圓生の佐平次
喰い物の話だけで済ませてはちょっとあたじけないので、ちゃんと落語の話も。
いろいろ聞いてみた中では、やっぱり江戸落語では三代目志ん朝、上方落語では三代目米朝の噺がわかりやすくて面白かった。一方、寄席の桟敷に座ったこともない昨日今日の俄では、昔の江戸落語の名人上手と謂われている噺家の芸のおかしみと謂うのは正直言ってよくわからなかった。
志ん朝の親父の五代目志ん生の噺は音源だけ聞いていると面白いんだか面白くないんだかよくわからない。そのライバルの八代目文楽の芸はオレなんかとはあんまり関係がなさそうだ。人間国宝・五代目小さんの噺は立派そうに聞こえるが何だか乙に澄ましていてつまらない。六代目圓生の噺は素人が聞いても上手いことがわかるけれど気取っていて厭味に感じる。
分けても、圓生の「居残り佐平次」は何だか厭味な噺だと思った。この噺は実際の口演として聞いたことはなく、聞き書きのテクストを読み、この噺をベースにした「幕末太陽傳」を観たくらいの知識しかなかったが、フランキー堺が演じた映画の役柄の印象から飄々とした憎めない野郎の噺だと思っていたのだが、圓生の口演で聞くと、何だか可愛げのない脱法的職業犯罪者の話に聞こえてしまう。
たしかにサゲが「おこわにかけやがった」だから、人を騙す噺ではあるのだが、お話の筋だけ視ると「こんな莫迦な話があるわけがない」と謂うのが大前提の法螺話のように思えるし、それを語り口とキャラ描写で在り得る話に見せる辺りが語りの芸であるわけだが、この噺の場合、「んな莫迦な」と謂うおかしみを外してあんまりリアルに成立する詐術のように聞こえると、かなり寒々しい噺に聞こえるように思う。
何故なら、この噺に登場するのは佐平次以外皆善人である。一緒に品川に繰り込んだ連れの四人も、佐平次が一人これこれの割り前で遊ばしてあげるから、と請け合ったから乗っただけで、カネは払っているわけである。女郎屋のほうも、たしかに公娼制の時代でも私娼は違法で私娼街は度々取締の対象になったが、四宿の岡場所は最後まで黙許されていたのだから別段反社会的な悪徳商売をしていたわけでもない。娼妓や若い者も別段非道いことはしていないし、楼主も奉公人から「仏」と呼ばれるほどの善人である。
捕物帖や落語に出て来る女郎屋の主人は一体に悪人よりも善人が多いが、これは女を扱う客商売なので、あんまりあくどく娼妓をこき使っていると謂う風評が立つと商売に差し障ったからと謂うこともあるようである。まあ、口さがない遊女が枕語りに主人や店の愚痴なんかをこぼすとあっと謂う間に悪評が立つだろうし、昔の日本は今よりもっと世間が狭かったから、世間体と謂うのは何倍も大事だったのだろう。
公許の吉原遊郭も、安政大地震の際、娼妓の逃亡を防ぐ為に大門を閉じて大勢の女を焼き殺したことが後々まで世間の口の端に上ったから、遊郭の商売人は世間体を気にしてあまり表立って阿漕な商売はしなかったようである。
さなきだに女を扱う商売ともなると銭金尽く一方では成り立たないわけで、「あちきは厭でありんす」が通用する世界なのだから、適度に女たちに気を遣って機嫌を取らないことには商売が奮わない。なかには鬼のような守銭奴の楼主もあったようだが、吉原を舞台にした「文七元結」の佐野槌の女将のように、全般に女郎屋の主人は人情のわかる苦労人と謂う形で描かれることが多いようである。
また、女をカネで売り買いして性に奉仕させると謂う生業は、売春が違法化されていなかった時代でもよくせき罪深いものと意識されていたようで、売春宿と謂うのは洋の東西を問わず伝染病銀座だったのだから、そこで娼妓として働くことには命に関わるリスクがあったわけで、娼妓は一般的に病死で生を終えることが多かった。
その為、少しでも後生気のある商売人は罪滅ぼしの為に常日頃から精々功徳を積むように心懸けていたとも聞く。それやこれやで、女郎屋の主人で奉公人や世間から恨まれるほど因業な人はそんなにいなかったらしい。
閑話休題、そう謂う次第で悪人が出て来ない世界において、女郎を抱いて美味いものを鱈腹喰って美味い酒を浴びるほど呑んで、若い衆のお株を奪ってご祝儀をしこたま貯め込み、揚げ句の果てには虚言を弄して善人の主人を脅迫して小遣いと羽織をせしめると謂うのは、普通に考えてかなり非道い奴である(笑)。
こう謂う非道い奴の噺が笑えるとしたら、やっぱり何処まで行っても「んな莫迦な」と謂う非現実的な不条理感があることと、佐平次のキャラにとぼけた天然のおかしみがないといけないと思うのだが、圓生の演じる佐平次は口舌が巧みすぎて、キャラから滲み出る図々しさと謂うより職業犯罪者の熟練にしか聞こえない。
なんでそんなに憎々しく聞こえるのかと考えてみると、サゲのくだりで佐平次が店の若い衆に種明かしをして見栄を切るのだが、圓生の口演ではそれがあんまり堂々として誇らしげに見えるから憎さげに感じるのだと思う。
ここで佐平次は仏と慕われる楼主を「たしかに善人だが、平たく言やぁ莫迦だ」とせせら笑っているのだが、これは「騙されるほうが莫迦だ」と謂う理屈である。こう謂う理屈は、江戸時代だろうが明治大正昭和平成の時代であろうが一般大衆に受けが好かったとはちょっと思えない。
それが笑い話として成立するのは、居残りなんぞと謂う商売が通用してしまうと謂う現実離れした馬鹿馬鹿しさと、それを成立させてしまう佐平次と謂うキャラの天然の「ノリ」がおかしみに繋がるからだろう。
また、吉原から一つ二つ格の落ちる品川とは言え名代の大店で娼妓を抱いて高級料理や美酒に舌鼓を打ち、無銭飲食がバレても要領良く立ち回って祝儀を稼ぎ、最後には泥棒に追い銭の喩え通りに小金を巻き上げてしまう痛快さと謂うこともあるにはあるだろうが、それは「騙される奴が莫迦なんだ」とせせら笑うような世知辛い感じ方とはちょっと違うように思う。
そんな莫迦な絵空事を成立させてしまうのは、度胸が据わっていて機転が利いてノリが好くて図々しい佐平次の虚構的なキャラであって、こう謂う脱法的欺罔の手腕が優れているからではないはずである。しかし、圓生の口演ではこれが技術論のように聞こえる嫌いがあると思うし、最後に見栄を切るのもそのような詐術の手腕を自ら誇っているように聞こえる。
要するに、圓生の解釈はこの噺を一連の緻密なコン・ゲームとして視ているわけで、要所要所で勘定の取り立てをはぐらかしたり、娼妓や客のご機嫌を取り結んで祝儀を稼いだり、言葉巧みに楼主を脅迫して小金をせしめたりするのは、佐平次と謂う詐欺師のプロフェッショナルな犯罪スキルだと視ているように思う。
引いては、佐平次に稼ぎ所を独り占めされた若い衆が楼主に抗議して佐平次が呼び出されることも計算の内で、つまり佐平次が四人を誘って品川に繰り込んだ最初から小金を巻き上げるラストまでが計画的な一連の詐欺行為であると謂う解釈になる。
これはつまり、遊郭の大店でロハの豪遊をしてみたいとか、持ち前の機転で場当たり的に当座を凌ごうと謂うような無邪気な図々しさではなく、最終的には楼主から二十両なりの纏まったカネを強請り取るのが目的だったと謂うことである。
これはやっぱり可愛げがない。この噺に関しては、佐平次が「何処か憎めない奴」と謂うふうに紹介されることが多いけれど、この解釈では「憎めない奴」どころか「騙される奴が莫迦なんだ」と嘯く憎々しい常習的なプロの詐欺師である。
翻って考えれば、この噺の中の佐平次の欺罔を成立させているのは、この噺を語っている圓生自身の巧みな話芸なのだから、つまり圓生の意識では佐平次の詐欺手腕と自身の話芸はプロの技術論の地平上で重なり合っているわけである。
それが暴露されるのが最後の種明かしのくだりで、この場面で佐平次があまりに堂々として誇らしげに見えるのは、そんな馬鹿馬鹿しい現実離れした居残り詐欺と謂う商売を成立させる佐平次の犯罪技術と、そんな現実離れした馬鹿馬鹿しい法螺話にリアリティを付与する圓生の話芸がピッタリと重なって、佐平次の犯罪技術に対する矜恃が圓生の話芸に対する矜恃に重なって見えるからではあるまいか。
これがどうにも鼻に附く。
これはつまり、平たく言やぁ、芸自慢だ。
「居残り佐平次」と謂う話が屈託なく笑えるとしたら、それは「居残り」それ自体が商売になると謂う人を喰った法螺の故であって、「居残りを名目とした詐欺」が商売になると謂うベタなリアリズムとは全然別の話ではないかと思う。
前者は図々しさとノリの良さで郭に寄生する暢気者のずぼらな日常を描く物語だが、後者は基本的に相互信頼の原則が活きていた社会性の裏を掻いて脱法的に儲けようとする小狡い奴の犯罪計画の物語である。
たしかに佐平次は一般に「落語の三大悪」と呼ばれるような小悪党と認識されているようだが、圓生の解釈では「居残り」の犯罪性が意識されすぎていて、しかも犯罪を成立させる技術に自身の話芸を重ねたアモラルな共感と誇りがあるように思う。
それ故に、たとえばオケラのくせに豪遊したいと欲するユーモラスな小悪党が、世間体を気にするプチブルの凡庸な善良性に舌を出すと謂うドライな滑稽味ではなく、そんな凡庸な善人を喰い物にする小悪党の世知辛さとか、手前勝手な矜恃、愚者を装って愚者を誑かす小利口者の軽薄な驕慢さが強調されて鼻に附くのではないかと思う。
どうもね、こう謂う噺は好きではない。
結局これって、ホリエモンとか村上世彰に通じるものがあるように思う。
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