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2009年8月31日 (月曜日)

一夜明けて

昨日の選挙はいろいろな意味で重要なイベントだったわけだが、まあ大方の予想通り民主大勝・自公大敗の結果が出た。FSM さんではないけれど、議席数がほぼ郵政選挙の逆になったと謂うのは、やはり選挙制度の問題なんだろうと思う。

欲を謂えば、民主が単独で何でも出来るような議席数を獲得したことに不安がないわけではないが、政権交代それ自体に意味があると謂うことではオレもhietaro さんと同意見である。下野する可能性、これはつまり多くの議席を喪うわけだから多くの政治家が落選する可能性と謂うことだが、その可能性が常に存在すると謂うことは、政治家の緊張感に繋がる。落選と謂うのは、政治家にとっては一般人には想像が附かないほどの恐怖だと謂うことが今回の選挙で再確認されたと思う。

自民党政権の弛緩した姿勢が、結局は「自民がそんなに大負けするはずがない」つまり権力中枢にいる人々の「自分は落選しないだろう」と謂う無根拠な安心感に支えられていたと謂うことが、今回の選挙でハッキリしたと思う。所詮、落選しなければ何も反省しないのだし、したらしたで今まで何を言われても反省しなかったくせに掌返して反省するような人々なのである。

オレは、「正しい政治」をしていれば必ず結果が伴うとは考えていないが「間違った政治」をすれば確実にデメリットはあると考える。つまり政治が「間違っていないこと」は必須要件なのであるから、まず「間違った政治」を排除することが先決だろうと考えるわけである。その意味で、自公の小泉改革路線が明確に否定されたことの意義は大きいだろうと考える。

政治的な問題には「正解」なんかないわけで、小泉路線の改革だって、あのような極端に強者を優遇するいびつな公正観ではない基準を掲げて、緻密に全体的な戦略を詰めていれば或る程度の効果は出たのかもしれない。勝者がすべてを獲ると謂う、まあ今時何処の先進国家でも是としていないような不公正な基準を採用して、米国や財界の言いなり次第に行き当たりばったりの愚劣な政策を連発したのだから、そんな改革が実を結ぶわけがない。

そもそも小泉改革は貧乏人や凡人に苛酷な理念なんだから、そんな改革を断行して多少景気が上向きになったところで、大多数の国民にとっては何の恵みもない理念である。なんでそんな不公正な国家を、大多数の国民が高い税金を払って維持しなければならないかと謂う話であって、この考え方だったら、強力な企業さえ存在すれば国家なんて必要がないし、貧乏人には税金を払うべき謂われなんかない。

強力な企業の用心棒みたいな国家を、なんで貧乏人が血税を払って維持しなければならないんだと謂う話である。企業が潤うことはたしかに必要であるが、企業が潤うことで国民の大多数が恩恵を蒙ることがそれと必ずセットである。それを意図的に企業優遇と謂う形でハードルを下げて景気を回復するのは、単なるディスカウントであって、誰もそんな政治を望んでいるわけではない。

言ってみれば、ここ四年ばかりの改革政治と謂うのは、たとえばヘキサゴンの「仲間を救え!底抜けドボンクイズ!」みたいなもので、見当違いのおバカ回答を連発しているうちに風船が破裂したようなものだろう。この場合、クイズに正解することと風船を割らないことが同時に求められているのに、クイズのほうは珍回答だわ風船のほうはまったく無視しているわで、お話にも何にもならない失政である。

何故景気を回復しなければならないかと謂えば、それは総体的な国民生活を豊かにする為であって、一部の優秀な人間だけに財を集中させる為ではない。少なくとも国家の側がその筋を外したのでは存在意義が問われて当たり前である。何故優秀でも強者でもない人間にも財を再分配しなければならないかと謂えば、近代国家と謂うものがそう謂うものだからだと謂う当たり前の話で、それを否定するような輩は小学校で九九からやり直してきたほうが好い。

近代国家の権力中枢と謂うのは、王侯貴族でも何でもない公僕である。強者が富を独占乃至寡占すると謂う近代以前の不公平な社会構造の在り方を超克する形で、強者と弱者の間の格差を按分して適正に社会を運営する責任を持つ組織である。

人間の社会が強者だけで成り立っているものでない以上、強者の強者性と謂うのは弱者の奉仕を前提にしているわけで、強い者が弱い者を使役して搾取することで富の独占が成立するわけであるが、それは結局不公正だと謂う理念に基づいて、強者と弱者の間の対立や格差を調停する上位の力として近代国家が存在するわけである。

富と謂うのは強者が作ったものではなく、大部分弱者が作ったものであり、強者はそれを搾取し集積し得る力を持っていると謂うだけの話であるから、これは一種の暴力支配だと謂うことであり、その種の暴力支配は不公正だから、極端な格差が出ないように再分配しましょうと謂う話である。

極端な格差の存在やその固定化を肯定するなら、近代国家には存在意義なんかない。

しかし、みつどんさんのブクマ経由で、あの竹中平蔵未だにこんなことを嘯いていやがることを識ったのだが、要するにこの人物は、近代以前の王侯貴族や資本家が労働者を搾取していた時代のほうが正しいんだと言っているわけである。

一部の強者や成功者が世代を重ねることでエスタブリッシュメントになり、格差が固定されると謂うのは誰でも識っていることで、王侯貴族や資本家と謂うのはそう謂うふうにして固定化された身分である。それはたしかにエスタブリッシュメントが強力な社会でも「努力次第で」成り上がることは可能だろうが、その「努力」と謂うのは並大抵ではない超人的なものであり、常にエスタブリッシュメントによる排除圧が働いている。

社会の大多数が凡人で構成されている以上、一部の人間の優位が固定化するのは不公正だと謂うのは近代社会の常識だが、この人物はそんなのは間違っていると考えているわけであり、こんな人物が仕掛けた「改革」が四年も続いたわけである。

善政の恩恵はもしかしたら短時日ではもたらされないものなのかもしれないが、失政のツケは即座に顕れてくる。オレ個人の生活実感で言っても、この四年で状況は悪化する一方で、何とかしようと足掻いても先回りして事態が悪化して、ついには極貧のどん底に喘いでいる(笑)。余生だの一〇年先だのの心配どころか、来年、来月、いや明日の生活にすら不安を感じているようなザマである。

このように、個人の実感としてはどんどん悪くなっていると感じるのに、お上のほうでは「段々成果が上がってきた」と強弁しているんだから、要するにこの改革が目指しているのはオレが生きていけないような世の中の実現だと結論附ける外はない。

勿論、民主党に政権交代したからと言って、この世の中がすぐに良くなる保証なんか何もないわけだが、オレが生活苦に喘いでいるのに「それは自業自得だ」「それが正しい世の中だ」と嘯くような政権に政治を担当されては困るのである。最低限「それは困ったことですね、何とか良くなるように努力します」と口先だけでも言ってくれる政権でなければ、同じ困るのでも諦めが附かないのである。

オレが「自民が下野するのが先決」と考えるのは、無能な凡人が飢え死にするのは当たり前だと考えているような政権では、どんな政策が行われても絶対に恩恵を受けられないからである。とにかくその考え方が間違っていると謂う地点からでなければ、この国の再生はないだろう。

自公政権が存続する限り、多少の微調整が行われようと「貧乏人が飢え死にするのは当たり前」と謂う理念に貫かれた改革の強行を正当化する政治が罷り通ってしまうのだから、とにかくこの政権を終わらせなければならない

自民党と民主党に実体としての違いがあるかないか、政策実現能力があるかないかなんて関係ないのである。人的連続性が繋がっている限り、この国の政治は貧乏人を死なせることが正しいと謂う政治のままである。この政治は明確に否定されなければならないのだし、そんな政治を強行した当事者は政権から排除されなければならない。

基本的な考え方はこのようなものだが、それに拍車を掛けたのは、やはり最近論じた児ポ法の問題である。昨年の時点では剰り情報が得られなかったので、釈然としないながらどうにも考えが纏まらなかったのだが、徐々に情報が出揃うに連れて、与党側が国民を意図的に欺いて甚大な人権上の不利益をもたらす法案をごり押ししていると謂う実態が明確に判明した。

これはもう、沙汰の限りの悪政である。

一連の記事をご一読戴けばわかる通り、たしかに政策の実現に世論操作は附き物だとは謂え、ここまで嘘に嘘を重ねて国民を騙している法案と謂うのは、近頃見たことがない部類である。しかも、それに賭けられているのは、多少経済的に不利益を蒙るとかそんなレベルの問題ではなく、国民全員の人権の理不尽な制限なのである。

こんな法案を通しても好いと考えるほどこの政権は堕落しているのかと思ったら、オレは物凄くおそろしくなった。これだけはやってはあかんやろう。貧乏は死なない限りまだ我慢出来るが、可愛い少女の水着姿を視てちょっとイケナイ妄想をしただけで逮捕を心配しなければならない世の中なんてのは、何処のディストピアの話ですか。

こんなことが平気で出来る政権は危ない。

正味な話、オレもコトが児童ポルノだけの問題ならそんなに大きな問題ではない、児童の人権保護と謂う大義の為にロリコンが多少肩身の狭い思いをするのは世の中の流れだろう、くらいに考えていたのであるが、詳しく調べれば調べるほど、この法案が物凄く危険なものだと謂うことを思い知らされた。

この法案が、個人が何に対して性的に興奮するかと謂う、極々プライベートな領域に国家権力が暴力を伴って介入するものだと謂う話は散々繰り返したが、こんな末期的タイミングで審議されるくらいだから、政策的な優先順位は低いはずである。是が非でもこれを通さなければ現政権の政策全体が頓挫すると謂う性格のものでもない。

いわば「ついでにやっとくか」くらいの意識で、国民の下半身を厳重に取り締まると謂う重大な人権侵害を平気でやれるほど、この政権は驕り高ぶっているわけである。

同様に「ついでにチャチャッと決めちゃった」教育基本法の改正も、本来は国家百年の計に属する重要問題であるが、こう謂う重大な問題を、郵政選挙の大勝を根拠にしてごり押しすると謂うのは、「余勢を駆ってやりたい放題」が罷り通ると思っていると謂うことだろう。こう謂う政権が憲法九条だの非核三原則だのに安直に手を出したらどんなことになるか、想像しただけでゾッと背筋に冷や汗が流れる。

この教育基本法の改正が安倍晋三のマスターベーションなら、児ポ法だって一部議員の点数稼ぎである。真剣に研究したと謂うのであれば、なんで与党案のような嘘で塗り固めた無根拠な出鱈目を真顔で政策のステージに載せることが出来たのか、さらには大きな調査能力を持つ検討委員会が研究を重ねたにもかかわらず、ネット上で簡単に入手可能な情報すら盛り込まれてはおらず、マトモな批判に対して何一つ有効な反論もないままに決めてしまおうと謂う状況の何処が「議論が尽くされている」と言い得るのか、その姿勢の是非を問いたい。

国民の教育や性的感受性のようなデリケートな問題を、どさくさ紛れにやりたい放題に決められたのではたまったものではない。それに疑問を感じないのであれば、政治家として性根が腐りきっているいると謂うことである。

大きなことを謂えば、この四年間は民主主義政治の敗北の歴史であると思う。ここ数十年間辛くも最低ラインを維持してきた日本の民主主義は決定的に敗北したのだし、この四年間の失政の連続はその堕落のツケである。あの敗北は、たとえば一九三三年に欧州の某国における民主主義が喫した決定的敗北と同レベルの汚点であるとオレは考える。

あのときと同じような悲劇が起こらなかったのは、まあ近代と謂う時代性の恩恵と、少しばかりの幸運の賜物でしかない。

繰り返しになるが、オレは政権交代で直ちに社会的な状況が良くなるなどと楽観はしていないし、多分民主党政権だって自公政権とどっこいで失策をやらかすだろうとは考えている。違いがあるとすれば、「貧乏人を死なせることが正しい」と謂う政策理念を明確に否定する立場に根拠を持つ政権であると謂うことであって、ここに民意の根拠がある以上、自公政権にとっての「改革は正義」と同程度の重みで民主党政治の方向性を決定附け拘束すると考えるからである。

特定政権の方向性を決定附けるのは、個々の政治家の考え方や能力ではない。「選挙の際に国民に何を約束したか」である。自公政権は郵政選挙の際に「企業を優遇することで経済を活性化させ、(ついでに)国民生活を豊かにする」と約束したから、いつまで経っても企業優遇の段階から脱却しないことが許されるのであり、新自由主義の不公正な社会観から脱却しないのである。

とりあえず、民主党政権はその自公政権の政治理念を否定する立場から出発し、党全体として選挙民に対して「国民生活を豊かにする」と約束した。企業優遇や規制緩和もまた選択肢として在り得るだろうが、約束の本筋は国民生活の底上げである。

これは何処まで行っても民主党政治の方向性を拘束するのだし、姑息な言い逃れを許さない。よしんば民主党政権が失政を犯して政権を追われるとしても、「だからやっぱり企業優遇が正しいんだ」と謂う揺り戻しの流れには決してならないだろう。この四年間で好い思いをした人間など、本当に一握りに過ぎないからである。

小泉政権前後までは、社会の側に企業の社会的責任意識に対して半信半疑くらいの信頼は醸成されていたと思うのだが、いざ企業優遇の改革政治が軌道に乗った途端、財界人は搾取する資本家としての本性を剥き出しにしたのだから、もう誰も財界人など信用しないだろう。企業が活性化されても、それは決して労働者に恩恵がもたらされることを意味しないと謂うことを、国民は骨身に沁みて痛感したのである。

裏切りや背信が通用するのは一度限りなのだし、二度も三度も騙されるようなら、そんなお人好しな国民がマジョリティの国家に生まれた不運を呪いながら死んでいくだけの話である。

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コメント

こんばんは。

たった今、NHKで細川が「比例での得票差は、それほど無かった。」とか寝言をいうてましたよ・・・カッコ悪、アホです。
誰が、選挙制度を変えたんですか?忘れちゃいましたか?
kikulogで「上から目線」が俎上の載っていて(きくちさんはお嫌いだそうですが)麻生は勿論、町山、細川、伊吹、古賀、こやつらが何ぞ言う度に「上から目線で、何を偉そうに」と私は思ってしまうんですよ(笑)。

国民の6~7割が投票すれば、政権を選択できる。役人や政治家(せいじや)、そして国民もこのことを良く肝に銘じるべきでしょう。

我が家のわんこが、入ってはいけない部屋に侵入を試みている時に私が「見ーてーるーよ」と言うと、わんこは素知らぬふりで諦めます。
謹んで民主党にも申し上げます「見ーてーるーよ」ってね。

投稿: うさぎ林檎 | 2009年8月31日 (月曜日) 午後 08時17分

>可愛い少女の水着姿を視てちょっとイケナイ妄想をしただけで逮捕を心配しなければならない世の中なんてのは、何処のディストピアの話ですか。

こんばんは。
うんうん、と本文を読んで閉じようと思ったのですが、此処にあまりにも共感してしまったものでコメントしてしまいました。
お返事はいりませんので、お気になさらずに。
って、タグは児童ポルノでした。

投稿: どらねこ | 2009年8月31日 (月曜日) 午後 08時56分

ホンマに、景気が回復したと実感できるとしたら、少数の人間が大きく財布のひもをゆるめるより多数の人間に小さくでも財布のひもをゆるめさせる方がええのに、と思いますがね。

てか、何かあっても最低限の生活は保障されているという安心感をすべての人にもたらす、ってのが理想かなと思うんですけど。そしたら、思い切って財布のひもをゆるめれるんですけどね(笑)

投稿: がん | 2009年8月31日 (月曜日) 午後 10時49分

>うさぎ林檎さん

>>誰が、選挙制度を変えたんですか?忘れちゃいましたか?

田舎で土いじりをしている間に昔のことを忘れちゃったんではないですかねぇ。そこがこの選挙制度改革で今回ようやく得をした現役の政治家である小沢一郎と違うところでしょう(笑)。

>>kikulogで「上から目線」が俎上の載っていて(きくちさんはお嫌いだそうですが)麻生は勿論、町山、細川、伊吹、古賀、こやつらが何ぞ言う度に「上から目線で、何を偉そうに」と私は思ってしまうんですよ(笑)。

ニセ科学批判の関連で「上から目線」と謂う言葉が使われるシチュエーションに限って謂えば、それは関係ないだろうと謂うことになるんですが、「上から目線」と謂う言い回しやその概念自体は別段おかしなものではないと謂うのがオレの考えです。単に向こうの文脈と関係ないのでわざわざ書き込んで異論を唱えたりはしませんが。

人間同士の関係性においては、やっぱり「上から」とか「下から」と謂う感覚はあるんです。とくに、政治家の政治姿勢に関しては、言説だけではなく個人性やその態度が重要な観点ですから、「上から目線」批判は在り得るでしょう。

個人性を捨象して言説の内容のみで議論を戦わせる際に、個人性の要素である「上から目線」と謂う感覚を混ぜるから混乱すると謂うことで、たとえば麻生太郎の場合には麻生太郎と謂う個人がこれまでにしてきたこと、その政治姿勢、謙譲の精神、このようなものが問われますから、散々愚かなことを繰り返しておきながら、「何をぬけぬけとご高説を」と謂う批判は在り得ますね。

>>国民の6〜7割が投票すれば、政権を選択できる。

まさに仰る通りです。

すでに一昨日ですが、ずっと選挙特番を観ておりまして、どうせ選挙特番なんて開票速報にオマケの附いた娯楽番組ですから、オレは一番ふざけた制作姿勢のフジテレビの特番を観ておりました(笑)。テレ朝の選挙特番は民主党をクローズアップしていたようですが、フジテレビは何故か自民党に密着していて、相変わらず悪趣味でふざけた局だなあと思いながら観ていたんですが(笑)、嘗て盤石の強さを誇った自民党はすでにもう存在しないんだな、と痛感しましたね。

前回の衆院選以来、古賀誠のような地元に積極的に利益誘導するような選挙区で確固たる地盤を持っている古いタイプの政治家がどんどん減ってきて、浮薄な一般人気に頼った候補者が増えてきた結果、他党でも似たような手法を採れば対抗可能だと謂うことになって、今回「小沢チルドレン」みたいな薄気味悪い言い回しが横行しましたが、自民党の強みがほぼ存在しなくなったと謂うことでしょう。

結局民主支持の逆風の中でも何とか議席を維持した自民党候補者は、地元に相当強い地盤を持っている者だけでしたね。「小泉チルドレン」なんてのはほぼ壊滅状態で、あんなのまで担ぎ出さなければ安定多数を維持出来なくなっていた自民党はすでに昔日の勢いなんかありません。

>>謹んで民主党にも申し上げます「見ーてーるーよ」ってね。

民主党が絶対安定多数を超える議席数を持つ政権与党となったからには、右から左まで政治家の見本市みたいな呉越同舟の政党ですから、国民がしっかり監視していく必要があると思います。近々に参院選がありますから、それまでにどれだけボロを出さずに働けるかが当面の課題ですね。参院選で早くも揺り戻しが来てしまったら、結局またねじれ国会で民主党政権は頓挫するでしょう。直近では、前原グループがどう出るのかが注目ですね。

本文でも申し上げたことですが、自公政権と民主党政権の対立軸と謂うのは、手段としての経済活性を最優先事項とするか、それとも目的としての国民生活向上を最優先事項とするかの違いですから、民主党政権は自公政権と違って言い逃れが一切効きません。

鳩山代表が「民主党の利点はしがらみがないことだ」と言っていましたけれど、これはたしかに最大の利点なんですね。これは財界や官界との癒着と謂う意味だけではないと思います。

五五年体制以来長きに亘って自民党が政権与党の座に在り続けた弊害とは、党としての人的な連続性の故に「あれは俺たちのしたことじゃない」が通用しないと謂うことで、大胆な変革を実行しようとすれば、たしかに小泉流の内部造反劇を演出するしかなかったわけです。あれだって一皮むけば単なる派閥闘争だったわけですが、少なくとも表向きは「旧世代の議員を内部から斬る」と謂う形でしか構造改革を推進することは出来なかったわけですね。

しかし、政権与党が代わってしまえば、自民党が党として行ってきたことに対して批判的な政策を実行することが出来ます。政権交代や二大政党制のメリットと謂うのは本来そう謂う部分で、人的連続性が断絶することで旧弊を大胆に改めることが出来るわけですね。アメリカなんかはそう謂う性格を便利に利用していると思います。

投稿: 黒猫亭 | 2009年9月 1日 (火曜日) 午前 02時53分

>どらねこさん

>>って、タグは児童ポルノでした。

実はそうなんです(笑)。社会と雑記だけで十分なんですが、敢えて児童ポルノも加えたかったと謂う気持ちがあるんですね。あれはもう、国家的暴力が如何にカジュアルに行われているかの見本のような一件でしたから、非常に危機感を煽られました。

ウチなんか、今でも居間の壁には水着姿の小池里奈のカレンダーが額装して飾ってますし(笑)、数年前には彩月貴央のカレンダーを飾っていましたから、アグネスに「何故一八歳まで待てませんか」とか問い詰められたら、「待てないものは待てない」としか言い様がありません(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2009年9月 1日 (火曜日) 午前 02時54分

>がんさん

>>てか、何かあっても最低限の生活は保障されているという安心感をすべての人にもたらす、ってのが理想かなと思うんですけど。そしたら、思い切って財布のひもをゆるめれるんですけどね(笑)

いやこれ、最近痛感しています(笑)。ホントに先が読めない状況にあるので、幾らか手持ちに余裕があっても使う気にならないんですね。使うとしても安い食材を買い溜めして冷凍しておく、みたいなしょっぱい使途に限ってしまいますから(笑)、こんなもんで経済が振興するはずがないな、と。

もう、喰っていくだけで一杯一杯ですから、少しでも安いものを、と謂う負のスパイラルに陥ってしまうんですね。四〇歳くらいまでの感覚だと、とにかく多少高くても良いものを買うことが正しいと思っていたんですが、今はもう買わずに済むものは買わないし、どうしても買う必要のあるものは安いものを買うと謂う方向になっていますから、多くの人がこんなことをしているのなら、内需が冷え込むのも当たり前だと思います。

結局企業が輸出偏重で内需なんて無視してきたからこんな世の中になったわけで、内需が関係ないんだったら労働者にカネを廻す必要なんかないことになりますから、これが構造的に循環してデフレスパイラルに繋がっているわけですね。

テレ朝の朝生で枝野議員が「コスト競争で中国やインドに勝てるわけがない」「日本は高付加価値型産業に転換しないと生き残れない」と言っていましたけど、こう謂う状況にならないとそう謂う当たり前のことが国政に反映されないんですかね。

中国やインドに対抗してコスト競争を戦うと謂うことは、乱暴に謂えば物価のレベルや社会システムも違うのに、労働者の待遇をいきなり中国やインドのレベルにすると謂うことなんですから、日本で労働者が生きていけるはずがありません。

投稿: 黒猫亭 | 2009年9月 1日 (火曜日) 午前 02時56分

高度成長期は企業の発展が個人の発展にイコールになってましたよね。「だからこそ」企業の発展は正義であったわけで、小泉政策における企業の発展が個人を犠牲にすることで維持されているのとはわけが違いますよね。

このあたりが国民にも幻想というか、実態とは違う「過去の記憶」であったと。あの選挙では国民も「企業を発展させることが個人を発展させる」と思ってたんですね。ところがこの4年間はそれがまったく時代遅れの感覚であったことの惨憺たる理解を促したと。

つまり、現在の「少々上向き」というのはまさに国民の資産を企業が吸い上げることによって、つまりはタコが自分の足を食うことによって満腹しているというだけなんですよね。

まあ何というか、(何度も書いていますが)民主党政権になって憲法論議が10年以上遅れることになるということだけが、残念です。

投稿: hietaro | 2009年9月 1日 (火曜日) 午前 04時14分

>hietaro さん

>>このあたりが国民にも幻想というか、実態とは違う「過去の記憶」であったと。

その辺の事柄に関しては、以前「この素晴らしき世界」と謂うエントリで長々語っていますので、お暇な折にでもご一読戴けますと嬉しいです(笑)。そう謂えば、このリンクの書式は以前のhietaro さんのコメントのソースからパクったもので、安直なコピペでいつも便利に使わせて戴いていますので、この際お礼を申し上げます(笑)。

>>つまり、現在の「少々上向き」というのはまさに国民の資産を企業が吸い上げることによって、つまりはタコが自分の足を食うことによって満腹しているというだけなんですよね。

そう思います。小泉改革の基本原理をよく考えると、「労働力を安く叩いて、利益分配の範囲を狭くする」と謂う理屈ですから、実際には名目上の企業利益が上昇するだけで成長なんかしていないんです。単に労働者に廻るはずだった利益が経営層に集約されているからちょっと上昇したように見えるだけで、どれだけ改革が進んでも国民一般には何の利益還元もないシステムなんですね。しかも、社会的格差と謂うものが必然的に固定化する傾向を持つのであれば、「頑張った者が報われる」と謂うお題目も嘘っぱちなんですよ。

以前何度も語ったことなんですが、「頑張った者が報われる」と謂う理屈は、裏を返せば「報われていない者は頑張っていない」と謂う現状肯定の理屈に早変わりしちゃうんですね。どれだけ頑張ればどれだけ報われるシステムなのか、そこが客観的に確立していなければ、単に格差固定の正当化にしかならないんです。エスタブリッシュメントが大多数の貧乏人より豊かな暮らしをしているのは、「頑張ったことの正当な報酬」と謂う理屈が成立してしまうんですね。

こんなシステムのままでどれだけ経済が活発化しても、国民生活が豊かになるはずがないんです。しかも、そんな政治が正義だと言い張っているんです。これはまあ、幾ら何でも政権を追われて当然でしょう。

>>まあ何というか、(何度も書いていますが)民主党政権になって憲法論議が10年以上遅れることになるということだけが、残念です。

中山太郎氏は、野に下っても憲法改正運動を継続していくと言っていますし、参院選にも出馬の意向を仄めかしていますから、本当に必要な人材なら本人の身分に拠らず何らかの重要なポストが与えられても好いように思いますね。hietaro さんのお話ではその辺の認識は政治家の間で浸透しているようですので、民主党政権に一定の配慮があれば好いのだが、と思います。

少し心配なのは、かなりの高齢だと謂うことですから、憲法論議のテーブルに返り咲く前に健康を害することがないかと謂うことなのですが、こればっかりは他人が心配してもどうにもならないことです。

投稿: 黒猫亭 | 2009年9月 1日 (火曜日) 午前 05時38分

こんばんは。

自民党組織がガッタガタなのは、どうやら投票前からはっきりしていたみたいですねぇ。公明党の太田氏についても、自民党の本部が太田氏支持を通達しても荒川支部が全く動かなかった。投票率が上がればそれだけで十分不利なのに、頼みの組織票も当てにならないでは、駄目なのは100%はっきりしてますよ。

私もがんさん(はじめまして)に一票です。国を信頼できない国民は、消費ではなく貯蓄を優先しますよね、アリとキリギリスを持ち出すまでもなく(笑)。中国人はがっつり貯金して、レストランのコップは自分で拭いてから使います、自分達を自分達が一番信用していない、教育レベルの高い層ほどそうらしい。

老後や病気になった時、その時の生活が保証されていれば貯金なんて余程目的がなければ必要ないでしょう。だからバカンスなんかで、すっからかんに使ってしまっても平気でいられる。
ところがこちとら先々どころか目先のおまんまを心配しなけりゃならないのに、お金を使えって言われても・・・ねぇ。
御手洗の坊ちゃんは、煽てられて随分とお調子に乗ってた様ですが、この際大いに反省して貰いたいもんです。

投稿: うさぎ林檎 | 2009年9月 1日 (火曜日) 午後 08時01分

いつまでも「(構造改革の)好転反応」と納得力を発揮しているわけにはいかん、ということですね。

たぶん新政権も、自公とは違う形で色々と「痛み」を押し付けようとしてくると思いますが、その中身を見極めたいですね。

投稿: FSM | 2009年9月 2日 (水曜日) 午前 01時03分

こんばんは。
て言うか幼稚な意見なんですが、なんで政治家って他党派の意見、提案に対して“全否定”なんですかね。そんなふうに永遠に交わらない平行線を繰り返してる間に国民の税金を無駄に疲弊して国をどんどん取り返しのつかない方向に…普通に考えて、真面目に考えた提案に対して『そこは納得出来るけどそこは相容れない』とか『大体同意見だけどここはこう変えてはどうか?』とか普通はなるはずなんだけど大体は“全否定”…なんでガキ同士のケンカみたいなレベルの低い足の引っ張り合いを延々とやって恥ずかしくないんだろう。そういう意味では自民党だろうが民主党だろうが政権交代しようがなんにも期待出来ないです。(すみません子供みたいで。)

投稿: SHUZO | 2009年9月 2日 (水曜日) 午前 01時45分

>うさぎ林檎さん

>>公明党の太田氏についても、自民党の本部が太田氏支持を通達しても荒川支部が全く動かなかった。

ありそうな話ですね。自民党員は数も多いだけに、実は自民党員全体が自公政権の政策で潤っていたかと謂えばそうではないでしょう。と謂うか、普通に考えて自民党員と謂うのは地域の保守層でしょうから、小泉改革路線のような大都市圏の一部企業経営層や金融プレイヤーしか潤わない政策に反撥があって当然と謂う気がします。

政党支持者と謂うのは、別段イデオロギーで結束しているわけではなく、自分たちの利益を国政に反映させる代表者として特定政党を支持しているわけですから、何もしてくれない政党を支持する理由はありません。従来自民党を支持してきた各種団体の中にも今回の選挙では「自民党にお灸を据える」と謂う目的で民主支持に回った団体が多かったと聞きます。

自民党員もコア層以外は「ぞんざいに扱われても忠誠を尽くすと思うなよ」と謂うシラケムードや「お灸を据える」式の反撥が蔓延していたのではないですかね。

今朝のとくダネを観ていたら、外ならぬ麻生太郎のお膝元の福岡県飯塚市の地元商店街がガラガラに寂れてシャッター街と化していると謂うレポートをやっていました。これは景気動向の問題と謂うより規制緩和とか新大店法の問題と謂う側面が大きいとは思いますが、結局現職総理大臣のお膝元でも地域社会が毀れつつある、それに対して政治は無策、それどころか積極的にそのような地域インフラのスクラップアンドビルドに荷担していると謂う苛立ちはあるでしょうね。

まあ、そうは謂っても麻生王国と呼ばれるほど麻生ブランドの関連企業で成り立っている地域ですから、何だかんだ謂っても素知らぬ顔で当選しちゃうわけですが。

>>中国人はがっつり貯金して、レストランのコップは自分で拭いてから使います、自分達を自分達が一番信用していない、教育レベルの高い層ほどそうらしい。

中国人はもう、四千年この方まったく政治を信用していないですね。中国人が貴金属の装飾品をたくさん持っているのは、一朝事あらば身に着けて逃げられる資産だからだと謂うふうに聞いたことがあります。無数の政変を経験し続けてきた国民は流石に日本人なんかと危機意識のレベルが違います。

以前レッドクリフのレビューでもちょっと触れましたが、中国と謂う国家は有史以来一度も民主化されたことがないわけで、人民政府も新たな王朝に過ぎないと表現する人もいますね。言われてみると、歴代王朝の皇帝が行ってきた政治と現在の政治に質的な変化がまったくないです。地方の官吏の腐敗も大昔から全然変わっていないわけで、日経BPの記事なんか読むと、唐代小説や四大奇書の時代とまったく役人の体質が変わっていないことに唖然とするんですが(笑)。

>>ところがこちとら先々どころか目先のおまんまを心配しなけりゃならないのに、お金を使えって言われても・・・ねぇ。

来月の生活費が確保出来るかどうかわからないと謂うレベルと定収のある人々のレベルでは話が違ってきますけれど、どちらにせよ、来年とか五年後にどうなっているかわからないと謂う洒落にならない不安があるわけですから、多少手許にカネが残っても大きな買い物をするはずがありません。

以前書いたように、ウチのTVはこの夏調子が悪くなってきたんですが、TVを買うカネがあれば大の男と猫二匹が一カ月くらい生活出来るわけですから、それを考えると、たとえ纏まった金額が手許に残っていても買うと謂う選択肢にはならないです。と謂うか、これまでの消費行動で遣った現金が今手許にあれば、とかさもしいことまで考えてしまいますから、これはよほど政治が信頼を回復しないと、多少景気が上向きになったところで誰もカネを遣おうとは思わないでしょう。

>>御手洗の坊ちゃんは、煽てられて随分とお調子に乗ってた様ですが、この際大いに反省して貰いたいもんです。

奥田碩と御手洗富士夫は、もう何らかの現実的な制裁を下すことなど出来ないでしょうから、せめて天下の悪名を庶民が胸に刻み込んで後世に伝えたいものですね。庶民がどう思おうが識ったこっちゃないと謂う姿勢でカネモチの我儘をぶちまけ続けてきたんですから、そのくらいの報いがあって当然です。

hietaro さんのところでもFSM さんを交えてそんな話になったんですが、昔はカネモチが富の次に欲しがったのは名誉だったわけで、少なくとも公の場で不名誉なことは口にしなかったし、カネと力を持つ者の責任として常に天下国家を考えていますと謂うポーズを崩さないのが財界人の矜恃だったはずなんですが、この二人に関してはなりふり構わずカネモチのあさましい本音をぶっちゃけまくったのですから、財界人の矜恃も地に墜ちたものです。

財界のトップがこのような人物たちであることで、庶民の視る目として「カネモチは性根の薄汚いカネの亡者だ」みたいな印象が強烈に醸成されていますね。財界人がみんなそんな品性の卑しい人物ばかりかどうかは識りませんが、少なくとも、奥田・御手洗時代の経団連のやり方に内部から異論が出たと謂う話も聞きませんから、そう視られても構わないと謂う意識なんでしょう。

今は全然パッとしない経済同友会辺りに再生を果たしてもらって、旧世代である経団連と対峙するくらいの気概が欲しいところですね。今はもう、何だか経団連幹部への腰掛けみたいな形になっていてまったく存在意義がないですが、経済同友会って結構考えていること自体はマトモなんですよ。

投稿: 黒猫亭 | 2009年9月 2日 (水曜日) 午前 02時08分

>FSM さん

>>いつまでも「(構造改革の)好転反応」と納得力を発揮しているわけにはいかん、ということですね。

国政がニセ科学と同じ詐術を採用していると謂うのは末期的ですよね。結局自公政権と財界が望んだのは「文句を言わずに搾取に甘んじる従順な国民」だったと謂うことで、これは国政の時計を一〇〇年巻き戻すことなんではないかと思います。

>>たぶん新政権も、自公とは違う形で色々と「痛み」を押し付けようとしてくると思いますが、その中身を見極めたいですね。

政治家としての定性的な質や中身については、自民党と民主党にそれほど変わりはないですからね。大きな力を持つ政権与党の動向は常に国民が監視する必要がありますし、それは自民党であろうが民主党であろうが一切変わりはないと思います。

結局、状況を改善するまでには何らかの辛抱が必要になると謂うことは、国民だって四年前に納得しているんです。それは「或る程度我慢してくれれば結果を出す」と謂う意味だと考えていたら、その「結果」と謂うのが単なる弱者切り捨てのインチキで国民全体が享受出来るものではなかったから、みんな怒っているわけです。

おそらく、誰しもこんな未曾有の国難が一年や二年で何とかなると考えるほど楽観はしていないでしょうから、参院選くらいまでは寛容だと思いますが、その間もおそらく結果は期待しなくてもプロセスの真正性は厳しく問われるでしょうね。

投稿: 黒猫亭 | 2009年9月 2日 (水曜日) 午前 03時18分

>SHUZO さん

>>て言うか幼稚な意見なんですが、なんで政治家って他党派の意見、提案に対して“全否定”なんですかね。

まあ、一概にそうと決まったものでもないんですけどね。現在は互いに相容れないイデオロギーに基づいて政党が成立しているわけではなく、政策スタンスの違いとか、考え方の違いとか、単に派閥の事情で割れたとか、そんなような具体的な事情で政党が成立していて、意見が似ていれば協力関係を結ぶと謂うこともあります。単純にそうならないとすれば、それは政局の事情が絡んでいるからでしょう。

全否定が多いと謂う印象が強いのは、やっぱり明確な対立軸があって政党間で激しい議論が起こる場合のほうが目立つからじゃないですかね。複数の政党が存在する以上は、大概何処かしら異論のある部分がありますから、やはり全否定に近い反対意見が出るのも議会政治においては健全ではあります。

勿論、同じ目的を追求するのでも、各党それぞれ理念やビジョンがあって然るべきですから、似たような提案でも筋道が違うと謂うことはあります。「○○党の提案は全然ダメだ」と全否定することも別段おかしなことではないでしょうね。現実的に考えれば、似たような提案なら相乗りして異同を摺り合わせることも出来ますが、妥協することで本筋の部分が骨抜きになると考えるのであればその限りではないです。

また、野党と謂うのは与党の提案に対して「本当にそれで好いのか」と批判・検証することが存在意義ですから、極端な対立意見を持ってくる場合が多いと謂うこともあるでしょう。ただ、是々非々で行くなら、それこそ妥当だと思えば賛成しおかしいと思えば反対する、これが一番健全な議論の在り方でしょうね。

>>普通に考えて、真面目に考えた提案に対して『そこは納得出来るけどそこは相容れない』とか『大体同意見だけどここはこう変えてはどうか?』とか普通はなるはずなんだけど大体は“全否定”…なんでガキ同士のケンカみたいなレベルの低い足の引っ張り合いを延々とやって恥ずかしくないんだろう。

なので、実際には、意見の摺り合わせが可能な政党間ではそのような調整が行われるけれど、概ねそれに対しては反対意見が存在するわけで、明確な対立軸を抱えた政党間の議論のほうが目立つからそのような印象になる、と謂うところではないでしょうか。

勿論、SHUZO さんがイメージしておられるのは、政局の都合で何でも反対、みたいな議論のことでしょうが、近年は段々マシになってきているようには思います。と謂うか、自公政権がインチキをやりすぎたので、野党のツッコミがマトモになってきたと謂うことなんでしょうが(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2009年9月 2日 (水曜日) 午前 03時20分

黒猫亭さん、はじめまして。
Baruと申します。

小泉政権を強く批判しておられますが、よろしければ、その根拠、エビデンスを教えていただけませんか?
質問の意図ですが、別に小泉氏を擁護したいのではなく、単純に知りたいだけです。私の周囲でも批判は良く聞ききますし、マスコミでも良く批判されている。ですが、その根拠を問うとどうもあやふやになる。それらの批判の中には、統計を出しているものもあるのですが、その統計を調べると小泉内閣以前からの傾向が、小泉内閣のときも続いているだけと考えられるものばかりで、統計の数値の変化の主要因は高齢化でした。
ニセ科学問題にも造詣の深い黒猫亭さんならば根拠のない批判はされないだろうし、具体的なエビデンスをご存じかもしれないと思い、失礼ながら質問させていただいた次第です。

このエントリに関連する統計として私が想起するのは、
1.企業内部留保の増加
2.労働分配率の低下
3.世帯当たり収入の低下
4.給与者一人当りの年収の低下
などです。
1、2については、こちらを見てもらえると分かりますが、
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/4610.html
景気回復時によく見られる現象です。したがって、おそらく極端な景気後退期の今年は、数値が大幅に変化することでしょう。小泉内閣特有の現象とは思えません。
3については、世帯当たりの人員の減少と高齢化に伴う年金生活世帯の増加とで、ほぼ説明できるという研究がありますし、十分に説得力のあるものでした。すなわち、これも小泉内閣の政策の寄与度はほとんど無いのではないかと思います。
4についてですが、研究成果は見つけておりませんが、これも高齢化、特に団塊世代の定年で説明できるのではないかと考えております。すなわち、「団塊世代が60前後で定年を迎える→低年収での再雇用」というプロセスの寄与度がかなりの部分を占めているのでは、と考えております。
4については、もう一つ労働力人口の動態による正規雇用年齢(15~60歳)の人口の低下と、60歳以上の労働力人口の増加からも説明できるかもしれません。すなわち年収が高い人口の低下と、年収が低い人口の増加があわさって4を引き起こしているのではないかと考えております。詳しいデータは見つけられなかったのですが、こちらなどをみると
http://homepage2.nifty.com/tanimurasakaei/roudou.htm
それがわかります。

ご存じのエビデンスがございましたら、それをお教えいただければありがたく思います。
よろしくお願いします。

投稿: Baru | 2009年9月 6日 (日曜日) 午前 11時54分

>Baruさん

いらっしゃいませ。有益なご指摘、有り難うございます。

>>小泉政権を強く批判しておられますが、よろしければ、その根拠、エビデンスを教えていただけませんか?

まずお断りしておくと、オレの小泉政権批判はエビデンス主義と謂うより、改革理念の合理性の検証に基づいておりますから、信頼性のありそうな情報については、徹底してローデータを確認するまでのことはしていません。そこは批判を受けても仕方ない部分かなと思います。

一応、Baruさんが挙げられた1〜4までの事情についてはざっくり理解していたつもりではありますが、そこをエビデンスに遡って丹念に掘り下げる形の批判ではないことは事実です。1〜4のマクロな事情を所与の前提として考えて、その上で小泉構造改革がそれに噛み合ったものであるかどうかと謂う論理的な検証が批判の骨子だと謂うふうにご理解戴ければ幸いです。

Baruさんが挙げられたデータを視る限り、現在の国民生活の変遷についての小泉改革の寄与度は低いと謂うことになりますが、最初に挙げられたデータは小泉政権前夜の状況のディスクライブですから、この状況に対して小泉改革の理念が噛み合ったものであるかどうかが検証の対象になりますね。

つまり、このような所与の状況を改善する目的で小泉構造改革が掲げられていたわけですから、小泉構造改革がこれらの状況の改善に寄与していない限り意味はなかったと謂うことになります。その意味で、現状の経済状況の現状に対して小泉改革の寄与度が少ないと謂う指摘自体、小泉改革に「国民生活の向上」と謂う観点における意義がなかったと謂うことになります。

さらにその上で検証するなら、たとえば1、2の「企業内部留保の増加」「労働分配率の低下」に対して、小泉改革の労働市場自由化の方向性や企業優遇の姿勢はそれを固定化させるものであると謂うことが言えるでしょう。景気回復における一過性の現象を固定化して、その状態における企業成長を目的化した時点で、「何故景気を回復しなければならないのか」と謂う国民視点における上位目標が蔑ろにされているわけです。

たしかに、景気が回復する為にはまず企業が潤う必要がありますから、その手当として一時的に企業優遇の方策を採る政策方針は在り得るでしょう。しかし、小泉構造改革はそれを常態として固定化させる方向性の改革で、しかも「いつまでに」と期限を切った一時的な経済振興政策ではなく、それが常態となるように社会構造を改革すると謂う性格のものですから、実質的に成果が上がって国民生活の向上の実感が得られない限りその考え方は間違っているわけです。

つまり、郵政選挙の次番手の政権選択選挙の時点の現状で、景気の上昇が国民生活に一切降りてこない時点で、小泉構造改革は国民にとってはまったく意味のないものであったと謂う結論に些かの揺るぎもないんですよ。

小泉改革の理念では、それまで経済動向の実態とは無関係に高水準化されていた労働分配率を、経済動向を正しく反映した成果主義的な適正分配が行われるものにシフトすると謂う考え方だったはずですが、従来の利益分配自体の公正性が国家権力の介入によって維持されていたものですから、企業経営者や管理職の判断に一任してしまえば、経営者は労使関係における一方の利害当事者なんですから、自己の利益確保に偏るのは理の当然だと謂えます。そこを担保しないで成果主義を謳っても、弱者にとって一方的に不利なシステムになるのは当たり前でしょう。

Baruさんが挙げられたデータでも、新世紀に入ってからは企業利益や配当金、役員報酬の増加があったにもかかわらず、労働分配率は一方的に低下していますから、ここが適切に按分されなければならないはずですが、この部分については二〇〇六年以降のデータがありませんから、小泉改革がどのような「正の影響」をもたらしたかが論点になります。また、二〇〇六年のデータについては、役員報酬が一見してゼロになっていますが、これは本当なんでしょうかね。

3、4についても、本来なら高齢化社会の到来に伴って、高齢労働者の就労機会や所得水準の底上げが為されなければ意味がないはず(何をどうやっても今後数十年は相対的に国民全体における高齢者の割合が高水準で推移するはずですので、労働人口の中核を高齢者が占めることになり、高齢者の生活を福祉で賄うのでなければ、収入手段を確保するのが国政の筋です)ですが、政策の主眼はそこにはありません。高齢者福祉を切り捨てた上で、高齢者の就労機会の増加や収入の底上げについては殆ど実効的な手当が為されていません。

改革当初の国民のイメージでは、「定年後も死ぬまで働かなくちゃならないのか」と謂うものだったと思うんですが、これはまだマクロ経済が悪化しているなら我慢の範疇だと思うんです。しかし、構造改革の蓋を開けてみたら「死ぬまで働く」どころか高齢者には収入手段すらマトモに確保されていなかったのですから、「今すぐ死ね」と謂う意味でしかなかったわけです。

筋から謂えば、高齢者の収入手段が確保されないうちは高齢者福祉を切り捨てるわけにはいかないはずですが、そこの順番が逆になっています。福祉を切った上で、死にたくなかったら自助努力で何とかしろと謂う政策になっていますが、自助努力によって選択可能な選択肢の整備について、殆ど実効の伴う政策が為されていないのですから「年寄りは今すぐ死ね」と謂う政策方針だと批判されても仕方がないでしょう。

オレの一連の小泉批判を視て戴ければご理解戴けると思いますが、オレは別段小泉純一郎のせいでそれまでうまく行っていた経済が悪くなったなんて話はしていないんです。たしかに小泉政権前夜の状況は非常に困難な経済的課題を抱えていたと思いますが、小泉構造改革はその課題を救済対象を極々限定して固定化すると謂う、姑息で国民福祉を無視した易道でクリアしようとした、しかもそれを表向きは国民全体の救済を目指すと謂うふうに欺いたと謂う非合理性と不正義を批判しているわけです。

投稿: 黒猫亭 | 2009年9月 6日 (日曜日) 午後 01時47分

黒猫亭さん、どうもありがとうございました。
批判のエビデンスと論理を是非とも理解したいと思っております。今少し、おつきあいいただければありがたく思います。
ちょっと逐次的かつ長くなりますが、返答を。

>改革理念の合理性の検証に基づいておりますから

この部分についても、エビデンスとそれを演繹する論理が必要だと思います。私の読み方が浅いのか、その点が分かりませんでした。よろしければ、その辺り、特にエビデンスに関するところを教えていただけないでしょうか?

>現状の経済状況の現状に対して小泉改革の寄与度が少ないと謂う指摘自体、小泉改革に「国民生活の向上」と謂う観点における意義がなかったと謂うことになります。

寄与度が小さいという点については、異論はありません。良くも悪くも短期的にはマクロに大きな影響を与えていないかもしれないというのが私の印象ですから。ただ、小泉内閣の主テーマは、不良債権処理を代表とする「不況で生じた悪条件の解消」、郵政民営化を代表する「官から民への移行」、全般的な支出削減もしくは増加の抑制による「財政規律の回復」だと思います。「国民生活の向上」は、景気回復によって間接的に行うことをねらっていたと思いますから、その意味では(平均年収が増加していないという意味では)、おっしゃる通りかもしれませんが、主テーマについてはこなしていたのかなという印象を持っています。ただ、「国民生活の向上」って本当に言っていましたっけ? 「痛みに耐える」という言葉から考えるに、それが主テーマだったとは思えないのですが。。

>たとえば1、2の「企業内部留保の増加」「労働分配率の低下」に対して、小泉改革の労働市場自由化の方向性や企業優遇の姿勢はそれを固定化させるものであると謂うことが言えるでしょう。

すみません。この部分の論理が全く理解できません。改正派遣法で雇用の流動性を高めたことにより、統計数値の振れ幅を正負両方の方向に大きくするという効果はあり得ると思いますが、固定化させるという点は理路が分かりません。

>企業優遇の方策を採る政策方針は在り得るでしょう。

勉強不足で申し訳ないのですが、小泉内閣における企業優遇の方策って何でしょうか? 具体的に教えていただけると助かります。

>実質的に成果が上がって国民生活の向上の実感が得られない限りその考え方は間違っているわけです。

この点、現状の日本社会への認識が大きく異なっているかもしれません。高齢化によって社会福祉関連費が増大し少子化によって負担力が低下している状態と、官の累積赤字が巨大な状態とが合わさっている以上、通常のやり方では「国民生活の向上の実感」は、少なくともこの十数年は得られることはないだろうというのが私の見方です。後者の状態を緩和することで、前者に対する(増税を含む)次世代の政策の自由度を上げようとしたのが小泉政権だったと理解しています。
また、短期的には、景気回復やばらまき政策で実感が得られることがあるかもしれませんが、景気回復については、社会福祉関係費とその負担の増加によって直ぐに消されると思いますし、ばらまき政策は後世に負担を押しつけるだけですから、解決策ではないと思います。
したがって、どの政権でも継続的に「国民生活の向上の実感」が得られるような状態が具現化する可能性は非常に低いこと、また、「国民生活の向上」が小泉政権の主テーマだとは認識していないことから、それを批判の観点にするのは公平ではないし、間違いだとまでは断言できないように感じます。(公平であるべきとは思いませんので、その観点からの批判もありだと思いますが、少なくとも主テーマかどうかという点とエビデンスは明確にした方がベターだとは思います)

>小泉改革の理念では、それまで経済動向の実態とは無関係に高水準化されていた労働分配率を、経済動向を正しく反映した成果主義的な適正分配が行われるものにシフトすると謂う考え方だったはず

この点もわかりません。これを示す具体的な政策は何でしょうか? また、統計を見ても、労働分配率は景気を反映していた&今でもしているとしか思えないのですが。

>新世紀に入ってからは企業利益や配当金、役員報酬の増加があったにもかかわらず、労働分配率は一方的に低下しています

この文章には、様々な批判に対して私が納得いかない点が含まれています。まず、ほとんどの批判がそうなのですが、新世紀だけの統計ではエビデンスとは言えません。景気が悪い時期をスタートにとれば、良い方向にも悪い方向にも議論を導くような統計が作れます。少なくともバブル時期を含む時間スパンで議論すべきですし、高度成長期をも含んでいればさらに良いと思います。次に、多くの批判で見られるのですが、量と率を単純に比較するのは変です。役員報酬と比較すべきは、人件費であって、労働分配率ではありません。そのほか、この問題に関しては、いろいろ議論したいこともありますが、長くなるし、エビデンスから離れて推測の領域に移るので、省略します。

「高齢労働者の就労機会や所得水準の底上げ」「高齢者の収入手段が確保」という点についてですが、改正雇用法と高齢者雇用安定法によって一部は達成されていると思いますし、そちらの方向に社会が動き始めていると思います。それを示すものが、例えば、
http://www.stat.go.jp/data/roudou/sokuhou/nen/dt/pdf/ndtindex.pdf
の4ページにあり、非正規雇用者の増加は55歳以上で顕著であることが分かります。非正規雇用者率の変化を見ると
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/3250.html
この変化は2000年~2006年で顕著であることが分かります。また、前の資料の6ページには、55歳以上の正規雇用も、高齢者雇用安定法の実施前後(平成18年)から増えていることが示されています。効果が十分かどうか、証拠として十分かどうかは議論が分かれるでしょうが、少なくとも「高齢者の就労機会の増加や収入の底上げについては殆ど実効的な手当が為されていません」「「年寄りは今すぐ死ね」と謂う政策方針だ」とまでは言えないのでは?

一方で、高齢者の就労機会の増加は若年層の就業機会(特に正規雇用の機会)を奪っていることにもつながります。若年層だけでなく、全世代での失業者の就業機会を狭めているとも言えます。同様に、高齢者福祉の充実は、非高齢者への福祉の圧迫と勤労世代の負担増を招きます。どこかで、循環型社会ではゼロサム競争が基本となるとお書きだったと思いますが、まさしくその例だと思います。
私は、小泉内閣がしたことというのは、「財政規律の回復」を行うことで、全世代にまんべんなく負担を振りまく仕組みを作ろうとしたのだと思います。高齢者だけがターゲットだけではありません。実際、私は高齢者でも金持ちでもありませんが、税金、保険料負担は増えております。高収入層にしても、それほど全人件費に対する比率が増えてはいなかったと思います(少なくとも景気回復によるもの以上はないと思います。ここはあやふやな記憶で書いてます。すみません)。「課題を救済対象を極々限定して固定化すると謂う、姑息で国民福祉を無視した易道でクリアしようとした」というには、もっと明確なエビデンスが必要だと思っております。

投稿: Baru | 2009年9月 6日 (日曜日) 午後 05時57分

>Baruさん

>>批判のエビデンスと論理を是非とも理解したいと思っております。

これについては、前のコメントで、

>>まずお断りしておくと、オレの小泉政権批判はエビデンス主義と謂うより、改革理念の合理性の検証に基づいておりますから、信頼性のありそうな情報については、徹底してローデータを確認するまでのことはしていません。そこは批判を受けても仕方ない部分かなと思います。

…と申し上げておりますが、それは踏まえた上でのお話、と謂う理解でよろしいのですよね。押してエビデンスを出さなければ納得しない、出せ、と仰るのであれば、少し対話の継続が難しいと思うのですが。

また、最初にお断りしておきますが、オレは「小泉構造改革」と謂う言葉を、小泉政権に限定した政策と謂う意味では使っていません。小泉純一郎から麻生太郎に至るまでの政権は小泉改革路線に則ったものですから、これら全体を含めて謂っています。

>>この部分についても、エビデンスとそれを演繹する論理が必要だと思います。

何を以てエビデンスと見做すか、と謂う部分ですが、統計資料と謂う意味であればそれはありませんし、以下のBaruさんのご質問を視る限り、エビデンスではなく理路に疑問がおありのようにお見受けしましたが、違いますでしょうか。これにエビデンスと謂う言葉を使われるのは、少々不可解ではあります。

>>ただ、小泉内閣の主テーマは、不良債権処理を代表とする「不況で生じた悪条件の解消」、郵政民営化を代表する「官から民への移行」、全般的な支出削減もしくは増加の抑制による「財政規律の回復」だと思います。

>>ただ、「国民生活の向上」って本当に言っていましたっけ? 「痛みに耐える」という言葉から考えるに、それが主テーマだったとは思えないのですが。。

まあ、エビデンスと言われても専門的な知識は薄いので、とりあえずウィキで拾った論文を叩き台にして考えましょう。

http://www.mof.go.jp/jouhou/soken/kenkyu/ron162.pdf

二〇〇一年の「骨太の方針」では、

>>いかなる経済においても生産性・需要の伸びが高い成長産業・商品と、逆に生産性・需要の停滞する産業・商品とが存在する。停滞する産業・商品に代わり新しい成長産業・商品が不断に登場する経済のダイナミズムを「創造的破壊」と呼ぶ。これが経済成長の源泉である。
 創造的破壊を通して労働や資本など経済資源は成長分野へ流れていく。こうした資源の移動は基本的には市場を通して行われる。市場の障害物や成長を抑制するものを取り除く。市場が失敗する場合にはそれを補完する。そして知恵を出し努力した者が報われる社会を作る。こうしたことを通して経済資源が速やかに成長分野に流れていくようにすることが経済の「構造改革」にほかならない。
 創造的破壊としての構造改革はその過程で痛みを伴うが、それは経済の潜在的供給能力を高めるだけではなく、成長分野における潜在的需要を開花させ、新しい民間の消費や投資を生み出す。構造改革はイノベーションと需要の好循環を生み出す。構造改革なくして真の景気回復、すなわち持続的成長はない。

…と明記しています。ここでは明確に「新しい民間の消費や投資を生み出す」「景気回復」「持続的成長」を謳っています。

Baruさんの挙げられた三点は、飽くまで成長を前提とした施策であって、まず不良債権処理と謂う「後ろ向きの改革」を行って負の遺産を解消し、「官から民への移行」で民に出来ることは民に任せることで効率化を促し、それによって結果的に「財政規律の回復」が得られる。その過程において国民には痛みが伴うけれど、それは「創造的破壊」に伴う一時的なものであって、それを通過すれば「景気回復」と「持続的成長」が得られると謂う文脈の主張になっています。

戦後の経済システムが一種非効率なものであったが故に、無用なコストが生じてそれが財政を圧迫しているのだから、構造改革によってそれを効率化することで、最適な分配が行われるはずだ、これが小泉改革の理路だったはずですね。それはつまり、景気の良かった頃と同様とまでは行かないけれど、普通に国民が満足出来る社会の実現を約束していたのだと思いますよ。

>>「国民生活の向上」は、景気回復によって間接的に行うことをねらっていたと思いますから、その意味では(平均年収が増加していないという意味では)、おっしゃる通りかもしれませんが、主テーマについてはこなしていたのかなという印象を持っています。

それが主テーマだと謂うことになれば、「構造改革なくして成長なし」の「成長」はどこに行ったんだと謂う話になると思いますし、小泉改革を引き継いだ安倍政権はスローガンとして「成長を実感に」と謳っています。政府が「景気回復」「成長」を謳う場合に、それは国民視点では「生活の向上」を意味すると解するのが妥当だと思いますが、違いますでしょうか。

そして、この最初の「骨太の方針」を読む限り、ここで謂われている「創造的破壊」の期間が(Baruさんの推測によれば)十数年にも及ぶと謂うニュアンスは受け取れないと思います。もしも単に数年と謂う意味で言っていたのであれば、明らかに失敗していると言えるでしょう。Baruさんが仰るように、

>>後者の状態を緩和することで、前者に対する(増税を含む)次世代の政策の自由度を上げようとしたのが小泉政権だったと理解しています。

…と謂うことだとすれば、それは表向き一切国民に示されていなかったと謂うことになりますし、その方向性で国民を説得するような説明が為されたこともなかったと記憶しております。また、次世代の政策がその自由度を活かして最初の方針に盛り込まれた景気回復や持続的成長をもたらしているのかと謂うのは、見方にもよりますが、誰もその成果に満足していないと謂うことですね。この現状では、増税の余地なんかまったくないでしょう。

Baruさんの仰る通りだとすれば、小泉政権は「通常のやり方では『国民生活の向上の実感』は、少なくともこの十数年は得られることはないだろう」と謂うような状況において、少なくともニュアンスの上では「数年我慢すれば世の中は良くなる」とバラ色の未来図を掲げて国民を騙したことになります。

>>この点もわかりません。これを示す具体的な政策は何でしょうか? また、統計を見ても、労働分配率は景気を反映していた&今でもしているとしか思えないのですが。

これもウィキから引っ張ってきた素性の知れない記述で恐縮ですが、竹中平蔵は派遣労働者について次のように述べているそうです。

>>「90年代に労働分配率は60%から70%に上昇した。そんな急上昇は他国ではありえない。原因として、正社員の解雇が難しいことがある。司法の判断がそうさせている。企業は、存続が危ぶまれる事態になるまで解雇できない。90年代、企業は業績を悪化させたが雇用調整できなかった。そんな企業の危機を救う必要があった。」

少なくとも、竹中平蔵の思惑としては改正派遣労働法は企業の雇用調整を目的としたものなのだし、彼の認識では九〇年代に労働分配率は「他国ではありえない急上昇」をしたと謂うことになっています。この辺も、丹念にググればいろいろ類似の発言は出てくるだろうと思います。

>>改正派遣法で雇用の流動性を高めたことにより、統計数値の振れ幅を正負両方の方向に大きくするという効果はあり得ると思いますが、固定化させるという点は理路が分かりません。

「統計数値の振れ幅を正負両方の方向に大きくする」と謂う意味がよくわからないのですが、竹中平蔵が言うように改正派遣労働法が労働分配率の上昇を抑える目的のものであるなら、「労働分配率の低下」を固定化させるものであると謂うことは言えますね。

企業内部留保については、偉そうに講釈出来るほど明るくないので(笑)、まあ極単純な話になりますから、間違いがあったらご指摘を戴きたいのですが、人件費は抑えるし設備投資は活発に行わない、リストラも行うと謂うその一方で、配当金が増えているデータはあるとなると、方針に述べられているように構造改革が新たな需要を生み出し景気を回復すると謂うマクロな効果はないと視ることが出来ます。

これが、不良債権問題以後の企業の思惑からすれば、内部留保を確保することで優良企業として株主に認められると謂うことになります。まあ、単なる憶測ですが。

>>この文章には、様々な批判に対して私が納得いかない点が含まれています。まず、ほとんどの批判がそうなのですが、新世紀だけの統計ではエビデンスとは言えません。景気が悪い時期をスタートにとれば、良い方向にも悪い方向にも議論を導くような統計が作れます。

仰る通りで、経済問題に関しては、意外と統計資料と謂うのは読み筋によって解釈が異なり、それほどアテにならないものです。竹中平蔵とBaruさんの読み筋もまったく違うわけですし、経済の問題と謂うのは、どうも読み筋を巡って議論を戦わせても有意義な結論は出ないと謂う印象があります。飽くまで印象ですけどね。

>>効果が十分かどうか、証拠として十分かどうかは議論が分かれるでしょうが、少なくとも「高齢者の就労機会の増加や収入の底上げについては殆ど実効的な手当が為されていません」「「年寄りは今すぐ死ね」と謂う政策方針だ」とまでは言えないのでは?

お示しのデータは、単に団塊世代の正社員が大量に嘱託乃至非正規社員化したことを示すだけなのではないですか? ご指摘の平成一八〜二〇年と謂うのは団塊問題が顕在化する年だと記憶しております。正規雇用者・非正規雇用者がその間に共にかなり増加しているのは、そう謂う理由だと思います。

概ね増加の割合が同じですし、目立った増加率の変化はそこにしかありません。基準年が「平成一四年」なのではそれ以前の傾向との長期的比較が出来ないと謂うのも、ご自身が仰ったことですしね。

また、1ページ目の見出しにでかでかと「正規の職員・従業員は42万人減少,非正規の職員・従業員は28万人増加」とありますが、これだって人口動態調査とかいろいろと他のデータと附き合わせて分析する必要のあることで、単純に数字だけを視て何かを言うのは危険でしょう。

これを議論する準備はありませんが、どうもBaruさんの統計の読み筋だけが正しいと謂うふうには思えませんし、この種の統計を根拠にしたBaruさんの立論には少し説得力を感じない部分があります。それこそご自身が仰ったように、統計と謂うのはそれ自体だけなら幾らでも解釈を附けることが出来るのだと思います。

>>一方で、高齢者の就労機会の増加は若年層の就業機会(特に正規雇用の機会)を奪っていることにもつながります。若年層だけでなく、全世代での失業者の就業機会を狭めているとも言えます。

方針によるなら、市場が拡大するのでそう謂うことにはならないはずなんですよ。それは団塊世代をピークとした総人口の推移と併せて考える必要がありますが、総人口に占める高齢者の割合が高くなって中間世代の割合が低くなる、そう謂う流れに対して需要を喚起し景気を拡大することで対応出来る、そう謂う政策だったはずですよ。

>>どこかで、循環型社会ではゼロサム競争が基本となるとお書きだったと思いますが、まさしくその例だと思います。

これは誤解です。オレが語ったのは、「モノを作らないことによる循環型社会」ですから、環境負荷を低減する為にモノを作らないことが目的であって、ゼロ成長は結果的にもたらされるもので、ゼロ成長に対応することが目的ではありません。現に成長戦略でどんどんモノを作る方向性を謳っているわけですから、モノは作るわゼロ成長だわでは何もならないでしょう。

>>私は、小泉内閣がしたことというのは、「財政規律の回復」を行うことで、全世代にまんべんなく負担を振りまく仕組みを作ろうとしたのだと思います。高齢者だけがターゲットだけではありません。

オレも別段、小泉改革は高齢者いじめだからけしからんと言っているわけではないですよ。全世代にまんべんなく負担を振りまく仕組みを作ることで構造的問題を解消するつもりであれば、それはきちんと国民に説明する必要があったわけです。それを説明したのか、と謂う話です。

オレの記憶ではそんな説明はなかったし、Baruさんが挙げられた「成果」も読み筋次第であったりなかったりするようなものでしかないわけですし、「財政規律の回復」にしたところが、結局国家の借金は改革とは無関係に増え続けているわけです。

http://www.team-tami.com/simg/zaisei/0898saimu.gif

ご理解戴けると助かるんですが、オレは統計資料がエビデンスとして必要な主張など一切していないんですよ。冒頭で掲げた論文でも指摘されている通り、小泉構造改革と謂うのは何が目的なのかサッパリわからない循環論理みたいな政策体系で、時間を追うごとに場当たり的にワケのわからない政策が上乗せされ、結局何をしたい改革なのか誰にもわからないものになっている、それは国民を欺いたことになるんじゃないか、約束を破ったことになるんじゃないか、と謂う話をしているのです。

投稿: 黒猫亭 | 2009年9月 6日 (日曜日) 午後 11時09分

そういえば、こんなデータもある。

http://www.t-pec.co.jp/mental/2002-08-4.htm

これも、その気になれば幾らでもストーリーは考えられるけどね、やらないよ。

投稿: 黒猫亭 | 2009年9月 7日 (月曜日) 午前 01時07分

こんにちは。YJSと申します。(黒猫亭さん、こちらでははじめまして。)

買おう、読もう、と思いつつ、まだ買っても読んでもいない書籍ですが、『不透明な時代を見抜く「統計思考力」』というのがあります。「極東ブログ」でも紹介されてます。URLは以下の通りです。

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2009/09/post-422a.html

で、書籍の方は読んでないのですが、ジニ係数による分析は(あれは確か…)経済セミナーの何かの特集?だったかな、書籍と同様の結論「小泉政権以前から格差拡大が始まっている。」を目にしたような(朧な)記憶があります。

極東ブログでのエントリを読む限り、統計入門としても読めるようなので、もしご興味があれば読んでみてはいかがでしょうか。(私はちょっと…既に統計学の教科書をしこたま買ってしまってるので、金欠病から回復してからの購入予定、と。)

投稿: YJS | 2009年9月 8日 (火曜日) 午後 05時08分

>YJFさん

こちらでははじめまして。f氏に関しては、「例の一件」以来ちょっと興味を喪っていた嫌いがありますが(笑)、さすがこう謂う分野だと説得力がありますね。Baruさんのご意見もこの辺りの知見と同じところから発しているのかな?

ただ、やっぱりアルファブロガー氏の以下のような発言は卓見でしょうね。

>> そのあたりの、いわば、明白に統計からは議論できないところで本書の限界が見える。それが誤りというのではなく、議論と統計処理の限界がきちんと見えるというべきだろう。

>> 率直にいえば、統計の扱いは素人にはむずかしく、「統計思考力」を本書によって付けることも難しいだろうと思う。それでも、統計データからものを考えるときの勘所や、専門家が統計値を使った議論のどこで躓くのかという疑わしい領域は理解できるようになる。

結局このエントリで指摘されているのは、小泉構造改革によって格差が拡大したと謂う強い実感の正体は、統計的な分析では割り出すことが出来ないと謂うことではないかと思うんですよ。そこで実感の部分を切り捨てて、「それは体感治安論みたいな主観的な印象に過ぎない」と断定してしまうと、結局統計を用いた議論がプレゼンにしかならないと謂うことなんではないですかね。

ほんの二、三のエントリしか読んでいないので、彼が小泉構造改革についてどのような考え方なのかは存じませんが、こちらにTBをくださったせとともこさんのご発言やそこで技術開発者さんが仰っているご意見同様、構造改革の是非を考えるには、グロスで全体的な数値を視るより、質的な部分を細かく視ていく必要があると考えているのではないかと思います。

で、オレが今回の議論に興味がなかったのは、たとえば「格差拡大は小泉構造改革とは関係ない」と謂うような事柄を統計資料から指摘することと、政策の是非の問題は剰り関係がないと考えるからですね。国民の政策に対する満足度は錯覚なんだと謂うような前提の議論は、今現在生き死にの狭間にあるような人々にとって何の意味もない議論だと思いますよ。

たとえば、Baruさんは、

>>少なくとも「高齢者の就労機会の増加や収入の底上げについては殆ど実効的な手当が為されていません」「「年寄りは今すぐ死ね」と謂う政策方針だ」とまでは言えないのでは?

…と仰っていますが、それを現在四八歳独身で、不安定収入の非正規雇用者で、事実生活に困窮しているオレに仰るんですか、と不思議に思いますね。こんな暢気な人間ですが、来月生きているかどうかはそれこそ先行き不透明な状況で、それは別段大袈裟に申し上げているわけでも何でもありません。無収入の月が何カ月か続けば、前回挙げた統計データの仲間入りでしょう。その可能性は五分五分以上の窮めてリアルなものです。

いや、別段それはオレの個人的事情にすぎませんが、そんな立場の人間が世の中にゴロゴロいる、それに対して、現状の政策が手一杯なんだからそれで満足すべきだと謂うのは、結局それらの人々に「納得して死ね」と仰っているのと同じことです。

「十数年」と一口に仰いますが、十数年経ったらオレは七〇近くなっているわけで、それまで生きているかどうかすらわからないわけです。それで仕方がないから、その前提で仕組みを作るなんて改革をやられても迷惑なんですよ。そう謂う状況をどうにかしてくれると思ったから多くの国民が投票したわけでしょう。

小泉政権が何故あれほど圧倒的な支持率を獲得したのか、郵政選挙が(選挙制度の問題はさておき)何故小泉陣営の圧倒的勝利に終わったのかを考える場合、国民が現状のような世の中の実現を期待したからだと考えるのは意味がないでしょう。

現に、これまでの政治への不満票が民主党に流れて今回の政権交代劇が起こったわけですから、誰もこんな世の中にしてほしくて小泉構造改革を支持したわけではありませんよね。では、国民の満足度の窮めて低い「こんな世の中」とはどんな世の中なのか、そこからスタートする議論なら有益でしょうが、そこを無視して統計だけ視て政策を云々しても意味はないでしょう。

物凄く単純化して言うなら、たとえば統計上格差の拡大が小泉構造改革と関係なく進行したのであれば、小泉構造改革には統計数値上極端に上昇していないはずの格差の拡大を強烈な不公平と感じさせる質的特徴があると謂うことで、それを以て小泉構造改革は成功だったと謂うような話には決してならないはずなんですね。

ご紹介の書籍の著者が、f氏曰わく「その結論でいいのかためらった」のは、統計資料ではその質的な問題性に踏み込むことが出来ないからで、それを以てf氏が「議論と統計処理の限界」と仰っているのであれば、大筋納得出来ます。

さらにざっくり言うと(笑)、現在国民の全就労人口中非正規雇用者の占める割合は三分の一を超えるそうで、その全部とは言わないまでも結構な割合の人々が不安定収入の故に結婚や子育てが困難だと考えているわけで、これは国民の生活満足度や将来世代の人口動態に関わる問題ですから、国家の基が危機的状況にあると謂うことです。

これも形を変えた「問題の先送り」で、しかも財政問題よりもよっぽどタチの悪い本質的な問題でしょう。「負担の先送り」どころか、社会を担う次世代の国民が減少すると謂うことなんですから、現在の世代が将来に向けて行っておくべき最低限の国力の確保に失敗していると謂うことです。

財政を健全化する為に国民全体に負担を均等に割り付けると謂うのは、まあお話にならない考え方で、富裕層なら多少負担が増えても生活自体が困難になると謂うことはないでしょうが、従来低所得で生活していた階層は生存自体が困難になり、また中間層も低所得層に転落しやすい仕組みになっていて、そこから自助努力で脱出する自由度が保証されていない(企業の雇用調整の自由度が確保されているんですから、本質的に自助努力が必ず報われるとは限らない仕組みです)、そんな仕組みで子供がつくれるはずがありませんね。で、人口が減少すれば幾ら財政を健全化しておいても結局将来世代の負担は増える。意味ありませんね。

これを肯定する論理としては「どうせ辛い想いをするだけなら生まれて来ないほうが幸せだろう」と謂うものしか思い附きません。運悪く「生まれちゃった」子供たちに対しては、もっと大変なツケが廻っていくでしょう。それを共に克服していくべき仲間を増やせなかったわれわれは、どんな顔をしてその子供たちに対して「人生は良いものだ」と言えるんでしょうか。

少子化担当相が口先だけで産め産め言ったところで、こう謂う現状で子供が増えるわけがない理屈になり、結局少子化と謂うのは国民生活をどのように維持するかと謂う総合的な問題だと謂うことですね。出産や育児と謂う限定的な問題だけ手当しても、こんな世の中で子供を産むのは怖い、子供にとっても可哀相だと謂うことになれば、誰も子供を生み育てようなんて思いませんね。

結局、小泉構造改革をどう視るかと謂うのは、改革後の世の中の在り方に対して問題性を感じるか否かの問題になるのかもしれません。この世の中では生きにくいと感じる国民が大勢を占めるのであれば、国政の在り方として重大な問題があったと考えるのが妥当でしょう。

投稿: 黒猫亭 | 2009年9月 8日 (火曜日) 午後 09時32分

あ、そう謂えば、Baruさんへのお返事で触れた竹中平蔵の談話を掲載したウィキの項目へのリンクを挙げるのを失念していました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E8%A6%8F%E7%A4%BE%E5%93%A1%E3%81%AE%E8%A7%A3%E9%9B%87%E8%A6%8F%E5%88%B6%E7%B7%A9%E5%92%8C%E8%AB%96

これも何だか捕らぬ狸の何とやらになりそうで、どうも末恐ろしいものがあります。正社員は解雇するわ、非正規雇用者は増やすわ、みたいな詐欺紛いの成り行きにならないと謂う保証がない限り、ちょっと怖すぎですね。まあ、すでにオレ個人には生涯関係のない話になっていますが。

投稿: 黒猫亭 | 2009年9月 8日 (火曜日) 午後 09時54分

こんばんは。

まあ「小泉内閣」というのは象徴なのでしょうね。首相が自分の言葉から、ここまで論理と根拠をなくすことができることを示してしまった、と。

経済的には(記憶に頼った印象ですみませんが)まずバブル崩壊があり、そしてある程度回復が見えてきたころに消費税増税があり(橋本内閣-もっとも決定は村山内閣時代だったかな?)、法人税と消費税がバーターとなって格差を拡大してきたという印象があります。株取引への減税などもそうかな。

なので、小泉内閣の問題点というのは経済の問題というよりも、もっと政治や民主主義というものの「あり方」に関することなんだと思います。経済的な問題については、細川「非自民」内閣や自社さ政権も含めた長期的なスパン(と国民負担増などの事象)で考えるべきことであって、小泉内閣を境にして統計で顕著に見えるほどなにかが劇的に変わったというわけではないのではないか、と予想しています。派遣の問題も、80年代からずっと導入をうかがってきたもので、小泉だけの責任ではありませんし。いや責任は大きいんですけど。

ちなみに上のwikipediaで登場している大竹文雄氏ですが、以前「消費税は逆進課税ではない」という結論を導くために、えらいアクロバティックな議論をしていましたね。御用学者とはこういうものか、と思ったものです。

投稿: FSM | 2009年9月 9日 (水曜日) 午前 12時51分

>FSMさん

>>経済的には(記憶に頼った印象ですみませんが)まずバブル崩壊があり、そしてある程度回復が見えてきたころに消費税増税があり(橋本内閣−もっとも決定は村山内閣時代だったかな?)、法人税と消費税がバーターとなって格差を拡大してきたという印象があります。株取引への減税などもそうかな。

技術開発者さんが仰っているように、この国は二〇年掛けてじわじわと新自由主義に浸食されていて、その「じわじわ」の影響でいろいろな問題が噴出しかけた時期に颯爽と登場した白馬の騎士が「この俺が何とかする」と宣言して、それで結局何をしたのかと謂えば、やりたい放題に新自由主義改革を実行した、そんなところでしょう。

まあ、随分莫迦にされたものです。

そもそも派遣労働法だって、九十年代から「じわじわ」と適用範囲の拡大が進行していて、小泉政権で製造業にまで拡大され堰が切られたと謂うだけではあります。一応オレのほうでも、小泉政権でいきなり格差が拡大したなんて論旨で小泉構造改革を批判した記憶はないので、Baruさんが何故この議論をウチに持ってこられたのかよくわからないのですが、まあ構造改革の批判者なら誰でも良かったのかもしれません。

オレも経済の分野に明るいと謂うわけでもないし、それほど確固たる定見があるわけでもないので、そのようなニュアンスにとれる発言があったのかもしれませんが、基本的にオレが考えている小泉構造改革による格差問題と謂うのは、「落ちやすく上がりにくい世の中」になったことだと考えています。

本来これは、「落ちやすく上がりやすい世の中」でないと「骨太の方針」の約束通りではありませんよね。実際オレも中間所得層からの転落組ですが、「落ちやすさ」と「上がりにくさ」を日々痛感しています。そして、一旦落ちてしまえば下に網は張っていないので、直ちに生存に直結するようなリスクが出てきます。

こう謂う質的な問題は、かなり意識的にそれを洗い出す意図で調査手法をデザインしないと、統計データには顕れないのが問題なのでしょうね。「上手く行っている」と謂う印象を演出するつもりなら、幾らでも雑なデザインの統計データを用意出来る、その辺が問題なんではないかと思います。

>>なので、小泉内閣の問題点というのは経済の問題というよりも、もっと政治や民主主義というものの「あり方」に関することなんだと思います。

仰る通りです。何度も申し上げていることですが、オレは国民に嘘を吐いてまで何かを成し遂げようとする政治の意義を一切認めません。

小泉構造改革に対する感情的な不快感の拠り所も、「頑張った者が報われる」と謂う侮辱的な循環論理の嘘に対する憤りです。これは政治の不備で救済されない者が出ても、それを「頑張っていない」と強弁出来る論理です。本文で触れたように、政治の無力で救済の網の目から零れること自体はまだ許容範囲ですが、その無力を正当化する為にこの種の嘘を吐くことは、社会的弱者に対する謂われなき侮辱でしょう。

小泉純一郎は、自身の英雄的なイメージを演出する為に数々の「敵」を作り上げて利用してきましたが、その過程で多くの場当たり的な強弁と侮辱を繰り返しています。たしか郵政選挙の際の政見放送だったかと思いますが、そこで全国の郵便局員を悪玉に仕立て上げて、これらの不正義の輩を打倒しなければ、日本経済の繁栄はないと熱狂的にぶち上げたと記憶しています。オレはこの放送を視て、改めてこの人物は政治家として失格だと確信しました。

朧気な記憶頼りの話なので、どなたかがその記録の在処を教えてくださると助かるのですが、たしかオレの記憶では、全国の夥しい数に上る郵便局関係者を全員同列に断罪していたと謂う記憶があります。一国の宰相が、数十万だか数百万だかに上る自国民を一律に不正義の徒と断罪したんですよ、それも真顔で。あんな恐ろしい見世物を視せられたのは、あれが最初で最後です。

あの政見放送が流れている間、大半の真面目な郵便局員はどれだけ肩身の狭い想いをしたのでしょうか。真面目に働いた報酬だと考えていた収入が、不正に略取された無駄な血税だと断罪されて、それまでの職業生活の意義まで全否定されたわけです。

>>ちなみに上のwikipediaで登場している大竹文雄氏ですが、以前「消費税は逆進課税ではない」という結論を導くために、えらいアクロバティックな議論をしていましたね。

ああ、やっぱり詐欺ですか。では、自公政権は本気で全就労者を非正規雇用化するつもりでいたんですね、何とも恐ろしい話です。経団連はまだホワイトカラー・エグゼンプションの導入を諦めていないでしょうし、われわれは何と恐ろしい世の中に生きているんでしょうね(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2009年9月 9日 (水曜日) 午前 02時15分

返答をありがとうございました。
今週と来週は忙しいので、いただいたコメントへのちゃんとした返答は後でします。ちょっと時間が掛かるかもしれませんが。

とりあえず、何点か補足を。

まず、雇用者数のデータですが、年齢の区切りは55歳です。したがって、2002年頃から統計に表れてくるはずです。また、高齢者雇用安定法の改正は2004年、雇用延長義務化開始はその2、3年後だったと思いますが、しっかりした企業は雇用延長義務化の前の2000年から対応を開始していました。

>お示しのデータは、単に団塊世代の正社員が大量に嘱託乃至非正規社員化したことを示すだけなのではないですか?

それは、派遣法と高齢者雇用安定法の改正の結果とも解釈しうるのではないのですか? そう解釈もできるという意味で私はデータを提示したんですが、わざわざこのことをおっしゃるというのは、このデータについて高齢者雇用安定法の改正の影響はほとんどないという、ご主張でしょうか?

それから、雇用数のデータは確かに平成14年からですが、それを補完する間接証拠として非正規率のデータを示しております。そちらは、1990年からあります。

とはいえ、ご指摘のようにこれだけでは明確には分からないのは確かで、そのことは承知しております。前のコメントの質問を読みなおせば分かると思います。

で、明確なことは言えないが雇用数が増えている、しかも一応、高齢者雇用安定法の改正で対応策も出しているわけです。付け加えれば、最近では中小企業に助成金も出しています。先の私のご質問にお答えいただいていないので、形を変えてもう一度お伺いしますが、このような状況にもかかわらず、「高齢者の就労機会の増加や収入の底上げについては殆ど実効的な手当が為されていません」と断言できるエビデンスって一体何でしょうか?

>また、1ページ目の見出しにでかでかと「正規の職員・従業員は42万人減少,非正規の職員・従業員は28万人増加」とあります

55歳未満の労働力人口は40万人弱の減少だったと思います。次の項のような誤解を避けるために申し上げますが、これが正規雇用数の減少を説明していると主張したいわけではなく、偶然覚えていたので、補足情報として提示しただけです。

>どうもBaruさんの統計の読み筋だけが正しいと謂うふうには思えませんし、この種の統計を根拠にしたBaruさんの立論

私もそうは主張しておりませんし、そもそも立論はしておりません。誤解ですね。立論(批判)をしていらっしゃるのは黒猫亭さんの方で、私はその立論やそこに含まれる断言部分の根拠に疑問を感じて、その根拠に反するかもしれないデータを疑問を説明するための参考資料として提示しただけです。

投稿: Baru | 2009年9月 9日 (水曜日) 午前 03時50分

すみません。ちょっと一言だけ。

>それに対して、現状の政策が手一杯なんだからそれで満足すべきだと謂うのは、結局それらの人々に「納得して死ね」と仰っているのと同じことです。

私に対する解釈ではなく、私の話題をきっかけとする話の流れから出てきた言葉かもしれませんが、これでは、まるで私がそうであるかのようにとれますので、一言。

満足すべきだなんて言っていませんし、何とかできればと思っています。ただ、病気の診断は可能な限り正確にすべきだ、でないと治療を間違うという問題意識を持っております。小泉政権の政策が原因ならば良いのですが、もし、そうでないならば現状の小泉否定の風潮が、別の間違った道に、あるいは同じだけれどもっと悪い道に導くかもしれないという問題意識です。その意味で、批判の根拠を知りたいと思っているのです。小泉批判が正しいと納得できれば、批判の強い現状ではむしろ安心できますしね。

それと、黒猫亭さんの状況というのは全く存じ上げませんでした。もし、不愉快に感じられたのならば、これで対話を打ち切らせていただきますので、その旨おっしゃってください。

投稿: Baru | 2009年9月 9日 (水曜日) 午前 04時19分

>Baruさん

>>それは、派遣法と高齢者雇用安定法の改正の結果とも解釈しうるのではないのですか? そう解釈もできるという意味で私はデータを提示したんですが、わざわざこのことをおっしゃるというのは、このデータについて高齢者雇用安定法の改正の影響はほとんどないという、ご主張でしょうか?

それは「解釈」を変えるとですね、高齢者雇用安定法と謂うのは、団塊問題の受け皿と謂う差し迫った短期的問題を解決する為のその場凌ぎの手当である「と謂う言い方もできる」わけです。ご存じの通り団塊前後では個人の経済状況に格差があります。老後の資金を準備出来た団塊世代に対する手当と、それ以降の世代に対する手当が同じであったら意味がないですよね。

要するにですね、解釈次第であったりなかったりするような効果を「実効ある手当」と呼べるかどうかと謂う話ですし、そのことは申し上げたはずですよ。で、「政治と謂うのは結果責任だ」と謂うのは小泉純一郎自身も口にしていますから、手を打っただけでは意味がないんですよ。

どうも、オレの話が長いのが悪いんだと思いますが、話が通じにくくて困りますね。

>>先の私のご質問にお答えいただいていないので、形を変えてもう一度お伺いしますが、このような状況にもかかわらず、「高齢者の就労機会の増加や収入の底上げについては殆ど実効的な手当が為されていません」と断言できるエビデンスって一体何でしょうか?

「お答えいただいていないので」と謂う感覚が不思議なんですが、コメントで申し上げている通り、オレ自身があと数年で高齢者の仲間入りで、非正規雇用者で、不安定収入で、来月生きているかどうかわからなくて、で、それはオレだけの事情ではなく今現在そう謂う人がたくさんいるんですよ。

いい加減ご理解戴けると有り難いんですが、今現在そう謂う状況にある人間がたくさんいて、そう謂う人間が今現在直接的に体験しつつある現実を前にして「エビデンスを出せ」とか言ってみたところで、誰も相手にしなくて当たり前です。Baruさんはそうではないからエビデンスがなければ信用出来ないの「かもしれない」ですが、当事者的な問題としてエビデンスの必要ない人がたくさん存在する、それ自体が問題の存在を物語っているわけです。

Baruさんが「これだけの手を打っているんだから生きていけるはずだ」と「推測している」だけのことの実態を、当事者的立場において「識っている」からそう謂うふうに申し上げているんですよ。まさか「それでも生きていけているでしょう」と謂うふうには仰らないですよね。それなら、来月オレが死んだらBaruさんは「エビデンス」が得られて納得するのかと謂う話になりますから。

で、オレが何を言っているのかと謂うと、そう謂う場合に小泉構造改革の理路に基づくなら、「頑張った者が報われる」社会を実現すると言っていて、それは着々と進んでいると言い張っているのだから、報われないのは頑張っていないからだ、と謂う言い方が出来てしまうんです。そうであるかないかに何の客観的基準もないのだから、水掛論にしかならない、それではまずいでしょう、そのようなロジックに基づく政策はまずいでしょう、そう謂う話をしているんですが、これがBaruさんが持ち込まれた議論と何か関係があるんでしょうか。

>>私もそうは主張しておりませんし、そもそも立論はしておりません。誤解ですね。立論(批判)をしていらっしゃるのは黒猫亭さんの方で、私はその立論やそこに含まれる断言部分の根拠に疑問を感じて、その根拠に反するかもしれないデータを疑問を説明するための参考資料として提示しただけです。

違います。この際ハッキリさせておきますが、Baruさんはそもそもオレの立論とは噛み合っていないBaruさんご自身のご意見を持ってこられて、「自分の意見を否定するならエビデンスを出せ」と仰っているのです。

そして、現に「小泉構造改革はこう謂う狙いで行われたもので、それにはこれこれの意義があるんではないか」と謂う、オレの立論とは関係のないBaruさんご自身のご意見を提示しておられるでしょう。それには「かもしれない」レベルの根拠では説得力を感じないし、データの読み方も少し信頼し難いと謂う話をしているわけです。

そのような独自見解を提示された以上、こちらはBaruさんがそのような青図に基づいてこちらの意見を批判しているのだろうと解釈する以外ないですから、その「立論」を検証する立場に立たざるを得なくなるのです。何故なら、Baruさんのほうではオレ個人の「立論」をまったく踏まえておられないからです。

繰り返しになりますが、オレはBaruさんが何故オレのところにそんな話を持ってこられたのか理解に苦しみますし、そもそもこの議論は噛み合ったものではありません。もう少しハッキリ申し上げますと、オレはBaruさんがオレ個人の意見を理解された上でそれを直截批判しているのだとは考えていません。なので、立論をしているのはオレのほうでBaruさんはそれを検証しているだけだと仰られても、それは話が逆でしょうとしか思えませんよ。

単にざっくり「構造改革批判論」と謂う括りで認識して、それにBaruさん個人の「構造改革肯定論」をぶつけておられるだけですから、一般化された「構造改革批判論」に対するBaruさん個人の立論としての反論を検証しろと仰っていることになるし、オレが何を言っていて何を言っていないのかをまったく踏まえておられない。「巷によくある構造改革批判論」に対してお考えになったことを、オレ個人のところに持ってこられても困りますよ。

>>ただ、病気の診断は可能な限り正確にすべきだ、でないと治療を間違うという問題意識を持っております。

遠回しに申し上げてきましたが、たとえばYJF さんからご紹介戴いたエントリなども参考になると思いますよ。あのfinalvent さんですら、

>> 率直にいえば、統計の扱いは素人にはむずかしく、「統計思考力」を本書によって付けることも難しいだろうと思う。それでも、統計データからものを考えるときの勘所や、専門家が統計値を使った議論のどこで躓くのかという疑わしい領域は理解できるようになる。

…と謂うふうに仰っていますから、要するにBaruさんが仰っているようなレベルの検証を素人が行うと必ず不正確になると謂うことです。で、そう謂う意味ならオレも賛成だと謂う話をしています。

ここで掲げられている書籍の著者である専門家ですら、統計分析で得られた結果が実態を正しくディスクライブ出来ていると謂う心証が持てないのだし、finalvent さんはそれを「議論と統計処理の限界」と表現しています。

たとえば、現状の非正規雇用者に対する手当が十分かどうかを検証する場合、オレはせとともこさんのブログにこんな書き込みをしています。

>>仰る通りで、たとえば非正規雇用者が増加して全体的な就労者人口が増加した、と謂う状況を想定すると、
>>
>>http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090116/crm0901160912008-n1.htm
>>
>>こう謂う境遇の人が増えても、統計上の数字では雇用が増加したと謂う言い方も出来ると謂うことです。

実態を視ていくには、もっと調査の網の目を細かくして、たとえば平均的な日本人が最低限の生活を営んでいく場合、独身者や妻帯者、扶養家族の有無等の別にどの程度の収入が必要なのか基準を明らかにし、それが十分安定的に得られているのか、このような多様なパラメータに基づく統計を適切な形でとる必要があります。そして、それに対して一回性の強い個別事情を勘案して解釈することで、初めて実態を反映したデータ解釈と言うことが出来ます。

そのような実態を反映したデータが存在しない限り、単に正規雇用者が減少して非正規雇用者が増加することで全体の雇用が増加したことを示すデータが存在しても、悲惨な境遇の人が増えただけなのか有効な雇用が創出されたのかわからないわけで、こう謂う場合に最も合理的な態度とはそのデータを根拠とした判断を下さないと謂うことです。

そのレベルのデータについて、「こうも解釈出来てしまうことに反論し得るエビデンスはあるのか」と謂う話を持ってこられても迷惑な話で、本来ならもっと確実なことが推定可能な補足データが揃うまで、どうとでも解釈の余地のあるデータからは、確実に読み取れること以外は何も読み取らないのが筋でしょう。だからオレはBaruさんのデータの扱い方を信用し難いと判断しているわけです。

Baruさんが仰るような事柄は、現時点では「それを確認する為にはどんなデータが必要なのか」を議論するのがやっとの状況で、小泉構造改革の実効の有無を統計に基づいて検証することなどまず無理でしょう。

勿論、仮説を立てるのはご自由ですが、他人の意見に仮説で反論して、その仮説に対する再反論にエビデンスを求めるのは筋が違いませんか? 理屈から言えば、それは推測でしかない仮説の無限ループになりますよ。で、オレはそのような議論に関心はないと何度も申し上げているわけです。

また、「結果として顕れてくるもの」と「筋論的に間違っていること」の問題を混同して一括りに構造改革是か非かで個人の意見を解釈されると、今回のような噛み合っていない議論になります。これは、申し訳ないですがご勘弁願いたいところです。

何度も申し上げるのは恐縮ですが、Baruさんがもしも真正な問題意識をお持ちで現状を可能な限り正確に分析したいからこのような議論を始められたと謂うのであれば、それは同じような観点で統計を根拠とした批判を展開しておられる論者のところに持ち込まれるのが筋ですが、まったくそんな話をしていないオレのところに、オレ個人の批判の主眼が何処にあるのかとは無関係に「巷によくある構造改革批判論」と謂う藁人形を持ち込まれたのが何故なのか理解に苦しむわけです。

>>もし、不愉快に感じられたのならば、これで対話を打ち切らせていただきますので、その旨おっしゃってください。

正直に申し上げて不愉快であることは事実ですし、対話を打ち切ったほうが好いだろうとは思いますが、その理由はBaruさんがお考えのこととは少し違います。

オレが不愉快なのは、Baruさんが、オレ個人が何を言っているのかに興味があるからではなく、オレが小泉構造改革を批判するサイドに属すると謂う理由で今回の議論を始められたようにお見受けするからです。これは、曲がりなりにも一人の個人としてブログで意見を表明している者としては、あまり嬉しい扱いではありません。

オレ個人の発話の論旨に沿ったご批判なら喜んで応じさせて戴きますが、構造改革批判論のサンプルの一つのように扱われるのは愉快ではありません。単に、それなりに労力を割いて長いテキストを書き込んで戴けるのは有り難いことですから、或る程度応じさせて戴きましたが、Baruさんがこの遣り取りを本気でオレの立論に対する批判的検証だと考えておられるのであれば、それは違うだろうと言わざるを得ません。

また、もしかしたらBaruさんは「たまたま」そんな事情の人間に当たったとお考えかもしれませんが、「そんな事情」を抱えた人間は夥しい数に上るので、「たまたま」当たる確率はかなり高いと言わざるを得ません。また何処かへお話を持って行かれる際はご注意されたほうがよろしいかと存じます。

とまれ、これにて対話を打ち切って戴いて結構です。

投稿: 黒猫亭 | 2009年9月 9日 (水曜日) 午前 10時29分

こんにちは。黒猫亭さん、みなさん。YJSです。

私が紹介した書籍に言及している極東ブログのエントリには次のような記載があります。
=====
> 結果はどうか。1996年から1999年の間に
> ジニ係数の大幅上昇があることがわかる。
> つまり、この間に格差は広がったのだ。
> 小泉政権の期間はというと、2001年から
> 2006年である。
=====

それからもうひとつ、公明党さんの石井啓一衆議院議員に登場してもらいましょう。御自身のウェブサイトに次のような記載があります。
=====
> 所得の年齢階層別のジニ係数の動きを見ると、
> 99年から04年にかけて25歳未満でジニ係数の
> 上昇が目立ちます。
> また、年齢別の労働所得で見たジニ係数でも、
> 20代、30代で格差拡大の度合いが大きくなっ
> ています。この点については高齢化では説明
> できず、90年代後半以降の“就職氷河期”と
> 呼ばれた雇用情勢の悪化が反映している可能
> 性が指摘されています。
=====
※ URLは http://www.alles.or.jp/~ishii229/060807keizaikyousitu20.htm です。
※ 使われているデータは2006年の経済財政白書です。

普通に解釈するなら、1)小泉政権下では格差拡大に対して有効な施策はなかった、2)各世代でみても小泉政権下で更に格差拡大が進んだ、3)特に若年者世代の格差拡大は小泉政権下で顕著だった、となると思います。

要するに、小泉政権下で、4)何が行われて、5)何が行われなかったか、ということですね。
少なくとも5)において、「格差拡大に有効な手は打たれなかった」とは言えると思うんです。
良かれと思ってかどうかは判りません。郵政民営化の影響かどうか判りません。でも、有権者としてはどの要素が原因で「格差が縮小せず、若年性大では格差がさらに拡大した」か判る必要もないことでしょう。
結果として経済状態が改善されなかったと感じ、そう感じる人が多ければ、ダメ政権だったという結論は当然だと思います。

まぁ、もちろん、圧倒的な支持があったわけですから、有権者がダメな選択をしたともいえるわけで、それが民主主義ってものだとも言えるんでしょうが。

あとは、ダメ政権だったという結論から、郵政民営化がまずかったのか、構造改革がまずかったのか、何とか言うチョメチョメが悪かったのか、…という話になるのでしょう。
私は、このあたりは黒猫亭さんと大きく距離があるところかもしれませんが、経済学とか統計学とかは「かなり有効」だと思ってるんですね。
と、言うか。他に有効な手が無い、というか。

政策の実施というものは、広い範囲に影響を及ぼすものですから、やはり各個人の実感できる範囲を超えた影響があるというのが前提にあるべきだと思います。
あるグループに対する分配を厚くすることは、少なくとも他のグループへの分配を薄くすることになります。その影響を分析できるのは、現状は統計学と経済学くらいしかないと思うのです。
その意味で、統計学や経済学は、他に頼るべきものが無いという消極的な立場であれ、基本的にその使用を有権者は支持すべきだろうと思ってます。
この点では…私はほぼBaruさんと同じ意見だと思います。問題の特定と解決に、統計学と経済学を使うべきだろう、と。

ただ…やっぱり黒猫亭さんや他の皆さんにとっては、経済学とかって胡散臭く(あるいは信用できない・役に立たないと)感じるかもしれません。
私は、自分が経済学や統計学を勉強している最中ということも有り、自分にそれらを「基本的に肯定する(そうでないと勉強なんてできないので)バイアスがある」と感じてます。
私のコメントにおいては、そのバイアスがあることをあらかじめご注意いただきたく。

投稿: YJS | 2009年9月 9日 (水曜日) 午後 02時47分

>YJS さん

>>ただ…やっぱり黒猫亭さんや他の皆さんにとっては、経済学とかって胡散臭く(あるいは信用できない・役に立たないと)感じるかもしれません。

いや、誤解のないように申し添えますが、オレは経済学や統計学が信用出来ないとか役に立たないと申し上げているわけではありません。「議論と統計処理の限界」と謂うf氏の言葉がオレの解釈しているような意味なら、それには賛成だと謂う話です。

その意味で、この遣り取りのような統計解釈はデータの取り扱い方として適切ではないと謂うことなんですね。たとえば高齢者雇用安定法の実効について、オレとBaruさんがここで言い合いをして、言い負かされたほうが間違っている、みたいな議論が到底実態のディスクライブとして妥当なわけがないでしょう。

ディベートの勝ち負けで「あった・なかった」レベルの事実の意味が変わる、なんてのは、それはもう科学的な定性評価でも何でもないわけで、この遣り取りで使われている「解釈」と経済学や統計学で謂う「解釈」と謂うのは全然違うものなんですよ。

社会学を標榜する論者と謂うと「某有名論客」の名前が脳裡に浮かびますが(笑)、たとえばhietaro さんのところの名言集でも、

>>☆あるインド系の経済学者は「いいかおまえたち、善行を積んだ経済学者は、物理学者に生まれ変われるけれど、行いの悪い経済学者は生まれ変わったら社会学者になっちゃうんだぞ」と言って、生徒たちに善行を奨励しているそうです。いい話ですね。
>>誤解をなさらないように言っておくと、これはなにも、社会学者がろくでもない悪徳の固まりだということを言いたいわけではないそうで、「社会学は経済学にくらべて、とてつもなくつらくてむずかしいぞ」ということを言っているのです。
>>
>>★山形浩生。「黒木のなんでも掲示板」より。

…こんな話がありますが(笑)、人間の思惑みたいな複雑怪奇な要素が絡む事象について何某かの客観的妥当性を担保された結論を出すのは非常に困難なことであって、それは「そうとも解釈出来る」とか「かもしれない」レベルの話ではなく、「相当の蓋然性を持ってそう言い得る」みたいなレベルの話でしょう。

これは「困難だ」と謂うことであって「不可能だ」と謂うことではないし、況や「無意味だ」と謂うことではありません。YJS さんが仰る通り、何らかの政策の実効を客観的に定量化して検証するツールとして、経済学や統計学以外のツールが存在しないことには何の異論もありませんが、オレが申し上げているのは「相当の蓋然性を持ってそう言い得る」と謂う結論を下す手続が今この場の言い合いレベルのことなのか、と謂う話なんですよ。

そう謂う意味で、このレベルのデータの扱い方であれば、ここでそれを議論しても何の意味もないと考える、と謂うことなんですね。その観点でちょっと今回の遣り取りを概観されれば、オレの申し上げている意味がハッキリすると思いますよ。

今回の議論において、統計資料をエビデンスとして交わされた遣り取りは、十分に科学的なものだったと言い得るか、そう謂う問題だと言い換えても構いません。それが担保されない限り、統計資料をエビデンスと見做すのは、下手に証拠があるように見える分だけ詐術的なプレゼンテーションだ、それがオレの考え方です。

投稿: 黒猫亭 | 2009年9月 9日 (水曜日) 午後 03時19分

こんにちは、黒猫亭さん。YJSです。

黒猫亭さん:
> いや、誤解のないように申し添えますが、
> オレは経済学や統計学が信用出来ないとか
> 役に立たないと申し上げているわけではあ
> りません。

あぁ、すみません。もしかしたら…という気持ちで確認したかったのです。読み直すとそのニュアンスが表現されてませんでした。
たいへん失礼しました。

実は…「経済学や統計学を胡散臭く感じる、信用できない、役に立たないと感じる」というのは、少し前の私なのです。
私自身がそうだったということもあって、もしかしたら…と思ったのでした。
結局、理論とかデータとか示されても、良いとも悪いとも、議論が評価に足るレベルに達しているか否かも判らない、という状態だったわけで、それをなんとかしたいなぁと思って経済学や統計学を勉強することにしたのでした。

あと、たぶん私が経済学を勉強中だからだろうと思うのですが、私は基本的に経済政策を切り出して独立に評価したがるようなんですね。
既存の経済理論からして、その経済政策は妥当なのか、より望ましい経済政策はどうなのか。
そしてそれをインプリメントする手段として議会や内閣や行政を見ています。

ですから、小泉政権下の経済政策で有ろうとそれ以前の政権における経済政策だろうと、失業率が高かったり経済成長率(名目・実質)が低かったりしたら、もうそれでダメ政権と考えるようにしています。

まぁ、ここ20年ちかく、ダメ政権ばかりですよねぇ。失われた「十ン年」が「ン十年」になるかも…。

投稿: YJS | 2009年9月 9日 (水曜日) 午後 04時11分

こんにちは、 黒猫亭さん、Baruさん。

なんていうかな、黒猫亭さんには別なところで「日本の新自由主義政策というのは中曽根政権の時に中谷巌をブレーンとしてはじまって、竹中平蔵をブレーンとした小泉政権の政策というのは、その仕上げの段階だから、小泉政権の政策の前後だけを見てもスッキリしないよ」という事を説明したんだけどね。なんとなく、Baruさんもその部分だけ見てスッキリしない意識をお持ちなんじゃないかなという気がします。

まず、新自由主義経済政策というものをお二方ともきちんとご存じじゃ無い気もします。詳しく説明すると無茶苦茶長くなるから、エッセンスだけ説明しますね。新自由主義経済学は、ミルトン・フリードマンがケインズ経済政策を批判するところから始まりました。

ケインズは1930年代の世界恐慌の解析から恐慌を起こさないために政府が経済に介入するべきだと考えました。基本は「不景気は底上げしろ、好景気は冷ませ」です。景気の変動を政策で緩和することで振幅の拡大を起きにくくしようとする訳です。「雇用対策」を例に挙げるとこの変動緩和政策の中に「雇用対策」も入っています。というのは景気が良くなれば政府の雇用対策費支出は自動的に減り、景気が悪くなれば自動的に増える訳で政府の支出としてはケインズの言うとおり「不景気には増やし好景気には減らす」が自動的におきる訳です。このような費用はケインズ経済政策におけるビルトインスタビライザー機能と呼ばれます。

これに対してフリードマンは米国の高度成長期の解析から、「経済が成熟すれば恐慌は起こらない」と仮説をたてた訳です。もし恐慌が起こらないとすると、政府の行う変動緩和政策は経済成長の邪魔者以外何物でも無いわけです。ということでフリードマンは雇用対策ばかりでなく「赤字財政出動、格差緩和政策、累進課税」等の恐慌にしないためと言われていたケインズ政策をほとんど全て否定し、「経済のことは市場の競争に全て任せるべきだ」とした訳です。これが新自由主義と言われるものです。

実のところ、小泉政権ばかりでなく中曽根以降の自民党政権のやったことというのは「ケインズ経済政策」としても「新自由主義政策」としても中途半端です。ケインズ政策として行うなら、不況時に雇用対策費や社会保障費がもっときっちり自動的に出るようにすべきだし、新自由主義政策として行うなら「雇用促進法」など作るべきではないのです(政府による経済規制ですからね)。日本型の新自由主義政策というのは、政府がお金のかかる部分は新自由主義に名を借りて出さない方向に、法律一つで済んで政府のお金に響かない部分は従来のケインズ政策の流れを引きずっているという感じがします。お二方の話がすれ違うことの原因の一つに、この中途半端さもある気がします。

Baruさんのおっしゃるように「景気を良くして雇用も増やそうとした」は、その通りなんです。新自由主義政策というのは「経済成長政策」ですからね。「雇用安定政策」とか「格差是正政策」などのビルトインスタビライザー機能を切り捨ててバブル経済でも経済成長を起こしさえすれば、雇用も生活の安定も起こると考えるのが新自由主義です。その元にはバブルは破裂して恐慌になったりしないという仮説があります。

ただ、残念な事に、「経済が成熟すれば恐慌は起こらない」というフリードマンの仮説は正しくなかったのかも知れませんね。サブプライムローン問題から始まった世界の経済状態は「恐慌」と言えるレベルですからね。

投稿: 技術開発者 | 2009年9月 9日 (水曜日) 午後 04時12分

>YJSさん

>>結局、理論とかデータとか示されても、良いとも悪いとも、議論が評価に足るレベルに達しているか否かも判らない、という状態だったわけで、それをなんとかしたいなぁと思って経済学や統計学を勉強することにしたのでした。

勉強不足な人間ですから、オレのほうはもっとお粗末な知識ですが(笑)、TAKESAN さんのところの議論なんかを視て、割合人文科学の意義や有効性については認識しているつもりではおります。

身も蓋もない言い方をすると、経済学や統計学が信用出来ないと謂うことではなく、疑似経済学とかニセ統計学だとダメでしょうって話なんですよ。人文科学や社会科学だって科学の手法で客観的妥当性を根拠附けようとしているわけですから、「そう謂う言い方も出来る」レベルで何かを言い得るものではないはずですね。

>>ですから、小泉政権下の経済政策で有ろうとそれ以前の政権における経済政策だろうと、失業率が高かったり経済成長率(名目・実質)が低かったりしたら、もうそれでダメ政権と考えるようにしています。

何の為に国政が存在するのか、と謂うことですよね。そこを外して考えても意味はないんだと思います。

投稿: 黒猫亭 | 2009年9月 9日 (水曜日) 午後 05時03分

>技術開発者さん

>>まず、新自由主義経済政策というものをお二方ともきちんとご存じじゃ無い気もします。

いや、おそらく問題はそこにはないんです。せとさんのところに書き込んだことでそのようなアイディアを思い附かれたのだと思いますが、あれは一応雑なわかりやすい喩え話だと解して戴けると助かります。技術開発者さんも、原始の村の喩え話をして「あなたは文化人類学がわかっていない、そんな事実なんかなかったんだ」とか言われると困るでしょう(笑)。

新自由主義について、たしかに技術開発者さんほど詳しく識っているわけではないですが、技術開発者さんがここでお書きになられた解説で用が足りるとお考えなのであればそれはそんなに問題ではないと考えます。

>>実のところ、小泉政権ばかりでなく中曽根以降の自民党政権のやったことというのは「ケインズ経済政策」としても「新自由主義政策」としても中途半端です。

最初のコメントでリンクした論文にもそのようなことが書かれていますね。小さな政府論に基づく政策であったり、大きな政府論に基づく政策であったり、そのような経済理念とは無関係な外交上の政策であったり、思想的な問題であったり、理念的には互いに相反したり無関係な政策が「小泉純一郎の行った改革」の名の下に何だか定見なく継ぎ接ぎされているのが小泉構造改革である、そのように説明されています。

実は日本の新自由主義改革と謂うのは、欧米で謂う新自由主義改革とは違って徹底したものではなく、完全に市場原理に一任するような形の新自由主義改革は未だ嘗て存在したことはない、そのように書かれています。それはわかっているのです。

で、おそらく技術開発者さんも誤解しておられると思うのですが、この遣り取りで論じられている問題と謂うのは、基本的にオレが何を考えているのか、何を主張しているのか、とは無関係な議論なんです。

寧ろ、Baruさんが何を考えておられるのかについて、オレに意見を求めてこられたと謂うのが正確なところだと思いますが、どうもBaruさんはそのように考えておられるわけではなくて、何故かそれがオレの固有の意見に対する反論になると思っておられるらしい、ここがすれ違っているのであって、それはハッキリしています。

そして、申し訳ないのですが、その方向性でこれ以上議論するつもりはオレのほうにはないんですよ。そもそもオレが主張していることと謂うのは、技術開発者さんがせとさんのブログに書かれた、

>>もともと、「今まで通りのことをやっていてもうまく行かなくなる情勢」という「加害者がいなくても被害者が出る」状況なんですね。例えば、長雨で農作物が不作で皆で腹一杯は食えない様な状況なんですよ。そのなかで、「皆で分け合ってしのごう」という指導ではなく、「強い者が取れ」指導をやっただけのことです。なんとか確保した強い者もそんなに贅沢にため込んだ訳では無くて「安心して生きていけるために集めた」程度だけけど、弱い者は飢え死に寸前になる訳ですね。トータルを平年作の水準でみたら、加害と被害が一致しないんです。

…とか、YJSさんがお書きになられた、

>>ですから、小泉政権下の経済政策で有ろうとそれ以前の政権における経済政策だろうと、失業率が高かったり経済成長率(名目・実質)が低かったりしたら、もうそれでダメ政権と考えるようにしています。

…と謂うレベルの知見で十分なんであって、その根拠で言い得ることしか言っていないわけですし、それは何度も説明しているはずなんですが、何故か「格差拡大は小泉政権以前から」みたいな、割合関連の薄い問題性を持ってこられた、正直言って迷惑な議論が続いていると謂う次第です。

なので、申し訳ありませんが、ここでその問題はあまり引っ張らないで戴けると助かります。

投稿: 黒猫亭 | 2009年9月 9日 (水曜日) 午後 05時05分

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