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2009年2月 5日 (木曜日)

赤壁はなぜ赫い 第三夜

第三回は、孫権との面会から琴瑟相和すのくだりまで。この映画のドラマ的な核心部分であり、諸葛亮と周瑜と謂う二人の主人公の正面対決が描かれる。諸葛亮、孫呉の英雄をナンパしまくるの巻。


●孫呉の君臣

呉に到着した諸葛亮は魯粛の手引きで孫権に拝謁する運びとなるわけだが、この魯粛と謂う人物も正史と演義の間で人物像が大幅に違っていて、正史では蜀漢と孫呉の同盟関係確立の立役者であり、諸葛亮の天下三分の計に先立って孫権に天下二分の計を献策したことは有名である。

簡単に謂えば、赤壁以後の蜀呉の関係は決して良好なものではなく、主に蜀漢サイドの都合で領土紛争が絶えなかったのであるが、魏にとって都合の好い蜀呉全面戦争に発展しなかったのは、この魯粛の調整のお陰だったと謂って差し支えないだろう。そもそも正史では赤壁以前の時点で周瑜と魯粛はすでに徹底抗戦論を主張しており、その繋がりで魯粛が劉備との間で仲立ちを務めているのだから、結構な重要人物と謂えるのだが、演義ではその手柄を殆ど諸葛亮に奪われている。

ただ、魯粛にとって幸いだったのは、この映画の諸葛亮と周瑜は若干正史寄りの解釈でオリジナルな設計が加えられている為、演義のようにいがみ合う両雄の間で右往左往する滑稽な中間管理職的人物としては描かれていない。諸葛亮と周瑜が堅固な信頼関係で結ばれている為に、お人好しで善良な部分のみが際立って描かれ、愛すべき三枚目として見えてくる。

そして、この魯粛こそは周瑜亡き後に彼の後継となって孫呉の政略全般を担い、魏に対抗し蜀との関係維持に奔走したわけだから、孫呉において正しく諸葛亮と対等の位置附けに置かれるべき人物なのである。

この映画だけを視ると、なんでこんなジャージャービンクスみたいなおもろいオッサンが主役たちと常に同道して重く扱われているのかサッパリわからないが(笑)、本当なら諸葛亮クラスの重要人物なので、サックリ省略するわけにも行かなかったわけである。

そして、魯粛が存在しない三国志と謂うのもあんまりなアレンジだが、かと謂ってこの映画は正史ではなく演義をベースにしていて、さらに演義とも大分話が変わっているのだから、彼が存在すべき劇的必然性が薄れてしまっていて、別途このオッサンのキャラを立てる必要があった、それ故に現在のような愛すべきコメディリリーフ的位置附けで落ち着いているわけである。

呉に到着した時点で、すでにこの魯粛は諸葛亮の味方として動いていて、それが何故なのかは殆ど説明されていない。この映画では、諸葛亮の到来以前の魯粛・周瑜組の抗戦論はなかったことになっているのだし、内心抗戦に賛同しているとしても表立って強硬に主張しているわけではないから、それほど強い動機を持っているわけではない。何より、自身の意見に近いからとか都合が好いからと謂って、他の軍事勢力の利害を背負った軍師にそこまで肩入れすべき理由などないわけである。

これは勿論、正史や演義を識っていれば説明の必要はないわけだが、それを言い出したら「説明の必要があることって何だよ」と謂う話になるだろう(笑)。何も説明せずにとんとん拍子に戦闘までの段取りを描いて、戦国合戦絵巻のスペクタクル名場面だけを描けば好いと謂うことになってしまう。

例のダブルトークの文脈でこの魯粛の動機を読み解くなら、単純に「諸葛亮が好きだから」と謂うことになるだろう。演義では諸葛亮がお人好しの魯粛を上手く丸め込んでいるわけだが、前述の通りこの映画の諸葛亮は嘘を吐かない人物なのだから、必然的に魯粛の動機は諸葛亮への純粋な好意と信頼である。

これは赤壁に周瑜を訪ねるくだりで、魯粛が周瑜の側ではなく諸葛亮の側に立って助言していることでもわかるだろう。魯粛と周瑜と謂う組ではなく、魯粛と諸葛亮と謂う組を基本として孫呉における交渉のドラマが描かれている。平たく謂えば解説役であって特別知恵のある人物設計でもないのだが、面白いのは、登場時点ではなんでそんなに諸葛亮に肩入れしているのか全然説明がないのに、ドラマが進むに従って何となく納得してしまうと謂う辺りの描き方である。

それはつまり、この映画で諸葛亮が孫呉を味方に引き入れたのは、すべて人格的魅力と嘘のない理想の主張に基づくものだからで、孫権も周瑜も本質的には諸葛亮と謂う個人が好きだと謂う単純な動機で同盟に踏み切っているからである。この諸葛亮像の説得力は孫権や周瑜が一発で惚れ込むような人柄の説得力なのだから、遡って魯粛もまた諸葛亮が好きだと謂う理由で協力していてもおかしくないのである。

さて、この魯粛に案内されて諸葛亮が孫権の許に赴くところから孫呉サイドのドラマはスタートするわけだが、主要なドラマの開始に当たって周到に芝居場や撮り方が設計されていると謂えるだろう。

この場面が冒頭の許都のくだりをなぞっていることは今更指摘の要もないことで、同じ宮廷のセットだから道具立ての変わり映えがしないと謂えばそれまでだが、家臣団の配置や上座の据え方など、意識的に許都の道具立てを踏襲し、その上で描写上の対称と対照を設けている。勿論、まったく同じでは意味がない。許都のくだりとこのくだりの類似と異同を視ていくことで、呉宇森が魏呉夫々の在り方をどのように位置附けているかが見て取れるはずである。

まず違う点と謂えば、魯粛に伴われた諸葛亮が廊下からの上がり口で長旅の埃にまみれた沓を脱いで上がり込むと、そこではすでに家臣団が膳部を前に酒を呑んでいると謂うことである。よく考えると、この描写は大変奇妙である。そもそも、この順序だと何故入室した時点で彼らが酒を呑んでいるのか理由がわからない。

王座に類する上座があるところを視ると、それは呉侯が臣下と共に政策を協議する場所のはずで、別段食事時に飯を喰ったり酒を呑んだりする場所ではないはずである。ならば、彼らがそこで膳を囲んで酒を呑んでいる以上、それは公式の宴会だと謂うことでなければならないはずである。

では、公式の宴会だと謂うなら何の名目かと謂えば、それはおそらく劉備軍の使者を歓迎する為のものであって、劉備軍の使者と謂うのはつまり諸葛亮のことである。これが公式の宴会であり、諸葛亮を迎える名目のものだと謂うのは、諸葛亮の入来後に現れた孫権が冕冠を戴いた最礼装の出で立ちであることからわかる。

許都のくだりで注意を喚起しておいたが、この冕冠と謂うのは皇帝もしくは卿大夫以上が着用を許されていた正装だと謂うから、平たく謂えば朝廷において上位を占める有力者の証と謂うことになる。孫権がこの冕冠を戴いて登場したと謂うことは、呉侯が相応の格式で劉備の使者を歓待したと謂うことになるわけだが、見方を変えれば格式を強調して威圧しようとしたとも謂えるわけである。

穿った見方をすれば、この礼装は朝廷との関係の上で意味があるわけだから、名目上漢室の正統を押さえている魏に称臣している孫呉の立場を強調して予防線を張ったと視ることも出来るかもしれないが、まあそれは穿ちすぎだろう。おそらくこの場で描かれているのは、孫権と献帝の立場的な類似を視覚的に表現したものだろうと思う。

そして、許都のくだりで注意を喚起しておいた冕冠の映画的な意味性を思い起こすならば、人物の目の前でちらちらと苛立たしく動いて彼我の視線を遮る効果、相手からも視られないが自身もまたはっきりと前が見えていない状況、このような内実を顕わす視覚表現であり、遡って献帝の場面でも同様の意味性を付与されていたと視て好いだろう。

何故なら、皇帝である献帝はともかく孫権がこの場面で冕冠を戴いているべき考証の次元の必然性は薄いからであり、後に孫権が迷いを脱し決断を下す場面では、この冕冠の装いとの対比ですっきりと素顔を見せているからである。

話を孫権入来以前に戻すと、家臣団は主賓である諸葛亮の到来以前に大分聞こし召していて、膝を崩してだらしない姿勢で酒を呑んでいる。諸葛亮の入来に際しても、別段威儀を正して迎えてはいないわけだから、この連中は諸葛亮の到来を迷惑に感じていて、劉備の勢力を軽んじているわけである。

まあ、普通に考えれば劉備は劉表麾下の一将軍に過ぎないわけで、しかも曹操軍に蹴散らされ数万の難民を抱え這々の体で逃げ延びた敗軍の将であるから、呉侯が対等に遇する謂われはない。呉の家臣団が諸葛亮を舐めて掛かるのも当たり前である。

衣紋を払って長旅の埃を落とし、腰を下ろした主賓の諸葛亮の前にも膳部が設えられるが、当然仲立ちを務めた魯粛がそれに隣り合わせ、上座に相対する位置で孫権の入来を待つ形になる。その間も呉の旧臣たちは聞こえよがしに厭味を言い、諸葛亮たちには目もくれようともしない。この絵面で、好ましからざる客である諸葛亮の味方が魯粛しかいない、逆に言えば魯粛が諸葛亮の味方に附いていることが視覚的に明示される。

諸葛亮が着座したことで漸く孫権も入来してくるわけだが、この孫権を演じる張震がなかなか好い。「影武者」の頃の隆大介を思わせる相貌だが、この場面の芝居は寧ろ「赤ひげ」で新出去定が初めて保本登に会う場面を想い出させる。明確な意味的関連はないのだが、この映画の撮影中、浴びるほど黒澤映画を観ていたと謂う呉宇森の演出に巧まずしてその影響が出たのかもしれないと想像すると面白い(笑)。

むすっとした表情でつかつかと入室して来たかと思うと無雑作に腰を下ろし、冕冠の旒を透かして上目遣いにちらちらと諸葛亮を偸み視る仕草が、偉大な英雄である父や兄に劣等感を感じて萎縮している孫権の人物像を印象附けると同時に、初対面の諸葛亮に強い興味を抱いている様子を顕わしている。また、臣下の様子も別段孫権の入来で緊張したふうもなくそれまで通りに酒を呑んでいて、父や兄の代から仕えている旧臣たちが若い君主をそれほど重く視ているわけでもないことが伺える。

この孫呉の来歴を視ていくと、孫権の父である孫堅の代に基盤が築かれた勢力で、孫家の家格は決して高くはなかったが、後漢末の乱世において、まず孫堅が頭角を顕わし、孫堅が道半ばで急死するとその子の孫策が破竹の勢いで江東に覇を称えた。この孫策が劇中で孫権の兄と呼ばれている人で、「江東の小覇王」とまで讃えられた英雄である。

この場合の「覇王」とは勿論この人ではないし、一般名詞でもない。「覇王別姫」の覇王であるから、つまり項羽のことである。本邦では「項羽と劉邦」で有名だが、秦末の楚の武将で、秦王朝を瓦解に追い込んだ後に楚漢戦争で劉邦と天下を競い、自ら赴いた戦いで決して負けなかったと謂うナポレオンのような猛将だったが、戦に強いと謂う以外褒めるところのない非道な人だったので結局覇権闘争で劉邦に敗れた。

死ぬときも盛大に敵を殺してたくさんの道連れをこしらえた後に、命運窮まったことを自覚して自刃したのだから、直接闘争で負けたことのない人である。「俺が負けたのではなく天が俺を選ばなかっただけだ」と嘯いて死んだ無敵将軍だから、その伝説の大英雄の再来とまで謳われた孫策も偉大な英雄である。

それ故に、この小覇王が長命して漢室の正統を擁する曹魏に対抗して覇権を競っていたら大層面白いことになっていたわけだが、項羽同様に天に選ばれなかったのか、若くして非命に斃れた。

演義の記述では、捜神記の記事に材を借り妙な仙人を殺した呪いで死んだことになっているが、実際には旧怨を抱く一党によって不意を襲われて急死したものである。孫呉の領土はほぼ孫策の一代にて獲得されたもので、僅か一〇〇〇騎の手勢を振り出しに、端倪すべからざる一代軍閥を築いた大英雄であることは間違いない。

その後継に選ばれたのが実弟の孫権で、劇中で語られている通り「優れた人材を登用して内治を堅めよ」と遺言され兄の築いた勢力を託された。

劇中で孫権が偲ぶ「父や兄」と謂うのはざっとこのような英雄たちであり、孫権は彼らが短い生涯において勝ち取ったものを、ただ受け渡されただけの立場である。諸葛亮が対面した孫呉の君主とは、そのような人物である。父や兄と共に戦場を駆け巡った旧臣たちの意見を蔑ろに出来ないのは、あながち彼個人の性格に由来するものではなく、そのような筋合いがあるからで、自ら勝ち取ったものではないから自身一個の判断で危機に曝すことが出来ないのである。

この時点の孫権は、兄の遺言通り積極的な人材登用を行い内治を堅め父や兄の遺したものを堅実に受け継いだと謂えるが、兄の享年に近附いたこんにちまで英雄らしいことは何一つしていなかった。これがスタート時点における孫権の鬱屈である。

孫権は父や兄が遺したものを護り育てていく立場にあるわけだから、存亡のリスクを犯して強大な曹操軍と対決すべきか否かについて、自身一個の価値観で判断を下すわけには行かない立場である。

この間の事情は、孫呉のくだりにおいて必要最低限のセリフで説明されるが、見え方としては強いリーダーシップを発揮出来ない優柔不断の印象として受け取られるわけで、それはそれで孫権の抱える問題性の本質でもあるわけだから、詳しい事情を識らなければそのように受け取って差し支えはない描き方になっている。

諸葛亮は再び衣紋の埃を払って孫権に拝礼し、劉備軍への同盟を求めるわけだが、孫権個人はこの男に強い関心を抱いていると謂う芝居になっている。謂わば一目で魅了されたわけで、言葉による説得があったわけではない。諸葛亮の体現する善、それに惹かれる気持ちはあるのだが、家臣団の誰一人としてその提案に賛同しない。口々に劉備や諸葛亮を罵倒し、無謀な戦いであることを主張している。

前述の通り、諸葛亮はそれに一々反論するようなことはない。孫権一個を凝視して彼の心の動きを注意深く見守ろうとする。遂に孫権は立ち上がり、無意識に諸葛亮に近附いていくのだが、孫権の側から諸葛亮に接近すると謂う動きを附けることで、諸葛亮があれこれ働き掛けるまでもなく、孫権が諸葛亮の説く理想の戦いに強く惹かれていることが暗示される。

諸葛亮はこの時点まで殆ど何もしていないわけだが、孫権の接近を受けて例のキラキラ目殺し文句を口にする。秘めたる才能は顕わされなければならない、秘めたる宝剣は抜かれねばならない。この一言でほぼ諸葛亮の対孫権の交渉は決定的な一手を打たれたわけであり、この言葉が孫権を動かしたことは、後のくだりではっきりと明示される。

諸葛亮は孫権の鬱屈を正しく見抜き、今彼が何をすべきであるのかを一言で明示したわけである。孫権個人に対してはこれ以上のことが出来ない。

孫権は父や兄と比して自分は己を圧し殺すことと引き替えに何のリスクも負わず何ら自身の理想を追求していないことに悶々としている。借り物ではない自身の意志を通し英雄として戦い抜いた父と兄に憧れている。そんな英雄たちから引き継いだものを堅実に守り通すことが自分に課せられた役割だと任じているが、自身もまた彼らのように自分自身の意志や信念に基づいて堂々と戦いたいと謂う鬱屈を抱えている。

それに対して諸葛亮は、彼もまた己を殺すことなく自身の信念に殉じれば好いのだと背中を押したわけで、何故そのような諸葛亮の言葉が信じられるのかは言葉では一切説明されていない。孫権は最初から諸葛亮を信じていたのだし、その信頼が間違っていないことを観客は識っている。つまり、この場面を支えているのはやはり諸葛亮が信頼に足る人物であることを視覚的に保証する説得力だと謂うことである。

さて、この場面で描かれたのは、孫権の「気持ち」の部分の説得であり、孫呉の軍事協力を得ると謂う現実的な問題から考えれば、実は孫権の気持ちを動かすだけでは十分ではないから周瑜の出番が廻ってくるのである。

このくだりにおいて、孫権はすでに抗戦の正義は確信している。己とほぼ同年齢の見知らぬ若い男がもたらした理想の夢を共有している。しかし、安寧の夢に微睡む老人たちが声高に反対の声を挙げるや、「考えさせてくれ」と一旦の留保を設ける。

孫権はこの老人たちを決して蔑ろには出来ないのである。何故なら、今自分が治めるこの領土は、父や兄とこの老人たちが血を流して戦い取ったものだからであり、孫権はそれを兄から託された身に過ぎないからである。


●英雄和佳人

孫権の気持ちを動かすことに成功した諸葛亮は、次の一手として魯粛の案内で赤壁に幕営する周瑜の許を訪ねる。前段で語ったように、この問題は孫権の気持ちだけを動かしても決定打とはならない。孫権の気持ちが抗戦に傾いたとしても、家臣団の間で賛同が得られなければ結局彼らの意志を尊重する他はない。孫権には抗戦の意志を名実共に後押しする強い後ろ盾が必要なのである。

それがすなわちこの映画の主役である周瑜である。

この周瑜役には当初周潤發が予定されていたことはすでに語ったが、もっと話を遡ると一番最初は劉備役が考えられていたそうな。呉宇森の周潤發に対する思い入れを考えるなら、必ず彼が物語の中心にいなければならないはずであるから、この線はハナから目がなかったと視るべきだろう。ダミーの情報だったのか、ごく初期の構想だったのか、いずれにせよ周潤發の主演が実現していても、劉備役と謂うことは在り得なかっただろうと思われる。

普通に考えれば三国演義の主人公は劉備であるから、主演俳優を劉備役に持ってくると謂うのは自然だが、具体的に構想を考えるなら、赤壁の戦いを劉備を中心としたドラマとして映画化することはほぼ不可能だと謂うことがわかるだろう。と謂うか、三国演義全体を通じて劉備その人にはドラマらしいドラマはない。

おそらくかなり初期の段階で周瑜を中心としたドラマが構想され、当然周潤發が周瑜役に想定されたのではと想像するのだが、如何せん呉宇森が最初に赤壁の映画化を夢想した時点から月日が経ちすぎて、つまり周潤發が歳をとりすぎてしまった。

五十代半ばと謂うのは、さすがに中国人一般が想定している赤壁時点の周瑜像から考えると、年齢域が合わないと謂うことである。史実上では周瑜は孫策と同い年と伝えられるから、赤壁時点で二六歳だった孫権とは七歳違いの三三歳で、つまり梁朝偉が精一杯若作りしてギリギリと謂う年齢域なのである(因みに史実上の諸葛亮は、孫権の一歳年長で、献帝とは生没年がまったく同じである)。

劉備役と謂うのはその辺の事情を考慮した次善策だったのかもしれないが、やっぱり周瑜役で行きたい、つまり周瑜を中心としたドラマで映画化したいと謂う方向性に落ち着いたのではないか。

そのキャスティング構想が結局潰えて現在の形になったことはすでに語った。これが結果から謂えば吉と出たと謂うのがオレの立場である。出世作の「男たちの挽歌」シリーズでタッグを組んだ周潤發と共に宿望を果たすと謂う夢は叶わなかったが、数多在る三国志の映像化作品の中では窮めて独自の存在感を示す作品と成り得たと謂えるだろう。

さて、この赤壁における周瑜の登場場面の撮り方は、あまりに勿体振っていて滑稽なくらい重々しく段取りを踏まれている。これは「周瑜こそが物語の主役なのだ」と謂う強い意思表示と視るべきだろうが、悪の巨魁である曹操を除けばすべての登場人物が板附き乃至フレームインのワンカットで登場したと謂うことを考えれば、この勿体振りようはいっそ微笑ましいくらいである。

型通りに全景から内観に移って訓練中の軍隊を映し、そこに諸葛亮・魯粛組が登場して甘興の紹介や陣形の説明などの解説が為されるわけだが、それと切り返す形で何度も周瑜の後ろ姿を切り返し、適宜目許の超クローズアップや羽根扇を持つ手許のインサートカットを交えたりして散々に観客を焦らした揚げ句、牛飼いの少年の奏でる笛の音にふと心を奪われたと謂うこなしのインサートカットがあって、副官が周瑜を振り返る動きに附けてパンすると空の床机が映る。つまり、観客は「さすがにそろそろ全貌が映し出されるだろう」と感じたタイミングで肩透かしを喰うわけである。

この「振り返るとすでにいない」と謂う動きは後半のクライマックスでも再演される周瑜一個に関連附けられた撮り方だが、これは一種の笑い所のユーモアと視ても好いのではないかと思う。中国人お得意の息の長いギャグの一種だと視ても好い(笑)。この映画の周瑜像は、演義のそれに比べて重厚で思慮深い人物像として描かれているけれど、この登場時点ですでに、気が向いたらふらっといなくなるような飄然とした部分も提示され、それをユーモラスな撮り方で見せているわけである。

その意味で謂うなら、周瑜の人物像と謂うのはこの赤壁の幕営地のシーンですべて提示されているわけで、このシーンは赤壁に駐屯する孫呉水軍の状況説明であると同時に、まるまるすべてが周瑜の人物描写の為に在る場面である。

席を立った周瑜は幕営地背後の山間で笛を吹く少年の傍らに立つが、このカットは最初少年のアイポジションの構図で撮られ、少年の視線に附けてティルトアップする形で漸く周瑜の顔が映る。この時点では、周瑜がなんでこの少年の前に現れたのかサッパリわからないわけだが、無言で少年から笛を受け取り、あり合わせの小刀で指孔を削ることで笛の音を見事に調整してしまう。

この一連の描写で、軍人周瑜が音楽にも造詣が深いこと、優れた音感を持っていることが提示され、次いで少年の吹き鳴らす素朴な牛追いの笛の音に耳を傾け、山水画さながらの雄大な美景が脳裡を駆け巡る描写で、平和な大自然を愛するロマンティックな心性の持ち主であることが提示される。このエピソードは、優れた音楽家でもある周瑜が、宴席で三度酒杯が廻っても演奏の僅かな間違いに気附いたと謂う史伝に沿ったもので、「美周郎」と綽名される男前と共に、周瑜と謂う武人を特徴附ける第一の属性である。

この部分、最初の笛の音に調子外れなところがあり、周瑜の調整によって俄然調子が好くなったと謂う演奏上の目配せが強すぎると滑稽になるし、周瑜の並外れた音感の良さが目立たない。かと謂って、常人が気附かないくらいのわずかな狂いであれば、単に周瑜の性格が細かいだけに見えてしまうので、誰も気に留めていなかった笛の音のわずかな調子の狂いが気になって手ずから調整した結果、全軍が束の間聞き惚れるほどの良い音色になったと謂うリアクションを描くことでそのデリカシーを上手く捌いている。

このようにして、優れた音感を持つ音楽家でありロマンティックな心性を抱える人物であることが最初に提示されたことで、このような性格が周瑜の人物像の最も核心に在ることが提示され、次いで老爺の訴えにより赤壁兵士による水牛盗難の一件に話が及び、この一件を周瑜がどう捌くかと謂う流れになる。

ここは軍隊の指揮官としての管理能力を描く流れで、つまりロマンティックな音楽家としての個人性の上層に在る社会的能力の提示である。犯人の沓は泥で汚れているはずだと謂う副官の指摘を受けて、軍規によれば犯人一味は死罪に処されるわけだが、そこで周瑜はわざと全軍に対して泥濘を通過するコースで駆け足を命ずる。咄嗟の機転で事の実否を有耶無耶にしたわけだが、牛飼いに対しては兵糧から水牛を賠償し、賤しい身分の牛飼いに対して司令官自ら頭を下げて謝罪してみせることで、全軍の綱紀を引き締めてみせる。

この場合、犯人を糾明して死罪に処すことが効率的な綱紀粛正の手段ではあって、たとえば劇画版の「墨攻」なんかではもっと非情に見せしめの為の懲罰を描いていて、恐怖と欲望のバランスで極限状況における軍律を維持する方法論を描いているが、この映画ではもっとポジティブなレベルで信念の戦いや意志の力を捉えているので、司令官に人望があればこのような手段もまた甘い処分とは謂えない。

軍規通りなら死罪が相当であると脅かされたところを司令官の機転で救われ、さらにその司令官が当事者たちに代わって監督責任を引き受け、卑賤な身分の牛飼いに謝罪すると謂う不面目を甘んじて受けることで、暗に当事者たちの猛省を促しているのである。

つまり、見せしめの懲罰は兵を集団と視てその恐怖や本能に訴えかけるわけだが、この場合の周瑜の裁量は、個々の兵士の矜恃に訴えているわけである。糞リアリズムで捉えるなら現実的な処分ではないが、この映画の基本的な原理は個人の意志や信念の力を信じると謂うものであり、その意味でリアリティレベルが違うのである。

これをして魯粛は「やり手」と表現するわけだが、その魯粛に対して「このような事件が起こるのは兵糧の不足に起因している」と指摘し、糧秣の追加を要求することでさらに「やり手」としての印象は強化される。

諸葛亮と対面して、諸葛亮が訓練中の陣形を「時代遅れ」と耳打ちしたことを皮肉るに及んで、音感が優れているだけではなく非常に耳の良い人物であることが更めて提示される。この周瑜の耳の良さは勿論音楽家としての性格に付随する属性だが、この後も何度か丁寧に押さえられている要素である。

この「時代遅れ」発言には周瑜もちょっとムッとした様子で、諸葛亮がそれを口にした瞬間に周瑜の目許の動きがインサートされているから、周瑜の諸葛亮に対する第一印象はそれほど好いものではなかったはずである。孫権の場合のように一発で一目惚れと謂う段取りではない。中村獅童演じる猛将甘興も「生意気な若造め」と謂う顔芝居で応じるので、ここは演義の緊張関係を若干受けている描写である。

諸葛亮もここではそれほど気の利いた機転を見せるわけでもなく、甘興の反論を受け流して兵の練度を褒めるなど腹の探り合い的な空気で推移して、この場面の範疇では人蕩しな諸葛亮の本領はそれほど発揮されていない。この限りでは演義の緊張関係を若干和らげて表現したにすぎないわけである。

そこから周瑜の自邸に場面を転換する辺りがこの映画の独自の呼吸で、家令の老人が唐突に「難産!難産!」と叫びながら登場するに及んで、一挙に緊張の呼吸はユーモラスな性格に転換される。この老人の登場で場面は周瑜の自邸に移動するわけだが、ここでは故意に「難産」を周瑜夫人の小喬の身に起こったことだと思わせるミスリードが施されている。

老人がダラダラと愚痴りながら周瑜と諸葛亮を案内しているカットから馬小屋の場面にカットするわけだが、まず最初に小喬のクローズアップから入るので、そこが馬小屋であることは観客には伏せられている。当初は小喬にセリフらしいセリフがないので、クローズアップだけを見せられている段階では、まだ観客は周瑜夫人の出産が難産で母子の命が危険なのだと誤解している。

そこに周瑜と諸葛亮が到着するに及んで引きの絵になり、「難産」の一大事が馬の出産を指すことが明かされるわけで、この一連の流れはやっぱり息の長いギャグとでも謂うべき笑い所なのだが、この映画最大のヒロインである小喬のファーストアピアランスを「産と死」の危機と関連附けて描いたことには注意が必要だろうと思う。

この場面ではユーモラスなトリックとして描いたわけだが、この後実際に小喬が周瑜の子を身籠もっていることが明かされるのだから、この場面の意味性がここだけで消費されると考えるべき理由はない。殊に、この映画の呉宇森はオーセンティックな映画の文法を墨守し、黒澤映画に学んだ割合クラシックな叙述法を駆使しているのだから、これはPart2 まで記憶しておくべき事柄である。

観客はすでに小喬の初登場場面において、彼女の産と死を暗示されたわけで、これが後編においてどのようにアレンジされるにせよ、後の小喬の運命がそれに纏わる形で描かれることが予告されたわけである。

この小喬と謂う役柄は、Part 1の時点ではほぼ内面が描かれていない。この女は周瑜と謂う英雄が護りたいと願う凡庸な家庭的幸福の象徴であり、同時に乱世の奸雄が己の権力欲と綯い交ぜになった激しい欲望に衝き動かされて手に入れたいと望む世界の至宝でもある。その故にか、これほどまでに美しい女がそこに実在すると謂う事実から逆説的に立ち上がってくる或る種の存在の希薄さを漂わせている。

演者の林志玲は、本職の女優ではなく台湾のトップモデルと謂うことだが、ネットに転がっているスチルを視る限り、儚げな傾国の美女の俤は欠片もなくて(笑)何だか無闇に我の強そうな、殺してもただでは死なない逞しいシノワーゼと謂うイメージである。しかし、この役柄を演じる為に必須の絶対条件とは「有無を言わさぬ美女であること」であるから、兎に角容貌で選ぶと謂うのは正しい採用基準だろう。

おそらく小喬と謂う女は、演義巧者な大女優が演じるような特殊な人物ではないのであり、単に類稀な美貌に生まれ附いたと謂うだけの平凡な女性なのであろう。実際、正史でも演義でも、大小二喬の美女それ自体に纏わる劇的なドラマは何も語られていない。

そもそも曹操の小喬に対する欲望自体がこの映画のオリジナル設定であるから、それも当然なのだが、この映画ではトロイ戦争同様にこの美女に対する欲望こそが夥しい血を流して戦われた戦争の元凶であることになっている。それ故に、小喬の役柄に求められる説得力はただ一つであって、一人の才能ある権力者が何十万もの屍山血河を築いてでも手に入れたいと望むような美貌であるか否か、その一点のみである。

それ故に、この映画の林志玲は如何にもCMモデルのような集中的な演技、すなわち数カットの僅かな時間の中で自身の美貌を最大限に演出するようなパフォーマンスを演じているのだし、カメラもまたそのようにして撮っている。であるから、小喬と謂う絶世の美女は、この映画の数十カットの映像の中にしか存在しない幻でもある。

ただし、この人は本邦ではそれほど識られていないが、中華文化圏では絶大な人気を誇る有名人であって、謂わば台湾版のエビちゃんみたいな存在である。CMやTV番組にバンバン露出しているわけだから、中華圏の観客から視れば日頃見慣れた顔が出ているわけで、少し感じ方は違うだろうとは思う。謂わば「恋人にしたいタレントナンバーワン」みたいな存在だから、もう少しカジュアルな感じ方にはなると思う。

さて、最前の場面で少し緊張の走った諸葛亮と周瑜の関係は、この愛馬の難産に対する諸葛亮の適切な処置を介して緩解されることになる。まあ、牛の出産に立ち会ったことがあるから馬も同じようなもんだろうと謂うのは大雑把だが、これは大体そんなもんらしい。

ここで周瑜と諸葛亮の間の緊張は一挙に解けるわけだが、愛馬の命を救ってくれた恩義と謂う感情もあるにはあるだろうが、他人の馬小屋で他人の馬の腹の中に躊躇わず両手を突っ込めるような男を信用しないわけにはいかないだろう(笑)。

周瑜の手は剣や槍を操ったり楽器を奏でることなら秀でているが、愛馬の危機には何をしてやることも出来ない。諸葛亮が子馬を引っ張り出している傍らでまごまごと気を揉んでいる様子から、周瑜には土をいじったり家畜を育てた経験がないように見えるわけだが、これは当たり前の話で、周瑜と謂う人物は名家の生まれのエリート人種である。

対するに諸葛亮もまた生まれは悪くないが、幼時に父母と死別し、後漢末の群雄割拠の世情の中でそれなりに苦労しているらしく、劉備に仕える以前は荊州で晴耕雨読の生活を営んでいる。「晴耕雨読」と謂うからには学問の傍ら一通りの労働もこなしたことだろうし、伝説上では発明家としても識られていて、机上の学問に通じるのみの秀才ではなかった。

幕営地の一件で周瑜が諸葛亮の失言について「青二才のくせに聞いたふうな口を」的な反撥を抱いていたとしても、馬の助産のような地に足の着いた分野で自分にはない知恵を見せられたら、この若い男を見直してしまうのも無理はないだろう。

しかも、どうせ諸葛亮を自邸に招く段取りだったとは謂え、難産のくだりの故に周瑜都合のどさくさで諸葛亮が周瑜邸に入り込む形になり、諸葛亮の知恵と経験が周瑜一家の難事を救ったと謂う見え方になっている。このような流れの故に、諸葛亮が窮めて自然に周瑜の心の中に招き入れられたと謂う見え方になるわけで、この段取りは割合劇的な工夫が凝らされていると言えるだろう。

そして、それに次ぐのが周瑜のホームグラウンドである琴の合奏であるが、これは文字通り琴瑟相和すのくだりである。同盟の要請に関しては言葉でのやりとりを一旦は拒んでおいて、「こいつで来い」と謂うのだから、「おまえの腹の内をみてやる」の含意である。ただ、この部分は手法的にそんなに巧いところがないので、剰り印象的な場面にはなっていない。

ここで演奏される琴の合奏が何となくフリージャズの掛け合いっぽいのは、リアリズムで考えてはいけないのだろうし、中国の古楽曲に知識があるわけでもないが、楽曲を聴く限りでは、無言の裡に演奏を介して激しくぶつかり合っていると謂う印象はあまり感じなかった。この場面の撮り方繋ぎ方もなんだか意味不明で、割合重要な描写であるにもかかわらず、本編中でもここだけはあんまり感心しなかった。

どうも、ディゾルブとストップモーションの畳み掛けと謂う技法の選択に雰囲気と謂う以上の意味がなかったのがわかりにくさに繋がっていると思う。現状の見え方だと演奏する周瑜の横顔に燭台の炎が幾重にも神秘的にオーヴァーラップする絵面になって、そこに諸葛亮や魯粛、小喬のストップモーションが順番に切り返される段取りになっていて、これだと三人が周瑜の演奏に聴き入っていると謂う印象の組み立てになるのだが、この場面で描かれているのは周瑜と諸葛亮の対話のはずである。

お誂え向きに、周瑜の本心を察する者として小喬が、諸葛亮の真意をすでに識る者として魯粛がいるのだから、周瑜と諸葛亮の演奏合戦にこの二人がリアクションすると謂う見え方でないと後の芝居に繋がらないと思うのだが、周瑜とそれ以外の三人と謂う組み合わせではまさに平仄が合わない。諸葛亮と周瑜が言外のコミュニケーションで激しくやり合っていると謂うような印象をまったく感じないのである。

当然、言外のコミュニケーションと謂う曖昧なものを絵にするのが難しいのは当たり前ではあるのだが、そこを絵で表現するのが映画だろう。どうもここのくだりは楽曲の組み立ても雄弁ではないし、撮り方繋ぎ方がそれを補っているわけでもなくて、全体に凡庸な出来になっていると思う。何より、こっちが本職のはずの周瑜がそれほどの名人上手に見えないのがかなり大きな減点ポイントである(笑)。

ここが仮に「七剣」なんかの川井憲次だったら、もう少し拘りまくって諸葛亮と周遊の合奏による相聞を音楽の物語性でドラマティックに盛り上げてくれたのではないかと想像するが、ここは音楽の岩代太郎の責任もあると思う。


●血河の対価

とまれ、この合奏によって周瑜と諸葛亮の間の信頼関係は確立され、志を同じうする朋友を求める諸葛亮の呼び掛けに対し、周瑜が抗戦を肯定することで二人の間の対話は完了するのだが、以前語った通り周瑜の胸の裡にはすでに抗戦を望む気持ちはあったのである。それ故に、最初から論点はそれを孫権に勧めるか否かである。

この映画においては、大前提として曹操の支配は悪であるから、問題は悪の支配に抗するか否かと謂う形に単純化されるのであり、抗戦是か否かと謂う問題もそれに応じて単純化された設問として突き附けられている。つまり、政略や勝算の観点から考えれば降伏するのが妥当なのであり、劉備と孫権が同盟すれば曹操に対抗可能だとか、それが政略上有利であるとか謂う問題ではないのである。

両軍が同盟しても圧倒的に不利な状況は変わらないのだし、この決戦後の政略の観点から抗戦・不戦が論じられているわけではない。一度戦えば夥しい人命が損なわれ多くの血が流されるのだし、それは不利な状況における戦争では尚更である。われわれはどうしても主人公である諸葛亮や周瑜の側に立って抗戦を絶対正義と考えがちであるが、或る理想の為に不利な条件下で多くの犠牲を伴う戦いを戦うことが本当に正しいことなのか、それが問われているのである。

それはもう、戦わなければ映画にならないのだから戦うと謂う結論ありきなのだが、その戦いには戦うだけの価値があるのかと謂う問題である。

歴史的な観点から考えれば、赤壁の戦いは別段正義の戦いでも何でもない。魏の視点からすれば天下統一のプロセスが停頓し三国鼎立を招いた大失地と謂うだけのことだし、蜀漢の視点からすれば建国の好機となった大勝利だし、孫呉の視点からすれば魏との外交戦略上の転換点なのであって、それは徹底的に為政者都合の政略の問題でしかない。

曹魏はこの映画で描かれたような悪の軍団ではなかったのだし、曹操は悪逆非道な暴君ではなかった、従って曹操の支配に下ることは不正義では在り得なかった。劉備が集めた人望を劉禅は国家盤石の礎と成し得なかったのだし、孫権もまた長期に亘って孫呉の繁栄を築いたとは謂え晩年は耄碌して失政を重ね国力を損なった。

これが曹魏の歴史に比べて如何ばかりマシなものと謂えるか、つまりは国家的勢力間の闘争に正義も悪もないのであって、歴史とは常にそう謂うものである。本来、抗戦か降伏かと謂う問題は観念論ではなく実態論で論ずべき事柄である。

しかし、この映画ではそこをごく単純化して論点を一点に絞っている。すなわち、強大な権力悪に対して戦うべきなのか屈するべきなのか、と謂う問題である。これは、中国人であり香港の貧民街の出身である呉宇森と、平和な日本で生まれ育ったわれわれとは感覚の違う部分もあるだろうが、呉宇森はこの映画における曹操が悪である理由を窮めて単純化して提示している。

曹操は他人の幸福を暴力で奪い取り、他人の心を隷属させようと欲する、それは絶対的な悪なのであり、たとえ勝てなくても、たとえ夥しい血を流してでも、最後まで戦い抜くべき相手なのである。その悪は、曹操の行ったことではなく、曹操の心理に即して提示される微妙なものである。

たとえば曹操は超雲・関羽の勇猛を正当に評価しながら、それを力で奪い取って我が物とし、彼らを自身に隷属せしめたいと独語ちた。たとえば曹操はトロイのヘレネーにも擬すべき傾国の美女である小喬を我が物にせんと望み、周瑜と小喬の平凡な家庭的幸福を蹂躙したいと望んでいる。曹操の行ったことが悪なのではなく、それをこのように他者の自由と尊厳を蹂躙する強大な権力の動機において行うことこそが悪なのである。

であるから、諸葛亮が提示する同盟の呼び掛けは、孫呉が協力してくれれば曹操に勝てると謂う提案ではなく、立場を同じくする者同士が共に手を携えて悪と戦うべきだと謂う提案である。その大義は平和で豊かな孫呉を戦乱に巻き込む傍迷惑な観念でしかないが、不正義の下での偽りの平和を享受するのか、人としての尊厳を望むのか、そう謂う問題に単純化されている。

これは近代的な具体の観点で視るべき問題ではなく、窮めて普遍的な観念論だと謂うことであり、そして中国四千年の歴史の中でそのような理想が実現されたことが一度たりともないと謂う事実を鑑みれば、窮めて現実的な問題でもある。

諸葛亮の言外の呼び掛けに対して周瑜は「戦うべきだ」と応え、主君の孫権に対して抗戦を働き掛けることになるが、ここは字幕上で視ると会話が成立していない。「友が欲しい」「戦うべきだ」では会話として噛み合っていないだろう。ここは、翻訳では原意が酌み取れていない言外の意味があると視るべきである。

字幕では諸葛亮の呼び掛けを「友が欲しい」と表記しているが、この場合の「友」の原語とは勿論「朋友」であり、そのくらいならオレでも聴き取れる。戦後の流行語で「ポン友」と謂う言葉があったが、これはこの朋友のことで、日本語の「親友」よりはもっと「義兄弟」に近く、「刎頸の交わり」とか「死命を共にする」と謂うニュアンスの伴う深い契りを意味する言葉である。

つまり、ここで言われているのは「呉の協力があれば戦えます」とか「わが軍を助けてください」謂う意味のことではない。何がどうあろうと劉備軍は曹操の悪と最期まで戦い抜くけれど、同じ志の下に悪と戦う仲間が欲しい、同じ正義を信じる朋友が欲しいと謂うことを言っているのである。だとすれば、やはり論点は「戦いの意義」に収斂するのであり、諸葛亮はこの戦いには血を流すだけの意味があると信じている。だから、この呼び掛けに対する答えは、その戦いに意義を認めるか否かである。

オレの北京官話の知識は算えるほどの単語レベルのものでしかないし、ヒアリングによる文章の読解などハナから不可能だから(笑)、周瑜の答えの主語が何であるのかはわからない。しかし、周瑜の答えが「戦うべきだ」と謂うものなら、彼はこの戦いの意義を認めたわけである。

これはバランスの問題であり、周瑜は諸葛亮の到来以前から抗戦こそが正義であると考えていたが、その正義に血を流すだけの価値があるかどうか、そこを踏み切れずにいたのだと視るべきだろう。人間の尊厳や自由が、血を流してまで戦い取られるべきものであるかどうか、そこが拮抗していたのだと視るべきだ。

たとえば、ここで劉備軍が曹操軍に降伏していたら、孫呉が降伏していたらどうだったかを考えれば、おそらく流される血は最小限で済むはずである。劇中では曹操が敗軍の兵士の鼻を削ぎ夥しい数の鼻を箱詰めにして敵将に送り附けたエピソードが語られているが、それは曹操の嗜虐性を示すものではなく、戦意を挫く為のパフォーマンスであることも指摘されている。

死をも畏れぬ勇猛果敢な相手でも、生きて辱めを受けるリスクは恐ろしい。だから敗戦のリスクを強調して恫喝し、相手をゲームから降ろすと謂う戦略であり、これはこれで流血を少なく抑える戦略ではあるだろう。曹操は関羽や趙雲の勇猛を正当に評価するだけの度量があるのだから、劉備たちが降伏しさえすれば、民衆も兵士も殺されずに済むに違いない。それは孫呉についても同様である。だから周瑜はどちらとも決することが出来なかったのである。

理想の為に死すとも悔いない身軽な若者である諸葛亮とは違って、周瑜には護るべき愛しい家族がある。それは周瑜だけの事情ではなく誰でもそうなのであって、誰だって無用な血は流したくないのが当たり前なのである。降伏すれば平和が得られるのなら、誰も進んで戦いたくはないのである。

ただ、それは不正義の下で与えられた平和を享受する姿勢ではある。その平和を受け容れるのか、すなわち不正義を認めるのか否か、問題はそこなのであり、遙かに大きなリスクを冒してでもその不正義は打倒されるべきなのか、そこが問われている。それに対して、諸葛亮も周瑜も共に戦うべきだと謂う結論を下した、そう謂う機微なのである。

これは、たとえば小喬が生まれてきた仔馬を軍馬にはしないで欲しいと望むことや、生まれてくる我が子の名を考える際に「平和」と何度も書いてみる、そのような描写として押さえられている。周瑜の子を胎内に宿した小喬は、本音の部分では戦いを拒んでいる。争いがなくなれば好いと願っている。男たちの戦で犠牲に供されるのは、常に弱い女や子供なのである。

しかし、この戦を起こした曹操の秘められた真の望みとはその小喬を奪い取ることであると謂う皮肉な設定になっていて、戦わなければ小喬は周瑜から引き離され、曹操に奪い取られてしまうのだし、おそらく周瑜の子も生きながらえることは叶わないだろう。小喬が守りたいと望んでいる平凡な家庭的幸福、それは直接曹操の悪の在り方と対置して語られているのだし、それは戦い取られない限り、護ることは出来ないのである。

ただ、そのことは現時点の周瑜の識るところではない。だからそれは無私の動機なのであり、非道が罷り通ってはならない、自分一個の利己的安寧を図ってはならないと信じる理念が、流血を厭う感情よりも意義があると感じているのである。そして、最後半で曹操の真の目的を識らされた観客は、利他の戦いは回り回って己が身の問題でもあることを識らされるわけである。

まさしく、この戦いは戦われるだけの価値があるのだ。

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コメント

さて、別の映画を観に行ったこともあって若干間が空いたが、特段他の方からの指摘も入らないので、自前で落ち穂を拾っていくとしよう。第三回はここである。

>>中村獅童演じる猛将甘興も「生意気な若造め」と謂う顔芝居で応じるので、ここは演義の緊張関係を若干受けている描写である。

この役柄は本来「甘寧」でなければならない。孫呉の武将の中でも「呉に甘寧あり」と謳われるほどの勇猛さと知略、また決して恩義を忘れない義理堅さで識られ、赤壁以降も大活躍する英雄だが、中村獅童の演じる役柄がこの甘寧であることは、劇中で「水賊上がり」と説明される来歴を視ても間違いない。

正史によれば、元々若い頃から侠客肌で無頼の徒を何百人も集めて威勢を誇り、地域の役人に金品をせびる代わりに治安維持や犯罪摘発に貢献したと謂うから、日本の侠客とほぼ同じような位置附けである。乱世に思うところあったのか、一念発起して勉強し武将として売り出したわけだが、思うように認められず、最終的には孫呉に身を寄せた。

周瑜と呂蒙と謂う信用ある武将の口利きで孫権から認められ、以後は孫呉の為に献身的に活躍したが、孫呉に降る直前は孫家の宿敵である劉表麾下の黄祖の下で働いていた。しかし、黄祖は侠客上がりの甘寧を信用せず冷遇したので、或る人の口利きで孫呉に逃亡したわけである。この黄祖と謂う人物は、孫策・孫権兄弟の父である孫堅を殺した仇に当たる人で、実は赤壁以前から何度も孫呉と交戦している。

この映画ではその辺の細かい事情はバッサリ端折っている、と謂うか劉表の一族は一切存在しないかのような扱いなので、従って荊州の要衝を護る黄祖との小競り合いなどは描かれない。この辺を細かくほじくり始めると、この映画の孫権像が破綻してしまうので、ほぼ「なかったこと」同然の扱いになっている。

孫呉における甘寧の売り出しは、黄祖軍を出奔して孫呉に降り、赤壁直前の戦闘で呉軍が黄祖軍に勝利した際の活躍が振り出しで、演義の記述では甘寧が黄祖を討ち取ったことになっているが、実際には一兵卒に討ち果たされたものである。黄祖に冷遇され孫呉に帰順したと謂う因縁を持つ甘寧が討ち取ったことにしたほうが劇的だからそのように脚色しているわけだが、そう謂う次第で、甘寧の身許をあんまりほじくるとこの映画ではオミットしたい面倒な脇筋が出てくるわけである。

人柄としては、劇中でも「気に入らない奴はすぐ殺す」と謂うような芳しからざる紹介が為されているが、実際、出自が出自であるだけに勇み肌の殺伐とした部分のある張飛タイプの人物だったらしく、些細な失敗を犯した部下をポンポン処刑したので、彼を推挙した呂蒙に度々厳しく譴責されている。ただ、任侠の気質も併せ持っていて部下からの信望も篤く、無闇に下に苛酷な性格でもなかった。一度受けた恩義を忘れない義理堅いところもあって、武将としては優秀だったそうである。

そう謂えば、この映画では周瑜と並ぶ孫呉トップクラスの猛将である呂蒙も「いないこと」にされているが(笑)、これはまあ周瑜を立てる為のリストラだろう。強力な軍閥政権である孫呉には、当然優秀な武将が多数いたけれど、それを全部出していたら相対的に周瑜の重要性が軽くなる。なので呂蒙クラスの有名人は割愛しているわけだが、黄祖も呂蒙も存在しない三国志世界において赤壁の活躍だけを描かれる甘寧と謂うのも、甚だ微妙な存在である。

当初は、そう謂う脚色の事情もありつつ、且つまた「オール中国人キャスト」を理想とするこの映画で唯一の日本人キャストであり、さらに少しキャラを膨らませ過ぎたからさすがに原典の登場人物そのままを名乗らせるわけにも行かない、それ故に敢えて諱を変えて別人に仕立てたのだろう、と思っていたのだが…

ちょっとPart 2のネタバレを目にしたら、別の事情があったものらしい。

これについては、いくらなんでも今説明するわけにはいかないので、Part 2公開後にまた更めて触れる機会もあるだろう。詳細を御存知の方がいても、ネタバレは書き込まないで戴きたい(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2009年2月13日 (金曜日) 午前 09時34分

セルフツッコミだが。

>>且つまた「オール中国人キャスト」を理想とするこの映画で唯一の日本人キャストであり

…いや、勿論金城武も日本人だが、専ら中華文化圏で活躍する俳優だけに、中華文化圏の見方では日本人俳優と謂う意識は薄いんじゃないかと。

投稿: 黒猫亭 | 2009年2月13日 (金曜日) 午前 11時56分

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