響鬼十之巻で落胆した件
最近柄にもなく眉間に皺が寄るような記事ばかり書いているので、ここらで美容の為にニヤけた話題を一つ。
オレは長らく「仮面ライダー響鬼」の十之巻について、「檜山ちゃん」と謂う謎の人物とケータイで脳天気な莫迦話をしているヒビキを尻目に、かすみさんが一生懸命野営装備を撤収している場面で、しゃがんだ拍子にローライズのジーンズの履き込みが下がってパンツがはみ出て、ラッキー、と記憶していた。
俗に謂う、上パンである。
しかし、今日東映チャンネルの再放送でよく見てみたら、単にジーンズ背面中央のベルトループに通していなかった白いベルトが、しゃがんだ拍子に真っ直ぐ伸びてジーンズの履き込みより上の位置で白い帯状になり、パンツのように見えていただけであることに気が附いた。
まあ、よく考えてみれば雑誌モデル出身の蒲生麻由が、しゃがむとローライズのジーンズからはみ出すようなでっかいパンツを履いてカメラ前に立つような計算違いをするわけがない。幾ら髪型が麻丘めぐみだからと謂って、麻丘めぐみの時代のパンツを履いているとは限らないのである。
この錯視については、ゲシュタルト心理学の見地から十分説明が可能だと思う。人間は単なる幾何学的パターンを視ても、無意識に何某かの意味ある地と図を見出そうとするものである。つまり、これはオレが助平なせいでそう見えたわけではなく、誰が見てもパンツに見えるはずだと謂うことである。うん、間違いない。
しかし、ご安心めされよ。別の場面では、今度こそ期待に違わずかすみさんがジーンズの履き込みから白いものをチラリとはみ出させている。言うまでもなくそれは
ホッカイロ貼るタイプである。
この番組が、初期の高寺PDが手懸けている頃にカネの掛かる野外ロケをバンバン繰り返して予算を使い果たしたと謂うことは今更繰り返すまでもないことだが、その無計画な制作姿勢のひずみはこんなところにも顕れているのである。多分、このロケ撮影当時の山間部はさぞかし底冷えが厳しかったのだろう。
雑誌モデル出身の蒲生麻由だが、ローライズのジーンズからはみ出さないパンツを選ぶことは忘れなくても、背中に貼ったホッカイロを剥がすのはうっかり忘れてしまったのであろう。
また、このエピソードでは、エピローグで土手に座り込んだ明日夢の隣に、膝上丈のスカートを履いた持田ひとみが同じく体育座りをするのを土手下正面から捉えたカットがあるのだが、こっちのほうはバッグとコンビニ袋でガードしている上に、暗く潰れていて何だかよくわからない。
残念ながら、どんな地と図も見て取ることは出来なかった。
このように、この世界には失望と落胆の種が腐るほど存在する。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
>>ジーンズ背面中央のベルトループに通していなかった白いベルト
これはうっかり通すのを忘れたのではなく、わざとだろう。絵面を見る限り、ローライズのジーンズはベルトを全部ループに通してしまうと、しゃがみ込んだときにベルトがグッと下腹部に食い込んでグェッとなったり、尻の部分が突っ張ってしゃがみにくかったりするから、真ん中の一本だけ通していなかったんではないかと思う。
これは、単純だが意外と思い附かないアイディアだな。
投稿: 黒猫亭 | 2009年9月 2日 (水曜日) 午前 07時07分
丁度DVDを借りて、ずっと見逃したままだった一~四之巻を観ているところです。そういうことであればぜひ確認して、どれほど落胆するものかチェックしてみましょう。
それにしても、「これからどんな物語が始まるんだろう」とワクワクさせられるオープニングで、1時間(屋久島編の一、二之巻)があっという間に経った気が致しました。
主人公がオッサンな分、女性陣の輝くばかりの若さがまぶしいです
投稿: 604 | 2009年9月 2日 (水曜日) 午前 09時21分
>604 さん
>>丁度DVDを借りて、ずっと見逃したままだった一〜四之巻を観ているところです。そういうことであればぜひ確認して、どれほど落胆するものかチェックしてみましょう。
うーむ、女性が同性のパンツのゴムの辺りがボンズからはみ出しているとかいないとかで興奮したり落胆したりするものかどうかは保証の限りではありませんが(笑)、腰の辺りに貼ったホッカイロには是非注目してみてください(笑)。この場面ではちゃんと真ん中のループにもベルトを通しているのですが、代わりにホッカイロがはみ出しているんですなぁ。
ちなみに、男の眼で視てもローライズのジーンズからTバックの紐だけが出ているのを視るとかなり引きます。先日「ウチくる?!」を観ていたら、雨宮塔子がTバックのパンツしか持っていないと聞いてちょっと引きました。
香須実さんはイブキとのデートで見せたミニスカ姿とか水着姿が印象的ですが、何だかちぐはぐな色気がありますね。昔こんなエントリを書いたことも想い出しますが、赤文字系のモデル出身の人はやっぱり華があって好いですね。調べてみたら蒲生麻由は「陽炎の辻3」にも出ているそうです。雑賀衆の女狐おてんと謂う役名だそうですが、ご記憶にありますかね? 3はもう観ていないんでしたっけ(笑)。
>>それにしても、「これからどんな物語が始まるんだろう」とワクワクさせられるオープニングで、1時間(屋久島編の一、二之巻)があっという間に経った気が致しました。
響鬼の「褌」と「鹿男」のEDはやっぱり好いですねぇ(笑)。これはやっぱりNHKの土曜時代劇(過去には金曜だったり水曜だったり木曜だったりいろいろ)のような路線を狙ったのかと思いますが、大相撲ダイジェストも少し混じってますね(笑)。
前期響鬼って、よく「話がない」「ムードだけ」「中学生日記」と謂われますけど、日曜朝の八時からやる番組ですから、それで好かったんじゃないですかねぇ。まあ、予算の問題とか納期の問題とか視聴率の問題なんてのは、視聴者がとやかく言うことではないですが、番組の性格から言えば別段こんなもんで好かったんじゃないかと思います。
>>主人公がオッサンな分、女性陣の輝くばかりの若さがまぶしいです
オレはどうも武部PDのキャスティングのセンスは当たり外れが多くて好きじゃないですから、この番組みたいに全員普通に可愛いと安心しますね(笑)。武部PD自身が制作したキバなんて、小池里奈は好きだけど肝心のメインヒロイン二人はなんであんなのを連れてきたんだろうと思いましたからねぇ。
響鬼の女優陣に関しては、やっぱり日菜佳の神戸みゆきを視ると胸が痛みます。この番組の時点では、殺しても死ななそうに見えたんですが。
投稿: 黒猫亭 | 2009年9月 2日 (水曜日) 午前 10時31分
そうですね、可愛いのにおばちゃんキャラ入ったミスマッチな日菜佳さんを見ると、ちょっと切なくなります。
はみ出る中身(響鬼のサブタイみたい)にもよりますが、蒲生麻由嬢ならホッカイロでも微笑ましいですよ。アウトドアのリアリティを出したとかではなく、単なるミステイクなのでしょうか。ぜひ確認してみますね。
Tバックは、雨宮塔子だから引いたのでは。蒲生嬢のGパンから紐が見えると考えると、結構いけるかも知れませんよ。ミニスカや水着も良かったですし、デカレンの宇宙人役もなかなかのお色気で目の保養でした。「陽炎の辻3」の雑賀衆は残念ながら見逃しました。忍者姿も似合いそうですね。
一之巻の冒頭、船から乗り出す子供を何となく見過ごす明日夢君と躊躇なく飛び出す響鬼さんとの対比では、ヒーローについて子供番組らしい問いかけと答えが用意されていると思いましたが、この新しい物語も結末が分かっているので、神戸嬢同様に観ていて少々切なかったりします。
……しかし、響鬼さんの褌(の尻)はカッコイイのでした。胸キュンもので。
投稿: 604 | 2009年9月 2日 (水曜日) 午前 11時56分
>604 さん
>>そうですね、可愛いのにおばちゃんキャラ入ったミスマッチな日菜佳さんを見ると、ちょっと切なくなります。
以前の記事では言いたい放題言ってますが(笑)、別段アイドルとして好きと謂うのではなくて、セラミュのうさぎをやっていた子、と謂うのが大きいです。彼女の代は一年間くらいしか続かなかったので原史奈の次に短いんですが、一連の舞台の中でも異色作と謂えるようなアレンジだったので、印象が強かったんですね。
>>アウトドアのリアリティを出したとかではなく、単なるミステイクなのでしょうか。
どうも意図的な演出ではないように思います。Tシャツでギリギリ隠れるような位置なんですが、端っこのほうがジーンズに引っ懸かって四角い白いものが見え隠れしています(笑)。ほんの一瞬ですので、お見逃しなく(笑)。後半のほうで、負傷したあきらを保護すると謂う場面です。
余談ですが、この場面では、イブキさんがあきらを支えながら「あきらが怪我をしてしまって…」とか言うんですが、どう視ても体育祭の徒競走で足を挫いた女子生徒を先生が保健室に運んでいるようにしか見えません(笑)。この辺がやっぱり「中学生日記」と言われちゃう所以ですねぇ。
>>Tバックは、雨宮塔子だから引いたのでは。蒲生嬢のGパンから紐が見えると考えると、結構いけるかも知れませんよ。
いやあ、どうもオレはTバック自体が好きじゃないのでねぇ。
尾籠な話ですが、普通のパンツなら「覆って隠してる感」がありますが、Tバックの場合は「直に触れて隠してる感」があって、何か気持ち悪いですね。しかも、後ろが紐と謂うのがどうにも装着感が悪そうで、見ていると自分まで何だか尻の辺りがムズムズしてきますねぇ(木亥火暴!!)。
ローライズのジーンズから紐を出して歩いている女性なんかを見ると、「キミらそんなモン履いて気持ち悪くないのかね」とかツッコミを入れたくなりますな(笑)。
>>ヒーローについて子供番組らしい問いかけと答えが用意されている
前のコメントでは端折りましたけど、高寺PDがイメージしていたのは、昭和特撮の雰囲気で、それも東映特撮ヒーロー番組ではなく、彼の愛好する第二期ウルトラ辺りじゃないかなぁ、と思います。Aとかタロウとかレオ辺りの、ドラマの主題自体は主人公と子供の触れ合いで、そのドラマの文脈上で怪獣や防衛隊が出てくると謂うような構造を狙ったのかな、と。
昭和のウルトラの主人公ってみんなヒビキに通じるような兄貴的キャラで、そこに小学生くらいのホントに小さな子供が絡んでくる。ドラマの主題は、子供を取り巻く小さな世界の小さな出来事で、そう謂うとってもミニマルな世界観のドラマに都市破壊のスペクタクルを伴う怪獣退治のルーティンが伴って、それが子供のドラマに結着を附ける、そう謂うトクサツを作りたかったのかもしれませんね。
そう考えると、魔化魍が等身大ヒーローの相手としては異例の巨大怪獣であるのも、陰陽道をベースにした近代科学技術でサポートする猛士と謂う防衛チームが整備されているのも、変身ポーズがベルトのバックルに道具を差し込むのではなくシンボリックなアイテムを額にかざす形であるのも、怪獣図鑑的な魔化魍の資料が存在するのも納得出来るように思います。
しかし、そうすると関東一一鬼と謂うのは、一種のウルトラファミリーと謂うことになるのだろうかと謂う疑問もありますな(笑)。
投稿: 黒猫亭 | 2009年9月 2日 (水曜日) 午後 01時01分
ウルトラマン的な作り……なるほどです。そういえば、ウルトラマンとか地球防衛隊とかって、お兄さん~おじさん(+お姉さん)の大人が多く、観ている子供としては何となく安心感がありましたね。
「響鬼」の、和テイストなところとか大人が頑張っている背中を子供に見せようとか、それまでになかった新しい要素を意欲的に取り入れている感じがすごく好きだったのですが……。
高寺さんが鳩山さんくらいお金持ちだったら、何とかなったんでしょうか。いや、予算だけの問題じゃなかったのかな。
話は変わりますが黒猫亭様にはTバックよりこちらですね。
http://www.une-nana-cool.com/product/nanafun/index.html
投稿: 604 | 2009年9月 2日 (水曜日) 午後 04時57分
>604 さん
>>ウルトラマンとか地球防衛隊とかって、お兄さん〜おじさん(+お姉さん)の大人が多く
昭和トクサツのヒーローは、大体青年としての苦悩と大人としての自覚の狭間にいたように思います。これは、主人公が未成年の少年でも、けっこうマセた大人びたガキとして描かれていたように思いますね(笑)。これはもう印象論ですから、厳密に言えば幾らでも例外はありますが。
概ね主人公は二十代半ばの青年として設定されていて、自身もまた未熟な苦悩を抱えているんだけれど、先輩やリーダーとの葛藤を経たり、或いは導きを得ることで苦悩を乗り越えていき、一方で子供たちとの接点では範を示す大人として行動しているわけですね。実際、その当時の青年層と謂うのは、成熟した大人と未成熟な子供の中間に位置する世代層だったわけです。
高寺的なヒーロー像は、大体この枠組みから出発していて、戦隊でもライダーでも主人公は「青年」と位置附けられているように思います。一方、白倉作品のヒーローは基本的には「少年」の延長上の自意識を持っていて、他者として捉えられた「大人」と「大人が作った世界」の中で戦うと謂う構図が貫かれていて、主人公と子供との関係性が希薄だと謂うことが言えます。主人公自身が「子供」だからですね。たまに子供が出てきても、非常に距離の近い存在として捉える視点があると思います。
結局白倉PDは長らく「成長」とか「成熟」と謂う概念に批判的に生きてきて、それでDCDではあんなことが出来るんだなぁとか思いますね。二〇〇五年くらいを境にして彼にも「大人」としての立場意識が芽生えたのだと思いますけれど、どうも何かを履き違えてしまったのだとしか思えません。
>>いや、予算だけの問題じゃなかったのかな。
どちらかと謂うと、手が遅いほうが問題だったみたいですね。予算のことは、どうでも好いとは言えないまでも決定的な要素ではなく、割合どうにかなったようです。たしかに、クウガでも響鬼でも他人が助っ人に入っていますから、逆に謂えば人手を増やせば何とかなったと謂うことでもあって、とにかく自分で手懸けている作業が遅いことがスケジュールを圧迫して、それが一番問題だったようです。
>>話は変わりますが黒猫亭様にはTバックよりこちらですね。
いやあ、助平心の嗜好としては、とにかく変なモン履くな、基本が一番だろう、と謂うのが長年のポリシーです(笑)。万乗パンツなんかも勿論OKですね(笑)。
峰不二子とかボンドガールみたいな、履き込みが浅くて縦が短いシルエットの「ずり落ちそうなパンツ」がエロいと謂う刷り込みがありますから、履き込みが深くて縦に長いパンツを見てもエロいとは感じないですね、ハイレグとかTバックとか(笑)。
そう謂うレトロな趣味なので、勿論こんなんもアリです(笑)
投稿: 黒猫亭 | 2009年9月 3日 (木曜日) 午前 01時10分
>604 さん
ああそうそう、褌についてコメントするのを忘れました(木亥火暴!!)。
やはり、今流行りの(いや本当に流行ってるかどうかは識りませんが(笑))越中褌タイプのものはボトムを選ぶだろうし、やはり前に何か垂れ幕のようなものがヒラヒラしているのはアフォっぽくて戴けません。褌エロに関しては一定のニーズがあるらしいですが、越中褌と謂うのは永井豪のマンガで見掛けたくらいですか。越中は桃太郎侍の割れた着物の裾から真っ白なのがチラチラしていてこそ、です(木亥火暴!!)。
ただ、同じ褌でも博多山笠の締め込みはエロですねぇ、あれはもう、年端も行かない女の子にまで締め込みを着用させようなんて誰が考えたんですかねぇ。案の定エロ目的のカメコが爆発的に増えたので、撮影やウェブ掲載に厳しい制限があるみたいですが。
トクサツ関係だと、以前「GARO」の最終回に絡めて莫迦なエントリを書いたことがあります(笑)。このGAROのラスボスとか「シーナ」とか「青い珊瑚礁」みたいな、エスニック寄りのテイストだとギリギリ許容範囲ですが、和風だと抵抗があります。
今は落語でしか遣わない言い回しですが、「そらぁおめえ、『女房の褌』で喰い込む一方だよ」なんて地口があるくらいですから、あんまり女性向きの構造の下着ではないわけですね(笑)。
投稿: 黒猫亭 | 2009年9月 3日 (木曜日) 午前 01時56分
黒猫亭さまこんばんは。
ちょっと思ったんですが、Tバックって装着の際の気持ち(収まり?)悪そうという事もありますが、あのアイテム自体穿く人が“穿くという行為”をめちゃくちゃ意識してるアイテムだと思うんですね。つまり隙あらば『穿いているぞ』と主張したいオーラが溢れている気がするのです。やはりそういうあからさまな感じにどちらかといえばロリータ志向の男は(←まー僕もなんですが(^_^;))ドン引きしてしまうのかもしれません。やはり普通のデザインのパンツは穿くという行為をことさら意識しない無防備さがあり、そうなればこちらから興味がおこるわけです(ってバカなのか?俺…)つまりローライズのボトムというのは元々モード的なバランスの元に流行したものであるので、しゃがんだ時に下着が見えようがそれは副産物というか不測の事態の範疇だからまだウェルカムなのですね。しかしそれは“無防備”の象徴たる普通のデザインのパンツが中にあってこそまだ許せるのであってそこに“見せてやる”オーラ満載のTバックがあわさるととたんにローライズのボトムまでもが恣意的な“見せるぞ”アイテムと化して品性が感じられなくなり萎える気がするのです(大丈夫なのか俺(^∀^))えーと響鬼の話でしたっけ?あの初期のバケガニのぎこちない動きとかはハリーハウゼン入ってますね(と取り繕ってみる)
投稿: SHUZO | 2009年9月 3日 (木曜日) 午前 01時57分
>SHUZO さん
>>つまり隙あらば『穿いているぞ』と主張したいオーラが溢れている気がするのです。
仰る通りで、強く賛同します(木亥火暴!!)。まあ、世の中にはノーパンが快適だと感じる感覚の方もいらっしゃるようですから、ニアリーな感覚で「布が少ないほうが好い」と謂う嗜好もあるのかもしれませんが、あれはどうも下着としての用を殆ど為していないように見えますね、最小限に隠すだけ、みたいな。
>>やはりそういうあからさまな感じにどちらかといえばロリータ志向の男は(←まー僕もなんですが(^_^;))ドン引きしてしまうのかもしれません。
引きます(木亥火暴!!)。見せる気マソマソの下着って、何だか圧し附けがましくて引くところがありますよねぇ、何か黒のレース附きとかガーターとか(笑)。どうも女豹様系の下着のセンスは脂っこすぎて面白くありません。
>>しゃがんだ時に下着が見えようがそれは副産物というか不測の事態の範疇だからまだウェルカムなのですね。
そうですね、そもそもローライズのジーンズって、しゃがんだり膝を折る動作をあんまり考慮に入れていない設計じゃないですか。女性は臀部に厚みがあるので、屈み込むと立位の場合よりも背面側が極端に引っ張られて履き込みが下がりますから、そこでパンツの一部が見えると謂うのはまだ日常のエロチシズムの範疇なんですが、たまに物凄く小さいパンツを履いているのかそれとも何も履いていないのか、臀部の割れ目がモロに見える場合がありますが、あれもちょっと行き過ぎです(木亥火暴!!)。
これはオレが練馬にいた頃の話ですが、近所のコンビニのバイトの女の子が、どうやらヒップホップ系のファッションセンスらしくて、ダボダボの緩いジーンズを腰で履いていて、後ろを向くと尻の割れ目が見えていたことがありまして(笑)、ここまで行くとエロと謂うより単にだらしなくて不潔にしか見えませんでしたねぇ。
やはり、それなりに挙措動作に嗜みがあって、それでも衣服の構造上不測の事態としてハプニングがあると謂う程度が、男性の目から見て品の好いエロと謂うことになりますでしょうか(エロに上品も下品もあるかと謂うツッコミは却下です(笑))。
>>そこに“見せてやる”オーラ満載のTバックがあわさるととたんにローライズのボトムまでもが恣意的な“見せるぞ”アイテムと化して品性が感じられなくなり萎える気がするのです
まったく仰る通りです(木亥火暴!!)。
ローライズジーンズにTバックの組み合わせと謂うのは、トップがショート丈でボトムがローライズと謂う組み合わせでウェスト部分の肌を出し、前から見ると臍が見えていて、背後から見ると腰骨の上辺りに紐が見えていて、腰部と臀部の境目くらいまでが露出していると謂う組み立てで、ほぼ立位や座位くらいで紐が見える設定になっているのが殆どですから、ハナから見せる料簡で履いているのですね。
一種、見せブラとか見せストラップの延長上の感覚で紐のT部を見せる組み合わせを選んでいるのだと思いますが、モノがパンツだとちょっと下品ですね。
>>(大丈夫なのか俺(^∀^))
大丈夫じゃないです。もう踏み外しています(木亥火暴!!)。
SHUZO さんも、オレと一緒に理不尽な児ポ法「改正」勢力と戦いましょう。
>>あの初期のバケガニのぎこちない動きとかはハリーハウゼン入ってますね
CGIの技術で再現する場合、カニのように表面がツルツルの外骨格で可動部が完全に決まっている生き物ならまだ難しくないみたいですけどね。一番難しいのは、体毛がワサワサ生えていて、表皮が柔らかくて、可動部が複雑な生き物、つまり哺乳類みたいですよ。猿系巨大怪獣のヤマビコが殆ど着ぐるみの合成だったのは、その辺の関係だろうと思います。数少ないCGI部分はかなり不細工でしたからねぇ。
以前語ったPJ版の「キングコング」では、主役のコングが完全にCGIで表現されているんですが、これをCGアニメではなく実写のように見せるCGIってのは膨大なカネと時間が掛かるわけで、CGまみれとは謂え非常に贅沢な映画でした。
十之巻に登場したオトロシも、体毛の殆どないサイ(いや、角は毛の塊で出来ているんですが(笑))とまったく可動部のない亀の甲羅の組み合わせで、シミュレートが必要な可動部をかなり大胆に節約していますね。
投稿: 黒猫亭 | 2009年9月 3日 (木曜日) 午前 02時55分
黒猫亭さまこんにちは。
大丈夫じゃないです。もう踏み外しています(木亥火暴!!)。>>
ええ。もちろん踏み外してますよ(^∀^)
『児ポ法』改正案、断固反対ですね。共に抵抗しましょう(^.^)趣味嗜好でしょっぴかれちゃかないません。
猿系巨大怪獣のヤマビコが殆ど着ぐるみの合成だったのは、その辺の関係だろうと思います。>>
なんか『響鬼』の初期巨大魔化魍は、バケガニがハリーハウゼンのコマ撮り人形アニメ風で、やまびこが昭和着ぐるみ特撮のオマージュかと思ってました。(^_^;)なんか俯瞰視点で響鬼がやまびこに音撃鼓を打ち込むあたりはなんか画面の色合いが独特で、『帰ってきたウルトラマン』あたりのころの着ぐるみアクションシーンの色調を思わせるのは気のせいでしょうか…まだこの頃は高寺氏も市場でカニのプロップ(?)を買ったり、余裕があって楽しげな感じもしますが…
そういえば高寺氏の『大魔人』制作ブログ、かれこれ一ヶ月以上更新止まってますね(^∀^)またいよいよ切羽詰まって来てるんでしょうねー。
投稿: SHUZO | 2009年9月 3日 (木曜日) 午前 11時08分
>SHUZO さん
>>『児ポ法』改正案、断固反対ですね。共に抵抗しましょう(^.^)
一つ明るい材料としては、解散直前の審議で理不尽な自公案に対してかなり良識的な対案を提示した民主党が与党になりましたから、先般の葉梨VS枝野討論が、今度は攻守ところを変えて争われると謂うことが挙げられます。いや、葉梨「議員」なんてもうこの世に存在しないですから(笑)、野党側の議員と謂う意味ですが。
散々批判した自公案は、あれはもう政権与党の強みでもないとごり押し出来た筋合いのものではありませんから、野党の立場であんな戯言を叫んでも、国民の広汎な支持など得られないでしょう。自民党が下野してもあんな戯言を叫んでいるようなら、建設的野党どころの話ではないですね。
参院のねじれ現象の故に、自公が絶対安定多数の強みで強行採決すると謂うことが難しくなっていたと謂う情勢もありましたから、前回の参院選が今回の政権交代劇の一つの伏線にはなっていますね。そして、少し前からの民主党の、建設的野党として積極的に対案を提示していこうと謂う流れがあって、自公の側でも民主党案を軽視して当初案を通すと謂うわけにもいかなくなってきます。
そこで当該法案において協力関係にある与野党間の調整が行われたわけですが、最終的な局面における報道内容を視る限りでは、三号定義の見直しと法の遡及的適用の回避と謂う面では、実は非常に良い形で修正案が成立しています。
その意味で、一番危険な山場は何とか運良くしのぐことが出来ていますので、左程の心配は要らないとは思いますから、寧ろ建設的な形で見直しを訴えていくと謂う方向性も考えられます。就中、原理的な問題を抱える三号定義の撤廃は、前回の審議でそのまま修正案が確定しても問題はなかっただろうとすら思います。
問題なのは、やはりエクパットや日本ユニセフ協会の「子どもポルノ」運動のような危険な主張が無批判に政策に反映されると謂う事態で、一連の「児童ポルノ」カテゴリのエントリでも語ったことですが、民主主義の観点で許し難い欺瞞が行われたことでしょうね。与党案の主張の根拠は、実は意図的な欺瞞だった、嘘以外の根拠は一切存在しなかった、これが一番まずい点です。
今後は民主党の枝野議員が中心となって法案を取りまとめると謂う形になるでしょうから、前回の改正案で何が問題だったのか、お上の圧し附けではない真の民意は奈辺にあるのか、それを訴えていくと謂うことが重要でしょう。
殊に、前回の成り行きでもわかる通り、日本ユニセフ協会には絶大な動員力がありますから、再び数を恃んで署名運動のような形で我意をごり押ししてくる危険性があると思います。こちらのほうも個別に批判を展開していく必要があるでしょうし、カネで買った署名に本当に意味があるのかを論じていくことも必要でしょう。
もしも単に「日本ユニセフ協会の独自活動」が成果を挙げていると謂う実績を作りたいとか、引いては募金活動に反映させたいと謂うだけの動機でこれだけ社会的悪影響のある主張をごり押ししているのであれば、これはもう反社会的組織とすら言えるでしょうから、厳しく監視していく必要があります。
>>なんか『響鬼』の初期巨大魔化魍は、バケガニがハリーハウゼンのコマ撮り人形アニメ風で、やまびこが昭和着ぐるみ特撮のオマージュかと思ってました。
そう謂う部分もあるかもしれませんね。物事は一つの観点からしか視られないと謂うことはないので、技術的な問題を趣向のバリエーションとして表現すると謂う選択肢も勿論在り得るわけで、外骨格の甲殻類は、要するに骸骨がカチャカチャ動いているのと原理的な類似性がありますから、コマ撮りアニメ風の表現も在り得るだろう、と謂うアイディアかもしれませんね。
ヤマビコに関しては、デザイン段階ですでに「サル」がモティーフの一つですから、表現の技法としてCGI向きではない、したがって着ぐるみで表現すると謂うのは、最初からのコンセプトでしょうね。魔化魍デザインはPLEXの人が担当していますから、高寺PDのオファーがどうあれ、技術的な問題点もちゃんと把握しているはずですし。
前回挙げたPJのキングコングが、実は響鬼と同年の公開ですから、ハリウッド映画がアニメーションで表現した巨大類人猿を本邦では着ぐるみで表現すると謂うのは、オリジナルキングコングと東宝版キングコングの関係でもありますね。
PJ版は非常によく出来た娯楽映画の傑作でしたが、あれは一面ではニュージーランドのWETAデジタルの技術力のショーケース的な側面もあるわけで、そのレベルの優秀なCGI技術と莫大な予算に支えられてこそ、毛並みの一本一本までリアルにそよぎ筋肉の一筋一筋まで自然に動き生きているように自然な表情で演技する巨大類人猿を、ワイドスクリーンのスペクタクル映画の主役として扱うことが出来たわけで、これは日曜朝八時のTVシリーズで簡単に真似出来るものではありません。
>>そういえば高寺氏の『大魔人』制作ブログ、かれこれ一ヶ月以上更新止まってますね(^∀^)またいよいよ切羽詰まって来てるんでしょうねー。
その可能性はありますけど、実務が山場に差し掛かっていると謂うことも考えられますから、生暖かく見守りましょうよ(笑)。高寺PD(一応角川でもプロデューサー職なので)は、他はどうあれ手の早さでは白倉PDに遠く及ばないので、仕事をしながらブログの更新もマメに行う、なんて真似は出来ないでしょう。
デビルマンの失敗をまたやらかすかも、と謂う危惧もまた半々くらいで可能性がありますが、まあポジティブに視ていきましょう。高寺は高寺で、使いようによっては特撮の世界で得難い人材ではあります。
投稿: 黒猫亭 | 2009年9月 3日 (木曜日) 午後 01時53分
黒猫亭さま
WETA社の『キングコング』僕も当時観ました。あの動物の毛並みなどの質感表現もさることながら、あの物量…日本では永遠に無理な気もします(^.^)多分あれだけのカット数にCGを加えることに日本のスポンサーは意義を見出さない(認めない)でしょうしね。ただアメリカ映画のCGスタッフってああいう迫力のあるクリーチャーの動きって、例えば走って来てカメラ中央で止まって顔を前方180度にかけて突きだして吠えたり、なんか昔のディズニーアニメ時代からあるような芝居がかった迫力のポーズ(ケレン味?)をとることがままあり、ああいうのはちょっと醒めますね。(キングコングは極力そういうのは少なかった気がしますが…)WETA社といえば実写版エヴァンゲリオンの予告編を観ましたが、ちょっとこっちは…やはり日本のアニメ素材って優秀なスタジオがやろうとなかなか難しいもんがありますね。(現在制作凍結中だそうですが。)
高寺氏ですが、『切羽詰まって来てるんでしょうね』とは書いてもこちらはそんなに心配してません。またこだわってるんだねーっていう感じで意地悪っぽい書き方になってなってしまいましたが(^_^;)基本僕は高寺派なのでポジティブに見守っております(^.^)10月の特撮雑誌あたりでキャストとか発表しそうですがその辺がえらい気になりますよ。
投稿: SHUZO | 2009年9月 3日 (木曜日) 午後 04時15分
>SHUZO さん
オレはPJ版キングコング絶賛派なので、褒めてもらうと我がことのように嬉しいですね。宣伝がましいですが、以前書いたレビューもご一読戴けますと嬉しいです。
http://kuronekotei.way-nifty.com/nichijou/2006/05/the_eighth_wond.html
唯一悔やまれるのは、貧乏のせいで劇場で観ていないことなんですが、あれはやはり大スクリーンで観ておけば好かったと後悔しています。公開当時は、CGのスペクタクル映画全般に飽きていたんですね。DVDで観ればいいじゃん、みたいな。
>>多分あれだけのカット数にCGを加えることに日本のスポンサーは意義を見出さない(認めない)でしょうしね。
キングコングに関しては、指輪物語の成功でPJがほぼフリーハンドに近い絶大な権限と莫大な予算を勝ち取りましたからねぇ。多分、あんな贅沢な映画の作り方はもう誰も出来ないんじゃないですかね。ニュージーランド映画産業の立役者となったPJだからこそ生涯に一度だけ作ることが出来た夢の映画です。
仕事を選べる立場になったPJ自身は、キングコング以降、「ラブリー・ボーン」一本しかメガホンを握っていませんが、もう手ずから映画を作る必要はないんじゃないかと思います。人間と謂うのは、自分の夢を実現してしまったら、後は他人の夢の実現を後押しする立場に廻るべきだと思いますので。
いや、「ラブリー・ボーン」はどんなに貧乏しても必ず劇場で観ますけれど(笑)。
>>ただアメリカ映画のCGスタッフってああいう迫力のあるクリーチャーの動きって、例えば走って来てカメラ中央で止まって顔を前方180度にかけて突きだして吠えたり、なんか昔のディズニーアニメ時代からあるような芝居がかった迫力のポーズ(ケレン味?)をとることがままあり、ああいうのはちょっと醒めますね。
ああ、これはわかります。CGIと謂うのは広義のアニメーションと捉えたほうが実態に即しているだろうし、モーショントレースなどもロトスコープの延長上で考えたほうが好いと思いますが、これはディズニー的なフルアニメーションの考え方がリミテッドアニメーション主体の日本のアニメとはセンスが違うと謂う部分と関係してきますね。
オレはどうもディズニーのフルアニメやピクサー辺りのCGアニメなんかの、キャラの動作や表情を分析的に緻密にシミュレートして、時間的に引き延ばした上で誇張する方法論が好きではない部分があります。
スローモーションなんかと同じ理屈で、じっくり見せたい芝居なんかは、動きを遅くして(つまり時間的に引き延ばして)表情の動きを大袈裟に誇張して表現するでしょう。日本でもジブリアニメなんかは同じような技法を使いますけれど、個人的にはあれはどうにも気持ちが悪くて、「絵」として抽象化したニュアンスで伝えて中割を省略する日本式のリミッテッドアニメーションの感覚に慣れていると、やっぱりしつこくて野暮な感じがするんですね。
実写の演技とのアナロジーで謂えば、要するに芝居が「臭い」んですね。
白雪姫なんかも、今観るとかなりリアルな画風で衣裳の動き方なんかも相当緻密に描き込んでいますから、何処か不気味で気持ち悪い部分があります。ロボット工学で謂うような「不気味の谷」に近い感覚だと思うんですが。
クリーチャーの動かし方でも、リアルで迫力がある一方では、何となくそう謂う観点における臭みを共有しているように思います。
>>10月の特撮雑誌あたりでキャストとか発表しそうですがその辺がえらい気になりますよ。
そうですね、今回のプロジェクトでは高寺PDの権限はかなり限定的な範囲に留まると聞いておりますので、映像化の実作業についてはどの辺まで高寺PDの意向が反映されているのかわかりませんが、彼が社外に出て初めて手懸ける仕事ですから、無事軌道に乗って欲しいとは思います。
ただ、何か高寺成紀と大魔神って、どうにも接点がないように思えて仕方がないんですけどね(笑)。そう謂う個人的関心から遠い作品をどのように消化しているのか、ここも見どころとは謂えるでしょう。
投稿: 黒猫亭 | 2009年9月 3日 (木曜日) 午後 05時59分