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2009年5月14日 (木曜日)

優曇華の華

さて、米朝版と圓生版の二つの「百年目」について、この両者の影響関係や歴史的な文脈などを調べてみようと思ったのだが、ざっくり検索した限りでは詳しいことがわからなかった。落語ブームと謂われて久しいが、寄席芸能の実態に詳しい古老の知識はまだまだデジタル化されていないと謂うことかもしれない。

とまれ、どうやら米朝版以前に圓生版が存在して、米朝版は圓生の口演の存在を踏まえていると謂うのが実態のようで、普通に考えて、圓生の時代と米朝のそれは四半世紀ズレているのだから、格別無理のある想定でもないだろう。ウィキの項目でも、

『百年目』(ひゃくねんめ)は、落語の演目。上方ネタでのち東京に移植された。一説には東西とも同じ原話があり偶然に作られたという。3代目桂米朝、2代目桂小文治、2代目桂小南、6代目三遊亭圓生ら大看板が得意とした。

…などとざっくりした曖昧な記述があるのみで、要するに何だかわからないと言っているのも同然である。このアッサリした記述のうち、「東西とも同じ原話があり偶然に作られた」などと謂う「説」は、まあ考慮に値しないだろう。

ちょっと調べた限りでは、関東でも三代目古今亭志ん朝と三代目三遊亭円丈がこの演目を演じているようだが、円丈は圓生の直弟子だし志ん朝も圓生から口授されたのだろうから、実質関東で演じられているのは圓生版がベースになっていると謂うことだろう。

そうすると、「東西とも同じ原話があり偶然に作られた」とするなら、現在伝わる関東版のベースにある圓生版が米朝版とこれほど酷似しているはずがない。幾ら何でもそんな神懸かりの偶然などあるわけがない。これはもう少し詳しい説明がないと、説としてはお話にならないだろう。

ただ、挙げられている演者の顔ぶれを視ると、少しは推測のタネがあると謂うか、この顔ぶれから自ずと一本のストーリーを推測することは可能である。

ちょっと調べてみると、この間の事情はちょっとややこしくて、オレはこの噺が上方ダネであることはほぼ鉄板だと考えているが、それを関東落語の大名人である圓生が何故得意演目としていたのかと考えていくと、圓生の持ちネタの驚異的な豊富さを勘案しても、「雁風呂」など普通関東では演じられない上方ダネの噺の持ちネタが結構あることに気附く。

勿論、関東落語の滑稽噺は大部分上方ダネの翻案と視て差し支えないそうだから、改めて上方ダネと断るのも変な話だが、圓生の代まで専ら上方でのみ演じられ関東では演じられていなかった噺、つまり明治期までに関東に伝わらなかったか、伝わっても定着しなかった噺を便宜的に上方ダネの噺と呼ぶことにする。圓生の持ちネタにはこれが結構多いように感じると謂うことである。

これが何処から伝わったのかと考えると、多分、圓生の師匠である四代目橘家圓蔵の縁で二代目桂小文治辺りがとっかかりになって、そこから糸を引く形で上方噺を旺盛に吸収したのではないかと思ったりする。

この小文治と謂うのは上方桂派の名跡で、二代目の小文治は七代目桂文治(七代目の代に、一時的に文治の名跡が上方に戻った)の弟子筋ではあるが、いろいろな経緯があって最終的には専ら関東で上方落語を口演していた人である。そして、二代目桂小南と謂うのは、この小文治の弟子であり、師匠同様東京で上方噺を口演していた噺家で、三代目米朝や六代目松鶴らの世代の上方噺家との交流もある。

関東落語界で小文治を可愛がっていたのが圓生の師匠の圓蔵で、ウィキによれば、東京で活躍していた小文治が上方に戻れなくなったのは、圓蔵の小文治への肩入れが過ぎてそれが却って小文治に祟ったような経緯だったようだが、まあ細かい話を始めると東西の桂派の複雑な事情や三遊派のあれやこれやがややこしく絡んできてよくわからなくなるので割愛する。

要するに、ウィキで挙げられている演者たち、米朝、小文治、小南、圓生と謂う噺家たちは、上方噺の伝達と謂う切り口でスパッと一本の線上に並ぶと謂うことである。

元々六代目三遊亭圓生は大阪出身と謂うことで大阪には特別な思い入れがあり、ウィキの圓生の項目には、

「〜げす」、「〜がす」、「〜やす」など、日常的に江戸言葉を使っていた最後の噺家とされる。

(中略)

また、それと共に、大阪出身である所以からか、噺中に関西人の登場する場面のある場合、船場の商人は商人言葉(あきんどことば)で、大阪の長屋衆なら正しい大阪弁で、京都の人なら正しい京言葉で、しかも江戸時代の噺と明治以降の噺とではちゃんと言葉柄を使い分けるなど細かいニュアンスに至るまで、正しい関西弁を口演できる(でありつつ釣られて江戸っ子の台詞が怪しくなる事も無く)、稀有な異能の噺家であった(大概の場合、「上方噺家の使う江戸言葉、標準語」「江戸前落語家の使う関西弁」は何れも夫々の地の者が聴けば変である方が普通である)。

(中略)

出身地大阪には特別な拘りがあり、度重なる誘いを受けても芸の未熟を理由に大阪で演じる事は拒み続けた。その代わり、桂梅団治が東京へ移駐した際には特別に身内として扱い、2代目三遊亭百生を名乗らせた上で、東京で上方落語を演じ続けさせた。3代目桂米朝とは米朝の師匠4代目桂米團治を通じて懇意にしていた様で、米朝の噺の枕に圓生のエピソードが屡々登場すると共に、噺の組み立てにも随所に影響が散見される。

…と謂うふうな記述がある。つまり、六代目三遊亭圓生と謂う人は、関東落語の大名人と目されてはいるが、出自の観点では上方と関東の接点上の噺家であって、職業的に習得した言語である江戸言葉を日常的に遣うなど江戸前の噺家であると謂う自意識は強いが、上方落語に対する忌避感情や対抗意識乃至侮蔑感情などはなく、むしろかなり好意的と謂うか敬意を払っていたと謂うことになるだろう。

また、義父・五代目圓生の代にはすでに関東に移植されていた「三十石」の演目を練り上げる為に五代目笑福亭松鶴に教えを請うたとされているから、上方の芸界との交流も活発に持っていたようである。

このエピソードから考えると、すでに関東落語に翻案済みで先代の圓生が十八番に仕上げていた上方ダネの噺を自分の物にする為に、直接源流である上方の噺家に口授を受けたと謂うことであるから、「百年目」についても、これがいつの時点で関東に移植されていたかと謂う検証とはまた別に、バリアントである関東版のみならず上方の原話に当たってそこからネタを練り上げた可能性は高いだろうと思う。

いっそ関東における「百年目」は、六代目圓生が関東に移植したものだろうとすら言い切りたい気になるが、材料が足りないのでそこまでのことは言えない。圓生以前から関東にこの演目が行われていたのか、だとすればどんな内容だったのか、これは少しネットで調べたくらいではわかるものではない。

さらに、上記の引用によれば圓生と米朝には直接交流があったと謂うことで、影響関係が明言されているわけだが、たしかに両者の口演を聞き比べると、節々の言い回しに否定しようのない直接的な繋がりを視ることが出来る。と謂うか、前段で指摘した大詰めの説教のくだり以外は、ほぼ「翻訳」に近いほど細部まで一致している。細かいくすぐりの笑わせ所まで同じなのである。

たとえば「米の飯が天辺に昇った」とか「河口(湊口)で船を割った」、「遠慮は外でするものだ」などの言い回しレベルで一致が見られると謂うのは、これは落語の伝達形態を考えれば、直接的な接点を想定しない限り在り得ないことなのではないかと思う。

これはちょっとややこしいロジックだが、たとえば明治期くらいの時点において上方ダネの「百年目」と謂う演目が関東に移植されていて、関東には関東の「百年目」と謂う演目が伝わっており、上方には上方の「百年目」と謂う演目が受け継がれていたのだと想定すれば、圓生と米朝の口演が似ているはずがないし、言い回しのレベルで一致が視られるのは不自然ではないかと謂うことである。

明治期から六代目圓生の青年期くらいまでの時代性を考えると、たとえば任意の時点で上方から関東に移植された一本の噺は、関東落語界と謂う閉鎖系で上方落語界とは独立して承継されていくわけだから、「百年目」ほど長い噺であれば、噺の段取りや細部の言い回し、状況設定などがかなり違ってくるはずである。

それ故に、この演目が明治期くらいまでに関東に移植されていたと仮定して、圓生がその関東落語の閉鎖系中のバリアントを承継し、米朝が上方落語の原話を直接承継したのだと仮定すると、ここまで刻銘に一致しているはずがないと謂うことになる。

ここで圓生と米朝の直接の接点を想定し、同一演目の刻銘な相同を認めるなら、これが上方から一旦関東を経由して翻案されたものではなく、直接上方の噺を踏まえたもの、もっと謂えば、同一の口演をベースとして共有しているものではないかと推測することが出来ると思う。論理的には、米朝が直接圓生の口演をベースに据えた可能性も排除出来ないが、これはあまり考慮に値しないだろうと思う。

改めて強調するまでもなく、三代目桂米朝と謂う人物は上方落語中興の祖と謳われ、明治生まれの名人級の上方噺家が次々に滅びつつあった戦後の時代から一貫して上方噺の正統の復刻に努めてきた人物である。その人物が自身の代表的な大ネタと認める持ちネタが、関東化された上方噺をさらに上方言葉に再翻案したものであると謂うことは、かなり考えにくいのではないかと思う。

たとえば前述の二代目小文治は、米朝の青年期にはまだ存命で彼や六代目笑福亭松鶴に多くの噺を伝えているのだから、如何に米朝と圓生の間に交流があったとしても、上方落語の正統を承継するのであれば小文治の口授を骨格に据えるのが当たり前で、圓生の口演以外に伝わっていないのであればいざ識らず、このネタを十八番としていた師匠に直接教えを請うことが出来たのに、何も関東の噺家の口演を下敷きにする必要はない。

なので、オレの推測はこうなる。おそらく時系列上では圓生のほうが先にこのネタを下ろしたのだと思うが、このネタを取ったのはおそらく二代目小文治かもしくは上方の噺家からであり、それ以前に「百年目」が関東化されていたとしても、むしろ上方の原話をベースに据え改めて関東化するのに近い形で自分のネタにしたのではないかと思う。

一方、米朝もまた同じ人物か芸統の近い人物からこの演目を口授されたからほぼ噺の基本線は同一で、先行する圓生版を参考程度には踏まえているのかもしれない、そう謂う見当である。

一応断っておくが、この辺の見解は一から十までまるっとオレの当て推量である。

聞くところによると、「圓生百席」は流石二十万円以上する全集BOXだけあって各演目の詳細な解説のブックレットが附いているそうなので、罷り間違って通りすがりのお金持ちな落語通が何かの弾みでこのエントリを目にして「何言ってんの、真相はこうだよ」みたいな話をしてくださると有り難いなぁ、とか思っているのだが(笑)、まあそうそう上手い具体には運ばないだろう。

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コメント

ちなみに、オレは六代目圓生の風貌を想い出そうとするといつも大村千吉とゴッチャになってしまう。

投稿: 黒猫亭 | 2009年5月14日 (木曜日) 午前 06時00分

こんばんは。その後体調はいかがでしょうか。

正直コメントできるほどの知識は持ち合わせておりませんのですが、興味深く読ませて頂きました。

同じ演目でもちょっとした一言があるかないかで人物の心持ちや考え方が変わってくるとのお話、そういう視点で鑑賞するのかと感心すると同時に、仮説を立てられていくのがどこかしら推理小説のようで、エキサイティングな面白さを感じました。

口伝えとはいえ、その中に個々の演者の解釈が挟まり、その解釈には演者の背景や考えが反映されるというのは、なるほどと。他愛ないナンセンス系の「寿限無」でも、演者のバックグラウンドや思い入れによっては泣けるエエ話になる、ということですね(←「ちりとてちん」でやってました)。

さて真相やいかに。はまると奥深く、探求していくと果てしなさそうですが、その分一生楽しめる趣味になりますよね。私は解釈や思索は苦手なのですが、寄席の小劇場的なライブ感が結構好みだったりします(大して回数行っておりませんが)。

投稿: 604 | 2009年5月16日 (土曜日) 午前 01時56分

>604さん

>>同じ演目でもちょっとした一言があるかないかで人物の心持ちや考え方が変わってくるとのお話、そういう視点で鑑賞するのかと感心すると同時に、仮説を立てられていくのがどこかしら推理小説のようで、エキサイティングな面白さを感じました。

結局、落語も映画もドラマも同じような読み解き方をしていると謂うことなんだと思います。いろいろと調べてみて、ぼんやり基本的な約束事がわかってくると、そう謂う読み解き方をしても構わないものなんだろうと思うようになってきました。

TV芸ではなく高座を中心に活動している師匠たちは、安心して高座に掛けられるレベルで頭に入っている演目が大体一〇〇席前後で、中心的に演じている演目はその半分とか三割くらい、得意ネタを中心に持ちネタの中から何かを混ぜて年間一〇〇席前後の高座を勤めると謂うのが平均的な活動のようですから、就中自他共に十八番と認めるような代表的な幾つかのネタは、もう生涯に数え切れないくらい演じることになります。高座の前に自分で浚ったり他人に稽古を附けたりと謂うことまで含めると、膨大な回数を演じているわけですね。

普通に考えて、まったく同じ「お話」を数十年に亘って数限りなく口演すると謂うことですから、門外漢の感覚だとホントにうんざりしますよね。こう謂う際限のない繰り返しの中で、噺の解釈と謂うものが個々の演者毎に練り込まれていくんじゃないかなと思うんです。「この噺のここが変だな」とか「納得出来ないな」と感じていながら機械的に繰り返すと謂うものではなくて、自分自身が納得出来るような解釈を見出してそれに基づいて噺全体を演出していくものだと思うんです。

先日、噺家の稽古風景みたいな動画も観たんですが、これはもう一言一句を揺るがせにせず刻銘に口授していくわけで、「ええと、『この男、膝附きを懐に入れますと表に出まして』…」「そこは『この男』は要らん、『膝附きを懐に入れますと表に出まして』でええのや」と謂うような具合に、口移しで伝えていくわけですから、なんでそう謂う言い回しになっているのか、どうしてそう謂うセリフを言ったのか、と謂うことには誰でもかなり意識的になっているはずなんですね。

誠実な小説家が一字一句に至るまで推敲に推敲を重ねるような具合に、とことん言葉を練り込んで語るのが落語と謂う芸でしょうから、名人上手と謳われるような噺家の口演については、無駄な言葉なんか一言もないしすべての言葉に意味や演出意図があると考えるのが妥当だと思うんですね。所謂「マクラ」の部分は噺家自身の言葉ですから即興的な座談の性格がありますが、落語の本筋に入ってからは即興的なアドリブで繋ぐのではなく、かなり緻密に演じているもので、「トーク」と謂うより「テクスト」として解釈するのが妥当だと思います。

で、これはやはり年齢やそれに伴う人生経験によってある程度変わっていくものだと思うんです。そう謂うふうに、物語解釈や人物描写が重要な噺を概ね過不足なく出来るようになるのは、今だと五十代くらいなのかな、と思います。このくらいの年代であれば人生経験と気力体力のバランスが大体とれてきて、それ以上になってくると気力体力が失せてくる分、知恵や経験のウェイトが大きくなってきて、最晩年くらいに芸が円熟する、と謂う芸道双六になっているのかな、と。

勿論、ダイナミックに笑わせる滑稽噺や体力の要るネタは五十代くらいの脂の乗っている頃が丁度好いと謂う部分もあるかもしれませんし、米朝も「地獄八景亡者戯」と謂う大ネタは「歳を取ったら出来ない」と謂うことで大分前に封印して後進に譲っているみたいで、これはもう噺家の肉体的な絶頂期に演じるような演目でしょう。

「風姿花伝」でも「花」と謂う言葉で加齢と芸の間の機微を語っていますね…と、偉そうに言ってますが、松岡正剛の「千夜千冊」の受け売りです(笑)。

また、落語のこうした口承芸能としての性格を考えると、噺の伝達と謂うのは人と人の接点が必要になってくるわけですね。今はコピーメディアが普及していますから、いろいろな噺家の口演の音源や映像を入手することは簡単ですが、今でも基本的には噺家同士の口移しでネタが伝えられているわけですから、噺と人の接点を推理するのはけっこう楽しいですね。

多分、紙メディアの演芸批評やジャーナリズムの形では資料があるんでしょうが、普通にネット検索してみると、ウィキくらいしか纏まった資料が見当たらないですね。あれもまあ信頼性と謂う意味では大分割り引いて考える必要があるでしょうが、そう謂う少ない材料から仮説を考えてみるのは割と好きですね。事実としてはどうなんだろうと謂う興味もありますが、そう謂うことを考えるのが基本的に好きなんですね。

>>他愛ないナンセンス系の「寿限無」でも、演者のバックグラウンドや思い入れによっては泣けるエエ話になる、ということですね(←「ちりとてちん」でやってました)。

「ちりとてちん」は観ていなかったのでわかりませんが、「寿限無」と謂う噺は子供の夭折が題材として扱われていますね。生まれた子供が長生きするように、長命に因んだいろいろな言葉をゴチャゴチャとくっつけた長い名前を附けたわけで、元々のオチはその「寿限無(ry」が川に落ちて、他の子供が助けを求めに行ったけれど名前が長すぎて報告が長引き、結局間に合わなかったと謂うものです。

ブラックユーモアの笑い話ではありますが、子供の長命を願う親心が逆に子供を殺してしまうと謂うか、何をどうしても死んでしまうさだめの子供は死んでしまうと謂うような、考えようによってはちょっと辛い噺ではありますね。

投稿: 黒猫亭 | 2009年5月16日 (土曜日) 午後 01時35分

げげっ、「寿限無」ってそういうオチだったんですかcoldsweats02じゃあ私が知っているのはお子様バージョン……(またまた物知らずを露呈してしまいました)。

件の「泣ける寿限無」は、師匠=父親と反目していた息子が自分の高座名に込められた親心を知ってオイオイ泣きながら演じるというエピソードなのですが、おそらくそこにもってくるためにこのタレント落語家の唯一の持ちネタが「寿限無」である、と設定されているのが面白いところです。

売れっ子タレントでろくすっぽ稽古もしないから初心者ネタの「寿限無」しかできないなどと言われながら、実はそれが最も彼の人生に即した噺だったというわけで。

>>名人上手と謳われるような噺家の口演については、無駄な言葉なんか一言もないしすべての言葉に意味や演出意図がある

ああ、落語を聴き終わって快感を覚えるのは、色々な事柄が最後のオチに向かって収束するように計算し尽くされて作られているからなのでしょうか。

「ちりとてちん」を観ていた時、話に無駄がなく、毎回すとんすとんと落ちて(落語ネタだけに)おさまる気持ち良さがあったのとすごく似ている気がします。黒猫亭様がご覧になったらどのように評されるか大変興味があるのですが……。

上方落語(界)を知っていると一層面白いようなので(まるっきり知らない私でも何とかなりましたcoldsweats01)、機会がありますればぜひ。なんでしたらDVDをお貸し申し上げてもgood

投稿: 604 | 2009年5月18日 (月曜日) 午前 12時51分

>604さん

>>げげっ、「寿限無」ってそういうオチだったんですか

誰の口演だか忘れましたが、子供の頃に演芸番組で観た高座では、たしか子供に短い名前を附けたら早死にしてしまった、これは名前が短かったから早死にしたんだろうと謂うことで、次に生まれた子には長い名前を附けた、と謂うような設定になっていたような記憶があります。

もしかしたら余所の子供の話だったかもしれませんが、「名前が短いから早死にしたんだ」と謂う理由附けがまずあって、長命を願って長い名前を附けると謂う段取りになっていたように記憶しています。

で、オレが聴いたバージョンでも、寿限無(ryが井戸にハマって溺れかけているのを他の子供が報告に行って、と謂うオチでした。四〇年くらい前までは大体そのオチだったみたいですが、どうも近年になって「子供が死ぬんでは気持ち良く笑えない」と謂うことで、「コブが引っ込む」と謂う穏当なオチが今はメジャーになったみたいですね。

ウィキの記述を視ると、「とにかく『長い』名前を付けようととんでもない名前を付けた」と謂う設定と「縁起のいい言葉を紹介してもらいどれにするか迷って全部付けてしまった」と謂う設定があるようです。元々の展開から考えると、「長い名前を附ける」と謂うことに必然性があるわけですが、現在一般的な「コブが引っ込んだ」オチなら、名前が長くなったことが結果論でも構わないから「どれにするか迷って全部附けた」と謂う設定が在り得るわけですね。

ウィキにも書いてありますが、これは基本的に前座噺なので、入門したての前座がまず基礎訓練の為に教え込まれる噺で、寄席に行かないとあんまり聴く機会がないんではないかと思います。オレは寄席に行ったことが一回もないので(笑)、実際の口演は子供の頃にTVで観た一度きりしか聴いたことがないですね。

前座がまず仕込まれる噺としては、他に「金明竹」とか「道具屋」「子ほめ」等がありますが、「道具屋」「子ほめ」のほうは立派な真打ちも得意ネタにしている場合がある一方、「寿限無」「金明竹」は暗記した長い口上をすらすらと口に出すところがハイライトなので、師匠格の人はあまり演じないようです。莫迦にしていると謂うよりも、前座がやるような噺を、真打ちが立派な芸として客に披露するに恥じないものにするのはかなり難しいと謂うことのようです。

これが米朝一門ですと、前座がまず仕込まれるのは「東の旅 発端」と謂うネタで、これは「東の旅」と通称される長い連作落語の発端部分です。これを小拍子と張り扇で調子を取りながら演じるわけで、大阪落語のルーツが大道芸と謂うことですので、バナナの叩き売りみたいな感じですね。これをやって発声法や間の取り方を学ぶわけですね。

>>売れっ子タレントでろくすっぽ稽古もしないから初心者ネタの「寿限無」しかできない

そう謂う設定であれば、要するに誰でも最初に教わる前座噺以外稽古していないと謂うことになりますね。落語の稽古と謂うのは口伝えが基本で、師匠が少しずつ語るのを逐一真似して、何回かに分けて最後までやって、最終的に通しでやってみて具合が良ければ高座に掛けるお許しが出ると謂うことです。

寿限無しか出来ないと謂うのは、寿限無以外は高座に掛ける自信がないと謂うことではなくて、寿限無以外のネタは入っていないと謂う意味でしょうから、ネタを取ると謂う意味で「稽古」と謂っているのでしょうね。だとすると、「ろくすっぽ」どころか稽古を完遂したネタが一本しかないと謂うのと同じですね。

寿限無と謂うのは、前述の通り前座が訓練として習う噺で、これは芸道未熟な半端者が演じても客を楽しませられるようなネタではありませんから、実質的には落語の出来ない落語家と謂うことになるんでしょうね。

>>「ちりとてちん」を観ていた時、話に無駄がなく、毎回すとんすとんと落ちて(落語ネタだけに)おさまる気持ち良さがあったのとすごく似ている気がします。

以前語ったように、落語と謂うのは気持ちよくスパッと噺が終わることが重要であるように思います。終わらせ方にこれほど工夫や拘りのある物語形態と謂うのは他に類を視ないのではないでしょうか。

ただ、近年は落語の時代設定である幕末や明治期の風俗習慣などの共通の約束事がどんどん忘れられていますから、オチがわかりにくいものが増えていて、寿限無のように世情に合わなくなってオチが変わったものとは別に、予備知識がないとわからないと謂う理由でオチが変わった噺もかなりたくさんあるようです。オリジナルをそのままやる場合は、予めマクラの雑談に紛らせて説明をしておく必要があり、その意味で「仕込みオチ」に近い形になってしまう噺が多くなっていますね。

「ちりとてちん」については、TSUTAYA でもレンタルしているようなので、ちょっと探してみますね。吉弥やよね吉など吉朝の弟子も出ているようですし、噺家に限らず上方芸人がたくさんゲスト出演しているようですから、ちょっと興味はあります。

投稿: 黒猫亭 | 2009年5月19日 (火曜日) 午前 08時00分

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