ヘビロテの噺
ずっと児童ポルノ関連の話題が続いたので、ちょっと心がささくれ立った。こんなときには、久々に落語の話題などに戻って復調を図ろうと思う。大したネタもないのだが、オレのiTunesに入っている噺で再生回数の多いものを順に紹介してみよう。
…と謂っても、ストックしてあるデータでは、先般全集を入手したと謂うことで圧倒的に桂米朝が多くて、単独でプレイリストを作成している噺家と謂えば他に古今亭志ん朝と三遊亭圓生くらいしかないのだが、圓生は勉強の為に聴いているだけで好みから謂えば嫌いだし、志ん朝は大好きだがそれほどストックがないので、結局米朝の噺ばかり再生している。
なので、基本的に以下の口演はすべて米朝によるもので、噺の粗筋のほうは、またまた便利に世紀末亭さんの「上方落語メモ」や古木優さんの「千字寄席」へ無断でリンクさせて戴く(笑)。
実際に書いてみたら、結構長い話になってしまったので、今回はベストテンと言いたいところをベストファイブで勘弁して戴くことにする。
これはもう、五十音順にソートすると真っ先に来るから…と謂うわけでもないが、何故か漫然と聴くには一番向いている噺である。関東版の演題が「新聞記事」と謂うことでもわかる通りさほど昔の噺ではなく、明治末に桂文屋が創作し初代桂春團治が練り上げて現在の形になった噺だが、ギャグ満載でテンポも好く、オチも考え抜かれていてとにかく理屈抜きに笑える。
類型としては典型的なオウムの型で「つる」なんかに近い筋立てである。「つる」同様に甚平はんタイプの物知りのおやっさんと喜六タイプの慌て者が出てきて、おやっさんが慌て者に世間の見聞を広める為に新聞記事を読まなあかんと説教するのだが、その説教の方便として駄洒落のオチが附く作り話をして慌て者を担ぐ。
これが御念の入ったことに二つも作り話をして二度騙すのだが、演題の阿弥陀池は最初の話で出てきて、二つめの話では近所の米屋に強盗が入った話をする。二度も担がれた慌て者は悔しくてたまらず、誰か他の奴を担いでやろうと町内の識り合いのところへ押し掛けておやっさんの話を真似るのだが、何故かここで二番目の話である米屋の強盗の話だけをして、最初の阿弥陀池の話は何処かに行ってしまう。
そこは慌て者のことだから、散々へどもどつっかえた挙げ句にオチのタイミングをすかされて最初の試みは不首尾に終わるのだが、ここで慌て者がつっかえるところに盛りだくさんのギャグが入って、ベタな駄洒落が多い割には米朝の巧みな話芸で自然に笑わされてしまう。
これがもう、「パッと体を躱した」と言うべきところを「パッと、その、パッと、西宮を躱した」「えらいもん躱しよったのぉ、西宮みたいなもん、どないして躱したんや」とか、聴きようによってはえらくシュールなボケが連発される。
この「西宮」と謂うのが「西宮市」のことであれば単なる駄洒落にすぎないが、この場合の「西宮」と謂うのは「西宮神社」のことである。夜中の米屋で賊に襲われた親爺がパッと「西宮神社」を躱したと謂うのだから、「えらいもん躱しよった」と謂う話になるわけで、ズォーダー大帝の超巨大戦艦のように轟音を上げて西宮神社が飛んでくるのを米屋の親爺がパッと躱すと謂う物凄くシュールな絵面が浮かんでしまう。
また、「盗人が仰向けにひっくり返ったところを、四つ這いになって…」と言うべきところを「盗人が仰向けにひっくり返ったところをおっさん、夜這いに行った」と間違えたり、「かねて用意の匕口を取り出し」と言うべきところを「かねて用意のがま口を取り出し」と謂う具合に、何だか妙にビジュアリックなギャグが続く。
投げ飛ばされた盗人に米屋のマッチョな親爺が夜這いを掛けている絵面や、組み敷かれた盗人が物凄い凶悪な形相で懐に手をやってがま口を取り出す有様が絵面のイメージで喚起されて、単なる駄洒落を超えて視覚的におかしいギャグになっている。
この辺のギャグのセンスは初代春團治のもののようだが、これを春團治があの機関銃のようなだみ声の喋くりでポンポンやっていたのかと思うと、さぞやどかんどかんウケていたのだろうと往事を偲ばせる。これが米朝だと、ギャグ連打のパンチと謂うよりじんわりとした間抜けさの呼吸になっていて、何度聴いても飽きずにおかしい。
また、話の構成としても、普通のオウムなら慌て者が言葉に詰まって苦し紛れにオチを言うと謂うようなパターンが多いが、この作り話が意外な波紋を呼んで大騒動になりかける辺りにヒネリが利いていて、しかもそこへ巧みなオチがスパッと決まる。このオチが決まった瞬間、大袈裟に謂えばメタフィクション的な入れ子構造が成立するわけで、おかしいばかりではなく奇妙な余韻を感じてしまう。
ここに及んでこの噺の演題が阿弥陀池であることや、おやっさんの話で何故最初に阿弥陀池の話が出てくるのかとか、慌て者がなんで米屋の強盗の話しかしなかったのかが腑に落ちるわけだが、この阿弥陀池と謂うのは関西でしか通じない通り名なので、残念ながらそのままの形では関東に移植出来ない。従って、関東版では構成とオチが原話とは大幅に違う。
関東版のオチも頑張って工夫してはいるのだが、やっぱり原話ほどのオチのキレがないので、演者によって若干オチが違っていたりする。最近演じ手が増えたそうだが、オレはポッドキャストで春風亭朝也の口演を聴いたきりで、さほど面白い出来でもなかったと感じたのは、満更演者の力量のせいでもないように思う。
江戸に阿弥陀池と謂う地名が存在しない以上、最初から同じオチには出来ないし、そうなると一つめの阿弥陀池の作り話は要らないから、天ぷら屋に賊が入ったと謂う一つの話で引っ張っているのだが、これだと原話の構成上面白い部分を全部棄てることになるので、割合凡庸なオウム型の話になっている。
これも割合シンプルな笑える噺で、長屋の隠居の葬礼の受付に立った二人組を視点人物に据えたスケッチ風の落語であるが、演題から想像されるような「くやみ百態」的な弔問スケッチの前半とは少し後半の釣り合いが悪く、後半は「てったい(手伝い=土木工事の雑役人夫だそうだから、早い話が土方)の又はん」の年甲斐もない惚気話がコアになっている。
前半で訪ねてくる三人の人物の口上はたしかに弔問の体裁になっているのだが、又はんの惚気話は別段くやみの形式でなくても成立する。スケッチ風の噺であるから、もとよりストーリーの構成は緩いものであるが、元はマクラの小咄だったものを一本の噺に仕立てたものかもしれない。
この噺はとにかく又はんの壮絶な惚気話が聴かせ所で、「寝床」の旦那の浄瑠璃に匹敵する殺人的な破壊力を発揮する。近所の伊勢屋の大将が、この又はんの惚気を聴いてから中風を患うて未だに寝ていると謂うくらいの「命取りの惚気」である。
まあ、いい歳をして惚気話を聴かせるほうも聴かせるほうだが、他人の惚気話が気持ち悪いと謂うのも大概失礼な話ではある。とは謂え、何せ四十路半ばのくたびれた貧乏夫婦の新婚さんのような並外れた仲睦まじさを滔々と語られるのだから、伊勢屋の大将でなくても聴いていると段々具合が悪くなる。
仕事帰りに道具箱を持つだの持たせないだので家に入るまで二十五分もかかるとか、狭い盥で夫婦二人が行水を使って一夏に何遍も底を踏み抜くとか、中年の男女が演じているのだと思うと思わずえずいてしまうような気味の悪い惚気話が延々続いて、話半ばで勝手に里心を起こした又はんは弔問も忘れてさっさと帰宅してしまう、要はそれだけの他愛のない噺である。
米朝演じる又はんの惚気話の罪のない善良な気持ち悪さが絶品で、オチらしいオチもなくふっつりと終わる話だが、何というか、怖いもの見たさに似たような感覚でついつい何度も聴いてしまう噺である。
「これぞ上方噺」と謂う代表的な一席である。上方噺には「旅もの」と謂うジャンルがあって、東の旅、西の旅、北の旅があるが、これは北の旅に当たる。このように旅の噺が多いと謂うことと、「算段の平兵衛」や「夏の医者」など農村部の噺が多いと謂うのが関東落語とは少し性格の違う上方噺らしさである。
この二つ、旅と農村の合わせ技としては「百人坊主」と謂う噺があって、これは関東に移植されて「大山詣り」と謂う噺になっているが、原話では農村の噺なのが関東版では長屋の講中の噺になっている。旅の噺なのは好いとしてもその上さらに田舎の噺なのはイヤだと謂う江戸っ子の好みが覗われるような気がする脚色である。
どうやら江戸と謂う街は大阪に比べて都市的な性格が強かったようで、生涯江戸の朱引きから一歩も出ないと謂うのが江戸っ子の自慢だったりしたそうだから、そもそもあまり旅を好まなかったようである。また、田舎の農村部と謂うのは江戸っ子にとって魅力的な舞台ではなかったようで、「百川」や「権助魚」など江戸に上った田舎者を笑うような噺は多いが、四宿の外の本物のド田舎を舞台にした噺や田舎の村の中だけで完結する噺と謂うのはあんまり流行らなかったようである。
本筋に戻ると、この噺は池田市が人跡稀なド田舎だった時代の噺だそうで、元禄時代の露の五郎兵衛作の小咄が原話だそうだから物凄く古い噺だが、これを米朝は明治中期くらいのつもりで演じているそうである。大阪から池田であるから旅と謂っても知れたものであるが、明治頃までは大阪の市街地からこのくらい離れると物凄い田舎と謂う感覚があったようである。
この噺の醍醐味はやはりその旅情と謂うか、しんしんと雪の降る冬の池田の田園地帯から山間部に掛けてのロケーションの風情である。これは不思議なことに、大河落語とも評される東の旅(清八・喜六の二人組の伊勢参りの往復を描く複数の落語群)ではあまり感じない旅の興趣であるが、それは「冬」と「山」と謂う割合全国一律に季節感や風景を想像しやすい状況設定だからだろう。東の旅のほうだと、大阪から伊勢に掛けての土地柄や名所のイメージがないとどうも旅情らしいものを感じない。
落語で「冬」と「山」の取り合わせと謂えば「鰍沢」が有名だが、この噺はそう謂う陰惨な噺ではなくて、上方噺らしいカラッとした笑話である。就中主人公の慌て者のキャラが面白い造形で、喜六タイプの頼りない阿呆ではあるのだが、行く先々で相手を自分のペースに巻き込んで翻弄するようなトリックスター的な部分もある。
この主人公が、甚平はんタイプのおやっさんをはじめ、道中で出会う人々をからかいながら暢気に短い旅を楽しむ辺りの太平楽な雰囲気が何度聴いても和ませる。大阪から池田と謂う短い距離だけに路程のスピーディーさもあって、おやっさんが主人公に池田までの道筋を説明するくだりで道中の目印を列挙するのだが、それらの目印を噺の中で逐一説明するようなことはない代わりに、それが一種のイマジナリーな地図上の区切りの役割を果たし、たとえば時代劇で古地図の上を主人公の移動に合わせてアニメの線が走るような効果を及ぼしている。
そのような短く刻銘な旅程であることと、旅の目的が「冷え気の薬喰いで山猟師から猪肉を買う」とハッキリしていることから筋立てに渋滞したところがなく、造形の面白い主人公がトントンと噺を進めて行って最後のオチでスパッと終わる。この演目も何度も繰り返し聴いて楽しめる気持ちの好い噺である。
清八・喜六が代表的な登場人物名である上方噺にも「熊五郎」は出て来る。この熊五郎と謂う名前で呼ばれる人物は清八や喜六に比べて少し人物像が複雑で、一言で謂って両津勘吉みたいな人物である。
関東落語でも上方落語でも熊五郎と謂うキャラは腕っ節が強くて荒っぽい割には悪知恵が働き、かと思えば相当間が抜けているキャラとして描かれるようで、「崇徳院」ではそうでもないが、この「質屋蔵」では滅法喧嘩が強かったり荒っぽいやり口で本家の酒や漬け物の樽をかっぱらったりと傍若無人な性根の割には本家の旦那に頭が上がらず、亭主想いの女房がいたり本家の女子衆のおたけさんに気に入られていたりと割合女性にウケが好く、乱暴者のくせにオバケが怖い小心者だったりするような、かなり複雑な人物として語られている。
噺自体は「質屋の蔵にオバケが出ると謂う噂が立ったので、番頭と出入りのてったい職人の熊五郎が不寝番をする」と謂う単純なストーリーなのだが、DVDの解説で米朝が語っているように、旦那が番頭に蔵の中の品物に質置主の怨みや情念が籠もっていることを説明するくだりがやはり長すぎるので、ここを面白く聴かせるには腕が要るのだろうなと思う。これが一から十まで旦那の空想なのだが、何故か上方噺にはこう謂うふうに妙に具体的な空想を長々と語ると謂うパターンのくすぐりが少なくないように思う。
旦那から不寝番を申し附けられた番頭がよくよくの怖がりで、一人で蔵を見張るくらいなら大和の親元に帰ると駄々を捏ねたので、助っ人として呼ばれたのが熊五郎である。熊五郎を呼びに遣わされた定吉がまた、上方噺によく出て来る生意気で悪賢い丁稚で、旦那が何の用で呼んだのかと訝しがる熊五郎を騙して焼き栗を買わせ、いい加減なことを吹き込んだものだから、叱られる前に謝るのが一番と旦那の前に出るなり聴かれもしないのにこれまでの悪事を洗いざらい告白するくだりがまた長い。
これは米朝くらい上手い演者だから面白く聴けるが、とにかく旦那の空想とか熊五郎の懺悔話とか、筋立てとは関係ない部分部分のボリュームが重いので難しい話ではあるだろう。一言で謂えば構成のバランスが悪く流れの淀んだ噺なのだが、逆に謂うと聴かせ所の多い噺でもあるので、何処から聴いても楽しめる。
クライマックスの器怪の戯れのくだりも、小柳繻子の帯と龍紋の羽織の相撲の呼び出しでガラッと雰囲気が変わり、揃いの浴衣の盆踊りなどのページェントで一頻り演者の芸を見せた後に、さっさと菅原道真公が登場して駄洒落のオチを附けて終わる。
それまでの渋滞した構成が嘘のように、夢幻的な作り事臭さのうちにスパッと終わると謂う不思議な構成の噺になっていて、或る種米朝が落語のオチについて「これは嘘ですよ、おどけ話ですよ」と明かすことで客を「一瞬に現実に引き戻す」と語っているような意味で、かなり極端な例と謂えるだろう。
何せ、蔵にオバケが出ると謂うので見張っていると、本当にオバケが出てきて駄洒落を言ってオチになると謂うのだから、これほどくだらないオチもない。この種のオチをさらに極端にすると、米朝自身がマクラで「どないなるんやろうと思って聴いているとどないもならんと謂うオチ」と語る「五光」になるのだが、この噺は怪談としては窮めて緊密なサスペンスが仕組まれていて、そのままで怪談として通じる筋立てなのにオチだけがくだらないと謂う物凄い極端な例なので、「質屋蔵」くらいが丁度好いだろう。
再生回数の順位は低いがかなり好きな噺である。これも「くやみ」同様にスケッチ風の構成の落語で、住吉街道で客引きをする駕籠かき二人組を視点人物にして、そこに様々な人物が現れてこの二人をからかうと謂うバラエティで聴かせる噺だが、「くやみ」ほど前半と後半が乖離している印象がないので、バランスの好い綺麗な構成の噺である。
二人の前に現れる人物は、茶店の親爺、「手尽くし」で値切る男とその妻、傍迷惑な酔いたん坊、堂島の米相場師二人組と謂う順番だが、この内本当に駕籠に乗ってくれたのは最後の堂島の旦那だけである。
新米の相棒が近くの茶店の親爺を識らずに呼び止めて散々絞られる発端から、聞いたこともない変な符牒で駕籠賃を値切り倒した挙げ句乗らずに行ってしまう男とか、同じように変な符牒で値切る女が現れたと思ったら前の男の女房だったりとか、そこへ満を持して登場するのが傍迷惑な酔いたん坊である。
米朝の酔っ払いは大概「ちゃちゃ〜んちゃ〜ん」と口三味線で変な唄を歌いながら現れるのだが(笑)、「親子酒」の「一でなしぃ、二ぃでなぁしぃ(ry」に優るとも劣らない変な唄をこの男が歌っていて、「あねぇといもとぉにぃ、歳ぃ問ぉてぇみたあらぁ、あねぇはあねだあけぇ、歳ぃがう〜えっ、ちゃちゃんかちゃ〜ん」とか謂うわけのわからんけったいな唄を歌いながら登場する。
念の為に通訳すると、「姉と妹に歳を聞いたら、姉は姉だけあって歳が上だった」と謂う、「そうですか」としか言い様のない歌詞である。これはもう、どう考えても目を合わせてはいけない相手だが、新米の相棒が止せば好いのに声を掛けてしまう。ここでこの酔っ払いが散々駕籠かきに搦む辺りが中盤の聴かせ所で、酔っ払いの諄さしつこさをこれでもかと誇張して語るのだからそもそも鬱陶しい話であって、それを面白おかしく聴かせるところに演者の腕が必要になる。
この辺は流石に関東版の「蜘蛛駕籠」では大幅に間引きされていて極あっさりしたものになっているが、それでもこの酔っ払いが参詣帰りに馴染みの女に呼び止められて散々痛飲した自慢話を都合三回繰り返すと謂う堂々巡りの聴かせ所は、呂律の回らない酔漢を演じながら聞き苦しくなく聴かせるのが難しいところである。
また、関東版に比べて上方版はやっぱりこのくだりがいやに刻銘で諄くて長い。諄くて長い話がやっと終わったと思ったら、また振り出しに戻って最初から繰り返しになるところが笑わせるわけだが、一回目と二回目に変化を附け、三回目の半ばで駕籠かきが引き取ってさっさと話にキリを附けると謂う呼吸は、よほど考えてリズムやテンポやくすぐりのバランスを練り込む必要がある。
こう謂う名人芸を先に聴いてから、最近の関東の若手が演じる「蜘蛛駕籠」なんかを聴くとやはり喰い足りない気分になるから不思議である。最終的にはこの酔っ払いが駕籠屋の溜まりに反吐をぶちまけて大騒動になるのだが、米朝はこの汚物ネタに持って行く呼吸が何だか抜群に上手い(笑)。
「三十石」を部分的に換骨奪胎して復元した「矢橋船」でも、ちょうど関東の「相撲風景」や「禁酒番屋」のように酒と小便が紛れると謂う、黄金パターンのスカトロネタがあって、ウンコやシッコやおならプゥで笑う小学生でもないつもりだが、船中の生意気な相客が酒と間違えて振る舞われた小便を二度も口にする場面ではついつい爆笑してしまう。この住吉駕籠でも、酔っ払いが反吐を衝く辺りの呼吸がたまらなくおかしい。
浄瑠璃を唸っていた酔っ払いが二の句を継ごうと力を込めた途端に「うぷっ」とえずいたかと思うと語りが駕籠屋のほうに戻って、一呼吸間があったかと思うと「…おかしぃ具合やでおい…………寄って来たらあかん!あっち行け、あっち行け!駕籠をどけぃ、駕籠をどけぇ!うわあああああああああっ!…やってしもた、こんなとこに八百屋店広げてもて…」と謂う具合に駕籠屋のリアクションで描写していて、これが迫真の臨場感があってとにかくおかしい。
この嘔吐をクライマックスにして酔いたん坊のくだりはケリになり、そこへ交差するようなタイミングで堂島の米相場師の旦那が現れる。声はすれども姿は見えずで声の主を探すと、姿の見えぬも道理で旦那はすでに勝手に駕籠の中に収まっている。この当時の大阪で堂島の米相場と謂えば、これはもう「日千両」と謂って一日千両のカネが動くと謳われた豪快な鉄火場であり、その投機性の故に相場師たちは切っ離れの好い豪毅な気性で識られていた。
謂わば堂島衆は金離れの好い上客であるから自然と駕籠屋の口元も緩み、「今日一日の間んが直った」と大喜び、相手の懐具合を当て込んで「堂島まで一分」と吹っ掛けたところを「すまんけど、そこ二分に負けといて」と逆に倍増しされてしまう。相手の言い値をどんどん釣り上げていく変な値切り方はいろいろな噺のくすぐりに使われていて、大概の場合は貧乏人のハッタリとして扱われているが、この場合は堂島のジキの旦那の気前の良さとして描かれている。
後から走り増しのお酒手のと数百文の割増を要求されるのは面倒だから、思い切って倍額ぽっきりで後腐れなくどうだ、と謂うサッパリした堂島気質みたいなものとして描いている…と謂うか、駕籠屋の兄貴分はそう解釈したわけである(笑)。論より証拠で走り出す前から天保銭を一枚(まあ千円札くらいの値打ち)ポンと投げ出して「たんとはあかんが景気附けに一杯引っ掛けてこい」と小遣いを渡され、駕籠屋二人が茶屋へ向かった隙に物陰からもう一人の旦那が現れる。
この二人の旦那、堂島の相場師と謂う身分に偽りはなく駕籠賃を胡麻化す料簡もないのだが、先からよくよくの馬合いだったのが二、三日前にばったり出会ってこれまで二人で面白おかしく遊び歩いていた帰り道で、寸刻も離れがたいと謂うことで駕籠に乗っても互いに語らいながら帰路に就こうと謂う算段で二人乗りを企んだもの。
幾ら商売柄とは謂え駕籠の二人乗りなど前代未聞で、正直に言い出せば必ず断られるだろうと謂うことで、駕籠屋をハカせた隙にこっそり二人乗りを決め込んだ。実は先刻倍増しを申し出たのは、二人乗りをして駕籠賃まで一人分に値切ったとあってはあんまりセコくて堂島衆の沽券に関わるから、実情は隠しながらも金勘定としては算盤を合わせて二人分払ったものである。
程なくして戻った駕籠屋二人、さあ担ぎ出そうと謂うことで棒鼻に肩を入れるが、ところがこれが如何な持ち上がるものではない。何でも痩せた旦那だったかと思うが、相撲取りでも乗せたようにずっしりと重い。不審に思いつつもようよう担ぎ出して数町も進んだかと思うと、駕籠の中から何やらごしゃごしゃ話し声がする。
「改めさせてもらいまっせ」と垂れを捲れば「やっぱり二人や、何ちゅうことを」と謂うことで早々にインチキがバレるわけだが、ここで再び商談が持たれ「堂島に帰ったら何とかするがな」と謂うわけで、その「何とか」を頼りにこのままやろうと謂うことで話し合いが纏まる。勿論、幾ら気前の好い堂島衆が相手でも、壮年の男性が二人も乗ったら駕籠の重みを除いても一〇〇キロ以上になるわけだから、それを担いで遠路を駆けるほうにしてみれば、幾ら「重た増し」を貰っても嬉しいはずがない。
不承不承なんとか駕籠を進めるうちに、乗客二人の間では相撲の好みを巡って口論が起こり、「宿屋仇」のように座り相撲が始まってしまう。こうまわしを掴んだら離さんぞとか上から掴んだら一遍やとか相撲談義に熱が籠もって、たださえ狭い四つ手駕籠の中で大の男が二人して相撲の真似事まで始めたのだから、到頭駕籠の底が抜けてしまう。
当時の町駕籠は竹の支柱や筵の垂れで出来た軽便なものなのだから、決して乗り心地の好い乗り物ではなく、マクラで「乗り方の上手い客が駕籠屋から祝儀を貰った」と謂う小咄が語られているように、担ぐほうにもコツがあるならそれに乗る客のほうにも乗り方のコツがあった。
担ぎ手の足運びと上下動に呼吸を合わせられるような乗り方の上手い客が乗れば、客も楽だし駕籠かきのほうでも楽が出来るのだが、駕籠に乗り附けていないような下手な客が乗ると、バランスが悪くてそれだけ担ぐほうでも負担だったわけである。
つまり、この時代の辻駕籠と謂うのはたった二人の人間が動力源なのだから、動力装置よりも軽いペイロードを前提にして、担ぐほうと乗るほうが気を一に合わせて進めることでフレーム構造の絶対的な強度をも節約して軽量化していた乗り物だったわけで、そんなものに大の男が二人も乗って大暴れしたら毀れるのが当たり前である。
駕籠屋のほうでは最早これまでと「降りてくれ」と要求するのだが、旦那衆のほうでは納まらない。「わしらは堂島でも強気で識られた相場師じゃ、一旦乗った駕籠を途中で降りるなど験の悪いことは言わんといてくれ」と居直り「中で歩くからこのままやれ」と謂う話になる。
ここから息をも吐かせぬスピーディーなテンポでオチに雪崩れ込むわけだが、この終盤の段取りの素晴らしさは他の演目の追随を許さない。底が抜けたことで軽くなった駕籠を担いだ駕籠かき二人、朝から散々変人たちにからかわれた鬱憤を晴らすかの如く、中で折り重なって歩いている旦那衆なんか無視して「走らしてもらいまっさ」と走り出すわけだが、ここで視点は一挙に引きになって、一散に堂島指して走り出した底抜けの駕籠を遠望する親子の語りに引き継がれる。
ここの視点の転換は他に類を見ないもので、米朝の口演では駕籠の中で押し合いへしああいしながら前に前にと押し出される旦那衆の滑稽な様子を、たとえばカメラ前にアクリル板を置いて狭い駕籠の中を撮影したかのような仕方噺で表現し極々のクローズアップの絵面として演じておいて、やおら一気にロングに引いてそれを遠くから眺める親子の視点に一挙にスイッチする。
このオチは関東版の演題を見れば大体察しが附いてしまうが、噺をスパッと終わらせる力として見れば比類なく強いもので、住吉街道を駆け抜ける一挺の奇妙な駕籠の有様を遠望する第三者の視点を籍りることで何とも言えない疾走感のある余韻を残している。
一言で謂えば、かなり映画的な落語と表現出来るだろう。
味わいとしては、たとえば周防正行とか矢口史靖の映画のような雰囲気があって、しかもマクラで「住吉さんの参詣客を相手にしているせいか、他の街道の駕籠屋に比べると大人しかった」と解説される住吉街道の駕籠屋二人組の善良さや親切さが何だかとても愛おしいものに感じられる。
茶店の親爺に頭からどやされ、巫山戯た夫婦者にからかわれ、ベロベロの酔っ払いにしつこく搦まれても、決して暴い態度に出ず、散々搦まれた酔っ払いにも親切に道を教えてやるような質朴な善良さを具えたこの二人だが、やっと上客を捕まえ験が直ったと喜んだのも束の間、その旦那衆もまた飛びきりの変人で二人乗りはするは駕籠は毀すは毀れた駕籠をこのままやれと我儘は言うはの傍若無人な振る舞いに出る。
最後にこの二人が「走らしてもらいまっさ」と旦那方を困らせるのは、まあたしかにすべてがこの旦那衆のせいではないにもせよ、朝から一日散々翻弄された善人のせめてもの意趣返しとして微笑ましいものがある。かと謂って、この旦那衆も駕籠屋を理不尽に苛める役どころではなく、堂島気質とでも謂うべき常識離れした奇矯さが駕籠屋を困らせているだけである。
その相場師気質で張った意地のツケとして、堂島まで狭い駕籠の中で押し合いへしあい走らされると謂うのは、意地の代償としては妥当なものである。そう謂う意味で、何というか、最初から最後までを通した情動の入れ合わせがピタリと合致した気持ちの好い噺になっているわけで、この爽やかな余韻がこの噺の最大の魅力である。
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