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2009年8月23日 (日曜日)

ブランチで「また」マクロビ

何度も触れていることだが、オレはTBSの「王様のブランチ」を毎週録画して観ていて、七月に六名加入した新ブランチリポーターの中では、双子の蒼あんな・れいな姉妹が可愛いなと目を附けている(笑)。しかし、この人たちは現役女子大生と謂うことで、新加入早々に試験期間に突入し、お披露目の週に一回出演したきり一カ月以上欠席していて、殆ど幽霊部員みたいなポジションだった。

今週は久しぶりに姿を見せたので、何のコーナーをリポートするのか(リポートのないメンバーは基本的に出演しない)楽しみにしていたのだが、今週は一カ月もの欠席の穴を埋めるかのように「女王様のお買い物」と「ディズニーナビ」の二コーナーに出演していて、仲々今週は楽しかった(笑)。

昔からある戦略だが、一人だとそれなりでも、同じ顔が二つ並んでいるとやっぱりインパクトが違うねぇ。蒼姉妹も、多分一人だったらそんなでもないんだろうが、アニメ顔でアニメ等身のお姉さんが同じ顔で二人並んでいるから何だか可愛いと感じるわけで、双子でそこそこ可愛い女の子はそれだけでも得だな。

何だか最近は同時期に双子タレントが何組も出てきて混乱するんだが、CXの「キャンパスナイトフジ」でも、同じく双子の女子大生の矢敷真帆・梨紗姉妹と謂うのがいて、これがどうもオレとは同郷らしい。道理で双子のくせに華がなくて何だかふて腐れたような陰気なキャラだと思ったよ(笑)、けっこう北陸にいるタイプの女だ。

他には双子の中国人でしかも忍者キャラと謂うワケのわからん設定の桜組の桜紅丸・蘭丸姉妹と謂うのもいて、クリクラの浄水器のCMなんかに出ているのだが、この人たちはどう謂う方面にどう謂う売りで売りたいのかサッパリわからない。

また、タレントではないが「ジャンクスポーツ」を観ていると、瀬間友里加詠里花姉妹と謂う双子のテニスプレイヤーもいて、妹のほうはモデル活動なんかもしているそうだから半分芸能人みたいなものではあるが、どうも最近は双子を売るのがこの業界のトレンドらしい。

不景気な世の中だから、これは一種の「増量セール戦略」みたいなモンで、「この可愛い蒼あんなを一個お買い上げ戴くと、なんと今回はメーカーさんのご厚意で、れいなを一個お附け致します!」「ええっ! あんなだけでも可愛いのに、れいなまで附いてくるの!?」「やっすぅ〜〜〜いっ!」みたいなノリなのかもしれない。

まあ、双子タレントの話が本題ではなく、表題通りの仕儀でこの蒼姉妹がリポートしたコーナーの題材がモロにマクロビで、オレは識らなかったが、その筋では有名人らしい中島デコとか謂う人の営む「農家レストラン」とか謂う施設を紹介していた。

「野菜大好き!ベジガール急増中!」と謂う前フリからしてすでに厭な予感はしていたんだが(笑)、「からだにおいしい野菜の便利帳」の紹介から始まって、野菜ソムリエの受講者のリポートを経て、フードマイレージの観点から松戸市の自家栽培の野菜店(店舗奥の工場で人工照明で栽培した野菜を売っている)の紹介があって、ここまでが蒼姉妹のみによるリポートで、企画全体の前フリ。

はしのえみの姫様も参加した本筋の企画が「農家レストラン」で、千葉県いすみ市にある中島デコ夫妻の営む「ブラウンズフィールド」の体験リポート。前述の通り中島デコとその夫のブラウン氏については全然識らなかったんだが、すでに肩書きが「マクロビオティック研究家」なんだから、疑問の余地はない。

この施設は「ウーフ」とか謂うシステムを採用していて、これは農作業や炊事等の労働を提供することで対価として食事や宿泊が無料になると謂うことらしいんだが、まあこれ自体をとやかく謂うわけではないが何だかアレなシステムだなぁ。

WWOOFジャパンのサイト
をみると、

WWOOF [ ウーフ ] とは、何か?

お金のやりとりなしで、「食事・宿泊場所」と「力」そして「知識・経験」を交換するしくみです。
 有機農場や、環境を大事にする人たち、自然が豊かに残っている場所、または人と人との交流を大切にしているところと、農業や、生き方について学びたく、仕事や家事の手伝いをしてみたい人たちとをつないでいます。
 WWOOFは受け入れ先も、手伝う側も登録制です。
 会員登録し、新しい世界を広げてみましょう!

…そうですか(笑)。では、そもそもWWOOFって何だろうと思ったら、

World Wide Opportunities on Organic Farms「世界に広がる有機農場での機会」の頭文字です。

…左様でございますか(笑)。これは、ブランチのほうでは、

WWOOF[ウーフ]World Wide Opportunities on Organic Farms
「食事・宿泊場所」と「労働力」を交換する制度
世界20か国以上に事務局が設置されている

とだけ紹介されていて、有機農法関係の制度だと謂うことは説明していないが、略称の正式表記も小さく併記されているから、録画を止め絵にして横文字を読めば何のことかはわからなくもない。まあ、そもそもブランチを録画している奴なんてそんなにいないだろうから、申し訳程度に添えてあるだけと謂えるだろう。何と謂うか、有機農法にマクロビオティックなんだから推して識るべしと謂うところか。

内容ですか? いや、普通にはしのえみと蒼姉妹がへっぴり腰で農作業に勤しんでマクロビ料理を戴いて、ファームの参加者にインタビューすると謂う、誰でも想像するような楽しい内容でしたよ(笑)。可愛い女の子がピチピチのショートパンツにゴム長靴で、生姜を掘ったり薪を割ったり料理を手伝ったりと謂う体験内容で、仲々楽しいヴィジュアルだったので別段文句はありませんが(笑)。

当然、リポートの端々にデコ先生から「一物全体」とか「身土不二」とか有り難い教えがあるわけで、

一物全体(いちぶつぜんたい)
食材は丸ごと全体でバランスがとれているので
そのバランスのまま摂取するのがよいという考え

とか、

身土不二(しんどふじ)
暮らす土地において季節のものを常食することで
身体は環境に調和するという考え

とか、まあ穏健なところから入っている。因みに、地産地消と身土不二の違いについてはウィキの記述がある。

地産地消と身土不二 [編集]

1990年代以前に身土不二を唱えた者は、地産地消に批判的だった。

地産地消事業は、伝統食を改善しつつ、農家女性や高齢者の生き甲斐と所得を向上させる目的で1981年(昭和56年)に始まった。指導にあたった生活改良普及員は、以前から特産物の栽培を勧め、栄養値の高い味噌の作り方を指導したり、伝統文化の保全に尽力していたため、地産地消でも、伝統の良いところを残しつつ、塩分過剰やビタミンの不足などの欠点があれば改善する、というスタンスを取った。

一方、身土不二に従えば、伝統食は完璧だから手を加える必要がない。このため1980 - 90年代から身土不二を唱えていた論者は、「生活改良普及員が、伝統食を破壊して洋食を指導した結果、若者が早死にしている。」と非難した。この説は「逆さ仏」説などの名称で一部に浸透し、たとえば沖縄県はそのような傾向が顕著である[2]。

しかし、スローフード運動が高まった2000年代以降、新聞・雑誌のスローフード特集で、地産地消を「身土不二に基づく伝統」と紹介する例が急増し、両者の区別があいまいになっている。

まあ、マクロビオティック全体に関しては、最近コメントを戴くことの多いどらねこさんのところの「マクロビ関連エントリまとめ」を一読して戴くことにして(と謂うか、格別報告してないが暫く前からサイドバーにリンクを張っている(笑))、企画の流れとしては割合考えているなぁ、と思った。

自由が丘のブックファーストで、「野菜の便利帳」がハリポタを抜いて昨年の年間売上トップになったと謂うところから説き起こして、野菜に対する情報ニーズの高まりがあり野菜ソムリエの受講者も急増中、と煽っておいて、若干唐突に感じるフードマイレージの話に繋がるんだが、そこからウーフで有機農法でマクロビで身土不二ですよ、と謂う落とし所に行くわけですな。

ブランチでマクロビが大きく採り上げられたのは、まあオレが意識している限りでは二回目のことで、一回目の件はすでに報告したから「また」になるわけだが、まあ所詮は硬派な報道番組でも何でもない女性向け情報番組なのだから、流行り物を紹介するのは仕方がないとは謂え、ちょっとはネタの身元を洗えよとか思ってしまう。

制作する側は「どうせ一過性のトレンドだし」とか思っているんだろうが、こう謂う体験型のサービスを通じてマクロビにどハマりしてしまう人が一人でも出たら、どう責任をとるつもりなんだろうか。

マクロビは決して一過性のトレンドではなく、根強く社会を浸食する「宗教的思想」なのだと謂うことはどらねこさんのエントリ群を一望するだけでもわかるし、poohさんがお書きの「選びえぬとき」などを拝読しても、軽々にこれを他者に勧めることが確実に不幸な人を生み出すことがわかる。

番組では、一見して地に足の着いた牧歌的な理想郷のような形でこの施設を紹介していて、貨幣を介さぬ直接交換原理の「ウーフ」制度も、カネ、カネ、カネの経済合理性で雁字搦めに縛られた現代人には魅力的に映るのだろうけれど、見方を変えればこれは現代人が置かれている世界を拒絶した強烈な反動姿勢に見える。

制作者がイメージしているのが、たとえば極一般的に都会で働いている女性が癒しを求めてこの種の施設で週末を過ごす、と謂うような薄っぺらい体験だとすれば、多分この施設の性格はそのようなものではないだろう。別段金銭的な報酬をとっていないのだから、ウーフ制度自体がビジネスとして成立するはずはない。

これは一種のコミューンであり、マクロビ同様宗教的な性格があるのだし、番組ではこの農場で共同生活を営む人々の座談も紹介されていたのだが、要するにマクロビ思想の普及拠点としての機能を担っているようにしか見えなかった。

まあ、「普及」だか「布教」だかはよくわからないが、このような企画が放送されることでマクロビ思想に接する人が何人か増えるわけで、それが不幸な人を幾許か生み出すのだとしたら、「情報番組だからファッションとして紹介しただけ」では済まされないと思うのだが、どうだろうか。

オレ的には、可愛い女の子がへっぴり腰で力仕事に勤しんでいる様を観られれば、それだけで満足なんだけどな(笑)。

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コメント

WWOOFとか、不自然なスペルの新語を見ると、どうもそこにどんなビジネスのしくみがあるのかとか邪推してしまいますけどね(と云うかそのへんが考えられていないと一般にこの種の運動は立ち行かない)。どうもLOHASのようなマーケティング主導、と云うものではないようですね。なつやすみ農業体験、みたいなものかな。それはそれでいちがいに意義なし、ともできないかも、です。

ビジネスとしておこなわれている農業に素人が力を貸そうとしてもふつうは邪魔になるだけじゃないか、とか思うんですが、有機農法やマクロビオティックを標榜する農業にはどこかビジネスとしてマルチレベルを匂わせるものも多いようにも感じるので、だとすればなんかわりと昨今ありがちな展開かも、とか感じたりします。

投稿: pooh | 2009年8月23日 (日曜日) 午前 06時32分

>poohさん

>>WWOOFとか、不自然なスペルの新語を見ると、どうもそこにどんなビジネスのしくみがあるのかとか邪推してしまいますけどね(と云うかそのへんが考えられていないと一般にこの種の運動は立ち行かない)。

そうなんですよねぇ。経済的インフラがなくてこの種の制度が支えきれるのかと考えると、労力と等価交換で金銭的対価を求めないと謂うのは「ホンマかいな」と謂う疑いが拭い去れないんですが、一応この辺の登録費用がウーフジャパン自体の運営に充当されるのかな?

https://www.wwoofjapan.com/main/index.php?option=com_content&task=view&id=17&Itemid=32&lang=ja

ただ、ホストやウーファーのほうの動機やなんかはよくわかりませんね。ウーファーのほうはともかく、ホスト側はどんなメリットがあるのか。ウーフジャパンのサイトの説明ですとこう書いてあります。

>>ホストがホストする目的は?
>>
>> ウーファーにいろいろな目的があるように、ホストもウーファーを受け入れる目的は様々です。ずばり労働力を求めているところ、閉鎖的になりがちな場所にウーファーが来ることで刺激を求めているところ、社会に広く(有機)農業の実体を見てもらいたいと思っているところ、ウーファーとの会話を楽しみにしているところ、昔農業研修生だったときお世話になったのでその恩返しと思っているところ、これからの若者にしっかり農を見つめていってもらいたいと思っているところ、WWOOFで有機農に興味を持ってもらい有機農家仲間を増やしたい、など色々です。

やっぱり、なんだかよくわかりませんねぇ(笑)。今回紹介した番組ですと、中島デコと謂う人はマクロビ関係では有名なカリスマらしいんですが、そう謂う人物と有機農法が関係したウーフ制度の組み合わせってのが、何だかキナ臭い感じがします。

>>有機農法やマクロビオティックを標榜する農業にはどこかビジネスとしてマルチレベルを匂わせるものも多いようにも感じるので

確証がないと軽々に謂えないことですけど、その辺のカラクリがあるのかな、と考えるのが自然だと思うんですよね。公式サイトのレベルを視る限り、たしかに資金が潤沢そうな組織じゃなさそうなんですが(笑)。ウーフそれ自体で金銭的リターンを求めると謂うよりも、何かの啓発機会としてその後があるのかな、なんて考えてしまいますね。

>>ビジネスとしておこなわれている農業に素人が力を貸そうとしてもふつうは邪魔になるだけじゃないか、とか思うんですが

多分その辺は、週末農業みたいなリピーター的ウーファーを想定していて、農家のほうで継続的な働き手として仕込むんじゃないかな、とは思います。

投稿: 黒猫亭 | 2009年8月23日 (日曜日) 午前 06時51分

こんにちは。

自分は、身土不二とは「食」だけのことではなく、人間の体とそれを取り巻く環境とは一体であり、切り離すことができないもの、というような意味の仏教用語だと教えられたことがあります。それが「伝統食はよい」という考え方と結びついて、誤解した使われ方をされたのだと思っています。

ホンマにね、伝統食がええんであれば昔の農村に暮らしていた百姓はもっともっと長生きやったはずで、今脚光を浴びている伝統食はほとんど「ハレ」の日に食べられていたごちそうであり、普段の食事はカロリー重視で「たくさんの白飯につけ物」だったことがわかっていて、いかに地元でとれたものばかりであってもそんなもので健康に長生きできるはずがないんですね。

それを私の先輩に当たる「生活改良普及員」の皆さんが努力して改善してきたのに、それを無にするような言説にはホンマ頭に来ますね。
現在、各地で売られている伝統食の顔をした「おばあちゃんの○○」などといった豆腐やみそなどはそう言った生活改良普及員がろくなものではなかった本当の意味での「昔ながらのもの」に科学的知見を取り入れて改良し、使えるようにしたものがほとんどです。

地域で作られたものだけを食べていて健康を害する人が続出するような話(wikiでも紹介されているみたいですが)もありますし有機質肥料だけで育てている野菜しか食べていない場合は微量養分が不足することもあるということも明らかになってきていて、必ずしも自然に近ければよいと言うものではないのはホンマ明らかなんですが、それを認めたくない人というのは一定数いるようですね。

そう言うことを商売でやっている人は単純に非難したら済む話ですが、善意でやっている人に関しては少々面倒ですね。でも、確実に幾ばくかの人を不幸にしているのだから、「面倒だから」で放っておけないところがホンマにしんどいところです。

投稿: がん | 2009年8月23日 (日曜日) 午後 03時39分

こんにちは

CSのフーディーズTVでも、以前より更にマクロビの番組が目につくようになってきました。たいていは玄米食を中心とした、お洒落と健康を合体させたイメージですね。
そして”一物全体”は言わずに”丸ごと食べる”、”身土不二”は持ち出さずに”くらしに近い場所で取れるものを食べる”と言い換えてます。そしてアレルギー食でもないのに卵、牛乳、砂糖を使わないことの理由を言わずに済むレシピを紹介してます(ホントに姑息)。

でもマクロビの次の番組でケンタローが八丈島に牛乳を飲みに行って、牛乳料理を紹介したりする(実話)ので、局自体はマクロビが何かはほとんど知らないか、興味がないんだと思います。

私はハブハンさんの疑問で
>「一物全体」と聞くと,いつも疑問に思う事があります。
> なんで玄米どまりで,モミガラやイナワラは食べないんだろう?
が好きです。トウモロコシの芯も捨てますよね?ハブハンさんも気にしていらしたけれど合理的な理由があるんでしょうか。
あるんだろうな、きっと。

投稿: うさぎ林檎 | 2009年8月23日 (日曜日) 午後 05時42分

>がんさん

>>自分は、身土不二とは「食」だけのことではなく、人間の体とそれを取り巻く環境とは一体であり、切り離すことができないもの、というような意味の仏教用語だと教えられたことがあります。それが「伝統食はよい」という考え方と結びついて、誤解した使われ方をされたのだと思っています。

仰る通りで、ウィキの「身土不二」の項目でも説明を分けていますね。

>>身土不二
>>
>>(しんどふに)仏教用語。「身」(今までの行為の結果=正報)と、「土」(身がよりどころにしている環境=依報)は切り離せない、という意味。
>>(しんどふじ)食養運動のスローガン。「地元の旬の食品や伝統食が身体に良い。」という意味で、大正時代に「食養会」が創作した。

こうして見ると、仏教用語のほうは「しんどふに」でマクロビ用語のほうは「しんどふじ」と、読みが違うようです。一種、既存の仏教用語を借用したキャッチコピー的な言葉と解することが出来ますね。パッと実例が浮かびませんが(笑)、現代でも読みを変えて既存のタームを異化すると謂うコピーの手法がありますね。

既存のタームとの緩いイメージ連鎖を保持しつつ、そこに新しい概念を盛り込んだ別の新奇なアイディアなんだよ、と謂う訴求を狙っているわけですね。ですから、少なくとも主唱者側の観点では、この言葉は「誤解」なんかじゃないんです。意図的に仏教用語との関係を臭わせつつ自説を普及させるスローガンとして発明したコピーなんですね。

>>ホンマにね、伝統食がええんであれば昔の農村に暮らしていた百姓はもっともっと長生きやったはずで、今脚光を浴びている伝統食はほとんど「ハレ」の日に食べられていたごちそうであり、普段の食事はカロリー重視で「たくさんの白飯につけ物」だったことがわかっていて、いかに地元でとれたものばかりであってもそんなもので健康に長生きできるはずがないんですね。
>>
>>それを私の先輩に当たる「生活改良普及員」の皆さんが努力して改善してきたのに、それを無にするような言説にはホンマ頭に来ますね。

これはもっと識られるべき事実ですよね。有機農法や化調問題も含めた現代的な食の観点の問題と謂うのは、有害な物質や有害な食習慣が食生活を汚染していると謂うことではなく、寧ろ反動的な有害情報が蔓延していることではないかと思います。

農薬にしろ食品添加物にしろ、きちんとした科学的研究に基づいて安全性の確認が為されているわけで、日本は食品に関して世界でも有数の厳格な法的基準を採用している国ですし、食生活に関しても多くの人々が改善に努めてきたことで、世界有数の長寿国となったわけです。

NATROM先生のところでも「どうして日本は癌大国になってしまったのか?」と謂うエントリがありましたけど、長寿になれば高齢者特有の疾病が目立ってくるのは当たり前のことですし、成人病と謂うのは食生活の改善によって「肉体的に頑健な資質を持つ人間しか成人出来ない」世の中ではなくなったことと密接な関係があります。それには、がんさんが挙げられたような人々の弛まぬ努力があったわけです。

http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20090718

どらねこさんのところで連載中の「母子の健康と代替医療」のシリーズで紹介されているゼンメルワイスなども、母親が安全に子を産むことが出来るように懸命な努力をした人物で、現代の安全な社会の実現に貢献した偉大な先人の一人です。

http://blogs.dion.ne.jp/doramao/archives/8657381.html

こうした幾多の先人たちの尊い努力の結果として、「飢えずに済む」「健康に長生き出来る」「普通の病気ではまず死なない」「安全に子供を産むことが出来る」と謂う成果を万人が享受することが可能な世の中になっています。

勿論、昔だって飢えずに健康に長生き出来て、普通の病気ではまず死なない頑健な肉体を持っていて、子供を生んでも死なない人はいたのですし、だからこそ今まで人間の歴史が続いてきたわけですが、それとは比較にならないくらい、常に飢えていて病気に苛まれ五〇年も生きられずでつまらない病気で呆気なく死んだり子供を生んで死ぬ人がたくさん存在したわけです。

オレなども子供の頃は食が細くて病気がちでしたから、もう二〇年も早く生まれていたら、今ここでこうして暢気な講釈なんか垂れていなかったでしょう。オレは単にオレのような資質の人間でも生きられる世の中に生まれたから、こうして病気もせず飢えもせずに生きていられるのだと謂う強い確信があります。

その意味で、非合理な自然崇拝や「昔は良かった」式の反動的な文明拒絶を標榜するような人々は、そのような虚構の理想郷としての「昔」と謂う時代性は、オレのような人間の生存を許さなかった苛酷な時代であったと謂うことを忘れているか、無視しているか、もしくはそのような人間は生きる資格なんかないと考えているわけです。

そのような苛酷な時代性においても、自分だけは生きられるに違いないと謂う無根拠な確信を持っているわけで、オレはその種の鈍感さに対して憎悪に近い反撥を感じるのですね。そのような確信は、現代社会の技術やシステムによって生存が可能になったような人々なんて死んでも構わないと謂う利己性と裏腹のものだからです。

現代社会にはたしかに問題が山積しているんでしょうけれど、それは或る程度の安全性や公平性を獲得したことに伴って派生した必然的な代償であって、たとえば難病に苦しむ人々や虚弱な体質の人々や何らかの障害を抱えた人々でも、この世界で生きていて好いのだと考えるのなら、そのような人々の或る程度幸福な生存を可能にした現代社会を軽々に拒絶するのは無責任だと思うんですね。

現代社会には問題がある、だから昔の形に戻したほうが好いんだ、と謂うのは、やらずぶったくりの発想です。文明社会を拒絶して牧歌的な理想郷に遊びたいと謂うのは大昔から存在する欲求ですから、それ自体は否定しませんが、その行為を正当化する為に有害な理屈をでっち上げることは、多くの人々の幸福を夢見て努力してきた先人たちの営みを理不尽に貶める行為ですし、一部の選良だけが生き延びれば好いと謂う傲慢さと裏腹のものだと考えます。

>>そう言うことを商売でやっている人は単純に非難したら済む話ですが、善意でやっている人に関しては少々面倒ですね。

いろんなところで言っていることなんですが、ニセ科学やアヤシゲな健康法を周囲に奨めたがる心理には、勿論純粋な善意もあるでしょうが、みんながやることで安心感を得たいと謂う無意識の動機もあると思います。一種の同調圧力ですね。自分はこんなに霊験灼かだと思うのに、識っていてやらない人がいる、それは何故か、その先を考えるといろいろ厭なことも考えないといけなくなります。

その意味で、一口に「善意」と謂ってもそれは紐附きの傍迷惑なものだろうと思いますけれど、人間関係の上で逆らいにくい相手がかぶれていると物凄く迷惑ですよね。よくあるパターンだと姑さんがハマっていて無闇に奨められると謂うケースがありますが、これは断りにくいですよね。明確に上下の序列がある閉鎖的な人間関係で誰かがかぶれると物凄く困ります。

また、どらねこさんのところのように、子供を入れた幼稚園が実はマクロビ思想の巣窟だったと謂うのも大いに困ります。現今の社会状況では、実質的には保育園とか幼稚園には利用者の側に選択の余地がありませんし、子供を人質にとられているわけですから打つ手に困ります。

もう、人間関係の中で具体的なステージに上ったニセ科学ってのは、これはもう個別の対人関係の範疇の問題になりますから、こうすれば好いと謂う万能薬なんて一切存在しないわけですね。とにかく知恵を凝らして頑張って抵抗するしかありません。

こう謂う状況に対して有効な情報発信手段が在り得るとしたら、それはそれこそマスコミの役割になるはずなんですが、マスコミが率先して有害情報をバラ撒いている現状では、まずマスコミを何とかしないとキリがありませんね。

投稿: 黒猫亭 | 2009年8月23日 (日曜日) 午後 08時05分

>うさぎ林檎さん

>>CSのフーディーズTVでも、以前より更にマクロビの番組が目につくようになってきました。たいていは玄米食を中心とした、お洒落と健康を合体させたイメージですね。

世間的にもそんなイメージだと思うんですけど、マクロビの本質はそこにはないですよね。別段、玄米食を中心とした菜食主義みたいなモンなら、たまに喰う分には嗜好の範疇だろうと思いますが、「昔の日本料理は完全だ」と謂う思想ですし、それを正当化するのに陰陽思想とか持ち出しているわけですから、栄養学的に安全ならばそれはマクロビではないですし、マクロビである以上危険性があって当たり前なわけですよね。

栄養学的に問題のないマクロビ料理と謂うものがもし存在するとしたら、それは原理的に謂って「偶然」でなければならないわけです(笑)。

>>でもマクロビの次の番組でケンタローが八丈島に牛乳を飲みに行って、牛乳料理を紹介したりする(実話)ので、局自体はマクロビが何かはほとんど知らないか、興味がないんだと思います。

料理専門局だとそんな感じでしょうね。理由は問わずレシピを紹介するのみに留め、そう謂うジャンルの料理なんだと謂う捉え方なんでしょう。CSと謂う放送形態の性格を考えても、一種すがすがしいくらい割り切った態度ですね(笑)。一種、CSの専門チャンネルは「公共放送ではない」と謂う特殊性(と謂うか、理屈の上では地上波のほうが特殊なんですが)がありますから、公共放送とは分けて考える必要がありますかね。

>>>「一物全体」と聞くと,いつも疑問に思う事があります。
>>> なんで玄米どまりで,モミガラやイナワラは食べないんだろう?

げらげらげら。籾殻や稲藁は無理すりゃ喰えるでしょうからまだ好いですけど、果物とかナッツの類はどうするんでしょうね。胡桃なんてのもあの殻を喰えるように加工するのは難しいと思いますが、それ以前にウォールナットを何とか人間が喰えるように加工するのはかなり難題だと思います。

番組ではシシトウだかピーマンだかをヘタをとらずに調理していましたけど、なんで茎とか根っことかは根こそぎ引っこ抜いて喰わないんだろうと不思議に思いました。「一物」ってのは結局何を以て「一物」と見做すかと謂う問題にすぎないですよね。

じゃあ、もしもヘタを喰いたくなかったらヘタから下だけ切り取れば好いって話になりますな(笑)。単に摘み取る際の手順の問題で附いてきたものも喰えと謂う話なら話は簡単ですね。可食部分以外は摘まなければ好いわけですから。

>>あるんだろうな、きっと。

あることを期待します(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2009年8月23日 (日曜日) 午後 08時27分

こんばんは。
色々、ありがとうございます。(笑)
最近はニセ科学対策関連方面でマクロビが採りあげられる事が多くなってきてとっても嬉しい私です。
件の番組は妻が好きでタマに見ることもあるのですが、率直に言って、あんまり考えていないような気がします。関係者一人の思惑でどうにでも好きな方向に誘導できる気がします。

>自分だけは生きられるに違いないと謂う無根拠な確信を持っているわけで、オレはその種の鈍感さに対して憎悪に近い反撥を感じるのですね。そのような確信は、現代社会の技術やシステムによって生存が可能になったような人々なんて死んでも構わないと謂う利己性と裏腹のものだからです。

黒猫亭様のおかげで、自分の心の中にあったモヤモヤが姿を顕したみたいです。私も幼少時病気がちで、所謂現代医療のおかげで成人することが出来たのだと考えております。
彼らはカウンターカルチャーともいえる自分たちの主張に酔っているところが少なからず見られ、先達の努力によって得られた命を救う為の努力を寧ろ軽視しているように私には見えます。想像力の欠如と言えば簡単なのですが、信奉者達は寧ろそうなるようにし向けているように見えるのです。

黒猫亭様は利己性と仰いましたが、最近私も同じような印象を抱いておりました。それは石塚左玄の食養に魅せられた人々を追っていた際に感じた印象です。
出発点で間違えていた事、そしてそれに伴い生じた犠牲、自分たちが信じた食養を否定するとその犠牲に正面から向き合わなければならなくなります。そこに利己性が生じるのだと。方法論の誤りであると結論し、自分の正当性は守りたい。かくして、様々な流派の食養、マクロビが誕生した。そんなところではないかと・・・

いろいろと示唆をいただきました。
あとエントリで旨く纏められるかどうかです。

ありがとうございました。

投稿: どらねこ | 2009年8月23日 (日曜日) 午後 09時25分

>どらねこさん

こちらこそ、今回もどらねこさんのお書きになったことを便利に使わせてもらったようなもので、有り難い次第です。たしかにマクロビはニセ科学の論壇でもそんなに頻繁に論じられていなかったようなので、不勉強なオレはあまり詳しく実情を識りませんでしたのでどらねこさんのエントリが参考になります。

>>件の番組は妻が好きでタマに見ることもあるのですが、率直に言って、あんまり考えていないような気がします。関係者一人の思惑でどうにでも好きな方向に誘導できる気がします。

以前から時々録画して観てはいたんですが、司会が谷原章介に変わってから毎週録画して観るようになりました(笑)。タニタニ、好きなんですよ、爽やかすぎる笑顔のハンサム度が物凄く胡散臭くて。ブコメで感心しておられた方がいらしたんで、調子に乗って白状しますと、毎週標準画質で録画してCMカットしてDVD二枚に焼いて保存しております(笑)。

仰る通り、お世辞にも志の高い番組じゃありませんから、TBSの番宣とタイアップ企画が殆どなんですが、たまに胡散臭いものを無批判に採り上げるとウンザリしてしまうんですよねぇ。

ただ、逆説的な意味で参考になります。前回は「アーステイ東京2009」と謂う一見マトモそうなイベントが、実は何だかエコやロハスみたいなビジネスの紐附きイベントだったと謂うのがわかりましたし、TBSがサポートしているイベントなんだから、まあ仕方がないだろうと思いましたが、今回のは何だかマクロビがここまで市民権を得ているのかと謂うことの気附きの機会になりました。

>>私も幼少時病気がちで、所謂現代医療のおかげで成人することが出来たのだと考えております。

これはかなり強い実感としてありますね。まあこれは、母親が事ある毎に恩着せがましく、幼少時にオレの具合が悪くなる度に背中におんぶして走っていって町の医者に連れて行ったと謂う昔話を繰り返すせいもありますが(笑)。

オレの親の世代なんかだと、やっぱり兄弟姉妹が全員無事に成人するとは限らなかったみたいですね。親父にも本当は兄がいたらしいんですが、子供の頃に亡くなっているので親父が長男の扱いで育ったそうです。昔の人が子だくさんだったのは、全員成人するとは限らなかったから多目に産んだと謂う理由もあるわけですね。

また、伝染病なんかも、撲滅の為に尽力した大勢の人々の営みを忘れてはいけませんよね。明治・大正くらいまでは毒性の強いインフルエンザが流行するとバタバタ何万人単位で人が死んだわけですし、多分、新型インフルエンザがどうこうと謂ったところで、スペイン風邪より多くの人間を殺すとは思えないですね。こっちは一九一八年の時代の世界人口で、感染者六億人に死者が四、五千万人ですから。天然痘だって結核だってハンセン病だって、何もせずに独りでに消え失せたわけではありません。

昔は良かったとか、天然自然が一番だと考えているような人は、その当時は身体頑健な人間であろうが、多種多様な病気によって呆気なく死んでしまうリスクがゴロゴロしていたと謂うことを認識しているのでしょうか。現代なら、マクロビで多少不健康な体調になっても医療の処置が受けられますし、まあ大概の人は死ぬような目に遭う前に何とかなると思いますが、マクロビやオーガニックな人々が理想的だったと信じている時代にはそんな酔狂を試みれば生命の危険に直結したわけです。

人々は流行り風邪を恐れ、時季外れのものや古いものを食べないように精々気を附けて細心に生きていたわけで、それは人間が呆気なく死んでしまうことを誰でも身に染みて識っていたからですね。

>>出発点で間違えていた事、そしてそれに伴い生じた犠牲、自分たちが信じた食養を否定するとその犠牲に正面から向き合わなければならなくなります。そこに利己性が生じるのだと。方法論の誤りであると結論し、自分の正当性は守りたい。かくして、様々な流派の食養、マクロビが誕生した。そんなところではないかと・・・

そちらで仰っていた「後戻り出来ない」と謂うことですね。しかし、その種の利己性はオレの倫理観ではすでに「悪」の領域に一歩を踏み込んでいます。自分が何かをしたいから・したくないから、その為に他人がどれだけ迷惑しても、死んでしまっても構わない、それどころか、思考停止によってそんな不都合な事実を直視しないようにする、と謂うのは、倫理的な水準では明確に「悪」だと思います。ただ鈍いとか愚かなだけではなくなってしまうのですね。

TV番組もまた、視聴率であるとかビジネス的な都合であるとか、そんなものを言い訳にしてくだらない情報、無価値な情報を垂れ流す分には、所詮そんなモンだと見做すことも出来ますが、ナンセンスにだって節度があるだろうと謂うことなんです。視聴者の若い女性たちに、いっときエコでロハスな気分を味わう娯楽としてマクロビのレストランを紹介する、これはちょっと考えただけでも、「いっときの娯楽」で済まない大きな危険性を秘めているわけです。

そんなことは、普通に情報を集めて、普通に物を考えればわかるはずのことです。それがわからないとしたら、目を背けているからですし、その思考停止はメディアの持つ影響力の到達範囲を考えれば犯罪的な怠慢です。毎週楽しみに観ているしょーもない娯楽番組で、この種の洒落にならないネタが突然出てくると、物凄く不快な気分にさせられますね。

そちらの連載記事では、これまでの過ちを認め、改善を模索した一人の先達の軌跡を追うことで、意義ある問題提起になり得るものと期待します。どんなに苛酷な時代においても、そのような先達が必ずいてくれたから、オレやどらねこさんは今生きていられるわけですよね。

続きを期待していますので、頑張ってください。

投稿: 黒猫亭 | 2009年8月24日 (月曜日) 午前 12時54分

誤解のないところだとは思うんですが、例えばWWOOF、と云うしくみ自体になにかしら直接批判されるべき部分があるとは思わないんですよ。この種の仕組みにはそれを成立させるためのビジネス上の整合性があってしかるべきだし、それがないと単体としては成り立たない。
素人がホームステイして農業を体験する、と云うしくみは(それが農家によるサービス的な部分が大きくても)意義はあるでしょうし、そのためのアグリゲーターが存在すること自体は望ましい。その意味では、フェアトレードもLOHASも、そのコンセプト自体が批判されるべき、とは思わないんです。云ってしまえばシュタイナーのバイオダイナミクス農法だってそうです。

ただ、それが過剰に価値観や倫理観に影響を及ぼす、と云う部分が往々にして生じるわけで(マクロビオティクスを例として)。危惧するのはそこだったりするんですね。

投稿: pooh | 2009年8月24日 (月曜日) 午前 08時09分

>poohさん

>>誤解のないところだとは思うんですが、例えばWWOOF、と云うしくみ自体になにかしら直接批判されるべき部分があるとは思わないんですよ。

ここは少し微妙かな、と思います。これが仰るように単純に「素人がホームステイして農業を体験する、と云うしくみ」であれば、勿論それを茶化したり勘繰ったりすることもないと思いますが、その名称に何故か「有機農法」が謳われているのが要注意かと思います。

この種の制度の場合、名称は具体的な実態を要約したものであるのが普通だと思うのですが、「世界に広がる有機農場での機会」ですから、何故敢えて「有機」の文言が入っているのか、不審に感じるんですよ。

説明されている実態から考えると、別段「有機農場」ではなく「農場」であったほうが意味が通じるわけですが、何故か不自然にorganic と謂う文字が入っていて、そこがどうも引っ懸かりますね。

公式サイトのQAを見ると、

http://www.wwoofjapan.com/main/index.php?option=com_content&task=view&id=14&Itemid=29&lang=ja

>>*有機農業とは、無農薬、無化学肥料で作物を栽培する農業で、人間と動物、環境にも考慮した農法です。農薬を使う方法よりかなり手間がかかり、また大型機械を使わない場合も多く、人手が必要です。

この辺りがまず出発点かな、と考えられるわけですね。とにかく有機農法には従来型の農業よりもマンパワーが必要だから、食事と宿泊だけの代償で好ければ働いてほしい、それで引き合うと思った人々が参加してくれれば好い。ボランティアではなく、等価交換だと謂う所以ですね。

運動の沿革は以下のように説明されています。

>> 1971年イギリスで芽生え、オーストラリア、ニュージーランドで発展しました。現在は、世界20か国以上にWWOOF事務局が設置されています。各国にその国のWWOOFを運営するWWOOF事務局が一か所あります。
>> 日本では、1994年に誕生。2002年からはインターネットを使いWWOOFジャパンとして本格的に活動しています。
>>  Working Weekends On Organic Farms (有機農場での週末作業)というように、週末だけ農家に行って手伝うことから始まったWWOOF(ウーフ)。その後、週末に限らず、広がりを見せるようになり、頭文字はそのままで、Willing Workers On Organic Farms (有機農場で働きたい人たち)へと移り変わりました。現在では、WWOOFの活動は世界中に広がっており、一般的には、World Wide Opportunities on Organic Farms (世界に広がる有機農場での機会)に変わっています。しかしながら、WWOOF(ウーフ)は、もうWWOOF(ウーフ)であって、どこの国でもWWOOFと呼ばれています。

このように、略称を変えずに正式名称を何度か変えているわけですが、末尾のOFについては常に「Organic Farms 」なんですね。で、亀さんのところのエントリなんかでも採り上げられていますが、無農薬、無化学肥料に何らかの具体的メリットがあるわけではなく、有機野菜と謂うのは結局のところ高付加価値商品でしかないわけで、それ自体が目的化されているオバケのような価値です。

これを莫迦正直にやるとなると、載せられる付加価値よりもコストがかかるかもしれないから、低コストの労働力が必要になる。であれば、有機農場での労働それ自体に主体的にメリットを見出す人が、そのメリットの対価として労働力を提供することでコストを削減し、有機農法をペイするものにする、こう謂う狙いだと考えられます。

ただこれ、結局経済合理性に合わない部分を、農場体験の付加価値で辻褄を合わせようと謂う発想ですよね。その辺にどうも不健全なものを感じます。非経済的価値を経営に織り込むと謂う発想は面白いんですが、そうすると、何処まで行っても有機農法と謂うのは実体的価値と遊離したオバケのような想念で成立していると謂うことになります。

価値観の多様化で、労働体験それ自体に非経済的価値を見出す人々が出てきたことからこう謂う運動が発生してくるのでしょうけれど、これが真面目な意味で農業の持続可能性に結び附くとは到底思えません。労働力を持ち寄る人々は、経済的基盤を別の労働によって賄っていて、実態的には結局労働力を持ち出ししているわけです。

まあ、発祥はどうあれこのシステムが都市労働者と地方農家のコミュニケーション機能を担っているだけならそれなりに意義はあるんでしょうけれど、やはりホストのコア層は有機農家のようなので、結局有機農法ありきのシステムのようです。

これはやはり、システム的には循環論理みたいなところがあって、一種の思想的な満足や娯楽と謂う以上の意味はないように思います。

で、オレはどうも有機農法に対して意義は認められないし、どらねこさんやhietaro さんとの対話とも関連してくると思いますが、無農薬・無化学肥料や無化調に対する拘りは、根っこのところで文明拒絶の動機、引いては想像力の欠如乃至思考停止と結び附いていると思います。

結局このシステムが表している事実と謂うのは、すべての農業において有機農法が主流になることは原理的に在り得ないと謂うことだと思うんです。ホストに対して労働力を提供している人々は、集約的な産業に従事して経済的基盤を得ているわけで、相対的に高価な有機野菜を購買する力を持っています。

これはつまり、一般的な経済活動が生み出す価値の存在が前提でなければ有機農法は成立しないと謂うことで、結局何処まで行っても有機野菜は現実的な食糧供給には一切益せず、カネモチの道楽にしかならないと謂うことじゃないかと思います。

そして、ウーファー視点で考えるなら、大部分の人々は有機農法に価値を見出すからこそ自身の労働力を低コストで提供しているわけで、その上さらに有機野菜を日常的に購入するのだとすれば、或る意味では、二重にコストを支払っていると謂えるわけです。

これがどうも、よく考えてみると健全なシステムだとは思えないんですよねぇ。最初にpoohさんが仰ったように、意図的か非意図的かはわかりませんが、システムそれ自体にマルチ的な側面があるように思います。

投稿: 黒猫亭 | 2009年8月24日 (月曜日) 午後 03時05分

> 末尾のOFについては常に「Organic Farms 」なんですね。

あぁそうか。最初から価値判断が組み込まれている、と云うことなんですね。
なるほど、そうなると微妙だなぁ(ビジネスとして健全に運営されうるかどうか、と云う部分で)。

投稿: pooh | 2009年8月25日 (火曜日) 午前 07時50分

>poohさん

>>あぁそうか。最初から価値判断が組み込まれている、と云うことなんですね。

そうなんですよ。飽くまで有機農法と謂う観念がまずあって、それに賛同する動機でコミットする場合が多いわけですから、結果的に経済合理性に反する部分を「有機農法」と謂うオバケみたいな観念が補填しているわけで、有機農法に有害性や栄養面でほぼ実質的なメリットが存在しないなら、オバケを巡ってグルグル循環しているようなシステムになっているわけです。

>>なるほど、そうなると微妙だなぁ(ビジネスとして健全に運営されうるかどうか、と云う部分で)。

ええ、そこがかなり微妙になってくると思います。商売は商売で結構であって、寧ろ商売として成立しないほうが不健全だと謂うpoohさんのお考えはわかりますが、多分これはあんまり健全なビジネスにはならないと思います。

投稿: 黒猫亭 | 2009年8月25日 (火曜日) 午前 08時03分

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