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2009年10月 8日 (木曜日)

微妙な告発

亀井担当相「取り消す気ない」経団連批判

もうこの人が官軍になればこうなるのは予想の範疇だが、相変わらず発言内容が微妙な上に一度言い出したら聞かない人だよなぁ。雌伏時代のあれやこれやも腹に積もっているだろうから、政権にコミットしたら暴れ出すのは目に見えていたわけだが、この人が郵政改革を見直す責任者と謂うことでは、今以上に揉めるだろうと謂う予感がヒシヒシと感じられる(笑)。

まあたしかに経団連、就中奥田碩から御手洗富士彦時代の経団連の、財界人としての矜恃のカケラもない姿勢や政治に対する働き掛けが国民の生活を破壊する結果を招いたことは事実である。大多数の国民が納得して生きられない社会になったことには、当然経団連の責任は大きいだろう。

大企業のリーダーには国家の経済的な領域について大きな責任があるわけで、自分の企業と謂う帰属集団の利益だけを図ることは許されない。少なくとも建前としてはノブレス・オブリージュのようなものを意識して行動することが求められるわけだが、奥田時代以降の経団連の主張には、その種の公共性に対する配慮をまったく視ることが出来なくなった。まあ、それ以前だって本音の部分ではろくなものではなかったわけだが、建前を意識しなくなると、下劣な金持ち根性に歯止めが効かなくなる。

ウィキで近年の動向を視てみると、改めて愕然とするほどろくなことをしていない

この記事を読む限り、諸悪の根源と名指しされても仕方のないところがあって、筋論的に整合した主張がまったく視られず、当事者的な利害に絡んだ自己中心的な主張しかしていないことがわかる。経済活動を活性化することで国民全体の生活が向上すると謂うようなビジョンもまったくないわけで、普通に考えると、何の筋合いがあってこんなに経営層を優遇しなければならないのか、また何故国政がこの主張を受け容れるべきだとこの連中が考えているのか、サッパリ筋道が理解出来ない。

大筋のビジョンがあって、「そのような社会構造にシフトすれば国内経済が活性化し多くの人々がその恩恵を受けられる(ただし最も潤うのは財界人)」と謂うのであれば、まあ金持ちと謂う特定階層が描く社会像として或る種しょうがないだろう、それなりに考慮しなければならないだろう、と謂う理解も出来るのだが、この現状では単に特定当事者の私的な都合の圧し附けでしかない。

都合の好いことだけ圧し附けて都合の悪いことはノーと突っぱねているのだから、マトモな社会人の主張ではない。自らに都合の好いように国政を私しようとする意図が剰りにアカラサマで、ここまで金持ち階級が穢い腹の内をぶちまけたことは「みぞうゆう」の事態ではないかと思われる。

そう謂う意味では、物凄く大局的に視て、亀井静香が、

「家族間の殺人事件が増えている責任は大企業にある」
「風が吹けばおけ屋がもうかるという程度ではない。もっと強い」

…と非難したことも故ない言い懸かりではないのだが、やはりそこまで強い表現を用いるのであれば、もっと直接的な因果関係がないと拙いだろう。「家族間の殺人事件が増えている」と謂う事実のありやなしやを確認したわけではないから、断定的なことは言えないが、そう謂う事実があるのであれば、経団連の所行にも責任の一端はあるだろうとは思うのだが、まあそんな単純な理由だけでマクロな社会現象が語られるのも乱暴な話だろうし、昨年だけの事例を元にそこまで直接的な因果関係が指摘出来るものかどうかと謂うのは疑わしい。

つまりこれは、叙述の前後関係が逆なんだろうと思う。事実として「家族間の殺人が増えている」と言い得るようなデータがあるのだとすれば、それを直接大企業の振る舞いを原因として責任を糾すのは暴論であるが、逆に大企業の振る舞いが「家族間の殺人が増えている」と謂うマクロな社会状況の現出に与える影響は「風が吹けばおけ屋がもうかるという程度ではない。もっと強い」と謂う言い方は出来る。

家族間の殺人事件が増えたと謂う事実が仮にあったとして、大企業の振る舞いを直接原因として特定することは出来ないが、大企業の振る舞い如何によって、家族間の殺人事件が増えるような社会状況を現出するような影響が及ぶことは間違いない。

この両者は混同してはいけないから、亀井静香の発言は大筋では考え方は間違ってはいないとしても、叙述の順序が転倒して原因と結果が混乱しているから、結果として過酷な告発になってしまっている。この違和感が直観的に伝わる為に、言わんとするところは大筋何となくわかるが、そこまで言うのは言い過ぎだろうと謂う、何ともモニョッた印象を受けるのだろう。

亀井静香と謂う人は、個人としては泥臭い頑固な正義漢と謂うところなのだろうが、その一方ではカネの部分で清潔さがなかったり、結論には同意出来るが理路や具体的な細部では同意出来ないことを言ったりするような微妙な部分があって、それはどうもこの種の原因と結果を取り違えるような論理性の瑕疵があるからかもしれない。

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コメント

こんにちは。YJSです。

webちくまに「景気ってなに?」というコラムがありまして、経済学者の松尾匤さん(立命館大学教授、専門はマクロ・数理マル経)が書いているのですが、最近全12回の連載が終了しました。
教科書レベルで、いろいろな事(不景気、格差、経済政策)に対して、この程度の説明がつくよ、という良い解説になっていると思います。

小泉政権を含む政策の根っこの部分や、統計データをそのソースを示して解析している部分などが、だいぶ整理された形で俯瞰できるように思うので、私としてはおススメです。

ネットで無料で読めるので、もし興味があれば以下のURLから(末尾が /12_8cont.html まで)。
http://www.chikumashobo.co.jp/new_chikuma/matsuo/01_1cont.html

参考になれば嬉しいです。

投稿: YJS | 2009年10月 8日 (木曜日) 午前 08時16分

>YJS さん

読ませて戴きました。これまで読んだ説の中では、幅広い現象を矛盾なく説明出来ていると思います。そうか、やっぱり非常識な状況が起こりつつあるんじゃなくて、非常識なことをした人がいるから非常識な事態になったんですね(笑)。

以前ご参加を戴いた議論も、こう謂うのを読むとやっぱり空論でしたね。悪いのは小泉純一郎「だけじゃない」と謂う話が、いつの間にか小泉純一郎は「悪くない」にすり替わる辺り、まあ典型的な強弁だと謂うことで。

しかし、この説明によれば、

・景気の動向と犯罪発生率には統計的な相関がある
・今回の不況の原因は自民党政権の政策と日銀の対応の誤り
・自民党の政策の背後には経団連等の財界の意向がある

…と謂うことになりますから、「家族間の殺人事件が増えている」「それは経団連の責任が大きい」と直結するのは、やっぱり乱暴ですよね。

松尾さんの説明の中心にあるのはやはり政治の問題ですから、財界人の意向が間違ったものだとしても国政がその意向を無批判に容れるほうがよっぽどおかしいわけですし、日銀の対応についても政治が介入する余地は十分あったと謂う意見ですから、煎じ詰めれば政治の責任だと謂うことになります。

つまり、経団連の側から出発すれば、経団連の意向→間違った経済政策→不況の深刻化→犯罪発生率上昇→家族間殺人の増加と謂う一筋道になりますから、そのような理路で経団連の責任は大きいわけですが、家族間殺人の増加から出発すると、家族間殺人の増加から不況の深刻化までのプロセスを逆に辿った上で、原因が政権・日銀・経団連の三者に分岐するわけですから、政治家が結果から遡って経団連だけをとくに糾弾するのもおかしいと謂う話になってしまいます。

寧ろ責任の流れ全体の主流は政権にあって日銀と経団連は支流なのですから、真っ当に考えると、亀井静香も郵政改革で袂を分かつまで在籍していた自民党政権の長期的な経済政策が間違っていたと謂う話になるので、亀井静香がそれを言うのも嘗ての党人としてどうなんだと謂う話にもなりますね。

投稿: 黒猫亭 | 2009年10月 8日 (木曜日) 午前 10時49分

こんばんは。

さきほどおやつに食べていた到来物の大阪菓子にしおりが入っていて、府立中之島図書館が紹介されておりました。

http://www.library.pref.osaka.jp/nakato/tatemono.html

儲けるけれど人の為にも使う、財界人も昔の方は心意気が違うなあ、などと思っていたので心情的には静香やったれなのですが……。でもやはりびみょーはびみょーですね。

スピーチライターとかをつければ、もっと分かりやすくてカッコいい表現ができそうですけれど。

投稿: 604 | 2009年10月 8日 (木曜日) 午後 06時14分

>604 さん

>>儲けるけれど人の為にも使う、財界人も昔の方は心意気が違うなあ

昔の金持ちが今の金持ちよりもどれだけマシだったのかよくわからない部分はありますが、今よりも世間が怖かったことだけは事実だろうと思います。体裁や外聞を繕ったと謂うことですが、逆に謂えば功成り名を遂げた者が富の次に求めたのは名誉だったと謂うことでもあるでしょう。

何不自由なく豊かに暮らしていけるだけのカネを蓄えた上で、名士としての名誉も求めるのが普通の人情だったと謂うことだと思うんですね。だから、欲と一口に謂っても金銭欲だけではなく名声欲もあったし、「あいつは金の亡者だ」と陰口を叩かれるのは好ましくなかったと謂うことでしょう。

何でも金ずくと謂うのははしたないことであり、その辺の高利貸しのようなチンケな小金持ちの下品な性根で、国内有数の金持ちともなれば、一方ではえげつない金儲けをしていても、富の余慶を社会に還元することで世間からの尊敬も集めたいと謂うのが普通の階級意識だったんではないかと思います。

まあ、そんなに穿って考えなくても、仰る通り昔の大商人は人間の器が違ったんだと考えてもそれほど間違いではないと思います。上方落語に頻出する大金持ちの代名詞とも謂える豪商が鴻池善右衛門ですが、落語ダネになるほど伝説的な金満家だったわけで、儲けることも儲けるが遣うこともどえらく遣ったわけで、娘の稽古事の通学に不便だからと謂う理由で淀川に橋を架けたなんて逸話もありますね。

江戸時代の経済が閉鎖系における国内消費だけで廻っていましたから、儲けたら遣うしかなかったと謂うことも技術開発者さんが指摘しておられますが、大局的に視れば社会が豊かになることで商売も活発になる、商売で儲かったらその分を社会に還元することでさらに社会が豊かになりさらに商売が活発になって、孫子の代まで一族の持続的な繁栄が得られると謂う信念があったのでしょう。

もうちょっと単純なことを謂えば、やっぱり奥田碩にせよ御手洗富士夫にせよ人間が小物ですし、長期不況の厳しい社会状況の中で、積極的にチャレンジして社会を豊かにしようなどと考えず、非常に近視眼的に自分たちの取り分だけを確保しようと謂うセコい経済思想で動いている人物ですから、やり口がセコいわけですね。

松下幸之助辺りを最後に大商人の風格を具えた財界人はいなくなってしまったし、生き残ったカリスマ的経営者も中内功のように敗残の醜態を晒して、結局財界人も政治家も新自由主義などと謂うアヤシゲなお呪いに望みを託すようになったわけで、どんどんやり口がセコくなっていくわけですね。

>>心情的には静香やったれなのですが……。

亀井節は浪花節の正義感に訴えるような泥臭い部分があるんですが、どうも理屈がキチンと伴っていないので、スローガン的には同意出来るけれど細かいところを視ると同意出来ないと謂う話になるんですよね(笑)。わかりやすい正義感のアピールと謂うことでは小泉純一郎と変わらないじゃないか、と謂う危惧もありますし。

頑張っているモラトリアム法案なんかも、中小企業や個人などの弱者に対して救済策が必要だと謂うことには異論はなくても、三年間の返済猶予を法制化すると謂う非常措置に何らかの本質的なメリットがあるとは考えにくく、とくに中小企業への貸し渋りが今以上に増えることに繋がりかねないので、逆に金融機関からの短期借入で資金を廻している中小企業がバタバタ潰れていく事態に発展するんではないかと。

寧ろ正道は中小企業が大企業の犠牲にならず積極的に発展していけるような経済政策を打ち出すことで、銀行側も中小企業なんて大企業が損益を被せて使い棄てるものだと考えているから貸し剥がしや貸し渋りが起こるわけで、そう謂う風潮になったのはバブルの後始末の不良債権問題があったからですよね。

YJS さんが紹介されたリンク先によれば、少なくとも現状は経済学の教科書から何処も外れた事態ではないと謂うことですし、需要側に立った景気回復が不可能だと謂うことでもないようなので、寧ろ普通にしっかり合理的な経済政策をやれば非常措置を講ずるよりも効果的で本質的なメリットが得られるでしょう。借金の返済が苦しいだろうから猶予しようと謂うのは何の解決にもならないだろうと思います。

投稿: 黒猫亭 | 2009年10月 8日 (木曜日) 午後 09時30分

こんにちは。YJSです。

黒猫亭さん:
> > YJS:
> > webちくまに「景気ってなに?」というコラムがありまして…
> > ネットで無料で読めるので、もし興味があれば…
> > http://www.chikumashobo.co.jp/new_chikuma/matsuo/01_1cont.html
>
> 幅広い現象を矛盾なく説明出来ていると思います。

あぁ、ちょっとホッとしました。
エントリの主旨に合ってないかも…とか、黒猫亭さんの問題意識と合ってないかも…とか、かなり心配だったので。

投稿: YJS | 2009年10月 8日 (木曜日) 午後 10時56分

>YJS さん

YJS さんご自身のご意見も伺ってみたいところですが、こう謂うふうにわかりやすい解説を教えて戴いただけでも有り難いです。元々オレは、社会的な問題については悪者がいるから問題が起こるとは考えていないので、糾弾の論理で考えても解決しないと謂う持論を持っていますが、それでも困るのは、間違ったことが為され現に間違った結果が招来されたのに頑としてそれを認めない人がいることで。

リンク先の解説は、難しい計算や統計値の補正を丸めてある分、自分が本当に理解出来ているのか不安な面もありますが(笑)、せとともこさんのところで技術開発者さんから伺ったお話と整合している部分も多く、たとえばケインズの経済理論は世界恐慌における不況の研究から始まったけれど、フリードマンの経済理論は高度成長期における好況の持続と謂う観点の研究から始まったと謂うお話がありました。

だとすれば、たしかに不況のどん底で新自由主義改革を加速することは自殺行為と謂えるわけで、小泉改革は最初からやめとけばよかったことをやって予想通りの大失敗に終わったと謂えます。少なくとも、中曽根政権から続く新自由主義的な改革の歩調を緩めて、本格的に不況対策に乗り出して成功していたら、自民党もこんにちのような無様な状況に陥るのが何年か遅れたかもしれませんね。

専門家が改めてそれを総括するなら、教科書通りにやらなかったせいで教科書に書いてある通りの失敗がもたらされたと謂う形になるのでしょうけれど、それは裏を返せば教科書通りにやっていれば上手く行ったはずだと謂う言明にもなるので、それは少し話が美味すぎないかと疑ってしまうところもあり、ホンマかいなとモニョってしまう部分でもあるんですが(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2009年10月 9日 (金曜日) 午前 04時38分

こんにちは。YJSです。

黒猫亭さん:
> YJS さんご自身のご意見も伺ってみたい

うへぇっ!!
私、学史とか全く知識がなくて。なので新自由主義とか、系譜とか、もうさっぱりなんですよ。黒猫亭さんが出没するエントリやコメントで勉強させてもらってる立場でして。

> 教科書通り…それは少し話が美味すぎないかと疑ってしまう

はい。これは健全な態度だと思います。
私は、むしろ教科書レベルに基づいた議論が、マスメディアなども含めて著しく不足しているのが問題なのではないかと感じることがあります。
つまり、教科書レベルを押さえた上で、そこから議論が始まることで、そしてその辺りの議論は既に広く普及していることで、教科書レベルでは捨象してしまっているが重要な部分に手が届き、その議論が有権者に届く、と。
政治家は有権者が選んでいるわけなので、メディアが教科書レベルの見識も持っていない(=不勉強)と非常に困るなぁ、と。メディアにしてみれば、そんなことをすると高く付き、しかも記事は売れないのだ、という理由があるのかもしれませんが。

エントリの話題に戻りますと、亀井大臣の主張をサポートするデータを見つけるのは難しいと思います。
因果推論をするためには疫学的な手法が必要で、既に起きてしまっている殺人という事象を分析するためには、レトロスペクティブなケース・コントロール・スタディを行う必要がありますが…だれもやってないんじゃないかなぁ。
このあたりはTAKESANさんあたりの意見も欲しいところですが。

いずれにせよ、1)不況とは家計や企業などの経済主体に流通する貨幣が不足すること、2)需要を刺激するとは貨幣が不足している経済主体に必要な分の貨幣を注入する事、3)そのための方法は財政政策と金融政策の二つしかない、4)日本を含む先進国は変動相場制を採用しているので実質は金融政策ひとつだけ、ということです。

あと日銀は、世界でも類を見ないほどに高い独立性が与えられていまして、ゆえに責任主体としては日銀は支流でなく、政府と同レベルの本流か、または政府以上の本流だと思っていまして、この約20年間にわたって判断を間違い続けている罪はとても重いというのが私の考えです。
まぁ、メディアもさっぱり判ってないみたいですが。

投稿: YJS | 2009年10月 9日 (金曜日) 午前 08時32分

>YJS さん

ご存じかとも思いますが、オレ自身は何の専門家でもないし、とくに何を集中的に学んでいるわけでもないので、個別案件ごとの観察と調査と推理でしかモノを言っていません。以前はこう謂う言論姿勢を表現する比喩として「探偵」と称していたんですが、言われたほうが応対に困るようなので最近は滅多に言いません(笑)。

YJS さんのご意見を伺ってみたかったのは、寧ろこちらの解釈がリンク先を紹介されたYJS さんの原意図とズレていたら心苦しいな、と思ったからでして(笑)、そうそうズレた理解でもなかったようで安心しております。

>>私は、むしろ教科書レベルに基づいた議論が、マスメディアなども含めて著しく不足しているのが問題なのではないかと感じることがあります。

>>メディアにしてみれば、そんなことをすると高く付き、しかも記事は売れないのだ、という理由があるのかもしれませんが。

この辺、大いに気持ち悪く感じるところではあります。同じくせとともこさんのところで技術開発者さんが仰っていたことに、「日本においては、新自由主義者は政権サイドではなく経済マスコミの領域に多く入り込んだのではないか」と謂うような推測を述べておられますが、たしかに教科書通りのベーシックな意見は少数派で、不自然なまでの新自由主義擁護の論調が目立つことは事実だろうと思います。

日本の戦後政治が半分社会主義政治であったと謂うことは技術開発者さんに限らず多くの論者が指摘する定説だろうと思いますが、そのような状況において経済マスコミに入り込んだ新自由主義者が改革を望むカウンターの立場を採り、中曽根政権から始まる新自由主義的経済政策の段階的導入の追い風となった、と謂う構図なのかもしれません。

そんななかで実際に新自由主義的政策の影響で八〇年代末から九〇年代にかけてバブル経済の繁栄が訪れることで、マスコミの新自由主義者が「ほらみろ」と自信を持った、ところがバブル崩壊後の後始末で国内景気が長期低迷し、そこから現在に至るまでほぼ浮上出来ていないわけですが、本家のアメリカではバブルが崩壊する都度何度も上手く立ち回って盛り返している、これはやはり日本型の中途半端で折衷的なやり方が良くないんだと謂うことで、さらなる新自由主義改革を押し進めればアメリカ同様の繁栄が持続するに違いない、そう謂う皮算用だったのかもしれません。

で、新自由主義者にとって新自由主義経済理論と謂うのは、経済的繁栄の万能薬ですから、教科書通りのロジックでは決して不況期にやってはいけない政策を、不況脱却を旗標に掲げて断行する好機を得ると謂う皮肉な状況になっていくわけですね。長期に亘る不況で国民が閉塞感を感じ、この慢性的な状況を打破する特効薬はないかと謂うムードが醸成されている時期に、新世代の政治家とマスコミが共に「それがあるんでございますのよ奥様」と新自由主義を売り込んだ、そう謂うことなんでしょうね。

ただ、一方で小泉改革を後押ししたマスコミ人が、深刻な構造不況の状況下で好況維持型の新自由主義改革を推進すれば、高い確率で失敗することを予測しなかったのかと謂うと、実は無意識レベルでは或る程度予想出来ていたんではないかとも思うんです。単に新自由主義が経済的繁栄の万能薬だと謂うスローガンに自ら騙されていたのか、それとも今更引っ込めるわけに行かなかったのか、いずれにせよ何らかの知的に不誠実な自己欺瞞があったんではないかと憶測しています。

>>因果推論をするためには疫学的な手法が必要で、既に起きてしまっている殺人という事象を分析するためには、レトロスペクティブなケース・コントロール・スタディを行う必要がありますが…だれもやってないんじゃないかなぁ。

そもそも、この亀井静香の特定の主張自体は、学問的見地から視て重要な意味なんかないですからねぇ(笑)。まあ畑の問題ではあるんでしょうが、どうもこの人は小泉純一郎同様、悪者を糾弾しないと気が済まない部分があるんではないでしょうか。

「レトロスペクティブなケース・コントロール・スタディ」によって、家族間殺人の主要な原因が経団連の振る舞いにあることを証明すると謂うのは、骨が折れる割には或る程度蓋然的に見当が附くことのニュアンスが判断出来るだけ、と謂う労多くして穣りの少ない研究になるでしょう。

前回申し上げたように、「不況とは家計や企業などの経済主体に流通する貨幣が不足すること」と謂うYJS さんの挙げられた定義に基づくなら、家族間殺人と謂う対象を考える場合、問題となるのは家計に廻る貨幣の不足ですから、不況下において殺人事件一般が増加すると謂う傾向があって、殺人事件のなかでも家族間殺人が増えていると謂うのであれば、その状況の現出については、家計に廻る貨幣が不足する方向性に働き掛けた者に責任の一端が存在することは、調査するまでもなく論理的に言い得ることです。

ただ、「経団連の責任で家族間殺人が増加した」と謂う言い方が出来るのは、「レトロスペクティブなケース・コントロール・スタディ」によって直接的な因果関係が証明可能な場合だけですから、そんな言明を可能にする為だけの研究が存在すると考えるのは虫が好すぎるでしょうし、わざわざ政治家が公言することでもないと謂う話だと思うんですね。

>>日本を含む先進国は変動相場制を採用しているので実質は金融政策ひとつだけ

結局問題は日銀の過剰なインフレ警戒だと謂うことになるんでしょうね。これってつまりは、デフレ基調で経済政策が失敗する分には貨幣価値が下落しないので概ね政治の責任と見做されるが、インフレ基調で同じことが起こると貨幣価値が下落して日銀の責任に直結するので、歴代総裁が引責を忌避したって理解で好いんですかね。

>>あと日銀は、世界でも類を見ないほどに高い独立性が与えられていまして、ゆえに責任主体としては日銀は支流でなく、政府と同レベルの本流か、または政府以上の本流だと思っていまして、この約20年間にわたって判断を間違い続けている罪はとても重いというのが私の考えです。

日銀が判断を間違い続けていると謂う指摘自体は随分前からありますよね。経済問題において果たすべき責任を果たしていないと謂うことなんだと思いますが、どうもいろいろ情報を視ていくと、日銀の不合理な対応の根本的な原因は、責任を取りたくないと謂う保身の動機じゃないかと謂う気がしています。

その意味では仰ることもわかるのですが、オレが「支流」と言ったのは、たとえば政権と日銀と財界と謂う三者を想定した場合、本来この三者全体に決定的影響力があるべきなのは政権だと謂うことなんですね。他の二者においては、基本的に自分以外の二者に対する影響力は限定的なものであり、そうあるべきものですが、政権は他の二者に対しても影響力を行使する責任を持っています。

繰り返しになりますが、たとえば経団連が労働者を圧迫する不当な影響力を行使したと謂うのであれば、そんな圧力に屈した政権の責任のほうがもっと重いわけですし、日銀が二〇年にも亘って判断を間違い続けたと謂うのであれば、それを無策で放置した政権の責任はもっと重いわけです。つまり、直接的な影響力の多寡と筋論的な責任の在処と謂うのはまた別ではないかと謂うことなんですね。

投稿: 黒猫亭 | 2009年10月 9日 (金曜日) 午後 04時15分

こんにちは。YJSです。

松尾さんのコラムのまとめについては、黒猫亭さんの最初のコメントからしてドンピシャだったので、私の意図の通りです、はい。

亀井大臣の発言に対する評価については同意見です。また政権の優位性についても、現行日銀法を可決したのは国会であり、日銀の総裁を任命するのも内閣総理大臣ですから、やはり同意見です。

あとは二点だけ補足。

黒猫亭さん:
> デフレ基調で経済政策が失敗する分には貨幣価値が
> 下落しないので概ね政治の責任と見做されるが、
> インフレ基調で同じことが起こると貨幣価値が下落
> して日銀の責任に直結する

まず一点目ですが、クルーグマンの教科書にも書いてあったと思いますが、マトモなマクロ経済学者が「物価安定」と言った時、それはゼロインフレではないんですね。年に2~3%程度のインフレを指します。
デフレの定義は「2年以上継続的に一般物価が低下すること」で、戦後でデフレになったことがある中央銀行は日銀だけ。つまり日銀は物価安定に失敗しつづけているという結論になります。
このことだけで、本来なら日銀の責任に直結しなくてはならないはず、なんですね。なぜかメディアはその辺りを攻撃しませんけど。
あと「貨幣価値」ですが、金不換の管理通貨制度を取っている場合、貨幣価値を考えるのは意味が無いんです。例えば金本位制度下で対外債務がある時などは、交易条件を左右することになりますが、もはや金本位制度ではないですから。
現在の管理通貨制度・変動相場制において、円と他の通貨との為替レートについては、円高であれば良い・円安であれば悪い、といった関係は成立しません。どちらでも、良い場合も悪い場合もあり、交易条件だけに絞って議論した方が良いのです。なぜかメディアでは混同した報道が多いようですが。

二点目ですが…政権の優位性を認めるにしても、やはり民主主義の国ですから。最終的には有権者がマズイ(それも非常にマズイ)選択をしたってことになると思うんです。
でも、不況の原因は金融緩和の不足、つまりは日銀のオペレーションが拙かった、そんな日銀総裁を選出し続けたのは自民党だっ!、だから民主党に投票したっ!、な~んてこと、無かったと思うんですね。今回の選挙でも。
不況の原因が金融政策にあるってこと、意識していない有権者が多いのではないでしょうか?
でも、例えば現在のFRBの議長:バーナンキ氏は、FRBの理事だった時期に既に、「日銀の透明性は十分だ。ひとりの委員を除いてジャンクだってことまで判るんだから。」と発言しています。つまり、それほどにセントラルバンカーにとって日銀のマズさは明らかだった。
日銀総裁が速水氏だった頃です。ジャンク扱いされなかった唯一人の委員は中原伸之さんです。なのに、次の日銀総裁は福井氏、その次の日銀総裁(現在の総裁)は白川氏、中原さんは候補にもならなかった。そして前総裁と現総裁のどちらも、年2~3%のインフレは実現できていません。
ところが、現時点においても日銀批判は盛り上がりません。マクロ経済学の学会レベルにおいても、マスメディアにおいても。
不思議なことなのですが…こんな状況だと有権者はマトモな選択ができっこないなぁ、と。有権者がマトモな選択ができないなら、政権優位でも仕方ないなぁ、と。
ここで話が陰謀論ぽくなるんですが、有権者の意思決定に対して重要な位置を占めるマスメディアがこれほど日銀に手を触れたがらないのはなぜだろう?、と考えていたんです。
それこそ、ヘンなバイアスの人たちが政権でなくメディアに入り込んでいたのかもしれないですね。

投稿: YJS | 2009年10月 9日 (金曜日) 午後 05時53分

>YJS さん

>>まず一点目ですが、クルーグマンの教科書にも書いてあったと思いますが、マトモなマクロ経済学者が「物価安定」と言った時、それはゼロインフレではないんですね。年に2〜3%程度のインフレを指します。

素人ですから素人臭い言い方になりますが(笑)、長期的な経済の見通しが語られる場合は常に「物価は上昇するもの」と謂うのが大前提ですよね。素朴に考えるなら、国内経済が成長している場合、それは家計に廻る貨幣が増大していると謂うことで、人件費が上昇していると謂うことなんですから、物価も上昇するのが当たり前だと思うんです。

物価の上昇よりも家計に廻る貨幣が不足すれば「物価が高くて生活が苦しくなる」と謂うスタグフレーションになりますが、普通に経済が成長して景気が好くなり、個人の家計が豊かになれば必然的に物価が上昇して当たり前だと思うんですよ。

しかし、どうも一般的な感覚として、物価が上昇してもそれを上回る所得の上昇があれば良い、と謂うのが実感的にわからないから、とにかく物価は安くなるほうが良いと謂うアタマがあるように思います。

>>あと「貨幣価値」ですが、金不換の管理通貨制度を取っている場合、貨幣価値を考えるのは意味が無いんです。例えば金本位制度下で対外債務がある時などは、交易条件を左右することになりますが、もはや金本位制度ではないですから。

貨幣とは別建で独立した価値基準があるのであれば、「貨幣価値が下落した」と謂う言い方も出来るけれど、金本位制が廃されて飽くまで交易上の相対的な価値基準を適用するしかない場合、相対的な価値の上下には絶対的な意味がない、と謂うことですよね。

しかし、麻生太郎の円高容認発言なんかもそうですが、何故か貨幣の相対的な価値が高いほうが良いと謂う考え方が根強いように思います。これが何故なのかはわかりませんが、貨幣の相対的価値が低くなることに過剰な警戒感があるように思いますし、おおむねマスコミでもそう謂う論調の意見のほうが多いように思います。

>>このことだけで、本来なら日銀の責任に直結しなくてはならないはず、なんですね。なぜかメディアはその辺りを攻撃しませんけど。

経済学に昏いからと謂ってあんまり適当なことを謂ってもしょうがないので、少し調べてみましたが(笑)、たしかに想像以上にヒドイですね。ここ何十年も、危機的な状況において正しい判断をしたことがないし、中央銀行が為すべきことを果たせたためしがないようですね。

>>不況の原因が金融政策にあるってこと、意識していない有権者が多いのではないでしょうか?

いや、仰る通りで、日銀が出来るはずのことを出来ていないことが不況の長期化の要因としてかなり大きいと謂うことは、今まで意識したことはありませんでした。

>>不思議なことなのですが…こんな状況だと有権者はマトモな選択ができっこないなぁ、と。有権者がマトモな選択ができないなら、政権優位でも仕方ないなぁ、と。
>>ここで話が陰謀論ぽくなるんですが、有権者の意思決定に対して重要な位置を占めるマスメディアがこれほど日銀に手を触れたがらないのはなぜだろう?、と考えていたんです。
>>それこそ、ヘンなバイアスの人たちが政権でなくメディアに入り込んでいたのかもしれないですね。

正直言って、マクロ経済学のいろはがわかっていないと、大多数の国民が自力でそう謂うことに気附くはずがないわけですから、マスコミの責任は大きいように思いますね。

そう謂う意味で、YJS さんが仰る「教科書レベルの議論」が改めて重要になってくると思いますが、思うにやはり経済誌紙以外では経済のわかるマスコミ人がいないんではないかと謂う気もしますね。そこで、数少ない経済に明るいマスコミ人が新自由主義者で占められていると推測すると、一般国民のレベルに重要な情報が降りていかないのではないかと謂うふうに思います。

投稿: 黒猫亭 | 2009年10月10日 (土曜日) 午前 02時06分

こんにちは。YJSです。

黒猫亭さん:
> 常に「物価は上昇するもの」と謂うのが大前提

同じコインの裏表みたいなものですが、これを裏返すと「貨幣は減価するもの」なんですね。要するに、ただ単に貨幣を保持しているだけだとペナルティが掛かる、年に2〜3%程度の減価という形で。これをインフレ税という人もいます。どの貨幣にも、ある意味で非常に公平に掛かる税です。
で、二酸化炭素排出に掛ける税と同様に、貨幣を効率的に運用させるインセンティブを発生させるんですね。
貨幣退蔵を不利にする。そして、収入のうち、消費を除くある割合が生産設備などの投資に向かうわけです。企業だけでなく、家計からも、銀行預金を経て融資という形で投資に向かいます。投資により生産性が向上すると、償却費用が差し引かれてなお有利になり得るし、生産設備はモノ(=インフレで減価しない)を作ってくれるわけなので。
こういった経済主体の行動が、長期的にみた場合に経済全体の生産性向上に寄与し、長期的に見た場合の豊かさにつながるわけですから、基本的に貨幣は減価した方が良いというのが現在の、標準的なマクロ経済学の、コンセンサスだと言って良いと思います。

物価上昇と生活の苦しさの関係は、あまり単純ではなくて、私などが上手く説明できるか不安なんですが、少しだけ。
経済成長率は、通常はインフレ率より上なんです。設備投資とかにまわる分は、投資する主体がペイする(=儲かる=ゲインの方が大きい)という判断の元に行われます。大体において、自分のお金を賭けているいる人は、お役人などより良い判断をするもので、平均的に見れば上手に投資しているわけです。
つまり、成功した投資の方が平均的に多ければ、経済成長率はインフレ率を上回る数値になります。これを潜在成長率と言ったりします。現在の推計は2%程度でしょう。
経済全体が成長しているなら、後は分配の問題になります。年に2〜3%のインフレにおいて、経済全体が5%の成長をしていても、自分にまわってくる分が1%しか上昇しない場合、「物価が高くて生活が苦しい」という人が出てきます。
だから、成長だけじゃないんですね、問題は。分配の問題もある。この分配の問題が…それこそ小泉政権以前から今に至るまで、ヒドい、すごく。

ちなみに…景気が良いとは非自発的な失業がないこと(=完全雇用が実現できている状態)で、経済が良いとは経済成長率が高いということです。
景気が良くても経済成長率が低ければ経済は不調、それこそ自由化を進めるなどして、供給側の改革をした方が良い。
経済成長率がそこそこでも、非自発的失業者が多ければ不景気、だから金融緩和(=貨幣の増発=貨幣の減価=デフレは論外)が必要です。
景気がよく、経済成長率が高くても、分配がマズいこともあります。いわゆる経済格差。アメリカは伝統的(?)にヒドい。このときは累進税率や相続税率を高くするなどの再分配を強化する必要があります。(なぜか、格差が少ない方が長期的な経済成長率が高いようなのです。これはアメリカにおいてもそうだった、というのがクルーグマン教授の主張です。)

スタグフレーションの話は、以上の話とは別の話になります。非自発的失業率が高いのに金融緩和しても失業率が下がらず、インフレ率が高くなってしまうという現象のことです。サプライショックによるコストプッシュインフレ(インフレには二種類あり、もうひとつはデマンドプルインフレ、あまりインフレ率が高くなければデマンドプルインフレはスジが良いのです)とか経済主体の合理的期待(予測)によるもので、私の力量ではちゃんと説明できません。すみません。

円高スキスキの論調ですが、麻生政権やマスメディアだけでなく、鳩山政権も同様ですよね。藤井大臣の発言しかり。もうゲンナリです。「円高で内需拡大」って、不可能ではありませんが、そのプロセスは細く長い道(いつ途切れても不思議ではない道で、時間も長〜くかかる道)です。
たぶん、依拠しているのが古い経済学、植民地時代の重商主義や金本位(固定相場制の一種)の時代の経済学だから、ではないでしょうか。
しかも、戦後も長く固定相場制が続いてました。固定相場だと、自前の金融政策はできないんです。言い換えれば、マクロ金融政策などというものを考えずに済む。そして、これは重要なのですが、固定相場制では財政政策がよく効くんです。
そんな時代が長かったから…というのは私の好意的な方の見方です。よく判らないというのが正直なところです。

あとは、もし更に調べるなら参考になるであろう書籍の紹介。(いや、もう、私の力量の限界ギリギリっす。)
歴史と貨幣と経済学については、飯田泰之さんの「歴史が教えるマネーの理論」が出色の出来です。貨幣を縦糸に、重商主義、金本位、固定相場、そして変動相場、を俯瞰できる良いものです。
学史まわりは、私は未読ですが若田部正澄さんの「危機の経済政策」がケインズからスタグフレーションを経てマネタリズムや合理的期待を加味した現在の経済学の流れが分かりやすくまとめられているようです。
景気と金融政策については、原田泰さんの「デフレはなぜ怖いのか」が新書にしとくのが勿体ない素晴らしさ。
格差解消のためにはデフレ脱却・成長・再分配強化の三要素がこの順番で注力が必要という立場から、飯田泰之さんの最近の著作「脱貧困の経済学」「経済成長って何で必要なんだろう?」がおススメです。
日銀の現状と日銀改革の方向性については、岩田規久男さんの「日銀は信用できるか」が決定版でしょう。ただ、読むと現状のヒドさと改革の難しさに憂鬱になる面もありますが。
スタグフレーションそのものについては…残念ながら教科書以外に知りません。やはり飯田さんの「コンパクトマクロ経済学」が予想を加味したNew IS-LMまで解説しています。
どれも、図書館でそれなりに借りやすくなっていると思います。

長くなりましてすみません。とりあえず。

投稿: YJS | 2009年10月10日 (土曜日) 午後 02時06分

こんにちは。YJSです。

# 連投で恐縮です。

YJS:
> マトモなマクロ経済学者が「物価安定」と言った時…

これは、黒猫亭さんやこのコメント欄を見て下さっている人に対してのものでなく、「物価安定はゼロインフレだ」のように言う人がいたら(=例えば、行動を見ればそう言っているも同然の日銀総裁など)、それはマトモなマクロ金融政策というものを知らない人、という程度の意味です。
だれでもある分野では素人なわけですから、素人であることは問題でなく、プロがこんな発言したらダメでしょう、という程度の意味でした。

あと、先の投稿で紹介を忘れてしまった記事をば。
クルーグマン教授の「経済を子守りしてみると(山形浩生さんによる翻訳)」です。決して新しいコラムではなく、にも関わらずこの内容が妥当してしまうのがすこぶる悲しいのですが、不況は貨幣が不足している事というのが判りやすく解説されていると思います。

http://cruel.org/krugman/babysitj.html

上記のリンクも、そして前回の投稿の書籍の紹介も、基本的には黒猫亭さんはご存知かもしれないと思いつつも、他にもこのコメント欄を読んでいて必ずしもご存知でない方がいらっしゃるかも…というつもりで紹介しています。ご容赦を。

投稿: YJS | 2009年10月10日 (土曜日) 午後 03時32分

>YJS さん

詳細な解説、有り難うございます。流石に付け焼き刃の情報では附いていくのがやっとなので(笑)、いろいろソボクな感想めいたレスポンスでご容赦を。

>>同じコインの裏表みたいなものですが、これを裏返すと「貨幣は減価するもの」なんですね。要するに、ただ単に貨幣を保持しているだけだとペナルティが掛かる、年に2〜3%程度の減価という形で。

>>基本的に貨幣は減価した方が良いというのが現在の、標準的なマクロ経済学の、コンセンサスだと言って良いと思います。

なるほど、普段意識したことはないですが、物価が上昇する=貨幣が減価することには貨幣の滞留を抑止する効果があるんですね。最初に紹介して戴いたリンク先でも、九〇年代末のゼロ金利政策が奏功せず、利子率が最低となった為に流動性の罠が発生したと謂うような話が出ていましたが、普通は貨幣を退蔵することにはコストが懸かる、だから積極的に貨幣を循環させて投資を行う必要があるわけですね。

>>つまり、成功した投資の方が平均的に多ければ、経済成長率はインフレ率を上回る数値になります。これを潜在成長率と言ったりします。現在の推計は2%程度でしょう。
経済全体が成長しているなら、後は分配の問題になります。

>>だから、成長だけじゃないんですね、問題は。分配の問題もある。この分配の問題が…それこそ小泉政権以前から今に至るまで、ヒドい、すごく。

格差問題の論点と謂うのは、実はそこにあるんでしょうね。どうもこの問題は、格差が昔からあった・なかったの論争になりがちですが、実績に応じて待遇に差があるのは当然ですから、当たり前の意味での格差はあって当然だろうと思うんですが、当たり前でない格差が顕在化していることが問題なんではないかと思います。

>>景気がよく、経済成長率が高くても、分配がマズいこともあります。いわゆる経済格差。アメリカは伝統的(?)にヒドい。このときは累進税率や相続税率を高くするなどの再分配を強化する必要があります。(なぜか、格差が少ない方が長期的な経済成長率が高いようなのです。これはアメリカにおいてもそうだった、というのがクルーグマン教授の主張です。)

格差が少ないほうが長期的な経済成長率が高い、と謂うのは、普通に考えても割合受け容れやすいように思います。極少数者が物凄く報われてその他大勢が報われない社会構造においては、物凄く報われる極少数者になろうとする形でモチベーションが発生しますけれど、大概の凡人は報われないその他大勢になるのが当然なわけです。

その為、まず以て極少数の成功者にはなれないであろう絶対多数者である底辺層のモチベーションが低い、つまり、社会全体のモチベーションが低いので、経済活動を推進するモチベーションは物凄く報われる少数の成功者が担っている。また、最底辺層の経済活動からのドロップアウトも多いでしょうから、国家がコストを払って面倒をみるか、放置しておけば犯罪等に走ることでやっぱり国家のコストを浪費する。

一方、格差が少なければ、トップの階層から底辺層に至るまで満遍なく経済成長の恩恵を実感出来るので、全体的なモチベーションが高いのではないかと。

>>スタグフレーションの話は、以上の話とは別の話になります。非自発的失業率が高いのに金融緩和しても失業率が下がらず、インフレ率が高くなってしまうという現象のことです。

ああ、なんか「合理的期待」とか出てくると途端に難しくなりますよね(笑)。この辺はまあ、そう謂うものなんだと受け取っておきます。

>>「円高で内需拡大」って、不可能ではありませんが、そのプロセスは細く長い道(いつ途切れても不思議ではない道で、時間も長〜くかかる道)です。

普通に考えても円高なら輸入したほうがコストが安いですから、内需拡大とは正反対の方向性ですね。内需を拡大する政策方針なら、別段海外からの輸入でメリットが出る方向性を容認する必要はないわけで、要するに方針と手法が整合していないと謂うことなんでしょうね。

>>しかも、戦後も長く固定相場制が続いてました。固定相場だと、自前の金融政策はできないんです。言い換えれば、マクロ金融政策などというものを考えずに済む。そして、これは重要なのですが、固定相場制では財政政策がよく効くんです。

ここなんですが、どうも今の政治家の経済観と謂うのは、固定相場制時代の感覚そのままな気がします。YJS さんのご意見の骨子は、景気対策における金融政策の重要性と謂うことだろうと思いますが、世間でも政治家の間でも、状況がどうあれ財政政策の問題ばかり論じられているように思いますし、それってやっぱり固定相場制時代の感覚なんじゃないかと謂うように思います。

しかも、政治家が円高を好む背景の一端には、何だか民族主義的な非合理な感情もあるのではないかと謂うふうにも思います。ニクソンショック以前は一ドル三六〇円くらいだったのが今は一〇〇円内外ですから、単純に円が強いのが気持ち良い、円の信用性が高いのが誇らしいと謂うのもあるのかもしれませんね。まさかとは思いますけれど、何だか本当にその程度の感覚なのかもしれないと謂う疑念がどうも拭い去れません。

>>あと、先の投稿で紹介を忘れてしまった記事をば。
>>クルーグマン教授の「経済を子守りしてみると(山形浩生さんによる翻訳)」です。

これ、日本が流動性の罠にずっぽり嵌り込んだ頃の、今から一〇年以上も前に書かれたものなんですねぇ。

>>ここ数ヶ月ほどで、日本が流動化トラップにはまっているということ——そしてその脱出策としてのインフレ提案——はたくさん出てきている。でもそういう提案は、物価安定がいつも望ましいものだという根深い偏見に直面することになった。インフレを引き起こすなんて、国民から貯蓄努力の正当な見返りを奪い、ゆがんだ危険なインセンティブを作り出すものだ、とね。それどころか、一部の経済学者やヒョーロンカたちは、これだけ条件がそろっているのに、日本は実は流動性トラップにははまってないし、そもそも流動性トラップなんてものは現実には起き得ないんだ、と主張しようとしている。でも、この拡張版子守り話をみれば、それが十分に起き得ることはわかる——そしてそこから脱出する経済的に正しい方法は、まさにインフレだってことも。

結局そんなことには一切ならずに景気は低迷を続け、どうすれば好いんだかわからなくなった国民は「簡単なことさ! こうすれば好いんだよ!」と自信たっぷりに笛を吹く陽気な笛吹きについていってこのザマになっちゃったわけですね。

不勉強なものですから、常々「お金を刷る」と謂うことが本当はどう謂うことなんだか理解していなかったんですが、社会全体に廻る貨幣が不足することで企業の投資や国民の労働の対価が低く抑えられ、その状況では安いものが売れるわけですから、どんどんデフレが進行していき、脱却出来ないスパイラルに嵌り込む、これを脱却するには反対の方向に動くように貨幣の量を増やすべきだ、と謂うか、普通はデフレ期には貨幣の増発を通じて景気対策を行うのが当たり前だ、と謂うのは理解出来たように思います。

そして、そのような金融政策を担うのが中央銀行の役割なのに、ここ二〇年間日銀は果たすべき役割をまったく果たしていない、しかもその責任が不自然なほど追及されていないと謂うことも何となくわかりました。結局これって、国民全体の中央銀行の役割に対する理解が低いので、金融政策に対する注目度が低いってことかもしれませんね。

政治家のほうでも、本来ならもっと金融政策の重要性を周知させたほうが有利なように思いますから、思惑絡みで日銀批判を控えていると謂うより、あんまり経済に明るい人がいないってことですかね。

調べてみると、日銀等の中央銀行の政治からの独立性が確保されているのは、政府には財政面で常に貨幣の増発に対するニーズがあると謂うことで、政府の圧力によるインフレへの警戒が理由になっているようなのですが、そうすると日銀固有の立場としては、とにかくインフレ抑止の方向に動いておいたほうが好いと謂う動機があるってことですかね。どうもその辺、生臭い問題が転がっていそうな気がします。

投稿: 黒猫亭 | 2009年10月11日 (日曜日) 午前 01時29分

こんにちは。YJSです。

黒猫亭さん:
> 中央銀行の政治からの独立性が確保されているのは、
> 政府には財政面で常に貨幣の増発に対するニーズが
> あると謂うことで、政府の圧力によるインフレへの
> 警戒が理由になっている

はい、その通りです。言ってみれば、1)愚かなパンピーが選ぶ議会だし、2)その議会から大臣が選ばれ、3)その大臣がトップを構成する政府だから、4)そんな政府ごときはジンバブエみたいになるに決まっている、5)だから俺様たち中央銀行がシバキ上げないとダメだ、みたいなわけです。わざと気に障る言い方にしてますけど。

で、問題は、物価安定とは何か、望ましい物価上昇率はどれほどか、マイナスかゼロかプラスか、ということなんですね。

マイナスがヒドい状況なのはこの20年で証明済みなわけです。ではゼロか? いいえ、年に2〜3%のプラス、というのがマクロ経済学の教科書レベルでの結論だと思います。かな〜りロバスト、です。そうでないと大学の学部レベルの教科書に書かれませんから。

だから、日銀は、そんなにインフレが怖いなら、ちゃんとターゲッティングすべきなんです。2〜3%にしますよ、と。イングランド銀行のように。
ところが、インフレターゲッティングという話が出ると、日銀もマスメディアも、ものすごい攻撃なんですね。
年に2〜3%のインフレを狙って緩和すれば、インフレになる前に失業率が改善され、次に雇用環境が改善され、設備の稼働が改善され、人も設備もフル稼働になってから、まだ緩和が続くようならやっとインフレになり始める、ということなんです。
そして、2〜3%というアンカーがあれば、周りも3%を超えると引き締めに入るということが合理的に予想できるので、ブレが小さくなる、安定しやすくなる、スタグフレーションが予防できる、ということなんです。

さっさと日銀法を改正すれば良いのに、と。明確に年に2〜3%というターゲットを定めるか、それがいやなら失業率も考慮することを付け加えるか、です。
でも…盛り上がらないんです。そんな論調が、メディアで、ですね。不思議なんです。

投稿: YJS | 2009年10月11日 (日曜日) 午前 09時39分

>YJS さん

>>で、問題は、物価安定とは何か、望ましい物価上昇率はどれほどか、マイナスかゼロかプラスか、ということなんですね。

これが年に二、三%のプラスであるべきだ、少なくともその程度のインフレ予想が必要だ、したがって日銀が明確に年に二、三%のプラスをターゲティングする必要がある、と謂うことは、今回ウィキでいろいろ調べてみたら、何処でもそう書いてありますね。

まさに教科書レベルの常識と謂うことでしょう。

>>そして、2〜3%というアンカーがあれば、周りも3%を超えると引き締めに入るということが合理的に予想できるので、ブレが小さくなる、安定しやすくなる、スタグフレーションが予防できる、ということなんです。

これをやらなかった…と謂うか、折角渋々量的緩和に踏み切ったのに、日銀が約束よりもずっと早く引き締めに掛かった為に「日銀は僅かなインフレも許さない」と謂う観測に傾いたことが、金融政策の決定的な失敗に繋がったと謂うことですね。

>>さっさと日銀法を改正すれば良いのに、と。明確に年に2〜3%というターゲットを定めるか、それがいやなら失業率も考慮することを付け加えるか、です。
>>でも…盛り上がらないんです。そんな論調が、メディアで、ですね。不思議なんです。

思うに、国民ががっぷり喰い附く政治問題と謂うのは主に景気と税金ですから、バブル崩壊以降ずっと景気対策が政策論争の焦点になっていて、金融政策の重要性をあんまりアピールしないほうが、「景気対策」にコミットする全員にとってシアワセだったと謂うことなんではないですかねぇ(笑)。

関係者全体の利害が一致すればどんな非合理な事態でも持続すると謂うのが、社会的な問題性一般についてのオレの考え方なんですが、たとえば視聴率なんてのは実質的には意味を成さなくなっていると謂うのは誰でも内心思っていることですが、マスコミ全体の利害に反する事実なので、誰もそんなことは肯定しませんよね。

キムタクや香取慎吾が二〇%の視聴率を持っているなんてのは、経験則に基づく神話でしかないんですが、マスコミこぞってその神話を護るのに必死になっています。彼らでさえ安定的に視聴率を稼げないと謂うことになると、TVメディアの経営は深刻な打撃を蒙るし、それにぶら下がっている活字メディアも大きな不利益を蒙るからなんでしょうが、視聴率も幻想なら視聴率男の神話も幻想で、殆ど意味なんかないですけれど、その幻想が崩壊するとみんなが困るから誰もそれが無意味だと指摘しない、そう謂う状況だと思います。

長期不況の問題も、恰もそれが財政政策の問題であるかのように思わせておくほうが関係者全員にとって好都合だったと謂うことかもしれません。それこそ陰謀論めいていますけれど、どうもここ十数年年くらいの自民党政権の思惑として、不況脱却を口実として新自由主義的改革を加速し米国の年次改革要望書を消化する、と謂うハッキリした動機が存在したんではないかと思います。

その場合、金融政策でかなりの程度不況から脱却可能だと謂うことになると、わざわざ危険な博奕を打って改革を断行する必要なんかないじゃないか、と謂う世論に傾きかねないので、「改革なくして成長なし」なんだと謂うことにしておきたかったのかな、と思います。マスコミのほうも、全体的には新自由主義者が多かったと想定すればそれが好都合だったと謂うことなのかな、と。

学界レベルですらそう謂う議論が盛り上がらないのは、詳しいことは勿論わかりませんけれど、ニセ科学批判が学者の間で盛り上がらないのと似たような事情なのかもしれませんね。多分、日銀の金融政策の失敗で不況が長期化していると謂うことは教科書レベルの鉄板の事実なので、今更それを指摘することには学問レベルのメリットはないし、日銀批判は学者がやることではないと謂うことなのかもしれません。

ただこれ、やり方次第では民主党政権の起死回生の切り札になるかもしれません。

新政権のマニフェストでは景気対策が弱いと謂うことは屡々指摘されていますが、不況は金融政策の躓きに原因があるんだと謂うことを明確化して、日銀法の改正に不退転の決意で取り組むのだと謂う姿勢を明示すれば、或る程度思惑が動くように思いますし、日銀サイドでも渋々インフレ維持に取り組むかもしれません。

ただ、前回の量的緩和が不徹底で期待を裏切ったことで羮に懲りて膾を吹くと謂う慎重な観測が主流でしょうが、政府が責任を持って年に二、三%のプラス目標を達成すると確約すれば、日銀に対する圧力にもなるでしょう。つまり、日銀のほうでそれに逆行すれば、日銀の権限にかなり思い切った制約を掛けるぞ、と謂う圧力ですね。

これは財界のほうでもメリットがあるはずなので、国内に強力な反対勢力は存在しないように思うんですが、どうですかね。経済マスコミは叩くかもしれませんが(笑)、この現状で新自由主義改革擁護論をぶったって総スカンを喰うのがオチですから、ならばどうするんだと謂う答えを自信を持って出せない以上、無責任な批判ばかり垂れ流すわけにもいかないでしょう。

まあ、一方では「財源をどうするんだ」と謂うのは民主党政権批判の骨子ですから、財源確保を目的とした貨幣の増発と謂う批判はやりやすいでしょうけれど、基本的にはメディアコントロールをどうするかと謂う問題ですね。小泉純一郎くらいメディアの扱いが上手ければ何とかなるんですけどねぇ。

投稿: 黒猫亭 | 2009年10月11日 (日曜日) 午後 02時54分

こんにちは。YJSです。

# なんか…コメント欄を占領してしまっているようで、
# 申し訳ないです。

黒猫亭さん:
> ここ十数年年くらいの自民党政権の思惑として、
> 不況脱却を口実として新自由主義的改革を加速し
> 米国の年次改革要望書を消化する、と謂うハッキ
> リした動機が存在したんではないか

例えば、ですね。2009年10月9日付:毎日新聞のコラム「発信箱」では、福本容子記者の署名記事「悪い悪い病」というのがあります。(まだネットで読めます。)
これ、要するに「利上げせよ」なんです。ジョークじゃないんですよ!(私、涙目です)。毎日新聞は、この福本記者に限らず伝統的に社説でもコラム(以前の発信箱では今松英悦氏など)でも、デフレ上等、金利正常化=利上げ祈願、構造改革邁進、ほとんどシバキ上げめいた清算主義、です。

毎日新聞は特にヒドいのですが、毎日新聞だけが特殊というわけでもなくて…だから自民党の方ではなくて、むしろ野党(今の与党の民主党含む)やマスメディアの方にこそ、そんな考えが根付いているのかもしれないなぁ、と。

金融緩和とかインフレターゲッティングとか、無関心に見えます。最初から考慮の外、みたいな。なぜなのか不思議なんです。何度も言ってますが。
毎日新聞の福本記者にしても、教科書も読まずにこんなコラムを書いている…とは、いくらなんでも信じられない、と。
つまり、なにかこう、ある種の熱気…構造改革スキスキ情熱とでもいうようなものがあって、それで絡めとられていて、何を書くにもその熱気に巻かれてからデスクのGOが出るような。そんなことを想像してしまいます。

私は、金融緩和が現時点で一番正しい政策だと思ってますが、供給側の改革が必要じゃないとは全く思ってないんですね。問題はある、山積みに。当然、手を付けるべきです。

しかし、順番がある、と。
まず失業率改善、次に再分配強化、最後に成長戦略、です。だから最初は金融緩和で景気浮揚です。名目の金利がゼロだからもうできませんと日銀が言ったら、「はいそーですね」じゃなくて、「じゃあ国債でも政府紙幣でも買え」「年に2〜3%程度のインフレになるまで20兆でも30兆でも政府が給付金を出し、財源は日本政府券(=政府紙幣)として、額面20兆の1枚の日本政府券を日銀は日本銀行券に換えろ」「他にもいくらでも緩和の方法がある、FRBやBOEに聞けば?」とか言って欲しいんですね、メディアや議会には。
これ、オカシイでしょうか? 私のアタマがバイアスってるんでしょうか? だからみんな無関心なんでしょうか?…などと考えてしまうんです。

だから、黒猫亭さんがスンナリと「あぁ、金融緩和しなくてはならんのね」といった主旨のコメントを書かれた時、私は少し目を疑いました。
今まで、結構たくさん、判ってもらえない事が多かったんです。それって教科書に書いてる事でしょ?つまり空論でしょ?たかが理論でしょ?たしかに教科書は読んでないけど別に読む気起きないし!読まなくても経済知ってるし!会社員長くやってるから判ってるよ、企業と同じでしょっ!とにかくインフレ誘導ダメダメっ!、で終〜了〜ってパターンが多いのでした。

いや、ホント、お付き合いくださって感謝です。
コメント欄をお読みの方が「少し教科書レベルの議論を知っとくのも良いな…」と少しでも感じてくれればと思います。

投稿: YJS | 2009年10月11日 (日曜日) 午後 06時00分

>YJS さん

オレは昔から金勘定が苦手な人間で、経済についてもよくわからないところがあるのですが、それでも近年の社会問題が根っこを辿っていくと経済に結び附くと謂うことは否定出来ないので、最低限のことくらいはわかっておく必要があると思います。

ただ、ウチはこの界隈ではかなりアクセス数が少ない部類で、コンスタントにエントリの更新やコメントの遣り取りがあっても数百前後のアクセスなのと、コメント欄の議論も黒猫亭対特定コメンターと謂う形になって、第三者的な意見が期待出来ないので、その両者の間でバイアスが共有されている場合、それを検証する機能はこのブログにはないと謂うことは言えます。

そう謂う意味では、バイアスの有無についてはあんまり自信はないんですが(笑)。

>>これ、要するに「利上げせよ」なんです。ジョークじゃないんですよ!(私、涙目です)。毎日新聞は、この福本記者に限らず伝統的に社説でもコラム(以前の発信箱では今松英悦氏など)でも、デフレ上等、金利正常化=利上げ祈願、構造改革邁進、ほとんどシバキ上げめいた清算主義、です。

なんかこう、都合の好い材料だけ集めて「デフレこそ成長機会」と主張する論調にはオレもうんざりしているんですよ。常識的に考えて、〇円以下の価格は在り得ないわけですし、たとえばハイブリッドカーを数百円で売れるようにコストダウンすることはまず不可能なんですから、無制限な価格競争がいずれ破綻するのは当たり前のことじゃないですか。

しかも、一方的に安くすると謂う方向性の戦略では絶対経済が成長しないのも、ソボクに計算したら当たり前のことじゃないですか。経済が成長するのだとしたら、従来よりも多くの価値を創造して、その分だけモノの価格が上昇するのが当たり前のことじゃないですか。

モノの価格を安くする方向に一方的に圧力がかかったら、安くした分だけ多く売らなければならないけれど、何がどれだけ売れるかは市場の規模によってかなり低い限界があるわけですよね。そうすると、モノを安くすると謂う方向性の思想は、必ずその限界まで売り切って、外に新たな市場を求めるかさらに新たなモノを作らなければならない。これは、どう考えてもいずれ頭打ちになるはずですね。

デフレ上等とかビジネスチャンスとか言っている輩を視ると、まず常識を疑います。直観レベルでそれは原理的におかしいだろうと思いますので。

>>つまり、なにかこう、ある種の熱気…構造改革スキスキ情熱とでもいうようなものがあって、それで絡めとられていて、何を書くにもその熱気に巻かれてからデスクのGOが出るような。そんなことを想像してしまいます。

オレももういい年になったので保守的な部分があるのかもしれませんが、構造改革待望論と謂うのは、何だか単なる事あれかしにしか見えないんですね。新しいことを試してみるより先に、既存の枠組みで出来ることがあるだろうとしか思えない。

何かこう「TVが映らなくなったから新しいのを買わなきゃダメだ」とか言っているんだけど、よく調べてみたらケーブルが一本断線してただけ、みたいな。それで新しい地デジ対応のTVを買ったら、自分のところが難視聴地域だった、みたいな。

たとえば、デフレで困っていると謂うのであれば、素人が考えても多少インフレに振れるように干渉したほうが好いんだろうと思いますが、玄人がそれをやらないのは何かそれだともっと困る理由があるのかもしれないな、くらいの感覚なんですね。

でも、教科書レベルの常識では、誰でも考える通りデフレを脱却するには多少インフレ基調に持っていけば好い、その為には貨幣を増発すれば好い、と謂うのであれば、ああやっぱりそうなんじゃん、と謂う話になります。

では何故それをやらないのかと謂えば、今あるTVを修理するより新しいTVを買ったほうが嬉しいと思う人がたくさんいるからじゃないのか、でもそれが必ずしも今必要かどうか、今買うと損をするのか得をするのかどうかはわからないよね、と謂うことなんじゃないですかね。

しかも、たとえば先日構造改革の是非を巡る議論でお相手の方が仰っていたのは、今後十数年景気は回復しないし、それで当たり前なんだと謂うような認識でしたが、その観測にはどんな根拠があるんだかよくわかりませんでした。「今後十数年」なんて簡単に言うけれど、その間に自殺率や犯罪発生率は高い水準で推移するわけで、したり顔でそんなことを言っている場合じゃないですよね。それで好いと言うなら、何の為に国政があるのかわからないと謂うことになります。

どうもですね、構造改革や新自由主義を肯定する言説と謂うのは、現在の世界経済が従来の経済学の枠組みでは対処不能な危機的状況に陥っていて、それに対する処方箋は新自由主義経済理論しかない、それで庶民レベルの生活実感で不都合な事態が招来されても、それはしょうがないんだ、これが今の経済の限界なんだ、これから世の中はどんどんそうなっていくんだ、と謂う方向性の強弁ばかりが目立つように思うんです。

たとえば、経済成長の天井が無限に底上げ可能なのか、またそれが超長期的な観点において持続可能なのかと謂うような、もっと上層のレイヤーの議論については、正直言ってよくわかりませんし、安直な解答を出せるような言説も信用出来ないと思います。しかし、現状で天井の限界なんだとか、もうどうしようもないんだと謂うような言説は、あんまり根拠がないように思うんですね。

納得可能な理路を提示した説明など視たことがないし、構造改革肯定論と謂うのは普通の感覚で理路を点検しても必ず何処かに胡散臭い欺瞞がある。そんなことを言い立てる前に、教科書レベルの常識で考えて打てるだけの手は打ったのか、打たないのであればそれには妥当な理由があるのか、そう謂う疑問が拭い去れないんですね。

>>だから、黒猫亭さんがスンナリと「あぁ、金融緩和しなくてはならんのね」といった主旨のコメントを書かれた時、私は少し目を疑いました。

いや、基本的な素養がないですから、YJS さんだけが新説として主張しておられるなら是非を判断出来るだけの材料がないですが、いろいろ調べてみたら、こう謂う場合は量的緩和で貨幣を増発してインフレ基調に持っていくのが当たり前で、何処の国でもそう謂うことをやって不況を切り抜けていると謂うことが何処でも書かれていますから、少なくともオレの立場では疑う理由がありません。お返事に時間が掛かっていたのは、一応ウィキレベルではありますが、裏を取っていたからです。

それ単体で視ても理屈が立っているし、それを否定する妥当な言説や反論があるならともかく、綺麗に無視して「構造改革しかないんだ」とてんでバラバラな理屈で言い張っているような言説しか転がっていないわけですから、そちらのほうがどう考えても怪しいですよ。

投稿: 黒猫亭 | 2009年10月11日 (日曜日) 午後 08時25分

こんにちは。YJSです。

ダイヤモンドオンラインでおもしろそうなコラムが始まったようです。社会学者と経済学者の対談という形。たぶん、黒猫亭さんの問題意識にも近いのではないかと推測します。
全五回で、第一回目は飯田泰之さん・芹沢一也さん・荻上チキさんによるものです。(この後の回では、田中秀臣さんや稲葉振一郎さんも登場するようです。)

URLはこちら。
http://diamond.jp/series/collabo/10001/

かっちょいい絶望を気取るんじゃなくて、カッコ悪い希望を語ろう、というフレーズが…私の好みにピッタリ。

投稿: YJS | 2009年10月15日 (木曜日) 午後 01時21分

>YJS さん

>>ダイヤモンドオンラインでおもしろそうなコラムが始まったようです。

ああ、たしかにこりゃおもしろそうですね。このコラム以外だと、勝間和代と子飼弾の対談が噛み合っていなくて、勝間のテケトーなスタンスが透けて見えて別の意味でおもしろかったですが(笑)。

長いこと日経ビジネスオンラインを読んでいたんですが、ここ数年は構造改革に乗っかる記事ばっかりで殆ど読まなくなっていました。先日YJS さんとのお話で、経済メディアは新自由主義者ばかり、と謂う話が出たので久しぶりに読んでみましたが、郵政民営化見直し阻止みたいな連載記事があったり、「民主党政権のここが危ない」みたいな記事があったりで、相変わらずだなぁ、と(笑)。

経済メディアで絶望を煽るのは、この厳しい状況を打開する特効薬は構造改革の加速しかないんだ、その結果国民の生活が悪くなっても、それ以外の選択肢はないんだと謂うロジックなんじゃないかと思うんですが、上のほうで紹介して戴いた松尾さんの説明によれば、不況からの脱却と天井の成長戦略は整合していないわけですから、まあインチキですね。

>>かっちょいい絶望を気取るんじゃなくて、カッコ悪い希望を語ろう、というフレーズが…私の好みにピッタリ。

仰る通りで、現に明日も明後日も来年も一〇年先も生きていかなければならないと謂うのに、絶望していてどうなるもんでもないわけで、メディアが率先して絶望を煽ってどうするんだと謂う憤りを感じますね。

大本営発表に乗っかって「状況は良くなっているんだ」と謂う無内容な「希望」を煽っても意味がないですが、本当はあるはずの希望をキチンと採り上げないでメディアの使命が果たせているのか、と。

投稿: 黒猫亭 | 2009年10月15日 (木曜日) 午後 04時27分

こんにちは。YJSです。

YJS:
> ダイヤモンドオンラインでおもしろそうなコラム…
> http://diamond.jp/series/collabo/10001/

第2回が来ましたね。上武大学の田中秀臣教授です。タイトルがなんと「メディアよ、いいかげん「ダメな経済学」を捨てよ!」ですと。

http://diamond.jp/series/collabo/10002/

心なしか、吉川洋さんのような経済学者とは輝きが違っているような…気のせい?、いや気のせいぢゃないな。

投稿: YJS | 2009年10月22日 (木曜日) 午後 12時35分

>YJS さん

せとさんのところではお手数を掛けました(笑)。でも、あまり警戒なさらずとも、せとさんは十分フェアな方だと思いますし、他の方のご意見を伺うことでさらに議論を深掘り出来るのではないかと期待しています。

>>心なしか、吉川洋さんのような経済学者とは輝きが違っているような…気のせい?、いや気のせいぢゃないな。

いや、痛快ですね(笑)。オレが上のほうで感じた疑問に対して、かなり直截な解説と批判がありますね。第二次オイルショックのときに作られた所得抑制ルールの成功記憶、三重野スタンダードの存在等、日銀が如何に個人として責任をとらない体質で動いているのかと謂うことがよくわかります。

また、田中教授の発言の以下の部分、

>>ところが日本でテレビや論壇などで活躍している多くの経済学者やエコノミスト、評論家や新聞などの編集委員らはこの当たり前の政策を断固無視して、自分独自のトンデモ経済学を流布しています。実際にそのトンデモ経済学の多くは、まっとうな経済学で批判しなくても、ただの論理的な推論だけであやしさがばれるものが大半なのですが。

ここが面白いですね。このエントリのYJS さんの「教科書通り」を重視する主張にオレが興味を覚えたのは、マスコミのトンデモ経済学って「ただの論理的な推論だけであやしさがばれる」レベルですから、普通に考えてもダメだと謂うことは薄々わかるんですが、じゃあ本当はどうなの、ちゃんとした経済学ではどう言っているの、と謂うところがわからないからなんですね。

まあ、こう謂う話が出てくるのは、多分掲載メディアが新聞社系列ではなく週刊誌だからなんでしょうけれど、どうもこの、新聞社系列のメディアって信用出来ないところがありますね。

投稿: 黒猫亭 | 2009年10月22日 (木曜日) 午後 01時10分

こんにちは。YJSです。

黒猫亭さん:
> せとさんは十分フェアな方

ええ、はい。せとさんのフェアネスは信用しています。また、私がツッコミ倒されてケチョンケチョンにされてしまうことも心配していません。
私が懸念しているのは、なぁんだやっぱり経済学は信用できないぢゃん、と思わせてしまうことです。

正直、私は経済学を学んで多くのものを得ました。経済学にとても感謝している、と言って良いでしょう。
だから、私の不手際で、多くの人における経済学に対する不信感を助長してしまったら…私は自分を許せないと感じると思うのですよ。
しかも、かつて一度大失敗しているわけです。経済学に対する反感を持たせてしまった。繰り返したくないのです。

経済学は…一般の市民が尊敬の気持ちを持って接するに足る、そして一般の市民が基本的な部分を学ぶに値する、そんな学問だと思っているんです。(まぁ、他にも統計学などなど、尊敬の念を寄せ、学ぶに値する学問がたくさんあると思いますが。)
だから…マスメディアの現状はとても寂しいのですね。実はTAKESANさんのブログで教えていただいたのですが、統計学は中学や高校の数学の授業で復活するんです。私は、経済学も入れて欲しい。微積の応用は物理だけでなく、経済学でも可能です。統計の応用は経済学でも可能です。
このあたり、ニセ科学の話に接続する部分でもあるように感じてます。

投稿: YJS | 2009年10月22日 (木曜日) 午後 02時16分

>YJS さん

>>だから、私の不手際で、多くの人における経済学に対する不信感を助長してしまったら…私は自分を許せないと感じると思うのですよ。
>>しかも、かつて一度大失敗しているわけです。経済学に対する反感を持たせてしまった。繰り返したくないのです。

YJS さんのように熱心に勉強されている方に対して、オレのように不勉強な人間がこう謂うことを言うのも何ですが、社会に対して何かが伝わって欲しいと思うなら、やはり自信がなくても自分が主張しなければいけないのだと思います。

そうでないと、YJS さんが幾ら熱心に勉強されても、それはご自分がわかっているだけになってしまいます。オレは、知識と謂うのは伝えていくから意味があるのだと思いますし、せっかく勉強されてその知識に基づく「意見」をお持ちなのに、それで逆に反感を持たれたら、と恐れて発信しないのは勿体ないですよ。

経済学については、マトモな学問ではないと謂う偏見があることは事実ですし、そこまでではなくても、たとえばオレも日本経済がこんな非道い状況になっているのに本職の経済学の専門家には何もアイディアがないのだろうか、と謂う不信感を持っていたことは事実です。

なので、寧ろ「ただの論理的な推論だけであやしさがばれる」レベルの言説を経済アナリストだの経済評論家だのと謂う立派な肩書きの連中がTVや新聞で堂々と吹聴していることのほうが、遙かに経済学に対する信用失墜の元凶だと思います。

せとさんのほうでも松尾教授の解説に理解を示されていますけれど、ここ数年の経済を巡る「専門家」の言説と謂うのは、何の知識もない一般人が普通に考えても論理的に破綻しているようなレベルのものが多かったわけで、それを田中教授は「トンデモ経済理論」と揶揄していますけれど、素人が変だと思うレベルのことなのですから無理もないでしょう。

今回ご紹介戴いた解説やコラム記事は、それに比べると遙かに筋が通っています。これは、説明能力に自信がないとか、失敗した経験があると謂っても、やはりそれをご存じの方が積極的に発信していかないと、一般レベルでは周知されることがない情報です。

田中教授も、

>>とりあえず最優先でやるべきなのは、日本銀行の悪しき政策の失敗をより世間に周知すること、さらにエコノミストたちのトンデモ経済学を糾弾することです。後者については日本的風土では他人の批判を避ける「美風」もありますが、そんなのおかまいなしに、本当のことを正しくいっていきたいと思います。微力ではありますが。

…と対談を締め括っていますが、やはりYJS さんのような方が草の根レベルで積極的に発話していくことにも大きな意味があると思いますよ。

投稿: 黒猫亭 | 2009年10月22日 (木曜日) 午後 03時09分

こんにちは。YJSです。

# 激しく蒸し返しの投稿で恐縮です。
# なにやら世間の一部で特定言説が盛り上がってるようですが…。

NYTのコラムでクルーグマン教授が書いてる2009年11月13日付の記事「It's the stupidity economy(つまりお馬鹿経済が問題ってこと)」があり、かなり面白い(と言うか、一抹の哀しさを含む微笑を誘う)内容なのです。ただ今の「日本の一部セクターにおける盛り上がりぶり」にシンクロするような、です。
URLは下記の通りです。私としてはおススメ。

http://krugman.blogs.nytimes.com/2009/11/13/its-the-stupidity-economy/

翻訳してtwitterで呟こうか迷っていたら、巡回先のP.E.S.さんのブログにちゃんと日本語に翻訳されたエントリが!!
タイトルがまた…秀逸と言うべきでしょう。URLは以下の通り。こちらはこちらで、原文とは別の味わいと追加情報が掲載されているので、併せてお読みいただくと良いかなぁ、と。

http://d.hatena.ne.jp/okemos/20091114/1258163096

いやぁ、古今東西、変わりないのかも。

投稿: YJS | 2009年11月14日 (土曜日) 午後 12時13分

>YJS さん

ご無沙汰しております。

>>いやぁ、古今東西、変わりないのかも。

早速読んでみましたが、まあ何処でもそんなに事情は変わらないみたいですね。

最近ハッキリわかったのは、「インフレ期待が重要だ」と謂う骨子の論に対して「インフレになるとこんな不安がある」と反論するのは、反論にも何もなっていないと謂うことですね。たしかにこれは頭が悪いと蔑まれても仕方がない。

インタゲ論に対する噛み合った「反論」となり得るのは、「インフレ期待によって経済が活性化する」と謂う論の瑕疵や誤りを指摘することであって、インフレになった場合に考え得るデメリットを挙げることは反論にはならないわけです。結局、人の話をちゃんと聞かないからそう謂う莫迦な遣り取りになる。

以前ご紹介戴いたダイヤモンド社のコラムで田中教授が述べているように、どうも自称エコノミストや自称経済通と謂った人々が、ちゃんとマクロ経済学のトレンドを理解しようともせずに、横着して手持ちの材料だけであれこれ筋の通らない難癖を附けているだけなのが問題なんじゃないかと謂う気がしてきました。

今までのところ、筋の通った「反論」にはお目にかかったことがないですからね。

投稿: 黒猫亭 | 2009年11月14日 (土曜日) 午後 03時44分

こんにちは。YJSです。

黒猫亭さん:
> 「インフレになるとこんな不安がある」と反論するのは、反論にも
> 何もなっていない

ご指摘の通り、この主張は再分配の問題なんです。名目所得の成長がインフレ率より低い場合にどう手当するか、ですね。累進性を強化して(少なくとも以前の比率に戻して)給付すれば良いと思ってます。
でもそれは、景気浮揚=失業率改善とは独立の問題だってことに気付いてさえくれれば…マネーストック拡大と同時に対処すれば良いだけと判るはずなんですが。

結局、たぶんまともな一貫性のある経済モデルというのがアタマに作られてないんですね。
だから、マイルドインフレを目指してマネーストックを拡大すると言うと、今の失業率のままでインフレになる(=スタグフレーションになる)のではないか、と心配することになる。

現行のモデルではスタグフレーションが起きないだろうとなっているわけですが、そのモデルが間違っていると指摘するなら判ります。あり得ますからね。
また、こっちのモデル(スタグフレーションが起きると主張するモデル)の方が正しいと主張するならそれも判ります。

しかし。
それならこれまでの(日銀が主張するところの)度重なるマネーストック拡大オペでなぜインフレになっていない(=デフレが継続している)かを説明できなくてはならないのです。
とりわけ、2003年の大規模為替介入におけるマネーストック拡大でインフレにならず、かつまた一時的に景気回復が起きていること、をそのモデルで説明し、そして今度のマネーストック拡大ではスタグフレーションになることを説明してもらわないといけない。
できないと思いますけどね。

あとは永遠に流動性トラップから抜け出せないのではないかという主張です。どれだけマネーストックを拡大してもデフレ脱却はできないという主張。
もし。もし本当に永遠に流動性トラップから抜け出せないのなら、日本は無税国家になることができます。全ての財政支出を日本銀行券でファイナンスしてもインフレにならないってことですから。
そんな…藁うしかない話を本気で主張する人なんていないと思うですけどね。必ずインフレになりますし、インフレにできます。

と、言う事で、このコメントの最初の主張に戻るわけです。名目所得の成長率よりインフレ率が高くなっている層への再分配を別に並行して考えれば良い、と。

> 今までのところ、筋の通った「反論」には
> お目にかかったことがない

もう、なんと言いますか、私は萎えてしまいました。ブロゴスフィアでの議論に対してもマスメディアでの議論に対しても。
大きな書店に行けば普通に棚に入っているマクロの教科書(クルーグマンでもマンキューでもスティグリッツでも)も読まず、一般均衡の定義も景気の定義も総需要の定義も理解しておらず、フォワードルッキングの定義も理解しておらず、需要の変化と需要量の変化の区別もつかない、そんなレベルであれこれ主張できる人たちの傲慢さに、ですね。

もちろん、もし日銀がマトモでさえあったら、メディアや有権者がどれだけマクロ経済学について無知でも構わないです。私はむしろ、普通の人たちがマクロ経済学についていろいろ知っていなくてはならない事の方がそもそも望ましい事ではない、と思っているくらいです。
でも、今の日銀はマトモじゃないですから。本当にマトモじゃない。金融システムだけが安定していれば良いと思ってるとしか見えないです。

だからメディアや有権者がマトモなことを言うしかない。民主主義の国ですからね。でも、陰謀論には与したくないですが…初等期中等期教育で統計学も経済学もロクにやらないですからね。メディアもヘロヘロ、有権者もヘロヘロ、与党の議員も大半がヘロヘロ。どこからどう打開したものか、ですね。

いや、本当に田中教授をはじめとする皆様には健康に気をつけて頑張って欲しいと思う次第です。

投稿: YJS | 2009年11月14日 (土曜日) 午後 05時25分

>YJS さん

某所の「議論」で、オレもYJS さんが仰る幻滅と謂うか失望のようなものの一端なりとも理解出来たような気がします。経済の領域に関する議論は相当ひどい、そしてそれは経済学と謂う学に対する侮蔑から発している、それは以前のコメントで仰った通りではないかと思います。

勿論、歴史の浅い学問には信頼性の薄い部分がどうしても出てくると思うのですが、理論的に考えれば、経済と謂うのは社会システムの一部ですから、十分「科学」の俎上に上り得る学問領域ではないかと考えます。単に、たとえば現在の自然科学が獲得しているような信頼性を獲得するまでには至っていない、そう謂う批判は在り得るとは思いますが、それは学として成立し得ないと謂うこととイコールではありません。

歴史の深浅で謂えば、自然科学だって、近代科学と直接の連続上にある系統の歴史については、自然科学の妥当性を担保する方法論が確立されて以来のここ一〇〇年余の歴史しかないわけですから、近代の学問領域同士で歴史の軽重によるプルーフの有無で差別があるのは馬鹿馬鹿しい話でしかありません。

>>ご指摘の通り、この主張は再分配の問題なんです。名目所得の成長がインフレ率より低い場合にどう手当するか、ですね。累進性を強化して(少なくとも以前の比率に戻して)給付すれば良いと思ってます。

現状の格差社会の問題への手当として考える議論であれば、インタゲ論と再分配の問題はセットで考える必要がありますね。総量としてマネーを増やしても、それが消費に廻らなければ意味がないわけで、資本家的な位置附けの階層が大量のマネーを寡占するような状況で、大量のマネーを退蔵していることがポジティブな社会的評価に繋がるような状況においては、それこそいつまで経っても流動性トラップから抜け出せない可能性があります。

>>でもそれは、景気浮揚=失業率改善とは独立の問題だってことに気付いてさえくれれば…マネーストック拡大と同時に対処すれば良いだけと判るはずなんですが。

物凄く単純化して謂えば、国政の第一義的な関心が「すべての国民が労働によって適切な対価を得ることが出来て、やむを得ず労働に参加出来なくなっても国家が生活を保証してくれる」と謂う状況を実現することにあると国民が信頼出来れば、必ず消費は活発化するはずなんです。

これはショートカットしすぎた言明ですが(笑)、おそらく経済活動においてはマッスの国民の抱く社会システムに対する期待と信頼が大きなファクターとなっている、これは事実なんではないかと思います。

で、こう謂う議論をしている際に、「再分配が上手くいかなかったらどうするんだ」とか「スタグフレーションが起きたらどうするんだ」とか謂う話をするのは、アホかと謂うふうに感じるわけで、YJS さんが仰っているように、

>>結局、たぶんまともな一貫性のある経済モデルというのがアタマに作られてないんですね。

…と謂うことで、現状の経済モデルがダメなんだとすれば、まずベースとしてどう謂う経済モデルを構築すべきなのか、と謂う観点の話であるわけです。構築すべき経済モデルとして最適なものは何か、と謂う議論の俎上において「甲より乙のほうが相応しいのではないか」そう謂う議論なら大歓迎ですし、オレ個人としては、説得力のある理路の整った提案があれば、リフレやインタゲに拘泥すべき理由がありません。

この分野でクルーグマン教授がどんなカリスマだかは識りませんが、経済学の門外漢にとってはまったく関心のないアイドルに過ぎませんから。

しかし、これこれの経済モデルを採用した場合、こう謂う危惧がある、そこまでの指摘は理解可能だとして、だからその経済モデルはダメなんだと謂うのはロジックが根本的に狂っているわけで、だったらその危惧を何らかの手当で担保すれば好いんだろうと謂う話にしかなりません。

あるべき経済モデルを論じるなら、甲の経済モデルに対して、甲の原理的な問題点を指摘し、より最適な乙と謂うモデルを提示するのが噛み合った議論です。そして、甲乙を比較した場合に、乙のほうが断然優れている、甲を採用した場合に予想されるデメリットがない、それなら理解出来ますし、だったら甲のモデルは棄却して乙を検討しよう、そう謂う話になるはずですね。

>>もう、なんと言いますか、私は萎えてしまいました。ブロゴスフィアでの議論に対してもマスメディアでの議論に対しても。

気持ちはわかります。オレは現状のぬるい社会システムで堕落したマスメディアの言説よりもブロゴスフィアの言説のほうがまだしもマシだと考えますが、それでも経済についての議論はひどすぎるように思います。

たとえばご紹介のリンク先のブログのコメントで「日本は一度どん底まで落ちてからでないと再生しない」と謂うような「ロマンチックな」意見がありましたが、そのどん底に落ち込む過程でその方の一番大事なものが喪われるとしたら、同じことを胸を張って言えるのか、言えたとしても、大多数の一般人はそんなことを肯定しないだろうから意味なんかないんだけどね、と謂う感想を覚えます。

世の中には、福井晴敏の小説を読んでも、核爆弾の爆発を阻止する人間より核爆弾で腐りきった世界を吹っ飛ばして新天地を作ろうと目論む人間に感情移入する人々がたくさんいるわけで、そう謂う人々は自分が吹っ飛ばされる側にいると考えられるだけの想像力がないんだろうな、とせせら笑ってしまいます。

何度も諄いくらいに言っていることですが、不況の直接的影響で毎年一万人もの人々が自ら死を選んでいる現状があって、経済状況を改善することでこの一万人の人命の損失に手当が出来ると確実に予想可能であるにも関わらず、それを無視して何かが言える人間には、この世に生きている大多数の人間にとって何の必要もないくだらない戯れ言を言っているんだと謂う自覚を持って欲しいものです。

投稿: 黒猫亭 | 2009年11月14日 (土曜日) 午後 06時50分

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