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2009年8月23日 (日曜日)

さんま新教授も負けてません

オレも大概TVばっかり観ているヒマな人間だが、昨日のブランチに続いてフジテレビの「さんま新教授」でもマクロビが採り上げられていたのには呆れてしまった。

ブランチのエントリのコメ欄で書けば好いことで、別にもう一つエントリを仕立てるほどのことでもないかと思ったのだが、この番組は過去にも「水からの伝言」を無批判に採り上げた一件があって、いろいろな方が質問や意見を送られたのに完全にほっかむりしていると謂う気に喰わない制作姿勢の番組で、最近無難なテーマばかり選んでいると思ったらまた懲りもせずにこんなことをやりやがったので、敢えて目立たせてみた。

内容的にはマクロビオティックで最近話題になっているテンペと謂うインドネシアの食材の美味しい調理法を、「マドンナのプライベート・シェフとして注目を浴びるマクロビオティック・シェフ」の西邨マユミとか謂う人が教授すると謂うもので、番組の性格上、マユミ教授をいじるのが主体で、ブランチの場合よりは「マクロビはこんなに身体に良くて素晴らしいんですよ」と謂う部分は前面に出していない。

しかし、ブランチやこの番組を観ていると、「マクロビオティックは健康に良い」と謂う「宗教的な主張」をTV番組がそのまま伝えることに何ら抵抗がないと謂うムードが存在することがわかるが、この場合、TVと謂う公器の性格上「情報をそのまま伝えただけ」では済まされない部分があるはずである。

或る意味、マクロビオティックは桜沢如一と謂う特定人物宗教的根拠に基づいて開発した長寿法なのだから、それを信奉する人が存在することは一方的に弾圧出来ないだろう。しかし、マクロビオティックを紹介する番組では、「マクロビオティックは健康に良い」と謂う主張の根拠が宗教的原理であり、自然科学的な原理に反する部分が多々あると謂う最も重要な情報を一切提示していないし、それを提示しない限り、マクロビオティックで健康被害が出た場合は、不正確情報を提示したTV番組の側にも責任が生じるはずである。

或る特定の情報を有用性の観点から紹介する場合には、有害性の観点の情報もセットで提示するのは、情報を発信する側に課せられた当然の責任である。それが公器による情報発信に求められる最低限の品質と謂うものだろう。

そして、マクロビオティックに科学的な観点で問題が存在すること、従って健康被害のリスクが潜在することは議論の余地なく決定済みのこと(これはマクロビが何であるかを理解していれば当たり前の大前提である)であり、その情報の入手にはTV局レベルの取材力すら必要はない。ちょっとネットで検索すれば、誰でも簡単に入手出来る情報であり、その程度の手続すら怠っている(乃至は「見なかったフリ」をしている)のであれば、公共放送に携わる資格はない。

TVメディア一般の制作姿勢を考えるなら、おそらく今後マクロビオティックが社会問題化した際には、手の平を返したように批判的な論調に転ずることだろうが、その社会問題の種は、今現在TVメディアが強力な影響力によって伝播に一役を買っているわけである。

情報番組だから、バラエティだから、報道部門とは関係ないんですよと謂う話には決してならないだろう。関係ないと謂うのであれば、たった今ですら、TVメディアの報道番組が、バラエティ番組でマクロビオティックが肯定的に採り上げられることの問題性を指摘することは可能なはずである。得手勝手にバラエティ番組が有害情報の伝播に貢献した後に、社会問題化すれば報道番組が素知らぬ顔で他人事のように批判する、これはダブルスタンダード以外の何ものでもない。

一応断っておくが、オレはつまらないファッションやトレンドの情報を可愛い女の子がリポートすると謂う類の他愛ない番組や、無内容で賑やかな笑いだけを追求するくだらないバラエティ番組が大好きである(笑)。腹が立つのは、その種の他愛なさやくだらなさ自体ではなく、それを娯楽として提供する姿勢の無責任さに対してである。

他愛ない情報番組だから、くだらないバラエティ番組だから、流行りのファッションとして大して内容を吟味せず上っ面の受け売り情報を垂れ流す、そう謂う姿勢は決して許されるものではない。視聴者が他愛なさやくだらなさを楽しむ為には、それが罪のないナンセンスであると謂う保証が必要である。

たとえば、百歩譲って情報番組やバラエティ番組で水伝やマクロビを採り上げるとしても、「科学的根拠はない」と謂う最低限の断りは入れるべきだろう。主唱者側の片口による一方的情報だけを紹介することを「情報を紹介しただけ」とは謂わない。そして、ニセ科学には人を不幸にする側面が確実に存在する

オレは、他愛ない番組、くだらない番組が大好きな「テレビっ子世代」の人間の一人であるが、人の不幸と引き替えの娯楽なんて真っ平御免である。たしかに、どんな情報にも人を不幸にする可能性が潜在しているが、ニセ科学に内在する危険性は可能性の次元を超えた確実な社会悪なのであるから、「ニセ科学と見做し得る情報は有害性情報として忌避する」と謂う社会的コンセンサスが必要だろう。

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コメント

私は、テレビの番組にはもう興味は無く、是非毎週見たい番組は無く、時々、暇で見たり、家族が撮ったビデオを見るぐらいです。

テレビを含むマスコミが流すものは、所詮、<その時点で、面白いネタ>であれば良いので、その内容が「真実」か、どうか?は、頭には無いのだと思います。
テレビのドキュメンタリーも、<編集者(ディレクター)及びその局によって、例え、材料が本物を元にしたとしても、どうのようにも編集できるもの!>と思い、
報道も、客観性や中立性を求めたりしません。

今の時代、テレビを見る視聴者に、まさか、「真実」を伝えていると思って見ている人間がいるとは、思っていないのですが…。

情報番組も、制作者(プロデューサー)が、「真実」を伝えようとする姿勢があるとは思っていません。
プロデューサーが、<その時点で、面白いネタ>と考えたか、どうか、でしか無い!のです。

そして、ご指摘のように、<得手勝手にバラエティ番組が有害情報の伝播に貢献した後に、社会問題化すれば報道番組が素知らぬ顔で他人事のように批判する>のが、テレビ(マスコミ)と思っています。
その<社会問題化>した場合も、有罪か無罪もはっきりしない時点で、先入観を持ち、勝手に「白黒」を付け、検察の報告をたれ流すのです。
(なお、その有害情報(:「ニセ科学」等)が有害か、どうか?は、科学的乃至司法的に決着がついて無いとして…。)

問題は、それまで持ち上げていた張本人が、<素知らぬ顔で他人事のように>、報道する姿勢、と思います。

投稿: mohariza | 2009年8月24日 (月曜日) 午前 01時04分

>moharizaさん

相変わらず手厳しいご批判ですね。オレはまだ活字メディアと謂うのは、悪いものもあれば良いものもあるとは思いますし、ニセ科学批判が「おか科」の刊行で紙媒体の活字メディアのステージに立ったのは良いことだと思いますが、TVメディアにはほぼ視覚的な娯楽しか期待していないですね。

TVメディアで何らかの真正な情報を伝えることは、絡み合っている経済的要素が強すぎて無理なんではないかと思います。その意味で、TVを通じた情報発信は、すでにナンセンスを装うことでしか成立しないんじゃないか、と謂う気がします。ですから、

>>プロデューサーが、<その時点で、面白いネタ>と考えたか、どうか、でしか無い!のです。

これはこれで仕方ないかな、とペシミスティックなものを感じますが、最低限公器である以上は、有害情報を無批判に垂れ流すことくらい、リスクマネジメントの一環として回避したらどうだと思うんですよ。

もうね、地上波なんてこの先どんどん「視聴者が面白がるネタで釣って小銭を巻き上げる」手法しか成り立たなくなる(TVの広告効果が広告主から疑問視されてきていますから)でしょうし、お茶の間の主要な情報源の座を追われるとは思いますが、それなら社会に害毒を垂れ流すことくらいは気を附けろと思うんですね。

こう謂うときに決まって持ち出されるのが、「視聴者の側にそれを望む情報ニーズがあるから仕方がない」みたいな理屈ですが、その情報ニーズはやっぱりTVや雑誌マスコミによって煽られたニーズにすぎないわけで、情報ビジネスを成立させる為に他のビジネスと相乗りでコンテンツとして煽っている側面は必ずあるわけです。

>>問題は、それまで持ち上げていた張本人が、<素知らぬ顔で他人事のように>、報道する姿勢、と思います。

なんか一時の小泉旋風とか気持ち悪かったですね。流石にあれだけ一方的に持ち上げてしまうと、今更大叩きも出来ないみたいで反小泉改革の立場に立つ政治家に代弁させていますけど、今度はFSM さんも憂慮しておられる「二大政党制」で大騒ぎしています。

所詮情報ビジネスなんてネタがないと成立しないわけですから、持ち上げたり落としたりの茶番劇になるんでしょうけど、その種のTVマンが「世論を作るのはTVなんだ」と傲っているとすれば、そのうち足許を掬われるでしょうね。国民のTV離れが深刻化してからジタバタしたって見苦しいだけです。

オレは割合フジテレビは好きなんですけど、それは在京キー局で一番チャラいTV局だからで、くだらないコンテンツがメインだからなんですね。それはつまり、この局の報道に何も期待していないってことなんですが、TVメディアの報道自体に何も期待していないので不都合はないです。

投稿: 黒猫亭 | 2009年8月24日 (月曜日) 午前 01時59分

テンペって要するにインドネシアの納豆だと思うんですが。マクロビ関係のサイトで栄養価を比較しているものを見たんですが、近いものがあるようです(と云うか納豆より格段にすぐれている、と云うこともないような)。

ちなみにテンペは納豆と違って原則なんらかの調理を施して食べるもののようです。じつは食事に未調理のなまのテンペを出された経験があるんですが、根が関西人の(従ってそもそも納豆も苦手な)ぼくにはおいしく食べるのは無理でした。

投稿: pooh | 2009年8月24日 (月曜日) 午後 12時20分

>poohさん

>>テンペって要するにインドネシアの納豆だと思うんですが。

そんな感じですねぇ。ただまあ、ご覧になったらわかるように、納豆のように煮豆の俤が残っている食品と謂うより、塊状になっていて切って調理して喰うもののようです。番組内の調理風景を見ると、一五分蒸しても板状のまんまでしたから、相当強固に結着しているみたいです。

>>ちなみにテンペは納豆と違って原則なんらかの調理を施して食べるもののようです。じつは食事に未調理のなまのテンペを出された経験があるんですが、根が関西人の(従ってそもそも納豆も苦手な)ぼくにはおいしく食べるのは無理でした。

仰る通り、そもそもそのまま喰って美味いものでは決してないようで、番組でも「あれがとにかく不味いから、どうやったら美味く喰えるのか教えて欲しい」と謂うのが趣旨でした(笑)。ただまあ、関西人のさんまが美味しいと謂って喰ってましたから、多分料理次第なんじゃないですかね。あの人はたしか納豆が苦手で、前の奥さんが納豆好きで冷蔵庫に山ほど入れるので辟易していたそうですから。

テンペは「マクロビオティックの代表的な食材」と謂うふうに紹介されていて、「肉の代わり」と謂うふうに認識されているみたいですから、精進料理のグルテン肉みたいに見做されているんじゃないかと思います。番組では素揚げにしてトルティーヤに巻いたものと、おろしてツナサラダに混ぜたものを紹介していましたが、やはり「不味いものを何とかして喰えるようにする」と謂う感じの調理法でした。

勿論poohさんは、マクロビに対する関心があるわけではなく(笑)、バリ音楽の関係から食する機会があったのでしょうが、あれはインドネシアではどうやって喰っているんでしょうかね。まさか、生で出されたのは現地だったんですか?(笑)

しかし、よくわからないのは、日本の伝統食マンセーなマクロビでインドネシアの食品が代表的な食材ってところで、身土不二じゃなかったのかよとか思いますが、おそらく国内で生産しているんですかね。まあ、そもそも身土不二とか謂うんなら、都会にいてマクロビ食を喰ってるんでは意味がないように思いますが。

投稿: 黒猫亭 | 2009年8月24日 (月曜日) 午後 03時06分

こんにちは。

うわっ、テンペを素でですか、チャレンジャーだなぁ(笑)。元々が加熱した大豆で作られたものですから、食べられないことはないでしょうけど(聞いただけで口の中がもそもそします)、poohさんの仰有るとおり現地でも基本は調理して食べるものだったはず。
魚醤で味付けして素揚げして食べたり、何が入っているのかよく分からない東南アジア系の調味料で炒め物にして食べたりすると結構いけると思うんですけど。

投稿: うさぎ林檎 | 2009年8月24日 (月曜日) 午後 04時15分

>うさぎ林檎さん

>>うわっ、テンペを素でですか、チャレンジャーだなぁ(笑)。

見た目で言っても、到底生で喰えそうな感じではなかったですね。たしか中越典子のネタ出しだったかと思うんですが、「テンペを作ってみたけど美味しくなかった」と謂う言い方だったので、どうやって喰ったのかはわかりません。広田レオナも同調して不味い不味いと言ってましたから、あんまり味附けしなかったみたいですね。

ちょっとオレも、大豆があれだけ弾力のある板状に結着するってどんなんだよ、と思いましたけど、何となく、見た目から想像した味と言うと、そうですねぇ…ああ、そうそう、ちょうど、そうですね、ちょうど…

ちょうど豆腐の腐ったような…

…お後がよろしいようでございます。台湾名物でも長崎名物でもなくインドネシア名物なんですが(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2009年8月24日 (月曜日) 午後 06時07分

インドネシアで食べたときは、揚げたものに味付けした代物でした。テンペ・ゴレン(ゴレン=揚げる、または炒める)というやつですね。すごくおいしかったわけでもないですが、抵抗のない味でした。もともとインドネシア料理は日本人にあまり抵抗感を感じさせない味付けなので。

なまで食べたのはつれあいの実家で、です(^^;。義姉が出してきたので断れず。

投稿: pooh | 2009年8月24日 (月曜日) 午後 08時53分

>poohさん

>>インドネシアで食べたときは、揚げたものに味付けした代物でした。テンペ・ゴレン(ゴレン=揚げる、または炒める)というやつですね。

この「ゴレン」と謂うのは「ナシ・ゴレン」の「ゴレン」ですね。「ナシ」が飯のことで「ゴレン」が揚げる・炒めるですから、英語と同義になりますが、なんか炒飯エントリと関連が出てきました(笑)。

番組のほうでも、トルティーヤで巻くほうはテンペを一センチ幅くらいの細切りにして素揚げしたものを野菜なんかと一緒に巻いていましたから、厚揚げみたいな感じで食すのが一般的なのかもしれません。ただ、調理法は完全にトルティーヤ寄りで、具材の見た目はタコスみたいな組み合わせでしたから、殆どテンペの味はしなかったんじゃないかと思います。

もう一方のツナサラダのほうも、一五分蒸したテンペをチーズおろしみたいなものですりおろしてサラダに混ぜていましたから、ほぼ風味附け程度の役割で、シーザースサラダのパルミジャーノチーズみたいな扱いでした。

この辺の扱いから想像したのは、多分テンペと謂うのは現地でも誰も美味しいと思って食べている食材ではなくて、嵩増しとか風味附けくらいの役割を担う食材で、日本で謂えば「麩」みたいな位置附けなんではないかと。

>>なまで食べたのはつれあいの実家で、です(^^;。義姉が出してきたので断れず。

おお、或る意味ではどらねこさんと事情は同じではありませんか(笑)。そこで、閉じた人間関係の中でのニセ科学批判を貫いていたら美しかったのに(笑)。いや、おそらくオレだったら黙って美味そうに喰って愛想笑いしますけどね(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2009年8月24日 (月曜日) 午後 09時27分

> この「ゴレン」と謂うのは「ナシ・ゴレン」の「ゴレン」ですね。

そうです。
バリで食べられているものしか知りませんが、一般にインドネシアの料理名と云うのは「素材名+調理法」または「料理種名+素材名」と云う構成になっているので、明解と云えば明解です。

> 日本で謂えば「麩」みたいな位置附けなんではないかと。

たぶんそうだと思います。
栄養価は納豆と同じくらいには高いようなので、優秀な食品と云ってもいいんじゃないでしょうか(もちろんそこに呪術的ななにかがある、と云うことはないにせよ)。だから食べたいか、と云うと、まぁ麩と同じくらいですかね。

投稿: pooh | 2009年8月25日 (火曜日) 午前 07時58分

>poohさん

>>バリで食べられているものしか知りませんが、一般にインドネシアの料理名と云うのは「素材名+調理法」または「料理種名+素材名」と云う構成になっているので、明解と云えば明解です。

そうですね、日本の料理名って実態のわからない固有名詞化したものが多くて逆に不思議な気がするんですが、フランス料理なども、語感は優雅でも翻訳すると「○○を○○したもの」みたいな味も素っ気もない名前だったりしますよね(笑)。中華料理も漢字を見るとどんな料理か大体わかりますね。

>>栄養価は納豆と同じくらいには高いようなので、優秀な食品と云ってもいいんじゃないでしょうか(もちろんそこに呪術的ななにかがある、と云うことはないにせよ)。だから食べたいか、と云うと、まぁ麩と同じくらいですかね。

まあ、どうも「美味くする為に発酵させた」と謂うより、保存性とかそんなようなかなり現実的な理由で出来た食材なんでしょうね。喰い物一般、美味くすることが最優先されていると考えると、そのまま喰って不味いものを無理して喰うのが不思議に思えますけれど、人間が喰っていくってのは大変なことですから、本来は「何とか喰えるようにする」とか「日持ちするようにする」と謂うのが重要なんでしょうね。

投稿: 黒猫亭 | 2009年8月25日 (火曜日) 午前 08時12分

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