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2009年5月14日 (木曜日)

盲亀の浮木

以前のエントリの本文やコメント欄で言及した事柄について、連休中にいろいろな噺を聴いていてわかったことが幾つかあったので、この際追記しておく。

まず、前回米朝の十八番とされている「百年目」について、ポロッと以下のようなことを書いたが、今回はその話の続きを一つ。

たとえばこれを、舞台を江戸・東京に移して六代目三遊亭圓生辺りが演じるとかなり厭味な噺になるような気がする。

昨日今日の俄愛好家の哀しさで、これを書いた時点では識らなかったのだが、実際にそう謂う口演があって、六代目圓生の名声を不動のものにしたLP全集「圓生百席」にも収録されているそうな。

これを、先日ネット上の動画で視聴することが出来た。圓生最晩年の収録と謂うことだから八〇近かったと謂うこともあるのかもしれないが、「厭味」と謂うより、何だか妙に脂っ気の抜けたあっさりした演じ方だったように思われた。少なくとも、米朝版のような「大ネタ」の迫力や聴き応えは感じられなかった。

端的に言って、番頭の人物があんまり面白くない。親旦那のほうは圓生がいつも演じるような型通りの「結構人」の類型で、こちらも面白い演じ方ではないが、番頭のほうはもうとにかくどう謂う人物なんだかよくわからない冴えない演じ方である。旦那と番頭の人物像の対比や番頭の表と裏の顔のギャップの対照も効いていないし、したがって、まずいところを目撃された番頭の独り相撲の滑稽味や、旦那の思い遣りある説教でほろりとさせる情味もあまり感じなかった。

ただ、旦那の説教の組み立ては米朝版よりも論理的でわかりやすい。米朝版を聴いていていつも不審に思っていたのは、結局旦那は番頭にどう謂うふうに心懸けて欲しいと伝えたかったのかが今ひとつはっきりしないところで、圓生版・米朝版ともこの噺では番頭以外の手代や丁稚がダメすぎなので、米朝版の旦那の説教では迂遠にすぎて取りようによってはもっと厳しく教育してくれと言っているようにも聞こえる。

勿論、赤栴檀と難莚草の喩えから考えれば、ガミガミと小言で締め附ける一方ではなくもう少し下の者にも情けを掛けて羽根を伸ばさせてやれと謂う意味であることはわかるのだが、この説教の論旨と謂う意味では圓生版のほうが格段にわかりやすく筋道が立っている。米朝版では、恐縮する番頭を嬲る旦那の話術や人物描写のほうに重点が掛かっているので、割合説教としてのロジックの運びが遠回しである。

ただこれも善し悪しで、米朝版のしんみりした聴かせ所と謂うのは、親旦那と番頭の関係性が文字通り疑似家族として捉えられているところから来るもので、そこから逆算して番頭の心情が描出されている。番頭にとって、旦那は主人であると同時に父親でもあるわけで、一二の歳で奉公に来るなり寝小便の粗相をした稚ない頃の番頭を、潔癖性のおかみさんが追い出すと息巻くのをまあまあと宥めて手ずから灸を据えていたりする。

これを圓生は「何処か見どころのある奴」だと思ったからだと説明しているが、米朝は別段番頭が商人として才能があるとかないとか一切触れていない。つまり、寝小便をしようが不器用だろうが薄汚かろうが、一旦縁あって奉公人として置いた子なのだから、格別の不始末をしでかさない限り親身になって世話をしてやったのである。

これについては、圓生版でも米朝版でもどうやら番頭が天涯孤独の身の上であることが仄めかされていて、圓生版では「葛西の掃除屋」、米朝版では「猪飼野の肥汲み」と呼ばれる人が連れてきたことになっている。

この「掃除屋」「肥汲み」と謂うのはつまり、近郷の農村から町屋の便所の下肥を購入しにきていた農民と謂うことで、「葛西」「猪飼野」と謂うのは、それぞれ東西の代表的な田園地帯の地名である。近世から近代初頭に掛けては、町場の住居の便槽に堆積した下肥は、近在の農民が「一つ、汲ましてください」と戸口を廻って、堆肥の原料としてわざわざ幾許かの銭を出して買い取っていたのである。

つまり、番頭は口入屋を介する正規の斡旋ルートで置いた奉公人ではなく、出入りの近郷のお百姓が「可哀相な子だからお店で面倒をみてやってください」と頼み込んで奉公に置いてもらった立場の子供だと謂うことである。笑い話に紛らせてはいるが、実はこの番頭はみなし子か口減らしか、いずれにせよ不遇な出自の子供だと謂うことになる。

だから、癇性病み(潔癖性)の婆どんが、「こんな子、去なす」とか「放り出す」とか言っていたと謂うのは、通常の奉公人のように「暇を出して親元に帰す」と謂う意味で言っているのではなく、こんな薄汚い無駄飯喰らいを家に置くのは厭だから、死のうが生きようが関係ない、この家から叩き出してくれと言っているわけである。

旦那が「まあまあ」と留めなかったら、番頭はすぐさま路頭に迷って野垂れ死にしていたかもしれない。旦那が「まあまあ」と留めたその理由を、米朝版では何だとも説明していないし、圓生版では「何処か見どころのある奴」だと思ったからだとしていると謂う話である。

米朝版でも後段で旦那は番頭が立派に店を切り盛り出来るまでになったことを褒めているが、これは何処か才能があったからとか旦那が仕込んでやったからと謂うことではなく、旦那が家族同様に親身になって世話をしてやった気持ちに番頭が応え、長年頑張った結果にすぎない。こう謂う立派な商人になるだろうと見込んだから世話をしてやったわけではないと謂うことである。

対するに圓生版では、一見して何の取り柄もない不出来な子供ではあるが「何処か見どころのある奴」と視たから旦那が厳しく丹精して商人として一人前にしてやったのだ、と説明していて、これは基本的に主従関係の域を出ていない。実際、旦那は「私は良い家来を持った」と謂う言葉で番頭の成長を褒めている。

この辺の違いが、米朝版のような大ネタの人情噺としての迫力に欠けるところで、たとえば豪遊を目撃された番頭が夜逃げを画策するのは、冷静に考えれば何処も合理的な選択肢ではない。小商いの元手にするつもりで持って逃げようと考えた衣類は、そもそも番頭が自費で購った私物なのであるから、請け人立会の下で正式に暇を出されても差し押さえられるわけではないし、寧ろ急いで夜逃げしたら全部持ち出すわけにはいかないのだからそちらのほうが断然損である。

しかも、主家を黙って逐電したと謂うことになれば、この先陽の当たるところで奉公は出来ないわけだから、どう考えても夜逃げと謂うのは最悪の選択肢である。にもかかわらずこの堂々巡りの逡巡にリアリティがあるのは、その動機にリアリティがあるからである。つまり、番頭はとにかく親旦那に面と向かって罵倒されて追い出されると謂う成り行きに立ち会うのが苦痛だから、それが厭だから逃げたいと考えているわけである。

これは元々合理的な身の振り方の問題ではない、感情レベルの問題なのである。番頭はマラソン大会の前日に学校に放火しようかと悩む小学生のように、理も非もなく厭なことから逃がれたいと謂う至極切羽詰まった非合理な感情に囚われているから、冷静に考えれば一生の身のしくじりになりかねない妄想に弄ばれるのである。

これが身の振り方の問題ではなく感情レベルの問題になるのは、そもそも旦那と番頭の間の関係性に、主従関係と謂う公的な性格と、疑似家族と謂う私的な性格の両面があるからで、たとえば以前語った「崇徳院」や「千両みかん」とは違う特異性をこの噺が具えているとすれば、それは普通なら商家を舞台にした噺に必ず登場する「若旦那」が登場しないと謂うところである。

この噺の旦那にも店を継ぐべき実子がいるのかもしれないが、それは一切噺の表面には出て来ないわけで、通常の噺では肉親の若旦那がいるべき位置に奉公人の番頭がいると謂う構造になっているのである。その意味では、この噺の骨格は「親子茶屋」や「親子酒」、また少し広い括りでは「明烏」のような親子物のバリエーションと視ることが出来るわけである。

ただし、これが肉親の若旦那であれば隠れ遊びを親旦那に見附かって意見をされる、と謂う噺になるが、公的には主従関係の家来に当たる番頭がこの位置にいる為に、許りることが前提の「勘当」よりもシビアなペナルティが天秤に掛かってくる。

つまり、血の繋がった肉親ならばたとえ勘当されたとしても家族であることに代わりはないし、互いの縁の続く限り勘当が許りる途は拓けている。落語には放蕩三昧の若旦那の勘当話が数多くあって「若旦那、勘当が許りると謂う一席でございます」で終わる人情噺も類話に事欠かないが、赤の他人の奉公人は一旦暇を出されたら完全に縁が切れてしまうと謂うことである。

元を質せば赤の他人同士と謂うことでは夫婦も同じことであるが、夫婦の場合なら子供さえいれば「子は鎹」で、たとえ生計を共にする家族としては切れたとしても子を介した縁と謂うものが切れずに続いている。子から視れば、その男女が血に繋がった父であり母であると謂う事実は何があろうと永遠に変わらない。

しかし、奉公人の場合は一旦切れたらそれでお終い、綺麗さっぱり赤の他人である。この噺の特殊性と謂うのは、構造的には型通りの親子物であるにも関わらず、それが公的には主従関係としての性格を持ち、潜在する親子関係と謂うのは専ら雇用契約や起居を共にしていると謂う事実性に依拠していると謂う点にある。

隠れ遊びを目撃された番頭が何故動転したのかと謂えば、お店と謂う自身の帰属する共同体を放逐され家族関係を解消されてしまうことへの危惧があるからだが、感情レベルの問題で謂えば、惨めな出自の自分をここまで養ってくれた大恩人の旦那に、増上慢の豪遊を目撃された面目なさの故である。夜逃げと謂う最も愚かしい選択肢がリアリティを持つのは、どうせ切れてしまう縁ならば、親とも慕い敬う旦那から縁切りの言葉を聞かされたくないからである。

帰るなり番頭は旦那がどう謂うふうに切り出してくるかをいろいろ想像するのだが、番頭にとっては何よりこれが怖いのである。クビを切られて奉公をしくじること、安定収入が途絶えることそれ自体よりも、これまでお店で過ごした数十年の人生と主人一家との縁を、冷たい縁切りの一言によって喪失する瞬間を視るのが怖い。恩も情も識らない奴だ、ああ情けない、と失望落胆の目で視られるのが何より怖い。

ここのニュアンスは、やはり最後の大舞台となった二〇〇二年の歌舞伎座での口演の芸が米朝流の完成形と視て好いだろう。この口演では一箇所段取りを間違えると謂う「一世一代の大とちり」があって、米朝本人は納得していないようだが、それを差し引いても「これが最後の花道」と謂う気迫に満ちた名演だろうと思う。

一番の聴かせ所である旦那の口説きの終盤でとちったのだから、米朝視点では一生悔いの残る高座になったとも謂えるだろうが、これだけ体力の要る大ネタを喜寿の老人が演じているのだから、どうしても聴かせ所の終盤で集中力の途切れる刹那が出てくる。気を附けて視ると、この前後で時々変な間が入って危険信号が出ていることに気附くが、或る種この状況で米朝ほどの名人がとちったこと自体、「個人芸」と謂うものについての普遍的な感慨がある。

つまり、米朝流の芸はこの年齢にして漸く完成の域に達したが、残念ながら肉体のほうがそれを完璧に演じきれないほどに衰えてしまった。立場は違えど、米朝もまた枝雀や吉朝と同じく芸の熟成と肉体的時間の不整合と謂う同じ問題に直面しているのである。

とまれ、米朝の口演では、ここで煩悶する番頭の独り芝居の随所に旦那への敬慕やお店の暮らしへの未練が滲み出ていて、ほぼ大阪弁と江戸弁の違いしかない圓生の口演とはがらりと印象が違う。これが芸と謂うか、芸を超えた個人性の違いなんだろうと思う。

ここを圓生はかなり淡々とした引きの視点の滑稽味で演じていて、米朝版ほど動転した切迫感を出していない。四角四面な朴念仁を装った表の顔と遊興好きな裏の顔にさほどのギャップを設けて演じていないことも手伝って、「あーあ、しくじっちゃったよ」的な冷静なボヤきのノリで演じているのが、米朝版を先に識っているとどうにも浅く感じるわけで、これだと番頭が元から愚かしくさもしい人物であるようにしか見えない。

圓生は、ちょっと「暖簾分け目前の失敗」と謂う現実事情に囚われすぎてこれを解釈しているように感じてしまう。つまり、一廉の商人として独立する機会が、ひょんなしくじりから喪われた口惜しさのボヤきとしてこの場面の心情を解釈している。

ここの滑稽場で番頭に感情移入出来ないと、後段の旦那の説教がどうも空々しく感じられてしまうのだが、ここを米朝は動転の狂態として演じているのを、圓生は悄然の自棄と謂う呼吸で演じているので、同じ滑稽味でも圓生の番頭についてはどうしても距離を置いて視てしまう。つまり、圓生はやはり番頭の煩悶を生計や人生設計、少し気取って謂えば自己実現の問題として解釈しているように思えるわけで、今までの忠勤がご破算になったから自暴自棄になって愚かしいことを考えているように見えるわけである。

このようにほぼ逐一内容の変わらない噺で何故こんなに印象が違うのかと謂えば、これは故人の人間性に立ち入った忖度になるのだが、六代目三遊亭圓生と謂う人が、商家で起居を共にする人々の間に否応なく家族的紐帯が生起すると謂う機微に対して、実感的なリアリティがなかったからではないかと思う。

これは、圓生一門の師弟関係と米朝一門の師弟関係の違いにも顕れているのではないかと思うのだが、圓生の一門は芸道を追及する虎の穴みたいな印象で、冷遇された弟子の裏切りや離反が頻発し、家族的な温かさは微塵も感じられない。一種の苛酷な実力主義で、見どころのある人間は自分に服従する限り目を掛けて丹精してやるが、能力のない人間は容赦なく切り捨て冷酷に疎んじて、遂には死に追いやるような冷たさがある。

対するに、米朝の門派を視ると、噺家としてはもう一つのあの桂ざこばが総領弟子と謂うか大番頭として大面で一門を取り仕切り、師匠に対しても遠慮なくズバズバと直言しているのであるから、米朝一門は職能的専門家集団であると同時に家族的共同体でもあるのである。

昨日今日の俄があまり聞いたふうなことを言うと、古参の事情通な愛好家の方に鼻で笑われてしまうが、たとえば商売人の家に素性の知れない不器用な子供が引き取られてきたとして、家族同様に面倒をみて一人前にしてやるのを自然なことと感じて客にもそれで通じると感じるのか、それとも何か取り柄があると見込んだからと謂う理由附けを施さないと説得力がないと感じるのか、それは話者の共同体についての感覚に依拠すると考えても満更的外れでもあるまいと思う。

米朝は不出来な弟子を取ったとしても同じように面倒をみてやるのが自然だと感じているのだろうし、圓生は芸を学びに来ている以上は出来の悪い弟子に手数を掛けるのは無意味なことだと感じていたのかもしれない。何の能もない者を、単に引き取ったからと謂うだけの理由で、配偶者の反対を押し切ってまで育ててやるのは嘘臭いと考えていたのかもしれない。

多寡が「何処か見どころのある奴だ」と謂う一言があるかないかと謂う些末な違いではあるのだが、これは噺の性格上かなり大きな違いなのではないかと思う。

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コメント

>>その意味では、この噺の骨格は「親子茶屋」や「親子酒」、また少し広い括りでは「明烏」のような親子物のバリエーションと視ることが出来るわけである。

604 さんへのレスを書いていて想い出したのだが、実際に映像で「親子茶屋」の口演を観ると、この噺の骨格が驚くほど「百年目」に似ていることに気附く。細かいことに目を瞑るなら、「親子茶屋」のメインストーリーは、「百年目」の前半で番頭が親旦那と鉢合わせするまでのシチュエーションそのままだと言っても過言ではない。そこでオチが附いて終わるのが「親子茶屋」で、そこから噺の山場が導き出されるのが「百年目」である。

本文でリンクした「上方落語メモ」の書き起こしは春團治の口演だし、字面だけ視ていてもそれほど似ているようには感じないが、これは同じ米朝の口演で視ると、くすぐりや言い回しなども共通しているし、「目んない千鳥」の遊びと「狐釣り」の遊びの類似もあって、米朝の意識ではこの二題の噺の類似が明確に意識されているように思う。

そう謂う意味では、米朝の「百年目」においては親旦那と番頭の関係を親子関係のアナロジーで視ていると謂う推測は満更的外れでもないように思う。「親子茶屋」では親旦那と若旦那の話になっているのが、「百年目」では親旦那と番頭の話になり、後者には若旦那が出て来ない、これがどう謂う意味であるのか、米朝ほどの名人が気附かないはずがないと思う。

投稿: 黒猫亭 | 2009年5月23日 (土曜日) 午前 04時56分

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