改名するみたいですが。
外国人の名前を含めた外来語の表記については、たしかどこだかが正式な片仮名表記を決めているようですね。昔、レーガン大統領がまだ大統領候補だった頃に、国内の報道では綴りから類推して「リーガン」と表記していたんですが、本人に確認したら「レーガン」が正しいと謂うことで、大統領になった途端にいきなり名前が変わった記憶があります。「リーガン候補」だったのが「レーガン大統領」になったので、最初は同じ人だとは思わなかったですね(笑)。
>>岸本佐知子氏のエッセー「気になる部分」
機会があったら読ませて戴きます。
投稿: 黒猫亭 | 2009年1月25日 (日曜日) 午後 06時22分