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2009年6月22日 (月曜日)

火の赤

どうもいつもの順序から考えて、逆に、逆に、と書き進めているような気がして仕方がないのだが(笑)、ここで漸く本来の主役である諸葛亮と周瑜、そして劉備と宿将たちの話題へと転ずることにしよう。

男たちについて語るのが後回しになったのは、Part II におけるドラマ的感銘の主役は女たちであって、周瑜・諸葛亮対曹操の謀略戦の部分は一種の知的活劇のご馳走として描かれており、心理ドラマは裏面に廻されているからである。この「ご馳走」と謂うのはオレが屡々用いる言い廻しだが、これはつまり、観てそのまま楽しむべき娯楽要素の謂いであるから、これを語ることはドラマ論ではなく技術論になる。

後段で更めて詳述するが、Part II においては、男たちは終始その本心を隠して行動しており、リアルタイムの心情を見えているそのままには受け取れない形になっている。後半の山場で一応の絵解きは為されるが、細かく考えていくと説明されていないことも多く、心情ドラマとしては後から遡って解釈する形になり、その解釈に振れ幅があるのでリアルタイムのドラマ効果が効いていない部分がある。

これ自体は別段瑕疵とすべきポイントではなく、今回は女たちのドラマ的重要性が前面に出ている関係上、男たちのドラマは後景に退くのがバランスと謂うもので、具体的な闘争のプロセスを演じる役回りに徹して、謀略劇のサスペンスを活劇的な娯楽として提供するのが妥当だろう。

勿論、劇中で描かれている「敵に矢を借る計」と蔡瑁・張允謀殺は、赤壁のエピソード中最も有名なくだりであるから、演義を読んだことがなくてもかなり多くの人があらましを識っていて、今更そのネタ自体に新鮮な興味を感じることはない。この映画独自の面白みと謂うのは、やはり演義との絶妙な距離感と再構築の妙にある。

 

●死と屍

尚香と叔材のくだりから幕を開けたこの映画は、Part Iのドラマ的プラトーからの繋がりとしてはあまりに悲痛な離間のエピソードから本筋を語り起こす。諸葛亮を仲立ちに劉備と孫権との間に堅い信頼関係が結ばれ、緒戦の勝利を足掛かりにこれから本格的な戦闘が始まると謂うタイミングで、同盟を持ち掛けた側の劉備があっさり東呉を見限って兵を引き揚げると謂う、あまりにも無責任な暴挙に出るのである。

この時点では、語りの意図として劉備の本心を予め観客に仄めかしておくつもりなどはさらさらなく、本気で観客を騙している。つまり、この映画でこれまで描かれてきた劉備像の範疇では、このような身勝手な判断を下すのが不自然であると解釈すべき根拠が一切与えられていない。善玉である劉備をそのような自己中心的な群雄の一人として描くはずがないと謂うのは、メタ的な予断である。

そもそも演義では器の小さな悪玉として描かれている周瑜が、主役中の主役である諸葛亮をも凌駕する主人公の英雄として描かれているのだから、演義の赤壁のくだりでは殆ど活躍らしい活躍もしていない劉備の描き方など、如何様にもアレンジして差し支えないわけである。

演義の赤壁のくだりで劉備がしたことと謂えば、腹に一物で東呉の潜在的な敵を排除しておこうと企む周瑜の許に「ウチの諸葛先生がお世話になっております」とノコノコ挨拶に行って、運良く関羽を帯同して行った為に事なきを得たと謂う凄まじいKYぶりを発揮したくらいである。赤壁の戦いにおいて、諸事万端先手を打つ諸葛先生の神の如き明察が唯一及ばずその心胆を寒からしめた誤算とは、自身の主のこの暢気な暴挙だけであったと謂うのが劉玄徳の器の大きさを物語っている(笑)。

このような迂闊さや軽率さをも併せ持つ人物だけに、一旦は自軍の消耗を見かねて撤退したが、後で翻意して決戦に駆け附ける、くらいの描き方でも、伝統的な劉備像とは矛盾しない。たしかに劉玄徳は三国志の主人公であるが、基本的にそんなに傑出した英雄に描かなくてもそれほど故障は出ない人物で、そこが劉玄徳のキャラの面白いところでもある。ましてや劉備を演じているのが「射雕英雄伝」の悪玉中の悪玉である西毒・欧陽鋒を演じた尤勇であるから、そのくらいのことをやらかしてもおかしくない(笑)。

一見すると、この疫病蔓延から連合軍の離間に繋がるくだりは、演義の記述からかなり離れているように見えるのだが、前回少し触れたように、このような形になっていることには妥当な理由附けがある。これを順序立てて視ていこう。

まず、曹操軍の陣中に疫病が発生するのは、これは正史でも演義でも触れられている史実であるし、史料によっては東呉軍との戦闘ではなく疫病が主因で曹操軍が撤退したのだとしている見方もあるが、当然曹操が病死した兵の死骸を送り附けて連合軍側にも疫病を流したと謂うのは映画の創作である。

曹操が死骸を舟に積んで流させるシーンは、本邦で謂えば大儺之儀や追儺、翻って民間では節分の豆撒きの原型であり、四つの金色の目を持つ奇怪な仮面を被った呪術師は方相氏と呼ばれている。

この方相氏は「周礼」に曰わく「掌蒙熊皮、黄金四目、玄衣朱裳、執戈揚盾,帥百隸而時難,以索室驅疫。大喪,先柩;及墓,入壙,以戈撃四隅,驅方良。」とあるが、こんなものをすらすら読み下せるはずがないので(笑)ざっくり説明すると、楯と鉾を持ち黒衣を纏い朱裳を垂らして熊の皮を被り、黄金の四つの目の仮面を着けていて、疫病を祓い、大喪の際には棺を先導し、墓所に入り四隅を戈で撃って方良を退治する役割だと謂うことである。この「方良」と謂うのは「魍魎」と同義と謂うことで、墓所の四隅にいる悪しきモノであって、方相氏はこの方良を祓う役目である。

この方良については京極夏彦の「魍魎の匣」に詳しい説明があるが、逐一転記していたら恐ろしいことになるのでズッパリ掻い摘むと、「東西南北の四隅にいる何だかわからない悪しきモノ」で、中国ではこの方良を祓う儀式を「儺(だ)」乃至「打鬼」と呼んでいたのであるから、一種の屍穢の謂いと解釈出来るだろう。中国で謂う「鬼(き)」とは屍体や屍の変じたモノの意味であり、方良は墓穴の四隅にいる悪しきモノなのだから、屍体と疫病に密接な関連を持っているのだろう。

後ほど再度触れることになるが、古代中国から続く儒教の葬礼では、土葬によって屍体を土に返す形式が採られ、また貴人の殯はかなりの長期間に亘ったので、墓所には公衆衛生上の重大な脅威があった。方相氏は貴人の葬礼に際して屍棺を先導し墓所の死穢を予め祓い清浄に浄める重要な役割を担ったわけである。

儒教思想においては人間は魂と魄と謂う二種類の霊性によって構成され、魂は精神的な霊位であり魄は肉体的な霊位である。人の死はこの魂魄が分離することを謂い、魂は天上に還るが魄は肉体に留まり、屍体を墓所に埋葬することによって土に還る。この間の事情については、同じく京極夏彦の「陰摩羅鬼の瑕」に詳しく解説があるが、方相氏はこの屍体の埋葬により魄を地に還す儀式に関連する役割であると謂うことである。

この中国の「儺」の儀式が七世紀頃には本邦に伝わり、年末に宮中のケガレを祓う大儺之儀乃至追儺として定着したわけだが、この儀式が次第に俗化するうち、いつしか方相氏と方良が同一視されるに至り、追う側であった方相氏が追われる側になっていき、これが民間にも伝わって日本の土着の民間習俗である豆撒きと習合することで、ついには本邦で謂う「鬼(おに)」と謂う存在になったと謂うことである。

つまり、中国の「鬼(き)」が方良となってそれを方相氏が祓うと謂う形式の儀式が成立し、その儀式が本邦に伝わってさらに方相氏と方良が同一視されるプロセスを経ることで本邦の「鬼(おに)」になったわけで、それ故に、本邦の「鬼」の概念には屍に関連したケガレそれ自体と地獄で死者を追う役割と謂う相反する性格が混在しているのかもしれない。とまれ「オニ」の話にあまり深入りすると戻って来れなくなってしまうので、方相氏に関する講釈はこれまでにしよう。

中国では「儺」の儀式が古代から伝わっており、周代に国家儀式として定着しこの映画の時代である後漢の代には大規模な国家行事の体を成している。つまり、自集団内部の疫病の穢れを祓う儀式として一応符合するわけで、国家にはこの行事を行う最大の権威があったわけであるから、官軍である曹操軍がこの儀式を行うことには正当性がある。

ただし、劇中で描かれている「儺」の儀式は、儒教本来の葬礼思想に照らして考えると間違っているし、間違ったものとして描かれている。儒教とは本来孝を基本とする祖霊崇拝の思想であり、葬礼と祖霊の祭祀を重視する思想であるから、屍体そのものを死穢と同一視して祓え流してしまうと謂うことは在り得ない。

本来屍体そのものに由来する公衆衛生上の脅威を、墓穴の四隅にいる悪しきモノの形で概念的に分離し、それを予め祓うのが「儺」であるから、屍骸そのものは決して不浄と同一ではないのである。

この辺、人は死ぬとケガレたモノに変わると謂う、一種アルカイックな日本の土着思想とはまったく違う思想的に洗練された部分であるし、この辺の違いが「儺」が日本に持ち込まれた際に方相氏と方良が同一視された事情にも関わってくるのではないかとオレは考えている。

つまり、本邦においては、屍体と謂うのはそれ自体がケガレたものなのであり、そのケガレは触穢によってケガレを扱う者にも及ぶのだから、死穢に関係する者はひとしなみにケガレるのであって、ならば方相氏と方良を区別する必要はないのである。本邦においては、死者の処理に当たる者にはケガレが付随するのだし、それはたとえば現代でも葬式から帰ったら塩を撒いてケガレを祓う習慣などに残っている。

しかし、古代中国の儒教思想においては、死者の処理に当たる者は死穢を蒙るわけではない。「儒」と謂う言葉自体が葬礼や祈祷を司る職制を表す言葉なのだから、自らを穢れた者と位置附ける思想であるはずがない。屍体は飽くまで古式に則って鄭重に扱われなければならないし、死者は祖霊として敬われなければならない。その思想上の目的性に則って、屍体がもたらす公衆衛生上の脅威、即ち方良は屍体とは別個の存在として外在化され、祓われなければならなかったわけである。

つまり、自軍の領域内から疫鬼を祓うと謂う目的に基づく呪術として「儺」を行うのは一見符合しているが、屍体を埋葬せずに放擲するのであれば、そもそもこの時代の儒教的な思想の文脈では「儺」を行う呪術的な意味は消失する。剰え曹操は屍体を利用して敵陣に疫病を蔓延させようと企んだのだから、一種の生物兵器として尊厳ある人の屍体を扱ったことになる。要するに、毒性の微生物を植え附けた鼠の屍骸か何かと同じように扱ったわけである。

 

●屍と葬

一方、儒教思想と謂うのは飽くまで祖霊崇拝であり孝の思想であるから、現在在る世代が滅びた過去の世代を敬う思想であり、その序列が現在の世代の家族関係にも適用される(その逆かもしれないが)わけであるから、詰まるところ目下のものが目上のものを敬う思想であって、その逆ではない。曹操軍はこの文脈で巨大な家族集団と見做し得るから、その絶対的な家長である曹操が目下の雑兵の葬儀を疎かにすることそれ自体は、無慈悲ではあっても絶対的な没義道とまでは謂えないだろう。

また、三国時代の戦いにおいては、屡々戦闘の末に敵の一族の霊廟を荒らすと謂う描写が出てくるが、それはつまり祖霊や屍骸を疎かに扱う行為それ自体は、倫理的な観点の絶対悪ではないと謂うことだろう。敵の祖霊や屍骸は敵なのである。陵墓や霊廟を暴くことや屍骸を損壊することは褒められた行いではないが、それが敵のものであれば祖霊や屍骸もまた敵として扱われると謂うことである。禁忌とされていたのは、自身の祖霊や目上の者の屍骸を疎かに扱う行為であって、それだけは没義道な行いなのである。

少し話が散漫になったが、そう謂う次第でこのシーンで描かれる「儺」の儀式は、一見古式に則っていて考証的にも正しいが、本来の思想的な意味では間違っているし、表現意図としても表層的で間違った儀式として描かれているのだろう。そして、ここで描かれているのは味方の兵の屍骸を弔わず穢れとして放逐し生物兵器として利用する曹操の残酷さである。この間の事情については、前回も少し触れた。

この時代の人々の感じ方として、自身の屍骸を疎かに扱われることは、魂の離れた屍から魄を地に戻す手続が行われないと謂うことであり、祖霊として敬われ祀られることがなくなると謂うことなのだから、窮めて残酷な行為だったのである。

儒教の葬礼祭祀においては、屍骸の中の不朽の部分である遺骨を魄の依り代として然るべき場所に管理し、魂の依り代として位牌を安置する。前掲の「陰摩羅鬼の瑕」における解説によれば、これは魂と魄に依り代を用意することで死者が蘇ると謂う思想ではないとされていて、古代中国人でも死人が生き返るはずがないことくらい識っていたのだし、死ねば存在しなくなることくらいわかっていたと指摘する。

このような葬礼祭祀の習俗は、死ぬことで存在が消失してしまう過去の人々についてきちんと想いを致す為の仕組みなのだと謂うことである。この世に存在するのは今現在生きている人々だけなのであるから、今生きている人々がそのように想いを致すことで過去の人々の記憶は消え去ることなく継承される。位牌や墓はそのような存在しないモノにかりそめの具体的な形を与えるものであって、具体的な形が与えられるから存在しないモノについて考えることが可能になる。

だとすれば、そのような手続を踏まれずに遺棄された死者は、何処とも定かではない場所で想像も及ばないようなよくわからない形で存在が消失してしまうと謂うことなのだから、これはとても恐ろしいことなのである。人は死ねばどうなるのか、そんなことは誰も識らないが、少なくとも正しいやり方で葬られることによってそんな答えの出ない不安から解放され、死後の安寧を得ることが出来ると信じられる。

たとえばPart Iにおいて、宣戦か降伏かに思い悩む孫権はすでに陣没した父や兄、そして祖先の位牌を前にしてまんじりともせずに一夜を明かすが、最早この現世に存在しなくなった父や兄は、遺骨と謂う形で墓所に安置され、位牌と謂う形で生者の生活空間に座を占めている。

それは単に故人と謂う「存在しないモノ」に想いを致す為にかりそめに与えられた具体的な形に過ぎないのであるが、古代中国において正しく葬られると謂うことはそう謂うことであり、そのようにして生者の記憶に残ると謂う認識が「死」と謂う誰にも正体のわからない事象に纏わる生者の不安を払拭するのである。

このような死生観は、道教や仏教の影響を受けながらも現代中国人にも受け継がれているだろうから、歴史物語において死者の屍骸を冷酷に利用することの残酷さがもっとストレートに感覚レベルで伝わるのかもしれない。

曹操の残酷な計略で流された屍体は、目論み通り連合軍側に引き取られるが、ここで諸葛亮の制止も耳に入らず周辺の村人によって屍体から武器や衣類の略奪が行われると謂うのがまたえげつない描き方である。

たしかに連合軍陣営に疫病が拡がるには、或る程度の規模で人・人感染を起こす為に一次感染者が相当数いなければならないが、この疫病は諸葛亮の的確な処置で最小限度に抑えられると謂う成り行きになるのだから、何もそこまでえげつない描き方をしなくても好さそうなものなのだが(笑)、多分これは表現意図の問題と謂うより、作家の中にあるどうしようもないリアリティなのではないかと思う。

つまり、貧しい者が屍体からまだ使えるものを奪い取ると謂うのは、作家の感覚では当然のリアリティであって、それは無視出来ないと謂うことだろう。略奪を行って逃げた村人に対しては最早手の打ちようがないと謂うことで、それきり映画の表舞台には出て来なくなる。これは単に「そう謂うもの」として描かれていると謂うことではないかと思う。

この映画の諸葛亮は、演義に描かれたような全知全能の超人ではないが、博物学的な知識と先進的な技術を併せ持つオールラウンドの天才軍師として描かれているから、当然疫病に関する医学知識や漢方の治療技術も持っていて、屍体に針を刺して黒変した血の色を視ることで疫病の正体に気附くと謂う、ちょっとオーセンティックな時代劇的描写になっている。

曹操軍側で諸葛亮と同じ立場に立っているのは、人の首のすげ替えをやってのけたと謂う伝説を持つほどの神話的名医の華陀であり、被害規模のハンディはあるとは謂え華陀にも蔓延が止められなかった疫病を諸葛亮は抑え込んだわけだから、諸葛亮の博物学的な知識と技術は至極優秀なものとして位置附けられている。

或る程度の犠牲は出したものの、この曹操の策略は諸葛亮の活躍で不発に終わったと視ることが出来るわけで、前段からの繋がりで謂えば、この敵兵の屍体の処遇を巡る一連の描写においても仲々面白い工夫が為されている。つまり、連合軍側の英雄たちが曹操とは対照的な有徳の士であれば、敵兵であってもその屍体は鄭重に埋葬すべきであると考えるのが当然だが、ここで諸葛亮は火葬を指示する。

男たちの暗然としたリアクションでも視てとれるが、儒教的な葬送儀礼においては火葬と謂うのは屍体の損壊に他ならず、葬礼として古式に叶ったものではない。本来は土葬に行ってゆっくり屍体を腐敗に任せるのが礼に叶った作法であり、本式の葬礼であれば生体組織が朽ち果て、魄が地に還った後の綺麗な白骨をさらに掘り起こして霊廟に安置すると謂う複葬の手続が必要である。

つまり、埋葬と謂うのは公衆衛生上の問題がない白骨を得るための手続であり、儒教の死生観においては屍体と謂うのは無意味な物質ではないのである。対するに、火葬と謂うのは魂と謂う形なきものに霊的な優越性を置き、魂の抜けた屍体は物質に過ぎないとして処分してしまう考え方であると謂う。それ故に、一般的な火葬とは骨まで焼却して骨灰も処分してしまうものを謂い、本邦のように遺骨を得る為に半火葬に行う習俗は特殊例に属するのだそうである。

翻ってこの映画の状況を考えると、一般的な火葬礼のように屍体を無意味な物質として処分する為に焼くのではなく、生体組織の毒性微生物を消毒する為に屍体を焼却するのであるから、骨まで焼き尽くす必要はない。おそらく生体組織を焼灼した上で遺骨は埋葬したと想像出来るが、そこまで説明するのは映画の尺として流石に諄い。

ここで面白い映画的アイディアだと思うのは、前回のレビューでも触れた「孔明灯」の使い方である。このキーワードでネットを検索すると多くの画像や動画を視ることが出来るが、これはどうやらこの映画のヒットによって一時廃れていた孔明灯の習俗が中国全土でリバイバルしたものだそうである。

映画では荼毘に附される屍体の山の傍らで諸葛亮が孔明灯を次々と夜空に放つ場面が描かれているが、これが鎮魂の意であることは個々の文化の文脈を超えて明瞭に見て取ることが出来るだろう。元々の孔明灯は行灯凧に類似の陣中狼煙の一種とされていて、夜間の合図の為に考案されたものだとされているが、現代中国ではこの孔明灯に願い事を書いて夜空に放つと願いが叶うと謂うものになっているそうである。

そう謂う意味では、この映画の孔明灯の使い方はオーセンティックな中国文化の文脈に則った習俗ではなく、飽くまで映像的な象徴性において用いられていると視ることが出来るだろう。だから文化的文脈を超えてそのニュアンスが伝わるのであるが、防疫上の観点の理由から本来死者に払うべき礼節を尽くせなかった孔明が、せめてもの手向けとして天上に還る魂の先導として孔明灯を放つと謂う映像表現は、理屈を超えて美しい。

そして、ここで孔明灯を一度登場させておいたことが、後半で再びこれが夜空を舞う場面において異様な感慨を現出する。勿論、この二度の用い方はそれぞれに異なっているわけで、決戦直前の場面においては、風向きの変化を一目瞭然の形で全軍に報せる軍事的な合図として用いているわけであるから、劇中事実のレベルではこの場面における用い方とはまったく意味が違う。

しかし、この葬礼の場面で予め鎮魂の意味性が付与されている故に、曹操軍の敗北を決定附ける東南風と共に、敵地に葬られた名も無き曹操軍の兵士たちの魂が、一斉に自陣へ向けて帰還するかのような不思議なビジュアルイメージが現出される。これは差し当たって何らかの叙述的な意味内容を伝える為の描写ではないが、言語的な意味性を超えた詩的な感慨を喚起する秀逸な映像表現になっていると思う。

さらに謂えば、この葬礼の場面の描き方によって、この映画全体を通じた火の象徴性が提示されていると視ることが出来る。つまり、この物語において火は多くの人々を惨たらしく焼き滅ぼす為の物理的な破壊力を象徴するものではなく、穢れを浄化する力として意味附けられているのであり、死者の霊を導く灯火でもあるのである。

これは一回目のレビューで語った決戦の結末に関するデリケートな機微にも通じるもので、劇中の現実のレベルでは紅蓮の劫火は効率的に敵兵を殲滅する為の冷酷な戦術でしかないのではあるが、象徴的なレベルでは、そこで火が焼き滅ぼすのは人の命ではなく人に宿る悪しき観念であり、それは夥しい犠牲を払いながらも曹操の命を奪わない結末と照応しているのである。

 

●結束と離間

さて、根本的な疑問であるが、この曹操の残虐な策略は何故創案されたのだろう。

もしもこの疫病によって連合軍に壊滅的な打撃が加えられ、それが手の施しようもなく進行したのであれば、このエピソードが創案された意図は誰にでも明確に理解出来るだろう。しかし、この疫病は屍体に触れた極一部の兵卒に一次感染しただけで、諸葛亮の迅速な処置により人・人感染の段階には進行しなかったような描写になっているし、疫病の蔓延が連合軍側のタイムリミットを規定しているわけでもない。

これは曹操の非情な戦術による直接的被害のレベルにのみ留まり、人的損耗のレベルでは深刻な脅威として描かれていない。病兵を看護する小喬のスケッチも、たとえば現代を舞台にした新型病原性微生物のパンデミックの脅威を描いたパニック映画のそれとはまったく性質が違う。

少なくとも小喬視点のシーンにおけるこの疫病の作劇的役割とは、本格的に戦端が拓かれる以前に戦争の悲惨さを強調する傷病兵を一定数用意することであって、たとえばパンデミック映画のナースのように自身も感染の危険を冒しながら病者に献身する悲愴感が狙われているわけではない。疫病に関連した小喬の役廻りと謂うのは、名も無き人々の苦痛と謂う形で戦争の悲惨さを生々しく直視することである。

ただ、それはこのエピソードが創案された直接の動機ではない。

一見すると、このエピソードが何故冒頭に据えられているのか、殊更に意識することもない替わりに明確な意図も理解出来ない。オレも一度目の鑑賞では、史実上で曹操軍の敗因とされている疫病を連合軍側にももたらす作劇的必然性が奈辺にあるのか、少し読みかねてしまったのだが、二回鑑賞したうえでこの映画の全体構造を考えてみた場合、かなりよく出来たブレイクスルーのアイディアだと思うようになった。

おそらく、元々のきっかけは、劉備軍を撤退させる口実と謂う作劇上の都合だろう。

そもそも史書のほうでは、赤壁の戦いの主体は官軍と劉備軍であったと書かれているようで、それに東呉の孫権が周瑜や程普の率いる数万の水軍を援軍として派遣したことになっている。その意味で、Part Iの描き方は史実に近いと謂えるだろう。

一方演義では、赤壁の戦いは官軍と東呉の戦争であって、劉備の所属する勢力の戦争ではない。この二本の映画で描かれた大半のエピソードは、諸葛亮が魯粛の仲立ちで東呉に赴いてから単身で東呉陣営を操って成し遂げた事柄であって、劉備軍の主力は曹操軍の敗走後に漸く動いて追討の役割を担っている。

Part Iで謂えば、長坂から夏口までは劉備軍の物語だが、諸葛亮が東呉に赴いてからはほぼ周瑜と諸葛亮の物語になって、それ以後火計の成功まで劉備軍はずっと夏口に駐屯したきりで表舞台には出て来ない。さらに、その諸葛亮も七星壇を祀って風を呼ぶことに成功した直後、かねての手筈通り趙雲の護衛で東呉を脱出しており、決戦それ自体は東呉軍が曹操軍を壊滅させたことになっている。

つまり、このPart II で描かれている演義由来のエピソードを消化するには、劉備軍が東呉陣営に留まっていると、様々なレベルでオリジナルの脚色が必要になって甚だ都合が悪いわけである。バランスの問題と謂うのはその点にあって、劉備軍が駐屯したまま話を進めるとすると、史実を直接脚色する形になって最早演義とはまったく別の物語になってしまう。

たとえば、前半の山場である「敵に矢を借る計」にしても、劉備軍の主力が東呉に駐屯していたとすれば、殺すの殺されるのと謂う話にはならないはずである。また、この映画の周瑜には諸葛亮を殺害する動機がないのだから、諸葛亮に無理難題を持ち掛ける理由がない。それ以前に、一〇万人近いマンパワー(矢を作るだけなら帯同した民間人も協力出来る)が動かせるのなら、三日も時間があれば幾らでも一〇万本の矢が調達出来てしまうのだから、エピソード自体が成立しない

つまり、この映画のような形で劉備軍がそのまま東呉に駐屯していたら、周瑜と諸葛亮の知恵比べはそのままの形では描けなくなってしまうのである。元々演義では呉越同舟の敵同士の間柄と描かれているのを、断金に近い緊密な信頼関係として描いているのだから、そのような無理が出るのは当然である。

しかし、呉宇森の基本的なドラマ構想は、朋友同士の堅い信頼に基づく闘争と勝利なのであるから、劉備軍と孫権軍は一旦信頼関係の下で堅い同盟を結ぶ必要がある。そこを前半の山場として構想したのがPart Iで描かれたドラマなのだが、そのまま連合軍の結束が一切揺らがないとすれば、そもそも演義で語られているエピソード群は成立しないのである。

だとすれば、このPart II においては、何らかの理由附けに基づいて劉備軍を夏口まで撤退させ、原典通り諸葛亮を孤立させる必要がある。しかし、Part Iのラストであれほど盤石の信頼関係として確立された絆を一旦解消させるには、生中な理由附けでは観客は納得しないだろう。火計の後に劉備軍が曹操追討に参加したのは演義でも描かれているエピソードなのだから、要するに同盟関係を維持したまま艦隊壊滅までの間だけ劉備軍を遠ざけておく説得力のある口実が必要なわけである。

この課題設定を冷静に考えると、窮めてマッチポンプ的な構図である(笑)。

そもそもPart Iで連合軍揃い踏みの状況を作らなければこのような課題も生じないわけだから、そこを史実寄りに改変して劉備軍を東呉に入れてしまった為に、さらにもう一度夏口に戻すと謂う余計な手間が必要になるわけである。

しかし、これは呉宇森の構想する三国志がそのようなものである以上、かくあるべくしてかくあるのであるから、余計な手間ではあっても無駄な手間では決してない。オレもPart Iが最終的にあのような形で映像化された理由附けを最初からもう一度繰り返すほどしつこい人間ではないから(笑)、まあ適当に前編のレビューを思い起こして戴くしかないことだが、要するに呉宇森が描きたかったのがこのような形のドラマである以上、このような課題が生じるのは合理的な成り行きだと謂うことである。

その作劇上の目的性に照らして考えれば、曹操の戦術による疫病の蔓延と謂うのは割合よく出来たアイディアである。劉備軍の撤退が必要なのは、直接的な発端としては作劇上の都合からの要請ではあるのだが、それをこの映画では周瑜による伏兵の計略と意味附けることで劇中事実のレベルで理由附けを施している。

その計略は原典にないものであるだけに、メタ的なレベルでは観客をも騙すどんでん返しとして位置附けられているのだから、劉備軍の撤退と謂うイベントは、まず劇中の曹操を欺き、同時にそれを観る観客をも欺くものでなければならない。

であるならば、最も合理的な結論としては、曹操側の仕掛けによる策謀に劉備軍が屈した形に描くと謂うのが自然な流れである。ただ、これまでの流れから考えて、型通りの離間の計のような相互不信に基づく決裂として描くのでは茶番が過ぎる。

前編のクライマックスが信頼の確立で後編の発端が仲違いなのでは、白倉ライダーもかくやのライブ感覚である。そんなお手軽にくっついたり離れたりする信頼関係など誰が信用するだろうか(笑)。おまけにそれは本当に茶番であって、クライマックスでさらにどんでん返しがあるのだから、「仲違い」と謂うお手軽な形で劉備軍の撤退を理由附けるわけにはいかない。

何かしら説得力のある現実的な事情で撤退する形として描き、同時にクライマックスで颯爽と再登場する理由附けも仕込んでおく必要があるわけで、現状のアイディアはそれらの要件を満たすものである。また、原典にはない創作エピソードとは謂え、その作劇的な意図はPart Iにおける作家の表現意図に基づく控えめな改変の影響を回収し、物語の軌道を原典に復帰させる為の創意であることには注意が必要だろう。

このレビューで何度も強調しているように、この映画はかなり原典を自由奔放に脚色しているように見えるが、基本線として三国演義の映像化と謂う方向性を大きく外してはいないわけで、映画独自のテーマ性と基本的な物語性を摺り合わせることに最大限に留意していると謂えるだろう。

ただ、これはこれで都合論の問題であることは否めないわけで、説得力のある形で劉備軍を撤退させると謂う作劇上の都合で、原典にはない曹操の悪辣非道さや東呉側の犠牲の悲惨さを殊更に強調するような策略を創案したわけであるから、その目的が達せられたら後はすっぱり忘れると謂うわけにはいかなくなる。前段で長々と講釈したように、この戦術は古代中国の感覚ではかなり残虐な行為であるから、それ相応の強い余韻と影響をもたらしてしまう。

それ故に、ここからは劇中でこのような事件が起こったらどのような影響が在り得るだろうと謂う想像力の問題となる。このような形で作劇上の大きな課題をクリアすると決定したのであれば、その後の物語の展開はそのイベントを劇中で起こった必然的な事件として踏まえた上で考慮する必要がある。

これはつまり、構造的な問題性を解決するには飛躍のあるアイディアが必要だが、それによって問題性が解決されたら、後は具体的なシミュレーションによってその飛躍がもたらす影響を勘案しディテールを調整する必要があると謂うことである。

前回のレビューで指摘した通り、この疫病のくだりの影響は主に小喬が回収する形となり、やがてクライマックスにおける曹操との対決に結び附く。つまり、曹操の悪辣な戦術と謂う創案要素のもたらす影響は、小喬と曹操の対決と謂う別の創案要素と関係附けて回収されているわけである。

前回、連合軍の葬儀風景と切り返す形で曹操が「短歌行」を吟じるシーンは、小喬の体現する茶の心との対比上の表現であると指摘したが、これを少し牽強付会気味に感じた方もおられるとは思う。しかし、そのように解釈する根拠として、上述の通り疫病のくだりのもたらす影響は、小喬と曹操の対決のストーリーラインが回収する形になっていると謂う事情があるのである。

 

●離間と信頼

さらにこの劉備軍の撤退に関しては、もう一つ大きな疑問が残っている。

それはつまり、この偽りの決裂を仕組んだのが周瑜であることは語られているが、その真意は誰に識らされていたのか、と謂うことである。これは小さな疑問に思えるかもしれないが、これが計略であることを識っている人間は本心を偽って芝居をしているのであるから、誰が識っていたのかによって言動の解釈が変わってくる。

前回も少し触れたが、今回男たちのドラマが後景に退いている大きな理由の一つは、この計略によって彼らの言動の真意がリアルタイムでは語られないからであり、その真相から遡って解釈するしかないからである。ドラマと謂うものがその時々に誰が何を想っているのかを役者の演技を通して観客が実感し共感しなければ成立しないものである以上、本心を隠した筋書きにおけるドラマはどうしても頭で理解する弱いものになる。

そして、その真相の暴露にしてからが「周瑜の仕組んだ計略」と謂うだけで、誰と誰に予め真意が明かされていたのかは殆ど説明がないのだから、誰の言動がどこまで芝居であったのか最後まで観てもはっきりとはわからない(オレが観たのは字幕版だけであるから、或いは吹替版で観れば瞭然とするのかもしれない)。

さらに、呉宇森の意識としてもその間の心情の整合性と謂うものは或る程度無視して描いているとしか思えないので、最終的な判断として、Part II においてはあまり男たちを主軸に据えた心理ドラマを前面に出す意図はなかったと視るのが妥当だろう。

最低限、皆に真相を明かした尚香と、勿論当事者である周瑜と劉備は識っているのが当たり前である。また、夏口における会話から考えて関・張・趙の三将は真相を識らされていなかったと解釈するのが妥当である。問題となるのは、諸葛亮と孫権は識っていたのかと謂うことだが、これははっきりしない。

劉備から撤退の意向を聞かされた際のリアクションや会話から考えると、孫権も諸葛亮も戸惑いと怒りを露わにしてはいるが、このうち、孫権と劉備の口論は皆が注視する中で行われているので、芝居と視ても矛盾はない。一方、諸葛亮と劉備の会話は他の人々から離れた場所で交わされた密談だから、その状況で芝居をして見せる必要はない。

ただ、オレ個人の解釈としては、孫権も劉備も識らなかったのではないかと思う。

芝居と謂うのは見せる相手がいてこそ成立するものだから、見せる相手が存在しない諸葛亮の抗議が芝居であるとは思えないし、孫権が識っていたとすればその芝居を見せる相手は主に諸葛亮だと謂うことになるのだが、主要人物の中で諸葛亮だけを騙す意味がない。敵を欺くにはまず味方からと謂う理屈で謂えば、主要人物の中で秘密を打ち明けられて最も不都合がないのは知謀家である諸葛亮で、その諸葛亮「だけ」が欺かれていたと謂う解釈は不自然である。

一番すっきりするのは、当事者である周瑜と劉備「だけ」が識っていたと謂う解釈になるのだが、そうすると尚香が識っていたのが何だかバランスが悪い。これは単に真相を明かすのが周瑜本人だとあまりに人が悪く見えてしまうから、周瑜と諸葛亮の知恵比べの間敵陣に潜入していて不在だった尚香に種明かしの役回りを振ったと謂うことではないかと思う。いずれにせよ、この辺の細かい整合性については、あまり厳密に考えていないのではないかと思う。

オレが周瑜と劉備「だけ」が識っていたと謂う解釈を採用するのは、諸葛亮が識っていたか否かと謂うことを中心に据え、そこから類推した結論である。諸葛亮が識っていたと仮定するとそもそもドラマが成立しないので、その解釈は支持し得ないわけである。そうすると、諸葛亮が識らないのに孫権が識っていたと仮定すると、孫権に識らせるのであれば諸葛亮に識らせない必然性がないので、諸葛亮も孫権も識らなかったと謂う解釈になる。

周瑜が仕組んだ計略を諸葛亮も識らされていたのだとすると、主の劉備が撤退した後にも「約束しましたから」と東呉に残った諸葛亮の行動や、周瑜の「変わった方だ」と謂う言葉はただの段取り芝居だったと謂うことになる。これは多分そうではない。諸葛亮はたしかに孫権や周瑜との個人的な約束だから独り東呉に残ったのだし、周瑜もまたそのような諸葛亮の心映えを受け止めたからこそ「変わった方だ」と笑んだのである。

さらにまた、諸葛亮が識っていたとすれば、たとえば一〇万本の矢と蔡瑁・張允の謀殺を賭けた命の遣り取りは単なる出来レースであり、魯粛や黄蓋をはじめとするその他大勢のギャラリーに見せる為の芝居だったと謂うことになるが、そう謂う呼吸では描かれてはいないように見える。ここは出来レースと視るとかなり安っぽい芝居場に見えてしまうが、その真意は識らずとも互いを信頼し合っている関係性を示す芝居場と視たほうが妥当だろう。

後に詳しく視ていくが、この「敵に矢を借る計」と蔡瑁・張允の謀殺は阿吽の呼吸で連携しているわけで、これが内々に示し合わせた結果だと解釈するとまったく知恵比べの面白みはない。互いに語らずして相手の目的達成に益する形で計略を巧んだのだと視たほうが面白みがある。そして、その信頼に本気で互いの首級を賭けて臨んだのだと視たほうがドラマとしては遙かに味わいがある。

これはつまり、周瑜の腹の内だけは今ひとつ読めないが、その他の人物の言動は見たそのままに解釈すれば好いと謂うことで、そうとでも考えない限りややこしくて話にならないと謂うことである。

そしてこれは根本的な考え方の問題になるのだが、多くの人々を欺く計略を実行する場面において、その真意を説明することと説明しないことでは、どちらが相手をより深く信頼していることになるのか、と謂うデリケートな問題がある。

たとえばこの場合なら、説明の必要の有無はそれを説明しないことによってどのような不都合が生じるかと謂う観点で考える必要がある。説明しないことによって深刻な不都合が生じるなら説明するのが合理的な選択肢であるし、そうでないなら説明しないことで守秘を徹底することが最も合理的な結論である。

この場合、説明しないことによって深刻な不都合が生じる関係性よりも、まったく不都合が生じない関係性のほうが、より相互の信頼関係は堅いと考えることが可能である。これを逆に謂うと、相互の信頼関係がそれほど確立していなければ、説明の理路によって頭で納得させることで信用を担保する必要があると謂うことであるから、説明しないと謂うことは最大限の信頼の証であり得るわけである。

だとすれば、周瑜は劉備が去ったとしても孫権の君主としての振る舞いが揺るがぬことを信頼するが故に敢えて説明をしなかったのだし、劉備は自身の宿将や諸葛亮との関係性を絶対的に信頼するが故に何も説明せずに兵を引いたのであると考えても、矛盾や違和感はないだろう。

 

●信頼と猜疑

さて、それではこの計略も含めて前半の見せ場となっている曹操軍と連合軍の謀略戦の詳細を視ていくことにしよう。

史実では型通りに孫権軍と同盟した劉備軍が力を合わせて曹操軍と戦ったことになっているが、演義では殆ど劉備軍が関与していなかったと謂う異同についてはすでに述べたが、この映画の描き方はその異同を合理的に並立させる折衷案だと謂う言い方が出来るだろう。つまり、同盟関係を維持したまま決裂を装って劉備軍を伏兵として温存したわけである。

この処理によって、史実上では曹操軍対劉備軍の戦争であるべき赤壁の戦いが、演義では曹操軍対東呉軍の戦いとして描かれていることを合理化している。この辺、意味合いは大分違うが、史実でも演義でも実は劉備の勢力に同盟を持ち掛けたのは東呉の魯粛の働き掛けであるから、この映画のように「劉備のほうから助力を求めておきながら孫権が直接の戦争当事者になった」と謂う印象にはなっていない。

この映画においては、諸葛亮と周瑜の直接の信頼関係を描く関係上、魯粛が何故そこまで諸葛亮に肩入れしているのかを極力曖昧に省略して描き、諸葛亮の働き掛けで周瑜が動き、孫権が動き、東呉が動いたと謂う描き方になっている。そこにさらに周瑜の発意になる離間の偽計が創案され、同盟を持ち掛けた側の劉備軍が無責任にも孫権に戦争を圧し附けて逃げたと謂う形になったことで、諸葛亮は劉備軍からも孫権軍からも孤立した苦しい立場に置かれることになる。

諸葛亮が大好きな仲良しこよしの魯粛が常に傍らにいるし、黄蓋や甘興も諸葛亮には好意的であるから、あまり諸葛亮が辛い立場に立っている印象はないが、この時点の諸葛亮は自身の主が果たさなかった約束を果たす為に働いているわけであるから、内心相当苦しい心境であることは間違いない。この映画においては、演義とは違って劉備は諸葛亮の父親的なポジションに位置附けられているのだから、或る意味で諸葛亮は父親に裏切られた息子の立場に立っているわけである。

ここでオレは周瑜の計略は諸葛亮には識らされていなかったと謂う立場をとるわけであるから、そもそもの周瑜の予想では諸葛亮もまた劉備と共に夏口に撤退すると謂う計算だった、つまり曹操軍との戦争の主体は周瑜率いる東呉軍が独力で担う青図だったのではないかと思う。これは数に優る東呉水軍を主力に位置附け、一騎当千の猛将を抱えるが数に劣る劉備軍を陸戦部隊の遊軍として位置附けると謂うことだから、合理的な戦力分担である。

その場合、遊軍の劉備軍からは曹操軍の注意を極力逸らし自由度を与えることが肝要であるから、この偽りの決裂を演出することで一旦劉備軍が戦列を離れたと敵に信じ込ませることが効果的である。また、これは諸葛亮の知略を想定外の要素と位置附けることになるから、演義のように諸葛亮がすべてを操って東呉を勝利に導いたような印象を払拭することにもなるだろう。結果的に孫権のリーダーシップや周瑜の知謀の重要性が増すわけである。

この偽計の真意は観客にも明かされず、東呉陣営内に諸葛亮が孤立する形で謀略戦が開始されるわけだが、この偽計も含めた周瑜の知謀の在り方と諸葛亮のそれとがしっかり描き分けられ、またそれが曹操の人物像の描き方とも整合している辺りが映画の叙述としてよく考えられていると思う。

演義では、秘かに諸葛亮の暗殺を目論む周瑜と諸葛亮の間の知恵比べが丁々発止と繰り広げられ、仲に立って魯粛がおろおろすると謂う構図になっていて、そこでは諸葛亮も人間心理の裏を読んで周瑜の目論みの裏の裏を掻く謀計を弄するのだが、この映画ではその種の心理戦は周瑜の役回りに振られている。

諸葛亮の役回りは持ち前の博物学的知識と先進技術に基づく創意と謂う性格で統一されていて、他人の心理の裏を読んで引っ掛けると謂う形のものとしては描かれていない。劇中で描かれたのは「敵に矢を借る計」と「七星壇に風を祀る」のくだりで、後は疫病に罹患した病兵の治療、「元戎」乃至「諸葛弩」の発明と調練、それと「孔明灯」がちらりと道具立てとして登場すると謂う具合で、これはつまり謀略家と謂うより技術者としての描き方である。

「敵に矢を借る計」も「七星壇に風を祀る」も、これは長江流域の気象現象を知悉することによる計略乃至戦術であって、該博な知識と創意に焦点が当てられていて、死して尚も生ける仲達を奔らすような、人間心理を手玉に取る底知れぬ不気味な知略と謂うスタンダードな諸葛亮像とは程遠い。

これはPart Iのレビューで強調したことだが、基本的に金城武の諸葛亮は巧みな虚言によって人を欺く人物ではないのである。であるからこそ、主が撤退した後も己の信を貫いて東呉陣営に留まり命懸けで最善を尽くすのであり、これが周瑜の青図にない嬉しい誤算であって、諸葛亮あればこそ赤壁の勝利がもたらされたことはすでに指摘した。

一方周瑜の知略とは人間心理を知り尽くした謀計にあり、先ほど論じた離間の偽計も然りであるし、蔡瑁・張允の謀殺もまた然りである。この謀略は、曹操の人物像や世界観を深く理解した上でまったく疑念を持たれないような形で仕組まれている。

たとえば劉備軍撤退の茶番劇を何故曹操が真に受けるのかと謂えば、曹操の人間観においてはその成り行きがあまりにも自然だからである。劇中で劉備が口にする撤退の理由は、曹操視点では当たり前の理屈であり、そのように判断しない者は単なる愚か者に過ぎないのである。

敗退続きの弱将である劉備が、直接闘争ならまだしも疫病などと謂う戦略的に無意味な脅威によって兵を損耗することを厭うのは当たり前のことであるし、天下を窺う群雄としての自身固有の利害が、潜在的な敵勢力に過ぎない孫権との約定や信義よりも重いのは戦国の常として当たり前のことである。

曹操は人が人を信じることに意味を認めていないのだから、信頼関係が利害関係を超越するなどと謂う不合理な事態が在り得ることを信じない。また、己の才能や力のみを恃む者であるから、自身の計略が奏功することに確信を持っている。そもそも病屍体を用いた計略は連合軍内部に亀裂や不和をもたらす目的のものなのだから、その目論み通り内紛が生じたことを疑わない。

この辺は、前回論じた小喬との対決でも表現されている機微であって、敗将の妻が勝者に媚びることを当然視するが故に、あまりにもアカラサマな色仕掛けに手もなく騙されたわけである。

このような謀略の性格は蔡瑁・張允の謀殺でも一貫していて、映画で描かれた顛末はほぼ演義の通りであるが、映画ではニセ手紙を一旦蒋幹に疑わせた上で、周瑜の「もう一度おまえを騙してみせるぞ」と謂う言葉で「今度こそ騙されるものか」と仲立ちの蒋幹を納得させ、さらに諸葛亮の「敵に矢を借る計」とタイミングを合わせることで駄目押しを加えている。

この辺、この映画の周瑜は悪辣なまでに人間心理を知悉していて、幼少時に散々周瑜に騙されて痛い目をみていた蒋幹にアカラサマにニセ手紙を見せ、さらに蔡瑁・張允の内応を声高に漏らす密談を立ち聴きさせた上で、酔い痴れた体を装って「これもまた嘘なんだよ、騙されただろう」と口にすることで、裏の裏を読ませて信じ込ませると謂う手の込んだ嘘を吐いている。

つまり、蔡瑁・張允が内応していることを隠さないことで「あの周瑜がこんなに迂闊に秘密を漏らすはずがない、嘘だろう」と一旦思わせた上で、「いや、敢えて隠さずアカラサマに漏らすことで嘘だと思わせるのが周瑜の真の狙いなのだ」と疑わせると謂う窮めてややこしい嘘を吐いているわけである。これは幼少時から散々周瑜に騙され翻弄されてきた蒋幹が、今度こそ周瑜の嘘を見破ったと謂う自負心を利用して信じ込ませているわけで、ちょっとあくどいまでに手の込んだ嘘である。

ガキの時分から散々手玉に取っている蒋幹はそれで騙せるとして、さらにそれを曹操に信じさせるに当たっては、演義では蔡瑁・張允謀殺後の出来事である諸葛亮の計略と歩調を合わせると謂うアレンジを施して、まんまと敵にしてやられて一〇万本もの矢を供出してしまった二人の失敗を利敵行為と疑わせることで念を押している。

これも仲々気の利いたアレンジで、曹操は基本的に敵も信じないし味方も信じない人物であるから、個人の信用によって真偽を判断することはない。周瑜が嘘を吐くかもしれないと謂う疑いは当然抱いているし、蒋幹が騙されているかもしれないと謂う疑いも抱いているし、蔡瑁・張允が裏切っているかもしれないと謂う疑いも同様に抱いている。

この三者の誰も信用していないわけであるから、蔡瑁・張允が敵と内通しているか否かと謂う問題は、個人の信用以外の根拠に基づいて判断されなければならない。この映画のアレンジでは、このタイミングにおいて疑惑の対象である二人の人物は、普通の場合なら愚劣な失敗と解釈さるべき行為を行っているわけで、客観的に視れば結果的に利敵行為を行ったことは事実であり、これは幾らでも悪意に解釈することが可能である。

後はそれをどのように解釈するかの問題になるが、そこに正否同程度に可能性のある内通の疑念が挟まれるわけであるから、この二つの事情が重なることによって蔡瑁と張允が敵に内通していると解釈することが最も合理的な解釈だと謂うことになる。

ここに個人の信頼と謂うパラメータが加われば、どの程度この二人の人物が信頼出来るかによって解釈の幅が拡がるが、曹操は信頼をパラメータにとらないのではなく、最初から誰も信頼していないのであるから疑念の強度の問題でしかないのである。その意味で、別々の疑念と疑念が重なることで蔡瑁と張允の行動は疑問の余地なく疑わしいと謂うことになり、解釈は一つしか残されない。

演義でもこの映画同様、蔡瑁と張允を斬に処した直後に曹操は後悔しているが、映画では一歩踏み込んで曹操が周瑜の計略に気附いたと謂うニュアンスを付加している。それは後の蒋幹の毒殺のくだりでも見て取れるが、この間の描写のニュアンスも仲々面白くて、つまり、曹操が蔡瑁・張允の内通を事実と判断したプロセスが上記のような疑念の強度の問題であるなら、この二人を取り除くことが曹操軍の不利益になると気附いた時点で疑念の焦点は周瑜のほうに振れるわけである。

つまり、曹操の判断基準とは飽くまでそのような利害のパラメータでしかなく、個人の信頼や人物観には重きが置かれないことが一貫しているわけである。蔡瑁・張允の失敗は事実において敵を利する行為であるから、その事実によって無関係なルートからもたらされた内通の疑念は強化される。一方、この二人を除くことによって曹操軍に不利益がもたらされ、連合軍に有利がもたらされるのであれば、それは周瑜の計略である可能性が高いと謂うわけである。

この判断の変遷には、周瑜が如何なる人物であるかとか、蒋幹の判断には信頼が置けるのかとか、蔡瑁・張允が如何なる人物であるかと謂うパラメータは一切入っていない。このような一貫した曹操の人物像の描き方は、単に小喬と曹操の対決を設けると謂う作劇の都合で「苦肉の計」を省略したことのアリバイにもなっている。

つまり、東呉の宿将である黄蓋が周瑜の処遇に不満を抱いて優勢な曹操軍に投降すると謂う事情自体は、個人の信頼をパラメータに置かない曹操には納得可能だが、それと同程度に筋金入りの軍人である黄蓋が偽計を以て潜入したと謂う可能性も排除出来ないのであるから、もしも後者であった場合は、黄蓋を重用するメリットよりも勇猛な敵将を自陣内に置くリスクのほうが相当程度に高い。

また、この映画の周瑜は演義とは違って人望の厚い有徳の士であるから、黄蓋を不当に遇すると謂う成り行きにも説得力が殆どない。したがって、差引勘定で黄蓋の投降を積極的に信じる理由がないから、厳重な監視下に置くなり斬に処すなりと謂う対処になるだろうから、黄蓋がリスクを犯して曹操に降る積極的なメリットもまた存在しない。だからやめとけ、と謂う結論になるわけである。

この辺は無力な女性である小喬の場合とはまったく事情が違うわけで、曹操も小喬個人を信用したから騙されたのではなく、非戦闘員である非力な小喬を自陣内に置くことにはまずリスクがないと謂うことと、小喬の自己保身の動機を疑わなかったから騙されたわけである。このように、曹操の判断基準を一貫して描いているからこそ、一旦は提案された苦肉の計を一言の下に却下すると謂う、一見して事務的なエピソードの省略にも説得力があるわけである。

このような曹操の人物像をすべて読み通して書いたのが周瑜の筋書きなら、それこそ周瑜の知謀は悪魔的なまでに徹底しているわけである。そして、前述の僅かなアレンジを除けばほぼ演義の記述通りの内容が語られているにもかかわらず、演義とこの映画の周瑜の描き方はまったく違う。この種の悪魔的知略は、本来なら諸葛亮のものであって周瑜のものではない。

そこで想起すべきなのは、元々この映画の構想段階では、現在周瑜を演じている梁朝偉が諸葛亮を演じる予定であったと謂うことである。その事実から類推出来るのは、本来の構想が実現していたならば、諸葛亮と周瑜の役回りは今在るような形で分担されるのではなく、諸葛亮一個に集約されていたのではないかと謂う想定である。

この映画で描かれている諸葛亮像が金城武のキャスティングに多くを負うものであることは、すでにPart Iのレビューで指摘したが、前述のような「嘘を吐かず、人を欺かない諸葛亮」と謂う人物像が徹底されているのは、逆に謂えば元々の諸葛亮像にある底知れぬ謀略家と謂う悪魔的な性格を周瑜が分担しているからであり、つまり本来諸葛亮を演じるはずだった梁朝偉が周瑜を演じることで、諸葛亮の人物像が二人の人物に分離したのだと謂うことである。

梁朝偉が諸葛亮を演じる物語と金城武が諸葛亮を演じる物語が同じものになるはずはないから、金城武が諸葛亮を演じることで本来の諸葛亮像が二人の人物に振り分けられ、結果的には現在在るような形の映画になったのであるから、これは一種の僥倖と謂うべきだろう。これはすでにPart Iのレビューで強調した意見である。

 

●現在と未来

この映画の最も大きなストーリー上の基本軸として、周瑜と諸葛亮の間の物語があることは更めて指摘するまでもないことであるし、この二人のどちらが主人公であるかを殊更に論じるのも野暮ではあるが、実際に出来上がった映画を観ると、やはり赤壁の戦いを映画化する場合には、周瑜を物語全体の主人公に立てるのが最も自然であると実感せざるを得ない。

たとえばこれが小説であれば、諸葛亮の知略を中心に描くなり、周瑜と諸葛亮の関係性や諸将の群像ドラマに絞って描くなりの選択肢があるから、スペクタクルを後景に廻すことも在り得るだろうが、これが映画となると大多数の観客は古代の合戦絵巻や火計の壮大なスペクタクルを期待する。巨額の予算で赤壁を正面から映画化する場合に、それらのご馳走をほんの僅かな点景として扱うと謂うことは在り得ない。その場合、全編を通じて前面に立つことが可能なのは周瑜であって諸葛亮ではない。

Part IでもPart II でも、軍師である諸葛亮は戦闘が始まった瞬間に何処か後景に退いてしまう。戦術家でもあり武将でもある周瑜であれば、Part Iのクライマックスのように自身もまた戦闘に参加したり、今回のように正面突破の陣頭に立ったりと謂うことが可能だが、赤壁時点の諸葛亮が自ら陣頭に立って戦闘を指揮したら、それは演義とは完全に別の物語である。

諸葛亮が実際に将兵を指揮して陣頭に立つのはもっと後のことで、劉備をはじめとする群雄たちが滅び、阿斗の劉禅が帝位に就いた後の北伐においてである。この時点の諸葛亮は、劉備や宿将たちに託された理想を背負い、劉備の遺児である劉禅を盛り立てて曹魏と戦い続け、遂には志半ばにして陣没するのであるが、これは赤壁時点の周瑜の姿と重ね合わせることが可能である。

周瑜もまた、若き日に孫権の兄である孫策と「断金の交わり」と謳われる堅い契りを交わし、二十代で早世した孫策の遺志を受け継いで、孫策の弟の孫権を我が弟のように補佐して東呉の繁栄の礎を築いた。その生涯は三六年と短いものであったから、事実上赤壁の戦いから江陵に曹仁を破る辺りが花道となって、道半ばにして朋友の孫策と幾らも変わらぬ短い生涯を閉じた。

このような生き様は戦国の世に幾らもあっただろうから、二人の生涯に類似を見ようとするのは一種の恣意ではあるのだが、前段で視てきたようにこの映画における周瑜と諸葛亮が、元は一人の人物がスプリットしたものであるなら、若き諸葛亮にとって周瑜は一種のロールモデルであると視ることが出来るだろう。

この映画の諸葛亮像が、実年齢通りの若さを強調した描き方であることは以前指摘した通りであるが、自らを管仲・楽毅に擬えていた若き臥龍・諸葛亮が三顧の礼を以て劉備に迎えられて以来、小規模な戦闘を除けばほぼ初めて経験した本格的な戦争がこの赤壁の戦いである。演義では、最初の最初から神懸かりの万能の超人として先の先を読み余裕綽々で東呉陣営を操ったように描いているが、その実像としては初陣に臨む二七才の青年軍師と謂う性格もあるわけである。

Part Iのレビューでは、この諸葛亮像を「戦場で懸命に働く若い男」と表現したが、そのような性格は、総攻撃に赴く連合軍を見送りつつ「やるべきことは、すべてやりました」と謂う独白と共に後景に退く描き方にも見て取れる。まさにこの映画の諸葛亮は、自分に出来ることを精一杯に尽くした若い男として描かれているのであり、戦争と謂う巨大な現実の中で、重要ではあるが一つの部分でしかない役割を担う者なのである。

一人の若者としての諸葛亮が、周瑜との出会いと対決を通じて成長し、やがて周瑜同様に一国の命運を担う英雄として立つことを予感させるのが、あの美しいエピローグのくだりである。

ここで初めて諸葛亮はトレードマークである綸巾を戴いて登場するのだが、ラストでこのような伝統的な諸葛亮像に則った姿が描かれることで、全編を通じて語られていたのが諸葛亮が諸葛亮になるまでの成長のプロセスであることが明らかになる。

以前指摘したように、この映画は冬の日差しを意識した寒々しいルックで統一されているのだが、このラストシーンだけは血腥い殲滅戦の後に新しく再生する命の息吹を予感させるような美しい山水画を背景に、緑の草原における周瑜夫妻と諸葛亮の別れと謂う王道中の王道の大団円を美しく描いている。

小喬の胎内には新しい命が息づいており、そして周瑜との出会いの日に命を救った子馬の萌萌が諸葛亮に与えられる。まさにあのとき小喬が言った通り、豊穣な東呉の自然を象徴するのは萌え出ずる命なのである。

周瑜と諸葛亮の最後の会話で「国を育てる」と謂う言葉が語られ、敗北に敗北を重ねて流浪する劉備たちが、誰にも冒されることのない独立国家を新天地に打ち立てると謂う形で三国の鼎立が暗示され、それこそがこの映画の解釈における三国時代の在り方であることが観客に諒解される。

勿論これは歴史そのままでは在り得ない。所詮現実の三国時代とは、鼎立した三人の皇帝が互いの喉元に切っ先を突き附け合ったメキシカン・スタンドオフの膠着状態であるに過ぎないのだが、それに対してこのラストシーンはまったく異なった世界の見方を提示している。このような、現実に即応して異なる世界の見方を提示するのが物語の使命であり、映画の使命でもある。

これまで多くの言葉を費やして様々な事柄を語ってきたが、何とかラストシーンまで辿り着いた以上、至極凡庸な結論でこの長いレビューを締め括らねばならない。それはつまり、「ああ、丁寧に作られたいい映画を観た」と謂う満足感である。

とりあえずオレは、この二本の映画を観て近来ないくらい満足した。

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コメント

更めて読み返してみると、何だか尻切れトンボな印象は否めないなぁ。後半走っているような気がするし、もっといろいろ考察すべきことがあったような気がしてしょうがないのだが、とりあえず現時点の気力・体力の限界ってことで。

パトラッシュ、ボクもう疲れちゃったよ(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2009年6月22日 (月曜日) 午前 07時24分

天使に連れて行かれないで下さいcoldsweats02

レビューお疲れ様でございました。

映画を観ておりませんので、そもそもコメントさせて頂く立場にないのですが、やっぱり見巧者あっての名作なのだなあと感じ入りました。
映画の隅々にまで目を配ること、込められた意図を的確に読み取ること、そこから導かれる解釈や考察を明快な文章に表すこと、いつも勉強させて頂いております。

PartⅡはなまらカッコイイ金城孔明で幕を閉じるのでしょうね、ああ8月が待ち遠しい、と思ったら銀座で上映中でした!近日行って参ります!

ところでルーベンスもといウー先生、「水滸伝」の製作も予定しているとか。これはもしや、四大奇書全映画化を目論んでおられる……?いやまさか。

投稿: 604 | 2009年6月23日 (火曜日) 午後 03時30分

>604さん

流石に前後編合わせたら物凄いテキスト量ですから、「もっと褒めて、褒めて」と謂うのが本音…いや、もとい(笑)、一カ月近く掛かりましたので結構疲れました。いつも温かいお言葉を掛けてくださって有り難うございます。励みになります。

>>PartⅡはなまらカッコイイ金城孔明で幕を閉じるのでしょうね、ああ8月が待ち遠しい、と思ったら銀座で上映中でした!近日行って参ります!

何と謂うか、今回は大人の狡さを身に着けた周瑜との対比で諸葛亮の青年らしい清潔な魅力が強調されていると思いますので、クライマックスでいなくなっちゃう役どころではあるんですが、十分印象的なキャラになっていると思います。相変わらず魯粛とはなかよしこよしの名コンビですし(笑)、多分あんなに東呉オールスターズから好かれている諸葛亮像って他の三国志作品にはないと思います。

またこのラストシーンの諸葛亮と周瑜が、「ちょwwww近っ!wwww」と思わずツッコミを入れたくなるくらい密着して会話しているのが、その筋の方々のいけない妄想を刺激するのではないかと(笑)。表現意図としては、二本の映画を通じて真に接近した二人の距離感を画殻一杯に納めた二人の横顔で表しているのでしょうが、唾が掛かりそうな超近距離で睦言を語っていると謂う印象がどうしても否めません(笑)。

しかし、流石は世界中の映画がいつでも観られる映画の都・東京、まだ上映中のところがありましたか(笑)。先だっては「阿修羅展」を優先するようお奨めした手前、是非観に行ってくださいとは申し上げにくかったんですが、やはり出来れば劇場で観て戴きたい作品ではあります。

>>ところでルーベンスもといウー先生、「水滸伝」の製作も予定しているとか。これはもしや、四大奇書全映画化を目論んでおられる……?いやまさか。

題材としては「水滸伝」のほうがもっと向いているかもしれませんね。英雄たちの国盗物語である三国志とは違って、もう煩悩まみれで頭の悪い粗暴な極悪人しか出て来ない物語だし、出て来るご婦人はみんな下劣なビッチだし(木亥火暴!!)。

ただ、それ相応の尺を使うとしてもあの長い物語の何処を摘むのでしょうね。多分、金瓶梅みたいなスピンオフもある武松と金蓮のエピソードは膨らませるような気がしますから、そうすると自動的に四大奇書の半分が消化出来ますが(笑)、一〇八人の豪傑好漢の集結までを一々辿っていたら絶対劇場映画の尺には収まりませんよね。やはり集結後から梁山泊軍の滅びまでの一連を描くのでしょうか。

あと、四大奇書の残りと謂うと「西遊記」ですが、中国で「西遊記」と謂えば取経の旅の道中物ではなく前半の大鬧天宮のくだりがメインになりますから、あのドタバタの大騒動を呉宇森がどう描くか想像も附きませんね(笑)。少なくとも「男たちのシリアスで熱いドラマ」には絶対なりそうもないなぁ(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2009年6月24日 (水曜日) 午後 05時38分

いやもうPartⅠ、Ⅱのレビューの濃さは本当に素晴らしく、もしもウー先生が通しで読んだなら、きっとあの細い眼で黒猫亭様をじっと見つめ無言で熱く抱擁するでありましょう。

興行成績はもちろんですが、作品にこめた思いがどれだけ伝わったかということが、製作者の達成感につながるのではないかと思います。
また観客も、一つの物語世界で楽しませてもらう上は、感覚を総動員して施された数々の仕掛けに気付くのが礼儀という気がします(これが結構難しいですが)。

こちらでレビューを拝見していると、映像作品は見方によっていくらでも深くなるのだと教えられます。

それにしても「もういっそくっつけば?」と言いたくなるようなラストシーンでしたね……奥さんが見ている前なのに。
他にも熱い男たちのシーンがてんこもりで、おそらく夏コミは赤壁本大豊作(←知ったかぶり。本当はよく知りません)。

女性大活躍の裏でそっち方面も全開だったので結構驚きました。
その意味では「水滸伝」はウー先生にうってつけかと思われますが、あまり全開でもどうなのかと。

投稿: 604 | 2009年6月25日 (木曜日) 午前 10時01分

>604さん

>>いやもうPartⅠ、Ⅱのレビューの濃さは本当に素晴らしく、もしもウー先生が通しで読んだなら、きっとあの細い眼で黒猫亭様をじっと見つめ無言で熱く抱擁するでありましょう。

ああ、呉先生だったら屹度そうしてくださるでしょう(木亥火暴!!)。何せ我儘で当たり前な映画監督なのにあの人ほど人間の出来た人はいませんから。先般キャンペーンで来日した際なども、失敬な芸人やアフォなタレントの頓珍漢なインタビューにも丁寧に応対してノリを合わせておられる姿にはつくづく頭が下がりました。

オレがこれだけ大量のテクストを打ち込んだことを識ったら、中身なんか一行も読まなくても、しっかり抱擁して「キミは諸葛亮にも負けない天才だ、私の意図をすべて見抜いてくれた」と素敵な社交辞令をくださるような気がします(木亥火暴!!)。

いや、おちょくってるんじゃなくて褒めてるんですが(笑)、たとえほんの数行でも自分の作品に言及して意見を語った人には分け隔てなく心から感謝してくださるんではないですかね。まさしく大陸的な大人(たいじん)の風格を具えた人物です。

……しかし「呉先生」と謂うと、何だかいつもいつも「ああっ、私は『また』何と謂うミスを〜〜〜!!」と絶叫しているようなイメージになりますな(木亥火暴!!)。

>>興行成績はもちろんですが、作品にこめた思いがどれだけ伝わったかということが、製作者の達成感につながるのではないかと思います。
>>また観客も、一つの物語世界で楽しませてもらう上は、感覚を総動員して施された数々の仕掛けに気付くのが礼儀という気がします(これが結構難しいですが)。

職業者としての映画人はやっぱり興行成績がすべてなのでしょうけれど、表現者としての映画人は映像作品の表現を通じて観客と濃密なコミュニケーションを望んでいるのだと思います。

それはまあ、「ああ、ここでこう謂う工夫をしているんだな」と謂うような形ではなくても、無意識の効果として効いていれば伝わったと謂うことなんだと思います。ですから、言葉で説明可能な形で理解するだけがコミュニケーションではなくて、作り手の意図したような形で作品が楽しめればそれで好いのだと思いますけれど、「どうしてこう謂うふうに感じるんだろう」「その為にどんな工夫が凝らされているんだろう」と謂う興味も受け手にはあるわけで。

そう謂う部分を視ていくことで、一本の面白い映画が出来上がるまでに、映像作家がどれだけいろいろなことを考え抜いているのかが改めて意識されるんじゃないかと思いますし、映画と謂う芸術形態に対する敬意も深まると思いますので、なるべくそう謂う部分に気を附けて観るようにしています。

それと、たとえば検索からこのブログに辿り着いたような読み手の方は、映画それ自体に興味があるのであって、黒猫亭と謂う個人がその映画を観て何を感じたかに興味があるわけではありませんから、なるべくそう謂う読み手を想定して映画それ自体について語っていきたい、何か一つでもその映画について新しい情報を発信したい、と謂う動機があります。

実際には、これって半分以上頓珍漢なことを書いているんじゃないかな、と思うこともあるんですが(笑)、たった一つでもいいところを衝いている見解があれば、無駄ではないかなと謂うくらいの意識ですね。

>>それにしても「もういっそくっつけば?」と言いたくなるようなラストシーンでしたね……奥さんが見ている前なのに。

小喬って、ホントは戦争に反対しているんだけど周瑜に配慮して控えめで遠回しなことしか言わないと謂うイメージですから、どうも腹の中で何を考えているかわかんないところがありますよねぇ(木亥火暴!!)。

梁朝偉だと「美形」と謂うイメージはないですけど、周瑜と謂えば中国では水も滴る二枚目と謂うイメージですから、そんな色男の旦那が若い男と密着して別れを惜しむ様子を見ていて「ああ、男同士の友情っていいわね」とか暢気なことを考えていたとも思えないですね(木亥火暴!!)。

投稿: 黒猫亭 | 2009年6月26日 (金曜日) 午前 12時35分

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