噺は変わるが
先日の落語のエントリについて、摸捫窩さんが言及エントリを書いてくださった。
ちなみに「摸捫窩」は「ももんが」または「ももんがぁ」と読み「オバケ」を表す由緒正しい言葉である(笑)。実はオレもうかと読めなかったのだが、直接ご本人に由来を伺うと、鳥山石燕の妖怪画の賛から採られたとのことで、日頃京極小説について触れる機会が多いにも関わらずちつとも心覚えがなかったと謂うのもお恥ずかしい次第である。
さて、あちらのエントリで語られている話題とは、ざっと括れば落語と時代性のようなお話で、就中後編では時代と共に内容が変わってしまった噺について触れておられる。当方のエントリのコメント欄で寿限無のサゲが変わった話をしたが、そう謂う落語のブラックユーモア的な部分についてのお話である。
これについては一応の考えもあるので、あちらでお返事を差し上げようかと思ったのだが、コメントに文字数制限があったので、オレのような話の諄い者が無闇に連投しても迷惑が掛かると思い、こちらでエントリを立てることにした。
論題が論題であるから、以下の話ではちょっと現代の感覚では不謹慎に感じられる言葉が続出するので、続きは畳むことにする。そう謂うのが不快に感じられると謂う方は、少しご注意願いたい。まあ、畳んだからと謂って、大して実のある話も出来ないのだが…と謂うか、それほど摸捫窩さんと違う意見を持っているわけでもないので、雑感程度の話ではある。
以前のエントリでも少し触れたが、昔の米朝がマクラでよく語っていたことに「三ボウの教え」と謂うのがある。落語と謂うのは基本的に笑話であるから、笑うことは嘲笑や軽侮に通じるわけで、笑うほうは好いが笑われるほうは面白くない。マクラの世間話でも滅多矢鱈に特定の職業や立場の人々を引き合いに出すと差し障りがある、これは今昔を問わず常にそう謂うものである。
そこで米朝の先達に当たる人々がよく言ったのが「三ボウ」と謂うことで、この三つのボウをネタにする限り大概差し障りは出ないと謂うのだが、これはつまり「つんぼう、どろぼう、けちんぼう」の「ボウ」である。
つんぼうは耳が不自由なのだから寄席に落語を聴きに来ないし、どろぼうは聴きに来たところで「よくも俺様を虚仮にしたな」と故障を言い立てる恐れなどはない、けちんぼうに至ってはわざわざ銭まで払ってくだらない噺を聴きに来ない、そのような意味の話であって、これ自体が一種のマクラの洒落で、盗人噺や吝嗇譚を始める前フリのようなものである。
これは、泥棒とけちん坊は本人が好きずきでやっているのだから構わないが(笑)、つんぼうについては、本人の意志とは関係がないのだから笑いのネタにするのは不穏当ではないか、と謂うのが現代の感じ方だろう。そう謂う次第で、差し障りを語るこのネタ自体が差し障るご時世になって、この洒落を口にする噺家はいなくなった。
これなどは、幾ら何でも身体障害者を笑うと謂う感覚は剰りに時勢に合わないし、そもそも「つんぼう」と謂う言葉自体がすでに侮蔑的な差別用語と見做されているのだから自主規制したのだろうと思われる。また、この洒落が滅んでしまったからと謂って口演出来なくなる噺があるわけではないから、左程大きな影響があるわけではないだろう。
手許にある音源や動画でも、六十年代か七十年代の収録と思しき音源では幾つかの噺のマクラで語っているが、八十年代末から九十年代にかけての映像ではすでに口にしていないから、普通に世間で「ピー」の嵐が吹いた頃にやめたのだろう。
ただこれは、自主規制なのだとは思うが、「何故」と謂う意味ではもうワンクッションあるのではないかと謂うのがオレの意見である。
たとえば、以前語った「寿限無」や摸捫窩さんが触れておられる「藪入り」の噺が何故変わったのかと考えると、これはたしかに社会性の違いもあるのではないかと思うが、もっと直截には「ウケ」の問題ではないかと思う。
元々原話となった「お釜さま」と謂うのは商家における小僧の性的虐待の実録譚だったのだが、明治時代に「鼠の懸賞」に改作され、三代目三遊亭金馬が「藪入り」に改作したと謂う流れのようだが、そうすると江戸時代に遡る原話が、明治時代にはすでに性的虐待と謂う事件性の部分が払拭されて、藪入りで実家に帰った子供が持っていた不相応なカネと謂う部分をコアに据えた噺に改作されていたと謂うことになる。
なので、オレの子供の頃まで「名前が長くて手遅れになった」と謂うブラックな笑いをサゲに持っていた「寿限無」の改作とは一〇〇年近く時代性が違う。
この噺を十八番にしていた金馬と謂う人は、戦後から晩年に掛けて物凄くポピュラーな人気を誇っていた噺家だそうで、ユーモラスなルックスの或る種落語家のベタな一典型のような芸人だったそうだが、この金馬の「藪入り」の動画はオレも観たことがある。
藪入りで戻ってくる子供を待ちわびて戸口に立ったり、これでもかとご馳走を用意したり、到底不可能なほどてんこ盛りの物見遊山を計画したりと謂う親心をユーモラスに描いて、クスクスと笑わせながらもホロリとさせ、いざ子供が帰ってくると、何はともあれサッパリしなと湯屋に遣った子供の荷物から出てきた不相応な大金を巡る疑惑でサスペンスを盛り上げる。
湯屋から戻った子供を父親が膝詰めで問い糾す場面がクライマックスで、非ぬ疑いを掛けられた子供の悔しさがサゲで笑ってカラリと回収される呼吸など、下町の市井の情感と乾性の笑いに溢れたわかりやすい人情噺に仕上がっている。
これが元々は不潔な性的虐待の実録噺だったとは思えないのだが(笑)、以前のエントリのコメント欄で語ったように、落語には講談や浪花節などと同様にワイドショー的な性格もあったわけで、実録の部分を物語化する演者の創意に落語と謂う話芸の面白みがある。であるから、古典落語として時代を超えて伝授されていく過程において、真っ先に風化するのが実録ダネとしてのビビッドなゴシップ性だと謂うことではないかと思う。
この噺については「藪入りで戻った子供が持っていた不相応なカネ」と謂う、おそらく後附けで創作された状況設定の部分が物語構造として面白くて、別段それが性的虐待の口止め金でなくても通用するなら、そう謂う一過性の実録ダネ的なゴシップ性の部分は棄てられても構わなかった、寧ろ客層を選ばずに口演出来て便利だった、と謂うことではないかと思う。
だとすれば、「寿限無」のサゲや状況設定が変わってきた事情とは違うと謂う言い方も出来るが、内容が変わってしまう直截の原理は変わらないのではないかとも思う。それはつまり、観客の反応である。
おそらく、「お釜さま」が「鼠の懸賞」になって「藪入り」になる過程で働いている原理と謂うのは、客の反応を視て噺を工夫していくと謂う口承芸能独自の運動性なのではないかと思う。米朝はそれを「商品にする」と謂うふうに表現しているが、彼は滅びかけた上方噺を大量に発掘した功績で識られているが、古い噺を聞き出してそれをそのまま高座に掛けるだけでは「商品にならない」と謂うふうに考えていたようである。
米朝の時代の客に通用するように工夫を加えてこそ「古い噺を伝える」と謂う使命が達成されると謂うのが米朝の芸論で、だから米朝が語る古典の上方噺は昔の噺家が演じていたそのままではない。
翻って「藪入り」や「寿限無」の事情を考えるなら、この両者に共通している事情と謂うのは「そのままではウケなくなった」と謂うことなのかな、と思う。前者で謂えば、誰もが島屋で起こった性的虐待事件の噂を識っていた頃は、その事件性の部分がメインフィーチャーだったが、その事件性が風化すると、物語構造自体は藪入りを巡る親子の情感の噺でも通用するのに、何故か陰湿な性的虐待の艶笑の性格が付随していて素直に笑えない、と謂うことになっていったのではないか。
では、その部分は要らないから別の理由にしましょう、と謂うことで「鼠の懸賞」と謂う当たり障りのない改作当時の現代性で補填するが、これもやはり時代と共に風化して保健所が鼠を買い上げていたと謂う習俗が消滅することで通じない噺になる。ただ、今の時代においては、古典落語と謂うのは幕末から明治時代までの風俗を今に伝える伝統芸能と目されているから、そのくらいまでの時代性の違いは説明で補うことにしよう、こう謂うことになっているのではないかと思う。
まあ、そうでないと、すでに「藪入り」と謂う慣習自体が遠い過去のものに過ぎないのだから、噺自体が風化したと謂うことになってしまう。
一方「寿限無」のほうだが、これがおそらく六十年代から七十年代くらいまで子供が死ぬサゲで通用していたのは、月並みな言い方をするなら、まだその当時は大家族主義が活きていて、相対的に子供の早世と謂う事柄の持つ重みが現在とは違っていたのではないかと思う。オレの親くらいの世代までは、四、五人兄弟がいて一人か二人が子供の頃に亡くなっていると謂うのは普通の家庭事情であった。
身も蓋もない言い方をするなら、子供と謂うのは呆気なく死んでもおかしくないものであったから、その保険として何人も子供を生んでいたわけである。
実際、オレの実家でも父親の兄が幼時に早世していて、それが何処の家でも当たり前にある普通の事情であった。しかし、その後の大家族の崩壊・核家族化の流れや社会の高学歴化に伴って、少なく生んで大事に育てると謂う家族像が一般的になってきたわけであるから、オレの子供の頃と今とでは、子供が死ぬと謂うことのインパクトが全然違ってきているわけである。
それで落語の口演にどのような違いが出てくるかと謂うと、端的に言って子供が死ぬような噺はウケなくなってきたのではないかと思う。これは逆に謂うと、一般的にウケがとれる限り、落語においては不必要な自主規制の圧力は働かないと謂うことではないかと思う。
これは落語の伝播規模にも関わってくることだが、これについてかなり遠回りな話をすると、少し前にホリエモンによるニッポン放送買収騒動が起こり、その関係でフジテレビとニッポン放送の資本関係の捻れが調整され、その一環として、ニッポン放送のアナウンサーが大勢フジテレビに転籍することになったのだが、「アナ☆ログ」と謂う関東ローカルのアナウンサーバラエティなんかを視ると、やっぱりラジオのアナウンサーはテレビのアナウンサーに比べて発言がユルい部分がある。
たとえばラジオの深夜放送なんかでは、まずテレビでは在り得ないような不謹慎な発言が相次いだりして、先般の北野誠の一件などもこのラジオの自由な雰囲気と関係が深いと思うのだが、ラジオだろうがテレビだろうが公共の電波に乗せた公開の発言であることには変わりがない。にも関わらずラジオがテレビに比べて自由度が高いように感じられるのは、単に視聴規模の違いにすぎない。
そう謂う意味では、オレは芸能人が「ラジオのほうが自由に出来る」と言っていたりすると、それは勘違いに過ぎないのではないか、いつか痛い目に遭うのが当たり前だろうと思ったりするのだが(何せ素人のブログの発言がこれだけ物議を醸す世情であるのだから)、それはともあれ、これが寄席芸能となるともっと自由度が高いと感じられるのが自然であるし、寄席は垂れ流しの「公共放送」ではないのだから、その自由度にはたしかな理由があるわけである。
末広、鈴本、浅草などの定席は大体キャパが三百前後、池袋に至っては九十人強であるから、極々規模の小さい興行形態である。このような演芸場に足を運ぶのは主に落語の素養のある大人であるから、そう謂う意味では未成年や望まざる客の視聴が効果的に制限出来ないテレビとはまったく事情が異なる。みんな、落語とはこう謂うものだと謂うことを理解して自由意志で鑑賞している成人なのだから、発言の不謹慎さと謂う面については公共放送に比べて格段に自由度が高い。
寄席では出来てもテレビで放映出来ない噺なんかもかなり多いわけで、落語の社会に対する主要な接点が寄席であるなら、不謹慎なネタや差別用語の頻出する古典落語なども口演可能だろう。
一方では、現在のコピーメディア、CDやDVDのような形で残っている記録はラジオやテレビでの放送を目的として収録されているわけであるから、そう謂う音源や動画については、まずあんまり危ないネタはないわけである。
寄席や落語会における直接鑑賞ではなく、放送やコピーメディアを介して個々の演目ごとのポピュラリティが決まってくるとすると、やはりあんまり不謹慎なネタは社会における認知度が低くなると謂うことになってくる。認知度の低いネタよりも高いネタのほうがウケが好いだろうから、そう謂う形で公共放送の自主規制の基準が間接的に働いていると謂うことは言えるかもしれない。
大本の話題に戻るなら、落語と謂うのは元々客とダイレクトに接する口承芸能であるから、常に個々の演者ごとの工夫と謂う形で改作が行われていると思うのだが、その基準となるのは「ウケ」のリアクションではないかな、と思う。
「三ボウ」のマクラが廃れたのも「お釜さま」が「藪入り」になったのも「寿限無」のサゲが変わったのも、直接的な原因は「客の反応が悪くなった」からではないか、つまり客の社会的な感覚が変わって、それに連れてウケの基準が変わってきたから、それに対応する形で落語もまた変わってきたのではないかと思う。
おそらく、「名前が長すぎて間に合わなかった」と謂うサゲに対して「あははは」と謂う素直な反応が得られなくなってきたから、それに対する工夫として「何故ウケないのだろう」と謂う考察があって、その考察を踏まえた上で「名前を言っている間にコブが引っ込んだ」と謂うサゲが考えられたのかな、と思う。
これは、落語がリアルタイムのエンタテイメントである以上、常に噺の骨格や細部が時代性に合わせて変化していくのは仕方のないことではないかと思う。現在只今の客が不愉快に感じるような噺を、そのように伝わっているからと謂ってそのまま語るのでは、現在只今の芸能としての活力を失ってしまうだろうし、第一客が笑わない。
米朝が噺家としての一線を退く際に、「もう時代の変遷についていくのが辛くなってきたから」と謂う理由も挙げていて、落語と謂うのは常に現代の感覚にアップデートしてリアルタイムの笑いを得る芸能であると謂うようなことを言っている。
前述の「商品にする」と謂うことの一環だろうと思うが、要するに明治期に語られた落語は幕末の頃そのままではないし、大正期の落語はまた明治期とは違った形に変化しているのだし、長かった昭和の時代を通じてやっぱり噺は変わっていった、そう謂うことなのかな、と謂うのがオレの意見である。
それから、これは余談であるが、摸捫窩さんが、
ですから、機会を作るという意味で、学校での文化行事で誰かを呼ぶ時などに、音楽家や漫才師も良いけれど落語家を呼んで欲しいのです。できれば古典がきっちり出来る人が良いのですけどね(うちの学校に林家こぶ平が来たときは漫談しかしなかった……)。
と仰っていることについては、割合明るい材料があると思う。何度も強調しているように、オレはつい最近になって落語を本格的に聴き始めたから、蓄積した資料のような形で音源やビデオを持っていなかったので、ポッドキャスティングやネットの動画などをよく活用するのだが、最近の若手の落語家が必ずと言って好いほどマクラのネタにするのは、学校主宰の落語会の話題である。
これは、寄ると触るとその話題が出てくるくらいだから、かなり頻繁にその種の催しが行われているらしい。まあ、ぶっちゃけ音楽家や売れっ子漫才師を呼ぶよりも、それほど有名ではない噺家を呼ぶほうが安上がりだし招聘側の都合が通ると謂う事情もあるのだろうけれど、何にせよ落語会が学校行事として以前よりもポピュラーになってきていると謂うことは言えそうである。
大概のパターンだと小学校や幼稚園など低年齢の対象が多いようで、噺家の側から視ると差し障りのある噺が多すぎて演目のチョイスに困ると謂うことになるが(笑)、郭噺や艶笑噺はダメだろうが、無難にナンセンスな滑稽噺を選んだり、小話を幾つか披露する形で凌いでいるようである。
これはやはり、落語ブームと謂うのも棄てたものではないわけで、一種の伝統芸能としての尊敬を受けると謂うことによって、大昔ほど落語が卑俗な芸能とは見做されていないと謂うことなのだろう。
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コメント
こちらでは、はじめまして。
当方のエントリへの言及ありがとうございます。
黒猫亭さんの文章を拝見しまして、改めて考えてみました。どうも私は落語の持つ、変化してゆく口承文芸としての自由性という点へ考えが十分に及んでいなかったようです。自分の見方はちょっと単純だったかと思います。
直接観客と向き合うという性質上、その反応から一番影響を受けるというのは確かにその通りですね。逆に言うと、社会状況などの変化の影響は、むしろ観客の側にあると言えるかもと思ったりもします。
また、落語が扱う対象にワイドショー的なものがあるという指摘も成る程と思わされた所で、そういえば私が「風の神送り」について知った論でも、特定の事件や風習を扱う“伝説”的なものと、純粋な笑い話に近い“昔話”(中国の古典の翻案であり、かつ今でも頻繁に演じられる「饅頭怖い」など)があるということが指摘されていました。つまり、風の神送りという風習が廃れると共に、それを扱った噺も演じられなくなっていったという訳です。
変化については観客の反応=「ウケ」という点が要因としてまずあるのではということについては、納得させられました。
ただ、黒猫亭さんも触れられているように、自主規制の基準が間接的に働くということはやはりあるのではと思うのです。それは、確かに寄席へ来るような人々が落語のコアな部分を支えているかも知れないけれど、触れる機会という観点で考えると「放送やコピーメディア」からと言う人が関わりとしては浅くとも数としては多いのではと思うからであり(実際私が触れたきっかけも名人集という録音からでした)、また、ソースを忘れてしまったので信憑性が無いのですが、最近は与太郎の登場する噺がやり難くなっている、というような内容のことを聞いた憶えがあるからです。
ただ、それもおそらく自主規制というより“ウケが悪いだろう”と考えたから、という方向で捉えた方が正確なのでしょう。
余り関係ないですが、こういうことを考えていると、勝新の座頭市の「(博打に)目がないもんで」なんていう皮肉を思い出します。今新たに撮ったらこの台詞は無いでしょうね。市の人間性が表れている台詞だと思うのですが。
>学校主宰の落語会
これは良いことだと思います。様々に変化して来たといは言え、古典芸能の一つであり、構えずに楽しめるものとして貴重だと思いますので。
何かまとまりのない文章で申し訳ないです。
投稿: 摸捫窩 | 2009年6月 1日 (月曜日) 午前 01時24分
>摸捫窩さん
ようこそお越しくださいました。
>>逆に言うと、社会状況などの変化の影響は、むしろ観客の側にあると言えるかもと思ったりもします。
まさしくその通りだと思います。落語に対して社会的な同調圧力が働くとしたら、それはおそらく観客の側の感覚が直接影響するのではないかと思います。その辺が少しTVなどのマスメディアと違うところかな、と思うんです。
TV放送で差別的な用語に配慮するのは、平たく謂えばクレーム対策と謂う身も蓋もない側面が強いと思うのですね。なので、直接的に想定されている対象は市民活動団体などの活動的なクレーマーであって、一般視聴者と謂うマッスではないと思うんです。そう謂う意味で一般視聴者の意識の変化に先駆けて不都合な用語が抹殺される、寧ろそれを通じて一般視聴者の意識が変化する、と謂う傾向があると思うんです。
これはこれで、過剰に尖鋭にならなければ一定の理のあることで、TV受像器やラジオ受信機さえあれば誰でも視聴・聴取可能な公共放送で、社会的弱者の差別を助長するおそれのある言葉や、そのような立場の受け手が精神的苦痛を覚える用語を垂れ流すことには一定の配慮があって然るべきでしょう。
一方、本来的な寄席芸能は小さなキャパの小屋で対面的に客に向かい合う芸能と謂う側面があるわけで、公共放送とは性格が大きく異なります。その意味で客層を読む能力が求められるわけで、本文で挙げた「三ボウ」の話でも、その前にたとえば「税務署は嫌われ者だから差し支えなかろうと思ってボロクソに言ったら、税務署の団体さんが来ていた」と謂う笑い話を振ったりして、要するに落語には「陰口」を叩いて笑うような人の悪い性格もあるわけですね。そして、「つんぼう」はそもそも落語を聴きに来ないからその噺をしても安心だ、と謂う冗談を言っているわけですから、やっぱりこれは「陰口」の性格もあるんですよ。
実際、落語独特の言い回しとして「われわれはよく○○の『お噂』を致します」と謂うのがありますが、これは噺家が楽屋の仲間内でその種のゴシップをよく語ると謂う意味ではなくて、落語の噺自体を指して「お噂」と称しているわけです。つまり、落語と謂うのは「噂話」の性格もあるわけで、当然「噂話」と謂うのは当事者がいないところで語るものです。これは寄席と謂う限定されたハコ、その時々に場を共にする特定の観客集団と謂う括りがあるから成立する性格で、ハコと謂う限定のない公共放送ではそもそも「陰口」の叩きようがないわけです。
本文で少し触れたラジオの自由度と謂うのも、「聴いている人の絶対数が少ない」と謂う曖昧な根拠に基づいて醸成された空気であって、敢えて悪い言い方をするなら、これもやはり「陰口」的な側面があると思うんですね。ちょっと引き合いに出した北野誠の毒舌なども、要は有名人のボロクソの「陰口」が痛快だからウケたと謂う部分があったのだと思います。
で、公共放送には一種社会の公器としての責任があるわけで、公共放送の自粛基準を通じて社会の意識が影響され変化していく、と謂うプロセスにも一定の正当性があるわけです。そのような性格のメディアにおいて、「陰口」や「噂話」を語って笑うと謂う少し品のない娯楽の成立する余地は段々狭められていくのも自然です。
一方、元々落語にはそのような意味での意識啓発的な役割はなかった(世間知を吸収すると謂う意味での結果的な啓発効果はありました)のですから、客が楽しめる限りその種の品のない性格を忌避する理由はないわけですね。
これは落語と謂う芸能が、講釈・講談のように上から目線の大衆啓蒙を建前に掲げた肩肘を張って堂々と威張れるような性格の芸能ではなく、何処か後ろ暗くて大衆の本音の感覚に密着している下世話な部分だと思うのですが、たとえば立川談志が「落語とは人間の業の肯定である」みたいな話をしているのは、そう謂う下世話な感覚に対して上から目線で説教臭いことを言わない性格の芸能だと謂う性格に基づくものだと思います。
そう謂う性格から、公共放送とは違って客に先駆けて表現の自粛が行われるのではなく客の意識の変化に対応する形で工夫が加えられていると謂うのが、まず落語の変化の仕方の大本の原理としてあると思います。
>>それは、確かに寄席へ来るような人々が落語のコアな部分を支えているかも知れないけれど、触れる機会という観点で考えると「放送やコピーメディア」からと言う人が関わりとしては浅くとも数としては多いのではと思うからであり
その一方で、摸捫窩さんが仰るように、落語の社会への浸透と謂う意味では、公共放送やコピーメディアを媒介にした部分が大きいわけで、詳しく調べたわけではないのですが、基本的に一人の話者による会話劇として成立している落語は、ラジオ放送の黎明期から好適なコンテンツとして扱われてきたと思います。これは、ポッドキャスティングやネット動画配信のコンテンツとして好適なのと同じような理由ですね。
また、SPレコードの時代から落語の音源化は為されてきたわけで、ラジオやTVのような公共放送、レコードのようなコピーメディアの形で落語が流通すると、寄席に客が来なくなると謂う強固な反撥もあったようですが、これらの流通によって落語人気が醸成されるようになって落語家の活躍の幅が拡がると、かなり活発にメディアに乗るようになってきます。
そうすると、レコードのような限定されたメディアはともかく、公共放送に乗る場合は公共放送の倫理基準が適用されるようになりますから、差し障りのある噺は掛けない、不都合な言葉は言い換える、そう謂う圧力も或る程度働いたことは事実だと思います。
ただこれは、噺それ自体の改廃にはそれほど関係ないわけで、公共放送に掛けるのに向かない噺は寄席で語れば好い、公共放送では差し障りのない噺を演じて落語の認知度を高めることに専念すれば好い、と謂う言い方は出来ます。そして、寄席で何を演じるかは基本的に演者ごとの自由裁量に任されていますから、ウケる自信があれば世間的な認知度の低い噺を演じるのは演者の自由であるわけですね。
なので、寄席や落語会と謂うような落語の為のハコが存続する限り、公共放送の倫理基準はそれほど強い直接的な影響をもたらさないのではないかと思います。ただ、ウケない噺を演じるのはやっぱり演者にとっても辛いし、客の側から視ても木戸銭を払うだけの益がないですから、「ウケ」が噺の在り方に対して相当強い影響をもたらすのだろうと思います。
>>また、ソースを忘れてしまったので信憑性が無いのですが、最近は与太郎の登場する噺がやり難くなっている、というような内容のことを聞いた憶えがあるからです。
これ、かなりデリケートな部分だと思うんですよ。単なる日常的なレベルの莫迦の話なら最近の若手芸人の「あるあるネタ」なんかでもポピュラーなんですが、落語のネタになるような甚だしい莫迦の場合は、容易に知能障害などのハンディキャッパーを連想させますから、笑って好いものかどうか客の側が戸惑うと謂うことはあると思うんです。
…と謂うか、ズバリ与太郎さんと謂うのは、何処の町内にも一人はいた知的障害者がモデルだと思うんですね。与太郎噺と謂うのは、そう謂う障害者が人並み外れた愚かな珍騒動を繰り広げるのを笑うと謂う性格の噺だと思います。これは、たとえば江戸時代とか明治大正くらいのご時世であれば、障害者の異様さを笑いながら周囲が面倒をみると謂う形で、それはそれで共同体における異分子の扱い方の一モデルだったと思うのですが、まあ今のご時世で通じる話ではありませんね。
またこれは肉体的な障碍についての話ですが、オレの子供の頃くらいでも、病気や障碍で正常な動作が出来なくなった人を笑うと謂う感覚が活きていたと思います。たとえば半身麻痺の方の歩様や視聴覚障害者の仕草なんかを真似して笑うような、今の感覚だと許されないような笑いもまだ割合残っていたと思うんですね。
それから三〇年なり四〇年なりの時間の流れの中で、まあ極端から極端へあちこちふらつきながらでも社会の意識が変わってきて、本人の努力ではどうしようもないハンディを笑うのは不謹慎で不当な行為だ、と謂う社会的なコンセンサスが醸成されてきたわけで、そう謂う感覚が社会に根附いてくると、たとえば与太郎さんのような人並外れた莫迦さ加減と謂うのは、本人の努力でどうにかなる性格のものなのだろうか、と謂うことにどうしても想いが及んでしまいます。
これが笑話でなければ、その種の障害者が出てきて多少時代に合わない差別的な扱い方をされていても、伝統芸能の史料性と謂う観点で許容出来るのですが、落語の場合は障害者の「普通ではない」特質を「滑稽」と視て笑うと謂う形式になりますから、笑うこと自体が目的化されているわけで、史料的な観点で笑えない噺を聴くと謂うのでもない限り、やはり活きた噺としては淘汰されていくのもやむを得ないだろうと思うんです。
幸いなことに、社会の意識が変化してくる前から音源や映像の形で多くの噺が記録されていますから、史料的な意味では豊富な記録が残されています。また、積極的に廃れた噺を残しておこうと謂う意識で口演を記録しておくと謂う動きもあるのではないかと思いますので、米朝が旧い噺を復活させようと奔走していた時代よりも恵まれているとは思います。
>>つまり、風の神送りという風習が廃れると共に、それを扱った噺も演じられなくなっていったという訳です。
余談めいた触れ方で申し訳ないですが、これは先頃入手した「米朝落語全集」に収められていましたので、映像で観ました。演者の米朝が廃れた風習や習俗を自然に補足説明する名人だと謂うこともありますが、個人的には「風(風邪)の神送り」と謂う風習の耳慣れなさ自体はあまり気になりませんでした。
要するに、この風習自体はきっかけとオチにだけ関係していて、噺の主眼は若い衆が合力の掛け合いで町内を回るすったもんだの珍騒動にあるので、「ああ、虫送りや流し雛みたいな風習で、公共的な民俗祭祀の性格があるから、町内で幾らかずつ費用を分担するものなんだな」と謂うことがわかれば大体通じる噺ですね。米朝の説明がまたわかりやすくて、「昔の日本人は都合の悪いもんは何でも川に流したんですな。そやさかい昔から公害問題はあったんです」とか言われると、そんなもんか、と。
ただ、以前のエントリのコメント欄で少し語ったことですが、廃れた風習やすでに通じなくなったオチを補足説明で補うと謂う形だと、どうしても「仕込みオチ」のような形になって、オチの意外性が薄れると謂う弊はありますね。オチの意味が共通言語として共有されているなら、サドン・エンディングとして鮮やかな効果があるのだと思うのですが、マクラで或る程度解説してオチの絵解きを仕込んでおく関係上、「なるほど、こう繋がるのか」と感心はしても意外性は少ないですね。
そう謂うふうに、事前にオチを割らざるを得ない噺をどうやって面白く語るかと謂う部分に腕が必要になるし、多分もっと現実的には、通じにくい噺をわざわざ演じるよりももっと確実にウケのとれる噺に流れるのが人情だから、と謂う理由もあって旧い噺が廃れていくんではないかと思います。
投稿: 黒猫亭 | 2009年6月 1日 (月曜日) 午後 07時35分
こんばんは。
とても勉強になります(私の考え方が浅いことを思い知らされるばかりです)。
やはり落語も生の聴衆相手の生きた演芸である以上、淘汰も含めて変化をして行くことは、仕方のないことなのでしょうね。
ただ、噺の変化や流行廃りのメカニズム、あるいは取り扱う内容の微妙な問題については理解できたつもりですし、また、「本人の努力ではどうしようもないハンディ」を笑うことを不謹慎と見なすようになって来たことは、むしろ好ましいことだと考えています。最近のお笑いでも“変な人”を演じるパターンは余り好きではないですね。が、それでも何となく引っ掛かってしまうのは、与太郎話のような題材に対する態度に、内容が現代でも通用するかどうかの吟味や工夫をするよりも、“取り敢えず問題がありそうなものは敬遠しておく”と言うものを感じてしまう所があったからです。もっとも、これは私の個人的な印象に過ぎないのですが。
>小さなキャパの小屋で対面的に客に向かい合う芸能
確かに寄席のような狭い場所で聞くと、何かこう、共犯意識みたいなものが出て来る気がします。
>事前にオチを割らざるを得ない噺
この辺りは、黒猫亭さんも触れられていたように出落ちな噺もある訳で、私にとってはそうした落語における“組み立て”自体も魅力の一つだったりします。とは言え、風習の説明が必要になるということはまた別物ですから、落ちを面白く語るのは難しいだろうという事は容易に想像できます(注釈付きの四コマ漫画みたいなものでしょうか)。
投稿: 摸捫窩 | 2009年6月 3日 (水曜日) 午前 02時45分
>摸捫窩さん
いや、オレも最近いろいろ聴き始めたばかりだし、そこから糸を引いて情報を集めたり考えたりしているだけなので、頓珍漢な部分もあると思いますから、幾分割り引いてお考え戴くと有り難いです。
つい最近も、落語に詳しい友人から「事実関係にまで踏み込んだ話は或る程度元手を掛けてじっくり系統的に資料や研究書を渉猟してから言ったほうが好い。その辺、元手も時間も掛けているトクサツや映画についての意見とは信頼性にギャップがある」と釘を刺されてはいるのですが、まあ今から掛けられる元手も時間も知れていますので、ネットで共有されている情報の範疇でしか物を考えていないわけで、当然意見の信頼性もその程度の限定が附きます。
>>が、それでも何となく引っ掛かってしまうのは、与太郎話のような題材に対する態度に、内容が現代でも通用するかどうかの吟味や工夫をするよりも、“取り敢えず問題がありそうなものは敬遠しておく”と言うものを感じてしまう所があったからです。
これも難しい問題ですね。何とも痛し痒しと謂うか、落語をコアに据えた思索が具える射程のちょうどギリギリのところにある問題と謂うか。ニセ科学問題とも共通の大衆心理が働いているように思います。また長い話になりますが、もう少しだけお附き合い戴けますと幸いです。
たとえば、与太郎さんの滑稽譚が、本当に「何処の町内にも一人はいた知的障害者」をモデルに採っているのなら、やっぱりそう謂うハンディキャッパーが本人の努力の及ばないところで演じた失態を滑稽に感じて笑うと謂うのはあまり好いことではありませんが、これを「ウケ」のレベルで考えると、それほど差別性に深く思いを致しているわけではなく、直感や印象レベルで影響を受けていると謂うのが実態でしょう。
ただし、「笑いの娯楽」と謂う観点で考えると、これはやっぱり直感や印象レベルの話で当たり前ではあるんですよね。笑いと謂うのは深い思索や熟慮から生まれるものではなくて、直感や印象と謂うような感覚に大きく影響を受けています。人間が思惟や思考で理性的に抑圧している無意識の感覚が前面に出てくる部分があって、そこが難しいところだと思います。
「白ける」「興醒めする」と謂う感覚を、理性では如何ともし難いところがあって、たとえば落語の内容の差別性を感じ取って白けると謂うのは、多分に直感レベルの話ではあると思うんです。よくTVで芸人が摸捫窩さんの仰る「変な人」を演じて、それに対して周囲が「危ねー」とか「ギリギリ」とかツッコミを入れる場合がありますけれど、その「危ない」「ギリギリ」と謂う判断は直感や印象の問題であって、差別性に対する真剣な思考から生まれる感覚ではないですよね。
寧ろ、その「変な人」の演じ方が差別性に抵触しかねない、と謂う直感レベルの印象をツッコミの形で強調することでネタが完結する部分があって、おそらく摸捫窩さんが感じられる不快感の根はそう謂う部分にあるんではないでしょうか。禁忌を侵犯するスリルで笑わせているわけですから、小学生のピンポンダッシュと変わりがないわけで、あんまり上等な趣味ではありません。
で、これがニセ科学問題にも共通する部分があると謂うのは、たとえば差別性を問題にする場合、個々人の内面で制度化された差別性に対する気附きが大切だ、と謂うような話になりますが、普通の感じ方だと「差別はいけない」と謂う話になると、「なるほど謂われなき差別はいけないのか、じゃあ何が差別で何が差別じゃないのか教えてくれ」と謂う反応になると思うんです。
これはニセ科学でも同じで、「ニセ科学はいけない」と謂う話になると、「なるほどニセ科学はいけないのか、じゃあ何がニセ科学で何がニセ科学じゃないのか教えてくれ」と謂う反応になるわけです。「安直なニセ科学に騙されない合理性や健全な懐疑を養うことが重要だ」と謂う話はなかなか通じません。
これは、普通の人々が自分の持つリソースの配分を或る程度効率的に行っていると謂うことがあって、早い話が、差別やニセ科学に真剣に思いを致すことにリソースを割くと謂うのは普通はあんまりやりたくないと謂うことなんだと思います。差別やニセ科学が社会悪であると謂う認識を受け容れるなら、誰かがその可否の線引きをしてくれれば便利なのに、と謂う反応になるわけで、なかなか自身の内面にある制度化された非合理に自力で思いを致し、内面を変えていこうと謂う行動に繋がりません。
公平な言い方をするなら、とくにそれらの問題に意識的でない人は、もっと他のことを考えるのが重要だと考えているのだし、それ以外の事柄にリソースを割くのは何だか厭だと謂う感じ方だと思いますし、それは一種の効率性ではあるでしょう。
このリソース配分の問題は、種々の社会問題を考える場合に最も大きな課題になると思うのですが、現実問題として差別なりニセ科学なりと謂う限定された具体的な問題を撃つと謂う目的性を据える場合には、「何が○○なのか教えてくれ」と謂うニーズに或る程度応じざるを得ない部分があると思うのですね。
たとえば水伝批判で考えるなら、「水伝はニセ科学で、ニセ科学は社会悪だ」と謂うふうに機械的にカテゴライズするだけではダメで、「何故」と謂う部分にまで踏み込んで考えて欲しいところなのですが、中短期的な目標としてはまずその機械的なカテゴライズを定着させると謂うところを達成する必要があります。
差別問題においても、社会の意識が変わってきたと謂っても、理念として掲げられている「個人の内面で制度化されている差別性に気附く」と謂うところまで浸透しているわけではなくて、「人種差別」「性差別」「身分差別」「障害者差別」と謂うような個々のカテゴライズが理解され受け容れられていると謂うレベルでしょう。
そして、たとえば寄席で与太郎噺がやりにくくなるのは、与太郎さんの誇張された莫迦さ加減と「障害者差別」と謂う概念カテゴリーの間の距離を直観的に嗅ぎ取るからで、差別性に対する合理的な思考から出てくる忌避感ではないわけですね。与太郎さんの描き方と「知的障害者」として括られている概念カテゴリーの近似を直観的な印象として感じるから、何だか笑えないと謂う結果になる。
前述の「危ない」「ギリギリ」と謂うような表現も、これがカテゴリー侵犯の境界上の問題として認識されていると謂うことで、直観的な領域性と謂う概念イメージで差別性が捉えられていると謂うことなのだろうと思います。
当ブログでも何度か触れた事柄ですが、たとえばTVで「きちがい」や「つんぼ」のような差別用語が口にされた瞬間に多くの人がドキッとする感覚と謂うのは、これは生理的な反応なのですね。これは一種人間の感じ方の効率性ではあるわけで、モギケンが言いそうなことで恐縮ですが(笑)、「いけないこと」と刷り込まれたものが不意に表出した場合、人間は熟考の末に対応するわけではなく、まず直観的に反応するのですね。
そうすると、よほど差別問題に意識的で深く熟考している人でも、差別と謂う概念カテゴリーと近接した表現が不意に表出した場合、「笑う」と謂う行動に繋がりにくくなると謂うことはあると思うのです。概ね一旦そこで立ち止まってしまいますから、笑いのような自然な呼吸と屈託のない心理状態が重要な反応には繋がりにくくなるのですね。
これを落語をコアに据えた思索の射程で捉えるのが難しいのは、笑いの芸能の観点で考えた場合、人が笑うか笑わないかと謂う一般的な基準を既定事項として捉えざるを得ないと思うからです。この笑いがわからないのはダメだ、と謂うようなことは芸人サイドから強制出来ることではなく、寧ろどのようにしたら笑えるのかを実情に即して熟考する立場が噺家です。どうしても、客商売であるエンタテイメントでは、現状肯定と現状分析から出発する立場に立たざるを得ないわけですね。
そして、落語と謂う固有の領域性と謂うのは、このような性格の故にやはり現状肯定と現状分析から出発せざるを得ない領域性になるわけで、この射程で観客一般つまり社会一般の意識の在り方と謂う問題性を批判的に撃つのは難しいわけです。
おそらく、生得的な異端性を笑うことで許容し、慈しみの籠もった見下しで受け容れると謂う共同体原理はすでに死んでいるのだろうし、誇張された欠落を滑稽と感じて笑うと謂うメカニズムにはすでに人を笑わせる力がなくなっている。笑いの芸能の観点においては、それを変えていく力はなく、既定の現実として受け容れるしかない、と謂うことなのだと思います。
では、そのような受け手の側の意識の領域は問題視するに当たらないのかと謂えばそうでもなくて、やはりそのような感じ方は、特定の社会問題に接する場合に誰かが線引きした機械的なカテゴリーを受け容れて足れりとする、と謂う認識の在り方の是非の問題に繋がってくると思います。
このような感じ方を一般論として肯定するなら、個々の問題性において目標に掲げられている「個人の内面で制度化されている非合理性に対する気附き」は永遠に実現されないと謂うことになります。これはやっぱり、人の在り様が一朝一夕には変わらないとは謂え、社会問題を考える場合には長期目標として常に掲げ続けたい理念ではあります。
摸捫窩さんが感じておられる「取り敢えず問題がありそうなものは敬遠しておく」と謂う感覚は、芸能における過剰な自粛と謂う問題に留まらず、広くわれわれの中に遍在する問題性だと思うのです。これは上述のような人間の認識の効率性と密接に関連しているわけですが、技術開発者さんなら「人間の基本仕様」と仰るようなそのような認識の機序に対してどのように向かい合うのか、これは考えていかねばならないと思います。
>>この辺りは、黒猫亭さんも触れられていたように出落ちな噺もある訳で、私にとってはそうした落語における“組み立て”自体も魅力の一つだったりします。
そうですね、落語はオチや滑稽なアイディアそれ自体で笑わせるよりも、プロセスにおける演じ方、つまり芸で笑わせるのが本筋だと思いますから、何ということもないルーティンの洒落や会話の持って行き方が何度聴いてもおかしいと謂うのが理想ですよね。
志ん朝が存命中に出演した「徹子の部屋」で、黒柳徹子が「あなたのお父様の志ん生さんが『日本銀行発行の絵葉書が欲しい』って言うでしょ、あれが何度想い出してもその度におかしいの」と謂うような話をしていて、これを間接的に聞いている視聴者は何がそんなにおかしいのかサッパリわからないのですが(笑)、多分実際に志ん生の口演で聴くとおかしいんでしょうね。
米朝の噺でも、素人のオヤジが言ったらつまんないオヤジギャグに過ぎない洒落や、ありきたりのドタバタの会話がどうにもおかしいと謂う場面が多々ありましたから、黒柳徹子が言っているのはそう謂う感覚なのだろうと思いますし、それが話芸と謂うものなんだろうなと思います。
落語は一本のテクストとして演者の存在以前にそれ自体が滑稽な笑話であることも勿論ですが、噺家の噺はその滑稽な笑話を如何にテクスト自体の持っている挿話構造上のおかしみを超えておかしく語るかと謂う部分に芸としての力があるんでしょうね。
投稿: 黒猫亭 | 2009年6月 3日 (水曜日) 午後 02時04分
こんばんは。
コメントの内容を、大変興味深く拝読いたしました。
なるほど、落語を含む笑いの芸能というものが、通常直感や印象レベルで受け取られているということを考慮すれば、現状の肯定と分析から出発せざるを得ないということが良く理解できます。
今まさに生きている芸能における演題の変化などは、社会問題に対する認識の問題とは切り離して考えた方が有益なのかもしれませんね。
とは言え、受け手の側が“笑う”という反応は、基本的には理性でコントロールできない感情に基づいているとすると、それを合理的な思考に基づく内面的な省察に結びつけるのは難しいことでしょう。
その一方で、感情の一つである笑いそのものが、その根深い所で排除やら差別やらと結びつきかねない部分を持っている訳で…、中々すっきりとした解決という訳には行かなさそうです。
それなりに合理的判断が介在させやすいという点では、むしろニセ科学問題の方が明快であるかもしれない、などと思ったりもしました。
もっとも、ニセ科学の一部などは、(その信念が)情動と深く結びついているようなので、その辺りでは同じように難しい問題を孕んでいるのかも知れませんね。
>人間の認識の効率性と密接に関連している
まさにそうだと思います。これは私たちに組み込まれているという点で、避け得ない問題なのでしょう。
こうした誰もが持つ「人間の基本仕様」が存在するということ自体が、もっと広く知られることが必要ではないかと思っています。かといって、いざどうするかという事については、中々良い考えが浮かばないと言うのが正直な所です。
機会がある時には、この種の話をしたりするようにしているのですが、日常的にはそもそもそんな話をする機会が余り無いので(笑)。
>「変な人」の演じ方~不快感の根
かなり好意的に解釈して頂いたようで、なんだか恐縮です。
私の意識の場合、好みという面も大きいと思うのです。確かに禁忌の侵犯ぎりぎりを競うみたいな部分への反感もあるのですが、一方で、単に「つまらん」という感覚であるという部分もある訳で。
前回も少し書きましたが、“きちっと組み立てられている”とか“伏線が見事に回収された”みたいな内容をより面白いと感じる性癖ががあるようなのですね。
この辺りの事を改めて顧みると、自分のお笑いに対する反応も、好き嫌いのような上手く説明できない感情的な部分が大きいようです。ああした文脈で示すものとしては、少々相応しくなかったですね。
投稿: 摸捫窩 | 2009年6月 6日 (土曜日) 午前 03時11分
>摸捫窩さん
自分でも考えを纏めながら書いているので、少し圧し附けがましい印象を与えているかもしれないな、と感じています。まあ、飽くまで黒猫亭個人の現段階の感じ方くらいのニュアンスで受け取って戴ければ幸いです。今回も少し長くなりますが、摸捫窩さんのご意見を伺って考えたこととしてはこれが最後だと思いますので、もう少しだけご辛抱ください。
>>その一方で、感情の一つである笑いそのものが、その根深い所で排除やら差別やらと結びつきかねない部分を持っている訳で…、中々すっきりとした解決という訳には行かなさそうです。
この遣り取りの間ずっと考えていたのがこの「笑い」の問題で、「笑い」には、攻撃的な側面と宥和的な側面がありますね。寧ろその両方を区別して考えないほうがわかりやすいのかもしれません。他者を笑うと謂う行為には、やはり「見下す」「侮蔑する」と謂う攻撃的な意味があるのだと思いますが、おそらく笑いと謂う行為がなければ、他者の異質性に対峙した際、ストレートな暴力や排除に直結してしまうものなのかもしれません。
異質性、異形性、こう謂う特質は本来人々に恐怖や不快の感情をもたらしますから、恐れや不快に対する最も原始的な反応として暴力的な攻撃が行われます。一般に、共同体の中に異分子が紛れ込んだ場合、または異質な存在が現れた場合に、一番原始的な反応と謂うのは暴力的に攻撃し殺してしまうこと、もしくは、共同体の外部に放逐する、つまり排除すると謂うことが考えられ、いずれにせよ、共同体内部に異質な者の存在を許容しないと謂う不寛容性に繋がるわけですね。
米朝が米團治の内弟子だった時代に、米團治がニワトリを数羽飼っていたそうなんですが、趣味の書画に用いた絵の具の余りで一羽のニワトリの羽根を緑色に塗ったところ、えらく他の連中に苛められたそうで、「ニワトリはあんまり賢ぉないな」と笑っていたそうなんですが(笑)、原始的な反応と謂うのはそう謂うものですね。共同体内の常軌を逸した存在は殺すか放逐するか、どちらかになります。
その観点で考えるなら、他者を「笑う」と謂う行為は第三の選択肢と考え得ると思うのですね。「異常な」存在を笑うことで「見下す」、つまり下位者と位置附け、侮蔑や差別によって「正常な」存在よりは劣った扱いをする、それによって異質な存在を共同体内に包摂する、そう謂う機序が働いているのかな、と。
勿論共同体内で被差別的な立場にある者は非常に苛烈な迫害を受けるわけですが、殺されることもなければ共同体から放逐されるわけでもなく、何とか共同体内部で生きてはいけるわけです。差別的なニュアンスにおける「笑う」と謂う行為は、このようにして「殺す・追放する」の二択に付加された第三の選択肢だったと思うのです。
勿論これは危うい均衡上の安定でしかなく、笑われる存在がいつ殺されたり放逐されたりするかはわからない、迫害が昂じて殺害にエスカレートする例も多々あっただろうと思います。ただ言えることは、笑い物の立場と謂うのは、「殺害・追放」と謂う極端な解決を緩衝する境界的な選択として現れた社会機序ではなかったのかと謂うことです。
たとえばこれは、摸捫窩さんならよくご存じだと思うのですが、歴史的な文脈において如何にして被差別階級が発生乃至創出されたのかと考えると、これはそもそも中央政権の支配のシステムに、共同体の「外部」の存在と目されていた種々の非主流的な集団を組み込む目的性があったと思うんです。そう謂う意味で、差別と謂うのは一面では秩序化のダイナミズムに基づく仕組みだと思うんです。
たとえば「まつろわぬ者」や放浪者と謂う周縁の存在を考える場合、社会の秩序化を目差す中央政権にとって、最も原始的な対処は皆殺しにすることですね。ところが、これはまあ普通に考えて不可能ですし、周縁の存在が担っていた社会的役割まで抹殺すると謂うデメリットがあり、さらにコストパフォーマンスも悪いわけです。そうすると、その種の政治的秩序外の存在を、秩序内の存在より劣る存在として差別することで、包括的な政治システムの一部に組み込んでしまう、このような機序で秩序化が進みます。
このシステムは現在の目から視ればやはり不完全なもので、出発点における公平性が確保されてはいないが、異質な存在を抹殺するよりは効率的な社会の運営が可能になると謂うだけの段階ですね。これは個々の発達段階における限界のようなもので、摸捫窩さんがそちらのブログで別件について仰っているように、歴史を現在の目で価値評価することは厳に慎まねばなりません。
このようにして近世日本くらいに安定した社会構造が確立されると、たとえば障害者の職業団体なども整備されてきて、そう謂う社会構造においては、障害者は差別の対象であると同時に慈善の対象にもなると謂う具合に、差別による秩序化のシステムも安定してくるわけですね。
一方では、共同体の階層が複雑化してきて、多層的な「外部」が想定可能になってくることで、たとえば身分差別などの問題では被差別階級の排除と囲い込みが進行し、こう謂う存在は笑われることによって通常の社会に包摂されるのではなく、異質な集団として嫌悪と共に通常の社会からの徹底排除の対象に固定化されます。
つまり、通常の社会の中で笑われる存在と謂うのは、周縁と境界を接して社会に許容されている存在だと謂うことで、外部の存在なり境界上の存在なりは笑われることで通常の社会に許容される一方、周縁からの距離が遠い人は笑われることによって周縁に近い位置に置かれることを恐れると謂う形になるでしょう。世間から笑われることが社会圧として通用するのは、こう謂う仕組みに基づいていると思います。
これがさらに近代に至って個人の人権が確立されてくると、出発点における公正さがあらゆる局面で求められるようになり、差別による秩序化の原理が否定されるようになってきます。たとえば差別の中でも、性差別、障害者差別、これを排除するには、性別固有の事情や個々の障害による機能的不利を社会がカバーするコストが必要で、近代以前のシステムはそのコストを担いきれなかったから差別が存在したとも謂えるでしょう。
現在はその種のコストを社会が支払うのは当然だと謂うコンセンサスが確立されつつあり、或る程度そのコストに振り向けるだけの社会的リソースもありますから、性差別や障害者差別を行うべき絶対的必要性がないと謂う言い方も出来るわけで、個人の異質な固有性を笑う必要もまた消失しているわけです。
翻って与太郎噺を考えると、与太郎さんが常識を逸脱した愚かさを発揮した場合、昔はこれを素直に笑っていたわけです。それはつまり、与太郎さんの愚かさが本人の責任ではないとしても、実際問題として一人前の行動が出来ない、出来ない以上は対等の存在として扱うべきではない、対等の存在ではないと謂うことは一段劣る存在だと謂うことだからこれを見下して笑う、ここまでが一繋がりの感じ方だったんではないかと思うんです。
これを笑わないとなると、個人の人権や公平性を確保する為に社会がコストを支払うべきだと謂う考え方が確立していなかった近代以前の考え方では、与太郎さんのような使い物にならない莫迦を対等の存在として扱わなければならなくなりますから、それは失敗を容赦しないと謂う感じ方に直結し、一人前の行動がとれない人間を斟酌抜きの通常の基準で裁くと謂うことになります。
これはやはり、笑って見下すことで許容するよりももっと不公平で苛酷な扱いではあるんですね。笑うと謂うのは、それよりちょっとだけマシで進歩した対処法ではあるわけです。ですから、昔は与太郎さんのような莫迦を笑って「莫迦のすることなんだから」と許すことは、社会通念上当たり前の成熟した感覚だったわけです。
現代においては、与太郎さんがもしも本人の努力ではどうしようもない障害の故に一人前の行動がとれないのだとすれば、その欠落をどのように社会がコストを払って補うのかと謂う観点で考えられ、障害を繰り込んだ上での公平性は如何にして確保され得るのかと謂う方向性で考えられていますから、社会通念上与太郎さんを笑うことの正当性は消失しているわけです。
このような「出発点における不公正さを社会がコストを払ってカバーする」と謂う考え方は窮めて高度な文化性に伴うもので、人類全体の歴史上、近代に至ってようやくそれを考えることが出来るようになったと謂うふうにも言えるでしょう。これは白か黒かと謂う単純なものではなくて、社会全体のいろいろな事情を考えた上でバランスを採るべきものですから、学問の高度な発達が不可欠な問題でもあります。
歴史にお詳しい摸捫窩さんなら首肯して戴けると思うのですが、このような高度な文化を前提にしてようやく可能な事柄がやっと論じられ始めた現在の視点で、これまでの人類史を価値評価してもそれはまったく意味がないわけで、現代の目で近世から近代初頭の社会通念を裁いてみても意味のないことです。
近代以前は、障害者がその障害の故に犯した失敗であれば寛容に対処する、と謂うのがやっと主流的な社会通念だったわけで、たとえば昔の時代劇なんかで按摩が武士の差し料にうっかり杖をぶつけたりすると「めくらのすることでございます、どうぞご勘弁ください」「いいや勘弁ならぬ、武士の魂にそのような不浄な泥杖を」と謂う流れになって、周囲からこのような不寛容性が非難される、そこに颯爽と留め男が現れて…と謂う流れに繋がるわけですね。
要するに、当時のマトモな社会人は障害者に対して何らかの不当な悪意を持っていたわけではなく、そのような形以外に善意の持ちようがなかったわけです。そして、その時代性においては、障害者に配慮すると謂う通念の中に「障害者の異様な失敗を滑稽と感じて笑う」と謂う感じ方も曖昧にセットインされていて、与太郎さんのような非常識な莫迦を笑うことは悪意的な娯楽ではなかったわけですね。
ただ、現代のわれわれはそれよりもっとマシなことが出来るはずの段階にいるわけですから、昔の人と同じ感覚で笑うことが出来なくなったのは仕方のない流れと言えるだろうと思います。その一方で、そう謂う時代性の違いを考慮せず「障害者を笑う感覚が活きていた」と謂うだけで野蛮な恥ずべき過去であると認識されたり、剰え黒歴史として抹殺されるとすれば、それは勘違いじゃないかとも思います。
今現在われわれが社会的弱者に対して基本的に善意を持っているとするなら、二百年前の人々も三百年前の人々も同じような善意を持っていたと思うんです。ただ、その善意を社会システムに織り込んでいくやり方が、文明や文化の進歩に伴って実効的で妥当なものになってきている、そう謂う違いじゃないかなと思います。
投稿: 黒猫亭 | 2009年6月 6日 (土曜日) 午後 09時25分
こんばんは、遅いレスで申し訳ないです。
今回の遣り取り(と言う程の文章を私の方は書けませんでしたが…)はとても勉強になりました。
黒猫亭さんの指摘されている、笑いが人間社会を形作る相互関係のシステムの中でいかに働いてきたかという点は、とても興味深かったです。特に笑いが“目的は直截の暴力や排除に至らないため”のある社会的な機構を担うものであったということについては、まさにその通りだと感じました。
ところで、笑いの持つ攻撃的な性格の中には相手を威嚇するという側面もあるのではないでしょうか(笑いに最も近い動物の表情は威嚇であったというような話を聞いたことがあります)。
よって、笑うことにより、相手を「見下」すことで“優位に立つ”あるいは“劣った扱いをする”というだけでなく、対象を遠ざけることや取り敢えず直接/濃密な接触を回避する、といったこともあるのではないかと思うのです。つまり、対象との距離を作り出す、あるいは維持するための機構としての性格があるのではと。
そういった面で黒猫亭さんが「周縁からの距離」として述べられておられることとも関わっているのかな、とも思うのです。
また、これはあくまで特に根拠のない感覚的なことなのですが、「第三の選択肢」というような独立した存在を想起させる表現よりも、多くの連続するスタンスの中で比較的穏健な方向に位置付けられると言う方が近いように思いました。従って、「極端な解決を緩衝する境界的な選択」という表現の方がよりしっくり来る気がしました。
一方で、歴史的な統治システムとしての外部性の取り扱いなどからは、聖なるもの/差別されるものとしての被差別階級、あるいは日本には制度としては存在しなかったようですが、宮廷道化や宦官などを思い起こしたりしました。そんなわけで噺家の芸も、差別された芸能の徒としての位置づけなども考慮すべきかとも考えています。
何れにせよ、黒猫亭さんの仰るが如く、私たちの生きる社会が変化した以上、「笑い」をも含めた“行動”も変化してゆくのが当然なのでしょうね。
>何らかの不当な悪意を持っていたわけでなく
過去を現在の価値観で裁いたり、現在より蓄積された知識量が少ないからと言って無知で野蛮と見なすようなことはあってはならないわけで。過去を無批判に美化することも問題ですが、過去を扱う場合には、少なくとも当時生きていた人々への共感というか敬意というか、そういったものを持つべきではないかと思っています。
その意味では、過去を無かったことにしてしまうということが最も罪深いような気が致します。
投稿: 摸捫窩 | 2009年6月23日 (火曜日) 午前 02時37分
>摸捫窩さん
まず、本題とは無関係なお話からなんですが(笑)、レッドクリフのレビューで摸捫窩さんの方相氏に関する考察のコンテンツにリンクさせて戴きましたので、一言ご報告させて戴きますね。
>>ところで、笑いの持つ攻撃的な性格の中には相手を威嚇するという側面もあるのではないでしょうか(笑いに最も近い動物の表情は威嚇であったというような話を聞いたことがあります)。
これはオレも何処かで耳にしたような気がします。勿論、動物の表情と人間の表情を形態的な類似からリニアルに直結して考えることには最大限の注意が必要ですが、完全に断絶しているわけでもないでしょうから、笑いが「歯を剥き出して見せる」と謂う動作であることには威嚇に通じるような何らかの意味があるのかもしれません。
動物の場合、「歯を見せる」ことに繋がる動作は多くの場合威嚇の意味があるようですが、人間の場合は今現在そのような意味性はありません。このような現状に至るまでには自然科学的な文脈と文化的な文脈が複雑に絡んでいるだろうと思いますので、単なる推測で軽々に判断出来ませんが、摸捫窩さんが仰るように「距離を取る」ことによって威嚇の意味合いが薄れていった、元々緊張を伴う表情だったのが緊張が緩解する表情に変遷していった、と謂う事情もあるのかもしれませんね。
ただ、この辺は正確にはよくわからないと謂うのが正直なところです。人間の笑いの表情が文化依存的なものなのか、それとも本能的なものなのか、その両方なのか、その辺からしてよくわからないですし、「可笑しい」と謂う感情自体もどう謂うものなのかよくわからないところがあります。
いろいろ笑いの研究を調べていくうちに考えたのは、われわれが「笑い」と謂う一つの言葉で括っている概念と謂うのは、実は発生的にはまったく別系統の別々の要素に由来していて、それが複雑怪奇な経路で収斂することで、「笑い」と謂う統合的な感情や動作、表現、概念構造を形成しているのではないかと謂うことです。
>>従って、「極端な解決を緩衝する境界的な選択」という表現の方がよりしっくり来る気がしました。
これはそうかもしれませんね。「殺す」とか「追放する」と謂うのは明確に行為が完結する種類の決定的処遇ですが、「笑う」と謂うのは何か処遇を決定的に完結させる性格の行為ではなくモラトリアム的な状態であるように思いますから、過渡的だったり境界的だったりするような遷移的な性格があるように思います。
>>そんなわけで噺家の芸も、差別された芸能の徒としての位置づけなども考慮すべきかとも考えています。
今hietaro さんのところで上方落語と関東落語の起源の話をしていますけれど、上方落語は大道芸と謂う出自を持っていて、関東落語は稽古事の発展形と謂う出自を持っているようで、その辺に両者の性格の違いがあるようです。
一方で、米朝は落語の話芸のルーツを寺の説教僧や戦国時代のお伽衆と謂う比較的文化的地位の高い職業者に視ていて、また落語そのものの直接の起源を庶民の間で小咄の創案や実演が流行した動きに視ている(つまり出発点は「作品としての小咄」と謂う文芸テクストの実演発表会だった)ようですので、漂泊の民として賤民視された芸能民とは別系統の文脈の、市民的な文化のラインと謂うことになります。
寄席芸能一般、車善七や矢野弾左衛門などの長吏頭の管轄ではなかったので、被差別的な芸能民とは少し身分的な系統が違うようです。江戸時代後期の、たとえば浄瑠璃とか義太夫、踊りなどの稽古事の師匠、また俳句や川柳の宗匠、これは定住していて人別のある一般の庶民ですよね。それを習いに来る連中も庶民階級であったわけで、落語と謂うのはこう謂う庶民の芸事の流行から直接発生しているわけです。
ですから、出発点における「専門の噺家」も表面的な体裁の上では定住者としての本業を持っている形を採っていて(つまり厳密にはセミプロですね)、亭号も一種の俳号や雅号に近いものとして名乗っていたようです。つまり、芸能としての落語の特殊性と謂うのは、そのルーツを漂泊民の雑芸能には辿れないと謂うところで、俳諧や川柳の運座に類似の庶民の文芸サロンから直接出現した芸能であると謂うところだと思います。
これは大道芸から出発した上方落語でもそれほど事情は変わらず、小咄本の流行や小咄コンクールの流行発信源は寧ろ京大阪だったので、雑芸能よりは庶民の娯楽的文芸との距離のほうが近かったわけで、セミプロの噺家が登場して割合すぐに常設の寄席が流行していますから、被差別身分は直接介在していなかったと視られます。
近世の芸能史を考える場合、社会の安定に伴って庶民の間に芸能が浸透していって、芸能と身分的な被差別性が分離していった歴史性も少し考える必要があるかな、とは思います。とくに関東落語の場合は、専門の噺家が発生した段階からすでにお座敷の粋な芸として確立されていますから、落語と謂うのは市民乃至庶民階級から出現した新しい形の芸能だと謂う見方が出来ます。さらにまた、芝居なら江戸三座、落語や大道芸なら寄席と謂うような、公許の常設演芸施設の出現によって、漂泊の芸能民と定住する芸能者が分離していった流れも無視出来ません。
たとえば落語よりはもっと漂泊の芸能民との血縁が辿れる講釈の場合、元々は辻講釈や軍記語り、神道講釈などの野天の芸能で、演者は非人身分の漂泊民だったわけですが、寄席や講釈場が登場することで定住者の芸能になって、非人身分以外の担い手のものになっていくわけですね。江戸時代の後期には少し学のある浪人者なんかが演じていたと謂うことは、被差別身分と芸能の分離が起こったと謂うことでしょう。
ただ、やっぱり芸人とか役者と謂うのは賤業ではあったわけで、常設劇場の江戸三座の役者は弾左衛門の支配を受けていなかったので非人身分ではなかったし、他の職業との人的流通も規制されてはいなかったわけですが、やはり元々は被差別身分の河原者が専従していた職業だと謂うことで蔑まれていました。寄席芸人も、常設施設で演じていたので身分的には非人ではありませんでしたが、職業的には蔑まれていたと思います。
そこで複雑なのは、身分差別と立体的に交錯する形で職業差別が成立していた時代性を考えると、差別の複雑な階層性みたいなものが想定出来るかな、と謂うところで。勿論芸人も役者も差別と無縁ではなかったわけですが、たとえば河原者と蔑まれた芝居の世界では、上記の矢野弾左衛門が公事に敗訴して芝居興行に対する支配権を喪失した際には、「自分たちは非人ではない」と謂う主張を込めて初演時の「助六」では痛烈な非人差別を爆発させたりしているわけですね。
もしかしたら落語と謂うのは、差別される側の芸能として発生したのではなく、発生段階からして中流的な階級意識に基づいた差別する側の芸能だった可能性もあると思うのですが、これは寧ろ遊芸者や漂泊民の歴史にお詳しい摸捫窩さんのご研究に期待したいところです。
>>その意味では、過去を無かったことにしてしまうということが最も罪深いような気が致します。
これはまさにその通りで、少なくとも現代に生きるわれわれは、歴史を抹殺することで過去の旧弊と訣別するのではなく、もっと冷静で合理的な過去との附き合い方を模索すべきだと痛感します。
上のほうで語った配慮語の問題なんかも、これは公共放送と謂う限定的な場面における問題で、ダダ流しにされているわけでもない過去の映像作品における差別的表現を抹消するような対処の仕方は、まさに「臭い物に蓋」式の雑駁な歴史改竄と批判されても仕方がないでしょう。
生きた芸能である落語と映像作品ではまた事情が違ってきますが、差別的な噺が存在したと謂う過去すら忌むべき野蛮な歴史として忘れ去ろうとするのであれば、これはやはり行き過ぎた反応だろうと思います。
投稿: 黒猫亭 | 2009年6月24日 (水曜日) 午後 05時37分