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2009年2月 4日 (水曜日)

赤壁はなぜ赫い 第二夜

第二回は、新野城から夏口まで、つまり劉備軍ボロ負けのくだりから天下三分の計までを語らせて戴く。ここまでで漸く物語の状況提示部が終わる。趙雲大活躍するも美味しいところを関公が攫う。張飛、長坂なのに見せ場なし(笑)。


●ただ、未来の為に

「この調子だと一四五分視ていくのにどれだけ掛かるんだ」と懸念されたあなた、ご安心あれ、オレの映画レビューはおおむねファーストシーンやアヴァンタイトルの解析が一番長いのが通例である(笑)。大概の映画では、そこに作品のすべての特徴が顕れていることが多いからであり、限界ある記憶力で何処か限定して正確且つ刻銘に記憶しておくなら最初の数分間が望ましいと考えているからである。

二回観たとは謂え、さすがにこの長尺の映画の一四五分間に亘る数万カットもの映像やその組み立てをすべて記憶出来るほどの超人ではないから(笑)、後はどんどんアッサリめになっていく。

さて、そう謂う次第で、本編の視点は許都の遣り取りから窮めてスピーディーに新野からの逃走に繋がるわけだが、このくだりには劉ソウや劉キなどの劉表の一族は一人も出て来ないので、何の予備知識もないと荊州には最初から劉備の勢力しか存在しなかったように見えるが、そうすると、劉備の軍に難民化した数十万の民衆が随伴している意味がよくわからない。

普通に考えると、劉備の領地の民衆が劉備を慕って敗将の劉備に追随してきたように見えるのだが、正史でも演義でもこれは元々劉表の領地の領民で、劉表歿後に後を嗣いだ劉ソウがあっさり曹操に降伏したので、曹操への降伏を潔しとしない劉備が再起を図って南方に逃れようとするのに荊州の民衆が附いてきたと謂うことになる。

つまり、元々劉備の直接統治下にあったわけでもない民衆が、曹操の支配を嫌い劉備の徳を慕うが故に敗軍に附いてきたと謂う形になるから、劉備は「見捨てて逃げるわけにはいかない」と言っているわけである。

因みに、劉表と劉備は共に劉姓だが、一般的な意味での近い親類縁者と謂うわけではなく、「劉姓だから同族だ」と謂う程度の間柄であり、劉表の後継争いで候補視されるほどの血縁的な関係性はない。同姓間の婚姻は禁じられていたから、一族視はされていたわけだが、直接的な血縁関係にはないわけである。だから、民衆が劉備に附いてきたのは、劉家の後継争いとは無関係に単に劉備の人徳に惹かれたからだと謂うことになる。

それに対して諸葛亮が「民衆は殺されません」と言うのは、古代の戦争における占領政策一般として、非戦闘員を皆殺しにするようなことはしないわけで、土地のマンパワーを労働力として確保しないと折角肥沃な土地を占領しても意味がないのだから、民衆を棄てて逃げても殺されることまではないと言っているわけである。これは、戦略的な判断としては正論と謂えるだろう。

ただまあ、曹操の支配を厭い劉備を慕って追従したと謂うことになれば、全員ではないにしろ見せしめの為の処分者は出るだろうし、劉備にとってこの民衆は自身が向後独立して覇を争う場面で国の民として礎になるべき人々だから、彼らの意志を無視して曹操の前に棄てていくことは出来ないと謂うことになる。

いずれにせよ、赤壁後の劉備は荊州と益州を獲ってその地に蜀漢を建てるのだから、荊州の民衆を彼らの意志に反して魏の支配に任せるのは得策ではないわけで、そう謂うことを繰り返していると、いつまで経っても自分の民は持てないと謂う考えにも為政者としては一理はある。

一方、劉備が臥龍・諸葛亮を配下に得たのはこの劉表麾下の荊州時代で、長坂の戦いから軍師諸葛亮が縦横無尽に兵法を駆使していくわけだから、演義における新野城のくだりでも、空計で一旦曹操軍を撃退するなど目覚ましい活躍をしているし、長坂の戦いと謂えば張飛の見せ場で、得意の大音声で一万の曹操軍を戦わずして斥けているのだが、この辺はバッサリ省略されている。

長坂の戦いを中心とした、新野〜夏口に至る流れの核に据えられているのは、基本的に趙雲一騎駆けのエピソードである。このシーケンスでフィーチャーされているのはこの趙雲であり、曹操軍に蹂躙された新野の城壁上で、魏兵に斬り伏せられながら劉備軍の兵士が死力を振り絞って投げ降ろした軍旗を、騎乗の趙雲が発止と受け止めて駆け抜けるところから一連の獅子奮迅の活躍に繋がっていく。

許昌のくだりが「悪の巨魁」である曹操サイドの事情を紹介するものなら、この長坂の戦いのくだりは「正義の味方」である劉備サイドの事情を紹介するものである。このくだりは、曹操の悪に対置される劉備の正義と関張趙三将の勇猛、そして諸葛亮の献策する天下三分の計を描くもので、就中趙雲の活躍が際立っている。

主人公劉備とは桃園の義兄弟である関張の二将は、容貌も魁偉で化け物じみた国士無双の超人であるが、趙雲はそう謂う意味では化け物と謂うより卓越した武人としてのプロフェッショナルな強さが描かれている。

なので、関羽と張飛よりも趙雲は身体の動く役者が演じなければならない。つまり関張のような無敵の超人ではないからこそ、手に汗握る縦横無尽のアクションを演じる必要があるわけである。この場面では、当然趙雲を演じる胡軍が抜群に好い。堂々たる体躯と達者なアクションもさりながら格闘中の表情が仁王のような力強さで、その表情をスローモーションの分析的に引き延ばされたショットが刻銘に映し出す。

以前のエントリで「貰っても有り難くない姓」と暴言を吐いた胡姓であるが(笑)、この人は人種的には満州族と謂うことになるそうで、有名な芸能一家の出らしい。日本で一部のマニア以外の間にも顔が識られるようになったのは、中央電視台制作の一連の金庸武侠ドラマの一本「天龍八部」の蕭峯役からだが、これは中華文化圏でもそれほど事情は変わらないらしい。

落城する新野から軍旗を救い出した趙雲は旗竿を揮って敵を打ち据え、敵中を突破して一路劉備の許へと向かうのだが、この旗竿を使ったアクションとシンボルとしての軍旗の扱いは、この後も全編を通して頻出する描写である。

おそらくこの辺の「翻る旗」の象徴性はモロに黒澤作品からの映画的引用で、流石に黒澤は旗竿で敵を打擲するようなアクションは用いなかったが(笑)、初期の蓮實映画論では「翻る布」が重要なショットとして扱われ、就中「黒澤における旗」と謂うのは重要なモチーフとして語られている。そして、呉宇森のアクション映画では、屡々トレードマーク的に「スローモーションで翻るコート」と謂う、一見無意味な美しいショットが画面上に顕れるが、これはおそらく「翻る布」「黒澤における旗」の延長上のショットなのかもしれないと思わせる。

冒頭でチラッと触れたように、オレは実際に映画を観る前はさぞかし武将のマントが盛大に翻っていることだろうと予想したのだが(笑)、実際に翻っていたのは荒野に翩翻と棚引く軍旗であった。この作品によって呉宇森映画における「翻る布」の象徴性が大分ハッキリしたと思うのだが、それは要するに旗を原イメージとして持っているのではないかと謂うことである。

そこを明示する意図は呉宇森にもあったのではないか、と謂うのは、前述の通り少し中華武侠片や軍記物の映像化作品に知識があれば、中国の武将と謂えば甲冑の上で格好良く翻る色鮮やかなマント、と謂うイメージを誰しも持っているはずだし、それを呉宇森が撮るのであれば、さぞかし格好良い映像が撮れているだろうと予想するだろうが、そのようなショットは殆ど画面上に顕れないからである。

実際、軍旗を劉備の許に届けた後、甘糜二夫人の危難を耳にした趙雲は直ちに取って返し、決死の一騎駆けで再び敵中を突破し劉備の嗣子阿斗を救出するわけだが、その際に自分のマントで赤子をくるんで甲冑の背に負うわけで、つまり翻るべきマントが動きを封印されてしまうのである。この題材を得て、本来翻るべき「旗」がついに前面に顕れたのだから、その代替表現である男の衣裳が翻る必要などはないと謂うことだろう。

このシーケンスにおける趙雲は、絶望的な敗走の直中で、一旦敵中に捨て置かれた劉備たちにとって重要な義の象徴を命を賭けて奪還する役回りを振られている。軍旗は劉備の理想の象徴であり、阿斗は劉備がもたらす未来の象徴である。実際に劉玄徳と謂う人物にそれほどの実力や威徳があったかどうかは問題ではない。劉軍の旗の下に集う男たちは、劉玄徳と謂う一人の人物にそのような理想や未来を夢みて、その夢を強く信じたと謂うことである。

この趙雲の獅子奮迅の活躍を描くシーケンスが美しいのは、息詰まるような激しいアクションの釣瓶打ちによって、そのような王道楽土の理想を信じた男たちの心映えが端的に描かれているからで、何度観ても涙ぐむほどに美しい。

勿論この映画は三国志の史実を識らなくても十分に楽しめるけれど、このときに趙雲が命懸けで奪還したものが、男たちの滅びと共に儚く費えると謂う結末を識り、その滅亡に際して阿斗が果たした役割を予め識っていれば、この趙雲の赫燿たる奮戦を描く一連が比類なく美しいものとして見えてくる。

史実上の蜀漢王朝の理想は、桃園の義兄弟たちの歿後諸葛亮によって引き継がれ、ついに彼が陣没すると、程なく阿斗(長じて劉禅)によって魏に屈するのである。

この場面は、前段で述べたような「原典に対する予備知識を持つ観客とそうでない観客に対するダブルトーク」がデリケートに扱われている部分でもあり、当然正史や演義を識らなくても、スリリングな一編の冒険行として成立している。滅びの結末を予め識らなくても、義の象徴としての軍旗の象徴性を見誤る観客はいないのだし、救い出された赤子が自らを救出した武将の決死行など識らぬ顔でおくびを漏らすショットは、冒険譚の平和なエピローグとして機能している。

そして、一度めは理想の象徴としての軍旗を奪還した趙雲が、再度未来の象徴である阿斗を奪還することは、その結末を識らなくても見誤りようのないベタな意味性を強力に言い切っているが、中華文化圏で共有されている三国志の知識に則って結末から遡って視れば、一度は奪還した理想が二度目に奪還した未来によって虚しく裏切られる結末がそこに暗示されているのである。

母たちの死や趙雲の奮戦をまったく識らぬ気に暢気におくびを漏らす赤子は、長じた後もそのような暢気な人物として、父とその盟友たちが血の犠牲で勝ち取った理想と引き替えに、ただ己一人の安楽な余生を得るのである。

一方、重傷を負った糜夫人が趙雲の足手纏いになることを潔しとせず、阿斗を託した後に古井戸に身を投げるくだりは演義の記事にあるが、映画では甘糜の区別がどうもわかりにくい。阿斗は史実上は甘夫人の実子であるから、映画で井戸に身を投げたのが演義の記述通り糜夫人であれば、実は阿斗は彼女の実子ではないのだが、この辺は敢えて有耶無耶に描いたのかもしれないと思う。

つまり、何も識らずに普通に映画を観ていると、このくだりは母親が自分の子を落ち延びさせる為の自己犠牲として井戸に身を投げたように見えるからである。演義の記事通りなら、第一夫人が第二夫人の生んだ子を逃がす為に自害したと謂う、ちょっと複雑な話になるし、母子の情愛ではなく忠節のような少し抽象的な観念が立ち上がってくる。

そこを甘糜の区別を有耶無耶に描くことによって、予備知識のない観客にはシンプルな情愛の意味性に見えるように描いているわけである。或る意味、演義の記事通りでも大きく括れば同じ意味になるのだから、そこを有耶無耶に描いたとしても何処も不都合はないのである。

趙雲が赤子をマントにくるんで背に負うのはこの投身の直後で、子の為に自滅した母を救い得なかった趙雲が、せめてもとばかりに確と赤子を背に括り附け、迫る敵兵を睨み据えながら負うた幼君に「行きますぞ」と声を掛けるくだり、ここはもう中華文化圏の人ならガツンと胸を衝かれるところだろう。

下司の後知恵で謂うなら、劉禅の阿斗は彼らが命を賭けて救うだけの値打ちのある未来ではなかった。彼がもたらす未来は行き止まりの未来なのだが、神ならぬ身の人間はやはり未来を信じて命を賭けるのだし、この対比はとても辛く、そして美しい。

しかし大方の三国志通は、ついに趙雲が劉備の軍に追い着いた際に、敵兵の槍が阿斗を包んだマントを弾き飛ばした瞬間、

「ここで趙雲が転んでいたら、蜀漢王朝は…」

…とか呟いちゃうらしい(笑)。いや、それも人間の痴愚心ではあるが。

たしかに、諸葛一族が蜀漢を嗣いでいたらもう少し長持ちしたかもしれないし、劉備自身もそうしろと遺言していたわけだが、それじゃ美しくないよなぁ(笑)。正閏問題で後世に支持されることもなかっただろうし、そうすると演義的な蜀漢贔屓の正史解釈自体が成立しなかった可能性もあるわけで。

つか、劉禅のキャラを考えると、あそこで趙雲が受け止めなくても平然と生きているような気がする(笑)


●男たちの旗

一方、曹操軍の追っ手は張飛の率いる一隊が引き受け、諸葛亮の授けた反射光の計で劉備が落ち延びる時間を稼ぐわけだが、前述の通りたしかに張飛は史実でも長坂の戦いで一旦曹操軍を斥けていて、驚くべきことに正史ですら張飛が大音声のハッタリだけで曹操軍を圧倒したと書いている。稗史ではここに諸葛亮の神機が加わって、ボロ負けしたくせに劉備軍の鬼神の如き底力を強調している。

さらに、正史稗史共に、最初は「民衆を棄ててはいけない」とゴネていた劉備が、最終的には進言を容れて民衆は疎か妻子まで棄てて逃げたと記述しているが、映画では劉備の人物像がブレてしまうのでそこは有耶無耶である。寧ろ己の妻子を措いても己に従う民衆を最後まで見捨てず、張飛の一隊の時間稼ぎも民衆を逃がす為の血の犠牲であるかのように描いて、劉備の人徳を揺るぎのないものとして描いている。

趙雲の奮戦を目にした曹操が、例の人材収集マニアな一面を覗かせて興味を持ち「ああいう猛将が欲しいものだ」と「なんでもほしがるマミちゃん」ぶりを発揮するが、ここでは権力者である曹操も羨むような国士無双の優れた人材が、ただ劉備の人徳を慕うが故に無償の赤誠を以て寄り集うのであることを強調している。

ただし、正史では陳寿の蜀漢贔屓の故に実態以上に劉備を重んじ、演義では正面から劉備を主人公として描いているとは謂え、三国志の主役は実は劉備ではない。三国志を物語として視た場合、劉備には主役としての能動的役割が殆どないわけで、綺羅星の如き英雄豪傑たちに慕われる人徳のみが取り柄の人物と謂えるだろうし、それはこの映画においても同様である。

英雄豪傑たちは劉備の人徳を慕い、その高潔な人柄に理想や未来への夢をみる。劉備はそのような視線の集中する対象と謂う位置附けに置かれる人物であり、その人徳や人柄が具体的にどうであるかと謂うのは、実はそれほど大きな問題ではない。

実際には、酒色に溺れたり優柔不断だったりと、「何処が人格者なのか」と疑問を感じるような記述が多いのだが(笑)、三国志は劉備に夢を託した英雄豪傑たちの銘々伝であり、そして呉宇森版三国志において中心的な関心の対象は、劉備サイドの英雄ではなく孫呉の周瑜なのである。

この長坂のくだりでは、一応は劉備麾下の関張趙三将の活躍が華々しく描かれてはいるのだが、劉備も含めてその人格に立ち入った描写は少ない。趙雲のもたらす強烈な印象は、その行動によるものであって、趙雲その人の人格と謂うのはほぼ描かれることはない。同様に、関羽や張飛もほぼ物語の中で重要な機能を与えられておらず、戦場における鬼神の如き働きを描かれるばかりで、申し訳程度の芝居場しか与えられていない。

彼らは中国人一般に共有されているイメージの埒内で忠実に映像化された伝説的な英雄の肖像であり、人格に立ち入った物語性ではなく、その行動によって象徴的に内面を明かすのみであり、それはこの作品の主軸となる内面ドラマに直接の関係はない。

たとえば、劉備たちと民衆を落とす為に兵士たちが文字通り血の犠牲を払い、孤軍奮闘する関羽がついに取り押さえられるくだり、勝利を確信して油断した曹操の背後から関羽が猛然と青龍偃月刀を放ち、寸前で抑えることで曹操の肝を冷やすわけだが、この行動によって悪辣な敵といえども背後から仕留めるような卑怯な真似はしない関羽の誇り高い武人気質を描いている。

さらに得物を手放して雑兵に取り押さえられ、「丞相に跪け」とひかがみを打たれながらびくともせず決して膝を屈することのないプライドの高さ、そして馬蹄に踏みにじられ泥にまみれた軍旗を目にして果然憤り、体当たりで軍馬を押し倒して軍旗を取り戻すことで、理想に対する信念や劉備に対する絶対の忠誠と謂ったものを描いているが、これはこの映画の主軸となる内面ドラマとは直接の関係はない。

これは、中華文化圏において関羽として識られる英雄像の端的な要約であり、そしてこの場面で曹操が関羽を見逃がすのは、史実では長坂以前にあった関羽と曹操の因縁を脚色して再演するものだろう。この映画内で描かれる時間軸の遙か以前に出来した関係性ではあるが、それが赤壁の戦いの結末に直接影響してくる為に、曹操と関羽の間に貸借関係を設けておく必要があったから、この場面は描かれているのだろう。

予備知識がないと、この映画では曹操と関羽は恰もこのときが初対面であるかのようにも見えるが、実は関羽は過去に曹操麾下で将軍として働いた時期がある。それは捕虜となった関羽の武勇を曹操が見込んで手厚く遇したからであり、関羽には曹操に対して命を救われ厚遇されたと謂う大きな恩義がある。

この因縁が赤壁の戦いにも大きく影響してくるのだが、大分前に語ったように、この映画では映画内ですべての要素を言い切っておく必要がある為に、その過去と矛盾しない形で新たに曹操と関羽の間に貸借関係を設けているわけである。

つまり、ここでもダブルトークのアレンジが施されているのであって、この場面を視る限り、関羽と曹操の間に面識があると視てもないと視ても何となく通じるような見え方になっていて、しかもこの場面を設けることで、後に関羽と曹操の間の貸借関係が表面化する場面で、史実上の昔の因縁のことだともこの場面のことだとも解釈の余地が出来るわけである(まあ、これはPart.2を観てみないとわからないが、おそらくそう謂う意図に基づく伏線であるとオレは視ている)。

ここでは「関羽と謂う英雄像」の要約が描かれているのみで、関羽によってドラマが動くわけではない。そして、この要約された人物像の中には後の関羽の末路までが暗示されているわけで、決して敵前に膝を折らないそのプライドの高さこそが彼を滅びへと誘うのだが、それは原典を識っている観客だけが感得すべき感慨で、この映画の埒内でしか彼を識らない観客には関係のない事柄である。

ただ、この場面が鮮やかにドラマティックであり、脚色の犠牲となって地味な役回りを振られた張飛を除く関羽と趙雲の活躍が忘れ難い印象を残すのは、それが旗を巡る運動性に貫かれているからである。

すでに趙雲一騎駆けのくだりで述べたことだが、この映画においては旗の持つ象徴性が特権的な位置附けに置かれている。呉宇森映画で男たちの背後に翻っていたのは、彼らの理想や信念や絆と謂う、言葉にすれば陳腐な諸々の想いが籠められた男たちの旗なのである。

この映画でも、瀕死の兵士が託した軍旗を趙雲が持ち帰り、殿軍の一隊が瓦解するに及んで馬蹄に掛けられ泥にまみれた軍旗を再度関羽が奪還し、誇らかに掲げて劉備の許へと駆け戻る。ここはやはり映画的なカタルシスに溢れているが、その為にエモーションを高める映画的な計算が効いている。

この場面の直前に劉備軍の兵士たちが虐殺される場面が描かれており、背後に民衆の列を置き兵士たちが彼らの楯となって曹操軍の槍に貫かれると謂うわかりやすい構図を描いているが、ローポジハイアングルのアオリの構図で捉えた逆光の中で行われる虐殺のショットに文字通り血の雨を降らせている。

米国市場におけるレイティングの関係だとは思うが、この映画では人体を損なう描写と流血の描写は必ず分けて描かれていて、残虐な描写を逆光で処理する手法は、後に宣戦布告した孫呉の使者の生首を掲げるシーンでも用いられているが、許昌のくだりで孔融の首を撥ねる場面では流血だけが画面上に出ている。つまり、あの場面では血飛沫が曹操の軍旗に掛かると謂う形で場面を飛ばしている関係から画面上に血を出しているわけで、血を出したから直接的な残虐描写が描かれていないわけである。

そして、この場面において劉備軍の兵士が次々と刺し殺される描写と似たような描き方として、クライマックスの戦闘で曹操軍の兵士が八卦の陣で虐殺される描写があるが、後者ではそのまま順光で撮っている代わりに流血は控えめに描かれている。つまり、長坂の戦いで虐殺される劉備軍の兵士がアオリの逆光で撮られているのは、血の雨を降らせる為の手続だと謂うことになる。

曹操軍の兵士については、趙雲の槍に貫かれても関羽の青龍偃月刀でぶった切られてもちょっと鎧に穴が開いたり裂けたりする程度の戦隊レベルの描写なのに、この場面の劉備軍の虐殺では敢えて血の雨を降らせているわけで、ハイキー気味のベタに潰れたシルエットをバックに、わざわざCGで足した血飛沫が鮮烈に飛び散るわけだが、この場面で名もなき兵士たちが肉の楯となって一方的に虐殺されるのは、実に劉備の理想を信じたからであり、それを象徴するものが泥にまみれ馬蹄に蹂躙された軍旗なのである。

ここで大量の流血がどぎつく描かれているのは、次の場面で関羽が奪還するものの重さを感覚的に強調しておく為だろう。この大量の流血に彩られた劉備軍の瓦解との繋がりの上で関羽の孤軍奮闘が描かれるわけで、一人奮戦する関羽は、夥しい血を流して次々に斃れていった兵士たちの最後の一人として描かれているのである。

関羽一騎で一万の兵士に相当すると評される猛将と雖も、八〇万もの大軍の前には衆寡敵するべくもない。関羽が関羽でなかったなら、乱戦の最中に総大将の曹操を討つことで一挙に戦況を覆すことも可能だったわけだが、それは自家撞着であって想定するだけの意味はない。

関羽は関羽であるが故に一万の兵に匹敵し、八〇万の軍勢に囲繞されながらも曹操の心胆を寒からしめるだけの鬼神力を与えられているわけだが、同時に関羽が関羽であると謂う誇りの故にこそ曹操を背後から討てなかった。このときに関羽が曹操の肝を拉ぐことが出来たのはまさに背中を見せていたからで、そうでなければ狡猾で用心深い曹操に肉薄することなどは叶わなかったのだから、最初から関羽はこの状況下において曹操を討つことなどは出来なかったのである。

この場面において関羽の超人的な鬼神力は、ただ戦場から軍旗を奪還する為にのみ発揮されるわけで、戦況を大きく左右するものではない。しかし、男たちが血の川を流し屍の山を築いて斃れても、この旗に籠められた男たちの想いが死なない限り劉備軍は負けないのだし、この散々な敗戦の最中にあってもそれが馬上高く掲げられている限り再起の希望はあるのである。

旗を掲げて走り去る関羽の後ろ姿は、映画的な言葉として後の劉備軍の必勝を予告するものであり、ここまでのシーケンスで後の赤壁に至る状況説明は終了する。

最後に一言附け加えるとするなら、誇らかに駆け去る関羽の後ろ姿を見送り、その勇猛を内心讃えながらも曹操は「いずれ彼らのような猛将を我が前に屈服させてみたいものだ」とひねこびた感慨を独語ち、史実上の曹操像を想うならそれは将来的な国家経営の為の人事戦略の側面を持つわけだが、この映画では権力者・曹操の略奪的な支配ー被支配関係を基調とした人間観を顕わすものとして読み替えている。

何と謂ってもこの映画は、三国時代の史実を直接の素材とした歴史物語ではなく、稗史小説の類である演義のほうを原作とした娯楽活劇なのであるから、飽くまで劉備が正義で曹操は悪でなければならないのであり、如何なる三国志解釈においても否定しようのない曹孟徳と謂う人物の強烈な人格的魅力は、悪漢のそれとして意味附けられる必要があるのである。

しかし、このモノローグを耳にしてオレが胸に抱いたのはもっと簡単な感想である。

…そうですか、張飛は要りませんか(笑)。

まあ、行き掛かり上の個人的な因縁で義兄弟の契りを交わした劉備と違って、曹操はアリモノの優秀な人材をヘッドハントする観点で視ているからなぁ(笑)。張飛みたいに超人的に強いけれど行って来いでチャラになるような人材は、まあ、何と謂うか爆発性の強燃物のようなもので、敵には回したくないが味方にも欲しくない。いっそ存在しないほうが双方にとって万事平和な使い手のない人材である。

虫の居所や物の弾みで蠅か何かのように無雑作に人を殺しちゃうような奴だから、友達にもなりたくないしなぁ。まあ、それを謂うなら、関羽だって匪賊の密売人上がりのやくざではあるのだし、さらにそれを謂うなら、劉備だって草鞋売り上がりの胡散臭いやくざではあるからなぁ(笑)。

なんだ、劉備軍ってやっぱりやくざの寄せ集め集団じゃないか。そうすると、三国志と謂うのは、頂上作戦で中央権力に圧迫されたやくざ集団が沖縄に逃げて、沖縄県知事と駆け引きして独立やくざ王国を樹立し、そのついでに琉球王国が独立する話なんだな。

ああそうか、だから呉宇森がこの映画の監督なのか(笑)。


●家族の食卓

一方、劉備サイドでこの映画の物語上重要な役割を担うのは諸葛亮であるが、その諸葛亮は前半の山場である長坂の戦いではほぼ見せ場と謂うべきものがない。

彼は登場時点で跪いている。地に耳を着け人馬の響きを聞き取っている。従来の諸葛亮像とはまったく違って、はしっこそうではあるが、神機軍師の神秘的な雰囲気は微塵もなく、そして驚くほどに若い。演義の諸葛亮を識っている者はその若さに不審を覚えるだろうし、正史を識っている者なら史実通りだと得心するが、やはり金城武の諸葛亮は少々頼りなく感じるだろう。

しかも彼は登場した瞬間から、這い蹲って地べたに耳を着けている。とてものこと、神の如くにすべてを見通し先の先を読んで必勝の兵法を縦横に駆使する神通無辺の鋭才には見えない。兵馬の到来を識った彼は、急ぎ騎乗して張飛の一隊に急を報せに駆け戻るが、これでは軍師と謂うより単なる斥候である。

軍師らしいところと謂えば、前述の通り張飛に反射光の計を指示してはいるが、これもさほど戦況を左右したわけではないし、それに続いて先行隊から援軍を分派してもらいに自ら赴くわけで、これもまた軍師と謂うより伝令の役割である。

つまり、登場時点の諸葛亮は戦場で懸命に働く若い男として描かれているわけで、天才軍師らしいことは殆どしていない。これはさすがに年齢を差し引いても従来の諸葛亮像とは大きく懸け離れたものであり、このオリジナルな諸葛亮像がこの映画独自の三国志解釈の方向性を決定附けていると断言しても差し支えない。

長坂のシーンにおける諸葛亮は、単に劉備たちの先行組と張飛率いる殿軍との間を往還しただけだから、立場的には傍観者である。関羽や趙雲のように行動を通して何かを顕わすような描かれ方でもないし、ざっくり謂って「出ただけ」である。

しかし、それを謂うなら最大の主役である周瑜に至っては出てすらいない。つまり、冒頭の許都のくだりから夏口で諸葛亮が天下三分の計を献策するまでは、この映画の状況説明でありプロローグなのである。

曹操サイドの事情を説明する許都のくだりがあって、それを因として劉備サイドの事情を説明する長坂の戦いのくだりがあり、趙雲関羽の英雄的活躍はそれぞれの一般に共有されている英雄像を要約すると共に劉備サイドの事情を説明する要素としても機能している。そしてこの長坂の戦いの敗戦を因として天下三分の計に繋がり、諸葛亮が呉へ赴くに及んで、漸く主要なドラマである孫呉サイドのストーリーが動き出すわけである。

であるから、この長坂のくだりにおける諸葛亮は、劉備軍内を往還してすべてをつぶさに目撃し、そのような事情を背負って呉に赴くと謂う流れになる。その意味で、初登場時の諸葛亮は一種の視点人物の立場に置かれ、徹底して何もせずに状況を傍観するのみなのである。

劉備軍が夏口に到着し、漸く一息吐いたタイミングで諸葛亮の口から所謂天下三分の計が語られるわけだが、細かいことを言えば、映画内で劉備勢力の位置附けがアレンジされているのだから当然「天下三分」のニュアンスも史実と変えて語られている。

つまり、本当なら赤壁以前の段階の劉備は固有の領地を持つ支配者であったことなどはなく、当然拠点となる領土など影も形もないのだし、そもそも曹操は劉備を討つ為に出兵したのではないのだから、劉備と孫権が協力して曹操に対抗すると謂うのが本来の意味ではない。

諸葛亮が献策した天下三分の計とは、魏と呉と謂う既存の二大勢力の隙を衝いて領土を掠め獲ることで第三勢力となり、ひとまずは三者鼎立の状態を維持して、然る後に天下を窺うと謂う戦略である。

皇帝と謂う玉を押さえて中央権力を総攬した曹操の魏と、小覇王と称された孫権の実兄孫策の代に江東の潤沢な辺境地帯を制覇し実効支配した呉侯(ただし魏の臣)の勢力に事実上二分されていた天下を、劉備が新興の第三勢力として台頭することで三分し、魏と呉との関係を巧みに均衡させて存続し、その間に勢力基盤を固め力を蓄え、機を見て更めて覇を競うと謂う戦略であるから、これは弱小の劉備勢力が覇権闘争に参画する為の戦略であり、曹操の不当な圧政に抵抗すると謂う消極的な意味合いのものではない。

この映画で語られた天下三分の計では、「紛争のどさくさ紛れに宙に浮いた領土を占領して自ら支配する本拠地を確保する」と謂う劉備サイド都合の要諦が省略され、弱者の同盟によって強大な権力者の圧政に抗する正義の防衛戦争であることが強調されているわけである。これはこの映画において劉備サイドを徹底して正義の陣営と位置附ける為の種々の手続の一環である。

夏口における君臣の描き方を視れば、呉宇森がこの映画において劉備軍をどのような集団として位置附けているのかがわかるだろう。天下三分の計が献策された軍議は粗末な方卓を三将と軍師が囲む形で描かれ、軍師の献策を容れた劉備は「長旅の前の腹ごしらえ」として手ずから一椀の飯を勧めるわけで、これは要するに「家族」としての描写である。

許都のくだりで視たように、皇帝を擁する魏には当然宮廷が存在するし、後に見えるように呉にも宮廷が存在し、君臣の別が存在する。しかし、この時点の劉備軍には宮廷などは存在しないのだし、君臣の隔てもまた存在しない。そこに存在するのは宮廷や朝見の間などではなく、ささやかな「食卓」である。将軍と軍師は君主と同じ食卓を囲み、君主が臣下に手ずから椀を手渡して腹ごしらえを勧める。

後のくだりでは劉備が皆の草鞋を編み、関羽が領民の子供たちに学問を講じ、身分の隔てなど存在しない理想郷であるかのように描かれる。実際に劉備と関羽・張飛は義兄弟の間柄であり、趙雲もまた阿斗の救出と謂う功績によって劉備から朋友として全幅の信頼を得ている。

つまり、劉備軍は家族的紐帯に結ばれた私的な朋友集団なのであって、魏呉の国家的な組織形態との対照上に描かれている独立愚連隊なのである。そして、諸葛亮は劉備の側近中では飛び抜けて若い男として描かれ、劉備軍の未来を担って使者として呉に赴くわけだが、当初諸葛亮役に予定されていたのは周瑜を演じている梁朝偉であり、周瑜役には周潤發が予定されていたのだから、キャスティングが最初の予定通りなら現在の姿とはまったく違った形の映画になっていたはずである。

つまり、この映画を現在のような形に決定附けたのが現在のような諸葛亮像なのであるとすれば、そのような諸葛亮像が採用されたのは諸事情により金城武がキャスティングされたからだと断言して好いだろう。

たとえば正史の記述では、後に関張が歿し劉備もまた死に瀕した際に、劉備は諸葛亮に蜀の後事を託するのだが、「倅がボンクラならおまえが自らこの国を嗣げ」と遺言している。これはつまり、劉備にとって諸葛亮は息子のような存在だと謂うことであるが、劉備が即位したのは漢室の正統が絶えた(と「誤解」した)のでその末裔である自分が漢王朝を嗣いだと謂う理路なのだから、劉備の血統を嗣ぐ劉禅を押し退けて諸葛亮が蜀漢を嗣いでしまったらその大義が消失してしまう。劉禅から諸葛亮に禅譲が行われた形にするならば、それは魏の政略と何ら変わりはないだろう。

それ故に、諸葛亮は飽くまでボンクラの劉禅を補佐して蜀漢の大義に殉じ、漢室を私した魏を打倒する為に北伐を繰り返すわけだが、物語上の見え方としてこれをどう表現するかと謂うのは、諸葛亮の年齢域をどのように描くのか、と謂うイメージに依存する事柄だろう。

彼が桃園の義兄弟たちと同世代として描かれれば、それは同世代集団の生き残りとして新たな世代を後見すると謂う見え方になるのだし、一回り若い世代として描かれれば、彼自身が新たな世代として劉備たちの理想を嗣ぐと謂う見え方になる。

役者の実年齢を視るなら、梁朝偉が四六歳なのに対して関羽役の巴森扎布が五五歳、張飛役の臧金生が五〇歳、劉備役の尤勇(ちなみに中央電視台版「射雕英雄伝」の西毒・欧陽鋒の中の人である)が梁朝偉と同じく四六歳、一番若い趙雲役の胡軍でも四〇歳だから、梁朝偉が諸葛亮を演じていたならば、劉備陣営はざっくり謂ってすべて同世代と謂う印象が生起することになる。

この年齢関係において、たとえば梁朝偉の諸葛亮が劉備や三将と同席していたら、諸葛亮が劉備軍の頭脳として戦略を決定しすべてをコントロールしていると謂う印象は避け得ないだろう。また、彼が呉に赴いて周潤發の周瑜と対峙したら、一瞬の通い合いで確固たる信頼関係が成立すると謂う芝居場に説得力はないだろう。

老け顔ながら甘さもあった若い頃ならともかく、現在の五十代半ばの周潤發では大都督としての貫禄や英雄としての強固なエゴと謂う性格が前面に出てしまうし、梁朝偉の諸葛亮では一目視ただけで信頼関係が生じるような単純なまでの純粋さは期待出来ない。

ドラマの中心軸は、すでに人格が確立され強いエゴを持った大人同士である諸葛亮と周瑜が信頼関係を築くまでのエゴとエゴの葛藤や相互不信の腹芸に傾いてしまい、それでは従来的な三国志観に基づく謀略劇から剰り飛躍はなかったのではないかと想像する。

劉備軍を背負う諸葛亮の人物像がそのようなものであったなら、そして国家の柱石として孫権を支える周瑜がそのような人物像であったなら、劉備軍は理想を掲げる家族的朋友集団では在り得ないし、孫呉を背負って赤壁の大勝利を導く大英雄が周瑜であることが強調されすぎて、君主孫権の成長と謂うテーマは背景に退く外はない。

われわれは、梁朝偉が演じるような人物を理屈抜きに信用することなどは出来ないのであり、それは役者としての彼の持ち味として現代的で複雑な内面の存在を感得するからである。これは彼のキャリア上、現代人としての高度な内面性を演じることが多いと謂う印象がもたらすものだろうし、四十路半ばの陰鬱でデリケートな表情の男に単純なまでに強い純粋さを期待するほうが間違っているからでもある。

対するに、金城武は梁朝偉より一一歳若く外貌は実年齢よりさらに若い。また、その特異な柄として裏表のない善良性を視覚的な説得力を伴って強烈に表現している。この諸葛亮であれば、細かい説明などは一切抜きに周瑜との友情の確立や孫呉との同盟成立を描くことが可能であり、その驚くべき経済性が映画全体の性格をも決定附けてしまう

従来的な三国志観でこの諸葛亮像を視るときに驚くべきは、この映画の諸葛亮は誰一人口先だけの詭弁や知略で圧倒したり騙したりしていないと謂うことである。たとえば演義の記述で謂えば、孫呉に到着した諸葛亮は劉備や諸葛亮を軽侮し罵倒する呉侯の旧臣と激しい舌戦を戦わせ、すべて得意の雄弁術と該博な学識で圧倒して莫迦者呼ばわりしているが、この映画では言われるが儘に受け流し何一つ抗弁していない。

孫権や周瑜と謂う金的に対してはすべて本音で誠実に説得し、思わせぶりな言動で煽てたり脅したりと謂う姑息な手段は用いていない。そう謂う意味では、演義の記述で諸葛亮が周瑜を説得する決め手になったのは、「呉が魏に占領支配されたらあなたの細君が曹操の慰み者にされますよ」と謂う、以前曹操が戯れに詠んだ戯詩を誇張して語った針小棒大の讒言であるが(笑)、この映画はそれが事実であると謂う設定に基づいているので嘘を吐く必要がないし、本当のことなのだから周瑜の説得の場面で諸葛亮がその情報をもたらすべき劇的必然性すらないのである。

逆に言えば、金城武の諸葛亮には嘘を言わせるわけにはいかないので、筋立てはすべてその方向性で調整されているのである。諸葛亮が呉侯の協力を引き出せたのは、胸襟を開くべき相手に何一つ嘘を吐かなかったからであり、決して嘘を吐かない男であることが一目でわかる人間だからである。これは呆れるほど単純な男同士の無言の通い合いとして描かれていて、この単純さには一種の感動がある。

つまり、諸葛亮は何ら術策を弄さず「俺の目を見ろ何にも言うな」なキラキラ目だけで一侯国の軍事協力を取り附けたのであり、その説得力はひとえに金城武と謂う疑い得ない開けっ広げな善人性を体現する演者の柄に負っていて、逆に言えば金城武が諸葛亮を演じるからこう謂う人物像になったのである。

同じことが梁朝偉で成立するかと謂えば、それは在り得ないだろうと想像出来る。周潤發が演じるような人物は、梁朝偉が演じるような人物を無条件に信頼することは決してないだろう。剰りにも存在が拮抗して異質すぎるからであり、この二者間では相互信頼は最終的なゴールであって出発点ではない

おそらく梁朝偉の諸葛亮が周潤發の周瑜をとにかく動かす必要があると謂う場合、躊躇わず小喬をダシに使うだろうし、そこで傾城の美女を妻に娶った大英雄のオセロ的な苦悩のドラマも生起したことだろう。また、出発点において不信の種が播かれた男同士の間の葛藤を経て、最終的に互いの生き様を認め合うと謂う「さらば友よ」的なハードボイルドなドラマが想定されるだろう。

これは、赤壁後の蜀漢と孫呉の史実を考えれば、互いに相対立する利害を負った者同士の緊張感を伴った相互信頼と謂う落とし所が一応は妥当な選択肢と謂えるだろう。

しかし、梁朝偉の周瑜が金城武の諸葛亮を疑うことは出来ないのである。この二者もまたまったく異質な存在ではあるのだが、周瑜には諸葛亮の善良を見抜く目がありその洞察を自身が裏切ることは出来ないのだし、諸葛亮の疑い得ない善の動機を否定すべき力強い不善の動機と謂うべきものを周瑜は持ち得ない。

それには演者間の一一歳の年齢差も有効に働いている。同世代の相手がこのような屈託のない善良を保ち得ていると謂う事実は、やはり一種の疎ましさの印象や彼我の生き様の断絶、立場の違いとして感得されるだろうからである。

この諸葛亮を周瑜がストレートに受け容れ得たのは、彼が自身よりも若い将来世代であるからでもあるのである。その意味で、この映画の周瑜は、他の男たち同様に諸葛亮の体現する善と彼が担う未来の希望に「乗った」と謂う見方が可能だろうし、この映画において、諸葛亮の到来以前に徹底抗戦を働き掛けなかったアリバイともなっている。

孫呉一個の現実事情から考えれば、表向きは恭順の意を示し曹操に従うと謂う選択肢も十分合理的であり、孫呉の存亡を賭けて決戦すべき現実的な理由は何一つないのであるから、周瑜個人の道義として曹操の悪を憎んでいたとしても、それを旧臣の反対を押して主君に献策すべき理は何もない。

呉侯が劉備と同盟し曹操に対抗すべき合理的な理由があるとしたら、君主である孫権がそれを大義と信じられるからである。劉備陣営に義がなければ同盟すべき必然性はないのだし、表面的に恭順して都合が悪くなったら離反すると謂う政略は、この当時には当たり前の選択肢だったのだからそれを忌避すべき理由はない。であれば、周瑜は自分一個がどう感じていようとも主君の政策決定に積極関与すべき理由がない。

梁朝偉が周瑜を演じる以上、このような複雑な内面を抱える男として表現することが可能なのであり、侯領の存続と謂う現実事情と断金の朋友孫策の実弟孫権を後見する大きな責任の故に、自身の道義を押し殺しているような男を動かし得るのは、諸葛亮のような単純で美しい善の実在であり彼が信じる大義の強さである。

では、そのような疑い得ない善人である人蕩しが、どのように孫呉の英雄たちの信頼を勝ち獲ったと描かれているのか、それを実際の場面に即して視てみよう。

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コメント

さて、第二夜の落ち穂拾いはここ。

>>この行動によって悪辣な敵といえども背後から仕留めるような卑怯な真似はしない関羽の誇り高い武人気質を描いている。

>>さらに得物を手放して雑兵に取り押さえられ、「丞相に跪け」とひかがみを打たれながらびくともせず決して膝を屈することのないプライドの高さ、

三国志中でも関羽と謂う人物は、全体的に勇猛さにおいても人徳においても理想的な英雄として描かれているが、一面ではプライドが異常に強く、正確に謂えば気位が高い、悪く謂えば生まれの賤しさからくるコンプレックスが強かったようで、就中同格者や少し目上くらいの相手には非常に苛烈だったことで識られている。

彼の破滅は孫呉によってもたらされたが、その直接の因となったのは、孫権が関羽の娘を自分の子の嫁に迎えたいと持ち掛けた際に、「虎の娘を犬の子にやれるか」とあんまりな断り方をしたせいだと伝えられている。この辺、孫権の虎狩りバカ一代な部分を揶揄したととるのは勘繰りすぎだが(笑)、さすがにこれには孫権もムッとして関羽との関係が険悪になった。

関羽はその死後に孫呉に大いに祟ったと謂う伝説が伝えられていて、ちょうど日本の御霊のように祟り鎮めの目的で神に封じられたと謂う。今に伝わる関帝廟と謂うのがそれで、一般的には「関公」と尊称されている。昔は武人の守り神だったが、今では商売の神として崇められ、世界中の中華街には必ず関帝廟がある。これは関羽が義理堅い性格で信用商売の神として相応しかったことと、桃園結義以前に塩の密売人をしていたことに由来するらしい、と謂うのが一通りの観光案内の効能書きである。

それはまた別のお話と謂うことではあるが、この映画に関係してくるのは、引用した場面におけるプライドの強さである。この場面において、関羽は青龍偃月刀を曹操目掛けて擲った為に無手になり曹操軍の雑兵の虜となったわけだが、これを覚えておけばクライマックスの戦闘で何故関羽が最初に青龍偃月刀を投擲して無手になったのかが理解出来るだろう。

この場面において名もない雑兵の手に掛かる形になったのは、気位の高い関羽にとっては相当腹に据えかねたのだと思われる。それでクライマックスの戦闘において、長坂のくだり同様にまず青龍偃月刀を手放しておいて、大根でも抜くように相手の槍をすぽんすぽんと奪い取ると謂う技により無手で数多の雑兵を斃してみせ、「俺は青龍偃月刀がなくてもこんなに強いんだぞ」と謂うところを見せているわけである。

穿った見方をするなら、長坂の戦闘は単に劉備たちを無事に落とす為の時間稼ぎだから八〇万もの大軍を力の限り殺しまくってもキリがない、総大将の曹操に冷や汗をかかせることで区切りにして敵に下ったが、クライマックスの戦闘は勝つ為の戦いだから、手始めに無手でも強いところを一頻り見せておいて、然る後に愈々本気を出して手当たり次第に殺して廻ったと謂う解釈もアリだろう。

いずれにせよ、「俺は得物を手放したから虜になったわけではない」と謂うことを行動で示しておかねば気の済まない、関羽の気位の高さと謂うものがこの二つの場面に対称を設けることで描かれているのだと視るのが妥当だろう。

投稿: 黒猫亭 | 2009年2月 7日 (土曜日) 午前 06時18分

映画は未見ですが順番に読んでます。

実は三国志演義を未読なんですよ。断片的な知識しかない。自分でも意外ですが(意外ってなんだ)。

中国人はなんでああまで関羽が好きなんですかねぇ。後の歴代皇帝がどんどん位を追加したせいで結果的にあの時代の人物としてはいちばん偉いことになってるし、台北の行天宮はものすごい賑わいだし。商売の神様だからだ、って云うだけじゃ説明のつかないものを感じます。

投稿: pooh | 2009年2月 7日 (土曜日) 午前 06時54分

次に拾っておくべきはここ。

>>張飛、長坂なのに見せ場なし(笑)。

>>…そうですか、張飛は要りませんか(笑)。

何と謂うか、この映画における張飛の扱いの悪さは、張飛ファンでないオレでもいっそ気の毒になるくらいである。この映画で描かれている張飛の特徴は二つ。

・でかい声
・凄い怪力

…これだけ、これだけなんですよ皆さん(笑)。つか、扱い的には、呉宇森に次いでハリウッドに進出した李安のハルク変身後そのまんまである。一応習字をしている場面があるから、さすがに文盲扱いまではされていないようだが、子供に交じって手習いの真似事と謂うのがかなり莫迦扱いである。

その紙を周瑜が引ったくって講評するわけだが、「声がでかい」と謂う描写が出るのはこれが初出で、しかもこれは周瑜の耳が良いと謂うことを再確認する為の手続だから、特に張飛のでかい声が役に立つと謂う描写でもない。

史実上では長坂の戦いで長坂橋大喝と謂う見せ場があることは本文で語ったが、それがあっさりカットされたものだから、無駄に声のでかい乱暴者にしか見えない。しかも、関羽の青龍偃月刀と並び称される丈余の蛇矛も持たせてはもらえないので、本当に役に立っている人材なのか疑問に感じるだろう(笑)。

しかし、張飛の勇猛ぶりは決して関羽に劣るものではなく、一騎打ちではむしろ張飛のほうが強かった、関羽もまたその強さを認めていたと謂うふうに伝えられている。蜀漢陣営の中では割合人気のある人物で、三国志の英雄よりは寧ろ花和尚魯智深や行者武松のような水滸伝の好漢に近い愛すべきキャラクターであることから、親しみやすい庶民的な人気がある。

ただ、その分軽率で思慮の浅いところが目立ち、関羽が部下には優しいのに目上には無闇に突っ掛かったのとは逆に、目上や教養人には従順だったが部下は非道く苛酷に扱った。結局それが命取りになって寝首を掻かれる最期を迎えたわけだが、上には従順で下に厳しいと謂うのは完全に「やくざ体質」だと謂うことである(笑)。

この張飛が本格的に活躍するのはクライマックスの戦闘場面だが、前述の如く得物の蛇矛を持たせてもらえず、でかい声を張り上げて素手のストロングスタイルで戦うので、ちっとも優秀な武人には見えない。実際、関羽と張飛の戦闘スタイルと謂うのは被っているので、そこを差別化する為の映画的処理だとは思うのだが、前半で関羽が敵の乗馬を倒すと謂う怪力芸を見せ附けているので、張飛の場合は一頭増やして二頭倒すと謂う形でその怪力を強調するに留まっている。

これは、一頭倒した関羽が凄い怪力に見えることの天丼でさらに力が強く見えると謂う計算だったのかもしれないが、相乗効果よりも新鮮味のなさが目立って単なる怪獣にしか見えない(笑)。ちょっとこの辺は、キャラを立て損なって張飛が割りを喰わされた部分である。

余談だが、序でに確認しておくと、

>>役者の実年齢を視るなら、梁朝偉が四六歳なのに対して関羽役の巴森扎布が五五歳、張飛役の臧金生が五〇歳、劉備役の尤勇(ちなみに中央電視台版「射雕英雄伝」の西毒・欧陽鋒の中の人である)が梁朝偉と同じく四六歳、一番若い趙雲役の胡軍でも四〇歳

これは大体そんな具合の開きだったらしく、長幼の順もこの通りである。劉備以外は正確な生年が伝わっていないが、長幼の序列は大まかに伝わっているので、赤壁時点における各人の年齢域は大体演者のそれと合致しているらしい。

義兄弟たちは、関羽が最年長で、張飛、劉備の順になるが、関羽が劉備の人徳を尊重して長兄に立てた為に、自動的に関羽が次兄、張飛が末弟となった。劇中でも張飛は劉備を「大兄」、関羽を「次兄」と呼んでいる。家族関係や臣従関係において目下の者が目上を名前で呼ぶことはないわけで、逆に目上が目下を呼ぶときは続柄か役職か通り名か字で呼ぶと謂うのが所謂実名敬避俗と謂うやつである。

たとえば劉備が関張趙を呼ぶときは「雲長」「益徳」「子龍」である。趙雲や諸葛亮が劉備をどう呼んでいたか記憶にないが、孫呉では「主君」と謂うふうに表記されていたように思う。で、これは禁忌と謂うより「俗」であるから、勿論対面時とそうでないときでは呼び方が違うわけで、曹操は勿論孫権も非対面時には平気で「劉備」と諱で呼んでいる。

要するに、諱を呼んでは「いけない」と謂うほど強い意味はなく、面と向かって諱で呼ぶことは非常に失礼である、と謂うくらいの感覚のようである。本人がいないときに諱で呼んでもそれは日本人の感覚とそれほどの違いはない。日本人でも、尊敬している相手なら本人がいなくても敬称で呼ぶが、普通かそれ以下なら呼び捨てで呼ぶしそれがとくに侮辱的な意味にはならない、その程度の感覚だろう。

また、諸葛亮が孫呉に赴いたときには孫呉側から「諸葛先生」と呼ばれていて、日本人の感覚だとなかなか笑えるが、この「先生」は「ミスター」くらいの意味で、孫呉側が諸葛亮を相応の格式で迎えたと謂うことを表現する呼称にすぎない。

日本語的な意味での「先生」は「老師」とか「師父」になる。このうち「老師」が一般名詞的な用語で、本人が若かろうが年寄りだろうが男だろうが女だろうがまったく関係なく「老師」である。「師父」となると、門派内の師弟関係における続柄表記の体系中の用語であるから、「師伯」とか「師叔」とか「師娘」とか「師弟・師妹」とか矢鱈複雑な呼称が山ほどあるうちの一つで、自分の直接の師匠を指す。

ちなみに、このうちの「師娘」とは「師父」の娘ではなく奥さんのことなのだそうだから、やっぱり何だかよくわからない(笑)。しかも、これは当然本人視点の続柄だから、人が変われば相互関係が変わるので呼び方も変わってくる。師匠や弟子がたくさんいるような大きな門派内の話だと、互いの続柄を予め識っていないと同じ呼称でも誰を指しているのかサッパリわからない。

さらにこれは、師匠が女でも「師父」なのだそうだから、女の「師父」の旦那さんを何と呼ぶのか、そこまではオレにも判らない(笑)。

結論としては、中国四千年の歴史は奥が深い、何だかよくわからんほど深い、そう謂うことになるだろう(木亥火暴!!)。

投稿: 黒猫亭 | 2009年2月 7日 (土曜日) 午前 08時48分

>poohさん

有り難うございます。長いこと映像作品のレビューを表芸にしてきましたので、読んで戴けると嬉しいです。

>>実は三国志演義を未読なんですよ。断片的な知識しかない。自分でも意外ですが(意外ってなんだ)。

何というか、最低でも吉川版三国志くらい読んでいないと自分のイメージする大人とは謂えないような気がするのはなんででしょうね(笑)。オレも四大奇書で最後まで通読している作品は「西遊記」くらいしかなくて、それもたしか抄録版だったような気がするので、時々想い出したように最近買った平凡社版を読むようにしています。

演義のほうは、今だと定番はちくま文庫版ですかね。全七巻セットで六六一五円だそうです。正史のほうは学芸文庫になるので割高で、全八巻セットで一二六〇〇円だそうです。どっちも立ち寄り先の書店では見掛けたことがないので、ネットで古書でも探すとしますか(笑)。

>>中国人はなんでああまで関羽が好きなんですかねぇ。

これはよくわかりませんが、中国人にとって理想的な超人ヒーローだってこともあるかもしれませんね。直前のコメントで張飛の話をしていますが、張飛とか水滸伝の好漢と謂うのは、やっぱりちょっと通常の道徳観から逸脱した異人ですからストレートな尊敬の対象にはなりにくいのかもしれません。その点、関羽は具体的に人徳や思慮深さや義理堅さが描かれていて、尚かつ無敵の強さを誇る超人ですから、一種別格なのかもしれません。

四大奇書の主人公と謂うことでは、闘戦勝仏の斉天大聖も廟を作られて崇められていますけれど、関公には及びませんね。また、関公が中国人に人気があると謂うイメージは専ら世界中の華僑に尊崇されていることからの印象と謂うこともあるんではないかと思います。大陸ではまたそんなでもないかもしれないんですが、世界中に存在する華僑と謂うのは商売人ですから、商売人の守り神が目立っていると謂うことかもしれません。

また、正史や演義で蜀漢のような弱小勢力が贔屓されているのは、まあ陳寿が元々蜀の人だったと謂うこともありますが、正閏問題で蜀漢が正統と解されていると謂うことも大きいでしょうし、その劉備に絶対の忠誠を尽くした関羽は、漢人の王朝サイドから視て手本とすべき都合の好い英雄だと謂うこともあるでしょうね。京劇でも、関羽役は顔を真っ赤に塗るらしいんですが、それは関羽の赤誠を表すものだと謂うことで、忠臣の代名詞とされているようです。

一方、張飛のことを調べてみたら、これが結構いい加減な奴で、劉備と関張が離ればなれになったときに一時山賊稼業に身を落としていたらしく、関羽が劉備の許に戻ろうとするのを力尽くで止めようとしたと謂いますから、やっぱり尊敬に値する奴じゃないですね(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2009年2月 7日 (土曜日) 午前 09時32分

もう一つ、予定外ではあるが、他の方の感想エントリを拝読して気附いた落ち穂を一つ拾っておこう。

>>兵馬の到来を識った彼は、急ぎ騎乗して張飛の一隊に急を報せに駆け戻るが、これでは軍師と謂うより単なる斥候である。

ここは、いつもコメントを下さる604 さんの最近のレビューによれば…

http://ginganohate.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-e9c1.html

>>地に耳を当て、聞こえる響きで敵の陣形を読み取る特殊能力。

…となっていて、そう謂えば、張飛に敵軍の到来を告げる場面で、たしか大凡の兵数と陣形の情報を伝えていたような記憶がある。ただ、ここはオレも剰り記憶が鮮明ではなく、場所を変えて遠目に敵軍を眺望して目視で陣形と兵数を把握していたように思っていたのだが、これが遡って捏造された記憶である可能性は大いにある(笑)。

604 さんの仰る通りなら、さりげなくではあるが、ファーストアピアランスで諸葛亮の軍師らしいところを描いていることになる。それでレビューの本筋が変わるほどの異同ではないが、記憶があやふやなままと謂うのもちょっと気持ちが悪い。

リピーターの方で、このくだりをよく覚えている方がいらしたら、本当のところはどうだったのかご教示戴きたいと思う。

投稿: 黒猫亭 | 2009年2月13日 (金曜日) 午前 10時10分

>>特殊能力

…そう言う人だと思えばそう見える、程度だったかと。曹操軍の進撃とのカットバックがありましたし、兵員について張飛に話す台詞もありました。が、やはり若い印象が先ず強くて、知謀神の如き軍師には見えなかった…というのがワタクシの記憶です。
神格化されている諸葛亮を演じるのは、中華圏俳優にとってはプレッシャーの筈ですが、金城武がイイのは、それを全く(笑)感じさせないところ。梁朝偉がプレッシャーにボロボロになる体質なのに、イヤとは言えないのとは好対照ですな。

おまけ:多分、呉宇森プロデュースのおかげで無事公開された「天堂口」は「赤壁」と打って変わって実に説明不足の映画で、エエ男は堪能できるのですがスキルの違いってこうかーと思った事でした。

投稿: shof | 2009年2月14日 (土曜日) 午後 08時19分

拾われておりましたとは気づかず遅くなりました、師父。
本能のままに書き散らかした拙文の、細部までお読み頂きましてありがとうございます。

記憶力の悪さを誇る私ではございますが、その時のイメージを思い出してみますに、

荒野にただ一人の孔明、地面に耳をつける→顔のアップに、ドドドドドと地鳴りのような蹄の音がかぶる→移動しつつある陣形(八の字と三角形の組み合わせだった…かも)の鳥瞰→はっと何か気づいた様子の孔明、騎乗し駆けて行く

という流れだったので、素直に「ああ、この人は音だけでそういうことまで分かっちゃうのね」と感じた次第で。

ただし私は先にこちらのレビューを読んでおりますので、黒猫亭様の書かれた文章から勝手に超人的イメージを作って、観ている時にそれが投影されたという可能性もあるかも知れません。

投稿: 604 | 2009年2月14日 (土曜日) 午後 11時21分

>shofさん

>>曹操軍の進撃とのカットバックがありましたし、兵員について張飛に話す台詞もありました。が、やはり若い印象が先ず強くて、知謀神の如き軍師には見えなかった…というのがワタクシの記憶です。

この場面、スペクタクルの印象が強すぎて少し記憶が混乱しているのです。shofさんと604 さんが仰るような繋がりは覚えているのですが、耳で聞いた後に騎乗して、一旦眺望出来るところまで行って目視してから馬首を返したような記憶があって、張飛の一隊の下に直行したのではなかったように覚えているのですが、これが理屈から考えて捏造された記憶かどうかがあやふやなんですね(笑)。

ちょっと記憶に自信がなかったので、本文中では確言出来ませんでした(笑)。一応そう謂う基準でレビューを書いてはいるんですが、やはりリアルタイム鑑賞のレビューは綱渡り感覚ですねぇ(笑)。

>>神格化されている諸葛亮を演じるのは、中華圏俳優にとってはプレッシャーの筈ですが、金城武がイイのは、それを全く(笑)感じさせないところ。梁朝偉がプレッシャーにボロボロになる体質なのに、イヤとは言えないのとは好対照ですな。

金城、好い具合に肩の力が抜けていますねぇ(笑)。なんであんなに屈折していないのか不思議なんですが、三〇過ぎてK-20の平吉みたいな役が出来るってのは、本人の柄としか言い様のないところです。二十代でそうなのは当たり前ですから、そんなに特異な柄だとは思わなかったんですが、やはり三〇過ぎてから好くなりましたね。

梁朝偉は「仕事を断らない」のではなく「断れない」性格なんでしょうなぁ。そうでなければ、王家衛なんかと何本も映画撮ってるはずがない(木亥火暴!!)。

投稿: 黒猫亭 | 2009年2月15日 (日曜日) 午前 09時20分

>604さん

そう謂う次第で、オレも自信のない部分なので敢えて問い掛けてみたわけですので、お気になさらずに。

>>荒野にただ一人の孔明、地面に耳をつける→顔のアップに、ドドドドドと地鳴りのような蹄の音がかぶる→移動しつつある陣形(八の字と三角形の組み合わせだった…かも)の鳥瞰→はっと何か気づいた様子の孔明、騎乗し駆けて行く

やはりそこからもう張飛の一隊に合流する繋がりですかねぇ。

どうもお二方のお話を伺うと、オレの記憶違いっぽい感触ですね。三月末にはDVDが出ますし、まだ六本木で公開していますから確認する機会は幾らでもありますが。

劇場で観た映画をレビューしていると時々そう謂う勘違いがあるんですが、映像的な記憶をそのまま覚えているわけではなく、筋道に従って想い出すと謂うプロセスを踏んでいますので、たまに無意識の裡に理屈で考えて記憶を補完している場合があったりするんですね。

こう謂うのは昔のシネフィルにはよくあった話で、映画好きが二人集まって四方山話に華が咲くと、必ず一箇所や二箇所は記憶の喰い違いがあって、そこで物凄い論争が起きたりするわけで(笑)、昔の映画批評上の論争はそう謂う性格のものが多かったみたいですね、「あそこはこうなっていた」「いや断じて違う」とか(笑)。

その辺の話は以前「映画史と全体性」と謂うエントリでお話をしましたが、今は必ず後で確認出来るので便利な世の中になりました。確認可能なことで口角泡を飛ばして論争すると謂うこともなくなりましたから、今は昔の話ですね。

ああそうそう、shofさんはもう「天堂口」はご覧になったようですが、やはり世評が芳しくないのには理由がありそうですね。604 さんはどうなさいますか?(笑)

投稿: 黒猫亭 | 2009年2月15日 (日曜日) 午前 09時21分

うーん、SFや特撮に抵抗がないため普通あり得ないようなことでもすんなり受け入れてしまったのでしょうか(でも関羽や張飛とは別の意味で「いねーよこんなヤツ」と心の中で突っ込んでいた孔明&周瑜……)。
ちなみに予備知識は全くございませんでしたので、諸葛孔明がカミサマのような人だとは全く思っておりませんで、金城孔明は最後まで「どことなく胡散臭いやっちゃなあ」という印象でした。

「天堂口」ですか?私、とりあえず上海があればOKなのです。あの時代の上海になぜか強い郷愁を感じるもので……。前世は蟹だったのかも知れません。

投稿: 604 | 2009年2月15日 (日曜日) 午前 11時15分

>604 さん

>>ちなみに予備知識は全くございませんでしたので、諸葛孔明がカミサマのような人だとは全く思っておりませんで、金城孔明は最後まで「どことなく胡散臭いやっちゃなあ」という印象でした。

ああなるほど、あれほどすんなり英雄豪傑を蕩してしまう男を「胡散臭い」と視る見方もたしかにありますねぇ(木亥火暴!!)。

実はオレも、Part 2でいきなり諸葛亮が黒くなって中村正の声で「ふっふっふ、すべては私の思うがまま」とか高笑いしたら物凄く怖いなぁ、と危惧していることは事実なんですが(木亥火暴!!)。まあ、すでにご覧になった方のネタバレを読むと、かなりオリジナルな超展開らしいので、史実のように虚々実々の裏切り合いと謂う関係にはならないとは思います。

>>「天堂口」ですか?私、とりあえず上海があればOKなのです。あの時代の上海になぜか強い郷愁を感じるもので……。前世は蟹だったのかも知れません。

前世までは存じませんが、多分四半世紀くらい前にLALAを愛読しておられたことだけは諒解致しました(笑)。まあ、「天堂口」は多分張震の色気を堪能すればそれで宜しいのではないかと。

投稿: 黒猫亭 | 2009年2月15日 (日曜日) 午前 11時38分

あっ、そういえばそんなマンガがあったような。
タイトルが喉元まで出かかっているのですが。えーとえーとえーと、

「黒のもんもん組」

……じゃなくて。

「南京路に花吹雪」ですね(←こっそり調べました)。森川久美ですね。ツボど真ん中ですね。ちょっと読んで参ります、失礼をば。

投稿: 604 | 2009年2月15日 (日曜日) 午後 11時50分

>604さん

>>「南京路に花吹雪」ですね(←こっそり調べました)。森川久美ですね。ツボど真ん中ですね。ちょっと読んで参ります、失礼をば。

あ、御存知なかったですか。てっきりそっちのほうがきっかけなのかと(笑)。

さすがにオレも内容までは覚えていませんが、開発姉妹と並んで同県人のマンガ家と謂うことでちょっと印象には残っておりますね。あの当時は処天とかしまりんごなんかを連載していたので、LALAは毎号読んでいました(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2009年2月16日 (月曜日) 午後 02時56分

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