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2009年9月25日 (金曜日)

忘れてはいけないこと

みつどんさんのところにも書き込ませて戴いたのだが、最近余所事に気を取られていてあの一件の成り行きを見失っていた坂東眞砂子、つい最近も変名で新作を発表していると謂う情報を戴いたが、今年の二月にはこんな本を出しているそうな。

「子猫殺し」を語る——生き物の生と死を幻想から現実へ

やたら細々と商品の説明が書き込んであるが、

また、「子猫殺し」バッシングとはいったい何だったのか。

そして、佐藤対談では、「『子猫殺し』バッシングというファシズム」というテーマで、騒動の原因、愚行権、「猫とファシズム」などが議論される。

…とかあるんだが、ホントにわかんねー奴らだな。あのエッセイに書かれたことが事実なら、坂東眞砂子が居住しているタヒチの現地法でも違法行為だから叩かれたんであって、言論弾圧だとか謂えるのはあれがフィクションだった場合だけである。事実でないなら事実でないとハッキリ言えば話は簡単なのだが、事実でないと一度も言っていないのだから言論弾圧は通らないと謂うだけのことである。

ほとぼりが冷めた頃になって、こう謂う姑息な形で自己正当化を図ろうと謂うのも大した料簡だが、共著者の顔ぶれを視ると何となく納得が行くような気がする。勿論こんな本を一七八五円も出して買うつもりはないので、図書館にでもあれば読むかもしれないくらいのものだが、説明を見る限りやっぱり筋の悪い強弁が展開されているようにしか思えないから、まあ「みなさん、絶対買わないでください」と言う程度に留めておこうかと思う。

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コメント

なんか、こんなイベントまであったそうで。

穿った見方をすれば、このまま坂東眞砂子が「子猫殺し」の一件で後ろ暗い立場にある限り、何を書いても大々的に売り出すわけにはいかないわけで、一種の「禊ぎ」を済ませない限り折角の「直木賞作家」と謂う看板が無駄になる。この出版不況の世の中で、一定の売上を確保出来る「直木賞作家」の看板が一つ無駄になるのはかなわないから、何らかの形で事件の決算をして「禊ぎ」を済ませたい、そう謂う出版業界の生臭い裏事情が透けて見えるんじゃないかと思う。

ネットの書評で内容を推測するに、結局当時からツッコミを入れられていた自説の問題点については完全スルーの方向で、メタ的な立場から自分を攻撃した意見を十把一絡げに「病的なファシズム」と糾弾すると謂う姿勢は変わっていないらしい。対談相手の著作の方向性を視るに、なんというか「お膳立て」が透けて見えるセッティングにしか見えないが、イヤらしいと思うのは、「何が事実であるかを決定するのはマスコミだ」と謂う権力の傲りがぷんぷん臭うところである。

当時、テレビメディアでは殆どこの一件は紹介されず、活字メディアでは中立記事の体裁を装った擁護姿勢に終始して「文壇タブー」の存在をまざまざと見せ附けた一件だったが、ほとぼりが冷めた頃になって、この一件にコミットすることでメリットを得るようなライターを揃えて擁護させることで、「ヒステリックなバッシング」を活字の形で残すことで歴史として定着させようと謂うイヤらしさには辟易する。

当時の批判に対しては一切真っ向からの反論はなく、すべての批判が「可愛い子猫を殺すなんてヒドイ」と謂う感情論だったと言い張ることで、自分の都合の好いように事実を改竄しているわけである。活字メディアには未だに世間一般ではそれなりの信頼性があるわけで、書籍の形で一件が恣意的に概観されれば、それを真に受ける人もそれなりに出てくる可能性がある。

こう謂う反応なんかを視ると、この方が今更仰っているようなことは当時でも散々論じられていたんだけどなぁ、と苦笑してしまう。ウチでもその辺の話は散々しているわけであるが、坂東眞砂子みたいな論理性のない人間が考え附くようなことなら他の人間が幾らでも論じていると謂う当たり前のことに思い至らないのは、書籍の持つ説得力と謂うことなのかもしれない。

まあ、作家に対する見識幻想みたいなものを未だに持っているんだろうけれど、何度も繰り返している通り、作家であると謂うだけでその当人の見識が保証されているわけがないじゃないか(笑)。作家であると謂うことの条件に、マトモな見識の持ち主であることなんか入っていますか? 作家ってのは面白いお話を書くことが職分なんであって、お話として面白い思い附きが現実社会においても意味があるなんてのは、単なる幻想と謂うか勘違いなんだよなぁ。

結局、坂東眞砂子自身の言動に厳密にフォーカスして考えると問題提起としての意義や擁護の余地なんか何もないわけで、坂東眞砂子の薄っぺらな主張に乗っかってそこに鏤められたキーワードを拡大解釈し、無理矢理「ファシズムの萌芽」とか問題意識を捻り出す以外はないわけだが、そう謂う言論姿勢には「今目の前にあるものが見えていないかのような身振り」と謂う胡散臭さがどうしても附き纏う。

当時坂東眞砂子に突き附けられた批判のロジックを一切スルーして、「ヒステリックなバッシング」と決め附けた上でなければ始まらない議論など、砂上の楼閣でしかないだろう。今の社会にファシズムの萌芽が存在すると謂うご意見はわかったが、じゃあ現実に存在した議論を「なかったこと」にして語られる「識者」のご高説だけを歴史として残そうとする行為が、マスコミの権力に基づくファシズムじゃないとでも思っているのか、そこが疑問である。

現に当時議論を展開したイッパンタイシューから視れば、それは「大本営発表」と選ぶところのない欺瞞にしか思えないのだが。多くの人々が坂東眞砂子の言動の何に憤りどのような議論を展開したのか、そんな「事実」を一切無視して自分の問題意識だけを語り「ファシズムの脅威」を説く言説なんてのは、イッパンタイシュー視点では鼻でせせら笑って笑殺すべき筋合いのものでしかない。

投稿: 黒猫亭 | 2009年9月26日 (土曜日) 午前 03時40分

こんばんは。
なんだか、罵倒コメント&ブクマが大量に付いたトンデモさんの言い訳みたいに見えますね、例の本は。そうそうファシズムって言いだすんだよね-、と生暖かく見守ってしまいそうです。ここで愚行権を持ち出すのも、何とも周回遅れというか、論理がわかってないというか。
自己正当化一つ満足に出来ない作家というのもレゾンデートルが問われるように思いますが。

>作家であると謂うことの条件に、マトモな見識の持ち主であることなんか入っていますか?

むしろ、まともでない可能性の方が高いような気が(^_^;) ドラえもんに「キレイなジャイアン」というネタがありますが、キレイなジャイアンがメインで他にデキスギ君しかいなかったら物語が成立しない訳で。どこかに歪み、というか突き放した感覚がないと作家なんてやってられないだろうと個人的には思います。

投稿: みつどん | 2009年9月26日 (土曜日) 午後 11時51分

おはようございます。

私ただ今ちょっとバランス崩しておりまして(投薬量を減らして貰ったら影響が出てしまった)、慣らし運転中です。この件、恥ずかしながら全然知らなかったので、今回つらつらと一通り読んでみました。
・・・弱り目に祟り目、大ダメージを受けてしまいました(体調が良い時にすれば良かった)、気持ちが悪いデス。

これ単なる自分の個人的な性的ファンタジーをぬこに投影してるだけのことで、それを一般論に持っていくのは強弁すぎるっつーもんです。しかもそこから当然生じる結果については、自分のライフスタイルを優先するってんだから凄すぐる。
歪んだファンタジーを創造物として昇華することは容認されますが、それが違法行為であれば現実行動としてはOKではない、てのは単なる常識の問題でしょうに。
いや常識無くても良いけど、それならそれで岩井志麻子先生ぐらいの確信犯にならないとね、カッコ悪い話。

投稿: うさぎ林檎 | 2009年9月27日 (日曜日) 午前 10時00分

>みつどんさん

エントリの趣旨と関係の薄い話(でもないかな(笑))を書き込ませて戴いたうえに、コメントまで戴いて有り難うございます。

>>なんだか、罵倒コメント&ブクマが大量に付いたトンデモさんの言い訳みたいに見えますね、例の本は。そうそうファシズムって言いだすんだよね−、と生暖かく見守ってしまいそうです。

ニセ科学関係の議論を通過して振り返ると、本当にそう思います。「バッシングで言論を圧殺」「ファシズムの萌芽」とか言い出すんですよね、お定まりのコースです。正面から反論せずに「大勢から批判されたこと」自体に論点をすり替えるのは、この種のアタマの不自由なヒトの常套手段ですね。

この辺は以前の「apj 団」の話とも繋がってくることで、あまりにも話にならない主張に対しては誰でも同じように批判すると謂うだけのことですが、批判しか存在しないことを以て「仲間内で結託している」と視るのも「ヒステリックなバッシング」と視るのもロジックが共通していると思います。

本当なら賛成意見があっても好いはずなのに批判意見一方に偏っている、それは何かが間違っている、何か問題があるに違いない、と謂うロジックなんですが、誰も賛成しようがない意見と謂うものが在り得て、自身の意見がそれに当たる可能性があると謂う認識がすっぽり抜け落ちているわけですね。

そりゃあなた、誰でも批判するに違いないことに対してわざわざ批判を加えるなんてのは誰でもイヤですよ(笑)。それでも、世の中には許してはいけない事柄と謂うのがあるわけで、変な性的コンプレックスや自己陶酔みたいな自己中心的な動機で犯された違法行為やその正当化の屁理屈に対しては、キチンと批判意見を言っておくのが社会人としての責任でしょう。

>>自己正当化一つ満足に出来ない作家というのもレゾンデートルが問われるように思いますが。

この坂東眞砂子と謂うヒトは、元々感情的な文明批判みたいなものをエッセイで公言することが多かったんですが、わかりやすく論理が破綻しているヒトですね。以前のエントリでも例を挙げましたが、「タヒチでも渋滞が多くなった」とか言って怒っている類のロジックですから、そもそもかなりひどいです(笑)。

これは自分がクルマを利用していないと謂う前提で、環境負荷の観点から言っているのならまだわかるんですが、自分もクルマを利用しているくせに「渋滞が多くなったのが困る」と謂う話をしているんですから関西のオバチャン並の我儘ですね(笑)。日本人観光客がハワイに行って「ハワイも日本人が多くなって困る」とか言って怒っている類のロジックですね。

>>むしろ、まともでない可能性の方が高いような気が(^_^;)

仰る通り、作家は寧ろ社会常識がない可能性のほうが高いですね。勿論社会常識を具えた作家もたくさんいますが、常識的な発想をしていたら面白い話が書けるはずがないので、心性の何処かに常識を踏み外した部分がある人のほうが多いでしょう。後はその逸脱した部分とどう謂うふうに附き合っているのかと謂うところで、一社会人としての良識の在り方が決定されるように思います。

創作行為とそれ以外の領域をキチンと峻別していて、狂気の部分を創作行為の領域で解放しつつ、それ以外の領域ではその狂気を厳しく律している人もいるわけで、どう考えても異常な人が書いているに違いないと思われるような作品の書き手が、非常に穏健な良識の持ち主であることなど幾らでもありますね(笑)。

坂東眞砂子の場合、単なる我儘なオバチャンなのが文藝者を気取っているだけと謂うところですかね。ロジックがまるっきり話の通じないオバチャンそのものなので、神楽坂の師匠のように暴言を吐いているだけならともかく、犯罪行為に手を染めたらそれは叩かれても仕方ないでしょう。

投稿: 黒猫亭 | 2009年9月27日 (日曜日) 午後 12時35分

>うさぎ林檎さん

>>・・・弱り目に祟り目、大ダメージを受けてしまいました(体調が良い時にすれば良かった)、気持ちが悪いデス。

調子の悪いときに気持ち悪いものを読ませてしまって申し訳ありません。この件はとにかくいろいろな意味で不快な話であることは間違いないです。世の中には、生殖器の疾患や体質の問題で不妊に悩んでいる人をはじめ、自身の女性性について深刻な悩みを抱えている女性がたくさんいて、動物を飼っている場合には不妊手術を受けさせることに大きな心理的抵抗や罪悪感を感じている方もたくさんいるわけです。

それに対して、ここまで粗雑な暴論をぶつけることの暴力性は許し難いと感じます。

坂東眞砂子のロジックに従うなら、そのような人々が悩みながらも不妊手術と謂う選択肢を選んだことを「生と死の問題から目を背けている」と切って捨て、「動物の本然を全うさせた上で生まれた子猫を殺すのが正しい」と主張することで、それが出来ない当たり前の常識を持った飼い主を無意味に苦しめることになります。

と謂うか、この件があった当時、実際にそのような立場の方の意見をたくさん目にしました。納得出来るロジックでそれを指摘されたならともかく、この程度の幼稚な屁理屈で難癖だけを附けられ、出口の見えない悩みを抱えた方もたくさんおられたわけです。

>>これ単なる自分の個人的な性的ファンタジーをぬこに投影してるだけのことで、それを一般論に持っていくのは強弁すぎるっつーもんです。しかもそこから当然生じる結果については、自分のライフスタイルを優先するってんだから凄すぐる。

日本国内でもこれは当然違法行為ですから、「他人はどうか識らないけれど、自分は違法行為を犯すのが正しいと思うしその通り実践している」と主張していることになり、法治国家の一員としてその姿勢はどうなんだと謂う話にもなります。言ってみれば犯罪を奨励しているわけですから。

ただ、この一件については、ネットワーカーが通報したこともあって、タヒチを管掌するポリネシア政府によって起訴されたんですが、ネットの情報によるとどうやら不起訴になっているようなのですね。不起訴と謂うことは、事実とは立証出来ないから公判が維持出来ないと見做されたと謂うことだろうと思うんですが、これはおかしな話で、坂東眞砂子はエッセイの内容は事実だと言い切っているわけですし、このような書籍を刊行するほどに自身の行為を正当視しているのですから、思想的な確信犯のはずです。

それが不起訴処分になると謂うのは重々不思議な話で、物証がなくとも本人が事実と認めているのであれば公判が維持出来ないなんてことはないはずですし、本人の自供に基づいて子猫を遺棄した場所が特定されれば物証も出てくるはずで、それが「犯人以外知り得ない情報」の開示にも繋がるはずですね。

確信犯であれば、事実を認めた上で法の趣旨に対して疑義を突き附け自身の正当性を主張すると謂うのが筋ですから、事実性を巡って司法と争うと謂うことは考えにくいのですが、不起訴処分と謂うのは本人が事実であると認めない立場に立ったとしか想定出来ません。容疑者が事実性を争わないと判断されれば、不起訴なんて在り得ませんから。

では、法律に背馳したことを事実であると公言していながら、いざその法律違反の責任が問われる段になると事実ではないと意見を翻したと謂うことになりますが、それは公人の言動としてどうなんだと謂う話にもなりますね。

幾らなんでもそれでは卑劣に過ぎるだろうと思いますから、実際のところはどうだったのか是非識りたいですね。逆に、捜査した結果「事実ではないこと」が相当の確度で立証されたと謂う可能性もありますからね(笑)。そうすると、事実無根の違法行為を事実犯したと公言して正当化しているわけですから、幾らエッセイには虚構が介在する余地があると謂っても社会的に許容される限度を超えていますね。

とにかくこの件についてはマスコミの情報はアテにならないので、何とも歯がゆいところがあります。当時、遠慮なくこの件を暴き立てたメディアって、出版ビジネスとは距離の遠いゴシップ女性誌くらいでしたからね。

>>いや常識無くても良いけど、それならそれで岩井志麻子先生ぐらいの確信犯にならないとね、カッコ悪い話。

志麻子さんはかなりキャラ作ってますからねぇ(笑)。彼女だったら、警察にパクられてから「やってない」と言い張ったりするような無様な真似はせずに、罰金払って臭い飯を暫く喰うくらい屁でもないでしょう。

つか、やるかやらないかはともかく、やったとしてもそもそも「自分は正しい」とか主張しないように思いますね。

投稿: 黒猫亭 | 2009年9月27日 (日曜日) 午後 12時36分

こんばんは。

先日ニュースで、自家用車の代わりにカーシェアリングが盛んになっているという情報の流れで、バイクレンタル、ペットレンタルと紹介されました。

ペットレンタルがあることは、以前から知ってはいました。その時はペットを飼う前に予行演習してみる人、住環境の為に飼えない人が利用していると紹介されていました。なのでレンタルされる動物自身の事を考えると賛同できませんが、一緒に暮らし始めてから持て余す人よりは良心的かなぁと私は感想を持ちました。

ですが今回そこでペットをレンタルしている人のインタビュー内容に愕然としました。
小さい子供のいるフツーの家庭でしたよ。若い父親が「何故ペットレンタルを?」と尋ねられて「子供に命の大切さを教えたい」と答えます。
ま、フツーです。ここまでは良いんです、問題はこの後。
「でも飼うと、病気の心配やその他のこと(予防注射とか登録?)を考えなければならない、そこへいくとペットレンタルならその心配がない」
と、答えやがったのです・・・コホコホ失礼、答えたのです。
はーーーーーーぁっ!?
・・・そこを含めて、そしてその先に死もあるのが「命の大切さ」でしょうに、なんてコンビニエンスな「命の大切さ」。私は怒るよりも哀しくなってしまいました。

投稿: うさぎ林檎 | 2009年10月 3日 (土曜日) 午後 09時01分

>うさぎ林檎さん

>>「でも飼うと、病気の心配やその他のこと(予防注射とか登録?)を考えなければならない、そこへいくとペットレンタルならその心配がない」

命を預かる責任は引き受けたくないけれど、可愛い動物と触れ合いたい、そう謂うことなんでしょうね。身勝手な言い分には腹が立ちますが、最大限悲観的に考えれば、これはこれでまだ好いことなのかもしれません。

「レンタル」されたペットは「商品」であり「お客さま」ですから、お金絡みと謂う世知辛い理由からとは謂え決して粗略には扱われないでしょうし、虐待や遺棄の心配もないでしょう。もしもそう謂う場合があれば、法的に責任が追及出来ます。これが当人が飼育している場合なら、虐待や遺棄があっても明白な証拠がない限り外部からの法的責任の追及が困難です。

レンタルされる動物のストレスを考えるとたしかに可哀相ですが、一応猫カフェなんかと同様、社交的で穏和な適性を考慮して個体が選ばれているのだと思いますし、あまり大規模ビジネス化して屡々問題になるような苛酷な飼育環境に晒されるようなら論外ですが、何というか、犬にしろ猫にしろ、無責任な飼い主に飼われることを回避することが、一匹でも殺処分を減らす為には最優先のように思います。

逆に謂うと、「病気の心配やその他のこと」が面倒だけれど動物の愛らしさには癒されたい程度の動機の人には動物を飼育してほしくないし、レンタルで満足する程度の欲求ならそれも好いかなと思います。

ウチの摩耶は寄る年波で先日膀胱炎にかかって、日に何十回もトイレを行ったり来たりして苦しんでおりまして、真っ赤な血尿が出ているのを見ると心配で生きた心地がしなかったですね。症状が治まったと謂っても、今後再発の恐れがありますから或る程度投薬を続け、食餌も高価なphコントロールタイプのものに変えざるを得ませんし、何度か病院に連れて行って保険の効かない高い医療費を支払う必要があります。老いてくれば、ただ生きているだけでおカネが掛かるのは人間も動物も同じです。

うさぎ林檎さんが仰る通り、生き物を飼って命の尊さを学ぶと謂うのであれば、そう謂うリスクやコストを引き受けてこそのことだと思いますが、そう謂う重い責任は負いたくないけれど、ただ可愛い動物に触りたいとか見ていたいと謂う欲求もわからないではないので、適正に運用されている限りこのシステムもやむを得ないかな、と思います。

人間以外の生き物を家族として受け容れる為には、どうしても人間の側が譲歩して不便を受け容れ、言葉の通じない相手、自分の都合を慮ってくれない相手と共に幸福に生きる術を学ぶ必要がありますが、世の中にはそれを学べない人や学ばない人も一定の割合で存在します。

生き物を飼う為の資格なんてものを設定出来ない以上、自信のない人や責任を持ちたくない人は生き物を飼わなくても誰も困らないのだし、そんな人々が自ら飼育しなくても或る程度生き物と身近に触れ合えるシステムがあれば、それはそれで必要なのかもしれませんね。

一種、愛玩動物と謂っても使役動物ですから、古くて新しい使役目的と謂えるかもしれません。レンタルされる動物たちが、虐待や遺棄や殺処分に晒される同胞を一匹でも減らしているのだと思えば、或る種やむを得ないところがあるかもしれません。

ただ、やはり懸念されるのは業者のモラルや愛情ですね。こう謂うことを言うと良心的なブリーダーさんたちには煙たがられるかもしれませんが、商用目的の愛玩動物飼育に関しては飼育環境についての法整備があったほうが好いのかもしれません。カネになるとわかると欲得のみで効率を追求して大規模化したがる人間は後を絶ちませんから、動物ビジネスのアモラルをどのように抑止するかが問題ですね。

あとは、やはり動物のことですから、見知らぬ人々の家庭と謂う密室環境の中でのトラブルや事故が心配ですが、これは或る程度契約条項に賠償などの金銭的な罰則を盛り込んで注意義務を喚起して歯止めを掛けるしかないかもしれません。動物に関する事柄に決め事に依拠して対処しようとするなら、所詮動物は「モノ」として貨幣価値に換算して扱うしかありません。

この種のビジネスの何となく釈然としない部分と謂うのは、まあ避けて通れない論点として、人間同士の間で性的欲望を媒介として行われている或る種のビジネスと窮めて原理的に類似しているからでしょうね。その辺を突き詰めて考えていくとえらく困難な問題に直面するので、或る程度思考停止して生きていくしかないのですが。

投稿: 黒猫亭 | 2009年10月 3日 (土曜日) 午後 10時23分

こんばんは。

手触りや温もりに癒される事ってあります。すっかり私のベッドで寝る習慣がついてしまった(大失敗)茶色のモジャモジャの小さな寝息を聞き、上下するお腹を見るだけで安らいだ気持ちになることができます。
辛い時には本当に助けてくれます、本人は知ったこっちゃ無いでしょうが。

「命の大切さを教える」なんて答えが出てくるのも判るんです、TVのインタビューですからキチンとしたことを言おうとするのが当たり前です。
子供がインタビューで「○○が大事だと思った」とか「○○で感動した」と答えるとの一緒ですね。結局それが一番大切な動機ではないから、後半で「命の大切さ」とは矛盾した答えをしてしまったのでしょうね。
ペットのレンタルショップの映像の中で、決して不潔ではありませんでしたが、クレートが積み上げられた中で興奮して騒いでいる動物の姿が、私に件の発言を否定する気持ちを余計に起こさせたのかもしれません。

あらら、摩耶さんはお加減が良くないのですか、心配ですね。
こちらの”すっちゃん”は腎臓に問題がありますが17歳5ヶ月を機嫌良く過ごしていますよ。
http://sueko4.blog79.fc2.com/

摩耶さんも治療や療法食が上手く体調を整えてくれると良いですね。

投稿: うさぎ林檎 | 2009年10月 6日 (火曜日) 午後 06時08分

>うさぎ林檎さん

お返事が遅れましてすいません。

>>辛い時には本当に助けてくれます、本人は知ったこっちゃ無いでしょうが。

とりたてて何をしてくれるわけでもないんですけどねぇ(笑)。体調が悪くて寝ていると静養の邪魔しかしませんしね(笑)。それでも、この連中の為に元気を出さなければならないよな、と謂う気分にさせてくれます。

猫は犬に比べて知能が低いですから、どうしても赤ん坊が甘えるような形でしか愛情が表現されず、猫を身近に飼っていない人から見ると飼い主の自己投影にしか見えないかもしれませんが、こんな小さな生き物にも愛情がわかるしそんな感情が存在することは実際に飼ってみればわかりますよね。

>>子供がインタビューで「○○が大事だと思った」とか「○○で感動した」と答えるとの一緒ですね。結局それが一番大切な動機ではないから、後半で「命の大切さ」とは矛盾した答えをしてしまったのでしょうね。

メディアリテラシーと謂うやつですかねぇ(笑)。そこで堂々と「自分で飼うと面倒だけど、いっとき借りてくるだけなら手間が掛からなくて手軽でいい」なんてぶっちゃけてしまうと、公開の場でそんなことを嘯いたこと自体が問題になって叩かれてしまいますしね。本音は本音で本当の気持ちなんだからしょうがないんですけど、それを公の場でそのまま口にするかどうかと謂うアティテュードの問題はありますよね。

>>ペットのレンタルショップの映像の中で、決して不潔ではありませんでしたが、クレートが積み上げられた中で興奮して騒いでいる動物の姿が、私に件の発言を否定する気持ちを余計に起こさせたのかもしれません。

オレなんかかなりの猫莫迦ですから、自分の猫をペットホテルに預けることも厭なくらいで、そう謂う映像を観ていたらやっぱり悪い印象を覚えたと思います。まあ、よく考えてみたら、ウチの猫も病院に連れて行くときにキャリングケースに入れようとするとかなり暴れますけどね(笑)。

ただ、猫なんかの場合は環境が変わると相当ストレスを感じるようですから、度々見知らぬ人々のいる見知らぬ家に送り込まれるのはやっぱりちょっと可哀相な気がします。商用で管理されている猫であれば完全室内飼育でしょうから、環境の変化に慣れると謂うこともないでしょうし。

動物を使ったビジネスは、どうしても「ウチのペットにはそう謂うことをさせたくないな」「厭な想いをせずに幸福に暮らしてほしいな」と謂う気持ちが附き纏いますので、実際に動物を飼っている人間から見ると良い印象を持てないと謂うのはたしかに言えると思います。

>>あらら、摩耶さんはお加減が良くないのですか、心配ですね。

もう八歳ですからねぇ。病気になったと謂うより、そう謂うことを常に気遣ってやらなければならない年齢になったと謂うことでしょうね。下部尿路障害と謂うのは高齢猫の宿命ですから、今回お医者さんで「もう大丈夫ですよ」と謂うことになっても、これからも腎臓病や膀胱炎に気を附けてやらないといけません。

と言っても、差し当たりは治療食が終わった後はご飯をシニア用に切り変えて、あまりマグネシウムや塩分の多いおやつを与えないと謂うことくらいしか出来ないんですが。今回しみじみ思ったんですが、やっぱり動物の医療費は高く附くので、貧乏人にはしてやれることに限界がありますねぇ。

以前の勤め先の同僚の女性が、飼っている猫の腎臓が悪いと謂うことで、定期的に受けさせている人工透析にえらく費用がかかるようなことを言っていましたが、そう謂う状況になったらどうやって費用を捻出しようかと今からアタマが痛いです。

最近の猫は室内飼育が浸透してきているので、かなり長生きする傾向があるようで、それだけに健康の問題には注意が必要ですね。練馬時代にお世話になっていた獣医さんのところで聞いた話だと、時々定期検診に来る猫で二七歳と謂う高齢で特段病気もなく元気に生きているのがいるそうなんですが、今はどうしていますかしら。今年も息災にしているようなら三〇歳くらいになるはずですが(笑)、昔だったら化け猫扱いですね。

投稿: 黒猫亭 | 2009年10月 8日 (木曜日) 午前 03時25分

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