もっと深刻なトラブルが
と言っても、こちらの話ではない。
昨日のエントリでも触れたhietaroさんのところがえらいことになっているそうで。
…オレだ。
………オレのせいだ。
……………少なくとも一割くらいはオレのせいだ(笑)。
ご迷惑をおかけして大変申し訳ありませんでした>hietaroさん
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と言っても、こちらの話ではない。
昨日のエントリでも触れたhietaroさんのところがえらいことになっているそうで。
…オレだ。
………オレのせいだ。
……………少なくとも一割くらいはオレのせいだ(笑)。
ご迷惑をおかけして大変申し訳ありませんでした>hietaroさん
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コメント
黒猫亭さんの絨毯爆撃のせいでえらいことになったhietaroです。(^O^) <うそ
なんかいろいろやってみましたが、これでよかったのかどうか、読んで下さっている方にどんな影響があるのか、よくつかみきれていません。
何かありましたら、御指摘下さい。m(_ _)m
あと、圓朝の件ですが、結局、私は判断の材料のないままの状態でして(つまり歴史的事実をあまりよく知らない)、この状態で何か言うこと自体間違いだったかなあと思っています。
ま、私自身も生きてるうちに圓朝が見たい(^O^)、という部分があったりするのでそっちの方が入りがよかったというわけですね。
投稿: hietaro | 2009年7月 3日 (金曜日) 午後 04時45分
>hietaro さん
>>黒猫亭さんの絨毯爆撃のせいでえらいことになったhietaroです。(^O^) <うそ
…なんかDoS 攻撃みたいですねぇ(木亥火暴!!)。ただ、そちらのトラブルの直接の原因ではなかったとしても、ネット上のリソースが有限であることを意識する好い機会になりました。サーバスペース上の容量にまだ十分余裕があってよかったです。
>>なんかいろいろやってみましたが、これでよかったのかどうか、読んで下さっている方にどんな影響があるのか、よくつかみきれていません。
現状では過去ログとのアクセスが不便なのは困っちゃいますが、これは新ブログのログが溜まっていけば体感的な不満は減少するのではないかと思います。ただ、以前のエントリで参照価値の高いものをどのように活性化していくか、でしょうね。これは新エントリを起こす際に、マメに関連エントリへのリンクを埋めて行くことしかないかもしれません。
>>あと、圓朝の件ですが、結局、私は判断の材料のないままの状態でして(つまり歴史的事実をあまりよく知らない)、この状態で何か言うこと自体間違いだったかなあと思っています。
この件に関しては、例によって言い募る形になって申し訳なかったと思っています。
おそらく東京ポッドのほうでは、プロレスのバックステージにレジェンドを視るような意識で「物語」を語っているのだと思いますが、オレ個人の感じ方として、最近になって急に落語の情報を収拾するようになって、多分紙のレベルでは体系的に研究され共有されているはずの知見が、ネット上にはまだ十分な形では電子化されていないことに苛立ちを感じていると謂うことがありまして。
現段階でネットに流れる情報と謂うのは、おそらく十分な検証を経ることなく事実として受け取られるおそれがあるんじゃないかな、と謂う危惧を覚えたものですから、これは初学者がガチでぶつかってみることにも意味があるんじゃないかな、と思いました。
>>ま、私自身も生きてるうちに圓朝が見たい(^O^)、という部分があったりするのでそっちの方が入りがよかったというわけですね。
そちらでも申し上げたことですが、実はhietaro さんとオレとの意見の相違の拠って来たる源はその部分にあって、オレの個人的なモチベーションとして、現役の噺家が二代目圓朝を継ぐところを目撃したいとはあんまり思わないんですね。
三遊亭圓朝と謂う名前は関東の噺家にとっての巨大な神話なんだと思います。実物の圓朝がどれだけ上手い噺家だったのか、その口演がどれだけ面白かったのか、それは間接的な証言としてしか残っていません。テクストの形で残された速記録はありますが、落語は飽くまで演者によって口演されることで具現される生きた芸であり、テクストから見て取れるのは飽くまで創作者としての圓朝の才能ですから、芸人としての在り方は誰も識る人がないわけですね。
その一方で、われわれとギリギリ地続きの近代を生きる人々の証言として、その類稀な至芸を賞賛する伝承が残されていると謂う言い方も出来るわけで、にも関わらず現在存命の誰一人としてその実像をその目で視た者が存在しないので、伝承を実像と照らし合わせて客観的に視ることはもう誰にも出来ないわけです。さらに、その名前を継ぐ者も百数十年の間誰一人として存在しなかったわけですから、そこに神話が生まれる契機があるわけですね。
言ってみれば、圓朝は龍や麒麟のような存在です。そして、龍や麒麟は幻想種であるから意味があるのであって、たとえばその正体が巨大な爬虫類であるとか、ジラフと呼ばれる大型哺乳類である(これは史的事実として誤りですが(笑))とか特定することで、龍と謂う幻想、麒麟と謂う幻想はその象徴的な意味性を喪います。この辺の事柄は、以前そちらで幻想種について摸捫窩さんも交えて会話があったと思います。
それと同様に、圓朝と謂う名を現役の噺家が継いだら、それは今現在龍や麒麟と同列の神話的存在である三遊亭圓朝が龍として復活するわけではなく、爬虫類やジラフになってしまうだけのことで、圓朝と謂う神話が象徴的な特権性を喪うだけじゃないかと思うんです。そう謂う意味で、個人的な感想としては、圓朝と謂う名は誰も継がなくても好いんじゃないかな、と。
そして、別エントリで説明したように、関東の落語界の歴史的システムにおいても三遊亭圓朝と謂う名前は神話であったほうが都合が好いんじゃないかと思うんですよ。
投稿: 黒猫亭 | 2009年7月 4日 (土曜日) 午前 06時29分