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2009年3月18日 (水曜日)

What time is it now?

日頃よくお話をさせて戴いているhietaro さんのブログで、時折落語の話題が出ることに影響されて、最近はヒマさえあれば落語を聞いている。試しに「落語 昭和の名人」と謂うCDブックを何号か買って以来、iTunesストアで何本かオーディオブックを購入したりポッドキャストを利用したりしたが、基本的にはようつべを頼りになるべくカネが掛からないようにしている(笑)。

東京・上方を問わずかなりの噺を聞いてみたが、まあ今回は落語それ自体についての話ではない。夜中に名人上手の「時そば」や「時うどん」を聞いていると、とにかく蕎麦やうどんが喰いたくて仕方がなくなると謂うのは誰しも経験があるだろうが、そう謂う場合にどうするかと謂うのが今回のテーマである(笑)。

そもそもこの噺は、上方落語の「時うどん」が原話とされていて、それを関東に移植したのが「時そば」だが、聞き比べてみると「時うどん」のほうが滑稽譚として笑いを取りやすいし、話の流れにも無理がない。「時そば」のほうは、関東に移植されたことで五代目小さん流の仕方噺の典型としての芸の妙味が強調されすぎて、そんなに滑稽でもない気取った噺になったように思う。

サゲも剰りに有名だから識らない人はいないだろうし、そう謂う意味で関東式の「時そば」と謂う噺は腹を抱えて笑うような性格の噺ではないが、「時うどん」のほうは噺自体が滑稽なので、演じ方次第でとにかく笑える性格の噺になっている。これらを聞き比べてみると、関東の落語はかなり気取った話芸に感じられるだろう。

ただ、とにかくこの二つの噺では、麺を啜る仕方がキモとされているから、聞いていると無闇に蕎麦やうどんが喰いたくなる(笑)。夜中にこれを聞いていて堪らなく喰いたくなったと謂う場合、常識的な人ならコンビニに行ってカップ麺や日販品の小割け蕎麦だのざるうどんだのを買って済ませると思うのだが、何となく釈然としないものを感じる方も多いだろう。

落語に出て来るのは、二八の十六文そば(うどん)だから、担ぎ商売の時代の温かい蕎麦(うどん)なのであるが、一般家庭における選択肢としては、カップ麺か冷たい麺しかないと謂うのが実情ではないだろうか。夜中に自宅でそこそこ美味い温かい蕎麦(うどん)を喰うのは少し難しい。カップ麺と謂うのは本物とは完全に別物だから論外としても、乾麺なり生麺なりの温かくてそこそこ喰えるやつと謂うのは、意外と家庭で拵えるのは難しいものである。

乾麺や生麺を買ってきて家庭で食す場合、一番簡単なのは麺を湯がいてざるに取って冷水で洗い、それを水で希釈した麺つゆに浸けて喰うと謂うやり方だが、オレは長いことこの取り合わせが大嫌いだった。そこでいろいろ調べてみて、どうやったら自宅でもそこそこ喰える温かい蕎麦・うどんが作れるかと研究してみて、最近漸く何とか喰えるものが出来るようになった。

なので、今回は中華あんかけ焼きそばの作り方に続いて、一般家庭でそこそこ喰える温かい蕎麦・うどんの作り方を考えてみようと謂う趣向である。

流れとしては、ダシを取る→薬味のネギを刻む→天ぷらを揚げる→麺を茹でると謂う段取りが効率的だと思う。用意する厨具は、ステンレスのざるとボウル、ダシを取る片手鍋、天ぷらを揚げる鍋と油温計、麺を茹でる大きな鍋で、これにダシを漉して空ける鍋がもう一つあれば作業が楽である。全体のプロセスの中でざるとボウルは何度も使うので、一度使ったらすぐに流水で濯いで上げておくと好い。

食材については追々に説明する。


●ダシを取る

結論から言うと、市販の麺つゆが美味くないのはダシが効いていないからである。これは麺つゆの流通形態を考えると、傷みやすい魚介系のダシ汁を剰り多量に混入することが出来ないことと、腐敗を防止する為に普通より塩を効かせるので総体的に麺つゆが鹹くなる為に蕎麦屋のような味が出ないらしい。

醤油臭くて鹹いばっかりでダシの効いていない麺つゆを、水や湯で希釈しても立ち喰い蕎麦屋の味にすら及ばないのは当たり前の話である。盛り蕎麦にしろ掛け蕎麦にしろ、とにかく水ではなくダシ汁で麺つゆを希釈すると格段に味が違う。

一時期は「かえし」を自製することに凝っていたが、市販の麺つゆが美味くない理由を全体的に考えると「かえし」はそれほど重要ではないので、鹹味や甘味は市販の麺つゆで十分である。足りないのはとにかくダシの旨味なのだから、掛けつゆにおいてはダシを惜しみなくたっぷり取れば画期的に美味くなる。

これは量販店などで「ダシ用厚削り節」と謂う鯖節や鰹節を厚く削って混合したものを大量に安く売っているから、それで十分である。今ウチで使っているのは一級品を拵える序でに発生する木っ端屑のようなものを混ぜ合わせた一キロ大袋入り一三〇〇円の三級品だが、これでも別段家庭料理のレベルでは何ら不足はない。高いものは本当に高いのだが、安いものでも全然構わない。

厚削り節のダシはグラグラ煮立てて取っても構わないので、沸騰した湯に一掴みくらいガツンと豪快に放り込んで、ブワッと煮立ったら少しだけ火を細くして、鍋の中の対流で節が絶え間なく踊るくらいの火加減にする。

安物だと削り屑の粉ばっかりなので放り込んだ瞬間に盛大にアクが出るから、これを網杓子で掬い取り、泡が立たないくらいアクを掬ったらそのまま一〇〜一五分ほど煮立たせる。この場合、沸騰しないうちに節を放り込むと生臭くなるそうなので、湯が沸騰してから節を入れて泳がせるようにするのがポイントである。

所定時間煮上がったら、ステンレスのざるにキッチンペーパーを敷き、それを別の小鍋に載せ上から煮上がったダシを注いで漉す。鍋をもう一つ用意出来ない場合には、ボウルに空けておいてその間に鍋に残ったダシ殻を棄てざっと鍋を洗ってからボウルのダシ汁を戻すことになるが、これは結構面倒くさい(と謂うか、独り者の厨房に何故そんなに無闇にたくさん鍋があるのかを疑問に思ってはいけない(笑))。

漉し終えると黄金色の綺麗な液体が取れるが、これで各種のつゆの素を希釈すると、少なくとも立ち食い蕎麦屋程度には美味い麺つゆが出来る。冷たい蕎麦の場合でも、冷やしたダシ汁で麺つゆを割ると、水の場合とは全然違う。このダシ汁は金属の器に取ると金気臭くなると何処かに書いてあった気がするが、ステンレスのボウルに取っても別段それほど気になるような臭いは感じなかったから、気にすることはないように思う。

温かい蕎麦を前提に考えるなら、大量に作って一杯分当てストックバッグに入れて冷凍保存しても好いだろう。凍ったままのダシを直火に掛けて解凍して温まったら麺つゆを混ぜれば、時間はそれほど変わらないが手間の短縮にはなる。

この間に薬味のネギを刻んで水に浸けておく。ざるとボウルを濯いで水を張り、マルチスライサーなどで薄切りにしたネギを暫く水に浸けておいて、頃合いに流水でぬめりを洗い流しキッチンペーパーなどで水気を絞り小皿に取っておく。青いところと白いところを半々くらいにすると風味が好い。

気にならない人は水に晒す必要はないが、それだとネギの臭みが強すぎるのと、ぬめりの舌触りが悪いのと、輪切りのまんまで芯が残っていると麺との絡みが悪いと謂う複数のデメリットがあるので、オレは晒したほうがシャッキリして美味いと思う。


●天ぷらを揚げる

落語では、「時そば」は卓袱蕎麦、「時うどん」は掛けうどんであるから、別段天ぷらを揚げる必要はないのだが、ここは是非とも掻き揚げか竹輪の磯部揚げくらいは欲しいところである。

落語を聞いて夜中に喰いたくなる蕎麦・うどんと謂う括りで謂えば、やはりそれほど高級な料理ではなく、夜鷹蕎麦の正嫡である立ち食い蕎麦屋のレベルを目指すのが正解だろうし、多分それが家庭料理の分際と謂うものだろう。そして、立ち食い蕎麦屋と謂えば各種天ぷらを載せて喰うのが本道だろうから、多少贅沢でも何かを揚げて載せることを考えたい(勿論、面倒なら乾燥ワカメを放り込んで卵を落とし、薬味のネギを散らすくらいでも構わないのだが)。

天ぷらを単体で喰うなら、冷蔵庫から出したばかりの冷たい卵と冷水を混ぜて卵水を作り、そこに薄力粉をザッと粗く混ぜると謂う形でサックリした食感を出すが、立ち食い蕎麦屋的な感覚で温かい蕎麦やうどんに載せることを考えると、衣が厚めでモッタリしていたほうがそれらしい感じになる。

なので、この場合は普通に天ぷらを揚げる場合の逆目で行くことになる。前段で薬味のネギを水に晒して小皿に上げたら、ボウルを濯いで衣を混ぜるのだが、卵水は少なめにして固めの衣を作り、そこにむきエビやイカ、貝類などの具を混ぜ合わせる。

この際に卵も水もぬるめにして、粉を混ぜたら泡立て器で滑らかになるまでよく混ぜ合わせて粘りを出し、若干グルテンを作る。人の奢りながら何度か専門店で喰った経験で言うと、天ぷら屋でも掻き揚げは普通のタネ物とは違って若干衣に粘りを出して揚げている店が多いのではないかと思う。

ウチでは具材もやっぱり安物の冷食で間に合わせていて、エビはともかくイカは歯応えばかりで全然イカらしい味がしないので、酒と醤油に浸けて下味を附けている。エビのほうは下味は附けないが、食感向上の為に事前に重曹をまぶしておくのが定石である。

まあ、基本的にそのままでも喰える魚介類なら何を混ぜても別段問題はない。何もないときには、コンビニで売っているアサリの酒蒸しやイカの一夜干し、カワエビの唐揚げなどのつまみ類を酒で洗って入れても好いだろう。オレはエビの殻が大好物で、エビ天を注文したら必ず尻尾まで喰うので、カワエビなんかは割と好みである。

東京在住で日本橋・神田辺に土地勘のある人は、昔その辺のビジネス街を中心に「十六文そば」と謂う立ち食い蕎麦の小チェーンがあったことを憶えておられるかもしれないが、あそこは「小諸そば」なんかに比べると蕎麦やつゆの仕立ては野暮ったかったが如何にも立ち食い蕎麦と謂う感じでオレは好きだった。取り分け揚げ物の種類が豊富なのが有り難みで、就中エビ殻好きのオレは「おきあみ天」が好物だったから、必ずそれを中核に据えて二品くらい単品の天ぷらを合わせていた。

この「おきあみ」と謂うのは、要するにエビに似たでっかい動物性プランクトンで、一応エビの親戚ではある。ヒゲクジラ類の主食として有名だが、調べてみると生の形で市場に流通しているのは主に「釣り餌」として扱われているものである。「海老で鯛を釣る」の「海老」と謂うのは、つまりこれのことだろう。

要するにオレはゴカイやトビケラと同レベルの代物を嬉しがって喰っていたことになるのだが(笑)、味や食感はカワエビと殆ど変わらないし、生の形では滅多にお目に掛からないが、ナンプラーや干しエビと謂う形で食用に供されている。DHAも豊富に含まれているから、クジラや魚だけではなく人間様も喰わない手はないと思う。どうも十六文そばは潰れてしまったか規模を縮小したらしく、立ち回り先にはなくなってしまったので、おきあみ天そばを手繰る機会がなくなってしまったのが惜しまれる。

エビ殻の繋がりで謂うなら桜エビの掻き揚げなども結構美味いのだが、桜エビも駿河湾産の良いものはけっこう高い(笑)。「イトメンのちゃんぽん麺」で育った北陸人の感覚からすると、汁麺と桜エビはベストマッチなのだが、桜エビはやっぱり良いものを喰うと安物を喰う気がしなくなるので、結構高く附くのがネックである。似たようなものとしては、シラスなんかも好いだろう。シラス干しでも釜揚げでもそのまま喰えるので気軽にタネに使えるのが重宝である。

あとはタマネギや大葉なんかを刻んで入れればそれっぽい感じになるが、以前何処だかの立ち食い蕎麦屋に入ったとき、無難に掻き揚げ蕎麦を誂えたら具がタマネギだけでしみじみと哀しい想いをして以来、どうもタマネギは鬼門である(笑)。タマネギしか入っていないのであれば、「掻き揚げ」などと大層なところは名乗らずに、正直に「たまねぎ天」と名乗るべきだと思うのだがどうか(笑)。

変わったところでは、紅ショウガ天なんかも結構美味い。出来合いの紅ショウガの汁を拭って生地に混ぜて揚げるだけだが、こう謂う馬鹿馬鹿しい安直な喰い物が喰えるのは下町の総菜屋か立ち食い蕎麦屋くらいのものである。もう少し気の利いたやり方だと、生の生姜の千切りを適量掻き揚げに混ぜると謂う形になるが、紅ショウガオンリーの天ぷらと謂うのは至って下世話な発想で、立ち食い蕎麦の具材には相応しい。紅ショウガだけでは淋しいと感じるなら、イカやタコの具足のぶつ切りを少量加えると合う。これはつまり、たこ焼きなんかと原料構成が同じだからである(笑)。

とまれ、具材の能書きはこのくらいで一旦措くとして、いよいよ天ぷらを揚げるわけだが、独り者なので揚げ物を作るとなると揚げ油が非常に勿体ない。これも量販店の安物を使って節約してはいるが、それでも一度に大量に使って大部分廃棄する(ウチでは一度使った油は再利用しない方針である)ものだから莫迦にはならない。

更なる節約の為に二〇センチ径くらいの小さな底の丸い炒め鍋を使っているのだが、少量の油で揚げると油温がすぐ乱高下するので、油温計を使ってマメに適温をキープする必要があって、これはこれで結構面倒くさい。

一六〇度くらいに油を熱したら、玉杓子を使って鍋肌から滑らすようにして具を流し込み、杓子の底で平たく均して形を整える。掻き揚げを揚げる場合、普通の天ぷらのように油に直接入れるのではなく、鍋肌を滑らせて底面を作るのが秘訣だそうだ。底の丸い炒め鍋を使うのはそう謂う理由からで、端のほうから玉杓子でそっと滑り落とすと上手い具合に掻き揚げの底が出来るので、要するに多めの油でお好み焼きを揚げるような感覚である。

このとき生地が厚くなると中まで火が通らなくなるので、なるべく平たく均してやると失敗が少ない。三分くらい揚げて引っ繰り返して、また三分たったら引っ繰り返して、仕上げに二分くらい揚げてやれば大丈夫だろう。掻き揚げは失敗すると中の衣が半生なことが多いのでなるべく平たく均してじっくり揚げたほうが好い。失敗すると電子レンジの出番となって甚だ不細工なことになる(笑)。

掻き揚げを引っ繰り返すときに乱暴にやると油が撥ねてどえらいことになるので、網杓子かトングを使って静かに慎重に返す。小さい鍋で揚げる場合は、鍋を傾けて油を寄せて油のないところでゆっくり返してから油の中に滑り込ませると安全である。頃合いに揚がったらバットに取る。

ここでオレはいつも、揚げ油が勿体ないので掻き揚げを揚げた後の油で揚げ玉を揚げているのだが、これは余った生地をシャバシャバに溶いて、匙で少量ずつ油に投入すると勝手に水分が弾けて細かくなるので一度に大量に出来るが、粉が少ないのでかなり軽い食感のものになってすぐ溶けるから、かなりたくさん作らないといけない。

モッタリしたのが好みなら、生地を水でゆるめず何本か束ねた割り箸を浸して油の上で振り落とすとしっかりした大きめのものが出来るが、火が通るまでにちょっと時間が掛かるので、少量ずつしか出来ないのがネックである。

いずれにせよ、揚げ玉と謂うのは本来天ぷらを大量に揚げた際の副産物なので、目的的に揚げ玉を作る決まったやり方はない。独身者なので、天かすが取れるほど大量に天ぷらを揚げる機会がないから、仕方なくこう謂うやり方をしているわけである。

例によって、天ぷらを揚げ終えたら、余った生地をこそげて棄てた上でサクッとボウルを洗っておく。


●麺を茹でる

麺を茹でるには大量に湯を使うので、天ぷらを揚げにかかる前から湯を沸かしておくとロスがない。普通の家庭には二口しかコンロがないが、「揚げ立ての天ぷらが熱々のつゆに浸かってジュッ」と謂うような贅沢なことを考えていると、一般家庭ではコンロが三口に手が二人分くらい必要になるので、天ぷらの揚がりと麺の茹で上がりを揃えるような高度なテクは考えないことにするとしても、やっぱり天ぷらが冷めるほど時間が掛かるのでは上手くない。

天ぷらが揚がった頃に茹で湯が沸くくらいの計算で、湯が沸騰したら揚げ鍋の油を油漉しに空けて揚げ鍋を始末し、空いたコンロにダシの鍋を掛ける。中火くらいでダシ汁を再加熱し、麺を茹でている間にダシ汁が沸いたら、蕎麦の場合は麺つゆ、うどんの場合は白だしを合わせて味を調える。

麺つゆは説明不要だが、白だしと謂うのは白醤油をベースにした煮物用の調味料で、関西風のうどんつゆを作る場合非常に重宝なので、スーパーなどで見掛けたら買っておいて損はない。ただ、原液のままだと見た目より相当しょっぱいので、必ず薄めて使う必要がある。麺つゆのような感覚でそのまま炒め物などに使うと物凄くしょっぱくなる。色は薄いが醤油の原液と同レベルの鹹さだと心得て使うべきである。

いよいよ麺を茹で始めるのだが、麺が茹で上がったらもう後戻り出来ないので段取りをキチンとしておかねばならない。蕎麦の場合はたっぷり湯を沸かして予め丼一杯分くらいの沸騰した湯を別にボウルにとっておく。沸騰ポットなどで別途一〇〇度近い熱湯が用意出来るならこれは必要ない。

麺はやっぱり乾麺よりも生麺のほうが美味い。蕎麦の場合はたっぷりの湯で所定の茹で時間の半分強くらい茹でてステンレスのざるに取り、ボウルに浸けぬるめの流水に掛けて両手で軽く揉み合わせるようにしてぬめりを取る。

乾麺の場合は乾物臭さを取る為によく流水で洗ったほうが好いが、基本的にオレは、舌の先が痺れるような厭な後味を感じるので殆ど乾麺の蕎麦は喰わない。うどんもざるうどんに向くような稲庭うどん系の細くて透き通った麺はそれほど好きではないので、やはり主に生麺を使う。

うどんの場合、冷食でも結構喰える麺があるので、それで済ませても構わない。やはり難しいのは蕎麦なのである。大本の「時うどん」でも、「うどんちゅうのは、粉ぉは多少アレでもダシで喰わすもんじゃさかい」と言っているように、比較的うどんは麺の調達に困ることはあまりない。

ざるを上げてざっと水を切ったら、先ほど取っておいた熱湯に蕎麦を潜らせ、湯の中をサッと泳がせて蕎麦を温め、再びざるに取って湯を切る。温かいうどんの場合は所定時間通りに茹でて、ざるに取ったらそのまま丼に空けて構わないのでそれほど問題はないが、蕎麦の場合、一旦茹で上がったら打ち粉や蕎麦湯のぬめりを流水で洗い流す必要があって、温かい蕎麦の場合は再度蕎麦を温めなければならないので、その為に熱湯を用意しておくわけである。

冷たい蕎麦の場合のように冷水でシャッキリ締める必要はないが、冷水で締めずに洗いさらに熱湯を潜らす間ずっと糊化が進むので、その分だけ茹で時間を少なくする。所定の半分くらいから試してみて、ちょうど好い茹で時間を確認すると好いだろうと思う。

麺が茹で上がったら、丼につゆを張り、麺を泳がして天ぷらや揚げ玉を載せれば出来上がりである。

出来上がったら、好みで薬味のネギを散らして七味を振ると、かなりそれらしい出来になる。冷蔵庫の中に余り物があれば、カマボコやナルトを切ったりホウレン草の塩茹でを添えても彩りが綺麗である。うどんの場合はダシの味が前面に出るので、ダメ押しに花かつおを踊らせても好いだろう。

そう謂うプロセスで、ダシを取るところから始めても大体一時間以内で出来上がるのだが、コンロが三口あれば若干短縮出来る。逆に言えば、夫婦者や同居家族が二人で作業を分担してもコンロが二口なら殆ど所用時間は変わらない。

ウチの場合は材料をすべて量販店の安物で済ませているので、蕎麦や天ぷらの具は疎かダシから揚げ油から調味料まで一切合切計算しても、二食分で原価三〇〇円前後であるから、夜食にはちょうど好い。二食分になるのは、生蕎麦の個包装が二食単位だからであるが、昔の感覚では成人男性が蕎麦を替えるのは当たり前のことなので、夜中に二食分くらい喰っても喰い過ぎと謂うことはない。

以前は使用済みの揚げ油の始末に困ったものだが、最近は少量しか揚げ油を使わないので油漉しに溜めておいて、使用済みのキッチンペーパーを溜めておいたコンビニ袋に空けて口を固く縛って燃えるゴミに出している。

 

そんなこんなで、ヒマさえあれば「夜中に突然何かを喰いたくなった場合」に備えているわけだが(笑)、田舎に引っ込んで近所に何もない暮らしになってからとみにその傾向が非道くなったように感じる(笑)。

蕎麦やラーメンならともかく、常日頃から夜の夜中に中華あんかけ焼きそばが喰えるように備えておく必要はさらさらないと思うのだが(笑)、段々歳を取ってくると色気よりも喰い気一方に凝り固まってくるのが困りものである。この調子では、そのうち夜の夜中にドーナツだのサーターアンダギーだのを揚げそうな勢いなので、精々自重することにしている。

そう謂えば、冒頭で挙げたhietaro さんのブログでは、毎回エントリ末に「突然食いたくなったものリスト」と「本日のBGM」を添えるのが定番スタイルだが、あれを全部自作するなり夜中にクルマを飛ばして買い求めるなりして喰っていたら、九割は尊敬するけれど残り一割ほど軽蔑しちゃうな(木亥火暴!!)。

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コメント

い、いえ、さすがに全部はありません。(^^;;;
いや、ほとんどありません。

しかし数割は、そこそこのお金や手間がかかっても買うなり作るなりしてしまいます。

何というか、口がそれの形になってしまって、それ以外は入らなくなるという状態になることが多いので。(^O^)

それができない場合は悶々としています。

悶々指数高し。

投稿: hietaro | 2009年3月19日 (木曜日) 午前 03時15分

>hietaroさん

>>しかし数割は、そこそこのお金や手間がかかっても買うなり作るなりしてしまいます。
>>
>>何というか、口がそれの形になってしまって、それ以外は入らなくなるという状態になることが多いので。(^O^)

わかるなぁ(笑)。ただ、オレの場合は割と喰いたいものが限られているので、そんなに対応には困らないですが、hietaro さんの場合は無闇にたくさん引き出しがあるので大変ではありますね(笑)。

流石食い倒れの街大阪と謂うべきか、ローカルな美味しいものが極日常的にあるようですね。東京だと、たしかに全国各地は疎か世界各国の美味い物が手に入りますが、それは「売っているところに行ってカネさえ出せば何でも買える」と謂うことで、そう謂うふうに身近に美味いものが溢れていて、ちょっとした食の楽しみが生活に根付いていると謂う感じでもないように思います。まあ、hietaro さんはちょっと特別なのかもしれませんが(笑)。

これはpoohさんの仙台市に関するエントリでも感じることですが、昔の都会が担っていた「まち」の機能と謂うのは東京ではすでに壊滅していて、さらに地方の小都市や郡部のような田舎町でも、コンビニや郊外型施設の台頭によって分散傾向にあって、そのようなコミュニティ的な都市機能が残っているのは、京大阪や名古屋、仙台、札幌のような地方の大都会だけなんではないかと思います。

オレの郷里のほうで謂うと、金沢なんてのはあんまり都市的な街でもないですね。そこだけで何もかも自己充足していると謂う感じでもないし、観光資源が割合豊富だと謂うだけで、都市的な観点で何か目立った特徴があると謂う生活圏でもありません。これはつまり、石川県全体が生活満足度の高い地域ですので、都市的な集約の利便性に対するニーズが歴史的に低かったと謂うことかもしれませんが。

投稿: 黒猫亭 | 2009年3月21日 (土曜日) 午後 12時29分

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