« 炒飯を熱く語る〈考察編〉 | トップページ | ブランチで「また」マクロビ »

2009年8月22日 (土曜日)

炒飯を熱く語る〈実践編〉

さて、前項を受けて今度は具体的手順の詳細に移るわけだが、前項のように筋立てた記述形式はそぐわないので、羅列的に箇条書きしていこうと思う。

●必要な厨具

基本的に特別なものはそれほど必要はない。必須なのは、深みのある炒め鍋と十分な硬度のある調理ベラである。本職の間でメジャーなスタイルは広東型の両手鍋の耳に濡れ布巾を当てて掴み、鉄の玉杓子で炒め合わせる形だが、これは素人の手に余る。

重い鋼鉄製の両手鍋を濡れ布巾越しに耳を掴んで煽るのには独特のコツがいるし、五徳も中華料理専用の鍋底のアールに沿ったものが望ましい。また、本格的な中華のお玉杓子は肉厚の鉄で出来ているのでかなり重く、その重みを使って調理するのであるが、素人には扱いにくい。多分、この玉杓子で殴ったら人が殺せると思う。

であるから、素人が一般家庭で使うなら、北京鍋と呼ばれる片手鍋を模した深型の炒め鍋と竹ベラの組み合わせが最適である。片手鍋ならフライパンを煽る要領でハンドルをしっかり握って煽れるので両手鍋より格段に扱い易いし、入手も容易である。オレなどは数年前に量販店で購入した九八〇円のフッ素加工した炒め鍋を未だに使っているが、これで問題なく用が足りる。

ただ、深型の炒め鍋でも、ウィキで「ウォック」として紹介されている鍋底がスパッと平たいものが多いんだが、これは煽りづらいんだよなぁ。鍋底が丸いかなだらかに平たくなっていると煽りやすいのだが、スパッと角度が附いて平たいと、内容物が一度平らな鍋底にぶつかって変な動き方をして奥手方向へのモーメントが発生する為、内容物がこぼれたりして甚だ扱いづらい。

最近、作図すると結構褒めてもらえるので、調子に乗ってこれも図示してみた。前の会社でちょっぱったイラレ大活躍何事も覚えておくと役に立つものである(笑)。

Nabe1

作図技術の関係でけっこう細かい「嘘」がある模式図だが(笑)、大略理屈としてはこのようなものである。物理屋さんならもっと正確な記述が可能だろうが、体感的な印象としてはこんな感じだと謂うことで勘弁して戴こう(笑)。

Nabe2

丸底の中華鍋なら、鍋を煽る際に角度を附けることで回転運動になるのだが、この平底のタイプだと、一旦水平移動してから上方に開いたアール上を移動するので、結果的に奥手方向へのモーメントが発生するわけである。いや、当然宙に浮いた内容物は円弧ではなく放物線を描くわけだが、これは作図技術の(ry

同じ平底の鍋でも、これがフライパンであれば、大部分平らで縁だけが角丸になって垂直方向にしゃくれているから、内容物が縁に掛かったタイミングで煽ってやれば手前に戻ってくるが、ウォックの場合は煽ることをまったく考慮に入れず、ただ炒め鍋の容量を多くする為に上に開いたアールが附いているから煽りづらいのである。美味しんぼ流に謂えば(笑)、「鍋の中でイジイジかき回」すことを前提にしたデザインなのである。

なので、鍋を選ぶなら、ちゃんと「中華鍋」と謳っている丸底のものか鍋底のアールがなるべくなだらかなものを選んだほうが好い。鍋を煽らずに美味い炒飯を作るのはほぼ不可能である。

鍋がそれなら、調理ベラには竹がいい。本格的に鋼鉄製の中華鍋を使うなら鉄の玉杓子が最適だが、フッ素コートの鍋を使う以上、玉杓子を使ったら間違いなく無惨な瑕が附く。一度試した上で申し上げているのだが、玉杓子は炒飯を作るのに非常に適しているのだが、とにかく長くて重くて堅いので扱いづらいし鍋肌が瑕だらけになる。次善の選択としては竹ベラが適していると謂うことである。

炒飯を炒める際には、広げて鍋肌に圧し附けるという手順が必須なので、或る程度の硬度が必要だが、金属製のフライ返しだと鍋肌を瑕附けるし、樹脂製の調理ベラでは柔らかすぎる。竹の炒め物用の調理ベラが丁度良い。

包丁は何でも好い。普通の文化包丁で十分用が足りる。文化包丁ではやりにくいと思うのは、丸のザーサイを薄切りにすることくらいで(笑)、普通は丸のザーサイを薄切りにしたりする機会はないだろうから大丈夫である。ガスレンジは、ハイカロリーレンジが一口附いているものが望ましい。鍋を頻繁に煽るので、IH調理台は向いていない。

●米・飯について

米飯は、基本的に白飯として自分が美味いと感じるものを選べば好い。粘りの強い品種は向かないが、餅米でもない限り水分さえ飛ばしておけば素人の手に負えないと謂うことはないので、米の品種に拘る必要はそれほどない。そもそも中華料理には餅米の炒飯というレシピさえあるので、要するに美味い白飯を用意すれば好い。長粒種は炊き方から違うので向かない、というか東南アジアの料理になると謂う気がする。

また、どんな品種でも新米は粘りが強く、冷ましても糊化が強くて水気が飛ばないので剰り向かない。かといって、古米だと飯として美味くないし米粒が割れやすく油や調味料を吸いやすい(「炊き込みご飯」化しやすい)ので、古米が向いているという意味でもない。古米で作った炒飯は何となく「社食や学食の味」がする(笑)。柔らかめに炊いて粘りを出してそのまま喰ったほうが美味い新米を、わざわざ炒飯に使うことはない、というくらいのバランスである。

今時の炊飯器は安物でも炊き上がりの堅さを調節出来るが、炒飯だからと謂って堅めに炊く必要はないと思う。堅めの飯が好きな人はその限りではないが、基本的に白飯として好みのタイプに炊いた飯を炒めるのが好い。白飯として喰う場合より水を少なめに仕込んで普通に炊いて、蒸らして、返して、然る後に上蓋と内釜の間にキッチンペーパーもしくは布巾を挟んで一時間ほど保温する。夏場は保温しすぎると煮臭くなるので、保温を切って布巾に水気を吸わせるだけで好いだろう。

とにかく、飯は粘り気と水気を飛ばせばそれで好い。夏場なら適当にラップして冷蔵庫で冷やしても好いし、冬場は冷蔵庫に入れると乾燥しすぎたり凍ったりするので、保温炊飯器で一時間ほど保温をかけて水気を飛ばすのが好い。冷蔵庫で冷やす場合は必ず調理前に再加熱する必要がある。

●卵の使い方

前述の通り炒飯に卵は附き物で、卵を使わずに作る炒飯はかなりハードルが高いと謂えるだろう。米飯というのは、相当水気を飛ばしても或る程度表面に粘りを残しているものであるから、これが直接鍋肌に触れると鍋が焦げ附く可能性が高い。卵はそれを塩梅良く緩衝してくれるわけで、それと同時に表面に纏わり附いた油を程よく飯粒に馴染ませる役割を果たしている。

また、米飯が直接鍋肌の高温の油に触れると、飯粒が揚がってしまって堅くなるという不都合もある。先に英語で焼き飯のことを「fried rice」と呼ぶと謂ったが、厳密に謂うと揚げるわけではない。飽くまで熱い油を廻すだけで、揚がってしまうと中華おこげの外側のように、飯粒が堅くなってしまうのである。その意味で、まず半熟の炒り玉子を作ってその上に飯を載せ炒り玉子と飯を混ぜ合わせながら炒めると謂うのは、炒飯の大基本のプロセスである。

しかし、冷蔵庫から取り出した直後の冷えた卵を鍋肌に投じると鍋の温度が下がって炒り玉子それ自体が焦げ附いてしまう。それ故に、卵は調理前に冷蔵庫から取り出して温かいところに放置しておくか、冬場なら湯に浸けて常温に戻す必要があるということはすでに説明した。

また、卵を混ぜる場合は泡立て器を使うべきではない。かと謂って、玉子綴じの場合のように軽く黄身を崩すだけでも足りない。一応黄身と白身が混ざり合った状態で、しかもあんまり空気を含んでいるとよろしくない。

泡立て器を使って白身を切って完全に混ぜ合わせ、空気を含ませてしまうと、どれだけ油を多く使っても全部炒り玉子が吸ってエマルジョン化してしまう。その結果、炒り玉子が油っこく飯粒に油が廻らないと謂う、何だか気持ちの悪い出来になってしまうわけである。

それ故に、ボウルに卵を割り入れて黄身を崩し、箸を固定して一方向にサッサッと往復させて白身の腰を切るような混ぜ方で空気を入れずに手早く混ぜる、その程度で構わない。白身の腰が切れて適度に黄身と混ざっていればそれで好い。

炒り玉子がふんわりしている炒飯というのは多分誰も視たことがないと思うのだが、それはふんわりするほど泡立ててしまうと油を全部吸ってしまうからである。炒飯の炒り玉子は、表層近くにじんわりと油が纏わり附いているくらいが丁度良いのであって、完全に油と混ざってしまうと炒り玉子の中に油が閉じこめられてしまう。

そうすると、米飯と混ざり合って一粒一粒に廻る分の油が少なくなるわけだから、総体的に油っ気の足りない仕上がりになるが、炒り玉子が油を均等にキャプチャーしているから油っこさだけは感じるという、いいとこなしのイヤな結果になる。

逆に、剰り混ぜずに黄身を崩したくらいの卵だと、鍋に投入した際に固まるまでの温度にムラがあり、油との馴染みにもムラが出てくる。そして、白身と黄身が単体で分離して固まると、混ぜた場合よりも食感が堅い。

その関連で謂うと、炒飯に使う卵の量には大雑把な適量というものがある。剰り多いと油を吸ってしまうし、少ないと飯粒が揚がってしまう。大体、一人前につきL玉一個くらいが適量なのではないかと思う。その意味で、「玉子たっぷり炒飯」的な方向性の炒飯は、結構手際よく作らないと油っこくモッタリしてしまう。

●油の種類

一般的な食用油で構わない。ラードも好いだろうと思うが、市販のラードを使ってみても格別風味の違いがわからなかったので、拘る必要はないだろうとは思う。ウチでは普通にキャノーラ油を使っている。以前はサラダ油や天ぷら油でも好いと思っていたのだが、キャノーラ油に慣れると何だか変な臭みがあるように感じる。

ゴマ油のような独特の香りのある油はどうかと謂うと、好きずきだろうとは思うが少し違うのではないかと思う。炒め油に少量混ぜるくらいなら好いだろうが、炒飯の場合は飯全体に油が廻るので、ゴマ油ほど風味が強いと辟易するように思う。ラー油でもかなり好きずきの味になるだろうと思うが、ネギ油やニンニク油なんかなら合うと思う。

また、終始強火で通す関係上、高温で焦げ附いてしまうバターも向かない。バターはやはり、比較的低温で炒める洋風炒めご飯に向いていると謂えるだろう。

イタリア料理のアーリオ・オーリオの要領で油にニンニクの臭いを附けてみようかと思い附いたのだが、これも強火にすると油が焦げ附いたり苦味が出たりして塩梅が好くなかった。ニンニクの香りを附けるなら、やはり予めニンニク油を自製しておいて炒め油に少量混ぜるのが好いだろう。

或る種、炒飯の主役は玉子と飯と同格で油だと思うのだが、油自体はそれほど凝る必要はないように感じる。そのまま味わって厭な味がしなければそれで好いだろう。

●具材のあれこれ

一般的な五目炒飯的な具材で謂うなら、長ネギと煮豚は外せないと思う。これに加えてオレの若い頃にメジャーな具材だったのは、ナルトである。長ネギも煮豚もナルトも、要するにこれは、一般的な醤油ラーメンの具である。つまり、昔のラーメン屋の炒飯と謂うのは、ラーメンの具を流用して卵と炒め合わせた料理だったと謂うわけである。

煮豚は、製ハム会社の真空パックのものを使うくらいなら、市販のロースハムを使ったほうが割り切れる。ハム会社のパック入りの焼き豚というのは、要するに醤油で甘辛く味を附けたハムなので、そんなに美味くないし中華風でもない中途半端な加工食品である。それならロースハムのほうがハムらしい風味があるだけマシである。

いろいろ試してみたところ、コンビニの日配品のおつまみ焼き豚は、生鮮品扱いだけにそこそこイケると思う。可能ならば、加工食品ではなく肉屋が煮た煮豚を使うべきである。中華街で売っている中華食材の叉焼や金華ハムは、流石に向いているだろうとは思うが高価なので炒飯に使うのは贅沢だし、鰹の塩辛の炒飯のほうが美味かったら何だか罰当たりである(笑)。そのまま前菜で喰ったほうが美味いだろうと思う。

基本的に煮豚は自分で作るのが一番経済的である。適当なブロック肉を買ってきて、沸騰した湯に青ネギを出来るだけたくさん、それに生姜を一カケラ入れて、醤油を一垂らし、それに豚肉を放り込んでアクも掬わずに約一時間前後煮込み、普通に醤油と砂糖と味醂を合わせたタレに漬け込むだけである。煮込む際に塩を入れると肉が硬くなるので塩は使わない。形さえ気にしないのであれば、凧糸で巻いたり網に包む必要もない。

ラーメンに浮かすバラ肉の煮豚なら、肉を巻く関係上凧糸による成形は必須だが、刻んで炒飯に使うのだから、形が崩れていても構わないので買ってきたそのままの状態で茹でても構わない。個人的な見解では、炒飯に使う煮豚には赤身を使うのが好い。そもそも油を大量に使う料理なのだから、具に使う煮豚まで脂っこいのはしつこくて向かないと思う。ウチでは専ら豚モモブロックを使っている。

煮豚の美味さは、噛んだときのしんなりした繊維感も大きいので、煮豚風ハムのプラスチック消しゴムのような食感は戴けない。美味い炒飯を作ろうと思うくらいなら、一時間くらい豚を煮る手間など何ほどのものでもないので、煮豚を使うのであれば是非自製して欲しい。圧力鍋を使うと時間も半分に短縮出来る。

また、煮豚の薄切りを細かく刻んで入れる人も多いと思うが、意外と炒飯というのは具を細かく刻むと米に紛れてしまって歯応えも味もしないものである。折角具を入れても「何となくそんな味がする」程度では味気ないので、煮豚くらい味のしっかりしたご馳走なら、七、八ミリの賽の目に刻んで入れたほうが歯応えや味を楽しめる。その意味でも、ハムのような薄切りを真空パックで売っているようなものは向かない。最低限、ブロックで売っているものを選んだほうが好い。

全体に謂えることだが、しっかり味わいたいものはなるべく大きめに刻んで入れたほうが好い。ナルトを入れる場合は同様に賽の目に刻んで入れる。ナルトを入れるとかなり見た目が下世話な仕上がりになるが、或る程度以上の年代の方には懐かしい味になり、カマボコや竹輪ではこういう味わいにはならない。勿論「俺が昔喰った美味い炒飯にはカマボコが入ってたんだい」と謂う人は何を入れようと自由である(笑)。

ただし、ピーマンはかなり存在感が強いので、細かく刻んで入れても独特の青臭さや苦味は隠せないと思う。オレはピーマンが好きなのであれば入れるほうだが、これは逆に細かくみじん切りにしたほうが、繊維の断面が増え風味が出て美味い。ピーマンという野菜は、あのプラスチックのようなツルツルの表面は何の味もしないので、繊維の流れと交差する方向に切って断面を出したほうが美味い。

基本的には炒飯に入れなくて構わない具材ではある。胡麻化してお子さんに食べさせたいというお母さんには、炒飯ではなくチキンライスなどのケチャップライスに入れることをお奨めする。ピーマンの青臭さや苦味はトマトの味に馴染んでそれほど目立たなくなるからである。まあ、お子さんがトマトの味も嫌いなら打つ手なしではあるが、トマトは嫌いでもケチャップなら好きだと謂う子供も多いようである。

矛盾するようだが、ロースハムを使う場合もみじん切りにしたほうが風味が好いような気がする。風味附けと割り切って細かく刻んで入れたほうが品の好い味になるのではないだろうか。ロースハムを使う場合は、洋風の食材だからなのか、ピーマンのみじん切りと相性が良いように思う。勿論、中元歳暮の流れでブロックのハムがあるのなら、煮豚同様賽の目切りに刻んで入れてご馳走にするのも好いだろう。

長ネギは、半割り乃至四つ割りにして薄切りにするという切り方もあるが、個人的には麻婆豆腐の薬味のように「*」型に六つ割りに割って、五ミリ四方ほどに四角く刻んだほうが向いていると思う。鍋肌で炙られたときの焦げた風味が、こちらのほうが好いと謂うような気がするからである。

長ネギの場合は、ピーマンとは逆に断面を増やすと水気や粘り気が増えてよろしくないように思う。滲出する汁ではなく全体的に油で炙ることによって芳ばしい風味が出る食材ではないかと思うが、この風味はネギ油でも代替出来るので、ネギ油を作っておくと何かと便利ではある。

油と馴染みの好いザーサイを刻んで入れても美味いが、パック入りのものはラー油漬けになっているものが多いので、キッチンペーパーで余分な油気を拭ってから、ざく切りくらいに大きめに刻んで入れる。これは、ラー油の味が問題なのではなく、炒飯は調理中に炒め油より温度の低い油が混ざると、油っこい厭味が出るからである。

また、ザーサイは剰り細かく刻むと殆ど歯応えが楽しめないし、噛まないとまったく味のしない食材なので、大まかにざく切りにするくらいが丁度好く、みじん切りにして入れても殆どザーサイの味はしない。

オレは剰り好きではないが、鮭のほぐし身を入れる場合は、予め油で炒っておいたほうがいいと思う。普通にほぐしたものを炒め合わせると生臭くなるようで、鮭フレークの類は何だか生臭くて好きではない。鮭の身は油と相性が良いので、予め炒めておけば或る程度臭みは飛ぶが、炒めておいたものを後で炒め合わせる関係上、少ししつこい味になるのが考え物である。

美味しんぼの「ヤキメシ」流に、鮭フレークを最初に炒めてから飯を加え、後から卵を炒め合わせる調理法も考えられるが、散々説明した通り、それはあんまり上手く行かないんだよなぁ。炒飯の卵ってのは、別段「味をまろやかにする」為に入れるわけではないんだから、後から炒め合わせるのだと意味がないんだよ。

椎茸もうまみの強い具材として考慮に値するのだが、個人的には剰り合わないように感じる。干し椎茸を戻したものは、水気が多すぎてそもそも向いていない。生のどんこを薄く広めに刻んだものと小さく角切りにしたものを試してみたが、これも椎茸の風味が強すぎてバランスが悪いように感じた。勿論オレは椎茸が嫌いではないし、嫌いではないから入れてみたのだが、それでも炒飯には剰り合わないと思う。何を入れてもとにかく椎茸の臭いや風味しか感じなくなるからである。

桜エビは仲々相性が良い。大きめの上等なものを買ってきて、予め乾煎りして香りを立ててから入れると美味い。基本的に桜エビは使う前に乾煎りするのが鉄則である。ただし、炒飯のようにどうとでも作れる料理の具に乾物ばかり使うと、パスタのプッタネスカのように何となく貧乏臭い料理になるので注意が必要である(笑)。乾物系のアプローチに偏すると、その先に待っているのは永谷園に続く道である(笑)。

逆に、これを入れては玉無しだろうと思うのは、タマネギである。タマネギと飯を炒め合わせたもの自体はたしかに美味い。ただ、それは炒飯ではなくチキンライスやドライカレーや喫茶店のピラフ的な洋風炒めご飯になるので、炒飯のような高温でパラリと仕上げる料理には向かない。バターで重めに味附けする飯物に向いている。

タマネギは、甘味が強く水気や粘り気も多いので、米飯と炒め合わせるとモッタリと重めの仕上がりになる。また、同様に汁気の多い瑞々しい食材も向かない。タマネギもそうだが、おそらく本職の中華の厨師なら水気の多い食材でも美味しい炒飯が作れるのだろうが、一般家庭の技術と設備で美味く作るのにはハードルが高い。

葉物ではレタスや菠薐草が使えるが、やはり丁寧に水気を拭っておく必要がある。ざく切りにして最後に入れて予熱でしんなりさせると美味い。カニ炒飯や海鮮系の炒飯に向いているのでオレもたまにレタスを使うことがあるが仲々火から揚げる加減が難しい。

個人的にはレタスを入れてから塩加減するほうが、レタスにも塩が効いて美味いと思うのだが、気を附けて手早くやらないと、全体に味を馴染ませているうちにレタスに火が通りすぎてしまう。やはり、レタスに油と塩が廻ってしんなりしていながらレタスらしい歯応えが残っていたほうが美味い。菠薐草は試してみたことがないのでよくわからないが、翡翠炒飯なんてのも代表的な料理である。おそらく、細かく刻んで最後に炒め合わせるのだろうと思う。

対するにキャベツは、葉先の柔らかい部分を使ってもかなり鄙びた田舎臭い味になるので、オレは入れない。カレーライスに添えた千切りキャベツが熱でしんなりとしているのを飯と混ぜて食べるのが好きな人は使っても好いと思うのだが、どうもオレはしんなりしたキャベツは好きだが、キャベツと飯を混ぜるのは嫌いなので使わない。飯とキャベツの組み合わせで好きな料理は、ソバ飯くらいだろうか。

海鮮炒飯やエビ炒飯などの水気の多い大きな具材を用いる場合は、下味を附けて揚げるなり茹でるなり下ごしらえをしておいて、九分通り炒飯が出来てから最後に炒め合わせる。水気の物は必ず下ごしらえをして火を通しておき、炒飯全体に油が馴染んだ後に合わせるのが鉄則である。

カニ炒飯についてだが、安い店に行くとカニ缶のフレークをそのまま載せているが、あんなカニカマと大して風味の変わらない舌触りの悪いものが載った炒飯を美味いと思ったことは一度もない。カニ炒飯を注文してフレークが載ってくるとかなり哀しい気持ちになるので、安そうな店ではあまり注文しないことにしている。

美味いカニ炒飯を作るなら、カニ脚の肉をほぐして入れたほうが美味いに決まっているのだが、哀しいかなオレは独り者なので、カニ炒飯を作る為だけにカニを買うほどの贅沢はこれまでに一度しかしたことがない(笑)。スーパーで売っているパックは高い上に量が多く、味の濃いものだから、一人であんなに喰ったらすぐ飽きる。近所に脚一本から売っているところでもあれば助かるのだが。

歳暮で貰ったとか、一家でカニすきを喰うので大量にカニを買ったとか謂う一握りの選ばれた人(笑)であれば、一本くらい脚を残しておいて炒飯に混ぜれば、多寡が一本かそこらでも物凄くカニを喰ったような気分になれる(笑)。まあ、カニと謂うのは横にしか歩けないくせに無闇に足が早いもので、早めに残り物を整理する必要があるから、鱈腹カニを喰った翌日にまたカニ炒飯を喰うと謂う気にはちょっとならんだろうけど。

本物のカニを使う場合、生のカニ肉ならそれをボイルした湯で、ボイル済みの肉なら身をこそげた後の殻を入れた湯でスープを仕立てても美味い。それに干しエビ・干し貝柱とかホタテ系統のスープの素を溶いただけで美味い中華スープが出来る。

とまれ、後段の調理手順を視て頂ければおわかりの通り、一般的な炒飯の作り方においては鍋の中で具材が加熱される実時間は正味一分か二分しかなく、しかも鍋肌に直接触れている時間が圧倒的に少ないので、そこから逆算して具材を選ぶ必要がある。

●一般的な調理の手順

炒飯に限らず、多くの中華料理は強火を使う関係上、かなり手際良く段取りして短時間で仕上げる必要がある。炒飯の場合など、ほぼ下準備を済ませた具材を玉子炒飯に混ぜ合わせて味を附けるだけであるから、大概の玄人は五分くらいのごく短時間で仕上げてしまうものである。

素人がその真似をしようと謂うのだから、段取りくらいは完璧に用意しておく必要がある。自分の手の届く範囲に調味料と食材を並べておき、一気に段取り良く調理を済ませるのが基本である。

とは謂え、炒飯に必要な要素というのは、まず溶き卵、そして米飯、具材の三要素であるから、それは難しいことではない。炒飯のような気合い勝負の料理では、具材は一気に投入するので、火の通りに沿って小分けにする必要もなく、刻んだ具を投入しやすいように小皿か小さなボウルに盛っておくだけで良い。食材は溶き卵、米飯、具材の順に並べ、調味料は塩、うまみ調味料、醤油の順に並べる。

飯はキッチンペーパーで皿に薄く油を塗ってから盛ると、鍋に投入する際に一気に離れる。冷や飯を温め直したものなら予め白飯の段階で或る程度ほぐしておく。ウチでは炊飯器の保温機能があんまりアテにならないので、すぐに食べない飯は直接ラップで四角く平たく包んで冷蔵しておき、温め直す場合はそのままレンジに入れ、温まったらラップごと少し揉んでほぐしたものを皿に空ける。勿論、飯が熱いので適当に粗熱がとれてからでないと危ないが(笑)。

不思議なことに、炒飯と謂うのは一回で作るのに適した量が大体決まっている。一度に作るのは米一合半乃至二合程度が適していて、店の料理でも大体この分量を一鍋で作ったものが一番美味いように思う。それより少ないと油の加減が難しくなるし、多すぎると十分に飯全体に油が廻りにくくなり、炊き込みご飯のようになりやすい。一合半から二合くらいだと多目見当で結構適当に油加減しても大丈夫だし、鍋を煽ったり具材を混ぜたりするのもやりやすい。

二、三人のコースで中華を喰ったときに出てくる炒飯は大体二、三合くらい見当ではないかと思うのだが、三合くらいだともう一般家庭で上手く作るのは難しいのではないかと思う。オレは二人前くらいなら平気で喰うので嘗ては二合くらいで作っていたが、最近は食が細くなったので三合飯を炊いて半量で作るようにしている。

結局、炒飯作りにおいて手間のかかるプロセスと謂うのは、下準備の段階でほぼすべて終わっていて、後は気合いで最後まで一気呵成にやり遂げるだけである(笑)。

準備が済んだら、まず、炒め鍋を空焼きする。ハイカロリーの強火でかなり大胆に放置しておいて好い。鍋から煙が上がったら、油を大量に投入する。繰り返すが、どのくらい大量かはあなたの度胸次第である(笑)。

オレの場合は、目視で鍋底に薄く均一に溜まって見える程度には入れるから、やはり三分の一カップくらいは入れているのではないかと思う。これを鍋肌に廻して馴染ませてから、さらに油から煙が立つまで一呼吸置いて一気に溶き卵を流し入れる。

油の中に混ぜるようにしながら卵を流し入れ、卵がぶくぶく泡立ったら半熟加減ですぐに米飯を投入する。手早く竹ベラで飯をほぐしながら炒り玉子と混ぜ合わせ、鍋を煽って返す。炒り玉子の面が出てくるので、その玉子を細かく切り割りながら油と共に均一に飯に混ぜ合わせる。

もう一度鍋を煽って、竹ベラで鍋肌に沿って飯を広げ、ヘラで鍋肌に圧し附ける。すぐに煽って飯を崩しながら返し、ほぐれていない部分をほぐしながら再び鍋肌に沿って飯を広げて圧し附ける。これを数回繰り返し、飯粒が全体にほぐれるようにする。ほぐれたら、向かって奥手のほうに飯を片寄せ、少し鍋底を覗かせてから、そこに具材を投入する。

それを煽って具材の上に飯を被せ、鍋底に沿って広げてヘラで圧し附ける。これで十分に具材に火が通るので、再び煽って飯を切るようにしながら具材を混ぜ合わせる。これを二回ほど繰り返し、飯を広げて塩とうまみ調味料を振る。少々粘りが残っていても調味料を振ると飯がパラパラになるので、十分に飯と調味料を混ぜ合わせる。

色が附くのがイヤならこの時点で鍋から揚げても好いが、附いても構わないとか附けたいというのであれば、仕上げに鍋肌に沿って醤油をごく少量垂らして焦がし、全体に廻るようにひたすら煽り、混ぜる。これは本当にごく少量で構わない。

多分、前述の維新號の炒飯はこの段階で醤油とココナツミルクを比較的多めに使っているのだと思うが、個人的には炒飯の味附けというのは、油と塩とうまみ調味料だけで好いと思う。米の白飯が十分美味い国に生まれたのだから、剰り過剰な味附けや風味附けは要らないのであって、油の廻った飯の旨味を味わい、ちょっとしたお楽しみとして具が混ざっている喰い物だと認識したほうがいいだろうと思う。

調理上のすべてのプロセスに亘って重要なことは、鍋を煽る際にうっかり鍋底を火から離さないことである。何度も強調しているように、家庭用レンジの火力では一旦鍋の温度が下がったら再び高温に戻すことは出来ない。であるから、一般家庭で中華料理を作る場合に重要なのは、如何にして鍋の温度を下げないようにするか、である。

本職の中華の厨房でも、基本的に鍋底は火から離してはいけないことになっている。その為に五徳が鍋底のアールに沿った形になっていて、鍋を煽る場合にはそのアールに合わせて鍋を動かすことになっている。そうすれば、見た目ほどの力も要らずに鍋を煽ることが可能である。一般家庭のレンジはそんなに便利には出来ていないので、五徳が平たくなっているが、可能な限り鍋を高く上げないように注意することが必要である。

それ故に、実は一般家庭で調理するほうが鍋を煽る際に力が必要なのだが、慣れてくればそれほど難しいことではない。

また、炒飯のレシピのヴァリエーションも、玉子炒飯を基本に考えればそれほど考えるのが難しいものではないだろう。炒り玉子を使わずに炒飯を作ろうと思うとけっこう難しいが、卵を溶き入れて飯と炒め合わせるプロセスさえしっかりやれば、後は具を放り込んで適当に鍋を煽って味を附けるだけなので、放り込む具に工夫を凝らせば好いだけだし、調理技術自体もそれほど高度なものを要求されない。

使える具材は、予め下ごしらえをして火を通したもの、すぐに火が通るもの、火を通さなくても食べられるもの(生食可能なものか加工品)、である。どんなものを使うにせよ、水分保有量の大きいもの、冷たいもの、粘るものは避け、使う場合はサッと混ぜ合わせれば好いだけにしておく。

●食す際には

とにかく、鍋から降ろして盛り附けたら急いで喰う、これが基本である。一般家庭の場合には、全員の分が出来てから家族が揃うまで待つという都合があるが、小食の一家なら全員分を一度に作ってすぐに喰うべきである。炒飯というのは、火から降ろした瞬間から刻一刻不味くなっていく喰い物なので、大急ぎで喰うべき料理である。

更めて考えるまでもなく、飯に大量の油が廻った喰い物が、冷たくなっても美味いはずがないのである。時間を措いて温め直したものは、すでにそれは炒飯にして炒飯にあらずの別物である。卵よりも油を吸いにくいとは謂え、一時間も二時間も時間があれば冷める過程で飯粒が油を吸ってしまうし、油も鮮度を喪って不味くなる。

また、炒飯の味附けというのは、実は食べ頃の時点では飯粒の内部に染み込んではおらず表層に染みているのみなのだが、これも時間を措くと内部に染み込んで総体的に味が薄くなる。時間を措いて炒め直すことを前提に作り置きするなら、その分も考えて濃いめの味附けにするということになるのだから、油と謂い味附けと謂い、通常の炒飯よりもしつこくて諄いものにならざるを得ない。

普通、炒め物の味附けというのは煮物と違ってそれほど中まで味が染みている必要はない。舌が触れる表層近くに味が附いていれば好いのであって、舌に触れないところにまで味が附いている必要なない。

その意味で、米粒の芯まで味が染みている炒飯というのは、どう考えても無駄に塩分が過剰だということになる。米飯に適した味附けの程度というのは、飯粒の表層で感じた塩加減がそれを噛み砕いたときの口中調味に丁度良い塩梅なのがバランスが良いわけだが、中まで味が染みていると、舌で触れたときに丁度良い塩加減だと噛み砕いたときに味が無駄に濃くなる理屈になる。

かと謂って、染みている分の味は噛み砕くまで舌に触れないのだからそれだけでは鹹さが足りないように感じるわけで、それを満足させるだけの味附けにすると噛んだ時に諄くなって、味が薄いように感じる割りには食べ進むうちに諄く感じるという最悪の結果になってしまう。

実際、二回遭遇した炒め直しの炒飯は、時系列的にも空間的にもまったく無関係な二軒の店で喰ったのだが、気味が悪いほど似ていたという記憶がある。いずれも醤油で真っ黒で、その大量の醤油が焦げたイヤな苦味があり、油っこくて鹹かった。

また、たとえば炒飯に胡椒をどっさり掛ける人がいるが、あれはどうなのだろう。斯く申すオレも、若い頃はそれが何であれ料理が届くや否や物も言わずに胡椒を山ほど振り掛けたものだが、ラーメン屋などで供される醤油を効かせた茶色い炒飯には胡椒を振っても合うような気がする。ただし、卓上用の白胡椒の類ではなくて、ラーメン屋でよく見掛けるギャバンの黒胡椒に限るが。

一方、ちゃんとした中華料理屋で供される、それほど色の附いていない炒飯には剰り胡椒は合わないように思う。味附けが塩と化学調味料だけで、醤油がそれほど効いていないからだろう。総じて、上等な炒飯にはそれほど香辛料が合わない気がするが、この辺はまあそれこそ好きずきである。オレが自宅で作る場合は、仕上げにパラッと黒胡椒を一振りする程度に留めている。

我ながら趣味が悪いと思いつつ、オレが個人的に好む薬味というのは、実は紅ショウガと刻み海苔である。これは、オレが高校生の頃に学校の近所のデパートの屋上レストランの炒飯で見掛けたトッピングだが、海苔と紅ショウガというのは基本的に飯に合う薬味なので、中華料理の炒飯であっても飯の美味さを味わう料理である以上、この取り合わせに不自然さは感じなかった。これはつまり、ちらし寿司的な発想のトッピングということになるだろう。

今でも紅ショウガと焼き海苔が手許にあると、たまにこの薬味を仕立てて炒飯を喰ってみるのだが、イメージ的には鄙びた感じになるがおセンチな懐旧の情も込みでけっこう美味いと感じる。

いつか何処かで一度だけ喰ったような記憶があるが、これと似たようなパターンでも福神漬けや花辣韮と謂う薬味はカレー以外には合わないように思う。何と謂うか、福神漬けや花辣韮と謂うのは、飯に合う味附けなのではなく「カレーソースに合う」味附けなのではないかと謂う気がする(笑)。

どちらもかなり甘味が強いから辛い料理の薬味に合うのだろうと思うが、それだけで飯を喰えと謂われても困ると思うし、そもそも辣韮は酒のアテということが考えられるが福神漬けというのはカレーの薬味として以外にどのような存在意義があるのか・あったのか今では見当も附かない。

最近は専ら自宅で作る炒飯で満足してしまうので、中華料理屋に行っても炒飯を注文する気にならず、専ら焼きそばに偏しているのだが、近年登場した変わり炒飯の類は一度も喰ったことがない。つまり、たとえばあんかけ炒飯であるとか、スープ炒飯であるとか、炒飯茶漬けの類のことだが、どうもこれは、味の想像が附くだけにわざわざ注文する気にならない。

あんかけ炒飯というのは要するに中華丼の炒飯版だろうし、スープ炒飯というのは基本的に汁物を喰うのが面倒臭いのでわざわざ喰いたいとも思わない。やはり、こういうシンプルな料理は下手に凝ったものより基本に忠実なのが一番である。

…と謂うところで、宿縁の炒飯を語り倒したので、今回はこの辺で。結果的には、最初に書いたものよりさらに長くなってしまったが、所詮は血塗られた道である(笑)。

|

« 炒飯を熱く語る〈考察編〉 | トップページ | ブランチで「また」マクロビ »

コメント

この程度のつまんないことでも、約束を果たすってのは何だか感慨があるなぁ(笑)。

そんなことを言っていると、もう一つ年内にやっつけなきゃならない面倒な約束があることを想い出したりしちゃうのだが(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2009年8月22日 (土曜日) 午前 08時24分

このような記事を夜中に拝見すると、空腹感が絶頂に達して非常に辛いことになります。夕食が最中とビールだったので(←もう動きたくなかったのです)、無性に油っ気が恋しくなりました。

ご近所でしたら無理矢理お呼ばれとかもできましょうに、残念です。いや、いっそ出張料理人としていらして頂くとか。

できればタイ米使用で、卵と葱と生姜と叉焼入りのを一人前で結構ですので。

投稿: 604 | 2009年8月23日 (日曜日) 午前 01時56分

>604さん

おかえりなさい、旅は楽しかったですか。

>>夕食が最中とビールだったので(←もう動きたくなかったのです)

甘いものとビール…うーむ、人それぞれなので、取り合わせには敢えてツッコミを入れませんが、オレだったら一発で夜中に胃液が逆流してしまいますね(笑)。

>>ご近所でしたら無理矢理お呼ばれとかもできましょうに、残念です。いや、いっそ出張料理人としていらして頂くとか。

中華鍋を背負って転戦すると謂えば「気分はもう戦争」ですが、「さすらいの出張料理人」って何かカコイイなぁ(笑)。真夏でも黒帽子に黒シャツ黒ジャケ黒コートでマイ中華鍋を背負って余所んちに出掛けて炒飯を作るんですな。で、法外な報酬をスイス銀行の口座に振り込ませるとか、ついでに604 さんの抱えるご家庭争議を炒飯と屁理屈で解決するとモアベターですね(木亥火暴!!)。

>>できればタイ米使用で、卵と葱と生姜と叉焼入りのを一人前で結構ですので。

タイ米だと長粒種ですかね、そもそも飯を炊いたことすらないですなぁ。本文でも少し書きましたが、長粒種で炒飯と謂うと、エスニック風の醤油とナンプラーでしっかり味の附いたものを想像しますが。あれはやっぱり、元々米に粘り気が少なくてパラパラしているから、液体調味料を多目に使ってもパラパラになるんですかねぇ。

投稿: 黒猫亭 | 2009年8月23日 (日曜日) 午前 02時48分

うーん、魚醤系の調味料は味が濃いので、たぶん使用量が少ないのもあるのではないでしょうか。
臭いついでに咸魚の刻んだのとかが入っているとなお良しでございます。タイ米も日本の電気釜で炊けるみたい(中国の人がよく日本土産で買ってます)なので無問題ですー。

スナイパーみたいなカッコイイいでたちの出張料理人がおいしいものを食べさせて下さるなんて最高に幸せ(というか、自分で作らないだけで幸せ)ですが、海外送金は手数料が高いのでどうかご勘弁を。

投稿: 604 | 2009年8月23日 (日曜日) 午後 04時45分

>604さん

>>うーん、魚醤系の調味料は味が濃いので、たぶん使用量が少ないのもあるのではないでしょうか。

ナムプラーとかハオユーみたいな発酵調味料はかなり味が濃いですよね。そのままで使うと謂うより、醤油や酒に溶いて使わないと、濃すぎて気持ちが悪いし全体に味が廻らないんじゃないかと思うんですが、長粒種の米は粘りが少ないので多少液体調味料を廻しても水っぽくならないんでしょうね。

炊き方も、たしか多目に水加減して加熱した後、余分な重湯を棄てて蒸らすと謂うふうに聞いていますから、おそらく糊の成分が少ないだけ水気をよく吸って、水気が多少多くてもパラッとするんじゃないかと思います。長粒種の炒飯はたしか一、二度くらい食べた経験がありますが、みんな甘めの味附けですよね。あれは味附け以外にもカラメルで飯粒をコーティングする狙いもあるんじゃないかと。

>>臭いついでに咸魚の刻んだのとかが入っているとなお良しでございます。

本格的ですねぇ(笑)。そう謂えば、本文で挙げた美味しんぼの「ヤキメシ」ですが、第七二巻で再登場したときは、栗田ゆう子さんが第二〇巻で一度見ているはずの料理を思い出せなかった(まあ喰ったのは雄山だけですから)らしくて(笑)、「これは、覚えのある香り… そうだ、香港で食べた塩漬けの干し魚、咸魚だわ」とか言ってますから、鰹の塩辛でも好さそうです(木亥火暴!!)。

でも、実はオレは魚介類の発酵食品が喰えないので却下です(木亥火暴!!)。発酵食品以外だと、イカと甲殻類の刺身が嫌いですねぇ。火を通したら両方とも好物なんですが、生だと気持ち悪くなるんですなぁ。

以前、旅先の旅館の夕食で物凄く上等な牡丹海老のおつくりが出てきて、食事の前に仲居さんが「何かお嫌いなものはございませんか」と聞いてくれたのに、つまらない見栄を張って「ありません」と答えたのが悔やまれました(笑)。「海老やイカがあったら焼き物に誂えてください」と一言言っておけば美味しく食べられたのになあ。

>>海外送金は手数料が高いのでどうかご勘弁を。

しょうがないなぁ。では、税制上不利ではありますが、東京三菱UFJ銀行かジャパンネット銀行の普通口座に負けときます←ヤフオクかよ(木亥火暴!!)。

投稿: 黒猫亭 | 2009年8月23日 (日曜日) 午後 08時05分

海老の刺身のお話は何となく憶えております。

知り合いの加賀出身のご婦人も白身魚以外は召し上がれないと仰っていましたっけ。魚卵や赤身魚、それにかぶら寿し(一応醗酵系でしょうか)なんかも生臭くてダメなのだそうです。「何でも食べられます」と言うと却ってはしたない感じがするのは何故なのでしょう。

ドリアンに咸魚、大抵の物はOKで、おかげさまで津軽でも全く不自由しませんでしたが、それでもタガメとかゴ○○○とかは無理ですので。

それでは、中華鍋を背負って至高の炒飯を作りに来て下さるのを心待ちにしておりますー

投稿: 604 | 2009年8月24日 (月曜日) 午前 09時38分

>604さん

>>知り合いの加賀出身のご婦人も白身魚以外は召し上がれないと仰っていましたっけ。魚卵や赤身魚、それにかぶら寿し(一応醗酵系でしょうか)なんかも生臭くてダメなのだそうです。「何でも食べられます」と言うと却ってはしたない感じがするのは何故なのでしょう。

それは多分、そのご婦人が本当に美味い(ry かぶら寿司とか鮒寿司は、地元の人間でも好き嫌いがあるんじゃないですかね、発酵食品ですから。

オレは加賀ではなく能登のほうの出身ですが、子供の頃はやっぱり魚介類のほうが入手容易なので散々魚を食わされた経験がありますね。出身地を話すと誰でも「魚の美味しいとこでしょう」と言うんですけど、魚が嫌いだったので美味かったか不味かったかはよくわかりません(笑)。子供の頃食が細かったのは、そのせいもあるかもしれません。

今は流石にそこそこ魚介類も好きになりましたけど、魚の形をしていないものの刺身は喰えないですねぇ。いや、喰えるんですけど、後で気持ち悪くなるので。前にお話ししたかと思いますが、オレは「喰えるけど後で気持ち悪くなるから喰わない」ものが結構ありまして、赤ワインとかチーズもその類ですね。

>>ドリアンに咸魚、大抵の物はOKで、おかげさまで津軽でも全く不自由しませんでしたが、それでもタガメとかゴ○○○とかは無理ですので。

ああそうか、あの辺は塩蔵食品とか発酵食品が多いんですね。青森出身の友人に聞くと今では普通に農産物や魚介類が獲れるみたいですけど、とくに名物と謂えるほどの喰い物がないとか言っていました。林檎ばっかり喰うわけにもいかんですしねぇ。

>>それでは、中華鍋を背負って至高の炒飯を作りに来て下さるのを心待ちにしておりますー

何だかヤフオクで落札されたような釈然としない気分です(木亥火暴!!)。

投稿: 黒猫亭 | 2009年8月24日 (月曜日) 午後 03時06分

玉杓子の代わりにお玉を逆に使うとかなり具合がよろしのこと。

投稿: hietaro | 2009年8月25日 (火曜日) 午前 01時19分

>hietaro さん

>>玉杓子の代わりにお玉を逆に使うとかなり具合がよろしのこと。

ああいや、あのでかい玉杓子を使わないのは、ないからじゃないんです。ウチに限って謂えば、中華料理の玉杓子なら、あることは「ある」んです(笑)。なんでそんなものがあるのかと謂えば、勿論買ったからなんですが(笑)。

折角買ったものを何故使わないかと言いますと、これは鍋との相性ですね。あのでかい玉杓子を使えるのは、鋼鉄製の硬くて厚みのある中華鍋じゃないかと思いますが、テフロンとかフッ素で表面加工してある炒め鍋だと、カップを伏せて掻き回すように内容物を返すと表面加工が剥げちゃうんですね。

これは一般的なお玉でも事情は同じでして、お玉の底で押さえる分には具合が好いんですが、伏せて縁の部分を使う使い方が出来ないので、結局竹の調理ベラに落ち着いたわけです。以前は、肉の薄い安物ながら鋼鉄の北京鍋も持っていたんですが、これはやっぱり錆びないように油を馴染ませるのが大変でしたね。

使い始めはやたらに焦げ附きますし、焦げ附かせてしまうと洗剤で洗わないと焦げが落ちないですけど、それだといつまでも鍋に油が馴染みませんし、洗って乾かした後に油を塗らないといけないですから、とにかく面倒臭くて使わなくなりました。

今使っている安物のテフロンコーティングの炒め鍋は、すでに表面加工が大分剥げてきていますが、竹の当たりで自然に摩り切れたものですから、そこに油が馴染んでいて使いやすいんですよ。餡を作ると焦げ附くので、専ら炒飯専用ですが。

本物の中華鍋と玉杓子の組み合わせだと、硬い鋼鉄製の厨具が擦れ合って出来た微細な瑕に油が焼き付いて、段々油馴染みが良くなって焦げ附かなくなり、ササラで水洗いするだけで綺麗になると謂うメリットがあるんじゃないかと思うんですが、どうもオレは鍋を使い込むのが下手みたいです(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2009年8月25日 (火曜日) 午前 05時09分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 炒飯を熱く語る〈実践編〉:

« 炒飯を熱く語る〈考察編〉 | トップページ | ブランチで「また」マクロビ »